50■決意
魔界へと旅立つ。


250■エルヘブン (テス視点)
エルヘブンへはルーラで行く事にした。城門を少し離れたところで、ボクは全員に向き直る。
「覚悟は決めた?」
聞くと、皆が頷いた。ボクは頷き返す。
「さて、じゃあ一気に進もう。お母さんを……マーサお婆様を助け出さなきゃね」
「うん!」
ソルとマァルは笑顔で頷いた。
ボクは二人の頭を撫でてからビアンカちゃんのほうを見る。
「旅をするのは久しぶりだね。……慣れるまでは辛いかもしれないから、早めに言ってね」
「……テスは心配しすぎよ」
ビアンカちゃんは呆れたように笑うと、ボクの背中を軽くポンポンと叩いた。
「でも、ありがとう。疲れたらすぐ言うね」
「そうしてください」
答えると、ビアンカちゃんはまた笑った。
「丁寧語だ」
ボクははっとしてビアンカちゃんを見る。にやりと笑う彼女から、ボクは目をそらした。
……多分これもう直んないんだろうな、と思いながら。
マァルが不思議そうな顔をしてボクを見上げたけど、ボクは気づかない振りをすることにした。

エルヘブンは、前に来たときとなんら変わりが無い。
ビアンカちゃんはぽかんとした顔で、白い崖にしがみつくような建物を見上げている。
「ここがエルヘブン?」
「そうだよ」
「綺麗なところねー」
「お婆様のお部屋から見ると、もっと綺麗よ!」
マァルがビアンカちゃんの手を握る。
「どうしたの?」
「わたし、高いところって嫌いなの。お母さん、手をにぎっていてね」
「わかったわ」
ビアンカちゃんはマァルの手をしっかり握り返して微笑んだ。
ちょっと前まで、あれボクの役目だったのになあ。
結構寂しいな。
「お父さん」
ソルが傍に来て、いきなり手を握った。
「どうしたの?」
「一緒に行こうよ」
「うん」

……気、使われたのかな、今。

何だか複雑な気分になりながら、ボクらは入り口の階段をのぼる。
「ここはマーサお義母様の出身地なんでしょ? すごく綺麗なところだけど……どこか寂しい感じがするわね」
ビアンカちゃんは、階段を登りきったところにある少し広い場所で立ち止まってあたりを見回した。
「忘れられた村、ってここの人たちは言ってたよ。あんまり旅の人はこないんだろうね。……それに、多分特殊な力を持つ人たちだから、あまり村の外とは交流ももたないんだと思う。だから、静かで少し寂しいんだ」
「……交流を持たないんだったら、どうやってパパスお義父様と知り合ったわけ?」
ボクはビアンカちゃんの顔を思わずじっと見てしまった。
「連れ出せたのかしら?」
「……あんまり深い追求はしないほうがいいよ。……えーと、ここ、左ね」
ボクは手をつないでいたソルと歩き出す。
「え? 何で?」
ビアンカちゃんが不思議そうな声をあげながら付いてくる。
「お爺様がお婆様を連れていったんだって」
マァルが話しているのが聞こえる。
「え!? ソレってソレって!」
ビアンカちゃんが足早にボクに追いついてきた。
「……駆け落ち」
「うわ! やっぱり! ロマンティック!」
「……」
ボクは思わず立ち止まってビアンカちゃんをまじまじと見つめてしまった。
「素敵よね」
にこにこと笑って、ビアンカちゃんはマァルと「ねー!」なんて言い合ってた。
「お父さんは、もしわたしがとつぜん男の人と結婚したらさみしい?」
マァルがいきなりそういいながらボクを見上げる。
「うん。すっごく寂しいと思う」
「そうなの…? じゃあわたしはとつぜん結婚するのはやめるね」
「是非そうして」
「でもマーサおばあちゃんみたいに情熱的な結婚もちょっとうらやましい」
「情熱的なのは止めないから、駆け落ちだけは勘弁して……」
マァルは暫くボクの顔を見ていたけど、やがて頷いた。
「うん、わかった」
「テス、大丈夫?」
ビアンカちゃんが笑いをこらえながらボクを覗き込む。
「……ちょっと一瞬気が遠くなった」
「マァルは大変だねー」
ビアンカちゃんはくすくす笑いながら、マァルと先に歩いていってしまった。
「ぼくが駆け落ちして誰か連れてきたらどうする?」
「……やめてホント勘弁して」
ソルの両肩に手を置いて、少ししゃがんで目線を合わせる。
ソルは随分神妙な顔をして頷いた。
「しないよ。たぶんね」
「信じておくよ」

