39■過去を見据えて
記憶にしかない、遠い町が目の前にある。


199■妖精の城へ (マァル視点)
お父さんはどこに行けばいいのかわからないとか言った後、地図を広げる。
「まあ、ここを冒険したい気持ちもあるけど、後回しね。いつかビアンカちゃんも連れて一緒に来よう。前、ボクがここで冒険した話をしたら、来たがってたし」
お父さんはそう言って、地図を開いて皆で見られるように地面に置いた。
「えーと、山に囲まれてて、森の深いところで、湖があるところに、お城の入り口は隠されてる……らしい」
そう説明して、わたしたちを見渡した。
「……だからそういうのに当てはまる場所をさがしましょう」

わたしたちは地図を見つめる。
世界地図に載るほど大きな湖は、二ヶ所しかない。片方は、ルラフェンの北西にある大きな湖。大きな橋がかかっていて、滝が流れている。
もう片方は、この前登った、昔は天空城に繋がってた塔の北。森に囲まれている。その森はぐるりと岩山で囲まれていた。
「お父さん、ここは?」
わたしは地図の湖を指差す。
お父さんはわたしが指差す場所を覗き込んだ。
「確かに言われた条件に合ってるね。……行ってみよう」


わたしたちはお父さんのルーラで一回グランバニアに戻った。
一日ぐっすり眠って、次の日、わたしたちはグランバニアを出発する。
この前と同じで、絨毯に乗って塔の西にある草原に降り立つ。相変わらず風が涼しく吹き抜けていく。
歩いていくと、この前みた紫の花はもう咲いていなかった。その代わり背の低い白い花が咲き乱れていてとても綺麗。
わたしはお父さんと手をつないで歩く。お父さんは少し遠いところを見ていて、辺りを警戒してくれている。
お父さんの横顔を見てたら、なんだか嬉しい気分になった。
「……どうしたの?」
お父さんはわたしを見て不思議そうな顔をする。
「なんでもないの」
「そう?」
話しながら、時々襲ってくる魔物を倒したりして、わたしたちは歩く。塔についたところで北側に進路をかえると、少しづつ木が増えはじめて、その内深い森に入り込むことになった。
森の木は太くて高い。とても深い森なのに、この前の迷いの森とはちょっと違う気がした。
歩いていくと、急に視界が広がる。
「うわ……」
お父さんが息を呑んで声を失う。その気持ちはわかる気がした。
とても静かで、広い湖が目の前に広がってる。湖には、霧がかかっていてどのくらい広がってるのかわからない。

「……嘘みたい」

綺麗すぎて、神秘的すぎて、見ている景色が嘘なんじゃないかと思った。
「妖精の村も絵本のなかみたいだったけど、ここも絵のなかみたいだね」
ソルは湖をじっと見つめたままつぶやいた。

わたしたちは、ゆっくり歩いて湖に近づく。
よく見ると、湖はとても澄んでいて透明な水は冷たそうだった。
随分深いらしくて、底が見えない。
「さて、真ん中でホルンを吹くわけだけど」
お父さんはそういって辺りをきょろきょろと見渡す。
「どうしようかなあ」
湖には船みたいなものが全然なかった。
「真ん中でホルンを吹かなきゃいけないんだけど」
「パパスさまもそうでしたが坊っちゃんも歌やおどりの才能はさっぱりでしょう? でも妖精のホルンはさすが妖精がつくっただけあって誰でも吹けるそうです。良かったですね」
サンチョの言葉にお父さんは目に見えてがっかりした。
「いや、そういう心配も……まあ、ちょっとはあるけどねえ」
お父さんがため息をついたときだった。
霧の向こう側から、静かに音もなく船が一艘すーっと近寄ってきた。
船には誰も乗っていない。けど、まっすぐわたしたちが居るところにやってくる。

船が波打ち際でとまった。
「……乗れって事、かな?」
お父さんはわたしたちの顔を見る。
「きっと大丈夫だよ」
ソルはそういってお父さんの手を引いて船の方へ行く。わたしとサンチョもそのあとを一緒に歩いた。
「じゃあ、皆はココで待っててね」
お父さんはスラリンたちに言うと、船に乗る。
わたしたちが船に乗り込み終わると、船はまた静かにすーっと動き出す。
暫く船はまっすぐ進んで、やがて静かに止まった。
湖には何にもない。
波はない。
船が進んだあとだけ、水が揺れている。
船のすぐそばには薄いピンクの蓮の花が咲いていて、イイ匂いがする。
「……ココでホルンを吹けって事、かな?」
お父さんが凄く小さな声で言った。
ささやくような声。
確かにこの風景の中で、大きな声を出すのはちょっとイヤかも。全部が壊れてしまいそう。

お父さんはそっとホルンを取り出すと、静かに息を吹き込む。
低い、少し不思議な音があたりに響いた。
お父さんは音楽がさっぱりだめなはずなのに、不思議な旋律が霧の中に響き渡っていく。

風が、ざぁっと吹いた。

霧が、風に押し流されていた。
湖の水面がぴかぴかに光っている。
空が水面に映っていて、湖の中にもお空があるみたい。
とっても綺麗。
わたしたちは呆然とその景色を暫く見つめた。
「……お城だ」
湖に、大きなお城がある。
凄く立派で、とても綺麗。真っ白な壁が、空と湖に映った空を背景にして、凄くくっきりと見える。
船はまた静かに進んで、お城の入り口で止まった。
わたしたちが船からおりても、船は動き出さなかった。このままわたしたちがお城から出てくるまで、ずっと待ってくれるのかも知れない。

