42■ボブルの塔にて (後半)
今度こそ、と思ったのに。


213■ボブルの塔 5 (ピエール視点)
主殿の目が据わっている。
コレは良くない前兆だ。
殺気立ち、冷たい感情が全身を支配している。
「あの時」と同じように。
もう、主殿には周りなど見えていないのだろう。憎い敵だけが今の主殿を突き動かしている。

通路の突き当たりに居るのは、一匹のサイの姿をした魔物だった。
大振りの片刃の剣と、大型の盾を携えている。
会った事は無いが、見覚えのある敵。
名前は確か、ゴンズと言った。

水没した天空城で知ってしまった、主殿の過去。
その過去の中で、主殿の父上をなぶり殺しにした、魔物。
私にとっても、憎い敵。
主殿にとっては、憎んでも憎み足りないであろう、敵。

「あの時」。
ゲレゲレは「俺にとってもテスにとっても……許す事ができない、憎い敵だ」と言った。
「あの時」はわからなかったが、今はわかる。
「あの時」のジャミは、主殿の、ゲレゲレの、共通の敵だった。
主殿の父上を殺した、主殿とゲレゲレを引き裂いた、憎い敵だった。
そして、その片割れが、
今、目の前に居る。

主殿にとっては、多分、思いもよらなかった「幸運」だろう。
敵討ちが出来るのだから。

「ボクの事止めないでね」と主殿はいった。
正直な話、止めたい。
憎さはわかる。私だって目の前の敵が憎い。
あの時のゲレゲレの気持ちが今は良くわかる。
でも。
あの時の主殿は恐かった。今にも壊れそうな狂気に支配された姿。
あの姿を、ソル殿やマァル殿に見せたくはない。

あの時。
私やマーリンは、本当に主殿に恐怖を覚えたのだ。

「主殿、落ち着いてくださいね」
私は結局言わずには居られなくなって、主殿に声をかける。
「……」
主殿は一度だけ私を見て、肯定とも否定とも取れる曖昧な笑顔を見せた。
そしてそのまま無言で歩き出す。
剣をしっかり握って。
いつもは持っていない、明確な殺意をもって。
あの敵を殺すために。

 
 
ある程度近付いたところで、ゴンズがこちらに気づいて顔を上げた。
近付いてみてわかったが、厭らしい顔をしている。
完全に、世界をなめきった顔。
自分が強く、強大で、何者にも媚びへつらう事がない、絶対の自信にあふれた顔。
嫌悪感が募る。
ゴンズは我々を酷く小馬鹿にした顔でこちらを見て、ガラガラの品のない声でせせら笑うように話しかけてきた。
「なんだお前は?」
主殿は答えなかった。ただ、表情のない顔でゴンズを見つめている。
怒りが外に現れてないのが逆に恐い。
「そうか。ゲマさまが言ってたテスとはお前たちのことだな! ゲマ様の手をわずらわすこともあるまい。ここで死ねっ!」
そういうと、ゴンズは剣を振りかざした。

「皆なるべくばらばらに!」
私はソル殿とマァル殿に声をかける。
「え、あ、うん!」
ソル殿はいつもなら主殿からかかるはずの指示が、私から出たことに少し驚いたようだった。
マァル殿は魔法のために少し後ろに下がる。
「マァル、バイキルトかけて!」
主殿が叫んだ。
「跡形も残らないくらい切り刻んでやる!」
憎悪の混じった主殿の声に、マァル殿が体をびくりと震わせた。
それでも、マァル殿は言われたとおりバイキルトを唱える。
「あ! マァルぼくにも! あとピエールも!」
ソル殿は言うと、スクルトを唱える。
ここまで何度も戦ってきたのだ、誰が指示しなくても、やるべき事は小さな子どもである彼らもわかっている。
生き残るための算段は、もう学び終わっているのだ。

