51■暗い世界の花
ジャハンナは花に似てる。


254■魔界 (ビアンカ視点)
大陸の縁に沿って北上すると、東に渡る橋が見えた。
あいかわらず、空も、海にあたる部分も分厚い灰色の雲とどぎつい紫色をした薄いモヤがかかっている。
足元のほうからは嫌な感覚がする。
これが魔界。
私は内心ため息を吐く。
マーサ様は。まだ見ぬお義母様は、こんな所に何十年もいるんだ。
大好きなパパスさんから引き離されて、大切な宝物のテスから引き離されて。

私もテスやソル、マァルから引き離されていたけど、その間石にされていて、意識はあって無いような感じで、時間感覚がなかった。
そのせいで、十年もたってるとは思わなかったし、ソルとマァルがいきなり大きくてちょっとショックもあったけど、けど、時間がわからなくて救われた部分もあったと思う。
さらわれて、テスが助けにきてくれてから石にされる迄の時間は、とても不安で長かった。
あの不安な時間を、お義母様は……。
「大丈夫? 顔色よくないよ」
「平気よ」
「ビアンカちゃんの平気はあてにならないからなぁ」
テスだって緊張した顔だし顔色悪いよ、とは言えなかった。
一番プレッシャーがかかってるのは、間違いなくテスだもんね。

高いところが苦手なマァルをテスが抱き上げて、私はソルと手をつないで、ゆっくりと橋を渡る。
後ろからはゆっくりと、馬車がついてきている。私は振り返った。
「皆は平気? 魔界へ来て、何か変化ない?」
「ないよ」
スラリンが言ってる向こうで、ゲレゲレが興味なさそうに鼻を鳴らした。
「別にここが故郷でもないですし……」
ピエールが苦笑する。
「オイラ、魔界初めてだけど、ヤなトコだなって思うぞ」
「そうね」
私はあいまいに笑った。

しばらく東に向かって黙々と歩く。
その内右手側の遠くに、何か見えてきた。
その辺りは地面が細く橋みたいに盛り上がったり、その下を細い地面がもぐっていたり、天然の迷路みたいに見える。
その中央に、細く高い塔のようなものがたっている。
頂上に向かって太くなっていて、その頂上で何か丸いものが動いてるのが見えた。
「あれが目的地かな?」
テスが首をかしげる。
「そうねぇ、あれ以外この辺は何もなさそうだしね」
「何か、お花みたいね」
マァルが胸の前で両手を花みたいに開く。
その手の形は確かに遠くに見えるあの塔みたいに見えるし、花みたいに見えた。
「そうね、花みたい」
私が頷くとマァルはにっこり笑った。
「じゃあとりあえず、あれをめざすか」
テスは塔を指差してから手をたたく。
「さあ、あとちょっと頑張ろう」

とはいえ。
道は複雑だった。
なかなか塔に近付けない。細くのびた道は行き止まりだったり、つながってるように見えても高さが微妙に違って行けなかったりした。
「なかなか行けないね……ちょっと休憩しようか」
テスが大きく息を吐いたときだった。
ふと視界が暗くなる。
「?」
振り返ると魔物がいた。

赤い一つの目がぎらりと光ってる。
すごく大きい。たぶんゴレムスよりも大きい。
ヒトの形はしてるけど、その大きさのせいでなかなかヒトの形だって認識できなかった。
巨人。
水色の体は筋肉が盛り上がって力が強そう。
太い一本角が生えている。
「ギガンテスだ!」
馬車のなかからスラリンの声。
ギガンテス?そう言う名前なのかしら。
考えてる間にサイクロプスは、右手にもっていた私くらいの大きさがありそうな棍棒を軽がると持ち上げて、それから私たち目がけて振り下ろした。

