28■破滅の足音(後半)
世界が、見えなくなっていく。


136■破滅の足音 1 (ピエール視点)
城の中で、なにか悪い事が起こったようだ、とは気づいていた。
が、我々のところまでなかなか情報が入ってこない。
慌ただしく走っていく兵士達を見ながら、ただ「何が起こったのだろう」と誰かが何か教えに来てくれないか、ずっと待っている事しかできなかった。

兵士達の足音がしなくなってしばらくたったころだった。
主殿が、真っ青な顔をしてやってきた。
最近では見る事のなかった、白と紫の旅装束に身を包み、手には剣を持っている。
「どうされましたか?」
私が声をかけると、主殿がこちらを向いた。
顔色は血の気が引いて真っ青なのに、瞳が、表情が。
今まで見た事もない顔をしていた。
いつもの余裕がない。
こちらを見ただけなのに、にらまれているようで、しかもその瞳に射殺されるのではないかと思うくらい。
……怒っているのだ、と気づく。
これまでになかったほどに、本気で怒っているのだ。
「皆聞いて」
主殿が喋りだす。
声はいつもより低く、固く、そして少し震えていた。
「……ビアンカちゃんがさらわれた」

ざわり、と空気が動いた。

主殿自身、その言葉を口にして動揺したらしかった。
「え?」
スラリンが思わず聞き返す。
「何で? 何でだよ!?」
「理由はわからない。けど、方法はわかってる。お祝いの席の食べ物や飲み物に眠り薬を入れて、それで全員を眠らせた。その間に城の中に誰かが魔物を呼び寄せた。ビアンカちゃんはそれに気づいて子ども達だけは何とか無事に隠したんだけど、自分はさらわれてしまったんだ」
主殿は、左手の拳で壁を殴った。
ソレは多分、自分に対する苛立ちなのだろう。
「大臣が居なくなってる」
「犯人なのか?」
「わからない。けど、多分そうだと思う。今すぐ旅立って追いかければ、追いつけると思う」
「行きましょう」
私は答えると、立ち上がる。
他の皆も一斉に立ち上がった。

「オイラたちのことは、信じてくれるよな?」
スラリンが主殿を見上げて、ぽつりと呟く。
その言葉に、私ははっとして主殿を見上げた。
「……」
主殿はしばらくスラリンを見つめた後、力が抜けたように笑った。ここに来てから初めての笑顔。
すこしほっとした。
「皆が魔物を呼んだって疑ってるとか思ってるの? そんな事あるわけないじゃない。もし、国の誰かが皆の事を疑ったりしたら、ボクは全力でその人に抗議するよ。皆信頼してる」
スラリンはその言葉を聞いて満足そうに笑った。
「じゃあ、早く行こうテス! ビアンカが待ってる!」
「うん」
主殿が頷く。
いつもの主殿に漸く戻った。
「とりあえず、大臣の部屋の家捜しからだね」
 
 
大臣の部屋は、本当に誰も居なかった。
がらんとした部屋で、使ってない家具が多そうだった。
「寝るだけの部屋って感じ」
主殿はそういうと、ベッドの下を覗いたり、手近な箱の中身を確かめたりし始めた。
それに習って、我々もたんすを開けたり、本棚を調べたりしてみる。
「これなーに?」
やがて、クローゼットの奥のほうに入っていた、白い小さな箱をホイミンが引っ張り出してきた。
主殿は部屋の奥から大股で歩いてきて、箱を開ける。
中には、不思議な色をした羽のついた靴が出てきた。
「何だろう?」
主殿も首を傾げる。
「見せてみぃ」
マーリンがその靴を手にとって、しばらくあちこちから見つめた。
「かなりの魔力が込められた靴じゃな。大昔どこかでみたぞ? ……確かどこか決まった場所へとんでいける靴じゃなかったかの」
「なるほどね、大臣は魔法を使えないらしいから、コレを使ってどこかへ行っていたわけだ。……とりあえず、コレを使ってみようか?」
「そのくらいしかできないじゃろ」
マーリンが肩をすくめる。
「じゃあ、すぐ出発。行こう」
主殿は言うやいなや、すぐにドアに向かって歩き出す。
我々も急いでその後に続いた。
 