いつもと違うのは主殿で、きっとそれは彼らも気づいている。

 
戦いは苛烈だった。
ゴンズの一撃は想像以上にきつい。大きな体の、高い位置から振り落とされる一撃は重くすばやい。
マァル殿の強烈な魔法が何度も繰り返し唱えられる。地面を這うように冷気が襲い掛かるマヒャド。氷の刃が突き刺さっていっても、ゴンズは痛みすら感じていないようだった。
ソル殿の剣が銀色の光を放って振り下ろされる。
城で訓練していたときと違い、実際に戦うようになってから、目を見張るほど強くなった。
その一撃に、何度助けられたかわからない。今日も頼もしく剣をふっている。
主殿は、明確な殺意を持ってゴンズに斬りつける。
ゴンズから血が流れるたび、狂気に染まっていっているような気がしてならない。
それでも、我々が怪我をすると真っ先に回復魔法を唱えてくれる。
ちゃんと冷静なのだ。
「あの時」とは、どこかが決定的に違っている。「あの時」はもっと視野が狭く、冷静さに欠いていた。
まだ、大丈夫だ。
 
主殿の剣が、深々とゴンズに突き刺さった。
ソレがとどめになった。
声もあげず、ゴンズの巨体が後ろに倒れていく。
その様子を、主殿は無言で見つめていた。
仰向けに倒れたゴンズに近寄って、主殿はその胸倉をつかむ。
命を落としたゴンズはなすがままその体を少し浮かされる。
勿論反応はない。
主殿は憎憎しげに舌打ちすると、ゴンズの体を地面に叩きつけるようにして手放した。

暫く気まずい沈黙がその場を支配する。

「あ、あの」
マァル殿が小さい声で主殿に声をかけた。
「ねえお父さん今の……ううん。なんでもないです……」
主殿はちらりとマァル殿を見て、それから大きく息を吐いた。
そのとたん、冷たい感じが抜けていったのがわかる。
「ごめん。ちょっと我を忘れた感じだったね」
ぽんぽんとマァル殿の頭に触れて、主殿は突き当たりに向かって歩き出す。
ゴンズの陰になってわからなかったが、そこに宝箱が置かれていた。
「ここを離れたら、ちょっと休憩しよう」
そういって主殿は宝箱を開ける。
不思議な宝石のようなものが入っていた。
大きさは随分大きく、かぼちゃほどだろうか。
黄色味を帯びた半透明の物質で出来ている。角度によっては、猫の目のように細長い瞳孔のような部分が出来ている。
「あ、コレ、もしかして竜の目かも」
主殿が言う。
「確かとてつもない魔物が奪ったって言ったよね。二匹。……一匹はゴンズ」
そこまでいうと、主殿ははっとしたように息を飲んだ。
「ということは……」
主殿の目がすっと細くなった。
「お父さん、帰ろう? もう一匹居るかもしれないけど、きっと今の奴みたいに強いに違いないわ。お父さん……今ぼろぼろだもん」
マァル殿が主殿のマントをきゅっと握って話しかける。
「……」
主殿は暫く考えているみたいだった。

「そうだね、一度戻って、体調を整えてからこよう」
主殿はマァル殿に微笑みかける。
「色々弁明したい事もあるし」
主殿はそういうと、来た道を戻り始める。

振り返ることは無かった。
214■ボブルの塔 6 (マァル視点)
来た道を戻って、階段を上がったところで休憩になった。
お父さんは話しかけると答えてくれるけど、何も言いたくないみたいだった。

さっき戦った魔物は、記憶がまちがってなかったら、水の中の天空城で見た、お父さんの記憶に出てきてた魔物。
おじい様を、お父さんの目の前で殺した、魔物。

あんなに怒った、感情を表に出したお父さんを見たのは初めてだった。

……恐かった。

考えてみる。
もし、もしも、お父さんが魔物に目の前で殺されちゃったら。
わたしだって、きっとその魔物は憎いと思う。
お父さんが、あの魔物を憎いと思ったのと一緒。
当然のことなのかもしれない。

