43■神の復活
神の背から見る世界。


218■再び天空城へ (テス視点)
ボブルの塔の前でもう一晩だけ野営をしてから、ボクらは歩いて天空城をおろしたところまで戻ることにした。
季節は秋もおしまいに近付いて、歩いていると風が随分と冷たい。
この分だと、今年も冬はグランバニアに戻って春が来るのを待ってから旅を再開することになりそうだ。
……まだビアンカちゃんは待ってくれているだろうか。
ちょっと不安に思いつつ、ボクは空を見る。
空の青色は、夏に比べて随分白っぽくなった。
浮かぶ雲の形も変わっている。
季節は確実に進んでいるけど、ボクは確実に前へ薦めているんだろうか。
相変わらず、ビアンカちゃんの手がかりも、お母さんの手がかりも、どちらも無いまま。
もう半年もしたら、子ども達は10歳になる。

時間だけが、ともかく足早に過ぎていっている気がする。

「お父さん、どうしたの?」
ため息をついたところで、ソルに見上げられた。
「……ちょっとね、色々考え事」
答えながら、ソルの声が甲高いうちにビアンカちゃんを探してあげないと、ビアンカちゃんもショックが大きいだろうな、とかそんな事を思った。
8歳児でも随分な衝撃だったもんなあ。
「お父さん、本当に大丈夫?」
ついにはマァルにまで心配そうに見上げられて、ボクはしばらくこのことを考えるのはやめる事にした。

 
天空城の入り口の長い階段をあがったあたりから、何だか変な感じがした。
小さな音でしか聞こえないけど、何か騒いでいるみたい。
遠くからわーわーと何か口々に言っているのが聞こえる。
「何か騒いでない?」
ボクがいうと、皆も頷いた。
「そうだね、普段はこの辺にも人が居るのに、全然居ないね」
ソルは入り口をあがってすぐの広場の辺りを指差す。
確かに人が誰も居ない。
「なんか怒ってるみたいな声よね? 恐い……」
マァルは声がするほうを見て少し眉を寄せる。
「でもこんなところまで聞こえてくるなんて、よほどの騒ぎですよ?」
サンチョが首を傾げて声のするほうを見る。
「……だよねえ、その辺でやってるのが聞こえるならともかく、姿かたちが見えないのに聞こえてくるんだもんね」
ボクも声がするほうを見る。
正面のドアよりもっと向こう。
玉座の間のあたりかも。上のほうから声がする。
「ともかく、凄いことになってそうだ、とは思う」

 
 

想像通り、玉座の間は随分な騒ぎになっていた。
多分、城中の天空人がここに集まったんだろう。入り口からは玉座が見えない。玉座の辺りを中心に、半円を描いて人が集まっている。
視線の先には多分プサンさんが居るんだろう。集まった人たちは口々に「何者だ」とか「答えろ」とか、いろんなことを言っていた。
どうしたもんかな、と暫くその様子を伺っていたら、一人の天空人がボクらに気づく。
「ややテスどの! いい所に来てくれました。実はこの城にあやしい男がひそんでいたのです!」
そういって、やっぱり円の向こう側を指差した。
向こうのほうから
「プサンとかいったな! お前は何者だっ!? 我々天空の民にはプサンなどという名前の者はいなかったぞっ」
なんて声が聞こえてくる。

やっぱり騒ぎはプサンさんが原因らしい。

ボクらは集まった人たちを掻き分けるように円の中心を目指す。
玉座の前で、プサンさんが困り果てた顔をしていた。
二人の天空人がプサンさんに詰め寄っている。
「あのー」
ボクが声をかけると、一人が振り返る。
「ちょうどいい所に来てくれましたテスどの。このあやしい男を調べるのにどうかご協力ください!」
「あの、プサンさんは、ボクと一緒にここに来たんですけど……」
騒いでいた人たちが一瞬黙った。
「テスどの、こんな得体の知れない男を天空城に!?」
「……天空城のことを色々教えてくれたのはプサンさんなんですけど」
答えると、調べていた人の一人がぎろりとプサンさんをにらんだ。
「天空城のことを知っているとは、お前何者だ!」
「私は私ですよー」
プサンさんは弱々しい声で答えにならないことを言う。
ボクはプサンさんに近寄った。
「テスさんも私は怪しくないって言って下さいよ〜」

