44■冬の終わりに
ねえ、ボクはどうしたらいい?


221■冬場の事 (ソル視点)
マスタードラゴンに、グランバニアの近くでおろして貰ったから、ぼくらはそのままグランバニアに戻ることにした。
その日はぐっすり眠って、次の日起きたら朝から雨だった。
雨の日は、お父さんは外出したりしない。
濡れてからだが冷えると、風邪をひいてしまうから。
ぼくらのことを心配して、旅立ったりしない。
だから、ぼくとマァルは久しぶりにグランバニアの城下町を走り回って遊ぶ事にした。
お父さんは朝から執務室にこもって仕事をしてる。

お父さんは昨日、あのセントベレス山のてっぺんにあった神殿を見たとき、ちょっと様子が変だった。
ぼくもマァルもそれがちょっと心配だったんだけど、お父さんに何か聞けない感じがして、結局まだ良くわからない。
ぼくとマァルはその事で色々話し合ってみたけど、結論は出なかったし、お父さんに聞こうって事にもならなかった。
夜、ご飯を食べるときに会ったお父さんはいつもどおりで、ますます聞く事は出来なかった。

雨は数日降り続いた。

勿論、その間は全然旅立てない。
雨が降ると、どんどん気温が下がっていって冬が毎日近付いてくるみたいだった。
そのうち、雨が雪に変わって、冬がやってきてしまった。
「冬が終わるまで、旅に出るのはやめよう」
お父さんは皆が集まってる夕食の時、突然そういった。
去年の冬もそうだったし、なかなか旅立とうとしないお父さんを見てたから、なんとなくそうなるだろうって思ってた。
だから、ぼくもマァルもそんなに驚かなかった。
「冬が終わったら、今度はどこに行くの?」
マァルが首を傾げる。「もう、大体のところは回っちゃったよね?」
お父さんは頷いた。
「そうだね。もう行ってない街はないね。ビアンカちゃんは石像だから持ち主が変わって移動してるって事も考えて、今でも兵士の皆は情報を集めてくれてるみたいだけど、今のところは芳しい話は無いしね」
お父さんはご飯を食べる手を止めて、頬杖を付いた。
「流石にどうしていいのか、ちょっとわからなくなっちゃった」
「そんなこと言わないでよ!」
ぼくはお父さんをにらみつける。マァルも頬を膨らましてた。
「うん……」
お父さんは曖昧な返事をした。

「気になってるところはいくつかあるんだ」

独り言みたいに、小さい声でお父さんは言った。
「でもちょっとね……色々と……」
お父さんは言いよどむ。
ぼくらは、お父さんが話を続けるのを待った。
けど、そのままどれだけ待っても、続きが出ない。
お父さんは頬杖を付いたまま、ずっとスープの入ったお皿を見つめていて、考え事をしてるみたいだった。
ぼんやりとした目。
「ねえ? どうしたの?」
ぼくは耐え切れなくなって尋ねる。
お父さんは大きく息を吐いた。
「うん、ちょっと」
「お父さん?」
マァルが眉を寄せてお父さんを呼ぶ。

お父さんは頬杖をやめてぼくらをじっと見つめた。
お父さんが、ぼくらをこんな目で見たことはこれまで無かった。
こっそり覗きに行った執務室で、大人相手に話をしてるときにこういう目をしていたのを、見たことがある。

「ごめん。冬の間だけ考えさせて」

声も、普段ぼくらに話しかける声とはちょっと違う。
お城に居る皆に声をかけるときみたいな感じの声。
凛とした、声。

お父さんは、今、ぼくらを子ども扱いしてないんだって、そう思った。
大人みたいに扱ってくれてる。
マァルも同じ事を感じたみたい。
ぼくらは顔を見合わせて、それから頷きあった。

「わかった。ぼくら待つよ」
「ちゃんと教えてくれるのよね?」
ぼくらの言葉にお父さんは頷いた。
「……ごめん。ボクが弱いから二人には随分苦労をかけてる。絶対冬の間になんとかするから、もうちょっとだけ」
「うん、待つよ」
話はそれでおしまいになった。

