46■大神殿
ビアンカちゃん……!


230■大神殿 1 (テス視点)
春が来た。
辺りに積もっていた雪が随分溶けて、雪の間からは新しい草の芽が出始めている。
まだ吹く風は少々冷たいけど、日に日に太陽が暖かくなってくる感じ。

ボクは大きくため息をつく。

神殿での十年を、ボクは話した。
皆がその劣悪な状況に怒り、悲しみ、そしてボクを許してくれた。
皆が許してくれたからといって、多くの人を見捨てたその事実は変わらない。ボクがボク自身を許せるようになるまで、まだまだ時間はかかるだろうと思う。

もう少ししたら、全員の用意が終わって、ボクはあの神殿へ向かう。
マスタードラゴンの背に乗って。
まるで神の使いみたいに。
欺瞞だなあ、と思う。
本当は今だって逃げ出したい。あんなところ二度と行きたくない。
でも、それじゃ今までと何もかわらない。
全部清算するために、ボクは皆に話したんだ。

暫く目を閉じて、息を大きく吸う。ともかく落ち着こう。
行き先は地獄でも、ボクは乗り切らなきゃいけない。
目をゆっくり開けて、左手を見る。
薬指に嵌った指輪。ビアンカちゃんとの誓い。
そっと撫でてから、口付ける。
「……ごめん、助けて」
つぶやいて、もう一度深呼吸してから部屋を出た。

「全員揃ってる?」
「お父さんが最後だよ」
城門のところに皆は集まっていた。ボクが一番最後だったらしくて、しかも随分待たせたらしい。少し頬を膨らませたソルとマァルに叱られてボクは肩をすくめる。
サンチョも、ピエールも、ホイミンもスラリンも、ゲレゲレも皆待ちくたびれたらしくて少し呆れた顔をしていた。
「逃げなかっただけ偉かったぞ!」
スラリンが足元で跳ねながら言う。
「……ちょっと逃げたかったんだけどね」
ボクが言うと全員が少し複雑な顔をした。
「けど、まあ、逃げるばっかりじゃ駄目だよね」
そういってボクは城門をあける。
雪かきされた道が、真っ直ぐ伸びていた。
道の横の雪は溶けかけていて、下の方は泥にまみれて黒ずんでいたけど、上のほうはまだ真っ白で日の光を反射してキラキラ輝いている。
暫くいったところに広い場所があるから、そこでマスタードラゴンを呼ぶ予定だった。
久しぶりの旅だから、皆それなりに緊張してるみたいだった。

 
半時間くらい歩いて、広い場所にたどり着く。
振り返るとグランバニアの城が見えた。雪のなかに堂々とたっている。あれがボクの場所なんだと思うと、少し不思議な感じがした。
「じゃあ、マスタードラゴンを呼ぶね」
マァルが袋からベルを取り出して鳴らす。
相変わらず澄んだ音色でベルは鳴り響く。その音は春特有の少しぼんやりした青い空に吸い込まれていった。
マスタードラゴンは相変わらずすぐにボクらの前に現れた。
「久しぶりだな」
「冬は旅をしないんです」
マスタードラゴンの言葉にボクは答える。彼はボクらを背に乗せると一気に空に飛び上がった。
「今日はどこへ行くのかね?」
ゆっくりと翼を動かして空をすべるように横切りながら、彼は気軽に話しをする。
プサンさんの時に気軽だったのはわかるんだけど、もうちょっと、神様なんだから重みというか威厳というか、そういうのがあってもいいんじゃないかな。
まあ、ボクだって王様やっててもあんまり威厳とか重みとか無いけど。
「セントベレス山の頂上の、神殿へお願いします」
ボクが言うと、暫くマスタードラゴンは黙っていた。
「良いのか?」
「ええ」
「……あそこは今の天空城より高い位置にある邪教の神殿で少々憤慨していたところだったのだ」
「……神様ちょっとそれってどうなんです」
ボクの言葉にマスタードラゴンは軽く笑った。
「ともかく、魔物が操っている偽の神が人々を騙すのには心を痛めていたのだ。私も出来る限りの力をかそう」
「何か後付けの理由みたいな気がしないでもないですが、まあ、よろしくお願いします」
「……やっぱりお前くらいなものだぞ、この私にそこまで言うのは」
「……ボクはプサンさんと話をしてるんですよ、多分」
マスタードラゴンは今度は大声で笑った。
「やはりお前は面白い。これだから人間はすばらしい」
マスタードラゴンは力強く翼を動かすと、少し飛ぶスピードを上げた。
「よろしい、テス。思うとおりにやってきなさい」
マスタードラゴンは空を切り裂くように飛ぶ。
雲をつきぬけ、風に乗り、あっという間に大神殿が見えてきた。
「少しスピード落としてくださいよ、派手に行くわけには……あと、ちょっと寒いです」
ボクが言うとマスタードラゴンは少しスピードを緩めた。
「さて、テス。あの神殿だが、私が羽を休めるほど広いスペースは無いようだな」
「ありません。前庭があるにはありますが、回りをぐるっと壁が囲ってるので、止まろうとしたら羽を痛めるでしょう」
「入り口近くにギリギリ寄せよう。出来る限りスピードを落としておくから、庭に飛び移れ」
マァルが青い顔をしたけど、ボクらに他に選べる方法はなさそうだった。
「わかりました。マスタードラゴンはどうされるのですか?」
「近くの空を旋回して待っていよう。危険を感じたらとりあえず庭へ出てくるのだ。すぐに助けに入ろう」
「出来ればそんな事態にならないといいんですけど」
ボクは言うと、マァルを抱き寄せる。
「マァル、目をギュッと閉じて。……大丈夫だから。ボクと一緒に飛び移ろう」
マァルはコクコクと頷くと、ボクにしがみついて目を閉じた。
神殿がどんどん大きくなってくる。
ボクが逃げ出す頃には、ほとんどできてなかった白亜の神殿。
もう前庭には資材はまったくない。
「行け!」
声とともにボクらは飛び移る。
どうやらマスタードラゴンが翼をうまくつかってくれたらしい、たいした衝撃もなくボクらは庭に侵入していた。
見上げると高い空でマスタードラゴンが旋回している。
「さ、行こう。見張りが居ないといいんだけど」
ボクらは足音を立てないように注意しながら歩き出した。

