48■ラインハットで
どうしたらいいのかな?


240■グランバニアで(テス視点)
グランバニアの近くの平原でマスタードラゴンと別れて、ボクらは城門を目指す。どんどん大きくなってくる城を見て、ビアンカちゃんは懐かしそうに目を細めた。
「やっぱり大きいわね。初めて見たときはビックリしたっけ」
「まさか街が入ってるなんて思わなかったからねえ」
「……また外から見られる機会があるなんて思わなかった」
「これから何回も見られるよ」
ボクらはのんびりと歩く。春の風はどこからともなく花のにおいを運んできていて、優しい気分になれた。

城門を開くと、警備に当たっていた兵士達がこちらを見て背筋を伸ばした。
「おかえりなさいませ!」
「うん、ただいま」
ボクは軽く手を上げて笑いかける。
「ただいま」
後ろに居たビアンカちゃんも挨拶を返す。
「……!」
兵士達は口をぽかんと開けて、驚いたのか暫く身動きもとれずビアンカちゃんを見つめていた。その目がどんどん潤んできて、彼らはもう一度背筋を伸ばしなおす。
「おかえりなさいませ! ビアンカ王妃!」
「う、うん、た、ただいま。……ご心配をお掛けしました」
ビアンカちゃんは少し勢いに圧倒されてるみたいだったけど、すぐに持ち直して笑いなおす。
「オジロン様にお知らせしてまいります!」
片方の兵士が頭を下げてから、階段を駆け上がっていく。
城下町の人達で、入り口近くを歩いていた人達はすぐにこちらに集まってきていた。皆ビアンカちゃんの帰りを喜んでくれている。
「なんだか凄い事になっちゃったね」
「……凄い事なんだよ」
ボクが笑うと、ビアンカちゃんは「そっか」と妙に納得したように頷いた。

王座の間に戻る最中に、ドリスちゃんに会った。どうやら走ってきたらしく、肩で息をしている。
「あら、ドリスちゃん」
ビアンカちゃんが声をかけると、ドリスちゃんはビアンカちゃんを抱きしめた。
「ビアンカ様、おかえり!」
「わざわざ来てくれたの?」
ビアンカちゃんは笑いながらドリスちゃんの頭を撫でる。
「勿論。イトコ殿が帰ってきた何倍もいいニュースだ」
「うわ、酷い」
ボクは思わず声をあげたけど、ドリスちゃんは思いっきり無視をした。
「ともかく、無事でよかった」
「ありがとう。また一緒に紅茶を飲もうね」
ビアンカちゃんはドリスちゃんに笑いかける。
「パパが上で待ってる。話長いと思うけど、まあ聞いてやって」
ドリスちゃんはそれだけ言うと手をひらりと振って、部屋の方へ戻っていった。
「ドリスちゃんって、相変わらずね」
「うん」
「そんな事無いよ」
ソルが口を尖らせる。
「そうよー、すっごく嬉しそうだったよ。あんなドリスちゃん、久しぶりよね」
マァルも頷く。
「私の知ってるドリスちゃんはいっつもあんな感じよ?」
ビアンカちゃんが首を傾げると、ソルもマァルも「うそだあ」と呟いて、ボクを見上げた。
「まあ、大体あんな感じだったよ、前は」
ボクが答えると、二人はますます混乱したようだった。
まあ、最近のドリスちゃんはいつも機嫌悪そうだったから仕方ないかも。
「さ、オジロン様に会いに行こうか。……話長いってさ」
「……がんばりましょうねー」

オジロン様は、玉座の間で待ち構えていた。
「おおお、本当にビアンカ様だ!」
オジロン様はぱっと顔を輝かせる。
「ご心配をお掛けしました」
ビアンカちゃんは優雅にお辞儀をする。
「いやいや、本当にめでたい。こんなにめでたいのはテス王が貴女を連れてこの国に戻ったとき以来だ!」
「もっと他にもいっぱいおめでたい事あった気がしますよ?」
ビアンカちゃんは困ったように笑う。
「まあ、細かい事はいい。今日は盛大にパーティーをしよう。城下にも触れを出して、本当に盛大に」
「あの、オジロン様……」
ボクが口を開いても、オジロン様はそのまま続ける。
「まあ待て。色々テス王のほうも言いたい事もあるだろうが、そういうのも後回しだ。……どうせいい話じゃないんだろう、顔でわかる」