ぼくらは冬の間、魔物の皆と遊んだり、いやいやながら勉強したりしてすごす事になった。
お父さんは書類の山に追われて、ほとんどを執務室ですごしてる。
たまに遊びに行くと、お父さんは次々と仕事をしてて、入れ替わり立ち代り来る人にちゃんと対応してて、凄く格好良かった。
仕事の切れ間にはちゃんと遊んでくれるけど、なるべく邪魔しないようにした。

 
新年祭が終わったころから、雪が降る日が減ってきた。
今年も新年祭は派手で、ぼくはとても楽しかった。
お父さんの机の上に溜まっていた書類の山が随分少なくなってきて、もう少しでまた旅に出るって感じがしてくる。
冬が終わるとき、お父さんはぼくらに何を話してくれるんだろう。
時々マァルとそんな話をしたけど、結局コレと言って思いつくものは無かった。何となく、お互いセントベレス山の神殿の話はしづらかった。

 

ぼくらはドリスと一緒におやつを食べる約束があって、ドリスのところに行く途中だった。
お父さんにいきなり廊下で呼び止められた。
「仕事の終わりがちょっと見えてきたからニ・三日出かけるんだけど、ソルとマァルも一緒に行く?」
「え!? どっか行くの!?」
ぼくが聞き返すと、お父さんは頷いた。
「行きたい!」
「わたしも行きたい!」
ぼくもマァルも即答した。冬の間お城の外には出てないから、ちょっと退屈してた。
「どこへ行くの!?」
「ラインハット。……ヘンリー君とちょっと話があるんだ。ルーラで飛んでってルーラで帰ってくる予定」
ラインハット、という名前を聞いてマァルの顔が見る見る曇っていく。

マァル、コリンズ君大っ嫌いだもんな。

「わたしお留守番してます」
マァルは心底嫌そうな顔をしてぼそっと言った。
「マァルが行かないんだったら、ぼくもお留守番一緒にする」
お父さんはぼくらの顔を見て、ちょっと苦笑した。
「あ、そう? じゃあ、ボクだけで行くか……」
「ごめんなさい……」
マァルが小さな声で謝ると
「無理に行く必要は無いからね、謝ることじゃないよ」
お父さんは笑って言うと、ぼくらの頭を撫でてくれた。
「いつ行くの?」
「明日から」
「突然なんだね」
ぼくが言うと、お父さんは笑った。
「うん、こういうのって多分勢いが重要なんだ」

 
「帰って来たら、多分約束を果たせると思う」

 
言うだけいうと、お父さんはぼくらが行くほうとは逆のほうに廊下を歩いていってしまった。あっちは執務室があるほうだから、多分仕事をしに行ったんだろう。
ぼくらは顔を見合わせた。
「多分、あんまり楽しい話じゃないんだろうね」
ぼくが言うと、マァルが頷いた。
「うん、そんな感じ」
お父さんは、ヘンリーさんと何を話してくるんだろう。
気になったけど、もう聞けない。
多分、冬が終わるとき、全部聞かせて貰える。
それまで待つしかないんだろう。

本当はもう、待つのって嫌なんだけど。
222■冬の終わりに (ヘンリー視点)
その日は冬にしては珍しく暖かい日で、オレは万年たまり気味の仕事を前に少々うんざりしていた。
こんないい日に、何でこんなに仕事があるのか。
積もった雪が溶けていっているのか、遠くで水が流れる音がしている。
春が近い。
部屋の外から時々前を通っていく兵士達の足音がしたりするくらいで、とても静かだった。
半分寝てる頭で、何とか書類に目を通す。
街の外に出れば魔物が襲ってくるこのご時勢に、春の祭りのための見積書を安全な場所で読む。
オレが知らないだけで世界は実は平和なのか、それともこういう事でもやってねえと乗り切れないのか。
どのみち自分は少々平和ボケしてるだろう、と思う。

