49■グランバニアから旅立つ為に
……反省してます。


246■お母さんとお父さん (ソル視点)
お父さんがラインハットに出かけていったのは昨日で、今日は帰ってくる日。
お母さんは朝から何だかそわそわしていて、誰かがドアをノックするたび、ドアを見てはお父さんじゃないからガックリするっていうのを繰り返してる。

なんか、そういうお母さんは可愛いと思う。

「ねー、いつ帰ってくるのかなあ?」
お昼が過ぎて、お母さんとマァルとぼくの三人でおやつを食べているときに、お母さんは口を尖らせながら言った。
「遅すぎない?」
「んー、お父さんはラインハットに行くと、いっつも帰ってくるの遅いよ?」
「夕方くらいじゃないかなあ?」
ぼくらが言うと、お母さんは頬杖をついてため息をついた。
「おっそいなあ」
お母さんは頬杖をついたまま、足をぶらぶらと揺らした。ずっと窓の外を見ていて、退屈そうにしている。
「そんなに心配要らないよ?」
ぼくがお母さんに笑いかけると、お母さんは「うーん」と気の無い返事をした。
「ちょっとね、心配なのよねー」
お母さんはそういうと、テーブルに突っ伏す。
「どうして?」
マァルが首を傾げると、お母さんはテーブルに倒れこんだままの格好で「魔物の皆を連れて行ったでしょ?」とぼそぼそと言う。
「でも、珍しい事じゃないよ?」
「うーん……それとね」
お母さんはテーブルから体を起こす。
「それと……テスは私に『バイバイ』って言ったの」
凄く不安そうな顔で、窓の外を見る。
「あんなの、言われたの初めて。……テスは……魔物の皆も連れて行ったでしょ? 一人で、どこかへ行くつもりなんじゃないかしら」
「え!?」
「えぇえ!?」
ぼくとマァルはビックリしてお母さんを見る。
「テスは真顔で嘘がつけるから……今度行くところは、魔界なんでしょ? マーサお婆様は『来ちゃ駄目』って言ったのよね?」
「うん、お婆様、そう言った。ぼくでは魔王に勝てないって」
「わたし、お婆様ともっとお話したいのに」
「……来ちゃ駄目なんて言われてる所へ、私たちを連れて行きたくないのかもしれない。テスは……帰ってくるって言ったけど、嘘かも知れない」
お母さんは心細そうに言うと、また窓の外を見た。
ぼくやマァルもつられて窓の外を見る。
晴れていて、少し霞んだ青い空が広がっている。
「……とはいっても、ラインハットまで行く方法も無いしね。私たちに出来るのは、信じて待つことくらいよね」
お母さんは自分に言い聞かせるようにして、頷いた。
「ラインハット、いけるよ?」
マァルがお母さんを見る。
「え?」
「わたし、ルーラの呪文使えるの。いつもお父さんが唱えてくれるから、あんまり使わないけど……」
「そうなの?」
「うん。ラインハットは行った事があるから、大丈夫」
「……ねえ、お母さん、お父さんを迎えにいこうよ」
ぼくはお母さんを見上げた。お母さんはぼくをみてにっこり笑う。
「そうね。迎えにいってビックリさせよう」

 
お母さんはぼくらを連れてオジロン様のところへ向かった。それからお父さんを迎えに行くって話をする。
オジロン様は暫く渋い顔をしていたけど、最後にはしぶしぶ頷いた。
「早く帰ってきてくださいよ?」
オジロン様は恨めしそうな顔でお母さんを見る。お母さんは何度も頷いてにこにこ笑ってた。

それから、マァルの魔法でボクらはラインハットの町外れに向かった。
お母さんはラインハットに来るのは初めてって言って、ちょっと珍しそうにあちこちに視線を送ってる。楽しくて仕方ないらしい。ぼくとマァルの手を引いて、スキップするみたいな歩き方をしていた。
お父さんとは何回か手をつないで歩いたけど、お母さんとは初めて。時々、街を歩いていく人がぼくらを見るのがちょっと照れくさかった。
城門が近付いてくる。
見慣れた馬車がある。お父さんは馬車のほうを向いていて、ぼくらには背を向けていた。ラインハットのお城の人達は、お父さんの「連れ」が魔物だって知ってるから問題ないけど、さすがに街の人達は知らないから、もう全員が馬車の中にいるみたいだった。
「脅かしちゃおう」
お母さんがいたずらっ子みたいな顔をして笑う。
ぼくらは頷いて、足音を立てないようにゆっくりとお父さんに近付いた。