お城の中は、とっても綺麗だった。
わたしたちは赤い絨毯を踏みしめながら、まっすぐ進む。
これから妖精の女王様にあえると思うと、すごくワクワクした。
200■妖精の城 (テス視点)
城のなかは静かだった。
赤い絨毯が敷かれた廊下は歩いても足音がたたない。
辺りには誰もいなくて、ずいぶん淋しい感じがする。窓からはやわらかい日差しが差し込んできていて、それが余計に人が居ない城内の淋しさを引き立たせている感じがした。
ボクらは一番太い廊下を、真っすぐ進む。やがて太い柱が並ぶ広い部屋の入り口に辿り着いた。部屋の奥に大きな玉座があって、そこには両脇に妖精を従えた一人の妖精が座っているのがココからでも見えた。
「坊っちゃんちょっとこっちを向いて」
サンチョに声をかけられてボクは振り返る。
サンチョはしばらくボクを見て、前髪を少し整えてくれた。
「……うんよしっ。いえね、妖精の女王さまにごあいさつする前に身だしなみを整えませんとね! 妖精の女王といえば妖精の世界でいちばんえらい方。坊っちゃんそそうのないように」
「……そうだね」

ボクらは玉座の前まで進む。女王とおぼしきその人は、ポワン様より少し落ち着いた感じの女性で(一体いくつなんだろう)ボクらを見てにっこり笑った。
「よくぞまいられました。話はすでにポワンから聞いております」
「初めてまして、女王様。お目にかかれて光栄です。本日はゴールドオーブの件でお伺いしました」
ボクが言うと、女王は少し表情をくもらせた。
「……たしかに天空の城にあった2つのオーブは私たち妖精の祖先が作ったものです。しかしもはや、私たちには同じ物を作ることはできないのです。これをごらんなさい」
そう言って、女王は金色に輝くオーブを取り出す。とても綺麗だけど、何だか少し記憶と違う気がした。
「じつは作ろうとしたのです。しかし形は似ていますが、このオーブには天空の城を浮上させる魔力はありません……」
女王はしばらくオーブを見つめて、それからため息をついた。
「でもテス。あなたならできるかも知れません。このオーブをテスにさしあげましょう」
そう言って女王はボクに綺麗なオーブを手渡してくれた。何だか小さい気がする。
「私たち妖精には時の流れを変えるチカラはありません。でもテスにはできるかも知れないのです。さあ、奥の階段へお急ぎなさい。あとは2階にいる妖精がテスを案内してくれるでしょう」
「……え?」
ボクは思わず女王の顔を見つめる。
「ボクが、時の流れを……?」
途方も無い話で、いまいち意味が飲み込めない、
「テスには力があります。テス自身が気付かなくても、その力はあなた自身を助けてくれるのですよ」
女王はそう言ってにっこり笑った。

ボクらは、女王の前を辞して奥にある階段まで歩く。
しばらく歩いたところで、ソルがボクを見上げる。
「さっきのオーブ、きれいな金色なのにこれじゃダメなの? ……どうしても?」
「ボクにもよくわからないけど、きっと見た目じゃなくて中身なんだよ。……だから、たぶんダメなんだろうね」
ボクが答えると、ソルは大きくため息をついた。
「それに、時の流れ…? あれって、どういうこと?女王さまの言うことって、むずかしくてよくわからないや」
「そうだね、よくわからないね。……けど、きっとこれから分かるんだよ。これまでも大体の事はその時分からなくても、あとでちゃんとわかったからね」
「そっか」
ソルは安心したように笑う。今度はマァルがボクの手を少しひっぱった。
「お父さん、もう少しゆっくり歩いてね。わたしお城の中いっぱい見たいから……」
「わかった。……ここはとても綺麗だもんね」

ボクは意識してなるべくゆっくり廊下を歩く。相変わらず廊下は人気がなくて、静かだった。足音も響かない。少しふわふわした絨毯が、何だか現実感を奪っている気がする。
廊下の窓からはやわらかい光が束になって差し込んでいるのが見えた。
廊下のつきあたりに、扉があった。両開きの立派な扉をあけると、少し広い部屋にでた。
中には若そうな妖精が二人。それと、向こうの廊下につづく入り口の前に兵士が一人たっているのが見えた。
「あら」
驚いたように妖精の一人が声をあげる。
「伝説の勇者様にお目にかかれるなんて」
ソルはびっくりしたみたいな顔をして、反射的にボクのマントの影に隠れる。それを見て、妖精は笑った。
「ごめんね、この子、勇者様って呼ばれるの苦手なんだ」
ボクが代わりに言うと、妖精は、知ってる、というような顔をしてうなずいた。
「ソルのこと、知ってるの?」
マァルが妖精に尋ねると、彼女はうなずいた。
「ソル様だけじゃなくて、あなたのことも知っていますよ、マァル様。……そしてもちろんテス様も。有名ですもの」
「……そうなんですか?」
ボクは思わず聞きかえす。
「ええ。もちろん。ソル様がどうして天空の勇者として生を受けたのかも知っています」
「……ビアンカちゃんが、勇者の血を引いているから、だよね?」
彼女はうなずいた。
「けど、それだけではありません。テスさんはエルヘブンの民の血を引いていましたね。テス様とビアンカ様のふたりの血すじが合わさって伝説の勇者が生まれたのです。どちらが欠けてもダメだったのです。……それはきっと神の意志だったのでしょう」
ボクは息をのむ。
ボクも、必要だった。
「お二人はとても強い運命と絆で結び付いておられるのです」
彼女は笑う。
「テス様がつらい時期を無事乗り切られたのは、ビアンカ様がテス様のご無事を信じたから。ですから、テス様がビアンカ様のご無事を信じている間は、絶対にご無事です」
「……ありがとう」
ソルとマァルがボクの手をぎゅっとつないだ。
「よかったねお父さん、お母さんは無事よ」
「早く探してあげないとね!」
「そうだね」
201■妖精の城 2 (テス視点)
「ボク知ってるよ! 子孫って子どものことだよ。えーと……だから……わかった! お母さん伝説の勇者なんだ!」
妖精の話を聞いて、ソルはしばらく考えていたんだろう、いきなりそんなことを言った。
「……ちょっと違う」
「え? ちがうの?」 
ソルは困った顔をする。
「でも、お父さんとお母さんがいて、伝説の勇者のぼくが生まれたんだったら、それならマァルだって勇者だよね? 伝説の装備はできないけど……でもマァルがいっしょにいてくれたからできたことって、いっぱいあるんだ!」
「そうだね」
ボクはソルの頭を撫でる。「わたしも同じ勇者だったらソルの使命を半分持ってあげられたのに……でも、ソルって伝説っていうほどまだ長生きしてないよね。なのに伝説……なの?」
マァルは不思議そうに尋ねる。
ボクはマァルの頭も撫でた。
やさしい子たちだ、と思う。なんだかとても誇らしい気分。
「ソルも言ったけど、マァルも勇者だよ。ビアンカちゃんとボクの大事な子だもん。二人ともやさしいね。……ソルはこれから伝説になるんじゃないかな、マァルと一緒に」
「その時はお父さんもお母さんも一緒だよ。 一緒に世界を助けるんだもん!」
「そうなるといいね」
「なるの!」

