53■魔の山にて (2)
さよなら、お母さん。


265■その日が来た(ビアンカ視点)
国中が深い悲しみに沈みこんでいた。
お義母様の死は、何か心の中の重要なものが抜け落ちていくような感じで、
きっと一つの時代の終わりだったんだろう。
喪に服して黒い服を着る。
明るい飾りは取り払われる。
世界から色が抜け落ちていく。

お義母様は今、棺に横たわって教会に居る。
周りを真っ白な花で囲まれたお義母様は、ただ眠っているだけのようで、ちょっと声をかけたら目を覚ましそうな感じだった。

時間が止まった、お姫様みたいに。

テスはどこか虚ろで、いつも椅子の上で膝を抱えて小さくなっていた。
あまりご飯も食べない。
お義母様が亡くなったのだから、仕方ない。
それも、あんなに唐突で。
けど、このままテスまで居なくなっちゃいそうでちょっと恐い。

今日はお義母様の葬儀で、
これから棺をお墓に入れる。

「テス」
声をかけても、気づかないでじっとしている。
「ねえ、テス」
今度は体を揺さぶって声をかける。
テスはのろのろと顔を上げた。
疲れた顔をしたり、目が赤いのかと思っていたけど、そういうことはなかった。
「ああ、ビアンカちゃん」
「ああ、じゃないわよ。しっかりしてね? 悲しむなとは勿論言わないし、今すぐ立ち直れとも言わないわ。けど……このままお義母様についていかないでね?」
「……」
テスは呆けたように私を見て、それから少し困ったように笑った。
「まだ、そのつもりは無いよ」
そういって、自分の手を見つめる。
「なんかね、色んなことがありすぎて、ちょっとね考え事をしてた」
テスはそういって私のほうを見る。私は頷いた。
「お父さんが来たときお母さんほっとしたような顔してたから、お母さんは救われたのかなとか……ね」
「うん、お義母様、あの時安心した顔をなさってたわね」
「実はボクがここで色々ぐるぐる考えているより、天国でお父さんと面白おかしく過ごしてるかも知れないよね」
「漸く一緒に居られるんだもの、きっと楽しくて仕方ないわよ。だから、泣かないで笑って送ってあげましょう? さようならじゃなくて、いってらっしゃいって」
「うん」
テスは頷く。そのときドアがノックされた。
お別れの時間がきたんだ。
「あのさ」
テスは立ち上がると私の耳元に口を寄せる。
「あとで、聞いて欲しいことがあるんだけど」
「今じゃなくて?」
「ちょっと長くなるから、これからじゃ無理だね。夜にでも」
「分かった」

教会で、最後のお別れの儀式をする。
ステンドグラス越しに光が降り注いで、棺を不思議な色に染め上げていた。
城下町には沢山の人たちが出てきていて、皆一心に祈る。
お義母様の安息を、
やすらぎを。
きっとこの祈りは光にのって、天国に居るお義母様に届くだろう。

長い儀式のあいだ、あちこちからはすすり泣きが聞こえた。
私もテスも、もちろん何度か涙を拭いた。
お義母様が救われたのは知っているけど、
やっぱり、悲しいものは悲しい。

季節は秋。
長い冬が終わって雪が溶ける頃、この悲しみも一緒に溶けていくだろうか?
そして、その頃世界は平和になっているだろうか。
私たちは、勝てるだろうか。
この悲しみに
この寂しさに
そして
圧倒的な力を持っているだろう魔王に。

 
長い列をつくって歩く。
お義母様を世界にかえす時がやってきた。
お墓の位置は、お義父様の隣。
けど、
お義父様のお墓は何も入ってない。
結局は一人きりにさせてしまう。
それが悲しくて悔しかった。
 