 
ドアがノックされた。
この時間は誰も来るなって言ってあったから、少々不機嫌に返事をする。
「あいてる」
「やあ、元気?」
入ってきたのはテスだった。
怒鳴りつけてやろうと思って待ち構えてたから、呆気にとられて暫くテスの事を見つめてしまった。
旅の途中で寄ったんじゃないらしい。旅をしてるときの白い服に紫のマントの格好じゃなくて、軽装とはいえグランバニアの国王としてふさわしい格好をしていた。

ただ、酷い顔をしてる。
表情が暗い。
どっか思いつめてるみたいな顔だ。

「……お前、どうしたんだよ?」
「んー、まあ、ちょっとね」
オレの質問にはちゃんと答えないで、テスはへらっと笑った。
オレは立ち上がると部屋の一角にあるソファのほうへ歩く。
「ま、座れよ」
テスはソファに座った後、落ち着かない様子であちこちをきょろきょろと見ている。考えてみればテスはこの部屋は初めてだ。
オレは隣の部屋に控えていた侍従に紅茶を持ってくるように頼むと、テスの正面に座る。
「お前さ、ちょっと太った?」
なるべく核心には最初から触れないように、差し障りのない言葉を選んで声をかける。
「がっしりしたって言ってよね」
オレの言葉にテスは呆れた顔をした。
まだ、精神的な余裕はあるらしい。
「大体、太ったのはヘンリー君のほうじゃない?」
「いつまでも格好いいオレを捕まえて何言ってんだ」
そんなことを言い合ってるうちに、紅茶が出てくる。しばらく誰もこの部屋に寄せないように言いつけて、侍従を部屋から追い出した。

オレたちは暫く無言で紅茶をすする。
わざわざここまでやって来たくせに、テスは何も喋ろうとはしない。紅茶を飲んだり、思い出したように窓の外を見たりしながら、ちらちらとオレの顔を見ている。
オレから話しかけるのを待ってるんだろう。

何しに来たんだよ全く。

「そういえば、お前子どもは? ソル君とマァルちゃん。元気?」
「うん、二人とも元気だよ。元気で健気で……泣きそうだよ」
「……そうか」
「ビアンカちゃんが……お母さんが居なくて寂しいだろうにさ、全然そんな素振り見せないし、ボクが落ち込んでたら励ましてくれたりしてさ……どっちが子どもだよ、って感じ」
「そうか。……でもさ、ソル君やマァルちゃんに言わせればきっとお前が居て嬉しいんだと思うぜ? 再会して一年半くらいだっけ?」
「そうだね、去年の夏だったから」
「親父に思いっきり甘えられてきっと嬉しいさ」
「そうかな? ボクのほうが甘えてる感じだけど」
テスは軽く肩をすくめる。
「お前は? ガキの時どうだった? 今のソル君やマァルちゃんと一緒だろ? 『お父さん』のパパスさんが居て、『お母さん』が居ないわけだし」
「まあ、確かに似てるけど……。お父さんが好きだったし、いつだって楽しかったけどさ。……ボクはお母さんって概念がすっぽ抜けてたからね。サンチョがお母さん的なところを担ってくれてたというか」
「サンチョさん今でも居るだろ、一緒」
「ボクとお父さんがイコールになるとでも?」
「お前自身の評価はともかく、子どもに言わせればお前が父親。だからイコール」
オレの言葉に、テスは暫くぽかんとした顔でオレを見ていた。
「……ヘンリー君って、格好いいねえー」
「お前今更何を言ってるんだ、オレはいつでも格好いい」
真顔で答えたら、テスは思いっきり笑いやがった。
失礼な奴だ。