ボクらはそんな話をしながら二階にあがる。二つの扉が並んでいる廊下には、やっぱり人気がない。
ボクは向かって左の扉をあける。小さな部屋にずいぶん大きな絵が飾られていた。そしてその絵を守るように一人の妖精が部屋の端っこに座っていた。
ボクは絵をのぞいてみる。絵の中に描かれてるのは、金色の髪の男の子。
「あの絵に描かれてるのお兄ちゃんそっくり……」
マァルが驚いたように言って、絵を指差した。確かに、マァルが言うように絵の男の子はソルに似ている。
「この部屋に飾られる絵は、ときどき取り替えられるの。今のは伝説の勇者さまのお誕生を祝う絵だから、次はずいぶん先になるかもね……あなた勇者様に似てるね」
妖精の女の子はそう言ってソルをまじまじと見た。ソルはまた居心地悪そうに眉を寄せる。ソルはまたボクの影に隠れようとするから、手伝うように一歩前へでて妖精の女の子の視界をさえぎって声をかける。
「女王さまに二階に行くように言われました」

ボクがいうと、妖精の女の子はボクを見つめる。目がきらきら光ってて、ずいぶん興味を持ってくれてるみたいだ。
「じゃあ、あなたが女王さまやポワンさまが言ってたテスさまなのね」
彼女はいうとまたボクをまじまじと見た。ぱちり、とまばたきして、大きな瞳がきょろりと動いた。
やっぱり妖精にもいろんな子がいるみたいだ、と内心苦笑する。
ふーん、と彼女はつぶやくと、ようやくボクをまじまじと見るのをやめてにっこり笑った。
「隣のお部屋に別の絵があるの。そっちの絵のところにも妖精がいるから、その子に聞いて」
「キミは教えてくれないの?」
「私はこの絵の係だから」
ソルが尋ねると、彼女はそう言って肩をすくめて見せた。


ボクらは部屋をでて隣の部屋にむかう。その間の廊下で、サンチョはしみじみと言う。
「それにしても本当にすばらしい出来の絵でしたねぇ。……思い出しますねえ。坊っちゃんが生まれたときも肖像画を描かせておられました」
「どこにあるのそれ?」
ボクが聞くと、マァルとソルが驚いた顔をして見上げる。
「え!? お父さん知らないの!?」
「ぼくらよく見に行ってたよ!?」
「えぇっ!?」
今度はボクが驚く番だった。
「どこあるのそれ?」
「お父さん、今度一緒にお城をお散歩しましょ。わたし案内してあげるから」
マァルがボクの手を握って見上げてくる。ボクは笑いかえす。
「よろしく」
話している間に隣の部屋につく。
隣の部屋も似たような造りになっていて、小さな部屋の中央にある壁に絵がかかっている。
ボクらはその絵をのぞきこむ。

小さな村の風景画だった。
ボクとサンチョは思わず顔を見合わせる。
ソルとマァルはきょとんとして絵を見上げている。
この子たちは、知らない景色。
今は、どれだけ求めても、もう見ることが出来ない景色。
穏やかな緑に囲まれた、小さな村。
村には川が流れていて、奥には洞窟がある。
宿屋の裏庭の畑。
家の前の井戸。
「……サンタローズ」
村の名前をつぶやく。
ボクの。
今はもうない、もう一つの故郷。

部屋の隅に控えていた妖精が、ボクのほうへ音もなく近づいてきた。
「その絵の前に立って、心を開いてください。道が開かれます」
困っていたらマァルが近寄ってきて、ボクを見上げた。
「お父さんとりあえずあの人の言うとおり絵の前に立ってみたら?」
「……そうだね」
みんなが絵の前から少し離れる。入れ代わりに、ボクは絵の正面にたった。
懐かしい。
それでいて少し心の奥のほうが、痛いような気分。

宿屋にビアンカちゃんが泊りに来たことがあった。
洞窟の奥まで人を探しに行ったこともあった。
川のそばでゲレゲレと鬼ごっこをして、毎回負けた。
夕方にはサンチョが家からボクを探しにでてきた。
お父さんは、ボクやゲレゲレを見て、いつも柔らかく笑っていた。
どこを見たって、懐かしい。