棺の中に、皆で花をもう一度入れた。
最後にテスが棺に近付く。
儀式の始まりからずっと持っていた白い長い包みから中身を取り出す。
ソレは一振りの剣。
「ちょっと、どういうつもり!?」
思わず尋ねると、テスはその剣を少し見つめた。
「うん、入れようかと思って」
「なんで!?」
「……お父さんのお墓が空だから……」
言われて気づく。
テスが持っていたのは、お義父様が使っていた剣。
テスが持ってる唯一の形見。
グランバニアに向かって旅をしてきたときに、この剣の紋章と洞窟の紋章が一緒で、希望をくれた剣。
「けど、それ、お義父様の……」
「いいんだよ。ボクは手紙を貰ってるから。誰にも使われないで飾られてるより、多分いいと思うんだ」
そういってテスはその剣をお義母様に抱えさせる。
その隣に、何か古びた布で包んだ小さなものを一緒に置いた。
「今のは?」
「サンタローズのね、ボクが住んでいた家の柱からとった欠片。……焦げてたけどね。多分あのまま何もなくてお母さんが無事に助けられてたら、お父さんここじゃなくてあそこに住んだと思うんだよね。だから」
「そっか」
私は頷く。

持たせてあげられるものを全部あげてしまって
テスの手元にはもうほとんど何も残らないのに
それでもテスは満足そうだから
たぶん、もう、お義父様やお義母様のことで
何かモノに執着しなきゃいけない時期を乗り越えたんだろう
心にちゃんと残ってるから
在るべき場所にかえしていく。
そんなテスがとても誇らしくて
とても愛しい

棺の蓋が閉められて最後の花と共に深い穴に下ろされる。
皆で少しずつ土をかぶせて、
お義母様を世界にかえす。
魂は、お義父様の隣。

たぶん、これでいいんだ。

見送って
見送られて
たぶんゆるい輪のようなものの一瞬を
私たちは共有している

空は明るい青
刷毛で塗ったような白い雲
緩やかな風
「天国で幸せにね」
見届けて呟いたテスに寄り添って暫く目をつぶる。

大きく深呼吸

「ありがとうございました」
私は心の中で呟いて目を開ける。
ほんの短い間だったけれど、自信を持っていえる。
「私はお義母様が大好きだった」
266■決意 (ビアンカ視点)
夕食が終わって、テスは暫く横になるっていってベッドに倒れこんだ。
すぐに寝息を立て始める。よっぽど疲れたんだろう。
私はその隣に座ってしばらくテスの頭を撫でながらぼんやりとした時間をすごす。
テスは眉を寄せて何だか不機嫌そうな寝顔だった。
うなされて無いだけマシなのかも。
そんな事を考えているうちに、私も少しうとうとしたらしい。
手を握られて目が覚めた。
テスは体の右側を下にして足をまげて丸くなっていた。
「ねえ」
目を閉じたままテスは話し始める。
「なぁに?」
「……魔王」
ぽつりと呟く。
「うん?」
「倒したい?」

私はテスの顔を思わずまじまじと見つめた。
相変わらず目を閉じていて、表情に変化は無い。
声も淡々としていて、どんな意図で尋ねてきたのかさっぱりわからなかった。

「憎い?」
テスは聞きなおす。
「……憎くない、とはいえない。お義母様の最期になった雷は、魔王が落としたのよね?」
「多分ね」
「……うん、憎い」
「ボクも。……ここで魔王倒さなきゃ、また悲劇が繰り返されるんだよね。大切な人を殺されてしまうような、そういう悲劇」
「……そうね」
「ボクさ、正直いうとあんまり魔王ってピンと来てなかったんだよね。確かに魔王がお母さんをさらったのが全ての始まりだったけど、けど、憎さで言えばお父さんを殺して、ビアンカちゃんを石にしたゲマのほうが憎かったし……いまでもまだ憎い」
「うん」
私は頷きながら返事をした。
「覚悟を決めるべきなのかな」
テスは呟いて、ゴロンと仰向けになった。
「覚悟?」
聞き返す。
「ソルが勇者だって知ったとき……ただひたすら申し訳なかった。まだあんなに小さいのにさ、世界の命運がどうのとか、人々の希望がどうのとか言われてさ。……確かに申し訳ない気持ちだったんだけど、けど、現実としてソルが魔王と戦うなんてそれは無いなって思った。けど……現実になるんだよね。ボクさ、本当はソルもマァルもビアンカちゃんも、戦いとかしないで居て欲しいんだけどさ……最後にするためにも、行かないとね」