「ごめん」
お父さんがぽつりと言った。
わたしたちは一斉にお父さんのほうをみる。お父さんはその様子に少しだけ笑って、続けた。
「……どうにもならないのはわかってるんだけどね、けどやっぱり、目の前にあらわれると押さえがきかないって言うか……。あいつらの事は憎いよ。憎んでも憎んでも、足りないくらい。ジャミも、ゴンズも倒した。けど何にも変わらないね」
お父さんは自分の手を見る。
さっき、止めを刺した右手。
「倒したところでお父さんが生き返るわけでもないし、憎しみが消えたわけでもなかった。……それどころか、ゴンズはボクの事を覚えてすら居なかった。こっちは二十年忘れた事はないのに。……何か自分だけが憎しみにとらわれてどんどんどす黒くなっていくみたいだ」
わたしはお父さんの手をきゅっと握る。
「お父さん、大丈夫よ。お父さんは怒って当然だもの。わたしだって、おじい様を殺した魔物は憎いと思うもの」
「そうだよ!」
ソルがわたしのあとに続いて言う。
「大事な人を傷つけられたら怒っていいんだよ!」
お父さんはちょっとだけ笑った。
「うん、ありがとう」
「あ、でもね」
わたしはお父さんに恐る恐る尋ねる。
「魔物が皆憎いわけじゃないよね?」
お父さんはキョトンとした顔で暫く私の顔を見つめて、そのあと笑った。
「勿論だよ。ボクね、小さい頃から魔物って一回も恐いとか嫌いって思ったことは無いんだ。敵対してるときだって、相手は縄張りにボクが入ったから怒ったりおびえたりしてるだけだしね。仲間の皆の事は勿論信頼してるし大好き。……本当だよ?」
「じゃあ、大丈夫。お父さんは真っ黒になっちゃったりしないよ」

 
「これからどうしましょうか?」
ピエールがお父さんに尋ねた。
「一回地上に戻ろう。何だか疲れちゃった。しっかり休みたい」
「ではそうしましょう」
「それに」
お父さんは勢いをつけて立ち上がる。
「ゴンズが言ったでしょ。『ゲマ様の手を煩わせるまでもない』って。……つまり、居るんだ、ここに。ゲマが」
お父さんはそういってぎゅっと手を握り締める。
「ここで確実に、仇を討ちたい。そのためにしっかり休憩して、何が何でも勝たなきゃ」
「そうだね! ぼくもがんばる! おじい様の仇だもん、絶対許さない!」
お父さんは少し悲しそうな顔をソルに向けた。
そしてソルの頭にぽん、と触れて、
「ソルまで憎しみにとらわれる事はないよ」
そういって、くしゃっと頭を撫でた。

「とどめはボクに譲ってね」

 
一度地上に戻って、昨日と同じようにサンチョの作ってくれていたご飯を食べた。
それからしっかり眠る。
夜中に一回目が覚めて、その時お父さんとサンチョと、それから皆が何かを話しているのが聞こえたけど、声が低くてよく聞き取れなかった。
気になったけど、わたしは目を閉じる。

目を開けたら朝だった。
お父さんは朝日に少し目を細めながら、塔をじっと見ていた。
背筋をしゃんと伸ばして立っていて、何だかいつもと違う感じに見える。
りりしい感じ?
決意のせいかもしれない。
何だか、ちょっと格好良くて、いつものお父さんじゃないみたいで、ちょっとドキドキした。

 
わたしたちは、塔に入る。コレで三回目。
そしてきっと、最後になるだろう。
多分お父さんの予想通り、お父さんの、わたしたちの仇がいる。

湿っぽい洞窟を通り抜ける。
お父さんは「昨日行かなかったほうへ行こう」って言って、どんどん歩いていく。
わたしは、お父さんがどうやって地図を覚えてるのか、本当に昨日通らなかったのか、全然わからなかった。
階段をおりて真っ直ぐ進む。細い通路が続いていて、一度だけ水が染み出してちょっと川みたいになっているところを渡った。
その先は一本道で、やっぱり細い通路が続いている。一回だけ右に折れ曲がって、その先は広い空間に続いていた。
空間の中央に、また水が染み出している。今度のは深くて渡れそうになかった。
空間の左手側に、また通路が続いている。
行き止まりに、下り階段があった。

階段の下から、嫌な感じがした。
なにか、圧倒的な悪意を感じる。
「……」
わたしは思わずお父さんの手を握った。
お父さんがわたしを見る。
それから、強く手を握り返してくれた。
「大丈夫だよ。……大丈夫」
そういって、下りの階段を見つめる。
「この先に、居るんだね」
お父さんの問いかけに、わたしは自分でもわからないうちに頷いていた。

 
階段を下りた先も、暫くは通路が続いていた。
そして唐突に広い空間に出る。
空間はほとんどが水に覆われていた。もしかしたら地下湖なのかもしれない。
その水の中に突き出すように通路が続いていて、ちょうど水の真ん中辺りに広い床が出来ていた。