絵のなかをじっと見る。
家はどんな風に描かれてるんだろう、少し身を乗り出す。

ふわり、浮遊感。

一瞬、耳がキーンとした。

眩しい。
ボクは目をこすって辺りを見る。
「……?」
聞こえるのは川のせせらぎ。
柔らかく落ちてくる日差し。
少し肌寒い。
「ここって……」
ボクは茫然と辺りを見回す。

ボクは、まだ無事だった頃の、
緑あふれる、
サンタローズに居た。
202■遠い町で 1 (テス視点)
一体何が起こったんだろう。ボクは辺りを見回して途方に暮れる。
ここは、サンタローズ。それは間違いない。見間違うわけがない。
けど、ここはあまりにも記憶のとおりすぎて。
今の、あの打ち壊れたサンタローズではなくて。
「……」
それにしても肌寒い。太陽はずいぶん高いところにあって、まだ昼間みたいだ。なのに、この寒さはなんだろう。さっきまで夏が近くて、かなり暑かった。それが今は寒くてくしゃみが出そうだ。
なんだか、季節がよくわからない。一瞬で冬になったみたい。一瞬でサンタローズが元に戻ったくらいだ、季節くらいかわるかもしれない。ボクは変なふうに納得してしまうことにした。

ボクは仕方ないから宿屋に向かって歩き始める。
川にかかった橋が、ずいぶん低い気がする。川はこんなに浅かっただろうか。澄んだ水の奥に川底が見える。
宿に入ってボクは面食らう。店番をしてる人を、ボクは知っていた。まだ子どもだった頃、宿で毎日店番をしていた、宿屋の息子さんだ。
「あぁ、すいませんね、まだお部屋を掃除中なんですよ、お客さん。もうちょっと外で時間つぶしてきてくれませんかね?」
ボクをみて彼はそんなことを言って、申し訳なさそうに頭を下げる。
「それにしても、この落書きはいつされたのかなぁ」
外に出かかっていたボクは驚いて足を止める。
「宿帳に……落書き……ですか?」
「えぇ、一体誰でしょうね、困ったもんです」
「……あの、最近ほかにもかわったことが?」
「パパスさんとこのテスが変な猫連れて歩くようになったね」
「……その子、いくつですか?」
「確か、六つじゃなかったかな」

ボクはお礼を言って宿を出る。
ここはサンタローズ。
昔の、サンタローズ。
ボクがまだ小さい頃、ベラと一緒に妖精の国に行った、ちょうどその頃だ。
なるほど、「時の流れを変えることがテスにはできるかも知れないのです」って妖精の女王さまの言ってたのはこういうことだったのかも。

思い出した。
昔、小さかった頃。
ボクは、ボクに会ってた。
教会前。
きれいな宝石をみたいって言う「お兄ちゃん」に会ったんだ。
あれは、きっと。

「……」
ボクは空を見上げてため息を吐く。

ここですることが、すべきことが、しなきゃいけないことが。
わかった。

たぶん、ここにくることはもう二度とないだろう。
ボクに出会うまで、村の中をゆっくりみて回ろう。
ボクは村の真ん中でぐるりと見渡す。
川も、木々も、建物も、すべてが懐かしくて、すべてが淋しい。
もう少ししたら、なくなってしまう景色。
けど、言えない。
今言ったところで、誰も信じない。今言ったら、ここの幸せを壊すだけ。不吉なことを言って、みんなを不安にしても仕方ない。

ボクは、今ここでも、何もできない。
いつも、助けたい人は助けられない。
無力だ。
いつだって、なんだって、後手にまわって。

……結果がわかるのに。

何も言えないなんて。

ボクは村の中をゆっくり歩く。いろんなものが記憶より小さい。高かった壁も、深かった川も、村の広さだって、全部違って見える。。
こんなに小さくて、狭かったんだ。
あの頃、すごく広かったこの村は。
いろんな思い出がつまってて、そのままの形で残ってて。
……今はもうない。

もし。
脱走して辿り着いたサンタローズが、この姿と同じだったら。
ボクはどうしていただろう。
あの時思ってたように、やっぱり家を拠点に旅をしていたんだろうか。
そうしていたら、どうなっていたんだろう。
ビアンカちゃんには会えただろうか?
グランバニアには辿り着いていただろうか?
ソルやマァルは居ただろうか?

たぶん、今のようにはなってなかった。
サンタローズがなくなったのは淋しいけど、だからこそボクは旅を続けられたんじゃないだろうか。
あの時はどこにも居場所がなくて、ずっと居場所を探していた気がする。
ビアンカちゃんのそばがボクの居場所になって、
二人での居場所がグランバニアにあって、

今は

家族でその居場所で笑って暮らすために、旅をしてるんだ。

ボクは、自分の家をみあげる。今頃は、きっとお父さんが二階で本を読んでいる。
お父さんは、お母さんを探し出したら、どうしたんだろう。
もしかしたら、グランバニアには戻らないで、ここにずっと住むつもりだったのかもしれない。
ここは、本当に住みやすくて居心地がよかったから。
きっとお母さんに、いろんな世界を見せたかっただろうから。

