47■愛しい人々に
お母さん! ビアンカちゃん……! 


235■大神殿 6 (テス視点)
隠し階段をおりた後、暫く見覚えのある構造の部屋が続いていた。
向かい合わせになった広くて長い下り階段。
土がむき出しになった、広い空間。水が流れているのは、多分あの水牢の名残だろう。
ボクは一番前を歩きながら胃の辺りをさする。
気分が物凄く悪い。
この広い空間を作るために、毎日大きな岩を動かした。邪魔な岩を砕き、おろす作業で下敷きになって人がいっぱい死んだのは、この辺りじゃなかったっけ。
足元を見ても、もう血の色なんて残ってないけど、今でも生々しく目の奥に焼きついている。

辺りはとても静かで、次の部屋に行くための入り口のあたりには篝火が焚かれていてとても神秘的に造られている。
この空間の、この静けさは嘘だと思った。

怒声と悲鳴と、作業の音。
土ぼこりのニオイ。血のニオイ。
あれがここの本当の姿なのに。

全部覆い隠して、嘘で固めて、ここは存在している。

「お父さん大丈夫?」
ソルがボクを見上げる。
「……うん、大丈夫」
無理やりでも笑う。
不安はどんどん伝播する。だからどれだけ辛くても、ボクはソレを表に出しちゃいけない。
それじゃなくても、子どもは敏感だ。
「大丈夫」
もう一度言って、ボクは深呼吸する。
ここで負けてるわけには行かないんだ。

 
ここから先は本当に知らない場所だ。ここに居て神殿を作らされていた時だって、どのくらいの規模のものを造るのかは教えられなかった。ただ、命令通りに動いていただけだったから、最終形がどうなるかなんて、全然知らないで動いていた。
ただ、多分複雑怪奇な建物になっているだろう。
そして、その一番奥に、憎むべき相手が居る。
深呼吸してから篝火の横をすり抜けて、次の空間に入る。

眩しかった。
「うわぁ……」
後ろでソルとマァルが驚きの声を上げている。
無理もない。
神殿の奥は、とても綺麗だった。
白い床、白い壁、白い柱。
そのどれもが、ピカピカに磨き上げられている。柱には金で装飾がされていて、それも妙に品がいい。
眩暈がした。
嘘の積み重ね。
血も、悲鳴も、命も。全部塗り固めて綺麗に磨き上げられている。何も無かったかのように。
「主殿」
ピエールの声に、ボクは少し下を見る。
「少し休みますか? 顔色がとても悪いです」
「……長く居たら居るほど、多分悪くなるから、行こう」
ボクは胃を押さえてうめくように言う。さっきから吐き気が止まらない。そんなボクを見て、ピエールは何か言いたそうだったけど、すぐに頷いた。
「では、急いでまいりましょう」

目の前には幅の広い登り階段があって、その両脇には禍々しい翼を持った醜い像が置かれていた。
「気味が悪いね」
マァルはその像を見て首をすくめる。
「ホントだね」
ボクは頷くと、目の前の階段を上がる。随分広い空間で、どうやらこの場所は二層構造になっているみたいだった。奥のほうが良く見えない。
正面には、ボクの腰辺りまでの低い壁があって、奥の通路とこちら側を分けていた。入り口にみなされているのは二本の柱で、その柱の間を通って向こう側の通路に出てみることにする。
右も左も、随分長く続いているようで、先がどうなっているのかわからなかった。
「どっちがいい?」
ボクが聞くと、ソルが「じゃあ、右」と答える。その言葉に従って右に進んでみたら、突き当りで左に曲がったところで通路は行き止まりになっていた。
仕方が無いから元の場所まで戻って、今度は左の通路を進む。こちらもやはり突き当たりで右に曲がって、少し進んだところで行き止まりになっていた。
「……どこか見落とした?」
ボクが尋ねると、皆が首を傾げる。
「どうやら奥へ進めば正解ってわけでもないみたいだね」
ボクらは仕方なく元来た道を戻る。
低い壁のあった場所に戻って、階段に腰掛ける。
「えーと、ここの階段から向こうの通路は全部行き止まり」
ボクは言いながらメモを書き始める。
「あ、ねえお父さん、あっち側もいけそうだよ」
マァルの声に顔を上げると、彼女は低い壁のこちら側、階段を上ってすぐを右に曲がった通路の先に立っていた。
「すぐ行き止まりみたいだけど、階段が付いてる」
「ホント?」
ボクは言われたとおりメモに書き加えてから立ち上がる。
行ってみると、確かにすぐ行き止まりになっているけど、その端っこに隠れるようにして下りの階段が付いていた。
「きっとあれだね」
ボクが言うと、マァルが頷く。
「最初の隠し階段とか、ここでのわかりにくい階段とか……きっとここの教祖は恐がりなのね」
「臆病者だよね!」
ソルも頷く。
「さらに言うと卑怯者です」
ピエールが付け加えると、ソルもマァルも深く頷いた。
「さあ、行こうか」
ボクは階段を下りる。