入り口の広くて長い階段へ続く通路には、誰のためなのか篝火が焚かれていた。
その通路の左右には美しく手入れされた緑が広がっている。黄色い花が咲いて、蝶が飛び回っていた。大きな木も植えられている。ここには木は無かったと思うから、きっとどこかから運んできて植えさせたんだろう。
景色だけは本当に美しい。
そこにどれほどの血が流れたか知らなければ、確かにここは桃源郷に見えるだろう。
不似合いなほど長閑。
吐き気がする。

庭はとても静かで、物音がしない。
見張りの気配も全くない。
「お……お父さんなんだか寒いね。やっぱり高い所は寒いんだな。雲の上だもんなあ……」
ソルが少し顔をしかめる。
「……なんにもしてないのに息が……苦しいの……」
マァルが何度か深呼吸をした。
ソレが、高さによる空気の薄さが原因なのか、それともここに染み付いた人々の苦しみをマァルが感じ取ったのか、どちらなのかボクにはわからなかった。
ボクは二人を抱きしめる。
「無理させてごめんね……。行こうか」
ボクは立ち上がると、目の前の神殿をにらみつけた。
231■大神殿 2 (テス視点)
目の前の階段をのぼったところに、神殿の大きな入り口がある。
それを見上げてら、ソルがボクのマントを引っ張った。
「ねえ、お父さん。門のところに小部屋があるみたいだよ。一体何の部屋だろう……なんだかすごく気になるんだ」
言われて振り返ると、門のところに確かに外壁と一体化した小部屋が、左右二箇所作られていた。
入り口は神殿側、こちらから見えるところにある。
窓なさそうで、見張りのための部屋というのでもなさそうだった。
ソルはじっと左側の部屋を見つめている。
「気になる?」
「ものすごーく気になる」
尋ねると、ソルは即答した。
見張りの溜まり場とかになってたら、騒ぎを起こすと警備がきつくなって面倒かもしれない。けど、どうせ神殿に入り込んだら同じだろう。
「よし、じゃあ見に行こう」
ボクは言うと、皆を振り返る。
「なるべく少人数で目立たないように行こう。ソルとマァルと、ピエール。一緒に行こう。スラリンやホイミンは小さいから隠れやすいだろうし。サンチョとゲレゲレも、できるだけ目立たないところで隠れてて。しばらくしてもボクらが戻らなかったら、様子を確かめにきてね」
「不穏なこと言わないでくださいよ」
サンチョが顔を思いっきりしかめる。
「そうならない様頑張るよ」
ボクらは皆が隠れたのを見届けてから、足音をなるべくたてないように注意深くその小部屋に近づいた。