そこに、背の高い魔物が立っている。
人間型だけど、耳が尖っていて、酷く悪趣味な服を着ていた。
悪意だとか、邪心だとか、そういう感情の塊みたいに見える。
魔物はわたしたちのほうを、お父さんを見て一度嫌な顔で笑った。
それからゆっくりと、手を口のところへ持っていって、今度は声をあげて笑った。
「ほっほっほっほっ。ここで待っていれば来ると思っていました」
少し高めの声で、聞いていると背中がぞわぞわする。
「私のことをおぼえていますか?」
お父さんのことを馬鹿にしきった目で見て、魔物は笑う。

「忘れるわけがない」

お父さんは魔物の視線にひるまないで、睨み返しながら低い声で言った。
魔物は笑う。
「ほっほっほっほっ。まあ、そんなことはどちらでもいいでしょう。ともかく、今ここでお前たちのチカラを確かめさせてもらいますよ」
そういって、高々と両手を上げた。
その頭上に大きな火球が出来ていく。
メラゾーマだ。
お父さんたちは一斉に剣を抜く。
わたしはちょっと後ろに下がった。
一斉にばらばらに散ったおかげで、とりあえず火球が炸裂したところから逃げる事ができた。

「絶対許さないからな!」
お父さんの絶叫。
戦いが始まる。
215■ボブルの塔 7 (ソル視点)
相手の魔物の名前はゲマって言うらしい。
お父さんが、世界で一番許せない魔物。
水の中にあった天空城で見た、お父さんの記憶に出てきてた。
おじい様を殺した、魔物。
目の前で、ぼくやお父さんを見下したように笑いながら、攻撃をしてくる。

昨日お父さんはコイツがここに居るだろうって気づいてから、ずっと神経を研ぎ澄ましてた。ちょっと恐いくらいに。
お父さんが恐いのはちょっと嫌だけど、でも、お父さんの悔しさや苦しさっていうのも、ちょっと分かる。
ぼくだって、きっと目の前でお父さんが殺されたら、その相手のことが憎くなると思う。
それで、そいつと戦う事になったら、全力で戦う。
お父さんはいま、そういう状況に居る。
だから、ぼくはお父さんを助けたい。
お父さんの力になりたい。

ぼくは天空の剣をぎゅっと握り締める。
ぼくだって、コイツは絶対に許したくない。
おじい様を殺して、お父さんを苦しめた、敵だから。
ぼくは今日初めて、魔物に殺意を感じてる。
「ソルまで憎しみにとらわれる事はない」ってお父さんは言ったけど、やっぱり、この気持ちは消せない。

ゲマは強かった。
ぼくもお父さんもピエールも、マァルにバイキルトをかけてもらっているのに、斬っても全然手ごたえがない。相手は薄笑いのまま、堪えてる感じが全然しない。
ゲマは何も武器は持ってないけど、殴りかかってくるだけで物凄く痛い。骨が軋むような音がする。動きだってすばやくて、攻撃を避けることも難しい。
そのくせゲマはマホカンタを使ってるから、マァルは魔法で攻撃が出来ない。今のマァルの使う魔法が跳ね返されたら、ぼくらはひとたまりもない。そのくらい今のマァルは強い。
ゲマが大きく息を吸った。
そして、焼け付くような息をぼくらに向かって吐きかけてきた。
「よけて!」
お父さんの声がした。
お父さんとピエールが、目の前で左右に分かれる。ぼくも慌ててしゃがみこんだ。
熱い息が頭の上すれすれを通っていくのが分かった。
「きゃ!」
後ろでマァルの声がした。
振り返ると、マァルは地面に杖を押し付けるようにして立っていた。よく見ると何とか杖にしがみついてる、って感じ。
ぼくは攻撃するのを中断してマァルの隣に駆け寄る。
怪我してるなら、回復してあげなきゃ。
「大丈夫!?」
マァルは何も答えない。大きく目を見開いて、ぼくに何か言いたそうなのに、何も言わない。
「体が麻痺してるんです、キアリクを!」
ピエールが向こうのほうで叫んでくれた。
ぼくはマァルの体にそっと触れて、キアリクの呪文を唱える。
痺れきってたマァルの体が、動くようになった。
「ありがとう。みんなの加勢にいってあげて」
マァルはぼくにバイキルトをかけなおしてくれた。
「わたしも剣で戦えればいいのに」
「ぼくがマァルの分まで切りつけてくるよ」
ぼくはまた、ゲマの前まで戻った。