……先制された。
ボクは内心舌打ちをする。

「まあ、まずは部屋に戻ってゆっくり体を休めて、夜のパーティーにそなえてくだされ。長い話はその時いたしましょう」

ニコニコ顔のオジロン様に押されて、ボクらは部屋に戻る。
いつも一人で使っていた、がらんとした部屋に、ビアンカちゃんが戻ってきた。
それだけで部屋が華やいだ感じ。
ソルとマァルも部屋に一緒に入ってくる。
「何だかどっと疲れちゃった……」
ビアンカちゃんは大きくため息をついてソファに沈み込んだ。
その両脇にソルとマァルがちょこんと座って、それからビアンカちゃんにしがみつく。二人とも、城に戻ったことで色々胸に溢れるものがあったみたい、少し涙ぐんでるみたいだった。
ボクは向かいのソファに座る。
「まあ、暫くこんな感じが続くと思うよ」
「……続くって……。一刻も早くマーサ様を助けに行かなきゃいけないのに……」
ビアンカちゃんが顔を曇らせる。
「うん、そうなんだけどね……」
ボクは曖昧な返事をする。
「だけど?」
ビアンカちゃんは答えを促した。
「うん……。お母さんは来るなって言ったけど、諦めるつもりはない。けど、こっちから魔界に行く方法も見つかって無いし、ちょっと時間がかかるんじゃないかな。それに、ちょっとやらなきゃいけないことが残ってる」
「何?」
「うん。……まあ、ちょっとね。そっちはボク一人で出来ることだから。……その間、ビアンカちゃんはソルやマァルと一緒に遊んであげてよ」
「お父さん何かするの? ……ぼくらを置いていくの?」
ソルが不安そうな顔でボクを見た。
「……二人とも誘ってもこないと思うなあ」
ボクはソルとマァルの顔を見て答える。マァルが口を尖らせた。
「何で?」
「……二人ともラインハット苦手でしょ?」
「ラインハットが嫌なんじゃなくて、コリンズ君が嫌なのよ」
「コリンズ君?」
ビアンカちゃんが首を傾げる。
「ヘンリー君の子どもだよ。……ヘンリー君そっくりの」
「じゃあ、いい子でしょ?」
キョトンとして、ビアンカちゃんは言う。
ボクらは一斉に首を横に振った。
「え? だって、ヘンリーさんにそっくりなんでしょ? あ、顔?」
「顔も行動もそっくりだよ」
「じゃあ何で首を横に振るのよ」
「意地悪なのよ、すっごく」
ぼそっとマァルは言うと、ビアンカちゃんを見上げた。
「えええ?」
ビアンカちゃんはますます困ったような顔をする。それから、ボクを見た。
「……ビアンカちゃんが知ってるヘンリー君は、落ち着いた後のヘンリー君です」
「ヘンリー様もあんな感じだったの?」
ソルはボクを見た。ボクが頷くと、「……また、今度どうやったら仲良くなれるのか教えて?」と続けた。どうやらソルはコリンズ君と友達になる気がまだあるらしい。

時間がかかるとか、ボク自身がぼんやりしてたとか、極限状態になると人は悟りに至るとか、そういう事を言うわけにも行かず、ボクは曖昧に笑っておいた。
241■グランバニアで 2 (テス視点)
にぎやかに行われたパーティーが終わって、ボクらは部屋へ戻る。
いつもなら自分達の部屋で眠るソルやマァルも、今日ばかりはビアンカちゃんから離れたくないらしい、一緒に寝るのだと言い張ってくっついてきた。
帰って来てすぐと同じように、広いソファの真ん中にビアンカちゃんが座って、その両側にソルとマァルが陣取る。
ボクはその正面に座った。
「……なんだか凄く疲れたわ」
ビアンカちゃんは右手で左の肩を叩きながらため息をつく。
「石から戻ったその日と、次の日は恐ろしく疲れてるよ。すっごく眠いし。……今日は早く寝たほうが良いよ」
「……そうしようかなあ」
ビアンカちゃんはあくびをかみ殺しながら頷いた。
「じゃあ……」
ボクが口を開いたときだった。遠慮がちなノックの音がする。
ボクが返事をすると、ドアを少しだけ開けてその隙間から滑り込むようにクレアさんが部屋へ入ってきた。
「テス様。おそれいりますがオジロン様がお呼びです」
少し困ったような顔をして、クレアさんは遠慮がちに言った。
「すみません……」
ボクは心底嫌そうな顔をしちゃったんだろう、クレアさんは少し身を縮こまらせる。
「テス。気にせずに行ってきてもいいわよ。だってこれからは ずっといっしょにいられるもんね。愛してるよテス」
ビアンカちゃんはボクの目を真っ直ぐ見つめてそういった。
ソルやマァル、それにクレアさんも居る前だったから、少し恥ずかしい。ボクはうまい返事が出来なくて、無言で首を上下にコクコクと振った。

ボクが立ち上がると、クレアさんは先に廊下に出て行った。
「じゃあ、ちょっと行ってくるね」
そういってドアのところへ歩き始めたら、マァルがソファからおりて近寄ってきた。
ボクにしゃがむようにジェスチャーする。
「? なぁに?」
聞きながらしゃがむと、マァルはボクに耳打ちした。
「お母さんがこんなにきれいな人だったなんて……。お父さんもけっこうすみにおけないわね」
「!!!」
ボクは思わずマァルを見る。
マァルは、にっと笑うと、跳ねるようにビアンカちゃんの方へ戻っていった。ビアンカちゃんが不思議そうにこっちを見てる。
ボクは曖昧に笑いかけておいた。
それにしても。

