33■恩を返す
サラボナでブオーンを倒す。


164■サラボナ 1 (マァル視点)
山奥の村でおじい様と別れて、わたしたちは船で南下してサラボナという街に行く事になった。
サラボナにはお父さんの大切な知り合いの人がいるって話。
この船も、最初はその人に借りたんだって、お父さんは言っていた。(今はオジロン様が買い上げて、グランバニアのものみたいだけど)

船で一日くらいのんびりと川を下ると、西側に大きな街が見えてきた。
「あれがサラボナ?」
「そうだよ」
サラボナは、高い見張りの塔を持った街だった。
お父さんはちょっと緊張してるみたい。
「なんか、久しぶりだなあ」
そんな事を言って苦笑してる。
「この街ではそのお知り合いの方にご挨拶を?」
サンチョがお父さんに聞くと、お父さんは頷いた。
「色々お世話になったんだよ。そもそも、ソルが持ってる天空の盾はその人の家の家宝だったし」
わたしたちはビックリしてお父さんを見る。
「嘘!」
「本当に!?」
「そんな、家宝をいただいたってどういうことですか!?」
「言ってなかったっけ?」
お父さんはきょとんとしてわたしたちを見た。
「聞いてませんよ!」
サンチョは悲鳴めいた声をあげる。
お父さんはそのまま話を続けた。
「それと、ま、この船を貸してくれたのと、後……」
お父さんは少し頬を染めて、小さな声で
「後、ビアンカちゃんとの結婚式も挙げてくれた」

サンチョが眩暈を起こしたように、甲板に座り込む。
わたしとソルは唖然としてお父さんを見上げた。
「お父さん、そういう大事な事、何で先に教えてくれないの!?」
わたしはお父さんにそういって、頬を膨らませる。

ひどい。

お母さんとの思い出の街だってこと、街に入る寸前まで黙ってるなんて。
「ああ、ご挨拶に行くのに手土産の一つもないなんて……!」
サンチョもお父さんを恨めしそうに見る。
「サラボナはいっぱい思い出あるよな、テス!」
スラリンがにやにやしてお父さんを見上げた。
「……」
お父さんはスラリンからすーっと視線をはずす。
その頬はますます赤い。
「見てて面白かったもんな、テスとビアンカの……」
スラリンがソコまで言ったとき、お父さんがスラリンを抱き上げる。そして私たちに背を向けた。

耳を澄ますと、小さな声で「黙ってて!」とか「頼むから!」とか言うお父さんの声が聞こえた。
後でスラリンに話をちゃんと聞かなきゃ、と思った。

 
皆に街の外で待ってもらって、わたしたちは街に入る。
お父さんは街に入る前から何だかぐったりしてしまった。

街は周りを壁が囲っていて、入り口から真っ直ぐ目抜き通りが通っていた。その道は噴水のある広場までつながっている。
広い道で、両脇にはお店が並んでいる。
花と緑が綺麗な街だった。
「あれ?」
お父さんが声を上げる。お父さんが見てる方には、大きな宿屋さんがあって、その前には恰幅のいい上質の服を着たおじさんと、武装した兵士みたいな人が立っていた。
おじさんのほうが、兵士に何か言っている。
近寄っていくと声が聞こえてきた。
「頼みましたぞ! 今まで以上に厳重な見張りを! 何かあったら、すぐに私に知らせるのです!」
おじさんのほうは凄く真面目な顔をしていて、兵士さんは何回か頷いた。
そしてそのまま街の外へ走っていってしまう。
「あの」
お父さんが声をかけたけど、二人とも気づかない。
兵士さんはわたしたちの横をすり抜けて街の外に出て行ったし、おじさんのほうは街の奥のほうへ早足で戻っていってしまった。
「……ルドマンさん、どうしたんだろう?」
お父さんが首を傾げる。
「あの方がお知り合いなのですか?」
サンチョが聞くと、お父さんは街の奥をみたまま頷いた。

 
暫くぼんやりと街の奥を見ていたお父さんが、大きく息を吐いた。
「とりあえず、宿に荷物を置いてから街を回ってみようか。何かあったのかもしれない」
お父さんは言うと、町の入り口にある大きな宿屋に歩き始める。
わたしたちは置いていかれないように早足でお父さんを追いかけた。
「あれー? テスさんじゃないか。懐かしいねえ」
宿の受付に居たおじさんがお父さんを見て笑いかける。
「お久しぶりです。……よく覚えてましたね、ボクのことなんか」
お父さんは苦笑いして挨拶を返した。
「何年たとうが、あんたの顔を忘れるもんかね! 結婚式前はそりゃもう、街中大騒ぎだったんだし。それに何かぜーんぜん変わってないし。若いねー、何か秘訣あるの?」
「あるようなないような」
お父さんは曖昧に笑う。
「ところでもうルドマンさんには会った? 何だかこのごろルドマンさんは顔色が悪くて様子がおかしいのさ」
「これから会いに行こうかと……」
「頼むね。で? 4人で宿泊?」
「ええ、部屋あいてます?」
「あいてるよ。……あのちっさい子たちは子ども? 美人のお嫁さんは?」
おじさんは笑いかける。
「えーと……ちょっと身動き取れなくて」
お父さんはそんな返事をした。
「あー、下の子でも出来るの?」
おじさんの言葉にお父さんはまた曖昧に笑った。

お母さんは石にされてるから、身動き出来ないのは本当。
嘘は言ってない。
けど、何か不思議な気分。
嘘を言ってないのに、本当の事でもない。

「探してるって言わないんだね」
宿の部屋に入って、ソルがお父さんにぽつんと言った。
「探してる、なんていったら『家出でもされた?』とか聞かれるよ。……ここの噂の流れる早さは尋常じゃないんだから。そんな事言おうものなら、明日には話が膨らんでボク極悪人だよ。皆もぜーったい、探してるなんて言っちゃ駄目だよ」
お父さんは顔を青ざめさせて、自分で自分を抱きしめるような格好をした。ちょっと想像してみたみたい。「ああ、恐い恐い」ってつぶやいてベッドに突っ伏した。
「ソレより、宿のおじさんが『結婚式前はそりゃもう、街中大騒ぎだった』って言ってたよね? お父さんこの街で一体何したの?」
「あ、わたしも聞きたい!」
わたしも手をあげて尋ねる。お父さんはわたしたちの言葉を、聞こえない振りをした。