いやあ、十分怪しいでしょう。

思ったことは言わないで心にとどめておく。
再び周りが口々に色々言い始める。
そんな中、プサンさんが一瞬凄く真面目な顔でボクを見た。
ボクはプサンさんに近寄る。
「テスさん……ドラゴンオーブを持ってきてくれたのですね?」
ボクは頷く。
プサンさんは満足そうに頷いた。
「やはりあなたがたは私の思ったとおり、知恵と勇気をかねそなえた人たちですね」
周りの喧騒で、ボクらの話し声はほとんど周りに聞こえていないみたいだった。ソルとマァルが必死に、プサンさんはとりあえず恐くないと説得している。
ボクらはそんな中小声で話を続けた。
「持っては来ました。けど、コレはマスタードラゴン様が力を封じたものでしょう?」
ボクが尋ねると、プサンさんは頷いた。
「ええ、そうですよ」
「マスタードラゴン様は不在みたいですから、とりあえず信用できる方に渡したいんですけど」
「私に渡してくださいよ」
ボクはプサンさんを見た。
「さあ、どうしましょうね。……少なくとも、ここの人たちはあなたを信用してませんよ」
「本当ならウデずくでももらうのですが……私は見ての通りのやさ男。あなたにとても勝てそうにありません。オーブはあきらめることにしましょう……」
プサンさんはため息をつく。
「あれ? 諦めるんですか?」
ボクがいうと、プサンさんはまたため息をついた。
「……テスさん、前から思ってたんですけど、あなた実は私のこと」
「考えましたよ、色々。……人間になって楽しかったですか?」
尋ねると、プサンさんはにやにやと笑った。
「ええ、とても。……いつから怪しいと?」
「マァルがあなたの事を恐がるんです。あの子は魔力に敏感だから……。普通の人相手だったらあそこまで恐がりません」
ボクは大きく息を吐いた。
「それに、ソルのことも不思議な感じがするって言ったでしょう?」
ボクはプサンさんをみた。
「色々力を持ちすぎてて、普通の天空人ではないだろうな、とは思ってました。確信したのはプサンという天空人が居ないと聞いたときです。……あなたの試練はちょっとボクにはきつかったですよ」
「ちゃんと乗り切ったじゃないですか。出来ると思ったから与えたんです」
「その分、色々返してくださいよ? 世の中持ちつ持たれつです。人間になってその辺学習していただけましたか?」
「ええ、私に出来る助力ならいたしましょう?」
プサンさんはにやっと笑った。
「この私を脅した人間は、長い歴史の中でもそうはいませんよ?」
「褒め言葉だと思っておきます」
ボクはドラゴンオーブをプサンさんに手渡した。
「色々期待してますからね、神様」
219■マスタードラゴン (ソル視点)
ぼくとマァルがプサンさんに詰め寄っていく天空人さんたちを止めている間、お父さんはずっとプサンさんと小さな声で話をしているみたいだった。
周りの声がうるさくて、何を言ってるのかは聞こえなかったけど、結構二人は楽しそうに話し合っているみたい。
そんな事してないで、お父さんも皆を説得してくれればいいのに。
そう思って振り返ったとき、お父さんは道具を入れておく袋から、ボブルの塔の奥で見つけた竜のオーブをプサンさんに手渡すところだった。
「色々ご無礼があった事をお詫びします。でも、確信が真実かどうか知ってから渡したかったので」
お父さんがそういったのだけ聞こえた。
「ありがとうございます。なにやら全身にチカラがみなぎってくるようです」
プサンさんの声も聞こえる。

二人が何を言ってるのか、わからない。
それに、確かあれはマスタードラゴン様の力を封印したオーブだろうから、信頼できる人に渡そうって話だったのに。
……プサンさんが信頼できないって言うわけじゃないけど、こんな騒ぎになってるんだから、プサンさんに渡しちゃうのはよくないんじゃないかな?
「お父さん」
ぼくは思わず声をかける。
「何?」
お父さんは慌てた様子も無く首を傾げて見せた。
プサンさんは嬉しそうにオーブを抱くと、ぼくを見てにっこりと笑って見せた。

これまでとは、ちょっと違う笑い方。
何だか、凄く優しい笑い方。

ぼくはお父さんに駆け寄った。
「渡しちゃっていいの!?」
「いいんだよ」
お父さんは笑って、ぼくの頭を撫でる。
「けど、だって、信用できる人に渡すって」
「そうだよ。信用できる人に渡す予定だった」
お父さんはオーブを抱いたまま瞑想を始めたプサンさんを見てにこりと笑う。
「……必要としてる人が居るんだから、その人に渡すのは当たり前でしょう?」
「え?」
ぼくが聞き返したとき、一瞬で部屋の中が見えなくなった。