 
階段の先には小さなL字型の部屋に続いていて、すぐに次の部屋に続いていた。
次の部屋はすぐ隣の小部屋に続く入り口が右側にあって、左側には登りの階段が造られていた。
どうやらここも二層構造になった広い空間を無理やり仕切っているみたいだ。
階段をのぼると、暫く一本道の通路が続いていた。通路を隔てているのは、やっぱり腰辺りまでの低い壁になっている。
行き止まりまで歩いて、突き当りを右側に曲がると、通路は唐突に終わって、下の層へ続くはしごだけが作りつけられていた。
ソレを使って下の層に降りると、また狭い部屋になっている。
「狭かったり広かったり登ったり降りたり大変だよね」
ソルがげんなりしたような顔で言う。
「ホント。凄くややこしいよね」
ボクは同意してから、ここまでの地図を簡単にメモ書きする。
はしごのすぐ左側に、隣に続く入り口があった。覗き込んでみると、向こうの部屋もすぐまた次の部屋に続くらしく、入り口が見える。
「どうやら、奥へ進めそうだね。このまま行こう」
ボクはメモをしまうと、皆の顔を見る。
別に疲れた様子はないし、まだ大丈夫そうだ。
今、一番大丈夫じゃないのは多分ボク自身だろう。
「お父さんは大丈夫?」
マァルの言葉にボクは頷く。
「大丈夫。心配要らないよ」
マァルに向かって頷くと、ボクは隣の部屋への入り口をくぐった。

この一歩一歩が、ビアンカちゃんの無事に繋がっている。
この道のりが、憎いここの教祖を倒す事に繋がっている。

そう、ボクは前に向かって進んでいる。
過去を忘れる事は出来ないけど、もう、恐がってばかりの時間は終わるんだ。

きっともうすぐ、この手で全部を取り戻せる。
236■大神殿 7 (テス視点)
神殿の中は複雑だったけど、基本的に構造としては、二層構造になってることがわかった。
入り組んでいるように見えるけど、実はそんなに複雑じゃない。
沢山小部屋があるわけでもなく、基本的には上り下りが大変なだけで、一本道だ。二層構造で道の上を通ったり下を通ったりするからわかりにくいだけで、たいしたことは無い。

時折襲い掛かってくる魔物や、人間に化けた見張りの魔物が居て、厄介な魔物が多くてちょっと面倒だった。けど、あまり沢山の数を置いていないらしく、そんなに襲われる事は無かった。

小部屋を何度か通り抜け、はしごを上った所にあった入り口を通ると、最初の広い空間に出た。ただ、向こう側からは行き止まりになっていた廊下の向こう側に当たる部分にたどり着いたらしかった。
「あれ、あっちの柱、見たことあるよね?」
ソルが遠くに見える入り口代わりだった二本の柱を指差す。
「うん。多分、一番最初に入った所の、奥のほうに着いたんだ。随分遠回りだったけど」
「そっか」
ボクは見える範囲の部屋の構造を、メモに書き足す。
「この階段を下りて、向こうのほうに見える入り口のほうへ移動かな?」
「面倒だねー」
「本当にね」
ソルの言葉に頷いて、ボクは大きくため息をつく。
「ねえお父さん。わたし強くなったかな? お父さんの役に立てるかな?」
マァルがボクを見上げてぽつりと言った。
「勿論だよ。マァルも、ソルも、ピエールも、他の皆も、全員居なきゃボクはここまで来なかった。皆のおかげだよ」
ボクはマァルの頭をくしゃりと撫でる。
「ボクは弱いからさ。皆が居てくれて……本当に助けて貰ってる」
マァルはにこっと笑うと、ボクの手を握った。
「前に進んでるよね?」
「進んでるよ。ビアンカちゃんまで、あとちょっと」