「……」
ソルは暫くお父さんを見つめていたけど、そのうち「いい、おじさんに聞いてくる」と言って立ち上がる。
「やめてー! 言うから!」
お父さんが悲鳴を上げたのは、すぐの事だった。
165■サラボナ 2 (ソル視点)
「怒らないって約束するなら話す」

お父さんの言葉に、ぼくらは頷いた。
そしてお父さんが話してくれたのは、お父さんがお母さんと結婚する頃の話だった。
ちょうど、エルヘブンでは教えてくれなかったあたりの話。
お父さんはぼくらの視線から逃げるみたいに、ずっとうつむいたままでぼそぼそと喋りだした。

「ボクね、この街にいる女の人と結婚するはずだったんだ」

言った言葉に、おもわずぼくらは「えー!」と声を上げる。
想像付かない。
まだぼくはお母さんを知らないけど、皆に聞いた話ではお父さんはお母さんにメロメロで、実際お父さんの教えてくれる話でもお父さんはお母さんが大好きで。
お母さん以外の人と、結婚しようって考えた事があることだって嘘みたいだ。
だって、エルヘブンで聞かせてくれた話って、お母さんに逢えて嬉しくて、大好きでって。

「この街に住むルドマンさんが、家宝として天空の盾を持ってるって知って、ルドマンさんに会いに行ったんだ。そしたら、娘さんの結婚相手を探してる最中でね」
「……もしかして坊っちゃん、家宝狙いで立候補したとか……言わないで下さいよ?」
サンチョが少し青ざめた顔で、震えた声でそんな事を言った。
お父さんは返事をしなかった。
「……でね、ルドマンさんが出した条件が、炎のリングと水のリングを探してくる事、だったんだ」
そういって、お父さんは左手をチラッと見た。
ソコには、オレンジ色の宝石が付いた指輪がはまってる。お母さんとの結婚指輪だって、言ってた。
「まあ、見つけたんだよ、どっちも。炎のリングは一人で。水のリングはビアンカちゃんと……ああ、勿論魔物の皆はどっちもついてきてくれてたけど」
お父さんは窓際まで歩いていって、窓の外を見た。
夕暮れで赤かった空が、随分紺色に変わってきている。

「ボクの本命が、ビアンカちゃんなのか、フローラさんなのか、っていう話になってね」
「そりゃなりますよ」
サンチョが呆れたような声で非難する。
「もー街中大騒ぎになったよ、賭け事の対象にされるし」

「お母さんを、何で選んだの?」

マァルがお父さんに聞いた。
「お父さんは、家宝がほしくて立候補したんでしょ? どうしてお母さんを選んだの? 家宝目当てにされた女の人がかわいそうだわ。どうしてお母さんを連れてきちゃったの?」
マァルはお父さんを真っ直ぐな瞳で見た。
お父さんはマァルを暫くじっと見てから、凄く優しい声で言った。

「そうだね、家宝目当てじゃ可哀想だ。でも、好きになったから立候補したんだよ。とても優しい人だったから」
そうしてお父さんはしゃがんでマァルと目を合わせる。
「けど、探し物をしてるときにわかった。フローラさんには、別に好きな男の人がいたし、その人もフローラさんが好きだった。ボクが邪魔できるものではなかったよ。それに、ボク自身も探し者をしてるときに、ビアンカちゃんに再会できてわかったんだよ」
お父さんはにっこり笑った。

「未来を一緒に生きていけるのは、この人しか居ないって」

お父さんはそういうと、恥ずかしかったのか立ち上がって、ぼくらから顔を背けた。
「ビアンカちゃんがボクには必要だった。だから、ビアンカちゃんを選んだ。盾はここにあるんだから、焦る必要はないと思った。お互い望まない結婚なんて、する必要はない」

「でも、コレまでのお話だと、その盾の持ち主で娘さんを選んでもらえなかった人が、坊っちゃんの結婚式を挙げてくださったんですよね?」
サンチョは不思議そうにお父さんに尋ねる。
「ボク自身のことを気に入ってくれたんだよ。後見人みたいな感じだね」
お父さんはまだぼくらと目を合わせない。
「ひどいことをしたっていうのはね、わかってるんだよ。一時的なことだったとはいえ、ビアンカちゃんもフローラさんも傷つけたし、そういうのって、一生治らないじゃない? フローラさんが今幸せにしてくれていたらいいんだけど」

お父さんは窓の外をもう一回見た。

「ビアンカちゃんは……どうなのかな」
お父さんが小さな声でつぶやいたのを、ぼくは聞いてしまった。
お父さんは少し泣きそうな顔をしてたけど、涙は出てないから泣かなかったんだと思う。お父さんは大きく息を吐いてからこっちを見た。
「もう今日は遅いから、ルドマンさんの家には明日の朝行こう」
そういったお父さんは、もういつもどおりの顔をしてた。
 
 
朝起きたら、お父さんはもう起きたらしくてベッドに居なかった。
ぼくはマァルを起こす。
「おはよう」
「うん、おはよう」
マァルは何だか少し機嫌が悪いみたいだった。
「昨日の、ショック?」
ぼくは聞く。
「ソルは?」
「うーん、よくわかんない。他の女の人と結婚しようって思ってたのはショックだったけど、でもお母さんのこと大好きなんでしょ?」
ぼくは答えて首を傾げる。
「わたしね、何だか凄く嫌な気分なの。お父さんがおばあちゃんに逢いたい気持ちはわかるのよ、わたしたちと一緒だもん。お母さんに逢いたいもん。けどそのために、女の人を一瞬でも秤にかけたのがいや。お父さんはその人のことが好きになったからって言ってたけど、本当かしら? 盾の持ち主だから、好きになったんじゃないかしら?」
そういわれると、そんな気もする。

「あ。起きた? 朝ごはんの用意してもらったよ」
ドアを開けて、お父さんが入ってくる。ぼくは思わずお父さんをにらんでしまった。マァルだって似たようなもんだと思う。
「……二人とも、どうしたの?」
お父さんは眉を寄せて、困ったようにぼくらを見た。
「べつに」
マァルが凄く機嫌の悪い声を出した。
「……」
お父さんは暫く宙を見つめて、それから
「そう」
と小さく答えて、「ともかく朝ごはんを食べよう」って言った。