……女の子って、凄いな。

男なんていつまでも子どもなのに、と思わず自分を省みる。
ビアンカちゃんの傍でまた泣き始めたソルの頭をくしゃっと撫でて、ボクは今度こそ部屋の外に出た。

クレアさんの先導で、ボクはオジロン様の待つ玉座の間に向かう。オジロン様はクレアさんを下がらせてから、ボクのほうを見た。
随分真剣な目つき。
「親子水いらずの所をお呼びだてして本当に申しわけないのじゃが……テス王にどうしても聞いておきたいことがあってな」
オジロン様はソコで一度咳払いをした。
「ずばり申そう! 暗黒の魔界にゆかれるおつもりか?」
「はい」
ボクは即答する。
今すぐ行く事は出来ないかもしれない。
方法だって知らない。
けど、近いうちに必ず出発する。
少しだけ、アテはある。
早くしないと、取り返しが付かなくなる。

オジロン様は首を左右に振る。それから顔を赤くしてボクを見た。
「それはなりませぬぞ! 命のリングからのマーサ様の言葉、このワシも人づてに聞き申した。どうかマーサさまを信じて、お考えをあらためますように!」
「お母さんを信じてって……命にかえても魔王をこっちへ来させないってやつ!?」
ボクは信じられない気持ちでオジロン様を見た。
「そうです。マーサ様の話では、魔王は強大で、伝説の勇者でも打ち倒せないとのことでは無いですか。魔界に来てはならないと。……テス王はお母上のいう事を聞かないおつもりですか?」
「そんなの……そんなの、親だったら誰でも言うんじゃない? 大丈夫だからお前は心配しなくていいのよって事でしょ? ボクだって、本当はソルやマァルを戦いに連れて行きたく無いからわかるよ。ボクがもし、捕まっててもやっぱり来なくていいって言う!」
「だったらなおさら、お母上の気持ちを尊重して」
「でもそんな事言っても、本当は助けて欲しいに決まってるでしょ! ボクいくつか知ってる? もうすぐ三十歳だよ? お母さんはもうそれだけ長い間魔界に居るんだよ。どんなところか知らないけど、きっと故郷に……お父さんが愛したこの国に帰って来たいに違いない! だからボクが代わりに迎えに行くんだ!」
「でしたら余計に! この国をどうされるおつもりか! お父上が愛したこの国を!」
「……っ」
「貴方が国王なのですよ!? 魔界とやらがどういうところかワシだって存じませんが、行って戻ってこられる保障はどこにあるんです!? 国王である貴方と、王妃と、お世継ぎの二人が一斉に戻ってこない状況になったら!?」
「……それは……」

多分、オジロン様がいう事のほうが正しい。
ビアンカちゃんを探すまで旅を出来たのだって、本当は奇跡みたいな話なんだ。
皆が優しくしてくれて、ボクは旅をしていられた。
もう猶予の時間なんて、残って無いんだろう。

「それでも……」
ボクはオジロン様を見つめる。
「それでもボクは行きます」
「行くなと言ってる!」
オジロン様は、「大臣」の口調からボクの「叔父」の口調になる。
「叔父様がいう事のほうが正しいのなんて、百も承知です。でもボクは父と約束しました。父の、今際の際の言葉と絶叫は今だって耳にこびりついてて、きっと一生忘れられません。ボクはこの国の宝物を取り戻しに行くんです。父が愛した人を救いに行くんです。ボクの分は取り戻しました。ボクだけが幸せになるなんて許されないでしょう?」
「しかしだな」
「それに……変な話かも知れないですけど、ボク、ソルとマァルが羨ましくて仕方ないんです。お母さんに甘える二人の顔は本当に安心してて嬉しそうで。……もうボクはこんな歳ですけど……やっぱり一回くらいは、母親に思いっきり抱きしめて貰いたいですよ」
オジロン様は複雑な顔をしてボクを見た。
「世継ぎが必要なら、ソルもマァルも置いていきます。……二人じゃかわいそうだから、ビアンカちゃんも置いていきます。ボク一人でも良いんです。だから、旅立たせてください」
ボクは頭を下げる。
「……顔を上げてくれ」
上から、叔父さんの声が降ってきた。
ボクは顔を上げる。
苦りきった顔でオジロン様はボクを見た。
「……少し、考えさせてくれ」
「……わかりました」
242■グランバニアで 3 (テス視点)
オジロン様との話が終わって、ボクは部屋へ戻る。
ソファの上では、三人が寝息を立てていた。ボクはそっと近付いて声をかける。
「ねえ、三人とも。ここで寝たら風邪引くよ、起きて」
声をかけても目を覚まさないから、軽く肩を叩く。
「起きて」
ソルは一度だけ軽く目を開けて、また閉じてしまった。
「……」
ボクは仕方ないからソルを抱き上げてベッドへ運ぶ。ソルをベッドの中へ滑り込ませてから、今度はマァルを運んだ。
もう十歳になる二人は、想像以上に重くなっていた。
知らないうちに、どんどん時間は流れて行ってる。その時間は、どれも貴重なもの。ボクやビアンカちゃんの手からは、随分すり抜けていってしまった。
ボクはため息をつくとビアンカちゃんに手を伸ばす。何とか抱きかかえられない事も無いだろう。
「……寝ちゃってた?」
体に触れると、ビアンカちゃんがそっと目を開けた。
「うん。……ベッドでちゃんと寝たほうが良いよ。風邪を引くから」
「……何かあったの?」
「え?」
ビアンカちゃんはボクの目を覗き込む。
青く澄み切ったガラス色の、吸い込まれそうな目。
「何か……あったの?」
もう一度聞いて、ビアンカちゃんはボクの答えを待った。
「……何にも無いよ。心配要らない」
「……そう?」
ビアンカちゃんはまだちょっと疑ってるみたいだった。
「ねえ、テスは、いつ石から戻ったの?」
「ボクは……二年くらい前。八年かな、だから」
「……そっか」
「ごめんね」
「謝らないでよ」
「うん」
「……ちょっとね、羨ましい」
ビアンカちゃんはそういって微笑む。
「私ね、実はまだちょっと面食らってるの。ソルもマァルもあんなに大きくて……。ちょっとピンとこないっていうか」
「ボクも最初はそうだったよ。でも子どもって凄い。こっちが徐々に慣れていけばって思ってても容赦ない。”お父さん””お母さん”って呼んで、全部あけっぴろげでぶつかってくる。……おかげで助けられた部分もあるけど」
「テスがあの子達と分かち合った時間も羨ましいけど……テス、ちゃんとお父さんの顔してるんだもん。あの子達が羨ましいわ。テスがお父さんになっていく過程をちゃんと知ってるんだもん。私は知らないのに」
ビアンカちゃんはそういって口を尖らせた。
ボクは苦笑する。
「ボクでさえそれなりにお父さんになれたから、ビアンカちゃんはもっとしっかりしたお母さんになれるよ」
「そうかしら?」
「そうだよ」
ボクはビアンカちゃんの頭をそっと撫でて、それから二人で子ども達の眠るベッドにもぐりこんだ。
暫くすると、三人の寝息が交じり合うようにして聞こえてきた。
そのどれもが安心しきった優しい音色。
ボクは少しだけ目を開けて、三人を見つめる。
ボクとビアンカちゃんの間で眠るソルとマァル。
一番向こうで、少し丸まるようにして眠るビアンカちゃん。
ボクの、宝物。
ボクの、光。