私たちはワタワタとバラバラに逃げる。
なるべく固まらないようにしながら、私とマァルは呪文で、テスとソルは剣でそれぞれ戦う。
敵からの攻撃は強くて、あたると骨がきしむようだった。
それでも、こっちは四人で向こうは一匹。
しばらくすると戦い方もわかってきたし、勝つことができた。
ただ、これからもこんな魔物ばかり出て来るんだとしたら、かなり気が重い。
物凄く強かった。
結構強くなったつもりだったけど、まだまだなのかも。

「大丈夫?」
テスは私たちの様子を確認してから、馬車に声をかける。
「ホイミン、お願い」
ホイミンがにこにこ笑いながら出てきて、私たちの怪我をなおしてくれた。
「ありがとう、ホイミン」
お礼を言うと、ホイミンはにこにこして
「ホイミン、ビアンカさん好きー」
と言ってぴとーっとくっついてきた。
「あ! ぼくもお母さん好きー」
「わたしも!」
ソルとマァルは口々に言って私にぴとっとくっつく。
「あらあら、二人とも甘えん坊ね」
二人の頭を撫でてからふと顔をあげると、手を広げたテスと目が合った。
「……どうしたの?」
「……タイミング外した」
私は思わず吹き出す。
「そうみたいね」
テスは口をまげて、ソレから苦笑してみせた。
「まあ、次のチャンスを狙うよ」
「そうしてみて」

その後随分遠回りして、私たちはようやく塔のような場所の足元までやってきた。
頂上に向かってハシゴがのびている。
上からは水の流れる音と何かがきしむ音がした。
「じゃあとりあえず、ボクのぼってみるよ。皆はどうする?」
「私はついてく。頂上に何があるか見たいもん」
「ぼくも行きたい」
「わたしも!」
「じゃ、皆で行こう。ピエール、あとお願い」
「承知しました」
テスの言葉にピエールが頷いたのをみて、私たちはハシゴをのぼった。
255■ジャハンナ (ソル視点)
ハシゴをのぼると、小さな町があった。
入り口には石でできたアーチがあって、そのすぐ傍に綺麗な水の小川が流れていた。川は小さな町をぐるりと取り囲むようになっていて、町の奥の方には家よりも大きい水車がゆっくりと動いているのが見えた。
「こんな所に町があるなんてね!」
お母さんは目をおっきく開いて、ビックリしてる。
「本当ビックリだね!」
ぼくが言った時、石のアーチのところで遊んでた男の子がこっちを見た。
ぼくらを見て、にこにこ顔で駆け寄ってくる。
「こんにちは! ねぇ聞いて! ぼく人間になれたんだよ! お友達のスラタロウくんも早くなれればいいのにね!」
そう言って、男の子はうれしそうにその場で一回転した。
男の子が指差したほうには、スライムがぽよんぽよん跳ねている。

???

ぼくはもう一度男の子を見る。
普通の子だ。
「そう、よかったねぇ」
お父さんが言うと、男の子は大きく頷いてから、走ってアーチの所にいるスライムの所へ行ってしまった。
「どういうこと?」
お母さんが首を傾げる。
「さぁ? あの子はもともとスライムだったんだろうね。……魔物が人間になるのはそんなにめずらしく無いのかも」
「確かに人間に化けてる魔物いっぱい倒したよね!」
ぼくが言うと、マァルは頷く。
「でも、それって強い魔物ばっかりだったよ? ……スライムって初めて」
マァルがそこまで言った時だった。いきなりお母さんが手をぱちんと叩いた。
「あ、ねえ、あの子が本当にスライムだとして、だったらスラリンも人間になれたりするのかしら! うわ、見たい!」
「本当にそうなったら楽しいね!」
ぼくもマァルも笑って頷く。スラリンが人間になったら、鬼ごっことか楽しそう。
お父さんは暫く黙ってたけど、
「……うわぁ」
って嫌そうな声をあげてまた黙ってしまった。
「どしたの?」
お母さんがきょとんとした顔でお父さんをみた。お父さんはうめく。
「嫌な想像になった」
「何で? 楽しいじゃない」
「肌、水色の半透明のままだった……」
「テスは想像力ないなぁ」
お母さんは呆れたように言ってから笑う。
水色のまま想像できちゃうのも、ある意味想像力あるんじゃないかなって思った。