朝ごはんはサラダとパンとスープだった。
サンチョはテーブルの周りで色々と用事をしてから席に着く。
「いただきます」
食べ始めても、マァルはお父さんと口をきかなかった。
「あのさ」
お父さんはサンチョに話しかける。
「今日、ボク一人でルドマンさんに会いにいってくるよ。サンチョはソルとマァルを連れて観光でもしておいでよ。ここね、教会が凄く綺麗だし、噴水広場も整備されてて綺麗なんだ」
「はあ」
サンチョはいきなりそんな事を言われてビックリしてるみたいだった。
「でも私もルドマンさんにご挨拶したいんですが。坊っちゃんが色々お世話になったんですし」
「会った時に言っておくよ、ともかくちょっと一人で行ってくる」
お父さんはそういうと、後は黙々とご飯を食べて、皆より早く食べ終わった。
「じゃあ、ボク行ってくるから」
そういってワタワタと行ってしまった。
166■サラボナ 3 (ソル視点)
今日もとても天気がよくて、空が高い。
真っ青な空に白い雲が薄く浮かんでいる。吹いていく風は涼しくて、そろそろ秋が本当に来たんだなって思った。
マァルは相変わらず不機嫌で、ちょっとつまらない。

「奇麗な街ですねえ、グランバニアもこうありたいものですね」
サンチョは目を細めて街を見ている。
確かに奇麗な街。
道が広くて、周りには花がたくさん咲いている。
「あ! 噴水がある!」
ぼくはマァルの手を引いて広場に向かって走る。
「ああ、ちょっと、待ってくださいよ!」
サンチョが後ろから慌ててどたどたと走ってくるのが解るけど、ぼくは立ち止まらないでそのまま走った。

噴水がある広場はとても広くて、ベンチで話をしている人や、噴水を見ている人や、いろんな人が居た。
「ソル、どうしたの?」
マァルは不思議そうにぼくをみる。
「別に? マァルが退屈そうだったから」
ぼくはにっこり笑って手を離す。マァルは苦笑した。
「ごめんね。怒ってばっかりじゃダメなのは解るんだけどね」
そういって口を尖らせる。
「……でも何かイヤなの」
「マァル、お父さんのこと嫌い?」
「嫌いじゃ……ないよ」
「じゃ、別にいいや」
ぼくは言うと、噴水を覗き込む。空がうつっていて、とても奇麗だった。

 
「ああ、もう坊っちゃん達は足が速いですね」
サンチョが肩で息をしながら、ようやく噴水のところまできて座り込む。
「サンチョ大丈夫?」
ちょっと苦しそうなサンチョを見て、マァルはしゃがんでサンチョを見た。サンチョは首を縦に何回か振った。

「あら、大丈夫ですか?」

奇麗な声が頭の上から降ってきた。
振り返ると、女の人がサンチョを心配そうに見ている。そして近寄ってくるとサンチョの傍に座って背中をさすってくれた。
「ああ、すみません、ありがとうございます」
女の人は笑って「いいえ」といいながら、まだ背中をさすってる。
青い髪を腰までのばした、白い服を着た奇麗な女の人。
「かわいらしいお子さん達ですね、お孫さんですか?」
女の人はぼくとマァルを見て、それからサンチョに訊ねた。
「いえ、私がお仕えしている方のお子様方です。今主人はルドマン様のお屋敷にお邪魔していてこちらにはおりませんが」
サンチョが答えると、女の人は口元に手を持っていって「まぁ!」って驚いた声をあげた。
「ルドマンは私の父ですわ、失礼ですけれどご主人様のお名前を聞かせてくださいますか?」

この女の人が、ルドマンさんの娘っていうことは、お父さんが結婚するはずだった人?
ぼくは驚いて女の人をもう一回見る。
凄く凄く奇麗な人だ。
お母さんも奇麗な人だって聞いてるけど、お母さんはこの女の人に勝ったんだから、もっと奇麗なのかな?
……想像できないや。

ぼくがそんな事を考えてる間に、サンチョは女の人に「主人はテスと申します」って答えてた。
そうしたら、女の人の驚きはもっともっと大きくなった。
「まあ!」
そういってぼくとマァルを見てにっこり笑った。
「じゃあ、お母様のお名前はビアンカさんですね? 言われてみればお二人によく似てらっしゃるわ」
そういって女の人は立ち上がる。
サンチョも一緒に立ち上がった。
「こんにちは、初めまして。私、ルドマンの娘でフローラと申します。テスさんには色々とお世話になりました。よく夫とも今どうしてらっしゃるのかしらってお話してましたのよ」
フローラさんはぼくらに頭を下げてからそんな事を言ってにっこり笑った。
「よかったら私の家にいらしてくださいな」

 
ぼくらが案内されたのは、街の少し奥にある大きな家だった。
庭も広くて、奇麗な花壇がたくさんあった。
「こちらが私の家です。向こうに見えるのが父の家です」
そういって手を向けた方向には、この家よりもっと大きな家が建っていた。お父さんが出かけていったのは、そっちの大きな家の方だろう。
そのままぼくらは、庭の木陰にあるテーブルに案内される。
「こちらでおまちくださいね」
フローラさんはそういってにっこり笑うと、家の中に入っていった。

「あの人がお父さんが結婚するつもりだった人よね?」
マァルは少し複雑そうな顔をして、家のほうを見た。
「だろうねえ」
ぼくは答える。
「……なんであんなにニコニコしてられるのかしら?」
マァルは不思議そうに言。
「マァル様、フローラさんにそういうことを言わないでくださいよ?」
サンチョが少し眉を寄せた顔をして、マァルに注意する。
「はーい」
マァルは少し不満そうに返事をした。

