54■魔の山にて (3)
そして終わる戦い。


269■聖なる水さし (ビアンカ視点)
「聖なる水さしねぇ……」
私は視線を宙にさまよわせる。とりあえず、今までそういうものを見たことも聞いたこともない。
「んー、聞いたことないよねー」
テスが眉を寄せる。テスの記憶にないなら、確実に知らないものだ。
「もしかして、これまでの道で見落とした部屋とかあったのかな?」
「うーん……」
ソルの言葉にマァルは首を傾げている。
「ともかく、ここで悩んでてもわからないよ。一回見落としがないか戻ってみよう。お母さんが存在を知ってるんだから、あるとしたらココかジャハンナ、グランバニア、エルヘブンだろうね」
テスが腕組みしながらぼそぼそという。考えながら話してるんだろう。
「どこだと思う?」
それなりに考えがまとまっている様子だから尋ねてみると、テスは右のこめかみをトントンと叩きながら話しはじめる。
「とりあえずその中でグランバニアは確実に無い。宝物庫のリストに載ってなかった。エルヘブンも確率は低いね。魔界で必要だって言ってくれるはずだからね。そうなるとジャハンナかココ」
テスは足元を指差してニヤっと笑う。
「どっち?」
「ジャハンナは探険してあるから言うけど、たぶんないね。ココだと思う。たぶんどこかで見落としがある」
テスは言うと、さっき入ってきた入り口を指差す。
「ってわけだから、回れ右。探しにいこう」

私たちは下ってきた道を戻る。緩やかな登り道を暫らく行くと、階段が見えてきた。あの上に祭壇がある。
少し、内心ため息。
「あ!」
私の前を歩いていたソルが、前を指差して声をあげる。
祭壇のあった場所は、坂のしたであるこっちから見ると台地のようになっていて、ずいぶん高い崖になっていた。ソルが指差したのは、階段の逆側。
崖にぽっかりと横穴が開いている。テスはその入り口をみて乾いた笑い声をあげた。
「あっはっは、見事に見落としたねー。あんなにしっかり口が開いてるのに」
「本当ねー」
「ともかく前しか見てなかったからねぇ。ちょっと視野が狭くなってたね。魔王を倒すのは大切だけど、ちょっと余裕をもたなきゃダメだね」
「そうかも……」
私たちはお互い顔をあわせて苦笑する。
「落ち着いていこう」


私たちは入り口からなかを覗いてみた。内部はこれまでの迷宮と同じ、白い床と深い青の壁で作られていた。ソルのトヘロスのおかげか、もともとがそうなのか、やっぱり内部は不気味に静まり返っていた。
入り口からは細めの通路がつづいている。角を二回曲がったところで、視界がひらけた。広い部屋で、柱が何本か並んでいる。床には、部屋の壁に沿って不思議なタイルが並べられていた。ずいぶん大きくて、一枚のタイルに大人が一人余裕で乗れる。タイルにはVの字のような柄が彫られていて、その尖ったほうが部屋の奥に向かって一方向につながっていっている。矢印が延々とつながっているみたいに見えた。
よく見ると部屋の内部は至る所に矢印タイルが並んでいる。そのタイルに紛れるように下りの階段がいくつかみえる。
「何かしら、あのタイル」
「見たことない仕掛けかな」
私たちは恐る恐るタイルに近寄ってみる。真っ白なタイルは、刻まれたV字以外には変わったところはない。
ソルとマァルはしゃがんで、タイルをしげしげ見つめている。
「まぁ、害のあるものでもなさそうだし、適当にあの階段から行ってみようか」
テスは部屋の中央にある階段を指差してそっちの方向へ歩き始める。ちょうど足元にタイルがあった。
足がタイルに乗った瞬間。
「うわぁっ」
テスが悲鳴とともにタイルの上を滑っていく。それはタイルに刻まれた矢印と対応した動きで、角をしっかり曲がって少しここから離れた位置に放り出された。ちょうどタイルが無くなる位置。
私たちはタイルを避けながらテスに走りよる。
「だ、大丈夫!?」
「……平気。ちょっとビックリしたけど」
テスは床に座り込んで胸の辺りをさすりながら、ひきつった笑顔をみせた。
「タイルは、刻まれた方向に無理矢理移動させる装置みたいだね」
テスは立ち上がる。
「だから、えぇと……」
床の階段とタイルとを見て、暫らく黙る。
「私こういうの苦手……好きなところへ歩けなくてイライラしちゃう……」
「最短距離考えるから、ちょっと待ってね」
イライラと爪を噛む私にテスは苦笑した。
「とりあえず、ここから」