圧倒的な、白。
強烈な光が、部屋の中にあふれ出してくる。
「!!」
ぼくは思わず目を閉じて、お父さんの体にしがみついた。
お父さんが僕の頭を撫でてくれる。
凄くほっとした。

まわりでは「何だ何だ!?」みたいな叫び声がしている。
ここに集まっていた皆がみんな、混乱してるみたい。
マァルは大丈夫かな?
そう思ったとき、ぐおぉって物凄い雄たけびが部屋の中に響いた。

低い音。
でも、恐くない。

ぼくはそっと目を開ける。
マァルがさっき居た場所で座り込んでるのが見えた。
お父さんはプサンさんが居たほうの、少し上のほうを真っ直ぐ見上げている。
ぼくはお父さんが見上げてるほうを見て思わず息を吸い込んだ。
「ま……ま……まさかそんな…!」
「マスタードラゴンさま!」
周りに居た天空人さんたちが次々に驚きの声を上げる。
ぼくは思わずお父さんを見上げた。
お父さんは特に驚いた様子も無く、ただじっとマスタードラゴン様を見上げていた。

大きい。
大人の人がいっぱい座れそうだって思ったあの玉座は、この神様のためのものだったんだ。
あの玉座に悠々と座っている。
金色に輝くうろこと、大きな翼。
尻尾だって長くて太い。
コレまでいろんなドラゴンの姿をした魔物と戦ってきたけど、そのどのドラゴンと比べても大きいし、格好いい。
「うわー」
ぼくは思わず声を上げて、ぽかんとするしかなかった。
マァルがよろよろと歩いてきて、お父さんにしがみつく。
お父さんはマァルの頭をそっと撫でてあげていた。

「わが名はマスタードラゴン。世界のすべてを統治する者なり……」
マスタードラゴン様はゆっくりと話し始める。
低くて、落ち着いた声。
プサンさんだったなんて、信じられない。
マスタードラゴン様は話を続ける。凄く優しい目で、ぼくらを見た。
「よくぞ来たな。伝説の勇者の血を引きし一族たちよ。私が人として暮らす間に、再び世界の平和がやぶられてしまったらしい。魔界の門が大きく開けられ、魔界の王がこちらに来ようとしているのだ」
「やっぱりそうなの?」
ぼくが尋ねると、マスタードラゴン様はゆっくりと頷いた。
「しかし、そなたたちならそれをくいとめられるやも知れん! もちろん私も力をかそう!」
マスタードラゴン様は、腕を一度だけ天に向けて、それからすぐにおろした。
ぼくの目の前に、綺麗なベルが現れる。
銀で出来ていて、金色の縁取りと装飾が付いている。緑の綺麗な宝石がはめ込んであるところもあって、模様になってる。もち手のところも銀で出来ていて、翼があしらわれていた。
こんな綺麗なベルを見るのは初めてだった。
「私を呼びたいときはそのベルを鳴らすがいい。すぐに飛んで行って力をかそう」
「どうもありがとうございます」
お父さんが深々と頭を下げる。
「そなたたちの助けがなければ、私は非力な人間のままであっただろう。礼を言うぞ! テス!」
「マスタードラゴン様のお力になれたことを、誇りに思います」
お父さんはそういって、また頭を下げた。

 
玉座の間から出て、ぼくらはすぐにお父さんを取り囲んだ。
「何で!? 何でプサンさんがマスタードラゴン様って知ってたの!? それともプサンさんに聞いてたの!?」
ぼくが言うと、サンチョも頷いた。
「そうですよ! 黙ってるなんて水臭い!」
「わたしビックリしちゃって何も言えなかった!」
お父さんはタジタジと後ずさって、困ったように笑う。
「いや、別に知ってたわけじゃないよ。勿論聞いてないし」
「じゃあ何でわかったの!?」
「推理したら当たってたの。マァルはずっとプサンさんの事恐がってたでしょ? マァルは魔力に敏感だからさ、あのオーブを見つけたときも恐がってたし。プサンさんが初めてソルを見たときも何だか不思議な感じがするって言ってたし」
お父さんはそこで一度大きく息を吐いた。
「ボクの知ってる天空人は、グランバニアに居る彼女だけだけど、そんな力って無いんだよね。プサンさんはちょっと特別なのかなってその時は思ってた」
お父さんはぼくらを見る。
「そのうち、ここでプサンっていう天空人が居ないことと、マスタードラゴンが人間も楽しそうだって言ってたことを聞いた。でもプサンさんは実在して、天空城を知ってる。プサンさんって、最初、元天空人って挨拶したんだよ? 覚えてる? 元ってことは、現在は違うって事だよね? 翼も無かったし、多分人間になってたんだ」
そこでお父さんはもう一回ぼくらを見回した。
「さて。天空城から居なくなったのは誰だったでしょう? ボクらと一緒に戻ってきた人間は、誰だったんでしょう?」