ボクは、本当にこの宝物を置いて旅に出ることが出来るんだろうか。

いや、

だからこそ、置いていくべきなのかもしれない。

もうこの光溢れる世界に、戻ってこられないのかも知れないから。

ボクはそっと目を閉じる。
昔は眠るのが恐かったっけ。
体は休みたくて眠りたいのに、眠ってしまったら周りがどうなるかわからなかったから。
この閉じた目が、二度と開かなくなるかもしれなくて。
眠る事は、死ぬ事によく似てる。

いつから、眠るのが平気になったんだろう。

 
目がさめたとき、部屋には光が溢れていた。随分遅くまで眠ってしまったらしい。
それでもベッドの中で、ビアンカちゃんもソルもマァルも眠っていた。三人の金色の髪が、同じ色の光を集めて輝いている。
嘘みたいに綺麗な光景。
胸の奥が、柔らかく暖かい。

決めた。

ボクは決心して起き上がる。それから三人を順番に起こした。
眠い目をこすりながら、ソルとマァルがぼんやりとボクを見る。
「おはようお父さん」
「おはよう」
まだ眠ったような声でマァルは挨拶した。それに返事をしてから、ビアンカちゃんの体をゆする。
「起きて、ビアンカちゃん、朝だよ」
「……お父さんって」
ソルがぼんやりしたままの声で言った。
「本当にお母さんのこと、ビアンカちゃんって、名前で呼ぶんだね」
「は?」
思わずソルを見ると、ソルは続けた。
「ちっさい時、お父さんやお母さんがどんな人なのか、皆に聞いて回ったとき、スラリンが言ってた」
「何て?」
「テスはビアンカのことを、ビアンカちゃんって呼んでた」
ソルはスラリンの口調を真似して言う。
「……問題ある?」
「別に。ただ、珍しいんでしょ?」
首を傾げてソルはボクを見た。
「珍しいのかな? ボクはずっとそうやって呼んできたから、よくわからないや」
答えて、またビアンカちゃんの体をゆすった。
「朝だよ」
考えてみたら、ボクはいつもビアンカちゃんに起こされていたから、起こすのは初めてかもしれない。
「……もう朝?」
「もう朝だよ」
起き上がりながら、少しくしゃりとした長い髪を手で押さえて、ビアンカちゃんはボクを見た。
「おはよう……何か寝た気がしないわ」
「おはよう。……まあ、暫くは疲れが溜まっててそうなるよ。ボクもそうだった」
「そっか」
ビアンカちゃんは大きくあくびをして、それから伸びをした。
「今日はどんな予定?」
寝ぼけたような少し眠そうな目で、ビアンカちゃんはボクを見る。
「うん、ボクはちょっと出かけてくる」
「えー? 私も一緒に行きたい」
「ビアンカちゃんは、ソルとマァルと一緒にここに居てあげてよ。遊んだり話したりしてさ」
「え? ぼくらも置いていかれるの!?」
「……ラインハットだよ?」
「お留守番してます」
マァルがしかめっ面で即答したから、ボクは苦笑した。
コリンズ君はよっぽど努力しない限り、認められることはない。こんなに望み薄なんて、ちょっと気の毒にも感じる。
「マァルが残るならぼくも残るよ」
ソルはあくびをしながら答えた。
「えー? 私行きたい。ヘンリーさんや、マリアさんにもご挨拶したいし、その噂のコリンズ君も見てみたいわ」
「またいつでも会えるよ。今はソルやマァルと居てあげてよ。そのほうが重要だよ」
「……うん、それもそうかなあ」
ビアンカちゃんは頷いた。
「じゃあ、そういうことで。ボク朝ごはん食べたら出かけてくるね」
「うん、わかった」
ボクを見てビアンカちゃんは笑う。
ボクは笑い返す。
「何か、わたしたち、邪魔?」
マァルが小さい声でボソッと言った。ソルのほうはキョトンとしている。
「そんな事無いよ」
ボクはマァルの頭を軽く撫でて、苦笑する。