 
小部屋のドアはあっけなく開いた。中は薄暗い。
正面には鉄格子。どうやらここは部屋前の廊下に当たる部分のようだった。
外から見た広さから考えると、鉄格子の向こう側に広がってる空間はこの廊下の何倍かはあるだろう。
「あ!」
ソルが小さく声をあげる。その目が鉄格子の向こう側に釘付けになっていた。
鉄格子の向こう側もかなり薄暗い。けど、その薄暗い部屋の一段高い部分に、銀に輝く鎧が飾られていた。
天空の剣や、かぶとと同じような装飾。
銀を基調に、金と緑で縁取られた美しい鎧だった。
「あれって……天空の鎧だよね?」
ボクは無言で頷いた。
思えば、テルパドールでも、ソルは「何か」に呼ばれる感じがしたって言っていた。この小部屋に気づいたのも、もしかしたら鎧のほうがソルを呼んだのかもしれない。
ボクらはそっと鉄格子に近づく。
向こう側には、見張りが一人、暇そうに立っていた。あくびをしている。
ボクらはそっと鍵をあけて、いきなりその部屋に飛び込んだ。
見張りが驚いてこっちを見る。
「ここにあるのは伝説の勇者が身につけていたという鎧だ! さああっちへ行け! 行かぬと痛い目にあわすぞ!」
見張りはご丁寧にもそんなことを口走って、ボクらを見据える。
「うるさい!」
ボクは叫ぶと剣を抜く。
「魂を抜かれているわりには逆らうヤツだな! 言っても聞かぬならこれだ!」
見張りは人間の姿から一瞬で魔物に変わる。両腕が、蛇の魔物。
そいつはすぐにボクらに襲い掛かってきた。

少したって、ボクらは剣をしまいこむ。
あまり強い魔物ではなかった。その上相手は1匹。敵じゃない。
「あの兵士さん魔物さんだったの? じゃあこの神殿はやっぱり……」
マァルが顔を曇らせる。
「うん、他にも魔物が一杯いるだろうね」
ソルは一足先に鎧へ駆け寄る。
「これが伝説の勇者が身につけていた鎧かあ! めちゃくちゃかっこいいねっ!」
顔を高潮させて、こぶしをぶんぶんと振り回す。随分ご機嫌だ。
「うん。……ソルのだよ」
「この鎧もお兄ちゃんのなの? ズルイ……」
マァルが口を尖らせる。ボクが頭をなでると、マァルは「なんでもないです」って小さな声で続けた。
「マァル、それは普通の反応だから、隠さなくていいよ」
ボクはしゃがんで、誰にも聞こえないようにマァルの耳元で小さな声で言う。マァルはこくりと小さく頷いた。
ボクはマァルににっこり笑ったあと、立ち上がる。
「じゃ、これはずそうか」

飾ってあった鎧をはずして、ソルが身に着けるのを手伝う。
やっぱり最初はサイズが多少大きかったけど、ソルに合わせて微妙に鎧いは縮んだようだった。
「こんなところに何で置いてあったのかな?」
マァルは首をかしげる。
「光の教団は、後ろに魔物が存在するでしょ? で、魔物たちは自分たちの王を倒す勇者の存在を恐れて、子どものうちに殺してしまおうって考えてた。……だから世界中で目ぼしい子どもが魔物にさらわれてたんだ。多分その子達はここに連れてこられて、勇者かどうか、この鎧で確かめられてたんだと思う。まあ、もちろん違うわけだけど……」
ボクはここで話すのを終わらせた。
ボクが石像にされて庭先に飾られてたころ、あの家の子どももさらわれた。
あの時、魔物は確かに言ったんだ。
「勇者じゃなけりゃ、ドレイにすればいい」
あの子は、多分ここに。
そしてそのことまで、この子達には言えなかった。
自分たちの代わりに、誰かがさらわれてるなんて。

「それより、あいつ、魂がどうのって言ってたでしょ? あれってどういうことかな?」
ソルはすっかり鎧を着込んで、何度か体を動かしてその様子を確かめながら、気になっていただろうことを言った。
「まだわからないけど……。でも、少なくとも、ここにまだ人が居ること自体は珍しくないみたいだったね。……まだ間に合うんだ」
ボクは答える。
皆が頷いた。
「思わぬ収穫もあったけど、ともかく急がなきゃ。まだ間に合うとはいえ、そんなに時間はないかもしれない」
ボクらは頷きあうと、その小部屋を後にした。