 
戦いは長引いている。少しずつ、ぼくらは押されていた。
確実にぼくらの怪我は増えていっている。最初のうちはピエールがベホマを唱えたりしてくれていたけど、そのうちそれでは追いつかなくなって、お父さんがベホマラーを唱えるようになった。
全員が、どんどん怪我をしていく。
そのうち、ベホマラーでも傷の回復が間に合わなくなってきて、今度はぼくが全員の傷が一瞬で治るベホマズンを唱える事になった。
ゲマの怪我も増えてきて、流石に最初のような薄笑いは浮かべなくなってきている。ちょっと必死に見える。

ぼくらが動けなくなるのが先か、ゲマが動かなくなるのが先か、そんな状況。

その時、ピエールがゲマに攻撃されて床に倒れこんだ。悲鳴も何も無かった。すぐに起き上がってくるだろうって思ったのに、起き上がってこない。
「ピエール!」
お父さんが叫んだ。ピエールは返事をしない。
気を失ってるみたいだった。
「ほら、まずは一匹です! あなたもすぐに後を追わせて差し上げましょう! あのスライムナイトやお前の父親のように!」
ゲマがお父さんに言う。またあの薄笑いが戻ってきた。
「っ!」
お父さんは息を吸って、憎々しげにゲマを見た。
ぼくも頭にきた。
そんな事言わなくてもいいじゃないか。ピエールだって気を失っただけでまだ死んだりしてない!

ピエールに回復魔法をかけてあげるチャンスがなかなか訪れない。このままじゃ本当にピエールが死んでしまう。
どうしよう。
その時、今度はお父さんが床に叩きつけられるようにゲマに吹っ飛ばされた。
床に倒れこむとき、鈍い音がした。
剣が手から離れて、少し遠いところでカランという音を立てて落ちた。
お父さんは立ち上がらない。
床に倒れたまま、全然動かない。

一瞬、自分の中の時間が止まった気がした。

周りの音が聞こえない。
冷たい感覚が、体の中を通り抜けていく。
背中が、冷たい。

「お父さん!」

叫んだのは、ぼくだったのかマァルだったのか。
マホカンタの効力が切れたのを見計らって、マァルが魔法を唱える。
ぼくは自分でも分からない、言葉にならないような叫び声をあげてゲマに切りかかる。
手ごたえがあった。
ゲマの体が大きく後ろにのけぞった。

勝った!
そう思ったら、ゲマは笑った。
「……そうですか……。ここまでチカラをつけているわけですね……」
ゲマは後ろ歩きにぼくから離れていく。
勝ち誇ったように、笑いながら。
「ほっほっほっほっ……。こんな所でチカラつきるまでたたかうほどバカではありません。」
「っ!」
ぼくはゲマをにらみつける。
次はもうない。
ぼくも多分、次殴られたら気を失うだろう。そうしたら、後はコイツに……。

悔しい。

ゲマは倒れているお父さんを見た。
お父さんは気が付いたらしい、まだ完全に立ち上がってなかったけど、腕で上体を支えてゲマをにらんでいる。
「どちらにせよあの時……パパスを灰にした時にテスを殺さなかったのは私のミスでした。この私が戦っても息の根を止めることができぬほどチカラをつけるとは、じつに感心です。どうやらとり急ぎミルドラース様にご報告しなくてはいけません」
ゲマの体が少しずつ宙に浮き始める。
「私も少し休ませてもらいましょう。くっ……ほっほっほっほっ……」
最後のほうは苦しそうだったけど、それでもゲマは笑いながらどこかに移動したんだろう、ぼくらの前から姿を消した。
216■ボブルの塔 8 (ソル視点)
ゲマが居なくなって、ぼくとマァルはすぐにお父さんの所に駆け寄った。
お父さんは物凄く不機嫌な顔をしていた。けど、ぼくたちを見たらすぐに笑いかけてくれた。
「ソルもマァルも無事でよかった。……ピエールは?」
ぼくはピエールのほうを見る。ピエールもちょうど意識を取り戻して起き上がるところだった。
「大丈夫みたい」