暫くすると、フローラさんはトレイにオレンジジュースを並べてもって来てくれた。
「ああ、そんな申し訳ありません!」
サンチョが慌てて立ち上がって、フローラさんからトレイを受け取ろうとする。
「皆様お客様なのですから、座ってくださいね?」
フローラさんはにこりと笑って、ぼくらの前にジュースを並べてくれた。それから、椅子に座ってぼくらをゆっくりと見回した。
「テスさんたちが旅立たれてもう随分たつんですね。こんな大きなお子さん達が居るなんて。なんだかウソみたい……お名前は?」
「ぼくソル」
ぼくはジュースを飲みながら答える。
「マァルです」
マァルは少しすました声を出した。
「申し遅れました、私はサンチョと申します。主人からお話は少し伺いました。何でも此方で結婚式を挙げていただいたとか……」
サンチョも緊張しているみたいだった。
フローラさんはにこりと笑った。
「皆さん素敵なお名前ですね」
そういって、少し首を傾けてゆったり笑った。
「私の父がテスさんに色々と御迷惑をかけてしまって、今でもあの頃を思い出すと申し訳ない気持ちがしますわ。テスさんは怒ってらっしゃらなかったかしら?」
「怒るなんてとんでもない! 結婚式を挙げていただいて、とても嬉しかったと申しておりました。今でも昨日の事のように思い出せると……」
サンチョが言ってるときだった。
マァルがフローラさんをじっと見つめて
「フローラさん。お父さんは、フローラさんと結婚するはずだったって、本当ですか? 結婚するって言っていたのに、約束を破られてイヤじゃなかったですか? お父さんはもしかしたら天空の盾が……」
そこまで言って、マァルは黙った。
フローラさんは少しの間きょとんとマァルを見つめていた。
サンチョが頭を抱えている。
「まあ」
フローラさんはそんな事を言ってから、口元を手で隠して声を立ててしばらく笑った。
「マァルちゃんはソレで少し機嫌が悪かったのね? 嫌われてしまったのかと心配していたの」
フローラさんはまた笑った。
「もしかして、テスさんは皆さんにちゃんと説明していないんじゃないかしら? それともテスさんが見たあの時の騒動は、マァルちゃんが怒るようなものだったのかしら?」
首をかしげて、暫くフローラさんは考えてるみたいだった。

「よかったら私のお話も聞いてくださいますか? 多分、随分印象が変ると思いますよ?」
そういって、フローラさんはマァルににっこりと笑いかけた。
167■サラボナ 4(ソル視点)
フローラさんは、少し目を閉じて何か考えてから、ゆっくりと話を始めた。
「テスさんに初めてお会いしたのは、夏の盛りの夕方の事でした。飼っている犬のリリアンが逃げてしまって、追いかけながら途方にくれていたんです。街の外を目指して逃げていくんですもの、外に出られたら捕まえる事なんて出来ないでしょう? ちょうど外から来たテスさんが、リリアンを捕まえてくださったの」
そういうと、フローラさんは少し頬を染めた。
「素敵な方だわって、思いました」

マァルが少しむっとした顔をする。
フローラさんはソレを見て、少し苦笑した。
「ちょうど私は、お世話になった修道院から、父に呼ばれてこちらに帰ってきたときでした。もう、呼ばれたからには結婚させられるのがわかっていて、少し憂鬱でした。実際、立候補者を募った日に家に来たのは、見るからに財産を目当てにした人や目先の利益ばかりを考えてる人、そんな人ばかりでした」
フローラさんは思い出したのか、憂鬱そうにため息をついた。
「その中には、テスさんや、今は夫になった幼馴染が居ました。普通に見えたのはお二人だけでしたね」
「それで、水と炎のリングを取りに行ったんだよね?」
ぼくが言うと、フローラさんはにこりと笑って、「良く知ってるわね」って言った。

「後で聞いて知ったのですが、テスさんは最初結婚を目当てに屋敷に来たわけではなかったそうです。天空の盾について話がしたかったらしいですわ」
「じゃあどうして指輪をわざわざとりに行くの?」
マァルはまだ不機嫌だ。
「父は指輪を持った人としか話しをしないと決めていました。だからテスさんは仕方なく指輪をとりに行ったそうです。でも、途中でアンディが……あ、夫になってくれた幼馴染の名前がアンディなんですけど、彼がとても私のことを好きなのだと気づいて困ってしまったらしいです。……指輪は彼にあげたいけど、話をするためには自分も指輪を手に入れなければならないと」
フローラさんは指を組んで、テーブルに載せた。
綺麗な細い指をしてた。
「そこで考えたらしいです。一つずつお互いに指輪を手に入れて、決戦になったときに辞退しようと。けどうまくいかなかった」

「どうして?」
マァルが小さな声で尋ねた。
フローラさんは困ったような顔で笑って、それから「実はアンディが怪我をしてしまって、動けなくなってしまったのよ。それに父がすっかりテスさんを気に入ってしまって、もうその時にはお婿さん決定、みたいになってたの」
フローラさんは、思い出して憂鬱になったのか、また深くため息をついた。

「それで、テスさんは二つ目の指輪も探しにいって、その先でビアンカさんと再会なさったんです。どういう経緯でお二人で指輪を探したのかわかりませんが、ともかくビアンカさんと一緒にこの街に帰ってらっしゃいました」
「嫌じゃなかった?」
マァルの質問に、フローラさんは暫く考えて、
「うーん、実はその時の事は、私はアンディのことが心配で心配でたまらなくて、あまりしっかり覚えてないの。ただ、ビアンカさんがテスさんのことを好きなのは何となくわかったわ」
そう答えて、また話は続いた。
「父は、テスさんに私とビアンカさん、どちらと結婚するか考えるように言いました。二人と結婚するわけにはいかないからと。街の人たちは、テスさんがどちらと結婚するか興味津々でした。私も選ばれたらどうしようと、少し緊張してました。その日はお会いしてないけど、多分ビアンカさんも同じだったと思います」
そういって、フローラさんは少し空を見上げた。

「その時冷静だったのは、テスさんだけだったんですよ、多分」

「一晩あけて、テスさんが出した答えは『私にテスさんで本当にいいのか選ばせる』という方法でした」
「ずるい。自分で決着つけなかったの?」
マァルは口を尖らせる。
確かにずるい。考えろっていわれたのはお父さんなのに。
そういったら、フローラさんは笑った。
「確かに、そう考えたらずるいかも知れない。けど、実際はそうじゃないのよ。テスさんは、あの時既にビアンカさんしか選ぶつもりはなかった。けど、ビアンカさんを選んだら、街に残る私はどうなるだろうって考えてくれたの。大々的に婿探しをして、挙句その婿が別の女の人と旅立ってしまうなんてことは、ずっと街に居る私や父が大変だろうって」
「あ、そうか」