町の中は明るいかんじで、外にいるときの嫌な感じも全然感じられない。
小さな花壇なんかもあって、綺麗な町だった。
本当に小さい町で、家は少ないけど、それでもほっとできる町。
人は結構沢山歩いてる。

本当は、魔界に来てちょっと不安だった。
勿論お父さんもお母さんも、マァルも隣にいるから心配する事ないんだろうけど、それでもなんか心細かった。
それが嘘みたい。
お婆様が「東のほうへ行けば手助けになる」とか言ってたのは、きっとこの町のことだろう。

ぼくらはあたりをきょろきょろと見ながら、ゆっくり町の中を歩く。
町の真ん中には、小さな石造りのテーブルとベンチがあって、ちょっと太ったオジサンとオバサンが仲良く話をしていた。
「こんにちは」
お父さんがニコニコと笑って声をかける。
オバサンがこっちを見た。
「おや 見かけない顔だね。まさかオモテの世界から来たとか……」
「は?」
「いや、そんなことがあるはずないね」
オバサンはうんうんと一人納得したように頷く。
「あんたもきっとマーサ様のお力で邪悪な心を改心させてもらったね。はやく立派な人間におなりよ」
オバサンはニコニコ笑ったまま続ける。
「だからって、この人みたいに安心しきって太るんじゃないよ。折角綺麗なんだから」
オジサンが照れくさそうに頭をかく。
「いやあ、私、元悪魔神官なんですけどね、昔は裏切ったり裏切られたりギスギスしてたのが、今はすっかり心も生活も平和だろ、人柄が丸くなってんだよ!」

人柄だけ?

「……はあ」
お父さんはちょっと困ったように笑いながら相槌を打っていた。それからちょっと視線を宙に彷徨わせて何かを考えたみたいだった。
「どうもご親切にありがとうございました」
そう言って、ぼくらを連れてオバサンたちからちょっと離れたベンチに座った。
「どうやら、本当にここは元魔物の人が住んでる町みたいだね」
「うん、そうね。ビックリすることの連続ね」
「でもどうしてこんなところに町があるんだろう。それにお母さんが、どうやら皆を人間にしたみたいなこと言ってなかった?」
「言ってた!」
ぼくとマァルは頷く。
「そんな話初めて聞いたよね? ……ねえ、お父さんも魔物の皆を改心させて人間に出来るの?」
マァルの言葉にお父さんは苦笑する。
「うーん、考えた事なかったなあ。……でも、話で聞く限りお母さんは凄い力の持ち主みたいだし、ボクはそうでもなさそうだから、出来ないんじゃないかなあ?」
「そっか。出来たら楽しかったのに」
「……まだスラリン諦めてなかったの?」
「うん」
「スラリン、今でも話できるんだからわざわざ変わんなくても良いんじゃない?」
「んー、そうなんだけどー」
マァルはちょっと口を尖らせて不満そうにした。