私は、ソルが勇者に認定されたときの事を知らない。
けど、きっとその場に居たら「うそだ」って否定しただろうと思う。

「そっか、覚悟決めないといけないんだね」
言うと、テスは頷いた。
そして「魔王、倒したい?」と小さな声で聞いた。
「……うん」
答えると「分かった」と言って目を開ける。眩しそうに何度か瞬きして、それから私の顔を見た。
「叔父様に話しに行く」
「……私も行きたい」
暫くテスは私を見て、それから頷いた。
「一緒に行こう」

 
テスに連れられて夜の廊下を歩く。
しんと静まり返ってる中を歩くと、足音がいつもより大きく聞こえた。窓の外は星空で、時折風が吹くのか木が揺れるのが見える。
何度か兵士とすれ違う。最近はこっちも魔物がよく暴れるようになって、少し兵を増強したんだって聞いている。
魔王が居なくなったら、魔物が暴れる事はなくなるんだろうか。……仲間の皆は、どうなっちゃうんだろうか。
そんな事を考えながら歩いているうちに、オジロン様の部屋に到着した。
ノックをすると、返事があってドアが開かれる。
テスは、すぐにドアを開けた兵に下がるように言って私を先に部屋に入れてから続いて中に入る。
「急な話とは何かな?」
オジロン様が笑顔で言う。
既にテーブルには熱い飲み物が用意されていた。
「お時間を割いていただいてありがとうございます」
テスは言いながらソファに腰掛ける。私はその隣にちょこんと座った。
考えてみれば、テスとオジロン様がこういう雰囲気で話すのは初めて見る。ちょっと緊張してきた。
「まあ、大体分かるでしょうけど」
テスは苦笑しながら話を始める。
「母の喪が明けたら、魔界へ行きます」
「……」
オジロン様は諦めたように息を吐いた。
「マーサ様のことは申し訳なかった。もう少しはやく行ってもいいと言っていたら、間に合ったかもしれんのに……」
「もしも、はありません。それに、多分いつ行っても結果は同じだったと思います。母は魔王に逆らったため魔物に……ボクがその場に居たからこそ、母は魔王に逆らった。ですから、叔父様のせいではありません」
「……とは言ってもなあ」
オジロン様はまだ後悔が消えないらしい、ため息をついた。

まあ、後悔は消えないと思う。
『もしもあの時』って言うのは、いつまでも思うことだから。

「今回、母のために国中が泣いてくれました。それを見ていて思いました。母は国中の人から愛されていた。愛する人が亡くなるのはとても悲しく辛い事です。……それが身内であればなおのことでしょう。魔王がこちらの世界にきたら、悲しむ人がまた増えます」
「魔王は……こちらに来るのかね?」
オジロン様の顔色が悪くなる。
「そもそも母が攫われたのは魔王がこちらに来るための扉をあけさせるためでした。その母は抵抗して扉を開けなかったわけですが……母は魔王に殺されました。魔王自らがそうしたということは、それなりにこちらに出てくる算段が整ったからでしょう。自分が行き来したことで言いますと、魔界との扉は今とても不安定な状態にあります。ボクらが魔界へ行ったのと同様、魔物もこちらと魔界を行き来しています。多分今回が最後のチャンスです」
「……」
オジロン様は困ったように唸り声をあげた。
「世界のために、なんて大きなことは言いません。ボクは家族とこの国を守るので精一杯です。だから魔王を倒したい」
「なぜ?」