結局この部屋にはよっつの下り階段があって、下には小さな部屋があった。どの階段も同じ部屋に続いていたけど、あの矢印タイルで区切られていて真っすぐ部屋をよこぎったりできなかった。
「ぼくいつもならわ〜い! すべる床って楽しいな〜! ってさわぐところだけど……今日はとてもそんな気分になれないよ……」
ソルはげんなりした顔で部屋を見る。
それじゃなくてもお婆様が亡くなった淋しい場所なのに、そのうえこれじゃあね。
結局テスに床のコトは任せて、部屋の中をまわった。
部屋のなかにおかれていた宝箱から、漸く聖なる水さしだと思える物を発見する。
銀色の、優美な形をした水さしで、青っぽい銀で丸いラインをもった飾りが付けられている。中を見るときれいな水がなみなみと入っていて、注ぎ口からどれだけ水を注いでも、中の水が無くなることはなかった。
「聖なるみずさしってきれいなお水がいっぱいはいっているのね。わたし今度大事なお花さんに、このお水かけてあげたいな……」
マァルは何度も水さしの蓋を開けたり閉めたりして中身を確かめて、目を輝かせる。
「うん、使いおわったらマァルにあげるよ」
テスは軽くマァルに約束して、一度水さしを受け取る。
「それじゃ行こうか」


再び溶岩が充たされたくぼみがある小部屋に戻った。もうお義母様の声はしなかったけど、この部屋にはまだ声が残っている感じがした。
きっとうまくいく。
「それじゃやるよ」
テスは宣言してから、聖なる水さしをつかって溶岩に水をかける。
はた目に見れば、焼け石に水という感じで、全く無駄なことに見えた。けど、真っ赤に燃えていた溶岩は少しずつ冷めていく。
やがて炎と熱は冷めきって、くぼみには水だけがたまった。その中央に、下りの階段が見える。道はつながってる。
一瞬、風が階段から吹き抜けていった。
まるで挑戦状を叩きつけるみたいに。
私たちは無言で見つめあうとうなずきあった。

それは決意。

「行こう」
270■パズル (テス視点)
現れた階段を下りると、随分広い部屋にでた。
相変わらず壁は深い青、床は白。まだまだ迷宮はつづいていくようだ。今度の部屋は、腰あたりまでの低い壁に区切られた、簡単な迷路のようになっている。少し離れたところまで見通せるから、少々楽に進めそうに見えた。
すぐ前に下りの階段が見える。その手前には大きな格子が取り付けられていた。この部屋にはたいまつがおおいから、もしかしたら下の階の明り取りなのかもしれない。良く見ると、格子は部屋のあちこちに取り付けられている。
「まだこんな広い部屋が続いていたなんて……。ミルドラースはどこにいるの?」
ビアンカちゃんが大きなため息をつく。
「じゃ、ちょっと休もうか」
声を掛けて、取りあえず座る。その間に、ランタンを片手に格子の下をちょっと覗いてみた。
どうやら、下にも広い部屋があるみたいで、ここから見るだけでは壁は見えなかった。床は土で出来てるらしく、少し湿っぽいにおいがした。装飾もあまりなさそうにみえる。
「どんな感じー?」
ビアンカちゃんが後ろから声を掛けてきた。
「んー、とりあえず、まだ下にも部屋があるね」
「うんざり」
ビアンカちゃんは舌を出して浮かない顔をして見せた。
ボクは苦笑して振り返る。
「まあ、最後だからね。魔王まで簡単には辿り着かないよ」
答えて、また格子に向き直る。下の部屋も割と明るい。どうやらこの格子は明り取りだけのために作られてるわけではなさそうだ。
「主殿」
ピエールが格子の丁度中央辺りを指差した。
「ここになにか……」
その辺りを見てみると、格子はどうやら中心に棒が通されていて、その棒だけで床に取り付けられているようだった。シーソーみたいな物かもしれない。
「あ、中心があるんだ」
ボクも答えて、少し格子の端を押してみた。手応えはほとんど無くて、軽く動く。格子はぐるりと一回転した。
「え? 今の何!?」
視界の端で捕らえたのか、ソルが驚いたような声をあげる。
「ん、ああ、この格子動くんだよ」
「階段いらないね」
ソルが笑う。