 
ゆっくりと、村のてっぺんにある祈りの塔を目指す。
「ホントに綺麗ねー」
ビアンカちゃんは村を見てしみじみと呟いた。
「うん」
「綺麗だけど、なんか、お義母様がここを離れたのも、わかる気がするわ」
ビアンカちゃんはそういってボクを見上げた。
「山奥の村もとても綺麗だったし、大好きだけど、テスと一緒にあの村を離れて、私いろんなことを見たり聞いたり、体験したもの。……一緒になるかわからないけど、多分、綺麗だけじゃない色んなものを見たかったのね」
「そうだとおもうよ」
ボクは頷く。
多分、お母さんは綺麗なだけじゃなくて、ドキドキする毎日を選んだんだろう。
「さあ、行こうか」
ボクは塔の番人の人に会釈してから、塔に入った。

相変わらず、静かな建物だった。塔の中は少し薄暗い。
塔の中心には、深々と黒っぽい青のフードを目深に被った長老たちが四人、お互い向かい合うように円を描いて座っていた。
何も前来た時と変わってない。
「こんにちは」
ボクは声をかけてからゆっくりと長老たちに近付く。
全員がボクを見た。
フードを目深に被っていて、顔ははっきりとわからないはずなのに、長老たちが少し微笑んでいるような気がした。
「あの」
ボクが口を開くと、長老の一人が軽く右手を上げた。
「私たちにはわかります。魔界へ行きたいと申すのですね」
「ハイ」
「それにはまず、洞くつの中。海の神殿のトビラを開けなくてはなりません」
二人目が引き継ぐ。
「古い言い伝えでは、神殿に3つのリングをささげたとき……魔界への門が開くと言われています」
「リング?」
ボクは思わず左手を見る。
ビアンカちゃんと分け合った、誓いのリングが薬指に、
お母さんが魔界から届けてくれたリングが、小指に、それぞれ嵌っている。
「まさか……ね」
三人目の長老は少し困ったような声で引き継いだ。
「海の神殿の扉は何百年も鍵がかかったままなのです」
「その海の神殿というところに、リングを捧げればいいんですね?」
「ええ。しかしもう扉が閉じられて何百年もたち、もはや鍵の場所もわかりません」
「それは、多分何とかできます」
「貴方を信じましょう」
四人目の長老は、少し嬉しそうな声で引き継いだ。
「噂では、天空の竜の神様が復活なされたようです。そのためか、この世界におだやかな光が満ちはじめました。もはや魔界の大魔王といえどもおいそれとはこちらにやって来られないでしょう」
「……そうですか」
その神様がプサンさんだと思うと何だかうそ臭い気がするけど、この人たちが言うんだから多分本当にそうなんだろう。
「色々教えてくださってありがとうございます。明日の朝早く、海の神殿を目指したいと思います」
ボクが言うと、長老たちは頷いた。
「貴方たちにはとても良い祝福が与えられています。きっとうまくいく。……わたしたちはここで祈る事しかできませんが、どうかご無事で」
「ありがとう」
251■エルヘブンで (テス視点)
長老たちの元を辞して、ボクらは許可を得てお母さんが使っていた部屋へ行く。
相変わらず綺麗に掃除されていて、すがすがしい空気に満ちていた。
「うわー、綺麗ねー」
ビアンカちゃんは窓の外をみて、ため息交じりに感嘆の声をあげる。
「嘘みたい。コレって本当にここの景色なのよね? 嘘みたい。絵みたい」
窓に張り付いて、ずっと窓の外を見ている。
ボクはソファに座って、その後姿をずっとみていた。
お母さんもこんな風に、窓の外をずっと見ていたかもしれない。ここから出たくて。
好きな人に連れ去られるのを待って。
「すっごく綺麗だけど、毎日見てたらきっと飽きるわね」
ビアンカちゃんは振り返ると、笑った。
「お義母さんの気持ち、分かるかも。だって、どんなに綺麗でも見慣れちゃったらなんとも思わないもんね。たまに見るから綺麗なのよ。贅沢な話かもしれないけど」
いいながらボクの座っているソファまで歩いてくると、隣に座った。
「それに、好きな人についていって、ドキドキするほうが何倍も楽しいもんね!」
ボクの顔を覗き込んで、ニコニコ笑う。
「……そうだね」
ボクは恥ずかしくなってちょっと目をそらす。
「好きになっちゃったら仕方ないんだよね!」
ソルは笑ってボクを見て叫ぶ。
「……え?」
ビアンカちゃんはきょとんとしてボクを見た。
「何でもない。気にしないで」
早口で答えると、ビアンカちゃんはしばらく不思議そうにボクを見ていたけど、あきらめたように肩をすくめて見せた。