 
城門のところに、サンチョ殿が来ていた。
「坊っちゃん」
「サンチョ……」
主殿は少しサンチョ殿から目をそらす。
国の王としてここに残らない事に、やはり負い目を感じているのだろう。
「お気をつけて行ってらっしゃいませ。お子様達の事は心配要りません、サンチョがしっかりお世話させていただきます。ですから、しばらくの間は、ビアンカ様の……ビアンカちゃんの事だけ考えて、冷静に行ってきてください」
「ありがとう、サンチョ」
「いいですか、落ち着いて行ってくださいよ? 坊っちゃんは昔っからそそっかしいんですから。こういうときこそ、落ち着かなきゃいけないんですからね」
「うん」
「お怪我などなさらぬよう、お気をつけて」
「すぐ帰ってくるから。ありがとう、サンチョ」
主殿はサンチョ殿の胸に頭をつけて、しばらくサンチョ殿を抱きしめた。
まるで、子どもが親に甘えるように。
「行ってきます」
顔を上げた主殿は、凛とした顔をしていた。
137■破滅の足音 2 (ゲレゲレ視点)
大臣の部屋で見つけた靴を使うと、見知らぬ教会の近くに降り立った。
テスはすぐにその教会を目指して歩き出す。
何だか落ち着かない。
体の奥のほうが、ざわざわする。
「皆はここで待ってて。大臣を見てないか聞いてくる」
テスはそれだけ言うと、教会の中に行ってしまった。

「なんか、心配だな」
俺がつぶやくと、全員が俺のほうを見た。
「なぜ」
「余裕がない」
言うと、全員が小さく頷いた。
「あれほど余裕がない主殿を見るのは初めてです」
「ずっと前もそうだった」
思い出す。
子どもの頃、テスと離れてしまったあのときの事を。
あの時、テスはソレまでなかったくらい、ソレまで見せた事がないくらい頭がよくなって。
それで親父さんに追いついたんだった。
あの時も、余裕がなくて追い詰められていて。

「ろくでもないことになったんだ」

つぶやくと、全員がゆっくりと教会に視線を送る。
まだテスは出てこない。
「とりあえず、ワシらがフォローできる部分はしてやらんとな」
マーリンが言った。
「そうだな。そもそもテスは何かに熱中すると他の事がみえなくなるからな。……子どもだからな」
俺は答える。

そうだ。
テスはでかくなったし、ガキもできたけど、俺に比べればまだ子どもだ。
守ってやると決めたんだ。

「ただいま」
テスはしばらくすると教会から出てきた。
「何かわかりましたか?」
「だいぶ前らしいけど、魔物の一団が来たの山を目指して走って行ったらしい。その中に人の姿も混じっていたって話。ともかく北に向かえばいい。今居るところはここ」
テスは地図を広げて俺たちに見せた。
「今居る位置は、ここ。グランバニアの対岸にある教会。で、北の山のほうには大きな塔がたっていて、昔から魔物の棲家になっているっていう噂。普通なら誰も近寄らないところらしい。大臣の靴でここに来たって事は、北に住んでる魔物と大臣がつながっていたんだろうね」
場所の説明を終えて、テスは地図をしまいこむ。
「疲れてないよね? すぐ行こう」

北を目指して歩き出す。
夏なのに、どんどん気温が下がっていくのがわかる。
曇った空からは、陽が差してこない。
道は草原で平坦だったが、雨でも降ったのか少しぬかるんでいて歩きにくい。草も背丈が低く、大きな木を見かけることもない。
あまり生命感のない景色が続く。
教会を出てほとんど休まずに北へ進む。
行く手をふさぐ魔物も、少しグランバニアに比べると強い。
俺たちに適うほどの奴は居なかったが、北の山に強い魔物が潜んでいるのは間違いがなさそうだった。