なるほどな。

「ソル、なかなか良いラインかも」
「え?」
「そういう使い方するかもね、ってコト」


ボクらは十分に休憩をとったあと、あたりを調べて歩いた。注意して格子を避けて歩いてわかったことは、とりあえず、この部屋には二つの下り階段があって、それはどちらも下の同じ屁部屋につながっていること。そしてその部屋は行き止まりだということ。
あとはこの部屋からつづく廊下には、幅いっぱいにあの格子が取り付けられていて、その向こうにも廊下がつながっているということ。
「……あの向こうに行かなきゃいけないわけだ」
ボクは足先で格子をつついてみる。軽くきしむ音を立てて格子は簡単に動いた。
走り抜けるのはたぶん無理だろう。
「どうする?」
ビアンカちゃんがくびを傾げる。
「んー……気の乗らない話として、ここから下に落ちる」
「え!?」
マァルが絶望的な悲鳴をあげた。
「詳しくきかせて?」
ビアンカちゃんはマァルの頭を撫でながら眉を寄せた。
「下の部屋がこっちと対応してると仮定しての話だけど、ちょうど下の部屋がこの辺で終わってたんだよ。だから、ここから落ちて、下にある別の部屋からまたこっちの階へ戻ってくる。下の部屋、天井低かったし大丈夫だよ」
「……うーん」
ビアンカちゃんが納得したようなしないような微妙なうなり声をあげる。

ピエールは格子から下をのぞいて、下に部屋があると報告する。
「どのみち他に方法無さそうだよ?」
「……」
ビアンカちゃんが深々とため息をついた。


下に一回落ちると、すぐに上り階段をみつけた。のぼると、さっきの格子の向こう側に辿り着いていた。
暫らくマァルが落ち着くまで休んで、また道を進む。格子がまだ付けられている場所もあったけど、よければなんてコトはなく、道はひたすら一本だった。
やがて、下り階段が見えてくる。
「もしミルドラースがオモテの世界で魔の力を発動させたりしたら……。行きましょテス。これ以上人々が悲しむ姿を見たくないものね」
立ち止まったビアンカちゃんがぽつりと言う。
「うん……そうだね」
「ねえテス……。……ううん。なんでもないわ。話はまた今度ゆっくりね」
「……うん」
言い掛けた言葉を飲み込んだビアンカちゃんの頭を撫でて、ボクは笑った。
なんだか、不思議な気分。
本当に、魔王を倒しに行くんだ……。
ボクは皆の目を盗んで、ビアンカちゃんにキスをする。
「帰ったら、いっぱい話をしよう」


ボクらは階段をおりた。
下りた先は廊下になっていた。何度か小さな曲がり角をまがって、最後に大きく角を曲がる。
まがった先は真っすぐな廊下。
左手側に、もうすっかり見慣れてしまった巨大な魔獣の像が五体、ずらりと並んでいた。
「うわー、圧巻」
ボクらはため息をついて歩きだした。
これまでと違って、魔獣の像のくびが、ボクらの動きをおってくる。
決して動きだして襲ってくるわけではないけど、あまり気持ちのいい話ではない。ボクらはいつ魔獣の像が動きだして襲ってくるのかとドキドキしながら、その廊下を通り抜けた。
廊下の行き止まりには、下り階段。左手側、つまり魔獣の像のすぐ隣に次の部屋へ続く入り口。
階段の先には何もないだだっ広い部屋になっていた。
「どうやら、入り口のほうみたいだね」