「ソレにね、私はその時アンディが好きだったから、テスさんに選ばれたらソレはそれで困ったの。テスさん、その事も気づいていたのよ。誰もが幸せになる方法を、テスさんは探し出したの。ただ、その方法は街を出ていけるテスさんには少し不利な条件だった。実際自分に対しての評価を随分下げるようなやり方でしょう? マァルちゃんが怒っちゃうくらいに」
そういわれて、マァルはフローラさんから目をそらした。
「でもね、冷静に考えれば誰もが望んでいた結末になってるのよ。父は指輪を探し出せるような勇敢な人と知り合う事ができたし、私は好きな人と結婚できたし、アンディも望みどおり私と結婚できた。勿論、テスさんもビアンカさんもお互い望んだ人と結婚したし……テスさんは当初の目的だった天空の盾だってちゃんと手に入れた。ともかく冷静だったの」
マァルは少しだけ笑った。
「だからね、マァルちゃんもソル君も、お父さんをそんなに怒らないであげてね。本当に私たちはテスさんに感謝してるのよ」
そういって、フローラさんはにっこりと笑った。


「おーい」
向こうから聞きなれない声がした。
少し高めの声の、男の人。
「フローラ」
庭に入ってきたのは、金色の髪を腰まで伸ばした、少し痩せた男の人だった。
「どうしたの、アンディ?」
「テスさんが今お義父さんのところに来てる! 後でこっちにも回ってくれるって」
「ええ、尋ねてきてくれているのは知ってるわ。この方達はテスさんのご家族よ」
フローラさんはにこりと笑って、ぼくらを紹介してくれた。
168■サラボナ 5(マァル視点)
フローラさんが話してくれた結婚の時のお父さんは、そんなに嫌な感じがしなかった。
多分、フローラさんがお父さんを嫌ってなくて、良い思い出として話してくれたのと、お父さんが教えてくれなかったところを教えてくれたからだと思う。
お父さんは、自分を悪者にして話したから、多分嫌な感じがしたんだろう。

「確かにお二人に良く似てるね」
さっきフローラさんのだんなさんのアンディさんが帰ってきた。金色の髪の毛を腰まで伸ばした、優しそうな顔をした人。くりっとした目が人懐っこそうな感じ。
アンディさんはわたしとソルを見て笑う。わたしはにこりと笑い返しておいた。
「……テスさんに後でちょっとお話をしなきゃね」
アンディさんがルドマンさんのお家を見る。
フローラさんは少し眉を寄せて心配そうな顔で家を見た。

 
アンディさんが来てから随分時間がたったころ、漸くお父さんがゆっくりとこちらに歩いてきた。
「こんにちは……えー、今更ですけど、ご結婚おめでとうございます」
お父さんは少し苦笑してフローラさんとアンディさんに挨拶する。
「お久しぶりですわね」
「お元気そうでなにより」
二人は口々にお父さんにそういって握手した。お父さんはわたしやソルをちらりと見てから
「先に子ども達がお世話になったようで」
「楽しかったですわよ、いろんなお話をしました」
フローラさんは笑う。
わたしやソルは、お父さんが来るまでフローラさんたちにいろんな話をした。ここまで来るのに見てきた風景や、面白かった事。
お父さんとお母さんを探していた頃の事。
「ビアンカさんは……大変な事になって」
フローラさんは少しうつむいた。
「再会したらすぐに挨拶にきます」
お父さんはそういって少し困ったように笑った。
「ソレよりありがとうございますね。なんか色々」
お父さんはそんな事を言って、それからわたしたちを見た。

「次に行くところを決めたから」

お父さんはそういってわたしたちを見回した。
「えーと、お世話になった恩返しをしたいと思います」
なぜかそんな丁寧な言葉遣いをして、お父さんは地図を取り出す。
「ちょっとしたお手伝いなんだけどね。……ここ」
お父さんはサラボナから川をさかのぼって北に指を進めていく。ちょうどお母さんの村から北西に行ったあたりを指差した。
「ここに、小さな祠があるらしいんだけど。ルドマンさんの大切なツボが置いてあるんだって。その色を見てくる」

その話をお父さんがしたとき、フローラさんが「あの」って声を上げた。
「最近父の様子がおかしくて……。少し心配していたんです。もしかしてその事が関係してるんでしょうか?」
「どうかわからないんですけど。……赤かったらすぐに帰ってきて知らせてほしいといわれました。……多分何か心配な事があるんでしょうね」
お父さんは少しフローラさんから目を離していった。
「とりあえず、明日の朝早く行ってきます。多分すぐ解決しますよ。心配要りません」
お父さんはにっこり笑うと、わたしたちのほうを見た。
「さあ、もう遅い時間だしお暇しよう」

 
「あのさ」
宿に帰ってきて、お父さんは部屋の戸締りを確認してからわたしたちを見る。
「ごめんね」
お父さんはそういってわたしに頭を下げた。
「?」
わたしが首を傾げると、お父さんは少し苦笑して
「マァル怒ってたでしょ? 何で怒ってるのかわかるんだけど。……ボクって何か基本的に言葉が足りないのかも」
「もう怒ってないわ」
わたしは笑う。「フローラさんのお話のほうがわかりやすかったから」
そう言うと、お父さんは目に見えてがっくりと肩を落とした。
「そう……まあ、うん、とりあえず」
お父さんはそんな事を言いながら、少しわたしたちに近寄るように言った。
「コレはさっき言えなかったんだけど」
お父さんは小声で話を始める。

「実はね、ルドマンさんの様子がおかしくなったのは、行商人からツボの色が赤かったという話を聞いてかららしいんだ。『そんなバカな!』って真っ青になったって」
お父さんの言葉に、誰かが大きく唾を飲み込む音が聞こえた。
「それとね、コレはルドマンさん家のメイドさんが聞いたらしいんだけど、本棚の日記を調べながら『古の奴がよみがえる』って言っていたらしい。隙を見て読んできたから、今から言うね」
お父さんは右手の人差し指で、何回かこめかみを叩いた。
「えーと、確か……『わが名はルドルフ。この日記を代々伝えよ。けっして無くしてはならぬ! 今しがた、私は巨大な魔物をツボの中に封印することに成功した。奴の体は雲をつきぬけ、天までとどくほどの巨大さだった。放っておけばサラボナだけでなく、世界中が滅ぼされた事だろう。しかし残念な事に、封じこめた聖なるツボのちからは100年……長くても150年だろう。ツボがその力を失い赤く光ったその時、奴は再びこの世界に現れる! まだ見ぬわが子孫よ。何もしてやれぬが頑張るのだ。私もこの事を後の世まで伝えるため、とりあえず子供だけは作っておこう。では運悪く150年目に当たったわが子孫よ健闘を祈る』」
お父さんはそこで大きくため息をついた。
「ルドマンさん、大当たり」
 