 
それからボクらは全員でソファに座って、ローテーブルに地図を広げた。
「前来たとき、確か長老の一人が『北の水路に浮かぶ海の神殿の門も、我々には開くことができません』って言っていた。ということは……」
ボクは地図のエルヘブンの辺りに指を置いて、それから川にそって、つつつと指を動かす。
「ここに来るときに使った、あの船も通れる洞窟。この場所だろうね。……通る時、確かマァルがちょっと不思議なことを言ったよね?」
「覚えてないよ?」
マァルが不思議そうな顔をして首を傾げる。
「確かに言ったよ。『誰かが呼んでる』って。あと、『もっと後でおいで』って」
「えー? そんなの、言った?」
ボクは頷く。
「だから、えーとね」
ボクは持っていた紙にざっとした洞窟の図を描く。
「こっちが海側ね、東側。こっちから入って、で、ここを南側に来てエルヘブン側に出た、と。で、こっちの北側のほうは行ってないから多分ここだろう」
ボクは顔をあげる。
「今日はここに泊まって、明日の朝行ってみよう」
「扉の鍵は? どうするの?」
ビアンカちゃんは眉を寄せる。
「ん、それは心配いらない」
軽く言うと、余計に眉を寄せて口まで尖らせる。
「えーとね、ビアンカちゃんを助ける前に、まあ色々世界を回ってて、その時ちょっとルドマンさんの手助けして、どんな扉でも開けちゃう不思議な鍵って言うのを手に入れたんだ」
「えー、そんな事もしたの? いいなー、面白そう! うらやましい!」
心底羨ましい、という顔をしてビアンカちゃんは口を尖らせる。
「あとは、魔界の門を開くっていうリングが何かって事だよね?」
ソルはボクを見る。
「うん、そうだね」
ボクはそのまま左手に目を落とす。薬指と小指で輝いている指輪。
「あー、テスもそんな気するんだ?」
ビアンカちゃんは苦笑して左手の甲を上げてみせる。
水の輝きを持った宝石が付いた指輪が輝いている。
「少なくとも、お母さんがくれたこの指輪は間違いないと思うんだよ。……わざわざ魔界から空間歪ませてまで贈ってくれたんだからさ」
「お義母様だって、やっぱり戻って来たいわよねー」
ビアンカちゃんは掲げた左手の指輪を見つめて、ポツリと呟く。
「絶対、助けようね」
「うん」


ボクらは祈りの塔を降りて、村の宿屋まで歩く。
すっかり夕焼けに染まった村。白い崖はオレンジ色に光り輝いていて、この世じゃないみたいに見えた。
「やっぱり綺麗ね。連れて来てくれて有難う」
ビアンカちゃんは小さな声でそういって、ボクの手を握った。
ボクはちらっとビアンカちゃんを見て少し笑って、それから手を握り返す。
「綺麗って言ってくれて有難う」
別にボクの故郷ってわけでもないのに、なんとなくそう答えるのが一番正しい気がした。
後ろで、ソルとマァルがクスクス笑ってるのが聞えたけど、聞えないフリをすることにした。
 
 

目が覚める。
窓の外から綺麗な光が降り注いできている。真っ青な空。
空が近い。
「おはよう」
隣からの声。透明に透き通った、ビアンカちゃんの瞳。
「おはよう」
ビアンカちゃんはずっと前から起きてちゃんと着替えていたらしい。すっかり用意を済ませたみたいで、少し呆れたような顔をしている。
「もうソルもマァルも用意できてるよ。ご飯食べたら出発できるんだからね?」
「……申し訳ない」
「んー、テスらしいといえばテスらしい。変ってないねー」
ビアンカちゃんはクスクス笑うと、うだうだと着替えを始めたボクのほうへ近づく。
「ほら、しっかり目覚まして!」
笑いながらボクの髪をブラシで梳いてくれた。
「なんか、こういうのって、いいね」
ボクが言うと、ビアンカちゃんは少し笑ったようだった。
「うん、そうね」
そういって後ろからギュッと抱きしめてくれた。
「さあ、ご飯食べに行きましょう?」