グランバニアを出て、2日目の夜が来た。
短い休憩を挟んで、俺たちは目の前にたつ塔を見上げる。
「……着いた」
大きく息を吐きながら、テスは塔の頂上を見上げる。
「少し高いね。さすがに疲れてるし、休んでから行こう」
本当は焦ってるのがわかる。
気持ちが先へ先へ向かっていて、それでも体が付いてこない事に、苛立つ。
「コレまですれ違わなかったし、出て行くとしたらここからだ。……空を飛ばれなければ。だからここで休んでも大丈夫だよ」
テスは自分に言い聞かせるように言ってその場に座り込む。
「これ以上魔物に家族をばらばらにされてたまるか」
そのつぶやきは、ここに居るどれだけの仲間に聞こえただろうか。
小さな声だったが、確かに憎悪を抱いた声だった。
俺は思わずテスの体に鼻を押し付ける。
『落ち着け、ビアンカは無事に決まってる』
「どうしたの、ゲレゲレ。大丈夫だよ」
テスが俺の頭をなでた。
言葉が通じないのが、今日ほどもどかしい日はないかもしれない。
「大丈夫だよ」
自分に言い聞かせるように、もう一度テスはつぶやく。
叫びだしたいような気持ちを、何とか押しとどめているのは、隣に居るとわかる。少し空気が張り詰めている。
『ああ、大丈夫だ』
俺はそういってテスに頬ずりをした。
他の仲間も、少し不安そうにテスを見ている。テスの不安は全員に伝わる。
怒りも、多分伝わっている。

ずっと、心の奥のほうに不安が広がっている。

この不安が、現実にならなければいい。
ただ、そう祈った。
138■破滅の足音 3 (テス視点)
塔は、見上げているだけで焦ってしまうくらい高かった。しかも、上のほうは塔が二つに分かれている。
……のぼっている時間にも、ビアンカちゃんは危ない目にあっている。ここまで来るのにも思ったより時間がかかってる。

けど、無事で居てくれてる、そう信じてる。
でも。
胸の奥のほうが冷たくて、重い。
自分が焦っているのは良くわかる。皆がそんなボクをみて不安に思っているのもわかる。
何とか。何とか落ち着かなきゃ。
焦ったってろくな事はないんだ。
もう一度塔の頂上を見上げる。
きっと、塔のてっぺんでビアンカちゃんはボクが来るのを待ってくれている。

塔の上で助けを待つなんて、お姫様みたいだ。
ボクはさながら、騎士。
そう思うと、少しおかしくて笑える。
本当は王妃様と王様だし。
第一、ビアンカちゃんがおとなしく助けを待ってるとは思えない。きっと、見張りをしてるモンスター相手に文句をいっぱい言ってるだろう。
……大丈夫な気がしてきた。
とりあえず、できるだけ早く行かないと、今度はボクが怒られる。
「じゃあ、行こうか」

塔の外側で、二人組みの男に会った。
二人は兄弟で、この塔に隠されている凄い宝を探しにきたのだ、といっていた。
本当にこんなところに宝なんて隠されてるだろうか?
それより、かなり強い魔物が居るのに、この人たちは大丈夫なんだろうか?
そんな事を思ったけれど、二人はやる気満々で塔を見上げている。ボクはそれ以上何も言わずに塔の中に入った。

塔の中はホコリっぽくて、かび臭い。そしてかなり広いつくりになっていた。
外から見た感じだと、もっと左右に広い部屋になるはずだけど、左右が壁に仕切られていて、外見よりは狭い。
かなり複雑なつくりの塔のようだ。
「さあ、急いでいかなきゃ。あんまり遅かったらビアンカちゃんが怒る」
その言葉に、皆が一瞬笑った。
「そういう事になるかはわからんが、ともかく急いだほうがいいのは事実じゃろうな」
そういって、マーリン爺ちゃんはボクの顔を覗き込んだ。
「しかしの、お前さん少し頭に血が上っとる。ここは敵の本拠地じゃ。落ち着けよ?」
「……うん」

ボクらは、部屋の奥にあった登り階段を登った。
二階は壁で区切られて、奥への細い道しかない。この壁の向こうには何があるんだろう。気にはなるけど、扉がないから中を知る事はできなかった。
通路を通り抜けると、少し広い場所に出た。
上へ行く階段。その少し手前の床には、不思議な模様が描かれていた。白っぽいけど、少し光ってるような、そんな何か特別なペンキで描かれているみたいだった。
「何だろう?」
「不思議な感じの模様ですね」
ボクらはそっとその模様に近づく。