暫くそんな話で盛り上がっていたら、ちょっと年をとった強そうな剣士さんがこっちに歩いてきた。ヒゲが格好いい。
「お若いの。ここにこのような町があって驚いたであろう」
ぼくらを見て剣士さんは落ち着いた声で話しかけてきた。
「ええ、ビックリしました」
お父さんはにこりと笑う。
「ここはジャハンナ。この町をとりかこんでいる水は、マーサ様がオモテの世界から持ってきた聖なる水。マーサ様はこの町の救い主なのだ」
剣士さんは少し目を細めて、町をぐるりと見回した。
お父さんも一緒に町を眺める。
「綺麗なところですね」
お父さんはそういって、少し寂しそうに笑った。
「お若いの、この辺りは初めてだろう?」
「ええ」
「随分キョロキョロしていたからな」
剣士さんは苦笑して、一枚の紙をくれた。
「この辺の地図だ。参考にするといいだろう」
「……ご親切にありがとうございます」
「人に親切にするのは楽しいな」
「そうですね」
剣士さんはニコリと笑って手を振って、向こうのほうへ歩いていってしまった。
「いい人だったわね。……親切が楽しいって、素敵ね。きっとお義母様の人柄のおかげよ」
お母さんは笑顔で言いながらお父さんの顔を覗き込む。
お父さんは頷いた。
「うん。そうだね」
256■ジャハンナ 2 (マァル視点)
町の入り口にある宿屋にわたしたちは泊まることにした。
本がぎっしり詰まった本棚がずらっと並んでいる、ちょっと変わった宿屋だった。お母さんはベッドの調子や、本棚の様子なんかを観察して頷いたりしていた。
お父さんは並んだ本の背表紙をじっくり眺めて、その中から何冊か抜き取ってパラパラとめくっていた。
「あ」
お父さんは小さく声をあげて、一冊の本を持ってわたしたちの方へ戻ってきた。
「どしたの?」
お母さんがお父さんの持ってきた本を覗き込んで、ソレから笑った。
なんだろうと思ってわたしとソルも覗き込んでみた。
表紙に落書きがしてある。
『うわーん、マーサ様早くかえってきておくれよー』
すっごく汚い文字で書いてあって、でもそのせいで気持ちがよくわかった。
「可愛いわね」
お母さんは優しい顔で笑って表紙を撫でた。
「外の皆もそうだけど、お義母様大人気ね」
「絶対息子ですなんて言えないよね」
お母さんの言葉にお父さんが苦笑する。ソレから真面目な顔になった。
「じゃあこれからのことを考えよう」
「そうね。でもとりあえずもう少しこの町見たいよね。今日はもう疲れたし、明日色々町を見学しようよ。何か変わった話を聞けるかもしれないわよ」
「そうだね。じゃあそうしよう」
それで話は終わって、わたしたちは皆でご飯を食べた。魔界のご飯はちょっと見慣れない野菜とか入ってたし、味付けも変わってた。けど、おいしかった。
もしかしたら、人間になった魔物さんたちがお婆様にお料理ならったのかもしれないな、って思ったら楽しかった。
夜はソルと早めに寝ちゃった。夜中に一回目が覚めたら、お父さんとお母さんが向こうで小さな声で何か話してるのが聞こえた。楽しそうだったから話に入れてほしい気がしたけど、すごく眠くて体が動かなかった。


朝になっても、空は変わらなかった。重たい灰色とキツイ紫色の雲がかかっていてお日様は見えなかった。
いつも朝起きたとき曇りや雨だと残念な気持ちだけど、もしかしたら、魔界はいつもこうなのかも。だとしたらここにいるヒトたちは可愛そうって思う。
今日は昨日行かなかった町の奥の方へ行くことにした。
「お父さん、お母さん、早くー!」
わたしとソルはスキップしながら前を歩く。お父さんもお母さんも、眠そうにあくびをしながらゆっくり後ろを歩いてる。
「二人ともどうしたの? 眠いの?」
聞くと、お父さんが頷いた。
「うん、ちょっとね」
「夜更かししてるからよ」
わたしが言うとお父さんもお母さんもぎょっとした顔をした。
「えぇ!? 何で知ってるの!?」
「目が覚めたから。何話してたの?」
「……色々と思い出話をね」
お父さんは笑う。
「ふぅん」
そんな話をしてるうちに、町の真ん中にある広場を通り抜けて、町の奥にある水車の所まで辿り着いた。
「おっきいー!」
わたしは歓声をあげる。
見上げる水車は、家より大きい。ゆっくりまわって町の周りを囲む小川の水を巡回させる役割を果たしているみたいだった。
「この水がお母さんがオモテから持ってきた水なんだよね? これが町を守っているから、ここは平和なんだよね」
「うん、だから水車で動かしてるのね」
お父さんは暫く動かないで水車を見上げて、それから周りをキョロキョロと見た。
「どうしたの?」
「これだけの水車を動かすにはこの水の流れじゃ無理だから、どこかに動力があるんじゃないかなって……」
「あれじゃない?」
ソルが指差した方に下り階段があった。
「行ってみよう」