「何、この部屋」
ビアンカちゃんがため息をつく。
部屋は、不思議な様子だった。大きな部屋のなかに、小部屋が入っているみたいで、腰辺りまでの壁で部屋のなかは区切られていた。
今の部屋の部分は灰色の床に、細い切れ目が二本入っている。正面と左右には次の部屋に続く入り口。
隣は正面も左右も茶色の床で、中心にスイッチみたいなでっぱりがあった。
暫らく歩いてみて分かったのは、この大きな部屋は九つに区切られていること。うち、八ヶ所に茶色の床の小部屋がある。中央の一番奥には、次に続く入り口があるようだけど、小部屋の壁で半分以上塞がっていて通れそうにない。
「なんなのこの部屋! どうやって行くの!?」
ビアンカちゃんはイライラと声を上げた。
「んー、なんだろうね」
なるべくゆっくり返事して、ボクは辺りを見渡す。
「怪しいのは、スイッチみたいなでっぱりだね」
「うん」
試しに中央の小部屋にあったスイッチを踏んでみた。
とたん、大きな部屋に入ってすぐの、灰色の床だった部分にこの部屋がスライドした。
「!?」
かわりに、さっきまで小部屋があった場所が灰色の床になっていた。
「なんなの? この部屋は。う〜ん……なんだか複雑そうね。私こういうの苦手だからここはテスが頑張ってね」
ビアンカちゃんは早々に手を振ってあきらめる。
「なんかへんな部屋だね。魔物たちもよくこんなしかけ考えるなあ……」
ソルはスイッチをめずらしそうにじっと見つめる。
「15パズルみたいな感じかな? とりあえず、小部屋を移動して、出口につなげる……と」
「じゃあ頑張って」
ビアンカちゃんがボクの肩を笑顔でたたいた。
271■最後の部屋で (テス視点)
「えーと、あっちが開くとこっちが……」
ボクは床に座って頭のなかで部屋を動かす。左側の部屋を動かして、そこから順番に動かして……。最後に真ん中を上げたらなんとかなりそう……。
「じゃあ行こうか」


部屋を抜けると、くらい不思議な空間にでた。一本の道が曲がりくねってのびている。空間には他に何もない。
「ぼく勇者でよかったよ。だってぼくが強くなれたのってきっと勇者だったからだし……。ぼくとにかく強くなってお父さんの手伝いがしたかったんだ。お父さんに会ったときから……」
ソルがボクの手を握って言う。
「ありがとう……ボクにソルが居てくれてよかった」
「こわい……下が見えないの。ならくの底ってこんな感じ?」
マァルがボクのもう一方の手を握る。
「んー、でもどこに居てもマァルが居てくれればいい気がする」
マァルがにこりと笑う。
「いやな空気がどんどんこくなってる……。お父さん……気を付けようね」
「うん」
ボクらはゆっくり一本道を行く。道の最後は、絶壁にあいた入り口につながっていた。
ボクらはゆっくり頷きあって、その入り口をくぐる。

「また、部屋……」
ビアンカちゃんはため息をつく。
部屋はとても広かった。
壁は深い青なのは変わらなかったけど、床の色が茶色になっていた。
部屋の奥は三段の祭壇になっていて、そのまた奥に扉があった。
魔獣の像が壁ぎわに並んでいて、篝火が燃えていた。ゆっくり扉に近寄ると、二匹の門番の魔物が立ち上がってきた。
これまで見た記憶もない魔物。かなり強くてボクらは苦戦した。
が、勝てない相手じゃない。
数分もしたら、ボクらは門番を倒す。
「この扉の向こうに……いるんだね」
ソルが扉を見つめてつぶやく。
「昔の伝説の勇者だって大魔王をたおすときはきっとこわくてしかたなかったはずだよ。だからぼくはどんなにこわくても絶対に負けない!」
それから、決意を固めるように手を拳にして、少し声を張り上げた。
ボクはソルを思いっきり抱き締める。
「……」
何か言わなきゃならないはずなのに、言葉がでなかった。
「お父さん……ぼくらきっと大丈夫だからね」
「うん」
「本当はすごくこわいんだけど……お父さんといるとすこしだけこわくないの。わたし……お父さんの子でよかった……と思う。ごめんなさい上手に言えなくて」
マァルが少しうつむき加減にいった。
「うん……」
ボクは今度はマァルを抱き締める。
「うん……うまく言葉にできないね……ボクも……何か言いたいんだけど」
マァルはキュッとボクに抱きついて小さく頷いた。