 
「ちょっとね、聞きたい事があって来たんだ」
テスは漸く本題に入ることにしたらしい、荷物の中から書き込みがいっぱいしてある地図を取り出してきた。
それをテーブルに広げて、指をさす。
ちょうど、ラインハットの西のほうにある岩山を超えた辺りだ。
地図の中では盆地になっている。
「この辺りにそのうち行きたいんだけど、ここってラインハットの領地内?」
オレは頭の中に入ってる領地の地図と照らし合わせて頷く。
「ああ、まだラインハットだな」
「何がある、とか記録残ってないかな? 行って何にも無かったら時間がもったいない」
「あー、じゃあ書庫内捜索させて何か記録されてないか探させるか。ちょっと時間かかると思うぞ、広いから」
「急がないよ。そんなニ・三日で探せとか言わないよ。記録でも言い伝えでも何でもいいから教えて貰えると嬉しい」
テスは言いながら地図をしまった。
「けどよ?」
オレはテスを見る。
「記録になんか残ってたとして、あの岩山を超えるのは少々きついぞ」
「あー、その辺は全然心配しないで。色々手立てはあるから」
テスはにやっと笑う。
「ねえ、ヘンリー君天空城が復活したって噂聞いた事ない?」
「秋の終わりに南の空を飛んでたって噂は聞いた。噂は噂だろ? もし本当だったとしてもどうしようもねえだろ?」
テスのにやにや顔がさらに笑顔になる。
「……噂じゃねえのか」
「むしろ復活させたのボクたち」
オレは思わずテスの顔をまじまじと見つめた。
コイツは、この手の冗談を自分で創作して言うほど神を軽く思ってないし、第一ユーモアセンスもない。

「本当なのか」
「うん」
「詳しく話せよ」
「長くなるよー?」
「ニ・三日泊まってけ」
「じゃあ、前ここに寄せて貰った後の話をするね」
テスはそういうとソファに座りなおす。
長い話が始まった。
223■冬の終わりに 2 (ヘンリー視点)
オレがここでデールの手伝いをしながら、仕事で成果を挙げている時、テスはテスで世界を救うことに関しては成果を挙げていたらしい。
テスの話は興味深かった。

母上の故郷に初めて出向いて、両親の燃えるような恋を知ったこと。そこで自分の出自と、使命を知ったこと。
サラボナで封印を破って復活した太古の怪物を再び封印するのを手助けした話。
伝説にのみ残っていた天空への塔をみつけて登ったときの事。
昔掘り返したトロッコで構成された洞窟と、その先にあった水の中の天空城。
そこで突きつけられた過去。自分がどれだけ今まで過去から目を背けていたのかを知ったこと。その過去を見据えて、前を向けるようになったこと。
妖精が見られなくなっていたこと。子ども達の力で妖精の国に再びいけたこと。友人に再会したこと。
復活した天空城で空を飛んだこと。
ボブルの塔というところで、パパスさんの仇を一つ討ったこと。ゲマにはまた逃げられたこと。
そして、マスタードラゴンという神の復活。

そのどれもが、キラキラしてて、魅力的。それは別の世界の話のようだった。
もちろん、オレは今の生活に不満はない。平和で、好きな事が出来るこの生活に、不満の持ちようなんかない。
ただ、オレにはテスと一緒に旅に出る選択肢もあって(まあ、それはテスの結婚で終わっただろうけど)そっちを選択していたら今でも一緒に旅をしてこういう体験が出来たんだろうな、という思いが抱かせる憧れだろう。
手に入らないからこそ、憧れるんだ。

テスの境遇は、この前あった一年半前と何も変ってない。
ただ、テスの子ども達は。特にソル君は『伝説の勇者』として力をどんどんつけてきている。世界は、どんどん変ってる。
旅を続けて、きっとコイツは暗黒の魔王とやらの力をひしひしと感じてるんだろう。
……コイツの境遇、むしろ悪くなって行ってないか?
自分だけじゃなく、子どもも危険にさらして。
世界中を旅してるのに、ビアンカさんの行方も母上の行方も知れないままだ。

テスは少し黙った。
窓の外をぼんやりとした目で見つめている。
窓の外は燃えるような夕焼け。金色のようなオレンジが空を染めている。
厨房の方は今夕食の用意に忙しいんだろう、煙突から煙がたなびいている。
「何か喋りつかれちゃった」
テスはそういうと、冷え切った紅茶の残りをぐいっと飲み干した。