 
階段を下りて、真っ直ぐ見えていた次の入り口を目指す。
はしごを上ったところで、左手側にその入り口はあった。
「基本的に一本道なんですね」
ピエールの言葉にボクは頷く。
「うん。長距離歩くようになってるけど、基本は一本道」
その答えが正しかったかのように、入り口の先に広がっていた通路も、ほぼ一本道だった。いくつかに道は分かれているけど、全部ここから行き止まりかどうかがわかる。ここの空間も二層構造になっていて、どうやら次に進むためにははしごを下りる必要があるみたいだった。
 
最初の角で左に曲がって、見えていたはしごを下りる。
正面の壁には次の部屋への入り口。
右手の奥側にももう一個別の部屋に続いていそうな入り口があった。
上から見たときの形から言って、右奥の入り口はこの小部屋の隣に続いているんだろう。
「先に正面から確かめよう」
ボクは言うと先頭を歩く。
 
狭い、L字型の部屋だった。すぐに行き止まりなのがわかる。
部屋のちょうど角に当たる部分の床にあるものに、ボクの目は釘付けにされた。
服は、ここの見張りの兵士が着ているもの。
そして、ソレを着ていたであろうのは、確実に人間。

もう、真っ白な骨だけを残すだけで、ソレが誰かの死体だということを認識するまでに、随分時間がかかった。

骨の形は、魔物とは違う。
人間に化けていた見張りじゃなくて、本当に人間だった見張り。
ボクは背中に冷たいものが流れていくのを感じながら、ゆっくりとその場所へ近付く。
うつぶせに倒れたんだろう。骨の右側、少し頭寄りの床に、苦しげな文字が刻まれていた。

”マリア… 兄さんはもうだめだ…

せめて…せめておまえだけはしあわせになってくれ…。”

ボクは口を押さえてしゃがみこむ。
目を閉じて、何度か深呼吸して、もう一度その文字を確かめる。
マリア。
兄さん。
視界が歪む。
「かわいそう……。よっぽど誰かに伝えたかったんだろうね……」
ソルが白骨を見てつぶやく。マァルは泣いているらしく、しゃくりあげる声が聞こえた。
「神さま……。この人の迷える魂にどうか聖なる祝福を」
泣きながらも、マァルは手を組んで天に祈る。
ボクはもう一回深呼吸した。

「ヨシュアさん……」
ボクは彼の隣に跪いて、もう骨になってしまったヨシュアさんに声をかける。
「……マリアさんは、幸せになりました。……ヘンリー君と結婚して……子どもも居るんですよ」
ソルもマァルも、ピエールもボクを見た。
「……マリアさんの、お兄さんだよ。……ボクは……間に合わなかったんだ」
「マリア殿の……」
ピエールはうめくように言うと、それっきり黙った。
暫く、誰も何も言わないで、手を合わせて彼の冥福を祈る。

彼のおかげでボクは助かった。
今の生活は、全部彼のおかげで、でもボクは彼を見捨てた。
また、間に合わなかった。
大事な事に、ボクはいつだって間に合わない。
何一つ守りきれたことも、助けた事も無い。

無力で

役立たずだ。

「……ごめんなさい。本当にごめんなさい」
ボクは頭を下げてヨシュアさんに何度も謝る。
何度言っても足りない。
ボクは許される事は無いんだろう。
ソルとマァルが無言でボクの両脇にやってきて、ボクの事をぎゅっと抱きしめてくれた。
「……大丈夫だよ。きっと許してくれるよ」
「そうよ。お父さんがここに来なかったら、ずっと誰も知らないままだったのよ? ヨシュアさん、きっと怒って無いわ」
「ボクは……また守れなかった」
「……うん。でも、それはお父さんだけじゃないよ。ここに居ないけど、苦しいのはヘンリーさんや、マリアさんも、きっと一緒だよ」
「……うん、そうだね」