「ツボが赤かったら、どうなさるんです?」
サンチョが不安そうにお父さんに尋ねた。
「うーん、とりあえず封印の力はルドマンさんにあると信じて、ボクらはその手伝いが出来ればいいかなあ、と。……手伝ってもいいよね?」
「坊っちゃんがお手伝いなさるなら、もちろん私はお手伝いしますよ」
「ぼくもー」
サンチョとソルが口々に賛成する。もちろんわたしも大きく頷いた。
「お父さんはわたしたちが嫌だって言ったら、一人でもお手伝いに行くんでしょう?」
「……まあね」
お父さんは苦笑いした。
「そういうことだから、今日は早く寝よう」

次の日は少し天気が悪くて、今にも雨が降りそうな薄暗い雲が空を覆っていた。
「それじゃあ出発」
船は川を静かに北上し始めた。
169■サラボナ 6 (テス視点)
船は北上して、やがて大きな入り江に出た。地図と照らし合わせてゆっくりと祠のある場所を探して回る。
暫く行くと、入り江の北側にぽつんと祠があるのが分かって、ボクらは船からおりた。

相変わらずあまり天気は良くない。遠くで雷の音がした。
「気をつけて行こう」
ボクらはそっと祠の入り口をくぐる。
外から見たのとは違って、結構立派ながっしりとしたつくりの建物だった。地面には地下に続く幅の広い螺旋階段がある。
ボクが先頭になって、ゆっくりとおりる。
地下にはかなり広い空間があって、螺旋階段はかなり長く続いていた。
随分歩いて、漸く底にたどり着く。
祭壇に、大きなツボが一つだけ置かれていた。
何だか、少し間の抜けた猫のような顔が付いている。見た目だけで言えば、結構ユーモラスなデザインなんだけど、そのツボは血の様な禍々しい赤い光を放っていた。
じっと見つめていたら、なんだか少し揺れているようにも見える。
全体的に、すごーくやばそうな感じ。

「ともかく、急いで帰ろう。……赤いから」
「ねえ、何か声聞こえなかった?」
ソルがボクを見上げる。
「ボクは聞こえなかったけど……」
「急いで帰らなきゃだよ」
ボクの手を引っ張って、ソルは真剣な目をした。
「……、分かった」
ボクは頷いて、螺旋階段を駆け上る。
外に出ると、相変わらず雷は続いていて、随分雲が低い。
一雨来るかもしれない。
「皆あつまって、ルーラするよ」

 
サラボナの街に入ると、入り口に兵士さんがいた。
「おおっテスどの。ルドマンさんは先ほどから見晴らしの塔でお待ちですぞ!」
彼はボクの顔をみて、ほっとしたようにそういった。
「わかりました、ありがとう」
ボクは頷くと、そのまま踵を返す。
街の外にある見晴らしの塔に着いた頃には、ぽつりぽつりと雨が降り出していた。
「ああ、そうか」
ボクは唐突に思い出す。
「何が?」
ソルがボクを見上げた。
「ずっと不思議だったんだ、何のためにルドマンさんがこの見晴らしの塔を建てたのか。サラボナが魔物に襲われたって話は聞いたことが無いのに、心配性なのかなって思ってたんだけど……。何か大きな魔物が来る事を知ってたから建てたんだね、なるほど」
ボクは塔を見上げた。個人が街を守るために建てた塔としたら、多分世界で一番高い塔だ。立派だし頑丈そう。
「ともかくルドマンさんに報告。もし戦うような事があったら手助けしなきゃね。えーと、ソルとマァルは来る?」
「行くよ、ぼく恐くない。それにこの盾を貰ったんでしょ? 恩返ししなきゃ」
ソルはにっこり笑って天空の盾を指差した。
「わたしも行きます。高いところは恐いけど、助けてあげなきゃ」
ボクは二人に笑いかける。
「よし、じゃあ、一緒に行こう。後は……ピエール、いける?」
「勿論です」
ピエールが馬車から降りてきた。
「じゃあ、行こう」

ボクらは塔に入る。
初めて入ったけど、中は何も無い。ただ頑丈なつくりの塔のてっぺんを目指すだけの階段がついている、シンプルなつくりになっていた。
ボクらはその階段をなるべく急いで上る。

「ルドマンさん」
ルドマンさんは、大きく北側に開いた窓から外を見ていた。ボクの声に振り返って、大きくため息をついた。
「テスごくろうだった。そうか……やはり赤色か」
ボクが驚くと、ルドマンさんは力なく笑った。
「その顔を見れば、うらない師じゃない私でもツボの色は当てられるさ。もう時間がないようだ。さっこっちへ!」
ボクらも窓のほうへ近寄る。
窓は外側に少し張り出したテラスを持っていた。ここなら十分に戦えるだろう。
「いいかねテス。ツボの中の悪魔がもうすぐよみがえるのだ。150年前、私のひいひいひいひい……ひいひいじいさん。まあ、要するに私のご先祖様が奴をツボに封じこめたんだが……。その効き目がそろそろ終わるらしい」
ルドマンさんは窓の外を見据えながら続ける。
「おそらく奴は憎い血を引くこの私をねらって来る。もちろんその後サラボナをも滅ぼすだろう。私は家に戻り戦いのしたくをしてこよう。テス! 暫くの間ここをたのんだぞ!」
「分かりました」
ボクは剣を抜いて何度か上下に振って見せた。
「お気をつけて」
ルドマンさんは大きく頷くと、階段の下へ消えていった。

辺りが、物凄く静かになった。雨はまだまばらに降ってるだけで、本降りにはなっていない。
どしゃぶりになると戦いにくい。雨が本格的に降らないことを祈った。
ソルとピエールが無言で剣を抜き、マァルがグリンガムの鞭の柄を握り締めた。

ただ、静かだった。

やがて、大きな音が遥か北のほうから聞こえた。
重いものが落ちるような音。ずしんと響く、低い音。
「足音」
誰かが小さくつぶやいた。

ソレはゆっくりこちらに近付いてくる。
やがて、見える。
最初は小さな点に見えた。が、すぐに間違いだと分かる。
あまりに遠かったから、小さく見えただけで、近付くたびに恐ろしく大きい事が分かってきた。