庭の片隅に隠れていたサンチョたちと合流して、ボクらは神殿の階段をあがる。大きな入り口をくぐって中に入ると、何か不思議な匂いがした。多分お香を焚いているんだろう。
大勢の人間が集まっていて、その人たちは皆粗末な格好をしていた。
……ドレイの人たちだ。
背中を冷たいものが伝っていく。気分が悪かった。
「なにをウロウロしているのだ。教祖様のお祈りがすでにはじまっているぞ。早く中に入らぬかっ!」
目つきの悪い兵士がボクらに声をかける。どうやらドレイか、もしくは信者と間違ったんだろう。どっちも気分が悪いけど、好都合だった。
全員が全員、うっとりとした目で遠くにある祭壇を見つめている。
ハッキリとわからないけど、黒い髪を長く伸ばした綺麗な女の人が立っている。
「神官様万歳! マーサ様万歳!」
一人が叫ぶと、同じ言葉が次々と人の口から続けられる。
「神官様万歳! マーサ様万歳!」

女の人は、神官様と呼ばれているみたいだ。
それにしても。
「マーサって……」
ボクは思わずサンチョの顔を見る。
サンチョは呆然とした顔で、ボクを見た。
「あれは……あの方は……マーサ様ですよ」

探してた、お母さん?
お母さんが、光の教団の……神官?
ボクは目の前の出来事を、信じられない気分でぼんやりと見つめるしかできなかった。
232■大神殿 3 (テス視点)
「あれ、ホントにお母さん?」
「お声やお姿はそのように思います」
サンチョも信じられないといった顔つきでボクに言う。
「ともかく、確かめよう。どうにかしてあの舞台の方へ行かなきゃ」
相変わらず周りの人たちは熱狂的な声で舞台の女性の名を叫び続ける。そのくせその目はどこか虚ろで、何だか妙な感じがした。
「どいてください」
とりあえず目の前に居る人たちに声をかけるけど、その人たちは聞こえないのか全然動いてくれない。
ボクはその人の肩をつかんで揺さぶってみたけど、全然びくともしなかった。
多分、他の人も似たようなものだろう。
「参ったな」
ここに居る人たちは魔物じゃないだろうから、手荒な事も出来ない。ボクは辺りを見回す。何か方法はないだろうか?

神官の女性が居る舞台は神殿の一番奥になる所にある。どこからでも見えるように随分高く作り上げられた舞台だ。その正面には舞台より少し低い祭壇。舞台と祭壇は階段で繋がっている。装飾的な柱が何本も立ち並んだ、随分立派な祭壇だった。
祭壇からは床に向かって急な階段が伸びているけど、その辺りまで「信者」の人たちが溢れかえっていて、どう考えてもたどり着けそうにない。
舞台の左右からは幅の広い壁が廊下のようにのびていて、それは祭壇をぐるりと回りこみ、信者たちを取り囲むように作られていた。
その廊下には登り階段が付いている。そのどちらにも見張りが立っていたけど、数は少ない。
「皆、後ろに登り階段がある。あれを使えば祭壇へ行けそうだ。見張りが居るけど、あっちから回り込もう」
ボクの言葉に皆が振り返る。
「真実を確かめよう」

 
ボクは言うと、階段に向けて歩き出す。
すぐに見張りはボクらに気づいたようだった。持っている武器を使えるように準備しながら、ボクらをじっと見ている。
「お前……どうも様子がおかしいぞ。ここにいる人間たちは皆魂をぬかれているはず! しかしお前はまるで……」
声がお互い届く範囲になって、兵士がボクに声をかける。
ボクはとっさに剣を抜いて走り寄った。
「ぬぬ! あやしいヤツめ! どうやってここまで来たっ!?」
声とともに見張りは魔物に姿を変える。
金色に輝く鎧を身に着けた、赤い皮膚の竜。幅広の剣を握って後ろ足で立っている。
「答える義理は無い!」
ボクは言って、剣を振り下ろした。
コレまで何度か戦った事もある魔物だった事もあって、苦労もなくボクは相手を切り捨てる。
見張りが倒れても、辺りに居る人達は騒ぐ事もなく、ただ舞台に居る女性に向かって声援を送っていた。

「ともかく、急ごう」
ボクは階段を駆け上ってそのまま廊下を走り抜ける。
足元からは途切れることなく歓声が上がっている。高いところに向けて両手を挙げ、叫び続ける人たち。
その手に足をつかまれて引きずり下ろされるんじゃないかって、恐かった。
「お前は俺達を見捨てたくせに」
責め立てられているような気分になり、なるべく考えないようにして息を止めて走った。
 