ボクは皆を見る。
ビアンカちゃん。
ソル。
マァル。
ゲレゲレ。
スラリン。
ピエール。
ホイミン。
ロビン。
それから、今ココには居ないけど、たくさんの仲間たちの顔を思い出す。
ヘンリー君。
サンチョ。
マーリン爺ちゃん。
ほかにもいっぱい。
誰一人かけても、きっとボクはここまでこられなかった。
「あ……のね」
ボクは泣きそうな気分になって、皆を見る。
「ここで何か気の引き締まる気のきいたコトでも言えたらいいんだけど、なんかうまく言えないや……」
「ここでうまい事言えたらテスじゃないな」
空元気か、スラリンがそう言って笑う。ゲレゲレがその後ろで頷いた。
「……それもそうかも」
「肯定しないっ!」
ビアンカちゃんがすかさず言った。
それで何となく、皆の緊張がとける。
「そうだ、皆に聞いておいてもらおう」
ボクは思い立って手を打つ。
「何?」
「ボクの名前」
質問に答えると、ビアンカちゃんが納得したように頷いた。
「テスさんはテスさんでしょ?」
ホイミンがふわふわと首を傾げる。もっともだ、と言わんばかりにソルやマァル、ピエールが頷いた。
「グランバニアの王族は、本名は家族やごく近しいヒトにしか教えないんだ。名前は魂の一部だから」
「そんな大切なものを我々が聞いてもよろしいのですか?」
驚くピエールに、ボクは頷く。
「だって、皆大切な家族でしょ」
皆一瞬ビックリしたような顔をして、それから嬉しそうに笑った。
「ボクの本当の名前は、テッサディールって言う。意味は知らないけど、お母さんが付けてくれたんだって」
「素敵な名前でしょ?」
すかさずビアンカちゃんがほほえむ。皆が頷いた。
「お母さん、知ってたの?」
「もちろん」
ビアンカちゃんが自慢げに頷いた。
「あれ? でも、グランバニアの王族がもう一個名前持ってるってコトは……」
スラリンがソルとマァルを見上げる。
ソルはその視線を受け取って、ボクを見上げた。
「……ぼくらもあるの?」
期待した表情で、ソルとマァルはボクを見る。
ボクは頷いた。
「本当は成人の儀式に伝えるつもりだったんだけどね……」
ボクは苦笑して二人の頭を交互に撫でた。
「まあ、二人ともしっかりしてるから、いいか。……誰にも教えないって約束できる?」
「うん!」
二人とも顔を紅潮させて頷いた。
期待に胸膨らます、といった感じ。
とても可愛い。
「ソリディア」
ソルをみてなるべく優しい声で呼ぶ。
ソルはきょとんとして首を傾げる。
「マーリィシャ」
マァルに目線をあわせて、優しい声で呼ぶ。
マァルはにこっと笑った。
「……変な感じ」
ソルがぼそりと言ったのを聞いて、ボクは大声で笑う。
「その気持ちはよくわかるよ、ボクもそうだった」
「……身も蓋もないコト言わないの」
ビアンカちゃんが呆れたような声を上げた。
「……さて、緊張も解れたところで……」
ボクは扉を見つめる。
「行こう」
「うん!」