テスはまだ、本当に話したいことを話してないだろう。
コイツはいつだって、やりたい事や言いたい事を飲み込んでしまう。
一番最後まで黙っていて、どういえばいいのか考えている。
どういえば、一番誰もが傷つかないか考えてる。
今だって、本当は話したいはずだ。
でも、どう言えばいいのか悩んでるんだろう。
多分、ここまで来たって事はもう話すことについては決心がついてるんだ。
あとは、最後の何かを押せば、話しだす。

オレは焦っても仕方ない。
話したくなるまで待つだけだ。
「そうか、オレも聞くのに疲れた。丁度いいし、飯にしようぜ」
オレはなるべくおどけたようにテスに声を掛ける。
ちょっとしたことでも、追い詰めないように。

知ってるか。
世界の命運を握ってる奴は、かなり繊細だぞ。
辛い世界を乗り切る強さを持ってるから心配はいらないけど、それでも浮上するまでは結構時間が掛かるんだ。

「そうだね、おなかすいたね」
テスは胃の辺りをさすりながら苦笑した。
それで話は一度終わった。

夕食はテスの事を歓迎して盛大なパーティーになった。
本人はそんな事しなくていいのに、と少し顔をしかめている。
コリンズはソル君やマァルちゃんが来てるんじゃないかと期待してたんだが、残念ながら来てないことにがっくりしている。
ウチのガキはマァルちゃんが好きだからなあ。
もうちょっと素直になるべきかなとは思うが、面白いからそのままにしておこう。
が、まあ、オレもオニじゃねえから、とりあえずテスには話だけしておいてやるからな。感謝しろよ。

オレはちょっと早いペースでワインを飲んでいるテスに近寄って、声を掛ける。
「おう、お前そんなにのめたか?」
「ううん、弱いよ」
「程ほどにしとけよ?」
「うん、ま、ちょっとね」

ああ、勢い付けな。
話す気なんだ。

「そういえば、なんで子どもたち連れてこなかったんだ?」
「留守番してるって言ったから」
「……今度は連れてこいよ」
「……なんで?」
「ウチのガキがマァルちゃんを気に入ってる」
テスは向こうにいるコリンズをじろっと見た。
「ボクからマァルを奪おうと? いい度胸ー」
「手加減してやってくれ」
「でも、先は暗いかなあ。マァルがここに来たくなくて自ら留守番宣言したもん」
オレは思わず遠くのコリンズを哀れみの目で見つめてしまった。
「もうちょっとコリンズ君は素直になるべきだねー。好きな女の子に意地悪する気持ちはわからないでもないけど、される方は印象激ワルだよね」
「伝えとくよ」
オレは思わずコリンズを見つめたままため息をついた。

「ヘンリー君、夜暇?」
「ああ。朝までだって話は聞くぞ」
「うん、何とか話せると思うから……。マリアさんにも関係有るから、コリンズ君が寝たあとくらいで」
「わかった。さっきの部屋にマリアと一緒に行こう」
オレはテスの顔を見ないで答える。

オレと、テスと、マリアに関係のある話。
明るい話ではない。
オレは覚悟を決めた。
224■冬の終わりに 3 (ヘンリー視点)
突発的にパーティーがあったからだろう、コリンズは妙に興奮してしまって全然眠ろうとしない。何とかベッドに放り込み、眠りに落ちるのを待つ。
結局オレとマリアがテスと話を始められたのは深夜になってからだった。
 
テスは既に割り当てられた部屋から出てきて、昼間オレたちが話し合った部屋までやってきていた。
昼間と同じソファで、半分ずり落ちそうになりながら眠っている。テーブルの上には飲みかけのワインが置かれていた。
「おい、こら、起きろよ!」
オレはテスの頭を軽く小突いて、テスの正面に座る。
マリアがオレの隣に座った。
「……」
テスはぼんやりとした目でオレたちを交互に見比べた。
「……ああ、おはよう」
「おはようじゃねえ」
オレは呆れて返事をする。
テーブルのワインを使われてないグラスに注いで一口飲んだ。割と甘めの、軽いワインだった。
「お疲れなら、お話は明日以降にしますか?」
マリアは、いまだソファに沈んでいるテスを心配そうに見ながらそっと声をかける。
「大丈夫です」
テスは小さな声で言うと、靴を脱いでソファに足を乗せた。
丸まるようにひざを抱えて、そのひざにあごを乗せる。
暫くぼんやりと宙を見つめて、それから大きくため息をついた。