……やっぱり、女の子って凄い。
243■グランバニアで 4 (テス視点)
中庭で子ども達とビアンカちゃんが遊んでいるのが見える。どうやら鬼ごっこをしているらしく、走り回りながらきゃあきゃあ言う声がここまで響いてくる。
ボクは窓からその様子を見ながら、一緒に隣でその様子を見ているオジロン様に声をかける。
「とまあ、そういうわけなので、ラインハットに出向いてきます。明日には帰ります」
「必ず帰ってくるのだぞ?」
「勿論ですよ。昨日はあんな事言いましたけど、やっぱり……ビアンカちゃんも、ソルもマァルも、もう手放したくないです。……ボクはボクが思っていた以上に、欲張りだったみたいです」
ボクは笑う。
オジロン様は少し目を細めて、中庭で遊ぶ子ども達を見た。
「あんなに笑って……。よほど嬉しいのでしょうな。あんなふうに歳相応の王子達を見たのは初めてです」
そういって、ボクの方を見た。
「あの子たちの笑顔には、陛下の存在も必要なのですよ。それをお忘れなく」
「勿論」
ボクはオジロン様に笑いかける。
「では、用意が出来次第行ってきます」
 

オジロン様が部屋から出て行ったのを確認して、ボクは窓を開ける。体を半分くらい乗り出すようにして、下の中庭で遊んでいるビアンカちゃん達に声をかけた。
「ねえ」
声に気づいたのか、ビアンカちゃんが足を止めてこっちを見上げた。
走っていたソルが思いっきりビアンカちゃんにぶつかったらしい、痛そうな声をあげて鼻をさすっている。
「なぁにー?」
ここまで聞こえるようにだろう、ビアンカちゃんは少し声を張り上げる。
「オジロン様の了解を取ったから、ちょっとラインハットまで出かけてくるねー」
ボクも少し声を張り上げた。そのせいで語尾が延びてちょっと間抜けな音になる。
「もう行っちゃうの!?」
ビアンカちゃんが慌てた声を出す。
「うんー。ちょっと急ぐ用事だからー。ソルとマァルをよろしくねー」
「……やっぱり私も行きたいー」
ビアンカちゃんが口を尖らせるのが見えた。
「今度行くときは連れて行くよー。明日には帰るからー」
「約束よー!?」
「うん、約束ー。じゃあねー。バイバイ」
ボクはひらりと手を振って、窓から顔を引っ込めた。
それから大きく息を吸う。
軽く声を張り上げたせいか、ちょっと喉が痛い。いつも用意してもらってある水を飲んでから、ボクは一度伸びをした。

それから、荷物を点検する。
最近はラインハットに重い話ばかりをしに行っている。そろそろヘンリー君にとってボクは疫病神になってきてるんじゃなかろうか、と思うと少々気が重い。

ボクは白い布に包みなおしたヨシュアさんの骨を見る。
軽い。
人は最期にはこんなに軽くなってしまう。
お父さんはこの軽ささえ残すことが出来なかった。
ボクは暫く目をつぶる。
頭の中で何度も繰り返した、その記憶。
忘れてしまわないように。埋もれさせてしまわないように。
染み付いた悲しみを、いつも鮮明にしておくために。
ボクは大きくため息をついてそれから部屋を後にした。

「ねー、誰かヘンリー君に会いたくないー?」
ボクは魔物の皆が使っている一角へ行って声をかける。
「え? 何? ラインハット行くの?」
スラリンが跳ねてきた。
「うん、ピエールに聞いたかもしれないけど、ヨシュアさんをマリアさんのところへ連れて行かなきゃ。帰りを待ってると思うんだ。……早いほうが良いでしょ?」
「そうだなー、そういうのは早いほうがいいなー」
スラリンがうんうんと頷く。ホイミンがその後ろでまねをした。
「オイラ、行く」
「ホイミンもー」
「じゃあ、一緒に行こう」
ボクは二人の体をそっと撫でた。
「私も行きます。私も見たことをマリア殿にお伝えしたいと思います」
「じゃ、ピエールも一緒に行こう。あ、ゲレゲレも一緒に行かない?」
ゲレゲレは迷惑そうに鼻を鳴らしたけど、それでものっそりと立ち上がってこちらにやってきた。
「そう、行ってくれるんだね」
ボクがその鼻を撫でると、ゲレゲレはやっぱり不満そうに大きく息を吐いた。
「後……マーリン爺ちゃんも行く?」
「ワシ?」
声をかけられる予定じゃなかったんだろう。ビックリしたようにマーリン爺ちゃんはこっちを見た。
「そう。たまにはお出かけしない?」
「まあ、悪くは無い」
「じゃあ決まりだ。行き先はラインハット。ルーラで行くから一瞬だけどね。明日には向こうを発つ予定」
ボクが言うと、皆が頷いた。
「じゃ、行こうか」
ボクは皆を引き連れて城門を目指す。