と。

いきなりその模様が光って、中から魔物が飛び出してきた。
「!」
思わず息を吸い込んで、それから剣を抜く。
なし崩しに戦いが始まった。
敵は青いタテガミを持った、6本脚のライオンだった。
ギラギラする爪や牙。
血走った目。
かなり大きな体をしてるその魔物は、思った以上にすばやい動きで飛び掛ってくる。
ボクらは全力で戦った。
マーリン爺ちゃんはベギラゴンを唱えたし、ゲレゲレは鋭い牙で噛み付いていった。ピエールとボクは相手に切りかかる。
短い戦闘だった。
「どうもこの模様はどこかにつながっていてワープできるみたいじゃの」
「旅の扉みたいに?」
「そうじゃな、旅の扉よりは近い距離を移動するみたいだがな。……この塔にはあまり扉がないみたいじゃから、コレで移動するんじゃろう」
「ああ、なるほどね。これからはこの模様も気にしなきゃいけないね」
ボクらは模様に乗ってみる。すると小さな部屋に出た。
「行き止まりのようですね」
「うん」
両方試したけど、どちらも小部屋に出るだけだった。

元の場所に戻ってきて、ボクらは階段をのぼる。
コレまでにないくらい、広い場所に出た。
奥に登りの階段が左右に二つみえる。そこまでには何も障害物がない。
「行こう」
ボクは真っ直ぐ歩き始める。
「!!!」
いきなりマントを引っ張られ、ボクは後ろに倒れこむ。振り返ると、ゲレゲレがマントを咥えていた。
「ゲレゲレ! 何!」
叫んだときだった。
シャキン!という鋭い音と共に、ボクが行こうとしていた床から、鋭く尖った太い針が飛び出してきた。
「……」
ボクは茫然とその針を見上げる。
天井まで届くほどの針で、向こうに行けそうにない。もちろん、貫かれたら死んでいただろう。
「ありがとう、ゲレゲレ」
ボクはゲレゲレの頭をなでる。ゲレゲレは咥えていたマントを放した。
そっと針が突き出した場所に近づいて、よく床を見てみると、うっすらと継ぎ目があって、そこから針がでるようになっているようだった。ソレが塔の壁に沿うように真っ直ぐ続いている。
「見たとおり真っ直ぐ階段は目指せないんだね」
ボクはため息をついた。
「良く見れば針のトラップに引っかからずいけるでしょう。こういうときは焦って行くとかえって時間をとられるのですね。落ち着いていきましょう、主殿」
ピエールの言葉に、ボクは頷く。
天井を見上げて、大きく一度息を吐いた。
「行こう」
ボクらは床をよく見ながら、歩き出した。
139■破滅の足音 4 (ゲレゲレ視点)
針のトラップを手こずりながらも何とか抜けて、左側に見えていた階段を上る。
登った先の階は床に穴があいていたり、通路になっている細い床の上にもその先を阻むように柱が立っている。床には禍々しい角を持った魔物のレリーフが彫られていて、少しムカムカした。
テスはわざわざそのレリーフを踏みつけるようにして俺達を振り返る。
「みんな落ちないでよ。落ちたらあの下の階の針のトラップで蜂の巣だよ」
テスは厭そうな顔をしてから歩き出す。
床の大きな二つの穴に囲まれるように通っている細い通路を、そろそろと慎重に歩く。下はのぞかないようにした。薄暗い穴からは風が時折吹き抜けていった。
この階も外観から考えるとかなり狭い。通れない場所が多いのだろう。一本道の先で上にあがっていく階段を発見できた。
「行こう」
いつもならそろそろ、一本道であることに不安を感じ始めるテスが、気にせず階段を登り始める。ここまで、地図だって書いてない。

「心配だ」
俺は呟く。ピエールとマーリンが頷いた。
「焦りすぎじゃ」
「周りが見えてませんね」
俺達はいつも以上に周りに警戒しながら歩き出す。

 
次の階も、一本道だった。
塔の外観から考えると半分くらいの広さの部屋。
外から見たとき、半分くらいより上は二本の塔に分かれていたから、もしかしたらその部分に差し掛かったのかもしれない。ただ、ここが左側の塔なのか、右側の塔なのか良くわからない。
相変わらず、禍々しいレリーフが床に彫られている。
「気に食わない」
俺は呟きながらテスの後ろを歩く。
階段をまたのぼった。