「あのね」

テスはオレたちを見ないで、ずっと自分の足先を見ている。
その格好のままぼそぼそと喋りだした。
「夕方、マスタードラゴンが戻ってきた話はしたよね?」
オレは頷く。マリアは少し驚いているようだった。
「でね、まあ、その戻ってくる手助けをしたから、ボクらは彼の力を借りられるんだ」
「お前、すげえ冒険してるなあ。ついには神とも知り合いか」
オレはなるべく明るい声で言う。
テスは無反応で、あいかわらずオレのほうは見ない。
「現実的には、彼の背中に乗せてもらってどこへでも飛んでいけるようになったんだ」
「ああ、それでラインハットの西端までいけるって言ってたのか」
オレの言葉にテスが頷いた。
「まあ、そこにもいつか行くとして」
テスは少し黙った。

静かだった。
皆が寝静まった夜中、聞こえてくる音は時々吹く風の音と、雪解け水が流れていく音だけだ。
普段聞こえないような音が、耳に届いている感じ。
甲高い、キーンという音が聞こえてくる。
耳鳴り。

「マスタードラゴンから見た世界は美しかったよ。緑あふれる大地も、真っ青な海も、夕焼けに染まった空や海も、全部綺麗だった。マスタードラゴンが世界を守る理由がわかった気がした」
テスが初めて顔をあげた。
オレと、マリアを真っ直ぐに見つめる。

「セントベレスの頂上も、見た」

テスの言葉に、マリアが息を飲んだ。
「夕焼けに染まって、あの忌々しい神殿はとても神々しかった。嘘みたいに綺麗だった。内側は血と苦しみで染まってるのに」
テスが歯を食いしばる音がした。
何か、ネジを巻くような音に聞こえた。
それとともに、オレの視界は少し薄暗くなった。
背中が寒い。
マリアがギュッとオレの腕をつかむ。オレはその手に手を重ねた。
お互い少し震えていた。

「まだ前庭に資材が置かれていたから、完成ってわけじゃないと思う。けど、時間の問題だと思う。この春先には、きっと終わる」

テスは淡々と続ける。
コイツが、神殿を見たのは秋の終わりだったはずだ。
この冬の間、ずっとコイツはこのことを胸の奥にしまいこんでたんだ。
誰にもいえないで、どうするべきか考えてたんだ。

「コレまでは、なるべく考えないようにしてた。あの山の上には行く方法が無かったから。でも今のボクはいける。あそこで何が起こってるか知ってる」

テスは抱えたひざに額をつけた。
うつむいて、オレからは表情がわからない。

「凄く恐いんだ。十年以上知らん顔してた。誰にも言わないで来た。今でも酷い目にあってるひとが居るのを知ってて、でも放っておいてた。行けないんだからって自分に言い聞かせて、言い訳にしてた。でももうその言い訳は出来ない。今更行って何になるって思う。今まで放っておいたくせにって。あそこに行こうと思ったら、今まで隠してたものを、全部白状しなきゃいけない。思い出したくないし、言いたくないし、知られるのも嫌だ」

テスはオレのほうを見た。
涙が目に滲んでる。

「でも、神殿が完成したら、ドレイは皆殺しにされるのを、ボクは知ってる。知ってて放っておくのも嫌だ」

ああ、コイツ泣けるようになったんだな、って思った。
自分もずっとなるべく考えないようにしていた物を突きつけられてるのに、それよりもテスの涙のほうがオレは気になった。

「ねえ、ヘンリー君なら、マリアさんなら、どうする?」

コイツの旅には、子ども達が付いてくる。
テスを信頼しきってる魔物の仲間が付いてくる。
親代わりの人が付いてきてくれている。
旅をするには理由が必要だ。
あの神殿に行くために、コイツは今まで無かった事にしていたことを、コイツの大切な人全員に知らせなければならなくなった。

オレはテスを見つめた。

オレは、コリンズに、言えるか?

