32■妻の故郷で
美しい村。父と母の話。


162■山奥の村 1 (テス視点)
フツルさんにもらった宝石付きのオルゴールは、それはそれは見事な出来だった。
ボクらはソレを受け取って、朝早くエルヘブンを後にする。
まだ霧がかかったような時間帯で、コレまで見たどんな時間帯よりも神秘的に見えた。ここでお母さんはいつも美しい景色を見てたんだ。

ボクは振り返って祈りの塔を見上げる。
村の中で一番高いところに、お母さんは居て。
お父さんに連れられて広い世界を見に行った。
お父さんが情熱家なのは何となくわかってたけど、もしかしたらお母さんも負けず劣らず情熱家だったのかもしれない。
「言ってきます」
心の奥で言って、ボクは歩き出す。

村の外で皆と合流して、ルーラと船を使って山奥の村へ向かった。

相変わらず、のんびりした空気の流れる村だった。全然変わってない。相変わらず村の人は自分の仕事をきっちりこなしているし、入り口近くの畑もしっかり植物が育っている。
かすかに硫黄のにおいが風に乗って運ばれてくるのも変わってない。
村を囲む森も、相変わらず残っている。
「ぼく木のぼり大好き! お父さんのぼってきていい?」
「後でね。先におじいちゃんに挨拶してから」
「あ! 木のところリスが走った!」
「え! どこどこ!」
ソルもマァルも見慣れない村にはしゃいで、あちこち見回しては歓声を上げる。
「のんびりした良い村ですね」
サンチョは目を細めてあたりを見回した。
「温泉が湧いてるんだよ、良い温泉でね、ダンカンさんの療養のために越してきたって言ってた」
「へぇ。私は坊っちゃんに教えていただくまで、ここに村があることも知りませんでしたよ」
そういって、またあちこちきょろきょろと見る。
「ぼく知ってる! 温泉って、お湯の湧く池でしょ!?」
「……あってるんだけど、微妙に違う気がするのは何でだろう?」
ボクは苦笑しながら答える。
「さて、お母さんのお家は一番奥にある、床の高いお家です」
ボクは村の奥のほうを指差してから子ども達を見る。そしてにやっとわらうと、
「競争!」
叫んで、ボクは走り出す。
「お父さんずるい!」
「スタートって言ってない!」
二人は口々に言いながら追いかけてきた。サンチョは笑ってから、ゆっくりこちらに歩いてくる。

やがてダンカンさんの家が見えてきたところで、女の人に声をかけられた。
「おやおや! まあまあ! ずいぶん久しぶりだねえ!!」
ボクは立ち止まる。
「えと……、あ、宿のおかみさん。お久しぶりです」
ボクは頭を下げる。
ビアンカちゃんがお手伝いしてた、宿のおかみさんだった。

ビアンカちゃんはお母さんみたいだって言って慕ってて、おかみさんのほうもビアンカちゃんを娘みたいに可愛がってくれてた人。

「ちっとも顔を見せないでどうしてたんだい? テスさんもビアンカちゃんも危ない旅をしてると思うと、全く心配でしょうがないよ」
ボクは笑う。
「色々何だかせわしなくて。漸く暇が出来たんでここに来られたんですよ」
そういってる間に、ソルとマァルが駆け抜けていった。
そしてダンカンさん家の階段に足をついて「優勝!」とか叫ぶ。
「あ……やられた」
ボクが向こうを向いて苦笑すると、おかみさんもそちらに目を向けた。
「子どもかい?」
「ええ」
「幸せそうで良かった」
おかみさんは笑うと、仕事があるからと言って宿の中へ戻っていった。
「先ほどの方は坊っちゃんのお知り合いで? 先に言ってくだされば、おみやげのひとつも用意してまいりましたのに」
サンチョが宿のほうを見る。
「うん、ビアンカちゃんの大事な人だよ」
ボクは答えると、サンチョと一緒にダンカンさんの家に向かう。
「お父さん、ビリ!」
ソルがボクを見上げてにーっと笑った。
「仕方ないよ、知ってる人に声かけられたんだもん」
ボクは苦笑してドアを指差す。
「ここがお母さんのお家だよ。さ、行こうか」