きっと、ずっとヘンリー君たちのほうが、ヨシュアさんの事を心配していただろう。
そして、今、ここに彼らは立ち会う事すらできないんだ。
その最期の言葉も、様子も、見ることが出来ない。
「ちゃんと伝えなきゃね。最期まで、マリアさんのことを心配していたって」
ボクは手を伸ばして、いくつかの骨を拾い集める。
マントの端を切り裂いて、それに骨を入れると丁寧に包んでから道具を入れる袋にしまいこんだ。
「マリアさんに、渡さないとね」
「うん」
ボクらは頷きあう。
悲しい事は沢山ある。
けど、立ち止まるわけにはいかない。
「イブール、絶対に許せない」
ソルは口を尖らせた。
「皆悪い事してないのに」
マァルも頬を膨らませる。
ボクは二人の頭をなでた。
「二人とも優しいね。その気持ちを忘れないで。……憎しみにはとらわれないで。憎いって言う気持ちはわかるし、そういう気持ちを持つなとは言わない。けど、その気持ちだけにならないで」
二人は暫く神妙な顔でボクを見つめた後、にこっと笑った。
「うん。わかってるよ。お父さん、前も同じこと言ったよね?」
ソルがボクの手を握る。
「憎い憎いって思ってたら、心が濁っちゃうもんね」
マァルはその場でクルリと回って見せた。
「さあ、お父さん行こう? お母さんを助けなきゃ」
ボクは二人に手を引っ張られて、この部屋を後にする。

この先も、辛い事はいっぱいあるかもしれない。
けど、
この子達となら、乗り切れる。
そう思う。
237■大神殿 8 (テス視点)
ヨシュアさんの居た部屋を後にして、ボクらは道を進む。コレまでと同じように、二層構造になっていて一見ややこしいけど、実は一本道になっている通路を、ただ進んだ。
誰も何も喋らない。
通路を抜けきると、また神殿内部に入ったとき、最初に到着した広い空間に出た。コレで三回目になる。
道は一本で、空間のちょうど中央にある場所に続いているようだった。これまで、その高さとまわりを囲む壁とで中が見えなかった部分が、漸く見えるようになってくる。
底は、さらに地下へ進むための入り口になっていた。四方を壁に区切られた小さな床に、ただ下る階段だけが作られている。
その奥からは、何か邪悪な気配のようなものが漏れ出してきているように感じた。
「当たりってかんじ?」
ボクがボソリとつぶやくと、ソルが頷く。
「お父さん気をつけてね。下からすごくイヤな気配を感じるの」
マァルが顔をしかめてうめく。
「うん、ゆっくり行こう」

 
階段を下りた先は、今までと雰囲気が違っていた。
白い床の上に、青と銀色で織られた綺麗な絨毯が敷かれていた。随分装飾の細かい絨毯。ただ、部屋の奥にはまた醜い銅像が並べられている。
次の部屋に続く入り口には、竜戦士が立っている。
ヤツはボクらに気づくと、剣を構えた。
「大教祖イブール様は只今瞑想中であられる! お前たちが誰であろうとイブール様のジャマはさせぬぞ!」
ボクらも剣を抜いて戦いの準備をした。
「邪魔をするな!」
叫び声とともに、竜戦士が襲い掛かってくる。何度も戦った相手で、そしてもうボクらの敵ではない相手。それが一匹で向かってきてもボクらにとっては大した問題にはならなかった。
すぐに倒して、ボクらは入り口を抜ける。

広い部屋だった。
壁沿いには綺麗な柱が並び、篝火が焚かれている。
部屋の中央には祭壇のようなところがあって、他のところより一段高くなっていた。
その中央に、ヤツは居た。
ヤツはボクらの気配に気づいたのか、ゆっくりとこちらを見る。
赤い帽子を被って、随分派手なローブを着ている。背は高い。手には背よりも高い金色の杖をもった、緑色の皮膚をした怪物。ちょっとワニに似てる。ゴテゴテに飾り付けたワニを、無理やり立たせたらこんな感じになるかも。
ともかく悪趣味で、気持ちが悪い。
ヤツは不愉快そうに細めた目でこちらを見ると、大袈裟にため息をついた。
「ほほう、ここまでやって来たとは……。その様子では、どうやらワシの1番の片腕ラマダを倒してくれたようだな。ワシの苦労の甲斐もなく伝説の勇者などというたわけた者も生まれたらしい」
そういって、ヤツはソルを見た。そしてまた大きく大袈裟なため息。
「ここまでは神の筋書き通りというわけか……。しかしそれもこれもここでおしまいじゃ。これより先の歴史はこのワシが作ってやろう」
ヤツは杖で、カツンと床を叩く。随分大きな音がした。
「さあ来るがよい。伝説の勇者とその一族の者たちよっ!」
ソレが戦いの合図になった。