扉をひらく。
小さな地面だけが足元にあって、あとは何もない空間だった。
空も、辺りも、闇に包まれていて、空間を稲光が走っていく。
音は空間を切り裂いて、ボクらの体を震わせた。
少し離れた正面に、宙に浮かんだ祭壇のようなものがあるのがみえる。
……魔王が、そこにいるんだろう。
「まがまがしい空気がうずまいててクラクラするわ。でも私たちは負けないわよ」
ビアンカちゃんは真っ正面を見据えて、しっかりした声でいった。
「……うん、勝とう」
ビアンカちゃんはボクをみて、少し泣きそうな笑顔を見せた。
ボクらは手をつなぐ。
「ねえテス……。もしかしたら最後かもしれないでしょ? だから今のうちにきいておくわね」
「ヤなコト言わないでよ」
ビアンカちゃんは続ける。
「サラボナで誓ったこと、今でもまだおぼえてる? 私たちあの教会で永遠の愛を誓ったわよね。テス……。死ぬときは一緒よ。だけど絶対に生きてグランバニアに帰りましょうね」
ぎゅっとつないだ手に力をこめる。それから、ビアンカちゃんを抱き締めた。
やわらかい、いい匂いがした。
「……生きよう。まだ話したいコトがいっぱいあるんだ。グランバニアに絶対帰ろう」
「……うん」
ボクはビアンカちゃんにキスをした。
「愛してる、だから、生きて一緒に帰ろう」
272■ミルドラース (テス視点)
黄色い床をもった、大きな円形の乗り物が目の前にある。ボクらが乗ってもまだ余裕がある広さ。それは、ボクらが乗ると静かに動きだした。
相変わらず、空間を雷が切り裂いていく。その中をゆっくり進んだ。
祭壇が近づいてくる。
大きな岩を組み上げた小さな祭壇で、その中央にそれは浮いていた。
小柄な老人だった。
真っ白な長いヒゲ。
白の長いマントに、紫のローブ。
肌は黄色で、髪のない頭には左右と額から鋭い角がはえている。
その瞳は、冷たく鋭い。
彼は、宙に浮いたまま真っすぐ背をのばしてたっている。
腕組みをしたその様子は威厳さえ感じられた。
彼は冷たい瞳でこちらをみると、地の底から響くような冷たく恐ろしい声で話しはじめた。
「ついにここまで来たか。伝説の勇者とその一族の者たちよ。私がだれであるかそなたたちにはすでに分かっておろう。魔界の王にして王の中の王・ミルドラースとは私のことだ。気の遠くなるような長い年月を経て私の存在はすでに神をもこえた。もはや世界は私の手の中にある」
魔王はゆっくりした口調ではなす。
その小柄な体のどこから、こんな声がでるんだろう。
この圧倒的な威圧感はなんだろう。
「私のしもべたちがあれこれとはたらいていたようだが……あのようなことはそもそも必要のないくだらない努力にすぎなかったのだ。なぜなら私は運命に選ばれた者。勇者も神をもこえる存在だったのだからな……。さあ来るがよい。私が魔界の王たる所以を見せてやろう」
魔王はにたりと笑う。
ボクらの、最後の戦いが始まった。

マァルとビアンカちゃんが、それぞれ最初にバイキルトをボクとソルにかけてくれた。
ソルは息にそなえてフバーハを唱える。
ボクはお母さんの命のリングに一瞬祈ったあと、ミルドラースに切り掛かる。
手応えがあった。
とりあえず、ここに実体がある。
ちゃんと戦えてる。
ミルドラースは大きくいきを吸って、至近距離から輝く息をはく。
一瞬で辺りの空気が冷えて輝く。ソルのフバーハがなければかなり危なかった。
傷ついた体を、マァルが賢者の石をかかげてなおしてくれた。
「ありがとう!」
ボクとソルは次々ミルドラースに切り付ける。ビアンカちゃんのメラゾーマの大きな火球が炸裂する。
ミルドラースが両手をこちらに向けた。とたん、衝撃が突き抜けていく。凍てつく波動だ。ボクらを守っていた様々な魔法の効果が一瞬で吹き飛んでいく。
「ずるいわよっ!」
ビアンカちゃんは悔しそうに叫んで、またバイキルトを掛けなおしてくれた。つづいてソルがフバーハを唱える。
マァルは賢者の石での回復に手いっぱいで、なかなか魔法が使えない。
ボクはミルドラースに切り掛かる。手応えがあるのに、斬ってない感覚。果たしてこの攻撃はきいてるんだろうか。
ミルドラースは腕を複雑に動かす。空間が歪んで、手下であろう悪魔神官が二人あらわれる。
「助け呼ぶの!?」
ソルが「嘘ぉっ」と言いながら悪魔神官に切り掛かった。
「ソル、そっちはいいから魔王に集中!」
ボクはソルに叫ぶ。悪魔神官はやっかいだけど、脅威にはならない。
ビアンカちゃんのメラゾーマがまた、ミルドラースに炸裂した。
ミルドラースの体が大きく揺れた。
「テス!」
ビアンカちゃんが魔王を指差す。
狙うなら、今。
ボクはミルドラースを切り付ける。魔王の体が、後ろに仰け反った。
「ソル!」
「うん!」
ボクの声に、ソルは大きく頷いて天空の剣を大きく振り下ろした。
魔王の体が、祭壇におちた。
「……やった、の?」

ビアンカちゃんはくびを傾げる。
「んー……」
わからなかった。
確かに強かったけど、あっけなかった。
こんなに単純でいいのか?