 
ボクは大きく深呼吸してからドアをノックする。
返事がなかったから少し心配になってドアノブをまわすと、軽くそれは回った。
ドアをくぐると、大きなテーブルのところでダンカンさんが居眠りをしていた。
「こんにちは」
声をかけると、ダンカンさんが顔を上げる。
「……ああ、いかん! うっかり眠ってしまった」
照れ笑いしながらそう言って、ダンカンさんはボクらのほうを見た。
「……ん? おおっ! テス! テスじゃないか! 何年も顔を見せずに一体どうしてたんだね? 大分前にグランバニアに住むことになったとか、そんな手紙をくれたっきりじゃないか? おや、それにサンチョさんじゃないか。よかったなあテス、再会できたんだね?」
「すみません、随分ご無沙汰して……。あの、手紙では書けなかったんですが、実は……あの、ボク本当のところ、グランバニアの国王になりまして……」
「え?! じゃあ、あのパパスが王子だったとか言うのは本当で、その跡を継いだって事か!?」
「ええ、まあ」
「はー、それじゃビアンカは王妃か……嘘みたいな話だな」
「嘘みたいな本当の話です」
ボクは笑って、それから大きく深呼吸してダンカンさんを見つめる。
「今まで黙っていてごめんなさい。それから、実は……」

ボクはグランバニアについてからの事を話す。
ビアンカちゃんと一緒に居られて幸せだった日々。
それが一瞬で壊れた、ビアンカちゃんがさらわれた時のこと。
助けに行って、返り討ちにあって二人とも石にされてしまったこと。
ボクだけが、助けられてしまっている事。

「……な、何だって? 石にされて?! そんな危ない目にあっとったのか!!」
ダンカンさんは絶句する。
ボクの顔をまじまじと見て、それから大きく息を吐いた。
「うーむ……なんてことだ」
「……ごめんなさい、ビアンカちゃんを巻き込んで……こんな事になるなら、ボク……」
「……ああ、ビアンカの事は言わんでもいい。必ずやテスが助け出してくれるのだろう? わしは信じとるよ」
「けど」
「何年かかってでも、助けてくれるんだろう? もし、諦めたりしたら、その時こそぶん殴ってやる。ビアンカはきっと、石になってもテスのことを信じて待ってるに違いないんだ」
ボクはダンカンさんをじっと見る。そして、にっと笑った。
「信じないで、ここでテスを殴ったりしたら、後でビアンカに怒られちまうよ」
そういって、視線を動かして、ソルとマァルを見る。
「……ところでその子どもは? もしや……」
二人はにっこり笑ってお行儀良くお辞儀した。
「おじい様こんにちは。マァルです」
「ソルです!」
二人の挨拶に、ダンカンさんは凄く嬉しそうな顔をした。
163■山奥の村 2 (テス視点)
ダンカンさんはニコニコ笑って二人を見た。
「やっぱりテスとビアンカの子か! うんうん。2人の小さい頃にそっくりだよ。それにどことなくわしにも似とるぞ」
そう言ってダンカンさんは豪快に笑った。
「ボクにも似てますか? なんかビアンカちゃんに似てるのはわかるんですけど」
「似てる似てる。まあ、テスは小さい頃もうちょっとぼんやりした顔してたけどな。……それにしても、ずいぶん危ない目にあっただろうに、ここまで元気に育って……」
ダンカンさんは二人の頭をそっとなでた。
ソルもマァルもニコニコしてダンカンさんを見上げてる。
「思えばテスとビアンカが行方知れずになって8年も経ったのだなあ。わしも年を取るわけだよ、わっはっはっ」
「本当、ご連絡が遅れてごめんなさい」
「テスが抜けてるのは今に始まった事じゃないだろう」
ダンカンさんは笑ったまま、やけにきっぱりとそんな事をいった。
ボクは苦笑する。
「こんなじいちゃんに何ができるか分からんが……。力になれる事があれば、いつでも言っておくれ。わしはここでみんなの無事を祈っとるよ。もちろん天国にいる母さんもな」
ダンカンさんはボクの手を取って、ぎゅっと握った。
「今日は泊まっていくんだろう?」
「よかったら」
「悪いわけないだろう。よし、ソルとマァルと散歩でもしてこようかな」
ダンカンさんは立ち上がる。二人は歓声をあげて、ダンカンさんの手を先を争うように握った。
「じゃあ、ボクは留守番してます」
「ダンカンさん、積もる話は後で致しましょう」
サンチョはにこりと笑うと、ダンカンさんとソルとマァルを見送った。

静かになった部屋の椅子に腰掛けて、ボクは大きくため息をつく。
「ああ、あの人には敵わないなあ」
つぶやくと、サンチョは不思議そうな顔を向ける。
「……何で許せるんだろう、ボクのこと。もっと怒るでしょ? 怒ってくれたほうがどれだけ楽か……」
机に突っ伏すと、サンチョがボクの背中を軽くなでた。
「ビアンカちゃんを連れて行く時もそうだった。何も言わなくて、にこにこしてた」
ボクがつぶやくと、サンチョは少し考えてから、
「ビアンカちゃんが一緒に行く事を望んだんなら、ダンカンさんは何も言わないですよ。今だって、坊っちゃんのことを信頼してるから、何も言わないんですよ」
そういってボクの頭をそっとなでる。
「……それはわかるんだけどね。頭と心って、別でしょ」
サンチョは優しく微笑んで、それから何も言わなかった。