 
城門まで行くと、ビアンカちゃんがソルとマァルと手をつないで立っていた。
「あれ? どうしたの?」
「見送りよ。今回はマァルが行きたくないっていうから仕方ないけど……。けど、本当に今度は連れてってね?」
「約束します」
ボクが言うと、ビアンカちゃんは後ろに居た皆に目を向ける。
「……皆は連れて行くの?」
彼女は不満そうな目を一瞬ボクに向けた。
「うん。皆ヘンリー君とは仲良しだし……ピエールはヨシュアさんを見つけたときそばに居てくれたから、様子を伝えたいって」
「そっか……。早く帰ってきてね」
「うん。なるべくそうする」
ボクが答えると、ビアンカちゃんは笑った。
ボクらは見送られながら、城門を出る。
「そういえば、私、前もこうやってテスを見送ったね」
「そうだね。そういえばその時と同じメンバーだ」
そんな話をしていたら、ソルとマァルは不思議そうな顔をした。「ソレっていつ?」
「ソルたちが生まれる前」
「今度そのお話聞かせてね!」
「そのうち、機会があったらね」
ボクは苦笑いする。あの頃はまだ、王子でもなんでもなかった、何て言ったらこの子達はどんな顔をするだろう。
城門をくぐったら空はぼんやりとした青い色をしていて、春独特の少しぼんやりとした暖かさの風が吹き抜けていった。
「行ってらっしゃい」
「行ってきます」
ビアンカちゃんに手を振って、ボクは小さな声でルーラを唱える。
軽い浮遊感。
ソレと共に、すぐにグランバニアが見えなくなった。
そしてすぐにラインハットの町外れに立っていた。
やっぱり、便利だけど情緒がないな、この呪文。
244■ラインハットで (テス視点)
通された部屋で暫く待っていると、ヘンリー君がマリアさんを伴ってやってきた。
二人ともボクが一人で来たのはもう聞いているらしい、どこか覚悟を決めたような顔をしていた。
二人はボクの向かい側のソファに腰掛ける。
握り合った手を、ヘンリー君の膝の上に置いている。
「思ってたより早かった」
ヘンリー君はそういうと、近くに居た女官に飲み物を持ってくるように頼んだ。
「そう?」
ボクはヘンリー君から視線をそらす。
何だか真っ直ぐ見られなかった。
「ごめん」
視線をはずしたまま、ボクは呟くように言う。
「駄目だった」
「……誰も、救えなかったか。オレ達の決断は遅すぎたわけだ」
ヘンリー君はため息をつく。
ボクは少しだけ顔を上げて、ヘンリー君のほうを見た。
「ううん、ドレイにされていた人で、その場に居た人は全員、助けた」
ヘンリー君は片方の眉だけ上げて、いぶかしげにボクを見る。
「じゃあ、何が遅かった?」
「わかってるくせに。意地が悪い」
ボクは口をゆがめる。
暫く静かだった。
ボクは大きくため息をついてから、窓の外を見る。この前来たときは、まだ雪が残っていた景色はすっかり変わって緑が溢れかえっていた。
「ヨシュアさん……駄目だった。遅すぎた」
ボクは二人に向き直って、ゆっくりと包みを差し出す。
テーブルの上に置くときに、カシャリと嘘みたいに軽い音がした。
「全部は持ってこられなかった。ごめん」
ボクが頭を下げると、マリアさんは力なく首を左右に振った。
「コレだけでも十分です。……一生もう兄には逢えないと思っていました。……ありがとうございます、テスさん」
マリアさんはそっと包みを手に取ると、その中を確かめた。
小さな骨がいくつか入っているだけの、寂しい冷たい包み。
「ああ、兄さん……」
マリアさんは包みを抱きしめて目を閉じる。
その目から、綺麗なしずくが流れ落ちていった。春の光が窓の外から差し込んできて、マリアさんの髪はキラキラと光を反射させる。
あまりに神々しくて、ボクは目をそらした。
こういうのは、多分ヘンリー君しか見ちゃいけない。
「ヨシュアさんが倒れてたところに、書いてあったんだけど……」
ボクは目をそらして、自分の膝を見ながらぼそぼそと呟く。
「ええと、『マリア……兄さんはもうだめだ……せめて……せめておまえだけはしあわせになってくれ……』だったと思う」

マリアさんが泣く息遣いが聞こえた。
ボクは顔を上げられなくて、ずっと固まったまま下を向いていた。
このまま、小さくなって消えてなくなってしまいたい。
顔を上げたとき、二人がどんな顔をしているのか想像できなかった。
顔を上げたとき、冷たい目で見られてたら、多分ボクはそれに耐える事は出来ないだろう。
マリアさんが、泣く声。
ヘンリー君が、何か小さな声でマリアさんを慰めているのだけが聞こえる。
でも、ボクの耳はその言葉の内容までは捉えることが出来なかった。