階段をおりると酒場があった。ヒトは疎らで繁盛してない。カウンターにはウサギの格好の女のヒトがいて、お客さんは二人だった。酒場なのにお酒を飲んでるヒトはいなかった。
聞いてみたら、ここはお酒をださないらしい。飲んだら魔物に戻っちゃうって言っている。
何のために酒場があるんだろう。つくらなきゃいいのに。
実際飲んで戻っちゃったヒトがいるみたいで、ウサギの女のヒトは「水車小屋のおじさんみたいに後悔したくない」って言っていた。
「こんにちは」
お父さんは近くにいた男の人に声をかける。
「こんにちは……」
男の人はため息をついた。
「どうされましたか?」
「わかってしまうんです」
「え?」
「いったいマーサ様はいつまで大魔王をおさえていられるだろうか……。マーサ様の命の灯火がしだいに小さくなってゆくのが私にはわかります。ああ! だれかはやくなんとかしなければっ」
お父さんの顔が厳しくなった。
「教えてくださってありがとうございます」
お父さんの手をお母さんがぎゅっと握った。
「お母さまの命のともしびが………テス急ぎましょ」
「うん……」
「大丈夫よ、まだ……」
「うん……まだ……生きてるんだもんね」
お父さんは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
257■ジャハンナ 3 (テス視点)
酒場の奥にある階段をおりると、そこが水車小屋になっていた。
大きな歯車がたくさん噛み合ってうごいている。歯車が動く音と、それを動かす何かの音が低く部屋の中で響いている。
見慣れない形の不思議な鉄でできたものから、ときどきすごい水蒸気があがっている。あれが動力なのかもしれない。
中は広くて、小屋と呼ぶのは間違っている気がする。見上げると、歯車を点検するためだろうか、壁添いに中二階みたいな場所がある。鉄の細い棒を組んで作ってあって、下からその鉄骨越しに天井が見えた。
その中二階に一匹のアンクルホーンがぼんやりと腰掛けているのが見える。たぶんあれが、「後悔している水車小屋のおじさん」だろう。
お酒を飲んで人間の姿から魔物に戻って、でもそれでも町から追放しないで仕事を与えられているということは、ここは共同体として成熟しているんじゃないだろうか。
ボクは話が聞いてみたくて、ハシゴをのぼった。

アンクルホーンはボクらに気付いて顔をこちらに向けた。少し淋しそうな顔をしている。彼はすぐにまた視線を歯車の方へ戻した。
ボクは無言で彼の隣に座る。そして彼にならって歯車を見た。
ビアンカちゃんたちもボクの隣に座る。