「それにしても、ダンカンさんもすっかり老け込んで……。私も年を取るはずですね」
「淋しい事言わないでよ、長生きして」
拗ねたように言うと、サンチョは「ハイ」と返事して、にこりと笑った。
「本当に長生きしてね。サンチョはボクにとって、二人目のお父さんなんだからね」
「そんな嬉しいことおっしゃってくださるんですか」
サンチョは少し目に涙をためた。
「それに、たった五人のうちの一人なんだ」
「何がです?」
「ボクの、小さい頃を知ってる人。こんなに世界は広いのに、たった五人しかいないんだ。ビアンカちゃんと、ヘンリー君と、ダンカンさんと、サンタローズに居たシスターと、それとサンチョ」
「パパスさまもそうでしたが、坊っちゃんも苦労ばっかりで。うっうっ……」
ついにサンチョは泣き出す。
記憶よりずっと、サンチョは涙もろくなっている。
「うん、確かに苦労は多かったし、平均よりずっと悪い人生だったとは思うよ」
あっさり肯定すると、サンチョは淋しそうな顔をした。
「けど、最悪じゃない。今はちょっと離れてるけど、ビアンカちゃんと巡り会えたし、子ども達は良い子だし、サンチョも居るし……優しい家族に恵まれたよ。それに力を貸してくれる仲間が沢山居るし、友達も居る。平均よりは悪いかもしれないけど、ボクはまだ、幸せなほうだ。……ここで今、優しい気分で居られるんだから」

もしかしたら、まだ荒んだ気持ちで地べたに這い蹲っていた可能性だって、ある。

その言葉を飲み込んで、ボクはサンチョの背中をぽんと叩いた。
「ビアンカちゃんとお母さんが揃えば完璧だよ。その時は笑って、人生ってすばらしいって叫んでみせるよ」
ボクは笑って両手を広げて見せた。
 
 
夕方も遅い時間になって、ボクとサンチョが夕飯を作っていたら、漸くダンカンさんがソルとマァルを連れて帰ってきた。
「お帰りなさい」
入り口まで迎えに行くと、子ども達は大事そうに手に何か持っている。両手を、手のひらに空間が出来るようにあわせて、ニコニコ笑ってる。
「何?」
ボクが顔を近づけると、二人はその手をぱっと広げた。
何かがその手からふわりととんでいく。
「え? 何?」
ボクは飛んでいった何かを目で追いかける。
どうやら黒い虫みたいだった。
「蛍って言うんだって!」
ソルがにこにこ笑って答える。
「夜になると光るんだって!」
「へー」
ボクは虫に目をやる。
「あれが光るの?」
ちょっと嘘っぽい。
「綺麗なもんだよ。夜になったら川べりに見に行くといい」
ダンカンさんは笑った。
「その時は、今の捕まえてかえしてきますね」
ボクは窓にとまって弱々しい光を放つ蛍に目をやって苦笑した。

 
サンチョが作ってくれた夕飯を食べて、それから部屋に放たれた蛍を全部捕まえた。それを麻の袋にいれて、ダンカンさんに教えられた川べりへ向かう。
緑色っぽい黄色の光の粒が、いたるところで瞬いていた。
「すごーい! 綺麗!」
マァルが歓声をあげる。
「星も凄く綺麗! グランバニアで見るよりいっぱい見える!」
ソルも興奮したようにあたりを見回す。
ボクは袋から蛍を放つ。
すぐに仲間のほうへ飛んでいって、すぐにどれが放した蛍かわからなくなった。
「本当、凄く綺麗だ」
ボクは光の中でつぶやく。
ビアンカちゃんはこういうのを見て、育ったんだろうか。
ルラムーン草も綺麗だったけど、コレとはまた違う感じ。

世界にはまだボクの知らない綺麗なものがいっぱいあるんだろう。

「ねえ、お父さん」
マァルがボクの手を握って、見上げてきていた。
「何?」
「おじいさま、一人じゃ淋しいよね。……また遊びに来ようね」
「……そうだね」
にこりと笑うと、マァルも笑い返した。それからソルと二人で、光の中へ走っていく。
「川に落ちないでね」
ボクは苦笑して、彼らの後をゆっくりと歩いて追いかける。

凄く幸せな気分。
人生って、そんなに悪くない。

ビアンカちゃんが笑って言っていたことを思い出す。

「テスはこれまで結構大変だったけど、きっともう、大変な事は起こらないの。人生の辛いことは全部済んじゃったの。これからは、きっと良いことしか起こらないわ。神様もそんなに意地悪なわけないもの。これから、世界はテスにやさしいの」

そうかもしれない。
後は、ここにビアンカちゃんが居てくれたら。

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