 
 
村の外に出て、皆が待ってるところへ行く。
「何かわかったか!?」
スラリンが真っ先にボクらのところに跳ねてきて訊ねる。
「とりあえず、この川をこのまま下って、あの洞窟を探検しなおし」
「えー? なんでー?」
ホイミンがふわふわと漂ってきて、ボクの二の腕に巻きついた。
「見に行ってない方に、多分目的地があるから」
「ふーん」
何だかすこし気のない返事だったけど、納得はしてるみたいだった。
「じゃあ、行こうか」
ボクらは船に乗り込んで、川を下り始めた。
252■魔界へ (ビアンカ視点)
船に乗って川を下っていく。綺麗な水で川面がきらきら光っている。
川幅はあんまり広くなくて大型のこの船が通るのはギリギリって感じだった。
「結構ギリギリで恐いね」
私が言うとクルーのみんなが笑った。
「通れるのが分かってるから通ってるけどな、知らなかったら通りたくねぇな!」
船長はガハハと笑う。
「あんたらを乗せるようになってから、知らねえ所に行くだけじゃなくて、とんでもねえトコに連れてかれるな!」
「これからもきっととんでもないトコに連れてかれるわよ?」
私はくすくす笑う。
「ハハ、違いねぇ!」
船長はまた大声で豪快に笑ってからクルーの皆と歩いていってしまった。

「またこれからビックリするよ」
テスが後ろから言って笑う、その意味はすぐに分かった。
船の行く手には断崖絶壁。川はその崖の細い三角に割れた場所に流れ込んでいる。皆が何にも慌ててないから、大丈夫なんだろうとは思うけど、やっぱりちょっと怖い。本当にあの隙間をこの船が通り抜けられるのかしら。
思っている間にもどんどん船は進んで、ぐんぐん崖が近寄ってくる。
あの細い隙間まであとちょっと。
ぶつかりそうで、私は思わず目を瞑った。
水の反響が変って、私は恐る恐る目を開いた。
船は洞窟の中を進んでいる。

「うわあ」
私は思わず声をあげた。
「綺麗!」
洞窟は船が進むだけの充分の水の深さがある。高さも高い。ただ、幅は船がすれ違うほどはないから、ちょっと慎重に進んでるんだろう、スピードがゆっくりになっている。
洞窟の中とはいえ、何処からか光が差し込んできているみたいで、水面がキラキラ光っている。
神秘的。
魔界への神殿がこんなところにあるなんて、ちょっと信じられない気分。
船は東への分岐点を越えて、北へ進む。
少しずつ、突き当りが見えてきた。水面より少し高い位置に人工の床が見える。簡単な港みたいにも見えるけど、柱が立っていて港ではないのがわかる。
その向こうには洞窟の壁のところに人の手が加わった壁が作られているのが見える。そこにも柱が並んでいて、その間に銀で縁取りと装飾が付けられた両開きの扉がある。
「ああ、きっとアレだね」
テスは言うと、降りる準備を始める。
「船の皆には、このままちょっと待っていてもらおう。……ここが目的地じゃなかったら困るし」
「それもそうね」
私達は慎重に船からおりて、ゆっくりと青い扉に近づく。

青い扉は頑丈そうで、近くで見ると本当に綺麗だった。
テスが手に入れていた不思議な鍵で鍵を開ける。
ゴゴンと深い低い音を響かせて、扉は両側に開いていく。
私はソルの手を、テスはマァルの手を引いてゆっくり中へ入る。
魔物の皆はその後ろからやっぱりゆっくり付いてきてくれた。

扉の中は、確かに神殿のようだった。
まっすぐに通路が延びていて、その両側には柱が同じ間隔で並んでいる。
通路の両脇には水が満たされている。
その水が波立っているのは、多分この水の落ちる音と関係してるんだろう。
「何か、ちょっと滝の洞窟思い出すね」
「うん」
「えー? トロッコの洞窟だよ!」
私が言った言葉にテスは頷いて、ソルとマァルは口を尖らせる。
「トロッコの洞窟?」
首をかしげて聞き返すと、マァルが「またお話するね!」と笑った。