「……」
ボクは大きく息を吐いた。
少し視界がゆがんでる。
胸の奥のほうがざわついてる感じ。
なきそうだ。
ごめんねヘンリー君、今だけラインハットを恨ませて。

ボクはしばらくの間、橋の欄干に座って時間がたつのを待った。
ときどき吹き抜けていく風はやっぱりつめたい。
今のボクには見えないけど、今頃ベラは誰かの気を引くために一生懸命いたずらをしてるんだろう。
もしかしたら、この橋を今走り抜けて行ったかもしれない。
ここはここで、時間が流れてる。
たぶんボクにできることなんて、ほんの少しだ。
ボクから、今のボクに必要なものを受け取るだけ。
きっとあがいても、決まったことはかえられない。
みんな、今を必死に生きてる。
だから、ここでこの先起こることがひどい事でも、ボクに邪魔する権利はない。

そう思うと、気持ちが少しだけ楽になった。
ボクはボクに出来ることを精一杯しよう。
そしていつか、今のサンタローズに出掛けていこう。
少しでも、復興の手伝いをしよう。
それが、ここで育ったボクに出来るたったひとつの恩返しだろう。
全部終わらせたら、ここに戻ってこよう。
今の壊れる前の姿を、全部覚えていって、そして。

ボクはゆっくりと立ち上がる。
記憶が正しかったらそろそろだ。
教会の前で、ボクはお兄ちゃんに会わなきゃいけない。
203■遠い町で 2 (テス視点)
ゆっくりと歩いて、教会の前に着く。
ガラス窓越しに中をのぞいたら、丁度窓の外を見ていたシスターと目が合った。シスターも、まだ若い。多分、今のボクよりも随分若いんじゃないだろうか。子どもの時は気付かなかったけど、十代の後半くらいかもしれない。
何だか懐かしい気分になって、ボクは笑いかけると会釈する。
とたんに、シスターは真っ赤になって両手で頬を隠した。少しじたばたと動いてるところから見て、多分照れてるんだろう。
そういえば、シスターはお父さんの事をスキだったみたいだったし、もしかしたら今のボクの顔は好みなのかもしれないなって、そんな事を思った。
ちょっと苦笑。

暫くしたら、いきなり教会のドアが勢い良く開いた。
そして、中から転がるように男の子が飛び出してくる。
黒い髪。紫色のターバンとマント。薄緑色の服。

ああ、ボクだ。

小さなボクは、ボクに気付いて立ち止まる。
目を大きく見開いて、少し呆けた様な顔でボクを見上げた。
こうしてみてみると、サンチョが「ソル様はお小さい頃の坊っちゃんによく似てらっしゃいますよ」なんていう理由がわかる。
確かに、小さい頃のボクと、ソルは似ている。
ただ、まあ、小さなボクの方が今のソルより小さいせいもあるかもしれないけど、なんていうか……。
自分の事だけど、そう、間が抜けてる感じ。

多分、ボクの方が小さい頃の生活が恵まれているってことだろう。お父さんに守られて、サンチョに守られて、ノンビリした村で暮らしていて。何も苦労してなかったんだ。冒険っていってもせいぜいが村の洞窟や、危険の少ないお化け退治。

でも、ソルは。
生まれてすぐ、ボクやビアンカちゃんっていう親の庇護を失った。
そしてすぐに天空の勇者として、義務を押し付けられた。
歳よりもずっと大人で居ることをあたりまえだと思ってる。
ソルのほうが、ずっと厳しい顔をしてる。

辛いことを、押し付けてる。

気持ちを切り替えよう。
ボクは小さなボクににこりと笑いながら声をかける。
「こんにちは。ボク」
「こんにちわ!」
小さなボクが凄く元気な声をあげる。何も怖いものを知らない声。足元でまだちいさいゲレゲレが不機嫌そうな声をあげてボクを見上げてる。
「強そうなネコだね」
そう、この時点でまだ彼は「ネコ」だ。
「うん。ゲレゲレ、強いよ! ビアンカちゃんと助けたの!」
「へえ、ボク強いんだ」
「えへへー」
小さなボクは随分自信満々にゲレゲレの事を自慢して、それから笑う。
子どもらしいっていえば、子どもらしいのかも。
ゲレゲレの方は、多分匂いや雰囲気でボクが二人になった感じがするんだろう、凄く困ったように小さなボクと、今のボクを見比べている。少し可愛そうな気がしてきた。
話を続けようと口を開いた時、いきなり小さなボクは「あ!」って声をあげて、ボクを見上げるとにこーっと笑った。
「わかった、お兄ちゃんが怪しい素敵な人でしょ」
「……ボクそんな風に言われてるんだ」
ボクは苦笑する。
そういえば、村で起こってるベラのいたずらを、ボクのせいだって疑ってたっけ、武器屋のおじさん。
それにシスターはボクをみて騒いでたっけ。
「ボクはね、ちょっと探し物をしててね。で、世界中を回ってるんだ。今日はこの村を探しにきたんだよ」
ボクが答えると、小さなボクは嬉しそうな声をあげる。
「へえ! じゃあ、ボクのお父さんと一緒だね! ボクのお父さんも探し物してるんだよ。お話してみたら、いいかも! ボクのお家ね、あれ!」
小さなボクは家を指差す。その指は確実に二階に居るお父さんを指差していて、誇らしげだ。
胸の奥がざわつく。
鼻の奥がつんとした。
泣きそうだ。
「お兄ちゃん? 大丈夫?」
泣きそうな顔をしたボクをみて、小さなボクは心配そうにボクの顔を覗き込む。
「うん、元気だよ。……大丈夫」
ボクはしゃがんで、小さなボクと目を合わせた。

本当に、何もまだ疑ってなかった頃のボク。
いつまでも、この平和が続くって。
ずっと信じて、疑ったりしてなかった。
このまま成長できてたら、ボクはどうなっていたんだろう。