「ボクが魔王だったら、真っ先にグランバニアに攻め込むからです」

テスは質問に静かな声であっさりと答えた。
私はその内容に思わずテスを見る。オジロン様も息をのんだ。
「だってそうでしょう? ここにはソルが、勇者が居ます。でもまだ発展途上です。今でも十分強いですが、これから筋力や持久力を得てもっと強くなります。そうなる前に何とかしておかないと魔王としては困るでしょう。それに勇者は人々の希望です。ソレを真っ先になくしてしまわないと。一人一人が弱くても束になってる間はかなりの強さです。何とか統率が取れないようにしないと」
「……テスって恐い」
私がぼそっというとテスは苦笑した。
「一番偉いのとか強いのから叩くのは喧嘩の常識」
「人間の世界と魔界とがかかってても喧嘩?」
「そう思ったほうが気が楽でしょ」
「そうかなあ」
「さらにここには、どうやら母の力を受け継いだらしいマァルが居ます。こちらから扉を閉じられるのだとすれば、まあ仮定ですけど、困りますからね。だから今のうちにコレもなんとかしておかないと……」
「……」
私もオジロン様もため息をついた。
「とまあ、ボクですら思うんですから、魔王も考えるでしょう」
「そんな軽く言わんでくれ……」
オジロン様は頭を押さえて、ため息混じりに呟く。
「お互い、本当は勇者様が現れたときに覚悟をしておくべきでした」
「そうだな」
オジロン様は頷くとテスを見た。
「今度も無事に帰って来るんだぞ。これは大臣ではなく……叔父としての言葉だ」
「ええ。まだ死にたくありません。……お許しいただいてありがとうございます」
そういうとテスは立ち上がって頭を下げた。私も慌てて立ち上がってお辞儀をする。
そのまま私はテスに手を引かれて部屋を後にした。

「本音を言うとね」
部屋に戻る廊下をのんびりと歩きながら、テスは言う。
「国のためなんかじゃないんだ」
「え?」
私が聞き返すと、テスは立ち止まって私を見た。
「ボクさあ、結婚して随分欲張りになったんだよね」
「どこが?」
聞き返すと、テスは笑う。
「ボクはソルもマァルもビアンカちゃんも失いたくない。いつだって笑っていて欲しい」
「うん」
「そのために魔王がものすっごく邪魔なんだよね」
私は思わずテスをぽかんと見つめる。

邪魔って。
それが理由?

「……そういうの、有りなのかしら?」
漸く声を絞り出して、なんとか尋ねる。
「いいんじゃない? だってボクが『世界のために』とか言うほうがヘンでしょ」
「ヘンだわ」
ソレは断言かつ即答できる。
「世界のために、なんて言葉はおこがましいよ。言っていいのは勇者様だけ」
「それもそうね」
「もしくは神様だね。……神様、言わなさそうだけど」
私は声を立てて笑った。
「このくらいの理由が、きっとちょうどいいよ」
「そうね。……だから喧嘩なんだ」
「そう」
「喧嘩だったら、勝たなきゃね」
「うん、自分のためにね」
私たちは笑いあう。

なんだか、魔王に勝てそうな気がしてきた。
267■魔の山の前で(テス視点)
魔界は相変わらず薄暗くて肌寒い。
空は濁った灰色で重苦しく、吹く風は身を切るように冷たかった。
魔界に季節はない。ずっと冬より厳しい日々が続く。

「こっちにくると憂鬱だわ」
ビアンカちゃんはため息をついて空を見上げた。ボクも釣られて空を見る。
「青い空がどれだけ偉大かよく分かるよね」
答えると、ビアンカちゃんは肩をすくめてから頷いて正面を向く。
正面にはエビルマウンテンがそびえ立っている。相変わらず、溶岩がゆっくりと流れているのが見えた。
「さぁ、今度こそ魔王に会って……勝とう」
ボクはぱしんと左の拳を右の手のひらに軽く叩きつける。
それから、皆の顔を見る。
目が合うと、皆うなずいた。覚悟はとうに決まっているらしい。
「勝とうね」
ビアンカちゃんがほほえむ。ボクは笑いかえす。
「行こう」