イブールはワニに似てるくせに随分と知性があるようだった。
考えてみれば教団の教祖をするくらいだ、当たり前かもしれない。随分魔法に詳しいらしく、マァルが使う最高の攻撃魔法イオナズンも簡単に使ってくるし、身も凍るような輝く息で攻撃してくる。
そのくせマホカンタを使ってこちらの攻撃魔法を跳ね返すから、マァルは攻撃魔法を唱える事すら出来なかった。
こちらは相手の攻撃を軽減させるためにスクルトやフバーハを使っているのに、ソレを打ち消す凍てつく波動で攻撃してきたりする。
流石に厄介な敵。
「凍てつく波動が来たら、攻撃より補助優先で!」
攻撃を優先していたソルに頼んで、回復をピエールに頼む。
攻撃はきつかったし、戦いの終わりはなかなか見えなかった。
けど、数が圧倒したのか、じわじわと、次第にボクらがイブールを押し始める。
そして、ソルの攻撃がヤツに止めを刺した。

ゆっくりと、イブールは後ずさる。
肩で息をして、そのくせ目だけはギラギラとしたまま、ボクらをにらみつける。
ボクは左手のバングルをはずした。そこに刻まれる焼印を見せてボクは口の端を吊り上げる。
「お前が所有してたドレイが、お前を破滅させるんだ。今の気分は?」
「う、煩い……」
イブールが叫ぶと、口から血があふれ出した。
「これが……こうなることが……運命だったというのか……」
つぶやくように言うと、ヤツは天を仰ぐ。
「すべては我らが神、大魔王ミルドラース様の予言通り! テスよ。お前の母は暗黒の魔界ミルドラース様の元にいる。母を助けたくば魔界にゆくがよい。しかしそこでお前とその一族は滅びることになるのだ。今このワシが魔界への道を通じさせてやろう。大魔王ミルドラースよ! このワシに最期の力をあたえたまえっ!」
イブールは手にしていた杖を大きく振りかざす。
部屋いっぱいに金色の光があふれ出して、けど、それ以上何も起こらなかった。
イブール自身にも、ソレは予想外の事だったらしい、キョロキョロと辺りを見回している。
「そんな……バカな……」
「ほっほっほっほっ……。いつまで大教祖のつもりでいるのですか?」
あの独特の笑い方とともに、ゲマがイブールの背後に現れる。
あの時の傷はボクら同様流石に癒えたらしい、いつものあの冷たい威圧感と共に、冷たい瞳をイブールに向けた。
「ゲマ! ワシに対してそのクチの利き方はなんだ?」
ゲマはやれやれ、と言った感じに首を振る。
「まだ分かっていないようですね。あなたにはただカタチだけの教祖として人間たちを集めるお仕事をしてもらっただけですよ。しかしその役目も、もうおしまいでしょう」
「そんなはずは! ミルドラース様は……」
イブールは動揺したように叫ぶ。
ゲマが腕を大きく振り上げた。その手の中に大きな炎の球が出来ていく。
雷の轟くような音と一緒に、その炎はイブールを包み込んだ。叫び声をあげながら、イブールは燃えていく。
ボクは何も言えずにただ、その様子を見ているしかなかった。
「ふん。役立たずは最後まで役立たずですね……」
呟くように言った後、ゆっくりゲマがこっちを向く。
「テスとその仲間たちよ。今は好きにするがいいでしょう。その方が後でいっそう悲しみを味わうことができますからね」
にやりと、嫌な笑い方をした後、ゲマはいつもの高笑いと共にボクらの前から姿を消した。