「テスさんは」
マリアが口を開く。
テスがのろのろとマリアを見た。
「テスさんは、全てを伝えるつもりなのでしょう?」
テスがかすかに頷く。

「人を見捨てるのは……知っていて見捨てるのは……もう嫌です」

オレたちの自由は。
今の生活は。
ドレイ全員の命と、マリアの兄のヨシュアさんの命を見捨てた上に成り立ってる。
マリアも、テスも、そしてオレも。
ソレを忘れた事はないし、それぞれに罪の意識を背負ってきた。

「教えてくださって、ありがとうございます」
マリアが深くお辞儀をした。
「いつか、コリンズには伝えなきゃいけないと思っていました。いつまでも秘密にしておくのは、兄に対して申し訳ないと」
マリアはテスの手をそっと握った。
「私はテスさんの旅について行っても足手まといになるだけです。一番辛い仕事をテスさん一人に任せてしまうことになり、本当に申し訳なく思います」
「マリアさん……」
「私たちも、コリンズに伝えます。あの子はいたずら三昧でここまで来ましたが、そろそろ色々考えるべき歳です。いい機会です。……あそこに居る方たちに、平穏と幸せを取り戻してあげてください」
オレもテスの手を握り締めた。
「本当に済まない」
テスは頷いた。
「春になったら、出かけるよ。ヨシュアさんを連れて必ず戻るから。……相談してよかった。ボクは、間違ってないよね? ちょっと遅いかもしれないけど」

「遅いとか文句を言う奴がいたら、オレが蹴り飛ばしてやる」
オレが言うと、テスは笑った。
「やっぱりヘンリー君は格好いいね」
「当たり前だ」
225■冬の終わりに 4 (ヘンリー視点)
全部話終わって、テスは大きく息を吐き出すと、またうつむいてひざを抱えた。
秋の終わりからずっと抱え込んで、頭の中と心の中でぐるぐると渦巻いていたものを全部吐き出して、少し疲れたんだろう。

抱え込んでるとき、色んな予測を立てたんだと思う。
オレたちが今みたいに全部肯定して背中を押すパターンや、今の生活に波風立てるようなことをしないで欲しいと反対されるパターン。
肯定も否定も考えて、コイツのことだからきっと否定的な意見を繰り返して考えたに違いない。
だから、オレたちが肯定してちょっとほっとしたところもあるんだろう。

「ボクも、帰ったら全部言うよ」
小さな声で、それだけポツリとつぶやいた。

コイツは、多分国に戻ったら真っ先に子ども達と仲間を集めて、腹の中のものを全部吐き出すんだろう。
無かった事にしていた事を、知らない振りをしてきた事を、卑怯だった部分も、怯えも苦しみも、全部吐き出してしまうんだろう。

その結果、見損なわれても仕方ないと、諦めた上で。

多分そんな事にはならないだろう。
どのくらい仲間の魔物が増えたかしらないが、少なくともオレが知ってる奴らは、その程度でテスを捨てるほどヤワじゃない。
そんなに浅い付き合いじゃない。
深いところでテスの事を信頼してるから、ずっと一緒に居るんだ。
きっと、命が尽きるまで。
羨ましい限りだ。

 
お前が、お前自身に下してる評価は低すぎる。
お前はもっと、うぬぼれたっていい。

 
まあ、恥ずかしいし悔しいし、面白いからコレは黙っておくけどな。
オレは心の中でつぶやくと、目の前に居るテスに向かって軽く舌を出した。

 
 