エビルマウンテンにつづく細く切り立った道を慎重に歩く。
と、死角からいきなり矢が飛んできた。
「!?」
あわててそっちの方向を見る。完全に先手をとられた。
行く手にあった少し大きめの岩の影から、キラーマシンが三体飛び出してきた。
「キラーマシン!」
ビアンカちゃんが嫌そうな声をあげる。
これまで何度かキラーマシンとは戦った。
体を青く輝く金属で作られ、小さな頭に大きな赤く光る一つの瞳。大振りの剣を右手に、弓を左手に装備した小柄な体はすばしっこくて、ボクらが一度攻撃する間に二度攻撃してくる。
下手な攻撃は金属の体に弾かれる。それどころか武器を壊しかねない。
何度戦っても苦労するやっかいな敵だった。
キラーマシンは四本の足をガシャガシャいわせながら武器を振り上げ迫ってくる。いまさら逃げることはできなさそうだ。
「やっかいなのに見つかった……」
内心ため息を吐きながら、ボクは剣を構えた。

やっかいな敵ではあるけど、何度か戦った経験からそれほど大きな怪我もなく戦闘を終える。
ホイミンが皆の傷をなおしてまわる間に、ボクは道をあけるために動かなくなったキラーマシンを崖から落とす。
「ごめんね」
動かなくなったとはいえ、気分のいい作業じゃない。三体のうち二体を落として、最後の一体に近寄る。
手を伸ばした瞬間、キラーマシンの手が急に動いた。
「っ!?」
避ける暇はなかった。
その手に、がっしりと腕を掴まれる。
「お父さん!?」
驚いたソルが剣を抜いて身構えながら近寄ってくる。
キラーマシンはボクの腕を掴んだまま、じっとしている。
「……まって」
ボクはソルを止めてからキラーマシンを覗き込む。
「なんか……敵意がないみたい」
キラーマシンは中から妙に低いブーンという音をたてて、微動だにしない。
「何の音かしら……爆発するんじゃないでしょうね」
「やめてよね」
青ざめるビアンカちゃんにボクは困って言い返す。
この距離で爆発したら、まあボクは助からないだろう。……まだ死にたくない。
「なんとか離れないの?」
ビアンカちゃんはキラーマシンの手をつつく。
「うーん」
ボクはもう一度キラーマシンの顔を覗き込む。目の赤い光がチカチカ点滅していた。
「離してもらえる?」
話し掛けてみると、キラーマシンはゆっくりボクをみた。
『オ名前ヲ ドウゾ』
「え?」
『オ名前ヲ ドウゾ』
「……テス」
ずいぶん不思議な声だった。金属同士を叩き合わせたような声。
『てすサン』
復唱して、またキラーマシンは黙った。目は相変わらず点滅している。
『しすてむノ再起動ヲ シマス シバラク オマチクダサイ』
「……何いってるの?」
ビアンカちゃんは首を傾げる。
「わからない」
ボクは首を振る。ともかく不思議なコトを言っているのはわかる。
突然キラーマシンが大きな音を立てて立ち上がり、また座った。背中の辺りから真っ白な蒸気が吐き出される。
「ねぇ、何がどうなるの?」
マァルは怯えきって馬車の影からこっちをうかがっていて、足元にはスラリンがいつもより青ざめた体でこっちを見ていた。
「わからないけど、悪いことでもなさそうだよ」
キラーマシンはようやくボクの腕を離した。
『しすてむノ 書キ替エ ガ終了 シマシタ』
「……よかったね?」
『初メマシテてすサン ワタシハ ろびんト イイマス』
「初めましてロビン」
『イッショニ イキタイト 思イマス』
「わかった。一緒に行こう」
ボクは答えてロビンを覗き込む。
「大丈夫なのかな」
「お父さんだから大丈夫なんじゃない?」
ソルとマァルがこそこそ後ろで話しているのが聞こえる。ボクは苦笑いしてビアンカちゃんを見た。
ビアンカちゃんも苦笑する。
「私は慣れてるけどねー、テスの即答癖」
そう言ってロビンを見る。
「よろしくねー、ロビン。私はビアンカ。あなた強いから心強いわ」
『ヨロシクオネガイシマス びあんかサン』
「さ、仲間も増えたところで張り切っていこう」
ボクらは再び細く切り立った道を歩く。
視界が広くなる。
エビルマウンテンの入り口は相変わらず不気味に静かで、篝火だけが燃えている。
ビアンカちゃんがボクの隣に立つ。
「勝たなきゃね。お義父様やお義母様のためにも」
ボクは頷く。
「それから、ソルやマァルのためにもね。……はやく勇者の重みから解放してあげたい」
ようやく慣れてきたのか、ロビンと話をしている二人を見る。
ソルには勇者をやめて気楽になってほしいし、マァルには勇者じゃなかったという気持ちをなくしてほしい。