また泣きそうになって、慌てて感情を遮断する。
しなきゃいけないことを、しなきゃ。
「あれ、ボク、ステキな宝石を持っているねえ。その宝石をちょっと見せてくれないかなあ?」
「えー? どうしようかなあ」
小さなボクは困ってるみたいだった。そういえば、このときまだオーブはビアンカちゃんからの預かり物で、それでちょっとためらったんだっけ。
「あはは、別に盗んだりしないよ。信用してね」
「そうなの? じゃ、いいよ」
やけにあっさり、小さなボクはボクにオーブを渡した。
なるほど、小さい頃は本当に即答癖があったのかも。ヘンリー君によく叱られたっけ。

ボクはオーブを受け取って立ち上がる。
それを太陽にすかしてみたり、顔に近づけたりして調べるフリをした。
一瞬、小さなボクがゲレゲレに気を取られて視線をはずした。

今しかない。

ボクはさっとオーブを懐に入れて、そのかわり妖精の女王様に頂いた金色に光るだけのオーブをさっと出す。
「本当にきれいな宝石だね。はいありがとう。……坊やお父さんを大切にしてあげるんだよ」
ボクは金色に光るだけのオーブを小さなボクに渡しながら言う。

本当に、大切にしてあげて。
あと、ちょっとだけしか、キミはお父さんと居られないんだ。

小さなボクは、何の疑いも持たないで笑った。
「うん、お父さん、大好きだもん!」
小さなボクは大切な宝物を、ビアンカちゃんとの思い出のオーブを、しっかりとしまいこんで、それからボクに手を振った。
「バイバイ、お兄ちゃん!」
言うと、走っていこうとする。
「あ、ねえ!」
ボクは思わず彼を呼び止めた。小さなボクはすぐに足を止めて、不思議そうにボクを振り返る。
「なあに?」

「あのねボク! キミはこれから大変な目にあうかもしれない。……けどね。キミはすごい強運の持ち主だよ。世界はキミにやさしいし、みんなキミの味方だよ」

そう、世界はずっと、ボクに優しい。
忘れてしまうこともあったけど、ずっと優しかったんだ。
ここにこうして、今生きてる。
大好きな人に逢える。
大切な家族が居る。

ビアンカちゃんが贈ってくれた言葉を、ボクはボクに贈る。

小さなボクはきょとんとして聞きかえす。
「おにいちゃんも?」
「もちろん。だからね、負けちゃいけないよ。いっぱい大変な目にあったあとは、いっぱい楽しいことがあるからね。負けないでね」
「うん、わかったー。ボクね、負けないよー。じゃあね、おにいちゃんバイバイ!」
手を振って走っていく彼に、ボクは手を振り返す。
困ったようにボクを見上げてるゲレゲレに、「早く行かないと、おいてかれちゃうよ? ゲレゲレ」と声を掛けると、彼は納得いかないまま、小さなボクを追いかけていった。

ボクはボクが見えなくなるまで手を振り続けて、それから手を下ろした。
大きく息を吐く。

此処で出来ることは、全部終わった。
けど。

ボクは家を見上げる。
すぐそこにお父さんが居る。
……逢っていったら、ダメだろうか。
204■遠い町で 3 (テス視点)
家の前でボクは暫く躊躇する。このドアをノックしたら、逢える。
けど。
少し、恐い。
逢ってしまったら、ボクはどうなるだろう。

 
一度深呼吸。
 

ドアをノックしたら、暫くしてドアがあいた。
中からサンチョが顔をだす。まだ若い。白髪なんか全然ないし、もしかしたら、今より太ってるかも。
サンチョはしばらくの間ボクをみて、考えてるみたいだった。
「はて? どこかでお会いしたことがありましたっけ……」
見覚えがあるっておもったんだろう。実際は見覚えと言うより、「旦那さま」に似てるとか「坊っちゃん」に似てるとか、自分なんだけど空似みたいな。
なんか不思議な感じなんだろうな、お互い。
「ああだんなさまのお知り合いの方ですね。だんなさまなら上にいらっしゃいますよ」
どうやらサンチョのなかでは知り合いで決着がついたらしい、ドアを大きくあけて、ボクをなかに招き入れてくれた。

家のなかに入る。
ここも記憶よりちょっと狭い気がする。天井も低い。
部屋の奥にあるキッチンから、サンチョがよく作ってくれてた鶏のトマト煮込みバジル風の煮込んでる匂いが漂ってきている。
あれ、お父さんが好きだった。
棚のうえに無造作におかれている箱。
階段下にころがってるビー玉。
テーブルの下には、ゲレゲレがじゃれついたせいでぼろぼろになったボール。
みんな懐かしい。
懐かしくて、涙がでそう。

ボクは案内されて階段をのぼる。
サンチョはそれを見届けると、「さてまな板を探さないと」なんて言いながらキッチンのほうへ入っていく。
階段は少し狭くて急だった。

二階は日当たりが良くて、狭いけどベッドが並んでいるし、本がぎっしりつまった本棚がおかれていた。
記憶のまま。
階段のすぐ傍には、小さなテーブルがあって、そこでお父さんが本を読んでいた。
ボクの足音に気付いて、お父さんは顔を上げる。