私達は通路をゆっくりと進む。
突き当たりに、テスの身長よりちょっと高いくらいの高さまであがる階段があった。
私達は一瞬顔を見合わせてから、頷き合ってその階段をのぼる。
広い祭壇だった。
丁度真ん中辺りに、三体の女神像がある。
背の高い女神像には、金色に輝く大きな翼が生えていて、その腕は何かを求めるように前に差し出されている。
祭壇の向こう側には大きな滝が流れていて、その滝に突き出すように祭壇は伸びている。突き出した部分にはまた柱が二本並んでいた。
「綺麗ね」
「うん、ちょっと嘘みたい」
呟くと、テスが頷いた。
ソルとマァルは女神像の方へちょっと走っていって、女神像の顔を下から覗き込んでいる。
「どうしてこの像手をさし出してるのかなあ? ん? もしかして!?」
「きっとリングをここに載せるのね!」
ソルとマァルは言い合ってニコニコ笑いあった。
「さて、といっても、ここにどんなリングを載せるべきなのかな?」
テスは困ったようにその女神の手のひらを覗き込む。
私も同じ様に手のひらを覗き込んでみる。
誰も、何百年も入れなかったはずなのにホコリひとつない。
「綺麗ね」
「うん」
私達は無言で、指輪を外す。

「……大事なものなのに、ゴメンね」

テスはそれだけ言うと、そっと指輪を女神の手のひらに載せた。
一つずつ。
私達の思い出の指輪を。

三つ目の指輪を置いた時だった。

祭壇の、滝のところにせり出していた部分にあった柱の間に、空気が流れていくのがわかった。
慌ててそっちの方をみると、黒い渦が柱の間に現れていた。
それは風とともに光の粒のようなものを飲み込んでいっている。
「アレが……魔界への入り口……かな?」
「……は、派手だねー」
「ちょっと、入りたくない気分」
「怖い……」
口々に感想を言いながら、私達はそろそろとその渦に近づく。
しっかりとお互いの手を握って、ゆっくり。

ある程度近づいていった時だった。

ふわり、足が浮いた。

「!!」
驚いてテスを見ると、やっぱり浮いてる。
そしてそのまま渦に飲み込まれた。
253■魔界 (テス視点)
目を開けると、不思議な場所に居た。
ボクたちは青白い光を放つ渦の中心に立っている。雰囲気から言って、多分コレは旅の扉。という事は、とりあえずこの旅の扉がなくならない限り、向こうの世界へは戻れるだろう。
少し安心。
旅の扉の周囲は石畳で、四隅には柱が立っていてどうやらここは小さな祭壇のような場所みたいだ。
祭壇の周りにはとても綺麗な水が張り巡らされている。
柱の間には壁がない。遠くまで景色が見通せるようになっていた。

むき出しの土の色は、少し白っぽい茶色。
その土にへばりつくように、緑の背の低い草がはえている。木々はまばらに生えていて、見たこともない形の葉と、見たことの無い形の実をつけていた。
空はどんよりと暗い曇り空で、少しキツイ紫色のモヤがかかっている。
幸運な事に、空気は悪くない。多少乾きすぎな感じもするけど、すって気分が悪くなるものではない。
そこはかとなく嫌な感じはするけど、それは仕方ないだろう。

少し寒い。
多分太陽が照らしていないからだ。
曇った空の雲は分厚そうで、切れ目が無い。光がここに届く事は多分無いだろう。

「ど……どうしよう…。わたしちょっとこわい……」
マァルは周りを見て少し泣きそうな声を出す。
「がんばれ。ぼくがちゃんと守ってやるからな」
ボクが何か言う前に、ソルがマァルの手をぎゅっと握って真っ直ぐマァルを見据えて笑う。
その様子はボクが小さかったときよりずっとしっかりしてて、ずっと格好いい。
「お兄ちゃん……」
マァルは普段、ソルのことをあまり「お兄ちゃん」とは呼ばないのに、このときはほっとした顔でソルの事をそう呼んだ。

この子達は、きっとボクが知らないところでこうやって励ましあって生きてきたんだろう。
そう思うと、少し胸が痛い。

「ボクだって居るからね。それにお母さんも。……まあ、頼りないかも知れないけど、もうちょっと二人ともボクらを頼っても良いんじゃない?」
ボクが言うと、ビアンカちゃんも続けた。
「そうよー、家族全員で助け合えば何とでもなるわよ」
それから空を見上げて、
「とりあえず、この天気だったら日焼けの心配はほとんどしなくてもよさそうよね。それだけでもラッキー?」
なんていって首をかしげた。
「曇りでも気をつけてないと結構日焼けするよ?」
ボクが言うと、ビアンカちゃんは「そうだったの!?」って驚いた顔をした。
マァルはボクらのそんなやり取りを見て笑った。
「ありがとう! 元気でた!」
「あら、よかったわー」
ビアンカちゃんは笑いかえす。