彼は歯車から目を離さないでぼそりと言った。

「おまえさん人生に後悔してるか?」

尋ねる声は少し枯れたような、けど低くてイイ声だった。
「後悔……」
ボクは少し考えてみる。

振り返ると、決して平坦な人生では無かったと思う。
けど。
最悪でもない。

「色々辛いことはありました。色々いいこともありました。その時々で最善の選択をしてきたつもりです」
「そうか……立派に生きていけよ」
アンクルホーンは目を細める。
「でも時々、あの時もう少し他にできることがあったんじゃないかなって思うこともあります」
「そうか……」
アンクルホーンは深々とため息をついた。
「だったらこれを持っていけジャハンナに伝わる話を書いた禁断の巻き物だ。人間と魔物の、おぞましい話ばかりだが……何か得る事もあるだろう」
「ありがとうございます」
ボクは巻き物を受け取るとソレを大切に袋にしまう。
「あなたに出会えてよかった」
ボクが言うとアンクルホーンは淋しそうに笑った。そして、歯車を見つめたまま、ぼそぼそと続ける。
「かつて神になりたがった人間がいた……。しかしその者は心の邪悪さゆえ魔物になってしまったのだ。その邪悪な心をふりはらうため、エルヘブンの民が立ち向かったがあまりに心の闇は深く……もはや人間にもどすことはできなかったという」
「そのヒトはどうなったんでしょう?」
「さあ、それはわからんよ……」

ボクらはアンクルホーンにお礼を言って水車小屋をでた。
「淋しそうだったね。あんな所に一人だったし」
ビアンカちゃんは水車を振り返って少し淋しそうな顔をした。
「うん、淋しそうだったね」
ボクは頷いた。
「あの話に出てきた人間が、ミルドラースなのかしら?」
「さあ……わからない。けど、もしソレがミルドラースなんだったとしたら……」
ボクはそこでため息をついた。

かわいそうだよね。

その言葉は飲み込んで、言わない事にした。

「ねぇお父さん、後悔してるの?」
「え?」
マァルがボクのマントをつかんでボクの顔を見上げる。
「お父さんがそんな気持ちだとわたしも悲しくなっちゃう……」
大きな目が、少し涙で潤んでる。
「後悔ね……うん、してる事もある。でも、全体的に見たら後悔は少ないほうだと思う。さっきも言ったけど、最善の選択はしてきたつもりだから。ただ、後悔が全然無いっていうのは、生きてないのと一緒だと思うよ。……後になって漸く、その時のことが客観的に考えられるって事は沢山あると思うからね」
「……」
「後悔してるのはほんの些細な事ばかりだよ。結婚した事も、王様になったことも、マァルやソルの父親になったことも、旅をしてる事も、全然後悔して無い。だからマァルは心配しなくていいんだ」
「本当?」
「うん」
マァルは漸く笑顔を見せる。ボクは頭を撫でてから、手を引いて歩き出す。
「ねえ」
ビアンカちゃんが逆側の隣に並んだ。
「私も後悔してないからね」
「ソレはよかった」
 
