評判の「ラスト・サムライ」(公式ホームページ)
ですが、
外国人の日本イメージを見せられるのでは、
と敬遠していました。
「そんなことはないよ」と聞いて見に行きましたが、
良くできた映画で、
外国製という違和感はほとんどありません。
なにせ、日本制作と比較して、
お金がかけてあるのは歴然で、
特にその点は楽しめます。
冒頭で、白人アメリカ人によるインディアンの虐殺が描かれ、
トム・クルーズ扮する元騎兵隊員は、
それに加担したという罪の意識に悩まされています。
それが、物語を通しての基調線になっています。
カスター将軍の第7騎兵隊が多数のインディアンと戦って玉砕したのは、
子どものころ英雄物語として読んだ記憶があります。
(中身は思い出せません)
その評価が、最近の米国では変わってきているのですね。
トム・クルーズが上陸する横浜の様子など、
日本人の私も、あんなだったのだろうなと見えて、
日本の描き方には違和感はありませんが、
渡辺謙扮する勝元(つまりラスト・サムライ)の拠点になっている農村の描き方は、
戦国時代までのもののように感じました。
江戸時代までに兵農分離が進んだので、
幕末には、一般的に、武士は農村にいませんでした。
農地を所有するということもなくなっています。
藩によって政治や制度が違うので、
あのような農山村がなかったと言い切るのは難しいのですが、…
また、これを言い出すと、
黒沢明の名作「七人の侍」にも逆の疑問がでてきます。
野武士に農村が襲われるのですから、
戦国以前のお話だと思われるのですが、
そのころの農村は、基本的に武装していました。
(だから刀狩りが必要だった)
ラスト・サムライでもっとも気になる点は、
「武士道」を賛美していた点です。
昨年11月25日付けの中日新聞で、
佐藤正明描くところの風刺漫画「真綿で首を…」は、
ラスト・サムライを取り上げていました。
(1コマ目)
渡辺謙とトム・クルーズが官軍と戦っているスクリーンがアップで描かれ、
「日・米手を携えて戦う映画」
とあります。
(2コマ目)
ブッシュ大統領と小泉首相が、ふたりでこの映画を見ています。
ブッシュ「どうよ?」
小泉「はあ、いいっすねー」
(3コマ目)
映画を見終わったふたりがお茶を飲んでいます。
ブッシュ「でどうだった?」
漫画は笑えましたが、
小泉さんが、もしこれを見て、
「感動した」などと言ったりするとこわいですよね。
新渡戸稲造「武士道」(岩波文庫)によると、
武士道とは、
『武士がその職業においてまた日常生活において守るべき道』
で『「武士の掟」、すなわち武人階級の身分に伴う義務
(ノーブレッス・オブリージェ)である。』
とし、
『道徳原理の掟であって、武士が守るべきことを要求されたるもの、
もしくは教えられたるものである』
とのことです。
また、
日本経済新聞で今年の1月5日から16日まで連載された
川勝平太「やさしい経済学−歴史に学ぶ・移りゆく覇権」によると、
実は、「武士道」は、平和主義なのだそうです。
『江戸時代のさむらいは全員が「士」である。
「士」という字は、武人ではなく、学徳のある人物を意味する。』
とのことです。
戦国時代まで武力を行使したサムライが、
江戸時代になると、武力を捨てて、学徳を身につけ「士」になったというのです。
『日本社会の支配者層が、
16世紀から17世紀以降にかけ
武力中心主義から学徳中心主義へと変わった。』
それを支える倫理が「武士道」で、
四書(「大学」「中庸」「論語」「孟子」)を勉強して徳を積み、
その徳によって藩を治める徳治主義だったそうです。
武を捨てて軍縮し、
土地(資本)から切り離された「士」による藩経営と
勤勉が、江戸時代の経済発展を生み出し、
明治維新はその最終局面とのことです。
戦後の経済成長をみても、
「平和」が社会にもたらすものは実に大きいようです。
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