ボクはそっとビアンカちゃんの手を握った。
ビアンカちゃんは顔では笑ってたけど、手は少し震えてた。
「恐い?」
小声で聞くと、
「ちょっとね」
とやっぱり小声で返してきた。
「うん、ボクもちょっと恐い」
ボクは苦笑しながら言う。
誰だって初めての場所は恐い。
けど、多分、ちゃんと乗り切っていける。

支えてくれる人が、傍に居る。

ボクらは祭壇の階段をおりて地面に立つ。
地面はしっかりしていて、コレまでどおりちゃんと歩いて旅が出来そうだった。
馬車も動かす事が出来る。
「とりあえず、どこかに魔界を旅する拠点になるところがあるといいね」
そんな事を言いながら、祭壇を後にしようとしたときだった。

「テス……テス……」

どこからともなく、声がした。
忘れない。
お母さんの声。

「お母さん!」
叫ぶと、声は続ける。

「ついにここまで来てしまったのですね……。テス、お前はこの母が想像した以上にたくましく成長したようです」

声はどこまでも優しくて、少し嬉しそうに聞こえた。
ビアンカちゃんが空を見上げる。
どこにも何も見えないけど、確かにお母さんの声は、空から降ってきているように聞こえた。

「もう、戻りなさいとは言いません。……今はただ、テスたちの力を信じることにしましょう。そして、これがこの母に出来る精一杯の事。どうか私からの贈り物を受け取ってください」

頭の上で一瞬。凄く眩しくて綺麗な光。
その中から煌く青い石がボクの手の中に落ちてきた。
石には金の装飾の付いた柄が付いている。

「ソレは賢者の石。強い回復の力を持っています。傷ついたときに使いなさい。……さあ、東を目指しなさい。きっと貴方たちの手助けになるでしょう……」
消えかかる声に、ソルが叫んだ。
「お婆様聞こえる!? マゴのソルだよ! すぐに助けに行くから待っててね!」
続いてマァルが叫ぶ。
「お婆様……!」
「お母さん!」
ボクも思わず声を上げた。
けど、口々に叫んでも返事はなかった。
「今の声は……お義母様の声? 信じられない……けど、なんてやさしい声……さあ行きましょうテス。こんなところでグズグズしていると時間がもったいないわ」
ビアンカちゃんはボクの手を引く。
「よかったねお父さん。来たけどしかられなかったね。きっとお婆様もうれしかったよね。そうに決まってるよ」
ソルはボクを見上げてにっこりと微笑んだ。
「そうだね。きっと喜んでくれたよね」
ボクは笑いかえす。
「さあ、いこうか」

ボクらは祭壇を後にして歩き始めた。
相変わらず空はどんよりと曇っていて、紫のモヤが所々にかかっている。
東に少し歩くと、すぐに陸の終わりだった。
海は無い。
ただ、この大地が宙に浮いているのがわかる。
海に該当する部分は、ただひたすら紫のモヤが幾重にも重なって雲のように見える。
時々雷が走っていくのが見えた。
その雲の海の向こう側に、また陸が浮かんでいるのが見える。
「この下のほうはいったいどうなってるの? 気持ち悪いもやがかかってよく見えないや……」
ソルが下を覗き込んで呟く。
「ううっ……頭痛い……。地面のずっと下のほうからすごくいやな感じがする……」
マァルは少し青い顔でこめかみの辺りをぐりぐりと押した。
「ここにはお日さまもほとんど届かないみたいね……。もし大魔王が来たら私たちの世界もこうなってしまうのかしら……?」
ビアンカちゃんは空と下とを何度も見比べて憂鬱そうな顔をした。
「とりあえずこの縁沿いに北に行ってみよう。縁沿いに歩いていけば、向こうに見えてる陸地に渡る方法があるかも知れない」
「そうだよね、お婆様が東って言ったんだもんね。きっと行き方があるよね」
マァルは半分自分に言い聞かせるように言いながら頷いた。
「行こう?」
マァルの声にボクは頷く。
「うん、じゃあ、行こうか」

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