 
ボクらは町の中央まで戻ってきて、ベンチに腰掛けると地図を開いてみた。それほど大きな地図じゃなかった。
「現在地が……ここか」
地図の南のほうに、一つだけ町がある。入り組んだ細い地面もきちんと書かれていて、これがあったら迷うことなく元来た祠に戻ることが出来るだろう。
祠の位置はかかれていなかった。
「最初に着いた祠はこの辺だったね」
ボクは町の西側にある陸地の真ん中に祠を書き込む。
「この大きな山、何かしら」
ビアンカちゃんが指をさしたのは、地図の北側。
ちょうど陸地の果てになる部分。
険しくて大きな岩山が描かれている。
「それはエビルマウンテンだ」
通りかかった町の人が教えてくれた。やっぱり、人に優しくするのがスキらしい。
「大魔王様が住んでおられる」
「ええ!?」
ソルが思わず声をあげた。
それは驚愕の声だったんだろうけど、町の人にはそうは聞こえなかったらしい。彼は得意そうに続ける。
「あのお方は偉大だ! 例え伝説の勇者といえども、あのお方の足元にもおよばないであろう。私は人となった今でも大魔王ミルドラースさまだけは尊敬しているのだ」
みんなの顔が不機嫌になっていくのに気づかず、町の人は心酔しきったように胸に手をあててうっとりと言った。
「……へぇ」
相槌をうたないと立ち去りそうになかったから、ボクは引きつった返事をする。
「まあ、人の姿となった今では見学にもいけないけどね」
「そうですね」
適当に話をあわせて男の人を立ち去らせる。
ソルは頬を膨らませていたけど、男の人が立ち去ってからその背中に向けて思いっきり舌を出した。
「足元に及ばないかどうかなんてやってみなきゃわかんないよ」
「人間になったのに大魔王を尊敬してるなんておかしい……よね?」
マァルも複雑そうな顔をして頬を膨らませた。
「伝説の勇者が本当に大魔王にかなわないか、その答えはもうすぐわかるわ! 勝てるに決まってるわよ!」
ビアンカちゃんも立ち去った男の人の背に向けて拳を突き出す。
「ぜーったい、勝つんだから!」
「そうだね。絶対勝とう。……おかげでどこへ行けばいいかわかったね」
ボクは北のほうを見た。
「明日の朝出発しよう」
258■もう一回 (テス視点)
魔界での、朝が来た。
目が覚めても寝るときと同じ薄暗さなのがとても嫌だ。どうしても、人生の大半をつながれていたあの場所を思い出す。
息が苦しい。
ボクはベッドの中で体を丸めて、暫く目をギュッと閉じて耳を塞ぐ。落ち着くために頭の中でゆっくりと数を数えて、百まであとちょっとのところで体をゆすられた。
「大丈夫?」
ゆっくり目を開けると、ガラス色が目に飛び込んできた。
綺麗な蒼。
好きな色。
「ねえ、うなされてたよ?」
「……大丈夫」
かすれた声で答えて、ボクはビアンカちゃんの頬に触れた。
実物。
「大丈夫。ちょっと嫌な夢をね……」
ため息交じりの声で答えて、体を起こす。
窓の外は相変わらず、べったりとした重い灰色の曇り空。
ビアンカちゃんも窓の外を見てため息をついた。
「憂鬱よね」
「うん」
「もし、魔王が私たちの世界に乗り込んできたら、あっちもこんな風になっちゃうのかしら?」
「かもね」
「……嫌だなぁ」
「うん」
ボクらは暫く手をつないで、そのまま窓の外を見る。
「ま、そうならないように頑張りましょう? ともかく、エビルマウンテンだっけ、そこへ行けばお義母様も居るわよ」
「なんで?」
「昔から、捕らわれのお姫様は一番偉いヤツの隣に座らされてるものよ? 私もそうだったでしょ?」
「……お母さんもビアンカちゃんもお姫様じゃないでしょ」
ため息混じりに言ったら、思いっきり蹴り飛ばされた。

 
ジャハンナの入り口であるハシゴをおりて、皆と合流した。
「とりあえず、地図を手に入れたからちょっと説明ね」
ボクは貰った地図を広げて地面に置く。
「今、ここ。ジャハンナの町ね」
ボクは地図の南にある小さな町を指差した。
「それから、目指すところはここ」
今度は地図の北側を指す。
陸地の果てにある、大きな岩山。
「エビルマウンテン。……敵の本拠地」
皆が、誰かに言われることなく北の方角を見た。
ここからでも、うっすらと小さくその山を見ることが出来る。
うっすらと小さくしか見えないのに、その存在感は圧倒的だった。
「で」
ボクは山から目をそらして息を吐いてから続ける。
「今更なんだけど、ちょっと確認したい事があるんだ」
皆が不思議そうにボクを見た。
「つまりさ、魔界へ来たときは旅の扉のある祠についたでしょ? でも、ボクらは移動が出来る魔法としてルーラがある。妖精の村からはルーラで戻ることが出来たよね? 世界がちがってたみたいなのに。ということは、魔界からもルーラで戻れるんじゃないかな?」
「あ、ソレは試してみたほうがいいかもしれないわね」
すぐにビアンカちゃんが頷いた。
「でしょ? もし戻れるなら色々便利だし……あと」
「あと?」
「もし、海の神殿に捧げた指輪が回収できるなら、したい。それで入り口が閉じてルーラで来られなくなったらまた捧げたらいいんだし……」
「ソレはうまくいかないんじゃない?」
マァルが少し眉を寄せる。
「やってみて駄目だったら、それまで」
「そうよ、やってみましょ? 私もあの指輪は取り戻したい」
「じゃあ、決まり。とりあえず、エルヘブンを目指そう」
ボクは小さな声でルーラを唱える。