さらに次もまた、一本道だった。
外に出る扉と、壁に仕切られた小部屋のあるだけの階だった。
小部屋には龍の頭を形どった一対の置物が向かい合うように置かれていて、その向こうには毒々しい色の土が敷き詰められていた。
「わざわざあっちにいく必要はないね。外に出よう」
テスは小部屋の中を確認するとそれだけ言って、もと来た道を戻る。
あの龍はなんだったのだろう?
俺は厭な感じを引きずりながらテスの後ろをまた歩き出した。

 
外に出ると、思ったとおり俺達が居たのは塔の中腹、二つに分かれた部分の根元で、左側だった。細い通路で向こう側の塔と繋がっている。手すりは無い。
強い風が吹いていて、テスのマントがばたばたと音を立てる。長い髪が生きているみたいに風とともになびく。
風が少し弱まった時を見計らって、一気に向こう側の塔に向けて走り抜けた。
右側の塔のドアから中に転げ込み、全員肩で息をする。
マーリンが気の毒なほど咳き込んだ。
「ここで少し休もう」
テスはマーリンをみて苦笑しながら座った。

狭い部屋だった。
部屋の形からいって、壁は塔の半分の部分で此方と向こうを分けているのだろう。ちょうど真ん中あたりにぽつんと上へ向かう階段があった。
暫く休んでから、また階段をのぼる。もうどれだけ登ったか分からない。永遠に登り続けるんじゃないだろうか、という気分になった。

階段を上った先は、コレまでに無いくらい広い空間が広がっていた。階段の周りには毒々しい色の土が敷き詰められていて、厭なにおいがする。多分見た目に違わず毒が含まれているのだろう。
毒とは逆側は通路になっていて、さっき見たのと同じ龍の頭が向かい合って2対並んでいる。その向こうにのぼりの階段が見えた。一番手前の龍の前に大きな岩が転がっている。
少し、焦げ臭いようなアブラの匂いがする。
何だ?
思いながら歩き始めた時だった。
「!!!」
大岩の向こう側に有った龍が、炎を吐いた。
岩に阻まれて、焼かれることは無かったが、熱せられた熱い空気が此方まで伝わってくる。
「……何、今の」
テスの声がさすがに震える。
「この先の龍も、全部炎を吹くってこと?」
俺達はテスの声に思わず顔を見合わせる。
「……ゴメンね皆」
テスが呟いた。そして
「強行突破!!!」
「えええ!!!」
俺達の驚きと抗議の声にも耳を貸さず、テスは叫ぶといきなり走り出す。
体を炎に晒しながら、結局テスは向こうののぼり階段まで走りきってしまった。そしてコッチを振り返って叫ぶ。
「割と平気だよー! 早くー!」

冗談じゃねえ。
俺は炎に弱いんだ!

とは思ったが、どうにもこうにも他に方法がなさそうだ。仕方なく俺達はため息をつき、そのあと大きく息を吸い込んでから止めて、一気に走り抜けた。
炎が体に当たると、悲鳴を上げそうなほど熱く、痛い。
あいつよく「平気」とか抜かしたな、あとで見てろよ馬鹿野郎。

通り抜けたところで、テスが俺達にベホイミをかけてくれる。やけどや傷がたちまち癒えて少しほっとする。
「大きな岩でふさげればいいんだろうけど、他に無かったしね、仕方ないよ」
テスは肩をすくめため息をついた。俺達はその場で暫く座り込み、水を飲む。
「さて、行こうか」
テスは目の前の階段を指差す。
「ええ、行きましょう」

 
登った先は広い空間が広がっていた。床に大きな穴が開いていて、その周りに大きな岩がゴロゴロ転がっている。
「コレを落としたら、下の龍が防げるのかな?」
テスは首をかしげながら、辺りを見渡す。
「……でも、もう通り抜けたしね?」
肩をすくめてため息をつくと、部屋を見て回る。
結局ここは行き止まりだという結論になり、俺達は来た道を戻って階段を下る。
目の前に憎い龍の頭が並んでいた。が、そちらに戻るまでも無く、もう一方の方の道を進み始める。広い部屋を抜けると、また通路になり、再びあの憎たらしい龍が並んでいた。
しかも、さっきより多い。
「……岩、落として置けばよかったね」
テスがため息とともに天井を見上げる。
「……戻りますか?」
ピエールが同じ様に天井を見上げた。
「ううん」
テスが首を左右に振る。
「え?」
テスを思わず見上げると、龍の頭の向こうを見据えて、目が据わってた。
「……」
俺はその視線を追う。のぼりの階段が見えた。
ああ、目が据わってる、もう周りは見えてないな、コレは。
テスがその階段を指差した。
「強行突破ーーー!!!」