「さすがだな。伝説の勇者とその一族の者たちよ。しかし不幸なことだ……。なまじ強いばかりに 私の本当のおそろしさを見ることになるとは……。泣くがいい。叫ぶがいい。その苦しむ姿が私への何よりの捧げ物なのだ。勇者などというたわけた血すじを私が今ここで断ち切ってやろう!」
魔王は叫ぶと、ドンッと大きく祭壇を拳でたたく。
それから立ち上がって、手をあわせた。
相変わらず雷が響く。
真っ黒な雲がすごい勢いで流されていく。

そんな中、魔王の体はゆっくり、かたちがかわっていく。
一度眩しい光が弾けた。それから魔王の体は大きくなっていく。その巨体は祭壇に乗るぎりぎりのサイズ。
次に、肩の辺りからもう一対の腕が生える。
それから、コウモリみたいな羽がばさりと音を立ててひらいた。
最後に、しっぽが伸びる。
青黒い刺が先端にいくつもついていた。
裂けた口からはするどい牙が何本もでている。
赤っぽいオレンジの皮膚には、青黒い刺と斑点がいくつも散らばっている。
「気持ち悪い」
ビアンカちゃんはつぶやく。
魔王が、吠えた。


完全に魔王の理性は飛んでしまったようだ。
ギョロリとした瞳が、ボクらを捕らえたのがわらった。
とたん、魔王の指先が光ってボクらの真ん中でイオナズンが炸裂した。
「大丈夫!?」
ソルはベホマラーを、マァルは賢者の石をそれぞれ使って皆の傷をいやす。
「やばそうよね……」
ビアンカちゃんが眉を寄せる。

ボクは魔王を見上げる。
吠え、目に映るボクらを追うように攻撃するその姿は、何だか哀れだった。
ここに居るのは純粋な破壊衝動をもった魔物で、魔物を統べていた王には見えなかった。
「……」
ボクはミルドラースに切り掛かる。
手応え。
魔王は吠えて、その腕を振り下ろした。ボクは避けきれなくて祭壇に叩きつけられる。
自分の傷をいやす。
魔王は腕を振り下ろし、吠え、灼熱の炎をはく。

その姿はともかく悲しくて哀れで、
「もうやめなよ、みっともないよ、ミルドラース」
ボクは何だか泣きそうになった。
273■そして始まる世界 (テス視点)
魔王は吠えながら、攻撃を続ける。
純粋な破壊衝動でもって、散らばって戦うボクらをなんとか捕らえようと腕を振り上げ、灼熱の炎をはく。
ボクらが一回攻撃する間に、ミルドラースは二度攻撃してきたりした。
ビアンカちゃんがメラゾーマを唱えかけてやめたのがみえた。
「どうしたの!?」
「あいつ、マホカンタがかかってるみたい。ほら、前になにか透明な盾があるでしょ」
「あ、うん」
「しばらく私は役に立てないと思うわ、ピエールと交替してくる」
ビアンカちゃんは馬車で待機していたピエールと入れ替わる。でてくるときにバイキルトを掛けてもらったんだろう、ピエールの剣は輝きを増していた。
「頼りにしてる」
ボクが言うとピエールは頷いた。

少しづつ、ボクらは押し始めていた。
魔王が、切り付けるたび声をあげる。その声が苦しげになってきていた。
魔王は、
それでも強烈な一撃を繰り出しながらボクらをにらみつける。
ソルの渾身の一撃が、深々と魔王の体に突き刺さる。
魔王がはっきりと悲鳴をあげたように聞こえた。
「ミルドラース」
ボクは剣を振り下ろす。
「もう、終わりにしよう」
ボクの剣は魔王の心臓に突き刺さった。

ゆっくりと
魔王の体が後ろに倒れていく。
剣が抜けて、その速度は早まった。
ズンっという低い音と共に、ミルドラースの……魔界を統べていた王の体は祭壇に倒れこんだ。
「わが名はミルドラース……。魔界の王にして王の中の王。