どのくらい時間がたったんだろう。
凄く長い気がする。
けど、もしかしたらそんなに長くなかったのかもしれない。
マリアさんが部屋を出て行く音がした。
「顔上げろよ」
ヘンリー君の声。
「いや」
ボクはうつむいたまま答える。
「向けって」
言葉と共に、ヘンリー君の手がボクの頭をつかむ。そのまま無理やり顔を上げさせられた。
「お前なあ、一人で沈むなよ」
呆れた顔でヘンリー君は言うと、くしゃくしゃになったボクの前髪を手で梳いて戻してくれた。
「別にお前が殺したわけじゃないんだ。何でお前がそんなビクつく必要があるんだよ」
「生きて連れて帰るって……」
「お前は生きてて、ちゃんとヨシュアさんを連れてきてくれた。十分だ」
「けど」
「『けど』? お前なあ、どうすることも出来ないことで悩むなよ。オレなんかどうすりゃいいんだよ」
ヘンリー君はボクの目をじっと見た。
「あのな、オレは、どんなに責められても罵倒されても、前を向いて生きていくつもりだ。オレにはお前やお前の故郷の人たちに対して、百回死んだって足りないくらいの借りがある。だからその罪を全部背負って生き抜いていくつもりだ。死んで逃げるわけにはいかないからな。そんな軽く楽になって許されるもんじゃない。お前みたいに心も体もすり減らすような謝罪のしかたもオレには許されなかった。オレは生き抜くからな。だからお前も生き抜け」
ボクは暫く息も出来ないでヘンリー君を見つめた。
「もっと図々しくなれ。ヨシュアさんのことは連れてきてくれて本当にオレたちは感謝してるんだ。生死もわからないままなんて、そのほうが辛い。……これでちゃんと送って安らかに眠って貰える」
ヘンリー君は優しい顔で笑う。
「お前が思うほど、お前は悪くない」
「そうかな?」
「とりあえず自惚れとけ」
ボクはその言葉に少し呆れてしまって、苦笑する。なんか、いろんな意味で気が抜けた。

「あのね、いい報告も実はあるんだ」
ボクはヘンリー君を見る。
「へえ?」
ヘンリー君はソファに深く座りなおすと、いつもの余裕綽々の顔をする。
ボクもソファに座りなおす。
「あのね、ビアンカちゃんを助けてきた」
「は!? それ本当か!? バカだなお前、そういうのから先に言えよ!」
「そうかな?」
「そうだ。何だよそんなおめでたい話なんで黙ってるんだよ! あー、もう、バカだお前!」
「そんなにバカバカ言わなくても……」
「で? 何で連れてきてくれなかったわけ? ビアンカさんが麗しの王妃様になってからオレはお会いして無いぞ?」
本気で会いたそうな顔をして、ヘンリー君はソファをバンバンと叩いた。
何となく連れてこなくて良かったと思った。
「子ども達と一緒に居る時間が長いほうが良いかなあって思って。……マァルが来たがらなかったから」
「うわー、コリンズ気の毒ー。お前ちょっとは気を利かせて無理やりにでも連れて来いよ」
「そんなのマァルが気の毒だよ」
「ま、そりゃそうだ」
ヘンリー君はにやりと笑う。
「今にビックリするくらい男前になってやるから、覚えとけよ」
「ソレはヘンリー君が言う言葉かなあ?」
ボクは本気で悔しそうなヘンリー君にボソリと言い返した。
ヘンリー君は軽く肩をすくめて笑って見せた。
245■ラインハットで 2 (ヘンリー視点)
オレは一頻り笑った後、テスを見て「おめでとう」と小さな声で言った。
テスは少し恥ずかしそうに笑い返す。
「あとね」
なるべくオレのほうを見ないようにして、テスはぼそぼそと付け加える。
「お母さんの居場所もわかった」
オレは思わず目を見開いた。テスはさっきから次々と驚くような事ばかり言う。
「何お前、幸せつかみ取り状態?」
「何か落とし穴ありそうだよね」
テスは苦笑する。
「こんなの、初めてだからどうしていいかわからないよ」
「まあなあ」
オレは同情したようなまなざしをテスに向ける。
「お前目を見張るほどの不幸っぷりの連続だったもんなあ」
「……なんか、他人に言われると頭にくるね」
テスが引きつった声で言ってもオレは表情を変えなかった。

実際、コイツはオレに会ってから、休む間も無いくらい苦労ばっかりしてる。
ガキの頃からずっと旅をしてたらしいし、人生で重要な成長の時間を全部取り上げられたし、結婚して幸せになるかと思ったらそれも一年足らずでぶち壊されて、それから子どもがでかくなるのも見られないで今に至る。
オレは外側からしか知らないけど、コイツは心休まる日っていうのはあったんだろうか?
コイツの不幸の、その一つを確実にもたらしてしまったオレが言うのもおかしな話だが。