やっぱりか、やっぱりなのか。
 
俺は大きくため息をついてから、覚悟を決めてテスと一緒に龍の間を走り抜けた。
140■破滅の足音 5 (ピエール視点)
何か一つのものに集中すると、それ以外が見えなくなるのが、主殿の良い所であり悪いところだ。

……が。さすがにコレはないだろう。

龍の頭のトラップを抜けたところで、私は大きく息を吐く。無事に全員渡りきれたから良かったようなものの、途中で魔物に襲われたらどうするつもりだったのだろう。
「主殿」
私は主殿を見上げて声をかける。少し冷静になってもらわないと困る。
「何」
主殿はゲレゲレにベホイミをかけながらこちらを見た。

「……いえ、何でもありません」
 
私は思わず、言うべき言葉をなくす。
主殿は、無表情だった。
私に声をかけられたのが不思議、というようなキョトンとしたような、なんだか表情を感じられないのっぺりとした顔で私を見た。
「何もないんだね? 怪我も治ったしそれじゃあ行こう」
主殿は目の前にある登り階段を指差す。
その腕はやけどがあって、かなり熱を持っているようだった。
自分の怪我には気づいてないのだろうか。

それで気づく。
この人は。
本当にもう、周りが見えてないのだ。

私は階段を上がりかける主殿にベホイミをかけて、その後ろを歩く。
何かとてつもなく悪い事が起こりそうな気がする。
ゲレゲレはずっと、不機嫌そうに主殿を見ている。
彼は、昔主殿とはぐれた記憶があるから。
その時に雰囲気が似てると警戒している。
胸の奥が重苦しい。
主殿はただ前を見て歩いていく。

階段をのぼったさきは、小さな部屋だった。上に行く階段しかない。多分、先ほど岩がたくさん置かれていたフロアの、行き止まりになっていた先がここなのだろう。何事もなく階段をのぼる。全員がどんどん無口になってきていた。

焦りや不安が、どんどん我々の上にのしかかってきている。
ビアンカ殿がさらわれてから、もうどのくらいの時間がたったのだろう?
塔に登ってから、全く時間がわからない。
外を一度通ったときも、薄暗い空では時間が推定できなかった。

階段をあがると、外に続く出口と、階段があるだけの狭い部屋に出た。この部屋の広さは少し前、西の塔から東の塔に渡るときと同じくらいになっている。先ほどまでは広いフロアで、東西に広かったから、多分塔が東西でつながっていたのだろう。
つまり、ここからはまた東西の塔が別々に存在するのだ。
「外、行くよ」
久しぶりに主殿の声。
硬質で、攻撃的な声だった。私たちは頷いて、後に続く。

塔の外は相変わらずの強風で、やはり曇った空からは時間を推定する事ができなかった。分厚い黒い雲が、風に流されて北の方角へどんどん流されていくのが見える。なのに、まったく雲には切れ目がなかった。
「ああ、駄目だね」
主殿は先を見てため息をつく。
塔はつながってなかった。
鉄製の大きな跳ね橋が、鎖で巻き上げられていて向こう側が見えない。この跳ね橋をつなげないと、東の塔へはいけそうになかった。
「戻ろう、どこかにスイッチがあるはずだ」