ボクらが舞台にたどり着いても、歓声は鳴り止まなかった。
多分、ボクらという存在そのものが彼らには見えないのだろう。
 
彼女が立っているところよりも、さらに神殿の奥側。壁際に女の石像が無造作に飾られていた。さっきまではあまりに奥すぎて、女性の影になっていて気づかなかったんだろう。

長い髪をみつあみにした、小柄ですらっとした女の人。
目鼻立ちのはっきりとした、綺麗な人。
ボクは息が止まるのを感じた。
ずっとずっと探してた、大好きな。
「ビアンカちゃん」
石像になってすっかり色をなくしているけど、その金色の髪も、ガラスみたいに透き通った青い瞳も、真っ白な肌も、見えるような気がした。
「ビアンカちゃん!」

ボクのその声に、「マーサ様」と呼ばれた女性がゆっくりとボクらのほうを見た。

黒い髪を腰まで伸ばし、緑色の綺麗な服を着ている。
綺麗な顔なんだけど、どこか冷たそうな感じ。
その人はボクの顔を見て、にっこりと笑った。
「わが名はマーサ。大教祖イブール様にかわり、この神殿を治めている者です」
ボクは返事も出来ないで、ただ彼女を見つめた。
「テスですね? すでに気付いているでしょうが、私はあなたの母親です。テス……。ずいぶんたくましく成長しましたね……。母はどんなにあなたに会いたかったことでしょうか……」
その人は優しい声でボクに言う。
ボクは何を言っていいのかわからなくて困ってしまった。
その様子を見て彼女は一頻り笑った後、こう続けた。
「思えばあなたの父、パパスは本当につまらない男でした。そういえばこんなこともありました。その話を聞きたいですか?」

ボクは耳を疑った。
本当につまらない男。お父さんが?
ソレを、お母さんが言う?

お母さんは、ただお父さんと一緒に居るためだけに、一族の使命も、村の人たちの愛情も、全部引き換えにして外に出たのに。
その全部を引き換えたお父さんが、つまらなかった?

ボクはムカムカした気分で彼女を見る。
「聞きたくない」
「そうですね。あんな男のことなど話しても仕方のないこと」
彼女はにっこりと笑う。
「ところで……この母とともに、あなたも大教祖イブール様におつかえすると約束してくれますね?」

背中を冷たいものが流れていくのがわかった。
それとは逆に、体の血が逆流していく感じ。
腹が立った。
気分が悪い。
こんなに頭にきたのは、ホント久しぶり。

ボクはお父さんが大好きだ。
今だって大好きだ。
お父さんが好きになった人が、こんな奴のはずがない。

こんな奴のはずがない!

「煩い。誰がこんな教団につかえるもんか! これ以上お父さんの事を悪く言ってみろ、例え本当にあんたが母親でも許さないからな!」
ボクはありったけの声で叫ぶ。
それに対して、女は呆れたようにため息をついた。
「ではどうしてもイブール様に逆らうと……。この母と戦うことになってもよいというのですか?」
寂しそうな顔で、女は言った。

「お前は、ボクのお母さんじゃない」

ボクは言いながら剣を構える。
他の皆も戦闘の準備に入っていた。

「くくく……。わっはっはっはっはっ!」
女が笑う。
その声はどんどん低くなっていく。
「よくぞ見やぶったな! そうとも! お前の母などすでにこの世界にはおらぬわ!」
そういって、女はどんどん大きくなっていく。
それとともに、綺麗だった顔はどんどん歪んで醜くなっていく。
服ははちきれ、体の色がどんどん赤紫色に変わっていく。
目は一つになり、頭からは大きな角がはえる。
やがて巨大な棍棒をもった、巨体の魔物へと完全に姿を変えた。

いや、こっちが本当の姿だろう。

「オレさまはイブールさまにおつかえする神官ラマダ! ここにいる人間どものように、お前達の魂も抜き取ってくれるわっ!」
低くて聞き取りづらい声で叫ぶと、ラマダはボクらに棍棒を振り下ろした。
233■大神殿 4 (ソル視点)
目の前に居た、お婆様が変身していくのが気持ち悪かった。
これまで何回か、人間に化けてた魔物が元の姿に戻るのを見たことがあったのに。
今までの中で、一番最悪。
ラマダが、お婆様に化けてたっていうのもあるだろうけど、元の魔物が似ても似つかない姿だったせいもあると思う。

凄く大きな一つ目の魔物で、頭が天井につきそうになっている。
ラマダが動くたび、天井から小さな石の欠片やホコリが落ちてくる。
下の方にいる信者さんたちは、頭からそういう石やホコリをかぶっても、目の前からさっきまでの神官様がいなくなっても、それでも「神官様万歳!」って叫んでた。