ぼくはお父さんとピエールにベホマをかける。傷が治って二人とも床に座り込んだ。
かわりに、お父さんがぼくにベホマをかけてくれた。体の怪我が一瞬で治って、その分ちょっと体がくすぐったい。
暫くお互い無事なのを喜んでいたけど、そのうちやっぱりゲマに逃げられた事とか思い出してぼくはちょっと憂鬱になった。
ソレはお父さんやピエールも同じだったみたい。
「あー! もう! また負けた! 三回目! むかつくー!!」
お父さんはいきなりそんな事を叫ぶと、床を殴りつけた。
拳から血が出ていたそうだった。
「本当に! ああ、こんなに自分が不甲斐無いなんて! 今度こそと思ってましたのに!」
ピエールも興奮したように叫ぶ。こんな風に声を荒げるピエールを見たのは初めてだった。
「勝ったよ? だって、ゲマ逃げていったじゃない?」
マァルが言うと、
「こういうのは負けって言うの!」
お父さんは悔しそうに言って、イライラと頭をかきむしる。
「……」
マァルはちょっと恐そうに一歩後ろに下がった。
ソレを見てお父さんはちょっと反省したのか、大きく息を吐いた。そして、
「悔しい。また勝てなかった。……強くなったと思ってたのに」
お父さんはそういうともう一回大きなため息をついた。
「ぼくも悔しい。……あいつがおじい様を灰にしたって……許せない」
ぼくが言うと、マァルも頷いた。
「わたしこんなに魔物をにくいと思ったことは初めて。次は全力で戦う」
お父さんはぼくらをぎゅっと抱きしめて、それから頭を撫でてくれた。
「ありがとう、でも、やっぱり二人には憎しみにとらわれて欲しくないな。こういう気持ちはボクのところで停めておかなきゃ」
そういって立ち上がる。
そのままお父さんはゲマが守っていた宝箱のほうへ歩いていった。その中には、ゴンズが守っていたのと同じような大きな宝石みたいなのが入ってた。
見ようによっては、瞳に見える。
「これで一対かな。よく見たら左右があるみたい」
お父さんが言うとおり、宝石は完全な球体じゃなくて、少しだけ尖ってる部分があった。よく見ないとわからないくらいだけど、並べてみるとその尖った部分がそれぞれ違う方向を向いている。
「あ、目の色もちょっと違う」
ぼくが言うと、お父さんは見比べて「あ、ホントだ」って言った。
「やっぱりコレが、上で亡くなった人が言っていた『竜の目』だと思って間違いなそうだね。……この大きさだし、多分あの塔の真ん中にあった竜の像に嵌めるんじゃないかな。だから左右があるんだ」
お父さんはそういうと、ちょっと黙った。
何か考え事をしてるんだろう、右手でこめかみの辺りをトントン叩いてる。
「あー、それで三階にロープを引っ掛けるところがあったんだ」
「は?」
あんまりいきなりお父さんが言うから、ぼくらは間抜けな声を上げながら思わずお父さんを見つめてしまった。
「いやね、だから、三階にロープを引っ掛けるでっぱりがあったでしょ? 竜の像は二階の天井すれすれくらいまでの大きさだから、三階から降りれば目を返しにいけるよね?」
お父さんは当たり前のことを言うみたいに言う。
「……主殿、申し訳ないのですが、三階にそのようなでっぱりがあったのかどうかがわかりません」
「あ、そうなの?」
「まあ、主殿がおっしゃるのですから、多分あるんでしょうね」
ピエールはお父さんにそんな事を言った。
「急いで返したいとは思うけど。……お互いちょっとぼろぼろすぎだね。一回地上に戻って休んでからにしよう」
お父さんはそういうと、リレミトで塔から脱出した。
 
 
 
「もうこの塔も四回目かー」
次の日の朝、ぼくらはまた塔に入った。
とはいえ、昨日みたいに緊張はしない。塔の上の部分は地図も要らないくらい単純だし、することも決まってるからちょっと気が楽だった。
壁沿いの螺旋階段をのぼって、三階までやってきた。
「えーとね、像の後ろ側になるあたり」
お父さんに言われてぼくとマァルは走って先に行ってみる。お父さんが言ったあたりに、吹き抜けのほうへ突き出した部分があって、そこにロープのフックをかける金具があった。
見る見るうちにマァルの顔色が悪くなっていく。
「……ここ、降りるの?」
追いついてきたお父さんとピエールに、マァルが尋ねる。
「だから留守番する? って聞いたのに」
お父さんは苦笑しながらマァルの頭を撫でた。
「とはいっても、一緒に来たかったんだよね」
お父さんの言葉にマァルは頷く。
「約束もあるし、マァルはボクにしがみついていればいいよ。目もギュっと閉じてさ」
「うー」
マァルはまだちょっと嫌そうだったけど、それでも頷いた。
「じゃあ行こうか」