「天に届くような」とは、ご先祖様もうまい事を言う。
嘘じゃなかった。
そいつは一直線にこちらに向かって来ていた。歩くたびに、地響きと深い低い足音。バキバキと派手な音を立てて、森の木が倒れていく。住処を追われた鳥達が鳴き声をあげて慌ただしく飛び立っていく。
ようやく、顔が分かった。
なんだか、猫みたいな顔。あのツボにあったのと良く似ている。
全身は茶色くて、結構ずんぐりとした体つき。
姿だけ見れば、そんなに恐くないのもあのツボと一緒。

けど。
「……何か凄く嫌な感じがする」
ソルがじっと相手を見据えたままつぶやいた。
ボクは頷く。
「見た目に騙されたら、ひどい目にあうね、コレは」
170■サラボナ 7 (テス視点)
大きな怪物と、目が合った。
「ブウウーイッ! まったくよく寝たわい」
鳴き声の後の、つぶやいたのかもしれないその声は、それでも十分大きかった。ぎろりとそいつはボクらをみた。
「さて……。ルドルフはどこだ。隠すとためにならんぞ」
普通に喋ったのかも知れないその声は、空気を振動させびりびりと耳が痛い。ボクは暫く黙って、怪物を見上げていた。
どういうのが一番いいだろうか。
大体、「ルドルフさんはもう居ません」なんて言っても、たぶん通じないだろう。
「……まあよいわ。体ならしにキサマらから血まつりにあげてやるわ!」
先に相手が痺れをきらせた。大きく一度ほえると、その手を大きく振りかざし、そして振り下ろしてきた。
戦闘が始まる。

「まとまってると危ないから、ソルは右。ピエールは左。ボク真ん中で注意引くから。マァル、後ろから援護。バイキルトを順番にかけて、その後は魔法で攻撃」
ボクは大まかに指示をして、左手で大体の位置を示す。
「分かりました」
ピエールが相手を見据えたまますばやく移動していく。
マァルはじりじりと後ろに下がりながらバイキルトをボクにかけてくれた。一瞬、身体が熱くなる感じ。身体の奥のほうから力が湧いてくるのが分かる。
「スクルトかけるね」
ソルは右側に走りこんでから、大きく両手を広げる。
青白い光が皆を包む。身の守りが堅くなったのが分かった。
「ええい、ちょこまかと」
怪物が忌々しそうに言う。
ボクは塔の外に張り出した部分にすっと出て行って、怪物に切りかかる。
多少の手ごたえ。ちゃんと斬っている。でも、それが効いているのかどうかは良く分からなかった。
と、怪物の手が横から無造作に振り下ろされるのが視界の端に映った。
「!」
とっさに身構えて、ソレを受ける。
スクルトで防御力は上がっていたし、盾も構えていたにもかかわらず、重い一撃だった。
「っ」
短く息を吐く。ちょっと一瞬くらっとした。
状況を確認する。
とりあえず、塔から落ちることはなかったし、身体は無事だ。痛いけど、まだいける。
「かなり重い、受けるときは覚悟!」
ボクは短く全員に聞こえるように叫ぶ。それぞれに首を縦にふったり、「わかった」と短く返事をしたりした。
「メラミ!」
叫び声と共に、ボクの横を大きな火の玉が飛んでいった。マァルの放った魔法だ。ビアンカちゃんが苦労して覚えたあの魔法を、この子はもう使うのか、と戦いの最中にもかかわらず少し呆然とした気分になった。

戦いは混戦だった。
相手からの一撃は苛烈で、物凄い痛みと重みを伴う。
相手にとっても、ボクらの攻撃は有効らしい。どんどん顔をゆがめていくのがわかる。
ボクもピエールも、そしてソルも途中で何度も回復の魔法を使った。はっきりいって、追いつかない。ある程度まで回復したら、もう次の一撃が来る。
「……」
ボクは少し大きく息を吸って、落ち着くために周りを見回す。
怪物は胴と腕、そして顔を中心に傷を負っている。随分苦しそうな息をしている。けど、相手は大きいし、こちらは塔の上で戦ってるせいで、足なんかはまだ無傷だ。
足元で戦う羽目にならなくて良かった。踏み潰されて終わりだっただろう。
こちらの状況はあまり良くない。皆肩で息をしている。
これ以上長引くと、多分いいことはない。
そろそろ決着をつけなきゃ、多分こっちが負けるだろう。
ボクは短く息を吐いた。
「行くよ!」
ボクの掛け声に、ピエールが頷く。
二人で同時に切りかかる。相手はどちらを攻撃しようか一瞬迷ったらしかった。
まずピエールが斬る。それで少し相手の注意がピエールに向かう。その隙を狙ってボクは大きく踏み込んで剣を突き刺した。
骨に当たる手ごたえ。
怪物が大きく目を見開いて、そして崩れ落ちていく。

「……勝ったの?」
マァルが、塔の少し奥まった部分から出てきて尋ねる。
「……たぶん。ルドマンさんが封印してくれるのを待とう」
ボクは息を吐きながら言うと、ソルとマァルに回復の魔法をかける。ギリギリのところだったから、自分には唱えることができなかったけど、そんなに気にならない。たぶん、今日これ以上戦う事もないだろう。

小さかった頃、戦闘が終わるたびにお父さんは「良くやったな」といいながら傷を治してくれた。ソレが凄く嬉しかった。
同じ事を、今やれる。
それで十分な気がした。
「ありがとう」
ソルとマァルは嬉しそうに笑った。
「お父さんたちにもかけてあげるね」
ソルは言うと、ボクとピエールにベホマを唱えてくれた。
「ありがとう」
ボクは笑い返す。
何だかとても嬉しかった。

サラボナに帰ると、街の入り口にフローラさんとアンディさんがいた。二人ともボクらをみて、無事を喜んでくれた。
そのままフローラさんたちと、ルドマンさんの屋敷に向かう。
「わっはっは。やあ、愉快愉快! 私が支度している間に倒してしまうとはな! 流石はテス! やあ、愉快愉快! ますますテスのことを気に入ってしまったわい!」
ルドマンさんはご機嫌だった。
一応、本当に戦うつもりがあったらしい。あまり似合わない鎧をしっかりと着込んでいた。
「封印はブオーンが弱っている間にしっかりとさせてもらったよ。そうしたら、こんなもんが出てきた。私には使い道がないから、テスが持っていくといい」
そういって、ルドマンさんはボクに不思議な形をした鍵を渡してくれた。
「ありがとうございます」
ボクが頭を下げて鍵を受け取ると、ルドマンさんは「礼を言うのはこっちだよ」といって、また豪快に笑った。