「えー!!」
馬車の中からスラリンの声が聞こえて、ぼくらは思わず立ち止まる。
「え、え、ソレって本気で言ってるのか!?」
「本気だよ」
お父さんはスラリンの言葉に頷いている。
「でも、でも、ソレって良いのか!?」
「良いとか良くないとか関係ないの。決めたの」
「決めたって……」
お父さんの言葉に、今度はピエールが少し呆れたような声をあげた。
一体何の話をしてるんだろう。
「しかし、それではビアンカ殿が納得しないでしょう」
「納得しないだろうから置いてきたんでしょ?」
お父さんのその言葉に、お母さんの顔が引きつった。
「皆には悪いと思うけどさ、リスクを背負うのはボクだけで十分だよ。……帰ってこられないかもしれないんだよ? 折角助かったばっかりなのに、連れて行けないよ。子どもたちだって、あんなに楽しそうだった。ちゃんと子どもの顔してるの、ボクは初めて見た。……ボクの都合で取り上げられないよ」
「……それでお前さんは平気なのか?」
「平気じゃなくても、やらなきゃいけないの」
マーリン爺ちゃんの声に、お父さんは答える。

お父さんは、お母さんが言ったとおり、ぼくらを置いていくつもりだ。
グランバニアに戻らないで、魔界に行くつもりだったんだ。
くらくらした。
背中が凄く冷たい感じ。
考えた事なかった。
お父さんが、また居なくなるなんて。

「……っ!」
お母さんが息を短く吸った。すっごく怒った顔をしてる。
そのままつかつかとお父さんに近寄っていく。
それからお父さんの前に回りこんで、いきなり思いっきりお父さんの頬に平手打ちしていた。
お父さんはいきなりお母さんが現れてビックリしてるみたいで、叩かれた左の頬を押さえて呆然とお母さんを見ていた。
「え? あれ? 何で?」
「何でじゃないでしょ!?」
お母さんはそのままお父さんの胸倉をつかむ。
「よくもまあ、やってくれたわね! 置いていく!? この私を!? 子どもたちを!? 漸く家族全員揃ったこのときに!?」
「ど、どっから聞いてたの?」
「そんなのは問題じゃない!」
お母さんはお父さんをにらみ上げたまま、ぽろぽろと涙をこぼす。
「酷い! 酷い! もしかしてまさか、とは思ってたけど、本当に実行してたなんて!」
お父さんはお母さんから目をそらした。ぼくとマァルもお父さんに近付いていって、お父さんの手を握る。
「お父さん、ぼくは……頼りない?」
「わたし、力になれない?」
「そういうわけじゃなくて……その……」
お父さんはそれっきり黙ってしまった。
「ともかく、一回グランバニアに戻りましょう。色々話し合わないとね」
お母さんはお父さんをにらんだまま、低い声で宣言した。
247■お母さんとお父さん (マァル視点)
お父さんは、冷たく冷やしたタオルで左の頬を押さえながら、居心地悪そうに椅子に座ってる。
本当は、ホイミで簡単に頬の痛みは引くんだろうけど、お父さんはそれはしないことにしたらしかった。
お母さんは、お父さんの前の椅子に足を組んで座って、腕組みをしたまま、お父さんを見据えている。
わたしとソルは、少し離れたソファに座ってそんなお父さんたちの様子を見ていた。
気分的には、お母さんの味方。
「……うまくいくと思ったんだけどなあ」
お父さんがぼそっと言ってうつむく。
「で?」
お母さんは冷たい目でお父さんを見た。
「その、うまくいくはずだった計画と、それに至った経過をぜひ聞きたいわね?」
冷たい声でお母さんはお父さんに尋ねる。
「んー」
お父さんは小さな声でうなると、暫く黙った。