目を開けたら、エルヘブンの前に居た。

「あら、成功? お日様が気持ちいいわねー」
ビアンカちゃんは思いっきり伸びをして、深呼吸した。
「太陽って素敵!」
マァルもビアンカちゃんを真似して大きく深呼吸する。
ボクも空を見上げた。
抜けるような青空。
綺麗だ。
「さて、それじゃ指輪の回収に行きますか」
「うまくいけばいいんだけどね」

 
神殿は相変わらず水の音が反響していて、不思議な雰囲気に包まれていた。
女神像はちゃんと指輪を手に載せたまま変わらずにある。
その奥に、魔界へと通じる真っ暗な空間がまだ口をあけていて、相変わらず光の粒を飲み込んでいっていた。
「……あれ見ると緊張するね」
ソルがボクの顔を見上げる。
「うん。でも、皆で居れば恐くないね」
「そうだね」
ソルが笑う。
「お父さん」
「ん?」
「一緒って、いいね」
「そうだね」

ボクはソルの手を握る。
小さいけど、暖かい。
そういえば、小さいときお父さんの手を握るのがスキだったなって急に思い出した。
あんまり成長して無いのかも。
内心苦笑しながら、ボクは水のリングを捧げた女神像に近寄った。
その手の中に、青い輝き。
そっと手に取ると、向こうにある魔界への入り口が小さくなっていって、やがてなくなった。

「ビアンカちゃん」
隣に居る彼女に笑いかけて、それから左手をとる。
「これからもよろしく」
言いながら、薬指に指輪を嵌める。
細くて長い、白い指に青い輝きはとても良く似合う。
「ありがとう」
ビアンカちゃんは頬を染めて笑うと、ボクの事をぎゅっと抱きしめた。
「あーあー。もう、テスとビアンカはいつまでたっても恥ずかしいなあ」
スラリンが足元でため息混じりに言った。
「あら? いいことでしょー?」
ビアンカちゃんは余裕の表情で笑うと、炎のリングと生命のリングをスキップして持ってきた。
ボクは受け取るために手を差し出した。
「テスも左手」
「え?」
「早く。自分は平気でやったくせに、どうして恥ずかしがるのよ」
「……いや、何となく」
視線を合わせないようにちょっとそらしながら、ボクは左手を差し出した。
「こっち見なさいよ」
「はい」
呆れたように言うビアンカちゃんに逆らわない事にして、ボクはビアンカちゃんを見た。
目が合うと、ビアンカちゃんはニコリと微笑んだ。
それからボクの小指に生命のリングを嵌めてから
「ずーっと仲良しでいようね?」
そういって、薬指に炎のリングを嵌めてくれた。
ソルが指笛を鳴らして、マァルは拍手をする。
「……恥ずかしい」
「先にやったのはテスよ」
ビアンカちゃんは笑うと、ボクの手を握る。
「今度こそ、ずっと一緒よね?」
「勿論」
小声に小声で返して、ボクは少し笑う。
「コレで結局魔界に戻れなかったら、なんか恥ずかしい分損だよね?」
「そう? 私は幸せな気分になれただけでもラッキーだと思うわ」
「そうかな?」
「そうよ」
ビアンカちゃんは済ました顔で笑うと、ボクを見た。
「うまく行くといいね。私これはずしたくないのよ」
「ボクもだよ」

 
結論から言うと、目論みはうまくいった。
行き先をちゃんと想像できれば、きちんとつけるのがルーラのいいところだ。
扉が閉まってるはずなのに、とか、そういうことは考えない事にした。

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