「あー!」

ぼくらは一斉に声を上げた。
「ね?  一減って、一戻ってきました。数の辻褄合うでしょ? ボクはそこで確信したんだけど、真実かどうかわからない。だから聞いてみた」
「何て?」
「人間になって楽しかったですか?」
「何て答えたの?」
「楽しかったそうだよ。それで確認したからオーブを渡した。予想通りだったから、そんなにビックリしなかった」
「ずるいなー、先に教えておいてくれなきゃ!」
ぼくがいうと、お父さんはにやっと笑った。
「そんなの、面白くないでしょ?」
230■空から見た世界 (テス視点)
天空城から外に出て、ボクらはこれからのことを話し合う。
これからどこに向かって旅をしたらいいのか、全く見当も付かない。
世界を旅したけど、ビアンカちゃんの噂もお母さんの話も全然聞かなかった。
旅をする手段は魔法の絨毯や天空城ってどんどん増えていったけど、それでも世界は呆然とするくらい広くて、まだ行き着かないところがあるのかもしれない。
天空城が復活して、神様に聞けばビアンカちゃんの居所くらいはわかるかも、とか実はほんのちょっと期待していたんだけど、それも無理そうだ。

「さて、どうしたらいいのかなあ」
天空城はとりあえずまだ地面に降りたままになっているから、その入り口の長い石段の一番下に座り込んで、ボクはため息をつく。
「これからどこへ行くべきなんだろう?」
地図を広げて皆で覗き込んでみた。
随分長い事使ってきたから、いろんなところに書き込みがある。
ルラムーン草の群生地だとか、トロッコの洞窟を塞いでいた大岩の場所とか。
一つ一つが懐かしかった。
書き込みがほとんど無いのは、ラインハットの西側にある岩山に囲まれた土地。ここには何があるのか分からない。
それと、もう一つ。
世界の真ん中にある島の北側くらいだ。
……ボクが小さい頃居た場所。
二度と行きたくないし、行く手立てもない場所。
ボクは地図を見たまま暫く考え込む。

「ねえ」
ソルとマァルがボクをのぞき込んでいた。
「何?」
「さっき、マスタードラゴン様から頂いたベル、鳴らしてみてもいい?」
マァルは既に手にベルを持っている。
「……」
ボクは暫く呆けたように二人を見て、それから頷いた。
「面白そうだから、鳴らしてみようか」
二人は「やったー!」と歓声を上げて、笑いあう。
「じゃあ、鳴らすね!」
マァルがベルを振ると、澄んだ音色が空に吸い込まれていった。
やがてマスタードラゴンの声が聞こえる。
「そこは流石に狭すぎる。もう少し広い場所で呼んでくれないかね?」
「えー、そうなのー?」
ソルが不満そうな声を上げたら、マスタードラゴンは苦笑しているようだった。
「わかりました、少し広いところでお呼びしますね」
ボクは答えて、また地図を見た。

一番近いテルパドールへルーラで移動して、ボクらは再びベルをならす。
澄んだ音色は今度こそ空に吸い込まれていった。
「……何も変わんないよ、さっきと」
「マスタードラゴン様が返事しない分、さっきより悪いわよ?」
何も変化が無くて、ソルとマァルは不満そうにベルを見る。
と、空が急に暗くなった。
思わず見上げると、太陽とボクらの間に大きな竜が飛んできていた。
金色の鱗と力強い翼を持った、大きなドラゴン。