「あのねえ」
漸くお父さんが声をあげる。うつむいて、絶対にお母さんに目を合わせない。なんだかお父さんが小さな子どもに見えた。
「魔界ってさ、暗くて寒い厭なところなんだって」
「へえ?」
「だから、そういうところに、ビアンカちゃんや子ども達を連れて行きたくなかったんだよ。純粋にね、それだけ」
そういってお父さんは窓の外を見る。
「嫌いになったとか、そういうのは全然ない。帰ってこられないかもしれないところに、連れて行けないよ。巻き込みたくない。ボクは自分でも知らない間に随分弱くなったみたいで、自分の大事なものをキケンに晒せなくなった。……ずっと前からソルやマァルだって旅に連れて行きたくなかったし、ビアンカちゃんにこれ以上苦労を掛けたくないんだ」
「……」
お母さんは暫くお父さんを睨んで黙っていたけど、大きくため息をついた。それから呆れた顔をして、お父さんの顔を見つめた。目が、優しい。
「あのねえ、テス」
声に、お父さんが顔を上げる。
「テスにおいていかれることで、私やソルやマァルが、傷つくとは思わなかったの?」
「……」
お父さんは眉を寄せる。少し苦しそうな顔。
「パパスさんが、テスを旅に連れて行ったのは、まだ何も知らないはずのテスがパパスさんが旅に出るのに気付いて、凄く泣いたからだって、サンチョさん言ったよね?」
「うん」
「言葉を知らなかったテスは、それでもちゃんと主張したの。……話し合える私達に主張をさせないっていうのは、ずるいわ……まあ、テスがずるいのは今に始まったことじゃないけどね」
お母さんはため息をついてから立ち上がると、お父さんのところに歩いていく。
お父さんの前に立って、その額をこつんと叩いた。
「話し合ったら……負けるから……」
お父さんはかすれた声で言う。
「オジロン様に止められて、言うことは絶対向こうのほうが正しくて、ボクは全然言い返せなかった。……きっとビアンカちゃんたちと話し合ったら、負けると思った。ずるいのはわかってたけど、全部切り離して旅立てば……いつか皆ボクの事なんて忘れると思った」
お母さんはまた呆れた顔をした。
「私、テスがいなくなってから十年、一日だって忘れたことはなかった。石にされてからだって、時々凄く辛くて負けそうになったけど、それでもテスの事忘れなかった。……何年たっても絶対忘れない。忘れると思った? 馬鹿なこと言わないでよ。テスは何年で私や家族の事を忘れられるわけ?」
「……忘れないよ、だって皆はボクの宝物だから」
「私達にとっても、テスは宝物よ」
お母さんはすかさずそう言って、にっこり笑った。
「何か他に言うことは?」
「……ごめんなさい。二度としません」
「よろしい」
お母さんはお父さんを抱きしめた。
「ねえ、痛かった?」
お父さんのまだ赤い頬をさすって訪ねる。
「……ビアンカちゃんたちは、きっともっとずっと痛かったでしょ?」
「そうね」
「オジロン様に何とか全員でいけるように交渉するよ。……向こうの方が正論だからなあ、よっぽどの方法考えないとなあ」
そういってお父さんは天井をぼんやり見上げた。
 