目が合った。

綺麗な目をしてるなって思った。
日に焼けた健康そうな、まだ若い男の人。
真っ黒な髪も、ヒゲも、記憶どおり。
がっしりした体は、服の上からでも良くわかった。

息が止まりそうだった。
抱きつきたい。名前を呼ばれたい。頭を撫でてもらいたい。
その衝動を抑えるために、ボクは暫く意識を集中させなきゃいけなかった。

「ん? 誰かは知らんが私になにか用かな?」
挨拶をしなきゃ、そう思ってる間に、お父さんが読んでいた本を閉じて話しかけてくれた。
「こ……こんにちは。ボク、あなたの息子……」
「なんだって!? 君が私のむすこ?」
そういって、お父さんは暫く大きな声で笑った。
「わっはっはっはっ! 私の子どもはあとにも先にもテス1人だけだ!」
「あ、いえ、その……あなたの息子さんにお話を聞かせていただいて」
「私に用でもあるのかな?」
「ボクが探し物をして世界を旅しているといいましたら、あなたも探し物をしていると伺いまして。息子さんが話を聞いてみたらどうか、と」
「そうか、テスがそう言っていたか。……君は何を探しているのかね? 私が知っていることなら答えよう」
「……一つは此方でもう手に入れました。あとはまだ、情報すら見つかってません」
「此処で?」
「ええ、ちょっとした宝石です」
「ああ、昔鉱脈があったそうだからね」
お父さんはそういうと、洞窟のあるほうをちらりと見た。
「あの洞窟へ?」
「ええ、船がなかったので西側の方だけ」
そうだ、あの洞窟にはもう天空の剣を隠した後だ、警戒するだろう。
「そうか」
お父さんは少しほっとしたようだった。
「あとは、妻と母を捜しています。二人とも魔物にさらわれてしまいました。母はボクが生まれてすぐだったので、良くわからないんですけど……妻はボクが本当に近くに居たのに隙をつかれて……」
そこまで言うと、お父さんは少しため息をついたようだった。
「残念だが、それは私では力になれないな……。しかし、良く似ているな、私も妻を探しているんだ。お互い見つかると良いな」
「……そう……ですね」

お父さん。
見つけられないんだよ。
あと、本当にあと少しで、ボクも、お父さんも。
この自由がなくなっちゃうんだ。
何もかも終わっちゃうんだよ。

「あの」
「まだ何か?」

「ラインハットには、行かないでください」

言うつもりなんてなかったのに。
気付いたらもう言葉は口から外に飛び出したあとだった。
 
「ラインハットには、行かないでください!」
お父さんは驚いたような顔でボクを見た。
「ラインハットにはいくなというのか?」
「はい、絶対に行かないでください」
「私がラインハット城によばれているとよく知っていたな……」
お父さんは少し目を細くしてボクをじっと見た。
「わかった! 君は予言者だろう。わるいが私は予言など信じぬことにしているのだ」
お父さんはそういって少し笑った。
そうだろう、このひとは自分で道を切り開ける人だった。
予言なんて、信じないだろう。
「しかし私の妻に似た目をした人よ。忠告だけは気にとめておこう」
「……はい」
「さあもういいだろう。私はいそがしいのだ。向こうに行ってくれないか」
お父さんはそういって、また本を開く。

帰ろう。
やっぱり、ボクは此処に居ちゃいけない人間だ。

階段をおりかけて、ボクは足を止める。
急いで階段を登ってお父さんの前にもう一度立つ。
「まだ何かあるのかね?」
少しうんざりしたような声。
「すみません、一つだけお願いがあって」
「何かね?」
「その……握手していただけませんか?」

お父さんは面食らったように苦笑して、それから右手を差し出してくれた。
「変な人だな。私なんかと握手して何が楽しいのかね?」
「お会いできて光栄でした、だから記念に」

ボクはしっかりとお父さんの手を握る。
がっしりした手。
暖かい手。
まだ、生きてる、手。

目が潤んでくるのがわかる。
ダメだ、まだ泣くな。
 
「あなたは、息子さんの、誇りです。ずっと、目標で、ずっと、憧れで……今日は……本当に、お会いできて嬉しかった……ずっと、逢いたくて……」
ボクはお父さんから手を離す。

「お父さん、大好き」

ボクはそのまま階段を駆け下りた。
振り返らないで、ドアを目指す。
視界が歪む。
涙があふれる。

途中で、こっちへ向かってきてたサンチョにぶつかりそうになった。手にお盆を持って、何か飲み物をもって来てくれるつもりだったみたい。
「サンチョ、まな板はタンスの中!」

ドアを開けて外に出る。
冷たい空気。
このまま止まってしまえ、時間。
205■帰還 (テス視点)
ドアを開けて外に出る。
一度だけ立ち止まって、涙でゆがんだ視界で村の中をぐるりと見渡した。
白い壁の教会。
浅い川。
オレンジのレンガ。
二階建ての、ボクの家。
なくなってしまった、ボクの故郷。
永遠に戻ってこない、ボクの。

胸の奥に焼き付ける。
目の奥に残して。

ボクはまだ子どもで、何も恐くなかった。
永遠の優しい時間を信じてた。
お父さんが、まだ生きてた。
ボクを守って、お母さんを探して。
皆が、やわらかい未来を信じてる。

この時間を、永遠に身体の中に閉じ込めておこう。
 

ボクは深呼吸して、右手の甲で涙をぬぐった。
それから深々と村の奥のほうに向かってお辞儀をして、村の出入り口を目指す。
入り口の見張りが、ボクを見て少し怪訝そうな顔をした。
ボクは挨拶をしないで村の外に出る。

風が吹いた。
まだ、春が来ないはずの村なのに、やわらかくて暖かい風だった。
 
 