 
お父さんは金具にフックをしっかりと引っ掛けて、マァルを右手で抱えるように抱いたまま、器用に左手と足でロープを一気に滑り降りて行った。
ちょっと格好いい。それから、一緒に行ってるマァルがちょっとだけ羨ましい。
今度はぼくも一緒に連れてってくれないかなあ。
そんな事を思いながらぼくは続けてロープで降りる。ピエールもすぐに続けて降りてきた。

降りた先は竜の顔になってる部分で、多分、像としては頬の部分になるんだと思う。一応平らで、細いけど歩けるくらいの通路になっていた。手すりが無いから、マァルはしっかりお父さんにしがみついている。見上げると、目の空洞がお父さんの顔の位置にあった。ぼくらは竜の顔を歩いてる事になる。
……いいのかなあ?
「えーと、こっち側は竜の像としては右目だから」
お父さんは『目』の形を確認して空洞に嵌め込む。その瞬間、目が光った。
「逆側も行かないと……マァル、おいで」
お父さんはマァルを抱き上げるとそのまま歩いていく。見てみたらマァルはお父さんの首の辺りに手を回して、本当に目をぎゅーっと力いっぱい瞑ってた。
逆側の方の目もうまく嵌った。
そのとたん、ぐらぐらと竜の像が揺れ始める。ぼくらはとっさに竜の像にしがみついた。

 
像には何かカラクリがあったんだろう、竜が口を開く。
それから、中から舌なのかもしれない、通路が延びてきて二階の廊下と繋がった。
「……中に入れってこと?」
ぼくが聞くと、お父さんは
「……そうなんじゃないかな」
ってちょっと困ったような声を上げた。
217■ボブルの塔 9 (テス視点)
ボクらは竜の像から伸びてきた通路を通ってその体内に入る。
口の中を意識してるのか、頭の部分の内側は随分狭い小部屋になっていた。入ったところから赤い絨毯が敷かれていて、それが何だか舌のようにも感じられる。
部屋の中央に下り階段があるだけの、随分シンプルな部屋だった。
内部は静かで、塔の中を闊歩していた魔物たちも全く居ないようだった。気配すらしない。
階段を下りると、妙な部屋に出た。
床に穴が三つあいている。
手前にある左右二つの穴はどちらも同じ大きさで、覗き込んでみると随分長いはしごが備え付けられていた。到達点は随分先になるらしい、暗くてここからはどうなってるのか見えなかった。
奥側にある穴は、手前のものより少し横に長い。はしごは付いていなくて、コレまでのようにフックを取り付けるための金具が取り付けられていた。覗き込むけど先はどうなっているのか良くわからない。
「どうしますか?」
ピエールが尋ねてくる。
「んー、とりあえず、はしごだったらまた戻ってこられるし、とりあえず到着する先があるってことだよね? だから、はしごが先」
ボクはそれだけ決めると、子ども達に向き直る。
「さて、右と左どっちが好き? 二人が好きなほうから行ってみよう」
 
 
ソルとマァルは暫く話し合って、それから右側に決めた。
ボクは頷いて右側のはしごをおりることにする。随分長くて、先が見えないようなはしごだ。マァルは結局今回もボクにしがみついていく事になった。
そのたびにソルが何となく複雑そうな顔をするのが気になる。
「この際、ソルもしがみついてく?」
ボクが尋ねると、ソルは首を横に振った。
「いいよ、恐くないもん」
「そう? 強いね」
ボクはソルの頭を撫でた。ソルがにへっと笑う。後でしっかり抱きしめておこう、なんて考えてボクははしごをおりはじめた。
 