暫く何も言えなくて、ボクらはただ呆然と立ち尽すしかなかった。
238■大神殿 9 (マァル視点)
ゲマが高笑いと共に消えると、お父さんは大きくため息をついた。長い長いため息で、体の中から何かを吐き出してしまうみたいな感じだった。
「ゲマ大っきらい! 次は絶対やっつけてやるの」
「また逃げられたね。全く……なんだかなあ」
「次会うときがヤツの命日です」
ピエールが舌打ちしそうな勢いで言う。
お父さんもピエールも、ゲマのことは大嫌いなんだ。何か二人とも、ゲマが出てくるといつもと様子が違うもん。
まあ、お父さんが変わるのはわかるけど、ピエールにも何かあったんだろうな。そのうちまた聞いてみよう。
「さ、戻ろうか……。イブールは倒したし、もしかしたら本当にビアンカちゃんが元に戻ってるかもしれない」
「うん!」
わたしとソルはお父さんの言葉に頷く。
そのときだった。
一瞬、何もない空中がゆらっと揺らめいて、そこからにじみ出てくるみたいに、綺麗な指輪が落ちてきた。
金属の、硬い音を響かせてソレは床に落ちる。
「何だろう?」
お父さんはその指輪を拾い上げる。
緑色の小さな宝石が付いた、綺麗な指輪だった。綺麗な球形をした宝石のなかで、小さな光の粒が尾を引きながらキラキラと光を放ちながら揺らめいている。
「……何か、宝石の様子がコレに似てるよね?」
お父さんは左手の薬指を見る。
お母さんとの結婚指輪も、綺麗な球形のオレンジの宝石の中で、小さな炎が揺らめいている、不思議なものだった。
「ビアンカちゃんの水のリングも似たような宝石ついてたし、もしかして同じ系統なのかな?」
お父さんは首をかしげながら指輪をまじまじと見つめる。
「……なんか暖かいな……何だろう?」
首を傾げて、お父さんはいきなり何の予告もなくその指輪を左手の小指に嵌めた。
「なんとも無い? 大丈夫?」
わたしが恐る恐る聞くと、お父さんは「大丈夫」っていって笑った。
「何か、妙に落ち着くんだ。これ」
お父さんは言うと、もう一回指輪を見てそれから私たちに笑った。
「じゃ、行こう」
お父さんはわたしとソルと手をつないで歩き出す。お父さんはまた、左腕にバングルを嵌めてたけど、もしかしたらコレまで程は苦しくなくなったかもしれないなってちょっと思った。
 
 
帰り道には、魔物が全然居なかった。
神殿の中は、行きと違って凄く綺麗な空気が満ちているような感じがする。悪いものが全てなくなってしまった、そんな感じ。
道はいつもどおりお父さんがしっかり覚えてくれていたから、全然迷う事なく普通に戻ることが出来る。
そういえば、ソルもサンチョも方向音痴で、三人で旅をしてるときはすっごく困ったなって思い出したら、ちょっと笑えた。
「どうしたの?」
笑うわたしを見て、お父さんが首を傾げる。
「なんでもないの」
「そう? ならいいけど」
そんな事を言いながら、水が流れていた土の床のところまで戻ってきた時だった。
いきなり、さっき拾った緑色の指輪が光りだした。光はどんどん強くなっていく。
「?」
わたしたちは指輪を見た。
「熱くないの?」
ソルが心配そうに言うと、お父さんは首を横に振った。
「全然。……何か安心できるようなそんな……」
お父さんが言いかけたときだった。

「テス……。テス……」

指輪から、声がした。
女の人の声で、凄く優しい声。やわらかい声。
「わたしの名はマーサ。テス……。わたしの声が聞こえますか?」
お父さんは指輪を自分の顔の辺りまで持っていく。
驚いたみたいに目を見開いて、呆然とその指輪を見つめる。
「テス……聞こえますか?」
「うん、聞こえる! 聞こえるよ! ……お……かあさん、なの?」
「ああ! わたしの……この母の声が聞こえるのですねっ!」
指輪からは、物凄く嬉しそうな声が響く。
お父さんはただただ指輪を見つめて、息も出来ないみたいだった。
「テス。大きくなったお前の姿を、この母はどんなに見たいことでしょう! ……しかしそれは願ってはいけないこと」
お婆様の声が少し寂しそうになる。
「テス……。魔界に来てはなりません。例え伝説の勇者でも、魔界にいる大魔王にはとてもかなわないでしょう。テス。お前にはすでに、かわいい奥さんと子供たちがいると聞きました。この母のことなど忘れて、家族仲良く暮らすのです。母はこの命にかえてもミルドラースをそちらの世界にいかせません。さあ、もうおゆきなさい。すぐそこに可愛い人が待っているはず。さようならテス……」
「待って、お母さん、ねえ待って!」
お父さんは何回か指輪に叫んだけど、お婆様の声はそれっきり返ってこなかった。
「……お母さん」
お父さんは呆然と指輪を見つめる。
「お父さん! 今の声は本当のおばあちゃんの声だよね!? 伝説の勇者でも勝てない大魔王だなんて……そんなのウソだ!」
ソルは勇者様だから、あんなの言われたらショックだろうな。
わたしも、助けに来なくていいなんていわれてショックだもん。
「……うん、きっと嘘だよ。きっと……心配かけたくなかったんだ」
お父さんは力なくソルの頭をぽんぽん、と触った。
「ねえ、お父さん。その指輪見せて?」
お父さんは頷くと、私に指輪をはずして見せてくれた。
「この指輪を持ってるだけで気持ちがすごくあったかくなるね。ふしぎ……」
「きっと、ソレがお母さんのぬくもりなんだね。……ボクは先に知っちゃってごめんね。でも、もうすぐ二人ともお母さんに会えるよ。……お婆様は『可愛い人がすぐそこで待ってる』って言ってた」
お父さんは指輪を嵌めなおしてにっこりと笑う。
「ビアンカちゃんが、待ってる」
そういって、わたしとソルの手を握りなおす。
「それから、お婆様も絶対助けに行こう」
「うん!」
「お婆様の声すごく優しかった……。お父さん……もっとお婆様と話したい……。いろんなこと話したいよお……」
「うん、そうだね。早く行って助けようね」
お父さんは頷くと、前を向く。
「さ、お母さんに会いに行こう」