 
「ねえお父さん」
ソルが声をあげる。
お父さんがのろのろとコッチを見た。
「ボク、お父さんの役に立ってる?」
「勿論」
「わたしは? わたしは!?」
わたしも慌てて聞いてみる。
「マァルも勿論」
お父さんはにこりと笑った。
「本当はね、皆切り離したくなかった。でも、仕方ないんだろうってあきらめた」
そういって少し悲しそうな顔をして、天井を見上げる。
もしかしたらお父さんは泣いてるのかも知れないなって思った。
お父さんは立ち上がって、お母さんを抱き上げるとわたしたちの方へ来た。
それからお母さんをわたしたちが座っているソファにおろす。
「ボク、幸せになっちゃいけないんだって、どこかであきらめてたんだと思う」
わたしたちはビックリしてお父さんを見た。
「ボクの人生って、幸せだって思うとそのあといつだって不幸なことが起こったから。このままこの幸せでいたらみんなをまた巻き込んで不幸にしちゃうんじゃないかって怖かったのも、事実。だから、逃げようと思った」
「無責任ー」
お母さんが口を尖らせる。
「前も言ったけど、今度こそ、絶対辛いことはもう起こらないわよ。世界はテスに、私達に優しいの」
そういうとお母さんは立ち上がる。
「きっとね、サンチョさんは私達の味方よ。オジロン様だって、口では反対してもきっと心のどこかでは助けに行って欲しいに違いないわ。もっともっと、ちゃんと話をするべき」
お母さんはお父さんの鼻の辺りをちょんと触った。
「お義理母様が、ピンチなのは私もわかってる。焦る気持ちはわかるよ。けどね、焦るのと、急ぐのは違う。皆で説得すればなんとかなるよ」
そういうとお母さんはお父さんの前でくるりと一回転して見せた。
「ビアンカちゃんが言うと何でもそうなりそうな気がする」
お父さんはそういって笑うと、わたしたちの頭を撫でた。
「この最強の人が、きみたちのお母さんだよ」
248■グランバニアから出かけるために(ビアンカ視点)
テスと大喧嘩してから数日。
テスは毎日オジロン様のところへ直談判に行っては負けて帰ってきていて、かなり機嫌が悪い。ピリピリしてるし、ちょっと近寄りがたい。
何度かドリスちゃんを通じて話を聞いてみると、テスとオジロン様の口喧嘩はわりと派手らしい。どっちも譲らないらしい。
本当のところ、譲れないんだろうけど。
テスは勿論、お義母様を助けに行きたいし、私達を置いて行けない。
オジロン様は、大臣として勿論、国王であるテスが出かけるのも、跡継ぎであるソルやマァルが出て行くのは論外だろう。
これまでは私を探し出すっていう特例で、広い心で何とか許してくれていただけで、本当なら出かけることすら出来なかったはず。
私は、まだこの世界にいた。
けど、お義母様は魔界。
どこにあるかわからない、無事に行って無事に帰ってこられるかわからない場所。
そりゃ、出せないわよね。

今ならちょっとだけ、テスの気持ちが分からないでもない。
そりゃ、強行突破くらい、考えるわよねー。

私はため息をついて、目の前にいるテスを見る。
ソファにうつぶせに寝転がっている。
今日もオジロン様に負けたらしい。
不機嫌そうにソファにおいてあるクッションをバシバシ叩いてる。
「テス」
「……んー?」
うつぶせで、クッションに顔を埋めたまま気のない返事を返してきた。
「その……やっぱり、難しそう?」
「難しくても勝たなきゃね。こんなところで足止め食ってるわけにはいかないんだけどなあ……」
呟いて、顔だけこちらにむけた。
ちょっと目が潤んでる。泣きたい気分なのは私も一緒。はやくお義理母様のところへ行かないと、間に合わなくなるかもしれない。
「そうねえ……」
私は頷いて、テスの寝転がっているソファに近寄る。
足元の、少しあいているスペースに座るとテスが起き上がってきた。
「この際、オジロン様の了解取り付けないで出てっちゃおうか」
私の耳元で呟く。
驚いてテスを見ると、テスがにやっと笑った。
「冗談」
「……本気だったくせに」
いうと、テスは音なく笑った。
「まあ、本当の最終手段だよね。……オジロン様にはこれ以上心労掛けちゃいけないんだけどねえ」
「そうね。……どうにかオジロン様には認めてもらって、ちゃんと出かけたいね」
「うん」
私達は手を繋ぐ。
そういえば、こんな風にゆっくり話したのも、
こんな風に隣に座って手を繋いだのも、
凄く久しぶりな気がする。
ここのところ私はずっと子ども達と遊んでいたし、
テスはオジロン様と話し合いという名前の喧嘩をしに行っていた。

「何か久しぶりで、照れるね」

私が声を掛けると、テスは苦笑した。
「そうだね、そういえば久しぶりかも。……せっかくビアンカちゃんを助け出したのに、何やってたのかな、ボクは」
「そうね。ホントね。……でも、テスは自分からこの時間を捨てようとしたんだよ?」
「……悪かったってば」
「一生何かある毎に言うからね」
「……」
テスはげんなりしたような顔をして、それから大きくため息をついた。
 
 
 