ぼくらは全員で一度に攻撃を受けないように少しばらばらと分かれて戦った。
「皆! 気をつけてね! ソルはスクルト! マァルはバイキルト優先!」
お父さんの声にぼくらはそれぞれ「わかった」って叫んで返事をする。
ラマダはぼくらがちょこちょこと動くからイライラしてるみたいだった。

ぼくらはいつも、お父さんを中心に戦う。
集中攻撃をされないようにばらばらになって戦うっていっても、あんまり離れすぎると、誰か一人だけまとめて攻撃されたときに困るからだ。
だから、いつもどおりバラバラになりつつもお父さんを中心に考えてぼくらは動いていた。

気づいたら、ラマダの向こう側に信者さんたちの様子が見えた。
戦い始めたとき、ぼくらの左手側に信者さんたちは居た。
ラマダが化けてたお婆様は足元の信者さんたちに向かって話しかけていたし、ぼくらはそんなラマダの横から舞台に出たからだ。
それが、いつの間にか変わっていた。
ラマダは、舞台ギリギリの所で戦っていて、ぼくらが広いスペースを使えるようになっていた。
多分、お父さんが上手に戦いながら移動したんだろう。
そう思ってちょっとお父さんのほうを見る。

お父さんのちょうど真後ろに、女の人の石像が立っていた。
あれをみたとき、お父さんは「ビアンカちゃん」って言った。
ぼくはお母さんの顔を、絵ですら見たことがなくて、全然顔を知らない。だから、まだ本当かどうかわからない。
けど。
お父さんは石像を見て、お母さんの名前を二回も呼んだ。
凄く嬉しそうな顔をしたのを、ぼくは見た。
だから、あれはきっとお母さんなんだ。
確かに、お父さんが石像だった時の様子と、この女の人の石像は良く似てる感じがした。

お父さんは、お母さんを背中の後ろに守りながら戦ってる。

ソレが凄く格好良かった。

 
ラマダは、やっぱりここを任されてるだけあって、とても強い。
スクルトを唱えて防御の力をあげていても、棍棒の一撃は骨がきしむんじゃないかってくらい強烈だった。
その上、マァルが苦労して覚えたくらいの、強烈な魔法のマヒャドやベギラゴンも次々使ってくるし、炎だって吐き出してくる。
いつの間にか、ピエールは攻撃する回数よりぼくらの傷を治してくれる回数の方が多くなっていた。
「ええいちょこまかと!」
ラマダはイライラと叫びながら、棍棒を振り回す。
お父さんはひょいっとソレをかわして、ラマダの足元にもぐりこんだ。
それからその足首めがけて思いっきり剣を振り下ろす。
ラマダはバランスを崩して倒れこんだ。
そうなると一気にぼくらが有利になる。
随分怪我もしたけど、ぼくらはなんとかラマダに勝った。
「こ……このオレさまがやぶれるとは……。しかし例えお前たちでもイブール様にはかなうまい……。大教祖イブール様万歳!」
ラマダはそんな事を言って、息をしなくなる。

「だ、大丈夫でしたか!?」
ぼくらの戦いの邪魔にならないように、舞台の横の廊下で待機してたサンチョたちが駆け寄ってくる。
「うん、大丈夫。悪いけどホイミン、皆の怪我を治してくれるかな?」
お父さんがホイミンに頼むと、ホイミンはすぐに全員の怪我を一瞬で治してくれた。
「ありがとう」
お父さんが言うと、ホイミンはにこにこと笑う。
それと同時に、足元のほうからざわめきが聞こえてきた。
魂を抜かれてた信者さんたちが、多分元に戻ったんだろう。
「多分」
お父さんは言う。
「ボクやヘンリー君がうまく生きたまま逃げ出した事で、教団のほうが方針を変えたんだろうね。逃げないように、忠実に働くように魂を抜いて、本当に操り人形にしちゃったんだ」
「お父さんのせいじゃないわ」
マァルは口を尖らせる。
「お父さんは、ここに居る人たち全員を助けたのよ? もっと胸を張って!」
お父さんはマァルの言葉に暫くきょとんとしてたけど、すぐに笑った。
「うん、ありがとう」
 
 
ぼくらはお父さんを先頭に、ゆっくりと石像に近寄った。
綺麗な女の人だった。
「やさしそうな女の人……。なんだか抱きつきたくなっちゃう……」
マァルはお父さんを見上げる。
「この人が、お母さんなの?」
お父さんはその質問には答えないで、さっきの戦闘で被っちゃったんだろう石の欠片やホコリを丁寧にその石像から掃ってあげていた。
お父さんが石像を見つめる目は、凄く優しい。
けど、ぼくらを見るときの優しい目とは、ちょっと違う感じ。
「お父さん?」
ぼくも声をかける。