 
幅の広い長い階段を登りきって、最初の祭壇に戻る。
偽物のお婆様を倒したところ。
お母さんの石像が置かれていたところ。
「坊っちゃん!」
サンチョが嬉しそうな声を上げたのが聞こえた。
あたりには凄く優しい金色の光が満ちていて、とても眩しかった。眩しいけど、嫌な感じじゃない。
嬉しい、暖かい光。
その光は、お母さんを中心にキラキラと光り続けている。

少しずつ、お母さんの色が戻ってくる。
灰色だった肌は、やわらかそうな白い色に。
金色の綺麗なやわらかそうな髪の毛。
お母さんは、何度か瞬きをした。
南の海の、浅い所の水を閉じ込めたみたいな、澄み切った青い目。
キョロキョロと辺りを不思議そうな顔をして見回している。

「……っ!」
短く息を吸う音と一緒に、お父さんの手がわたしたちからするりと抜けた。
そのままお父さんはお母さんのところに走っていく。
すっかり石じゃなくなったお母さんをギュッと抱きしめる。
お母さんはビックリしたみたいに暫く動かなかったけど、ゆっくりとお父さんの背中に腕を回した。
凄く、綺麗な笑顔だった。
239■大神殿 10(テス視点)
ボクはビアンカちゃんを抱きしめる。柔らかな髪に顔をうめて、その体の細さや暖かさを感じ取る。
石像だったビアンカちゃんを見つけたとき、本当に嬉しかった。
そして抱きしめて、その硬さや冷たさに心底絶望した。
今は違う。
柔らかい。暖かい。それに、抱きしめ返してくれる。
ボクは体を離してビアンカちゃんの顔を覗き込んだ。
少しキョトンとして、驚いたみたいに目を見開いてボクを見つめている。
ごく薄い、青くて透明な瞳に、ボクが映ってる。
「ごめん。遅くなってごめん。待たせてごめん」
ボクはビアンカちゃんに頭を下げる。
「……ちゃんと来てくれたんだから、いいの。……それに、私テスに待たされるのって慣れてるのよ。知らなかった?」
そういって、ボクの肩をゆする。
「ねえ、顔をもっとよく見せて?」
ボクが恐る恐る顔をあげると、ビアンカちゃんが微笑んだ。
「……少し大人っぽくならなかった?」
「……ビアンカちゃんが若くなったんだよ」
ボクは笑う。
「ねえ、ここはどこなの? それに、私どうしてたの? 何だか凄く長くて嫌な夢を見てた感じなの」
そういってビアンカちゃんは辺りを見回す。
「あと……あの子たちは? 天空の剣持ってるけど……勇者様を見つけたの?」
首を傾げて、少し不安そうに尋ねるビアンカちゃんをボクはもう一回抱きしめた。
「ねえ、ちょっと答えてよ」
「うん、全部言う。言うよ……」
ボクは体を離して、その場に座り込む。
「……ごめん、ちゃんと全部答える……。何があったのか。でも……とりあえず」
ボクは目をぐいっと乱暴にぬぐった。
視界がぼやけてきてる。泣いてるんだってわかるまでちょっと時間がかかった。
「……ここ、出よう。もう……居たくない」
ドレイにされていた人達は全員ここを離れたらしい。部屋の中は閑散としていてとても静かで寂しかった。
助けたかったドレイは全員解放した。
イブールも、倒した。
そして、ビアンカちゃんが帰ってきてくれた。