あれから数日たった。
私が助け出されたのは、春の初めだった。
既に春は随分進んで、今は国中に花があふれかえっている。
何処からともなく吹いてくる風は、必ず何かの花の匂いを運んできていたし、中庭の花園は花のないところがない。
私は毎日子ども達と城の中を探検したり、遊んだり、一緒にケーキを焼いたりと、なるべく一緒にいるようにしていた。
テスはテスで、仕事をやったり、オジロン様と喧嘩したり、私達の様子を見て笑ったり一緒に遊んだりしてくれた。
何か、ちゃんと結婚する前に考えていた結婚生活が送れている。
時間は掛かったけど、確実に私達は幸せになっているんだと思う。

これで、テスの大切な人が、おかあさまが戻ってきたら、完璧。

木陰に座って、中庭で走り回っている子ども達を見ながら、そんな事を考えてぼんやりしていたら、テスがやってきた。
にこにこ笑っている。
あんなに嬉しそうに笑っているのは久しぶりに見たかもしれない。
テスは私達のところにやってきて、右手の親指を立てて、に、と笑った。
「?」
私は不思議そうな顔をしてるだろうな、と自覚した。
ソルもマァルも、やっぱり不思議そうにテスを見上げている。
「どうしたの?」
「勝ちました」
「え?」
私達はきょとんとテスを見る。
テスはかなり嬉しそうにもう一回「勝ちました!」って言った。
「何に?」
ソルがきょとんとテスを見上げたまま、首を傾げる。
「オジロン様に!」
えへん、と胸を張ってテスは笑った。
「え?」
マァルがやっぱり首を傾げる。
「……もしかして、出かけていいとか?」
私が恐る恐る聞くと、テスは大きく頷いた。
「決め手はサンチョの泣き落とし! サンチョに拍手!」
テスが示した方、中庭への入り口の柱の辺りにサンチョさんが少し困ったような顔をして立っていた。それから、ゆっくり私達のところへ歩いてくる。
「泣き落とし?」
私がサンチョさんに尋ねると、サンチョさんは困ったように頭の後ろの方をかいた。
「でも、マーサ様をお助けいただいて、全員無事に此方へ戻ってきていただく事が約束です」
「守れるよ! そんなの!」
ソルが胸を張る。
「お婆様、きっとグランバニアに戻ってきたいよね。わたし、絶対お婆様を連れてくるわ」
マァルは頬を紅潮させてサンチョさんを見上げる。
「出発は夏にはいけると思うよ。……ちょっと仕事溜まってるんだ」
テスは済まなさそうに言うと肩をすくめる。
「お父さん! すぐね! 早くね!」
「……善処します」
テスは苦笑してソルに頭を下げた。
249■グランバニアから出かけるために 2(ビアンカ視点)
テスはそのまま仕事に戻るって言って、中庭から出て行った。
「じゃあ、私も……」
歩き始めたサンチョさんの腕を掴む。
「ビアンカちゃん?」
困ったような顔をするサンチョさんに私は笑いかける。
「で? 本当のところはどうだったの?」
「な、何のことでしょう?」
「サンチョさんが嘘をつくときのクセを、私は知ってるの」
にこにこにこ。
笑いかけて返事を待つ。
サンチョさんは気の毒なくらい顔を引きつらせて笑った。
「な、何のことでしょう?」
「だから、テスは本当は、どうやってオジロン様に勝ったの? だって、オジロン様のテスを国の外に出したくないっていう意志は相当固かったのよ? それこそ一月くらい喧嘩しても折れなかったくらい。そのオジロン様が、サンチョさんが泣いたからって折れるわけないことくらい、私でもわかるわ」
「えっと、それはですねええ」
サンチョさんは視線を宙に泳がせる。
「テスが口止めした?」
「うーあー」
「一回決めたことを、覆させるのがどのくらい難しいか、わかるわよ」
「……ええ、ま、大変でしたけど……」
「言いたくない?」
「坊っちゃんには確認しないでくださいよ?」
私は首を縦にふった。
「勿論、そんなの確認しないわ」
私は子ども達に目をやる。
「ちょっと、あっちのほうで遊んできて」
「……うん、わかった」
ソルは首を縦に振ってマァルの手を引いて中庭の向こうのほうへ走っていった。
「さ、聞かせて?」