ふわり、と懐かしい浮遊感。
気づくとボクは妖精の城の一室に飾られてた、あの絵の前に居た。
絵の中の村は変わらない。
静かに、春が来るのを待っている。

足から力が抜けていくのが分かった。そのままボクは床に座り込む。
絵がかかっている壁に額をつけて、目を閉じる。
涙が、次から次へと流れ落ちていくのが分かった。

あの後、ボクは。
あの後、お父さんは。
村は。

「何にも出来なかった……」

声に出すと、その無力さが一気に肩にのしかかった気がした。
ボクは何も出来ない。
何が起こるのかも全部分かってて、それでも何も出来ない。

まだ、右手がお父さんの手の感触を覚えてる。
暖かさを、大きさを、強さを。
あの手が、永遠になくなってしまう。

「お父さん」

声にボクは顔を上げる。
ゆがんだ視界に、心配そうなソルとマァルの顔。
「お父さん大丈夫!? ずーっと気を失ったみたいにかたまってたからぼく心配したよ!」
「……おかえりなさい」
二人はそれぞれに言う。
ボクは涙をぐいっとぬぐった。
この子たちには、いつも心配ばかりかけている。
ボクはまだまだ、お父さんに追いつく事は無いだろう。
「ねえ、二人ともよく顔を見せてよ」
ボクが言うと、二人は心配そうにボクの顔をのぞき込む。

二人とも、歳より大人びてる。
淋しさや、苦しみや、我慢が、多分この子達をずっと早く大人にさせたんだ。
「ごめんね」
ボクはそういうと二人を抱きしめる。
「ねえ、お父さんどうしたの?」
ソルが困ったような声を上げる。
「わたしたち、元気よ? お父さん」
マァルも困ったように言って、その小さな手でボクの背をゆっくりと撫でた。
「うん、二人とも、元気で嬉しい。ここに居てくれて嬉しい。ボクが弱いから、沢山迷惑かけて本当にごめん」
「お父さん弱くないよ」
「お父さん強いよ、わたしお父さん大好きよ」
二人はますます困惑した声をあげて、ボクを抱きしめ返してくれる。

ボクは大きく息を吐き出した。
過去は、変わることは無いけど。
これからの未来は。
この子達の未来には、優しい時間が流れてほしい。
やわらかい未来が永遠に続いてほしい。
そのために、ボクはボクが出来ることを全力でしよう。
ボクが傷つく事なんて、この子達が傷つく事に比べたら、なんてことはない。

「坊っちゃん、大丈夫ですか?」
少し離れたところにいたサンチョが、ゆっくりと近付いてきてボクの涙をハンカチでぬぐってくれた。
「サンチョ」
ボクはサンチョを見る。
白髪が混じったあたま。歳相応にくたびれた肌。
「老けたね」
「……またソレですか」
サンチョは呆れたように笑う。
「うん……心配ばっかりかけてごめんね。全部終わったら、楽させてあげるからね」
「……本当に大丈夫ですか?」
サンチョは心配そうにボクの額に手をあてる。

「ねえ、サンチョ。ずっと昔の話だけど、サンタローズのボクの家に変な予言者が来たの覚えてる?」

ボクはそう言いながら立ち上がる。
子ども達は二人とも抱きかかえたままで。

「ええ、覚えてますとも。帰り際に挨拶も無く走り去って、ちょっと行儀が悪かったんですよ。それにだんな様にラインハットに行くななんて言って。あの時は無礼な若者だと思いましたが、今思えばあの予言だけは信じていただけばよかったですね」
「そうだね、信じて貰いたかったよ」
「……坊っちゃん何を言ってらっしゃるんですか?」
「あの予言者ね、ボクだった」
「坊っちゃん?」
聞き返すサンチョに、ボクは少し笑った。
「あのね、ボクさっきまでこの絵の中に居たんだよ」

ボクは絵を振り返る。
あの春先の寒い日のまま、ずっと止まってる絵。

「だからね、ほら」
ボクはキラキラと輝くゴールドオーブを皆に見せる。
「あれ? お父さん、それって女王さまにもらったオーブとちがうよね? どうしたの?」
ソルはボクからゴールドオーブを受け取るとしげしげと眺める。
「うん、実はね」
「あっ言わないで! ぼく自分で考えるから……え〜と……え〜と……」
「じゃあ、オーブのほうの答えは言わないでおこうかな。ともかく、ちょっとこの絵の中に行ってたみたい」
ボクは大きく息を吐く。
「サンタローズは、本当にキレイだったよ。お父さんがあの村を定住場所に決めた理由がわかる。絵の中の村はね、春が来てもおかしくない季節なのに、冬だった。お父さんは家の二階で調べ事をしてて、ボクはゲレゲレと遊びまわってた。ボクは小さなボクに逢ってきたし、まだ若くて元気なお父さんにも逢ってきた」
「お父さん、それって答え……」
マァルがぼそっとつぶやく。
「だんな様にお会いしたんですか? 坊っちゃんだけずるいですよ」
サンチョは口を尖らせる。
「……辛かったよ、この先何が起こるかわかってるのに、誰にも言えないんだもん。お父さんにはラインハットに行かないでほしいって言ったけど、結局行くのは分かってるし」
サンチョがうつむいてため息をついた。
「お辛かったですね……それは」
「うん。でもプサンさんに見せられた記憶と一緒で、変わらないものは変わらないよ。だから、辛いけど記憶の中にしまいこんで、忘れないようしようって思う。やわらかい時間があったのは確かだし、間違いないから。……ボクらに必要なのは、これからだよ。もう誰も、ボクやお父さんや、サンタローズみたいな目に遭わない、優しい未来が要るんだよ」

「世界を平和にするんだよね! ぼく頑張る!」
ソルがにこにこ笑って言う。
「わたしだって頑張る!」
マァルが負けじと声を上げる。
「ボクも頑張るね」
ボクは二人に笑い返す。

辛い過去は、変わらないけど。
ボクはきっと、この子達と乗り越えていける。

この子達が居てくれてよかった。

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