ここに居る必要はもう、無い。

「あ、でも」
ボクは顔を上げる。ビアンカちゃんはボクに視線を合わせるためにしゃがみこんだ。
「なぁに?」
首を少し傾げて、ビアンカちゃんは笑う。
記憶どおりの仕草に、ボクは少し微笑み返す。
「あの子達だけは、紹介しなきゃね」
「勇者様たち?」
「ボクらの子どもだよ。……ビアンカちゃん、自分が勇者の血を引いてるって言われたの、覚えてる?」
ボクが笑うと、ビアンカちゃんは目を大きく見開いた。
「え、だって、私たちの子って、まだこんな小さかったよ?!」
胸の前で両手で小さな円を作りながら、ビアンカちゃんは困ったような顔をする。
気持ちはわかる。
ボクだって、八年経ったって言われたとき面食らった。
ビアンカちゃんは十年だ。
「ソル、マァル、おいで」
ボクが声をかけると、二人とも少し恥ずかしそうにゆっくりとこちらに近付いてきた。
「ビアンカちゃん、ソルとマァル。ボクらの子ども。ソルはビアンカちゃんの勇者の血をしっかり受け継いで、現在世界の希望だよ。マァルは、ビアンカちゃんの魔法の力を受け継いだみたい。凄い魔法使いなんだ」
「……」
ビアンカちゃんはビックリしたみたいで、暫く二人の顔をじっと見つめてた。
「あ、あのね、お母さん。ぼく、ソルです。お父さんと一緒に、お母さんの事、一生懸命さがしたよ」
「わたし、マァル。お母さん……会いたかった」
ビアンカちゃんは呆けたような顔で暫く二人を見ていたけど、そのうちその大きな瞳に涙が溜まってきた。
「ソル……マァル……そっか、私石にされて……もしかしなくても、物凄い時間が経ったのね?」
「……十年。助けるのが遅くなって本当にごめん」
「そっか、……十年か」
それだけ呟くと、ビアンカちゃんは二人をぎゅっと抱きしめた。
「ごめんね。今まで放っておいて本当にごめんね」
三人は暫く泣いていた。
向こうのほうで、サンチョがもらい泣きしている。よく見たらスラリンやホイミンまで涙ぐんでるみたいだった。ゲレゲレは向こうを向いてるけど、きっと似たような状況だろう。
「さあ、沢山話すことはあるけど、もうここに居るのはやめよう。グランバニアに戻ってから話をしよう。皆待ってる」
ボクが言うと、三人はのろのろと立ち上がった。
 
 
中庭に出ると、マスタードラゴンが羽を休めていた。
神殿の周りを取り囲んでいた壁を壊したらしい。
「待っていたぞ」
「お待たせしました」
「ここに居た者は全員家に送り返した。久々に骨の折れる仕事だったぞ」
「お疲れ様です」
ボクが頭を下げると、マスタードラゴンは笑った。
「奥方が帰ったか……おめでとう」
「ありがとうございます」
ボクらのやりとりを、ビアンカちゃんは不思議そうに見つめていた。
「ねえ、何? これ、誰?」
「神様だよ」
「ええ?!」
ビアンカちゃんはマスタードラゴンを見上げる。
「初めましてお嬢さん。わが名はマスタードラゴン。世界のすべてを統治する者。今は天空の勇者の一族と共に魔界の王を打ち倒すべく力を貸しておる」
「すごーい。一体何がどうなったわけ?」
「そういう話もグランバニアでするから……」
「テスって、私とちょっと会わないと不思議なことやってるよね。村で再会したときは魔物の皆を仲良くしてたし、今は神様と知り合いなんて……」
「驚いた?」
「うん。素直に驚いた」
「お母さんがビックリしちゃうようなこと、他にもいーっぱいあったんだよ!」
「わたしたち、妖精の国にも行ったの!」
「そういう話もグランバニアでね」
ボクは話を始めた子ども達に声をかけると、マスタードラゴンに向きなおす。
「……グランバニアまで、お願いしてもいいですか?」
「ルーラで一瞬じゃなくていいのか?」
「空から見る綺麗な景色を、ビアンカちゃんにも見せてあげたいです」
「そうか。わかった」

 
ボクらはマスタードラゴンの背にのって、グランバニアまで戻る。
世界は綺麗で、やっぱり広くて。
隣にはビアンカちゃんが居て、何か全てがうまくいくような感じがした。

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