はしごは随分長かった。
ボクにしがみついているマァルがランタンをしっかりと持ってくれてるおかげで、内部の様子が良く見える。
今のところ、使わなかった左側のはしごも同じところを目指しているように見える。
暫くくだったところで、はしごがある壁に、ひさしが突き出しているのが見えた。そのひさしの部分に、壁の向こうへいけそうな入り口がある。位置関係からいうと、多分奥にあった横長の穴から降りたところになる。後で行ってみる価値があるな、と思った。
はしごを下りきる。
あまり広い空間ではなかった。あの竜の像の内部と考えれば、まあ妥当かも知れない。
部屋はずっと灰色の石造りになっている。光が入ってくる場所が無いから、随分と薄暗い。
床のほぼ中央だけ、随分と色鮮やかなタイルが張られていた。
白っぽいタイルと、真っ青なタイル。その二色で床には綺麗な幾何学模様が描かれている。もしかしたら、何かの魔力を発生させる模様なのかもしれない。そのタイルの部分の中央に、一振りの杖が真っ直ぐに浮かんでいた。
竜の形をかたどった、緑色の杖。
飾りの部分では、竜が紫とも赤ともいえない不思議な色合いをした宝石をしっかりと抱えている。
「綺麗な杖ね」
マァルが言うとソルが頷いた。
「それに何だか凄そう」
ボクは杖から目が離せなくなっていた。そのまま引き寄せられるように杖に手を伸ばす。
触れると、一瞬物凄い力の何かが、体の中を駆け抜けていくような感じがした。
杖が手にくっつくような感じ。
「主殿?」
ピエールが恐る恐るボクの事を呼んだ。
「何?」
遠くから聞こえるような声に、ボクはぼんやりと返事をする。
「大丈夫ですか?」
「平気だよ?」
なぜそんな事を聞くんだろう? ボクはそう思いながら杖を引き寄せる。
「コレ、貰っていっていいよね?」
皆は暫くボクの事を見つめていたけど、それから無言のままコクンと頷いた。

後で聞いてわかったことといえば、ボクはあの杖を持ったときちょっといつもと違う感じがしたらしい。
特に目が。
瞳孔がいつもと違って、像にはめ込んだ目みたいになってたって話。確かめようが無いからどうしようもないけど、皆はちょっと恐いと思ったらしい。
ソレはボクが杖の力を感じたときとほとんど同じだったみたい。
実際今は持っていてもいつもと変わらないという事だから、これ以上どうしようもなかった。
 
 
ボクらは下りてきたはしごを上る。
随分長いはしごだったから、上りきったら流石に疲れてしまった。
狭い部屋だったけど、魔物の気配は相変わらず無かったから少しのんびりと休憩を取る。サンチョに用意してもらった軽い食事をとってから、今度は部屋の奥側にあった入り口から、ロープを使ってあのひさしのほうの入り口を目指す事にした。
もう、この塔で行ってないところはそこしかない。
 
ひさしは狭かったから、順番に降りる事にした。
ボクはマァルと一緒に最初に降りて、無事を確認してから上に声をかける。次にソルがおりてきて、最後にピエールがおりてきた。
皆そろってから、壁の中に入る。
広い空間に出た。
あの竜の像の中に、こんな広い空間があるとは思えないくらい。
部屋の四隅にはさっきと同じような模様が、やっぱり白と青のタイルで描かれていて、その中央には大きな炎が燃えさかっていた。魔法で永遠に消えない、神聖な炎。
そして床一面に、大きな翼を持った、巨大な竜のレリーフが彫られていた。
それは綺麗な円形の中に背を丸めるようにして彫られていて、きっともっと上の方から見下ろしたらとても立派なものだろう、と思った。ボクの視点では、全体像が捉えられない。部分的にみて、頭の中で組み立てるのが精一杯なのがもったいなかった。
竜の、手の部分がちょうど円の中心にある。
そこに、真っ青な大きなオーブが置かれていた。
中心から外側に向かって、自分から光を放っている。そして、そのオーブをつかむように、竜の手のイメージされた緑と銀で作られた綺麗な彫刻が取り付けられていた。
「凄い力……きっとソレが、マスタードラゴン様が力を封じたものね」
マァルはそういうと、ボクのマントの後ろに隠れる。
「わたし、恐くて触りたくない」
そのオーブはボクでもわかるくらいの力があふれ出てきている。魔力に敏感なマァルだったら逆に恐いのは当然だろうな、と思った。
「じゃあ、ボクが持つね」
ボクはそういってそっとオーブを持ち上げる。
大きさの割りにかなり重かった。

「帰ろうか。コレを天空城に届けなきゃ。マスタードラゴンが帰って来たら必要だろうしね」
ボクはそういうと、皆を引き寄せてリレミトを唱えた。

塔の外に出る。
もうこの塔に二度と来る事はないだろう。
ここで二つ目の仇は討てたけど、まだ終わってない。
そう遠くない未来に、またボクはゲマと戦うだろう。ソレまでにもっと強くならないと。

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