「……マスタードラゴン」
ボクは呆然とつぶやく。
力を貸すとは言ってくれていた。けど、まさか本当に自ら飛んできてくれるとは思ってなかった。眷属のドラゴンをお使いでやってくれるくらいだろうって、実のところその程度に考えていた。
「うわー!」
ソルが嬉しそうに歓声を上げて、両手を振ってみせる。
考えてみたら、この子はマスタードラゴンがプサンさんだった時から仲が良かった。彼がここに来てくれるのは、きっと嬉しいだろう。
マスタードラゴンはくるりと宙で円を描いてから、ゆっくりと大地に降り立った。
砂が巻き上げらて、ボクは思わず目を閉じる。風が通り抜けていくのを感じた。

やがて風が収まって、ボクはゆっくりと目を開ける。
目の前にマスタードラゴンが悠々と座っていた。
「すごーい!」
「格好いいー!」
ソルとマァルは嬉しそうな声を上げて、マスタードラゴンに近寄っていく。そのままその大きな腕に抱きつく。
マスタードラゴンが嬉しそうに微笑んだように見えた。
「呼んでくれたら、いつでもこうして飛んでこよう」
「ホント!? 凄いや!」
ソルが嬉しそうに言う。
「さあ、背に乗るが良い。どこへでも飛んで連れて行こう」
そういうとマスタードラゴンは嬉しそうに笑った。

 
マスタードラゴンの背は広くて、平らだった。
ボクらはその背に乗る。馬車だって平気でその背中に乗せてしまう。
パトリシアが落ち着かないようだから、しばらくなだめてから座らせて、ずっとそばについていることにした。
マァルもボクのそばにやってきて、ギュッと体にしがみついてきた。
「では、参ろう」
声と共に、バサリと翼が羽ばたく。
ぐん、と加速されたのがわかった。
ふわりとした浮遊感があって、気づけばボクらは雲と同じ高さを飛んでいた。
「すごいすごい! 綺麗!」
ソルが嬉しそうに景色を見る。マァルは暫く恐がってボクの体に顔をくっつけていたけど、あんまりソルが綺麗だ綺麗だと騒ぐから、ついに顔を外に向けた。
「うわ……」
一瞬言葉を失って、じっとその景色を見る。相変わらずボクにしがみつく腕からは力が抜けてないけど、その景色に心奪われたのは間違いなさそうだ。
「綺麗ね、お父さん」
「うん」
ボクは頷く。

初めて空から、世界を見た。
コレまで、高い塔から何度も世界を見たことはあった。
そのたび、世界の広さと美しさに驚いた。
でも、ソレとは全く違う世界。
遠くに水平線が見える。
広がる世界が、どこまでも続いているのが見える。
見たもの全てが、この世界を作っているもの。
緑深い森。
鮮やかな花が咲く草原。
絶えず流れる川。
広い海。
青い、蒼い海。
体が、風を切るのがわかる。
秋の冷たい風。
もうすぐ、この風は冬の冷たい刃みたいに変わるだろう。
ボクは何か出来ただろうか?

「うわ、お父さん! 見て!」
ソルの声に我に返る。
「え?」
「あっち!」
ソルが指差すほうを見る。
太陽が沈みかけている。
世界が金色に輝いていた。
空の色は夕闇の薄い紺色が流れ込んできているのに、浮かぶ雲の縁が金色に輝いていた。
薄い薄いオレンジと、薄い薄い紺色が混じった空。
嘘みたいに綺麗だ。
海は太陽を反射して金色の光で満ちていた。

あんまり綺麗で、泣きそうになる。

その時、視界の端っこに、建物が見えた。
神々しい夕日の金色に染まった、石造りの神殿。
険しい岩山の頂上。
目の高さに、あれがある。
つまり、あそこへ行けてしまう。

「あの建物、何かしら?」
マァルがつぶやく。
「……さぁ? 何だろうね?」
ボクでも自分の声が揺れているのがわかった。マァルが気づかなかったわけがない。けど、彼女は何も言わなかった。

自分の心臓が物凄い勢いで動いているのがわかった。
息をするのが苦しい。
もう、ほとんど完成してるみたいに見えた。
どうしよう。
どうしよう。
どうしよう。
頭が働かない。何も考えられない。
どうしたらいい?

「……降りよう」
ボクの動揺がわかったのか、マスタードラゴンが言った。
ボクらはグランバニアの近くで背中から降ろしてもらった。
「では、また私の力が要るときには呼ぶが良い」
そういって、マスタードラゴンは一つ羽ばたいて空に消えていった。

吹き抜けていく風が冷たかった。
グランバニアには、もう冬がやってきているようだった。

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