二人とも可愛くて大切な
ボクの宝物

「それにビアンカちゃんもこういう不安定な生活から解放したいしね」
ボクはビアンカちゃんから視線を外しながらいう。
「そうね。テスと結婚しなかったら、こんな苦労なかったかもねー」
思わずビアンカちゃんを見ると、ビアンカちゃんはくすくすと笑った。
「冗談よ。そんな顔しないで。私は幸せよ。ちゃんとつれてきてくれたから。一緒にいられるんだもの……これ以上なく幸せよ」
ボクはビアンカちゃんと手をつなぐ。
「テスももうすぐこの辛い旅がおわるのよ。……終わらせて今よりもっと幸せになろう」
「うん」
268■祭壇の前で (テス視点)
ソルのトヘロスで魔物を寄せ付けないまま、ボクらは再びエビルマウンテンの中の魔王の迷宮を進む。
相変わらず不気味に薄暗く、物音のしないなかを歩く。ボクらの足音だけが響いていて、まるで世界にボクらだけが取り残されたような感じだった。

けど、
心細くはない。
ボクには沢山の仲間がいる。
健気な子ども達がついてきてくれる。
そして
ビアンカちゃんがいてくれる。
これ以上、
他に望むものがないくらい心強い。

何度も角をまがり、ボクらは進む。
入り組んだように見せ掛けて、実のところわかっていればなんてことない一本道。何度か休憩をはさみながらゆっくり進んだ。
やがて、一度エビルマウンテンの山肌にぬける。外にでた瞬間、強い風が吹き抜けて行った。冷たい風の音は、少し悲鳴に似ていた。
ボクらは無言で顔を見合わせて、それから手をつなぐ。
「負けてられないよ、この程度じゃ」
「うん、そうだよね」
ボクの言葉にソルが頷く。
その姿は決意に満ちていて、ずいぶん頼もしい。勇者としての自覚か何か、でてきたのかも知れない。
そして、少し淋しい。
はやく魔王を倒して、この重圧をなくしたい。
普通なら、のんびり我儘の一つでも言いながら遊んでるような年ごろだ。
平和になったら……。

ボクは考えるのをやめた。
負けるつもりはまったく無いけど、あまり期待をもちすぎないほうが良い。これまで、ボクの人生はあまり思い通りにコトが進んだことが無い。うまく行った先には大抵何かしら不運なことがあった。
一つ一つ、どれもがあまり思い出したくもない出来事。
どういうコトにも、多少悪い予測をたてたほうが安全な気がする。
「テス」
ビアンカちゃんが顔を覗き込んできた。
「ん?」
「大丈夫、勝てるわ。そんな不安な顔をしないで」
「してた?」
「してた。テスは悲観主義者だからねー、沈むの早いんだから。悪影響よ、この場合」
小さな声で言って、ビアンカちゃんはボクの額を軽くたたく。
「私たちは大丈夫。きっとお義父様やお義母様もついてくれてるわ。あの二人がテスを見捨てるわけないからね」
「うん」