その時、お父さんは急に石像を抱きしめた。
やさしく、そっと抱きしめる。
お母さんはまだ石像で冷たくて硬いはずなのに、お父さんの抱きしめ方は、凄くやわらかいものを抱きしめてるみたいに見えた。
お母さんはまだ石像で、だから灰色以外の色はしてないはずなのに、なんだか少し赤くなってるような気がした。
「ビアンカちゃん」
お父さんは石像の耳元で囁く。
「遅くなってごめん。随分待たせてごめん。……けど、もうちょっとだけ、待ってて。絶対助けるから」
そういって、お父さんはお母さんの頬にキスをした。

なんか、見ちゃいけないものを見ちゃった気がした。

お父さんはお母さんから離れてぼくらを見る。
「ボクを助けてくれたのは、どうやったの? どうやったらビアンカちゃんは元に戻るんだろう?」
「……石化を直す不思議な杖を使ったの」
「もう壊れちゃってないよ」
ぼくとマァルが言うと、お父さんは頭を抱え込んで座り込んだ。
「……どうしよう」
弱々しい声でつぶやいて、お父さんはそのまま深いため息をつく。

「あ、あのー」
女の人が一人、こちらにやってきていた。ぼろぼろの服を着てる。さっきまで下で歓声を上げてた人だろう。
「助けてくださって、ありがとうございました。もう少しで生贄にされてしまうところでした」
女の人は深くお辞儀をする。
「それで……私、見たんです。教祖イブールがあの石像に呪いをかけるのを!そして、『石像がここにある限り伝説の勇者など生まれはせぬ!』って言ってました」
その言葉にお父さんが顔をあげる。
「その話、本当ですか!?」
「え、はい」
女の人は驚いたように返事をする。
「お母さん石にされたうえに呪いまで…? そのイブールってヤツをたおせば、お母さんの呪いをといてあげられるのかな?」
ぼくが言うとお父さんは立ち上がって頷いた。
「きっとそうだね。……絶対許さない」
お父さんがギュッと拳を握り締める。

「皆で、ビアンカちゃんを助けよう」
234■大神殿 5 (マァル視点)
「皆で、ビアンカちゃんを助けよう」
そう言ってお父さんはわたしたちを見た後、もう一回お母さんのほうを向く。それからまたぎゅっとお母さんを抱きしめる。

お母さんはまだ石で、だからきっと冷たくて硬い。
わたしはお父さんが石だったとき、お父さんに触ってみた事がある。
あの時、お父さんは春の日差しでほんのり暖かくなっていたけど、硬い石の感触で、わたしは泣きそうになった。
お父さんは、どんな気持ちでお母さんを抱きしめているんだろう。
日差しも差さない神殿の奥で。
ずっと昔、辛い思いをした場所で。
冷たくて硬いお母さんを抱きしめて、お父さんはどんな気分なんだろう。
わたしは泣きそうになる。