 そ その…私が……やぶれる……とは……」

苦しげにつぶやいで、彼は宙に手を伸ばす。
何かを求めるように伸ばされた手は、なにもつかむ事無くそのまま落ちていった。

やがてその体はオレンジに輝きながら膨れ上がり……
破裂してなくなった。

「終わ……った……の?」
マァルがくびをかしげる。
「……うん。全部終わったよ」
ボクはマァルの頭を抱いて、魔王が消えた場所を見つめる。

何だか、悲しい気分だった。
魔王は、お母さんをさらった憎い相手だった。
けど、
なんだか……。

ジャハンナで聞いた話を思い出す。
神になりたかった人間は、その心の邪悪さから、魔物になった。
エルヘブンの民はそれを止めようとしたが、止められなかった。
エルヘブンの民も。
きっと今のボクと一緒で
悲しかっただろう。

魔王が消えた場所が、少しづつ歪み始める。
相変わらず雷が空間を切り裂いていたけど、その場所だけキラキラときれいな水色の光が溢れて渦を作り始めた。
渦の向こうは眩しい光。
「何!? 何なの!?」
ビアンカちゃんが不安そうな声をあげた。
ボクらの体はふわりと浮いて、やがてその渦に飲み込まれた。


夢を見ていたのかもしれない。
ボクは見知らぬ男の人を見た。
『どうしてだ?』
彼は言う。
『何でも欲しいものは手に入れられるはずなのに』
『どうして私のほうをみない?』
『どんな物でも渡してやれるのに』
『何でも思いのままなのに』
彼の体は、一つ呟くごとに小さくなっていく。
『私は間違えたのか』
彼はもう、子供のようで。
振り返ってボクを見た。
『マーサ……』
『そんな顔で私を見るな……』

ああ。
そんな気はしてたんだ。
だからボクは
君を悲しいと思ったんだ。

「……やっぱり、お母さんのコトが好きだったんだね」

ボクは、
もうヒトの形もとれなくなって
魂になってしまった彼に手を伸ばす。
壊れそうな魂は、闇のほうへ流れていこうとしていた。
「大丈夫。一緒にいこう。きっと間違ったんだ、どこかで」
ボクは光のほうをみる。
「やりなおせるよ、今度はきっと……誰かに愛してもらえる」

「一緒にいこう。誰かと一緒って……いいものだよ」



「よかったー、目、覚めた」
ビアンカちゃんがボクを覗き込んでいた。
ビアンカちゃんの後ろに大理石の真っ白な天井がみえた。
「目、覚まさないから……このまま起きないのかと思った……」
少し目を赤くしてビアンカちゃんはほほえむ。
ボクは手をゆっくり伸ばしてビアンカちゃんの頬に触れる。
「どのくらい寝てた? ……ここ、どこ?」
「天空城よ。……寝てたのは半日くらいかな」
「……ビアンカちゃんに逢えてよかった」
ビアンカちゃんが頬を染める。ボクは微笑んだ。
「ねえ、ビアンカちゃん、知ってた?……魔王はね、お母さんのコト好きだったんだよ」
「えぇっ!?」
驚いた顔のビアンカちゃんにボクは笑って上半身を起こす。
「なんで!? どうして!?」
「そうじゃなきゃ、あんな所に町つくったり、長生きしたりできないよ」
「え!? え!?」
「……ジャハンナについてからずっとそんな気はしてたんだ」
「えー、ちょっと詳しく教えてよっ! そんな前から思ってたってどーいうコトよっ! それよりその確信はどっからきてるのよっ」
ボクは笑ってビアンカちゃんの頭を撫でた。
「魔王と話したんだよ、たぶん」
大きく目を見開いて、ビアンカちゃんは口をぱくぱくさせる。
「それより、皆はどこ? ……会いたい」
ビアンカちゃんは髪をぐしゃぐしゃっと掻いてから、大きくため息を吐いて、それから諦めたように笑った。
「皆マスタードラゴンのところよ。……天空城って初めてだけどなんだか懐かしい気がするのは、私に天空人の血が流れてるからかしら?」
「お願いだから、人間の世界に一緒に帰ってね」
「もちろん」
ビアンカちゃんは笑って、ボクの頬にキスをした。
「一緒に帰るわよ。いっぱい話したいことがあるし……漸く一緒に居られるんだもの、頼まれたってここには残らないわ」
ビアンカちゃんは軽く舌を出して笑う。
「さ、行きましょ。皆待ってる」
ボクはビアンカちゃんに手を引かれてマスタードラゴンの居る部屋をめざす。
「ねえ」
「うん?」
「幸せね」
「うん」

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