気を取り直して進む。
切り立った崖に渡された粗末なつり橋を何度か渡ると、あの祭壇が見えてきた。
お母さんの最期になった場所。そして、お父さんが迎えにきた場所。
ボクらは相談する事無く無言で足を止めた。そして祭壇を見上げる。
もう見張りはいない。
もちろん、お母さんも居ない。
「お義母様のこと私は死ぬまで忘れないわ。だから私たちは長生きしなきゃ。お義母様の記憶を消したくないもの」
ビアンカちゃんは祭壇を見上げたままぽつりと呟いて、ボクの手を握る。
「ねえ、誰かのために戦えるってもしかしたら幸せなことなのかも……ね? だってそれって生きてる証拠なんだもの……」
「……うん」
誰かのために戦う。
今ボクは、ソルやマァル、ビアンカちゃんに笑って過ごしてもらうために戦う。
お父さんやお母さんのコトは悲しいし、きっと忘れない。
けど、これからの戦いはたぶん、お父さんお母さんのために戦うんじゃダメだと思う。

「お婆様を傷つけたゲマはやっつけたけど……わたしミルドラースが許せない! ミルドラースさえいなかったらお婆様がこんなところにさらわれたりしなかったんだもん……」
マァルはあの時のコトを思い出したのか少し涙ぐんでいる。
ボクは無言でマァルの頭を撫でる。マァルはボクにしがみついてしばらく小さなこえで泣いていた。
「わたし魔界きらい。お婆様にきれいな空と青い海見せてあげたかった……お婆様といっぱいお話したかった。遊びたかったし……。わたしお婆様とお城へ帰ることばかり考えてたのに……」
「うん」
ボクはマァルの頭を撫でる。小さな頭。小さな体。この小さな体いっぱいに悲しみや優しさや、いろんな感情を詰め込んで、この子は大きくなっていく。
きっとビアンカちゃんに似て、可愛い大人になるんだろう。
「マァルはやさしいね……ありがとう」
ビアンカちゃんがしゃがんでマァルに視線をあわせて、涙を拭いてあげながら何かを言っている。
その間にソルが今度は近寄ってきた。神妙な顔をして、ボクを見上げた。
「ねえお父さん。ぼくわからないよ……。なんであんなゲマやミルドラースみたいな悪いやつがいるんだろう……。仲間になれる魔物だっているのに」
「わからない。けど、魔物だけじゃなくて人間にも悪いヒトがいるからね。仕方ないのかもしれない」
「悪い奴はいなくならないの?」
「少なくなったらいいね」
「うん」

ボクらは祭壇に向かって一度礼をしてから、祭壇に背を向ける。
進まなきゃいけない。
祭壇の先には下りの階段が何段かあって、その先の道は緩やかに下っている。相変わらず切り立った崖が細い道を作っていて、先の方は道が曲がっていてあまりここからはどうなっているのかよくわからなかった。
その道をゆっくり歩いていくと、暫く行ったところでまたエビルマウンテンの内部につながる入り口にいきつく。どうやら山肌を歩くのはここまでらしい。
入り口からなかを覗くと、また人工の迷宮になっていた。白い床も深い青の壁ももう見飽きるほどみてきた。
なかは狭い部屋になっていて、その中央には真っ赤を通り越して金色に輝くほどの溶岩が見える。
「行き止まり?」
がっくりとビアンカちゃんが肩を落としたときだった。
「テス……。母の声が聞こえますか……?」
お母さんの声が降ってくる。
「にえたぎる溶岩にただ足をふみ入れてはいけません。聖なる水さしを使うのです……。そうすればさらにその先へ……やがてミルドラースのいる邪悪な祭壇へたどり着けるでしょう。母はもう あなたを止めません。さあテス……。聖なる水さしを……」
声はすーっと消えていった。
ボクらは思わず顔を見合わせる。

「聖なる水さしって……何?」

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