「ま、そんなに怒るなよ。……家族が揃うまで、後は母上だけか。……で? どこにいるんだって?」
オレは軽い気持ちで聞いたんだが、テスは少し苦い顔をした。
「……あんまり良いところじゃないね」
「だから、どこだよ」
「……聞くと後悔するよ?」
「だから、どこなんだよ……お前どこ行く気だよ」
「ええと、お父さんの残してくれてた手紙あったでしょ」
テスは困った顔をしたまま、オレから視線をはずす。
「手紙?」
確か、まだテスと一緒に旅をしてたとき、サンタローズの洞窟の奥底にあったパパスさんの隠れ家で見つけたやつだ。
天空の剣と共に置かれていて、勇者を探すきっかけになった手紙。
……確か……。
オレは目を見開いてテスを見る。
「魔界とか言ってなかったか? 勇者だけが救い出せるとかなんとか」
テスは、ちゃんと見てないとわからないくらいかすかに頷いた。
「お父さんの推測は、当たってた」
「行くのか?」
「いつかね。まだビアンカちゃんの体調が本調子じゃないし、旅を始めたら子どもたちも思う存分ビアンカちゃんに甘えられない。……そもそもまだ魔界への行き方もわからないしね、急ぎたいのはやまやまだけど、そんなに簡単には行けないと思う」
テスは淡々と答えた。
オレを見ないまま。
「……止めても無駄だよなあ」
「無駄だね」
「……じゃあ、止めないで快く見送るのがオレの仕事か」
オレがため息混じりに言うと、テスは少しだけ笑った。
「仕事ってほど大した事じゃないでしょ」
「仕事よりキツイ。……本音を言うと、思いっきり止めたい。本当は、もっとずっと前に止めるべきだったのかもな。ここが平和になったときに、旅立たすんじゃなかった。……お前が背負ってるモンが重いのはわかってたから、親父さんの存在がデカイのがわかってたから、出したけどさ」
テスはオレを見た。
寂しそうな顔にも見えたし、呆れているようにも見えた。

「……今世界は終末思想が溢れてて、実際の話結構治安とか悪くなってて、守るほうとしては大変なんだけどさ、……神は復活するし、その象徴の天空城が空に浮かんでるしってので、割と落ち着いたんだぜ。誰もどうして復活したかとか知らないけどな。……お前が全部やったってわかってるから、オレは信じて行かせるしかないよな」
「特別な事をしたわけじゃないんだけどね」
テスは苦笑する。
「目の前の事を必死でやってたら、なんかこんな状況になった、ってだけで」

オレは少し笑う。

コイツはただ、家族を取り戻すために旅をしていただけだ。
その旅が、たまたま世界を救ってる。
テスに言わせれば、多分、世界のほうが偶然良くなってるだけ。
世界を救うぞ、なんて構えたところは絶対に無いだろう。

けど。

コイツの子どもが運命を背負って生まれたのは本当で、
コイツの旅が世界に影響してるのも、多分見方を変えれば間違いなくて。

もし、神様が狙ってコイツの運命と世界の命運を絡ませたんだとしたら、多分神様は相当意地が悪い。
オレは会った事ないけど、多分間違いないだろう。

「魔界かぁ」
オレは呟く。
「それって無事に帰ってこられるのか?」
「それ以前に無事にたどり着けるかってほうが問題だよね」
テスは頬杖をついた格好でぼそりという。
「……とりあえず遠そうだよな」
「そういう感想が出るヘンリー君は偉大だと思う」
テスはそういって、今日一番の大笑いをして見せた。

「そうだそうだ、忘れてた」
オレはそういうと立ち上がる。
「この前言われてた、岩山の向こう。調べ終わった。ま、ビアンカさんが見つかった今となっては必要ないかもしれないけどな」
執務机の引き出しから、古めかしい地図と本を引っ張り出してオレはテスの前に並べる。
「結論から言うと、洞窟が一個。ほとんど記述は無いけど、古い資料に載ってた。かなり古い資料に大昔からあるって書いてあるから、起源は相当古そうだ。伝承では、真の王者にふさわしい物が封印されてるとかなんとか」
「……縁の無い話だね」
「そうか? お前は伝説の勇者様が頭の上がらない存在だぜ?」
「……」
テスは何か言いたげな恨みがましい目でオレを見たが、オレは気づかない振りをした。
「ヘンリー君はたとえ世界が滅びても口先だけで生きていけるよね」
「お前だって似たようなもんだ」
オレは軽くテスの頭を小突く。
「ま、機会があったら行ってみるよ」
テスはため息交じりの声で言うと、肩をすくめて見せた。
「今日は泊まっていくんだろ?」
尋ねると、テスは頷いた。
「スラリンとか、ピエールとか、ヘンリー君たちに会いたいって言ってた。連れてきてるから、後で会いにいってあげてよ。……ピエールはマリアさんに、ヨシュアさんを見つけたときの話をしたいって言っていたから、マリアさんが平気そうだったら連れて行ってあげて」
「お前は聞きにこないのか?」
「邪魔にならないなら、行くよ」
「邪魔なわけないだろう」
「じゃ、一緒に行くことにするけど……とりあえず、お腹すいたよね」
「……お前絶対世界が終わっても生きていける」
オレは今度こそ本気で呆れて、テスの頭を小突いた。

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