 
「実はですね、出かけても良いということになったのは十日ほど前なんですよ」
「え、じゃあ今まで何してたの?」
「ほとんどは仕事の引継ぎですよ。坊っちゃんが出かけてからでも、今やってる仕事が滞らないように色々分散させて仕事を回してるんです」
「実際二週間くらいは喧嘩してたんだ」
「ええ。私は第三者として膠着状態のお二人の調停役ってところですかね。口喧嘩でしたけどね、結構派手な事なってましたよ。お二人とも口が達者だから。……オジロン様は国王をしていたとき、大臣にいいように使われていたでしょう? それが大臣の暴走に繋がって、坊っちゃんや貴女、そして王子様たちや国のものを不幸にさせてしまったことを随分後悔なさったんです。それで、坊っちゃんがいなかった間随分しっかりとなさったんですよ」
「確かに、今オジロン様がいなきゃこの国は回っていかないわね。しっかりここを守ってくださってるわ」
「まあ、そのおかげでオジロン様は坊っちゃんを出したくなくて喧嘩に発展するわけなんですけどね」
「仕方ないわね……」

私は空を見る。
そもそも、平行線なんだから、どっちかが折れなければいけないわけで、
どっちも折れるわけには行かなくて。

「オジロン様はどうして折れてくれたの?」
「結局は、オジロン様だってマーサ様の事はお好きですから。あの方に会われたらわかります。誰からも愛される、本当に素敵な方なんですよ。……少しビアンカちゃんにも似てますね」
「……お世辞でも嬉しいわ」
私が笑うと、サンチョさんは困ったような顔をした。
「本当は、残る方はみんな怖いんです。パパス様のときも、坊っちゃんのときも……戻ってこなかった。坊っちゃんは戻ってきてくれてますが……今度も戻ってきてくれるとは限らないでしょう? だから、私、その辺のオジロン様の気持ちはわからないでもないですし……かと言って坊っちゃんの気持ちも分かるんですよ。私もパパス様についてマーサ様をお探ししました。旦那様の夢を、叶えてほしいです」
「複雑よね」
「複雑です」
「オジロン様には感謝しないと。サンチョさんにも」
「私はいいんですよ。……ちゃんと戻ってきてくだされば。ビアンカちゃんもソル様もマァル様も、もちろん坊っちゃんもマーサ様も、誰一人かけることなく帰ってきてくださらなければイミがない」
「あたりまえよ、私達は幸せになるために魔界へ行くの」
サンチョさんは私に深くお辞儀をした。
「ビアンカちゃんが、坊っちゃんの奥さんで本当によかった。……坊っちゃんはどこまでも自分を責めて深みにはまって行くタイプでしょう? 本当はビアンカちゃんも強くはないんでしょうけど……それでも明るくどこまででも坊っちゃんを引っ張ってくれている。本当に……ありがとう」
「私は無茶をするタイプだから、テスくらい慎重な人じゃないとダメなのよ」
私はにっこりとサンチョさんに笑いかける。
サンチョさんは困ったように笑う。
「どうして二人とも丁度良いって言葉を知らないんでしょうかねえ」
「本当ねえ」
私は今度は、おなかのソコから笑った。
「二人合わせて丁度良くなるように、神様が引き合わせてくれたのよ、多分」

 
 
その日はとても晴れていて、気持ちのいい風が吹く日だった。
久しぶりに旅装束に身を包んで、私達は城門の前に立つ。
「じゃあ、行ってきます」
「ご無事をお祈りします」
城門にはサンチョさんをはじめ、たくさんの人が見送りにきてくれていた。
「ねえねえ、お父さんどこに行くの?」
ソルは楽しそうにさっきからあちこち走り回っていたけど、急に立ち止まってテスを見上げた。
「ん? とりあえず、全然魔界への行き方はわかってないけど、知ってそうな人がいるところへ行ってみよう」
「え? どこ?」
「エルヘブンだよ。エルヘブンの民は世界の門を守っているって言ってた。何かきっとしっているよ」
答えて、テスは振り返ってグランバニアのお城を見上げる。

「それじゃあ、行ってきます」

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