その日はルドマンさんの家で豪華な料理をご馳走になって、そのまま準備して貰った宿に泊まった。
171■サラボナ 8 (テス視点)
次の朝、ボクらはこれからのために旅の準備を色々この街ですることにした。
「そろそろ保存食もなくなりますからね、私が買いにいってまいります。坊っちゃんはルドマンさんやフローラさんたちにご挨拶に行って来てください。くれぐれも失礼のないようにおねがいしますね!」
サンチョはそんな念押しをしてから、宿を出て行った。
ボクはそっとため息をついてから、子ども達を起こしに行く。いつもはボクのほうが起こされるけど、さすがに昨日の戦闘と、そのあと続いた宴会のせいで疲れているんだろう。

「朝だよ、起きて」
二人に声をかけて、ボクはカーテンをあける。
秋の少し優しい光が部屋の中まで入り込んできた。
「うー」
ソルが不満そうに声を上げながらも、目をこすって起き上がる。
「もう朝?」
「もう朝」
ボクは笑いながら答える。「朝ごはん、サンチョと先に済ませちゃった。ごめん」
「いいよー、別にー」
ソルは隣のマァルを揺さぶって起こした。
「朝なの?」
「朝だよ」
二人ともまだ眠そうだった。
「朝ごはんを食べたら、ルドマンさんとフローラさんたちに挨拶に行くよ。サンチョは旅の準備に先に行ってる。次に行くところは決まってるから」
ボクが言うと、二人は着替えていた手を止めてこっちを見た。
「え? もう決まってるの? 今度はどこ?」
マァルは目を輝かせる。
「ぼく、魔法の絨毯乗りたい!」
ソルも目を輝かせた。
「うん、魔法の絨毯にも乗るよ、さ、着替えて」

着替えを終わらせ、二人の朝ごはんに付きあう。
サラダと目玉焼きと、パンという簡単な食事だった。ボクは一緒に席についてお茶を貰って飲んだ。
「えーとね」
地図を汚さないようにテーブルの上の料理から少し離したところに広げる。
「ここ」
ちょうど地図の真ん中辺りにある、大きな大地を指差した。確かここはどこの国にも属していない。そして「大陸」というには狭すぎて、でも「島」というには大きすぎる。
北側は険しく高い岩山が連なっていて、普通の手段ではそこへいけないだろう。ここに、セントベレス山がある。
……光の教団の、神殿が建てられている。

ボクは一回大きく深呼吸した。
そして心の奥から湧き上がってくる気持ちを遮断する。
向かい合いたくない。まだ、向かい合えない。
あれは「大昔」の話なのかもしれないけど、でも、人生の大半を占めている、恐怖。
意識して、笑顔を作る。子ども達を不安にさせるわけにはいかない。

「ええとね、この南側」
南側は平たい大地が広がっていた。
「随分前、博物館のあたりを航海してるときに、ここに塔が立っているのが見えたんだ。船長たちに言わせると随分昔から建ってるって話なんだけど。でも、船ではいけないんだ。この島には上陸できるんだけど、塔があるところまでに広い川があって、結構流れが急で渡れなかったんだよ。今なら、絨毯で飛び越せる」
ボクは地図をしまった。
「エルヘブンでどこかに空に続く塔があるって噂を聞いたんだけど、ソレがどこにあるか分からないんだから、とりあえずコレまでいけなかったところに行ってみようよ」
ボクが言うと、ソルが手をあげた。
「面白そーう! ぼく、絨毯に乗れるならどこでもいいよ」
「……塔って高いのよね? あああ」
高いところが苦手なマァルは少し憂鬱そうにため息をついた。
「けど、行きます。お父さんはわたしをどこにでも連れて行ってくれて嬉しいの」
マァルが笑う。
「じゃあ、決まりだ。ルドマンさんたちにご挨拶に行こう」

 
ボクらは、旅装束にしっかりと身を包んで、ルドマンさんの家に向かった。
「おお、もう旅立つのかね?」
ルドマンさんは残念そうに言う。
「もっと長居してもらいたいんだが、そうも言っておれんのだよな」
「ええ」
ボクが頷くと、ルドマンさんは名残惜しそうにボクと握手した。
「今回は本当にありがとう。テスが来てくれてよかったよ。勿論、ソルやマァル、そのほか君の仲間達。お礼を言っておいておくれ」
「勿論です」
「ビアンカさんも母上も早く見つかると良いな。私もここから祈っているよ」
「ありがとうございます」
ボクは頭を下げ、ルドマンさんに別れを告げた。

次にフローラさんの家を訪ねる。
二人は庭で花の世話をしているところだった。
「こんにちは」
声をかけると、二人がこちらをみて立ち上がった。
「今回はありがとうございました。それにしても、150年前の魔物とは……。きっと魔物にとっては数日くらいの時間だったのでしょう。だからルドルフおじいさんが既に居ないなんてわからなかったんでしょうね」
アンディ君は少し悲しい話だ、とつぶやいた。
「お父さまを、そして町をすくっていただいて本当にありがとうございます。テスさんの旅のご無事を心からお祈りいたしますわ」
フローラさんが一度深くお辞儀をする。
「きっと、ビアンカさんもお母様も見つかりますわ。私、毎日お祈りします」
「ありがとう」
ボクは二人と握手した。
「それじゃ、もう行きますね。また近くに寄ったらお邪魔します」
「ええ、ぜひ」

ボクはフローラさんたちと別れの挨拶をして、家を後にする。
「あ」
マァルが声を上げて、「ちょっと待ってて」というとフローラさんのところへ走り寄っていった。そしてフローラさんにしゃがんで貰って、その耳元に何か色々言ってるようだった。
「まあ」
フローラさんはそんな声を上げて、顔を赤らめてクスクス笑っている。
マァルはそんなフローラさんに手を振って、こちらに戻ってきた。
「一体何言ったの?」
マァルはにこーっと笑って、「女の子の秘密なの」とだけ言った。

「あ、そう……」
ボクは呆気に取られて、あとは苦笑するしかなかった。

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