「待ってて、絶対元に戻すから」
お父さんはお母さんに囁きかけて、それからこつんと額をあわせた。
凄く優しい顔で笑いかけて、それから唇を重ねる。
「後ちょっとだけ、待っててね」
お父さんは流石に照れくさかったのか、少し頬を赤くしてからこっちを向いた。
「なあ、さっきからビアンカに話しかけてたけど、聞こえてるのか?」
スラリンが不思議そうな顔でお父さんを見る。
「んー、少なくともボクは石だったとき、ぼんやりと意識があって、ずっと周りのことがわかってたから、ビアンカちゃんもわかるはずだよ」
お父さんは言うとわたしたちを見た。
「さあ、ビアンカちゃんを助けるためにも、イブールを倒しに行かなきゃ。……どこに居るのかな?」
お父さんが困った顔をすると、さっきお母さんにイブールが呪いをかけた事を教えてくれた女の人がまた話をしてくれた。
「あの、この舞台には隠し階段があって、イブールさ……もう様はつけなくて良いんですね。ともかく教祖は地下に居ます」
「ありがとう」
お父さんが女の人に笑いかけた。
「じゃあ地下に行くとして」
お父さんは辺りを見回す。
ドレイにされて、魂を抜かれていた人達は我に返ってざわざわと驚きの声をあげているのが見えた。
「多分全員ここに集められてたと思うんだ。今地下には誰も居ないだろうね。全員で行くと目立つな……」
お父さんは考え事をしてるのか、少し黙った。
「地下へは、いつもどおりボクとソルとマァル、それからピエールで行こう。少ないほうが目立たない」
「えー、オイラだってビアンカを助けるのに一緒に行きたい!」
「ホイミンもー」
スラリンとホイミンが不満そうな声を出すと、珍しくゲレゲレまでが不満そうにうなり声を上げた。
「皆にはお願いがあるんだ」
お父さんは真面目な顔をしてゲレゲレとスラリンを見た。
「ここにビアンカちゃんを一人で放っておくわけにはいかないでしょ? もしかしたら別の見張りが来てビアンカちゃんに触ったりするかもしれないし。そんなのって許せないでしょ? だから、スラリンとゲレゲレはビアンカちゃんをここで守ってて」
「おおお、オイラビアンカの騎士なんだな!?」
「そうだよ、すごーく重要な任務だよ。むしろボクが残るからイブール倒しに行ってきて欲しいくらいだよ」
お父さんは本気なんだか冗談なんだかわからないようなことを言う。
ゲレゲレが頷いた。
「そういうわけだから二人はビアンカちゃんを守ってて。……触んなよ?」
最後の一言を凄く低い声で脅すように言うと、お父さんは今度はサンチョのほうを見た。
「サンチョ」
「ハイ」
「サンチョはホイミンと二人で、とりあえず中庭に出て行って?」
「それで何をすればよいのですか?」
少し不思議そうな顔をするサンチョに、お父さんは続ける。
「上でマスタードラゴン様が待機してくれてるでしょ? とりあえず呼んで、ここに居る人達を全員家に送り届けるように頼んでくれない?」
「えええ!? 私がですか!?」
「うん。お願い。もしマスタードラゴン様が渋ったら『二十年働かなかった分今働け』って伝えて」
「……そんな事言えるのは坊っちゃんだけですよ。恐れ多くてそんな事私は言えません」
サンチョは青い顔をして首を左右に振った。
「まあ、脅さなくてもちゃんとしてくれると思うから。いつまでも彼らをここに置いておくわけには行かないよ」
「それはわかります……」
サンチョは暫くうーうーとうなり声を上げて迷った挙句
「わかりました、伝えに行きます」
「頼んだ」
お父さんは、にっと笑う。
「さあ、それじゃイブールを倒しに行こうか。……十年ビアンカちゃんを独り占めしてた事を後悔させてやる」
「テス、目が据わってるぞ」
「ビアンカちゃんだけじゃないさ。ボクだってここの教祖には何回殺しても足りないくらいの恨みがあるんだから」
お父さんは据わった目のまま、指をバキバキと鳴らした。

「ともかく、絶対許さない」

そういうとお父さんは舞台の中央辺りに歩いていって、床の石を剣を使ってうまくはずした。
床石が外れたところから、下に続いている階段が少しだけ見えた。お父さんは、後は階段を隠している床石を次々に下に向かって蹴落として行く。
「さあ、行こうか」
お父さんはわたしたちに声をかけると階段を先に下りていく。
わたしたちは頷いて、お父さんの後に続いた。
降りた先は小さな部屋になっていて、すぐ二つの入り口が見えた。
お父さんは迷うことなくその入り口をくぐる。
その先には幅の広い大きな下りの階段がすり鉢のように向かい合わせに作られていた。
お父さんはやっぱり、迷うことなくその階段をおりていく。
「お父さん……」
わたしは不安になってお父さんに声をかけた。
「何?」
お父さんが振り返る。いつもどおりで、何にも変わったところはない。
「……その……」
言葉が続かなくて、わたしは暫く黙る。
「うん、ここはね、まだ知ってるんだ。上の建物は全然知らなかったけど。……ボクが居た頃はまだ建物は無かったし。どっちかというとここに神殿を建てるための整地をしてるほうが長かったからね。多分、地下もほとんどわからないと思う。ボクが逃げたときって、ちょうど整地が終わって、これからどんどん建物を作っていくって時だったから」
お父さんはそう言いながら階段をくだりきる。
さっきまでの、人工的な床石が敷き詰められた床は終わって、土がむき出しになった場所に出る。
辺りは水が溜まっていて、遠くのほうに白い柱が並んでいるのが見えた。
次の入り口へ向かう道には、篝火がたかれている。
お父さんの顔色は、少し青かった。
お父さんは無言で、その柱がたっているほうを指差す。
「あの辺に牢屋があって……そこから逃げた。前にはお墓が広がってた。その近くがボクらドレイが眠る場所だった」
そういって、ゆっくりと目をつぶって手を合わせる。
わたしたちも無言でそれに倣った。
「さあ、行こうか。沢山の人たちの恨みを、苦しみを、イブールにぶつけてやるんだ」

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