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邦博の作文(1996年度広告「25時」より)

 古西が中3の受験生だった頃、こよなく愛し自分の机に貼ってあった邦博の作文。このとき、邦博は立命館大学2回生である。

 受験生へ。受験なんて要は自分への挑戦よ。今、死ぬ気になれない奴は一生死ぬ気になんかなれない。俺は少なくとも、死ぬ気になるってことがカッコイイ生き方だと思うけど。

中村和司の作文(2000年度広告「25時」より)

 文系だからだが、3回生になると授業が少なくなり、ほとんど学校へ行く必要もなくなる。実験などという得体の知れなぬものに日々追われている理系の人間は我らを見て羨ましがる。しかし、それは彼らの一方的な意見に過ぎない。大学がないということも、忙しいのと同様に大変なことである。

 時間を埋めようと毎日大学へ行っているわけだが、単位がそろっているので授業に出る気にはなかなかならない。結局コンピューター室で過ごすことになる。最近はコンピューターに詳しい人と間違えられ、「マウスの調子が悪い」 「コピー機の調子が悪い」などの苦情や、あげくに「ボランティアのアシスタントをしてくれ」と、助手を頼まれる始末である。これも大学の授業の半分がつまらないからである。大学の教授は「教えを授ける」ことも仕事である。これを忘れている人が多い。

 「独立行政法人化反対!」 最近、大学構内でよく見かける立て札だ。「独立行政法人化で文学部がつぶれる」などというチラシもよく見かける。現在の国立大学のあらゆる意味での非効率をなくそうとするものだ。チラシはコンピューター室のコピー用紙に使わせてもらっているのであまり文句も言えないが、私から言わせれば保身に過ぎない。国家公務員でなくなり、研究・教育の双方について芳しくない人には厳しくなるからだ。もし、独立行政法人化が実現すれば、授業ももう少しは面白くなるだろう。

 私はもう卒業するので直接的には関係ないが、一応財政を勉強した者としては言っておかなければ、と思って書いた。これから大学に進学する人にとり、授業が面白くなるのはいいことではある。しかし、面白いこととレベルを下げることとは違う。目的意識を持って大学や学部を選んでおかないと、本質的な意味でのおもしろさはありえない。その点は心に留めておいてほしい。最後はありきたりで、これこそつまらないものかもしれないが・・・。

 コンピューター室より 中村和司(8期生・大阪大学経済学部・3回生)

塾頭の自転車旅行

 高校時代に暇があればサイクリングしていた。特筆すべきは、高校2年の頃の東京までのバトルと思われる。日曜日の朝5時に久居を出発、ただひたすらに東京を目指す。国道23号線から1号線へ、ただひたすら東京を、箱根の剣を目指す。タイムリミットはその日の午後11時。あとは自転車を折り畳み深夜の東京発大垣行きの夜行列車に乗り込み、名古屋から近鉄で津高へともどる。当然のごとく時刻は月曜日となっている。第一回目のチャレンジは岡崎で挫折した。そして浜松、静岡、三島と徐徐にのびていく。しかし箱根が難関となる。なかなか越えられない。8回目のチャレンジで小田原までたどり着く。そして11回目にして東京駅に到着。時刻は午後11時10分。気分良く、始発の大垣行き普通深夜快速に乗り込みぐっすり眠り込む。車掌さんに起こされたのは大垣駅。当然のごとくその日は高校へ遅刻。この日だけにないにしろ遅刻は雪ダルマ式に膨れ上がり、月曜日の1限目の現代文は出席日数が足らず留年の査定を受けることになる。現代文の先生から助け船が出て、旅の紀行レポートを提出したら単位をくれるという粋な計らい。しかし何度も何度も書き直しさせられ、いつしか俺のいいか悪いか分からない現代文の成績は急上昇することになる。それはうれしい誤算だった、逆に悲しい誤算。痔になっちまったってこと。これはまいった。どうしようもない痛み、情けない痛み、立っても痛い。座っても痛い。ただひたすら神に許しを請うだけ。この痔との二人旅は現在も続いている。4年に一度、つまりはオリンピックの記事が新聞を賑わす度に俺は泉が丘の野路先生ところに駆け込むことになる。

 

トレーナー界のカリスマ

 2000年5月22日号に「トレーナー界のカリスマ in 鳥取」なるタイトルで小田君が春休みに参加した合宿の記事が出た。



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