次の朝、いつもより少し遅い朝食をテスを交えて家族で食べた。
テスは半分寝てるような様子で、もそもそと機械的にパンを口に運んでいる。
オレとマリアもあまり話をしないで、黙々と朝食を口に運ぶ。
少々眠かった。
コリンズはあまり話をしないオレたちに少し不安そうな目を向けていた。
「コリンズ君」
唐突にテスがコリンズを呼んだ。まだやっぱり寝てるみたいな声だ。コリンズは不信感をありありと浮かべた目で、テスを見る。
「なんだよ」
「全部終わったら、一回グランバニアに遊びにおいでよ。色々発見があると思うから」
「全部終わるって、いつだよ」
「……さあ?」
「はっきりしない奴だな」
「はっきりしないよ。けど、もうちょっと先だと思う。全部終わって無事かどうかもわからないけど。全部幸運に終わったら、遊びに来たらいい。まだ余裕はあるから、ソレまでにその照れ隠しだろう悪い言葉遣いを直しておきなよ」
「……っ」
テスの言葉にコリンズが顔を赤くする。
あー、怒ってるなあ、図星さされたもんなあ、朝っぱらから。
「キミが変わらなきゃ、色んなものは変わらないよ。例えばマァルの気分とかさ」
コリンズがテスから目をそらした。
「まあ、ボクの事敵に回して勝つつもりがあるなら、頑張ってみるといいさ」
テスは意地悪く笑うと立ち上がる。
「朝ごはん、ご馳走様。少し休んで、用意が出来次第帰るよ」
そういって、コリンズの頭を軽く撫でてから部屋を出て行った。

「何だあいつムカつくー!!」
コリンズの言葉に、マリアが顔をしかめる。
「でもテスさんのいう事は尤もよ? コリンズは少しお行儀が悪いもの。このままじゃマァルちゃんには好かれないわね。私がマァルちゃんなら、やっぱりコリンズは苦手だと思うもの」
マリアの言葉に、コリンズは口をゆがめた。
「これから少しずつ、周りの人に優しくなれるようにお勉強しましょうね。まだ望みはあるんだから」
「……はーい」
不承不承、コリンズは返事をする。こういうときは、絶対母親のほうがしっかりしてる。長年の経験から、オレはこういうときには口を出さない事にしてる。
「コリンズには、色んなことを知って、優しい人になってほしいの」
マリアが優しい顔で笑うと、コリンズは尖らせていた口を元に戻して、殊勝な顔で頷いた。
 
 
昼も近い時間になって、テスはオレに挨拶に来た。
このままルーラでグランバニアに戻るそうだ。
「ヘンリー君、今度また西端の事聞きに来るから、ソレまでには調べておいてね」
「ちゃんとやらせてるから、心配すんな。お前がヨシュアさんを連れてくる頃には、全部調べ上げて終わらせとく」
「頼りにしてる」
テスが笑う。
オレも笑い返した。
「お前さ、あんまり悲観するなよ? これまでお前が大丈夫だって思ったことは全部大丈夫だったんだ。これからだってそうさ。きっと皆、お前を嫌ったりしねえよ。もし何かいう奴がいたら、本気でオレが叱り飛ばしに行ってやる」
「ヘンリー君って、熱いね。カッコイイー」
絶対そう思ってない口調で、テスが言う。
「何回も言ってるだろ、オレはいつでも格好いいの。オレを誰だと思ってんだ」
「ボクの親分」
オレは思わず笑う。
「そうだ、オレはお前の親分だ。いくらでも支えてやるから、お前はお前の信じる道を突っ走ってこい」
「あー、格好いい。ボクが女なら惚れてたね」
「いらねぇ。マリア以外いらねえ」
オレが言うと、テスは遠い目をした。
「あー、ボクもノロケがいえる立場に戻りたいなあ。ビアンカちゃーん」
本心だろうに、白々しい声で言って、笑う。
「きっと無事に見つかるさ」
「当たり前だよ」
テスは答えながら、部屋の窓を開けてベランダに出る。
「近いうちまた来るよ。いい知らせを持って」
「信じて待ってる。……無事で居ろよ、命令だからな」
テスは頷くと、空を見上げる。ルーラを唱えたんだろう、一瞬風がオレのほうに向かって吹いた。そして、テスはオレの視界から消えた。
「ホント無事で帰ってこいよ、頼むから」
オレはテスが飛んでいったほうの空を見上げてつぶやくと、部屋の中に戻った。

これから、コリンズにどうやって説明するか暫く考えなきゃならない。

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