先ほどの部屋に戻り、今度は階段をのぼる。
下と同じ広さのフロアになっていて、壁で仕切られた小部屋の真ん中に大きなレバーがついた赤い機械が置かれていた。
その機械の向こう側に張り紙がしてあって、そこに『渡り廊下のスイッチ その1』とご丁寧に書いてあった。
主殿はソレをよんで、何も言わずにレバーを今とは反対側に動かす。
外からキリキリという甲高い音が響いてきたが、ここには窓がなかったから何が起こっているのか良くわからない。
しばらくキリキリいう音がつづいたあと、低い音で、ゴウンという音が響いた。
「橋が降りたみたいだね。でもコレは『その1』って書いてあったから、もう一個どこかにスイッチがあるんだと思う」
確かに、言われてみればあの跳ね橋は、東西の塔の間隔からいうと、少し短かったような気がする。
「向こう側にどこかに飛べる例の模様が書かれておるぞ、あれに入ってみるか?」
マーリンの声に、我々はそちらのほうへ向かう。
飛んだ先は、本当に狭い部屋だった。そこに、先ほどと同じレバーのついた機械だけがぽつんと存在している。
「これみたいだね。マーリン爺ちゃん、ビンゴ」
主殿はそう言うと、またレバーを動かした。
今度も似たような音が、かなり遠くの上のほうから聞こえてきた。たぶん、先ほどの模様で塔の上のほうから下のほうまで一気に移動したのだろう。
「これで、多分大丈夫だね。それじゃあ行こうか」
主殿はそういうと、我々を待たず模様を使って先に飛んでいった。

「どう思われますか?」
私はゲレゲレとマーリンに尋ねる。
「どうもこうも、普通じゃないだろう」
マーリンが呆れたようにため息混じりにつぶやく。
「嫌で仕方ない」
ゲレゲレは短く言うと、さっさと模様にのり、主殿を追いかけて言った。
「……とても嫌な感じがするのです」
「皆同じじゃ。テス自身がどう思ってるかわからないが、少なくともワシらは……嫌じゃな。あれはテスであってテスでない感じだ」
マーリンはつぶやくと、模様に向かって歩き出す。
私は大きくため息をついた。
不安は、的中してほしくない。
しかし、進めば進むほど、嫌な予感が大きくなるのはどういう事なのだろうか。
私は天井を見上げた。
古めかしい石造りの天井には、なにか悲しみのようなものが染み付いているように感じた。

外の通路は使えるようになっていた。
向こう側とこちら側の鉄でできた跳ね橋がつながっている。太い鎖でしっかりと支えられていて、多少の事ではびくともしなさそうだ。
相変わらず強い風が吹いていて、主殿のマントが大きな音をたててはためいている。濃い紫にそめられたそのマントは、あちこちほころびたりホコリがついたり血の跡が残っていたりして、何だかとても……不吉な感じに見えた。
141■破滅の足音 6 (ピエール視点)
跳ね橋を通り抜けて、見つけた階段を上る。
階段を上った先は、やはり窓のないフロアになっていた。ただ、コレまでと様子が違うのは、階段を取り囲むように床が深く掘り下げられていて、その中に水がたたえられている事。

もう一つは。
目の前に見える登り階段の前に、人が倒れている事だった。

「……」
主殿は冷たい瞳でその人物を見下ろす。
息も絶え絶えに床に横たわっているのは、グランバニアの大臣だった。床には大きく血溜まりができていて、もう助かりそうにない。
主殿はつかつかと大臣に近寄るとその体を起こした。気遣うような起こし方ではなく、かなり無理やり起こすような、乱暴な手つきだった。
「何があった」
固い声で、主殿は詰問する。大臣はうっすらと瞳を開き、そして主殿の顔を確認して少し驚いたようだった。そして、ほとんど息のような声で
「私がまちがっていた……。や……やはり怪物などにチカラをかりるのではなかったわい……。このままではグランバニアの国が……。許してくれいテス王……!」
主殿は何も言わなかった。
その腕の中で息絶えた大臣をしばらく見つめたあと、その体を床に横たえさせる。そして
「……馬鹿な人だよね」
そうつぶやいて、大臣の顔についた血を拭き取る。
「行こうか」

 
階段を上がると、強い風が吹き抜けていった。
塔の頂上にたどり着いたのだ。相変わらず、黒い雲が分厚く空を覆っている。
奇妙な光景だった。
目の前に、オークが居た。不似合いなほど立派な玉座に座っている。そいつは、冷たく血走った目でこちらを見た。
「ほほう、ここまで来るとはたいしたヤツだな。しかしこれ以上は、このオレさまをたおさぬと進めぬぞ。残念だったなっ!」
奴は勝ち誇ったように言い放つと立ち上がる。

戦闘は唐突に始まった。

玉座に座っていただけの事はある。コレまで見た、どんなオークよりも強かった。動きも早い。しかし、ただそれだけだった。
一体なぜ、コイツがここでこれほど偉そうにしていたのかがさっぱりわからない。そのくらい戦闘はあっさりと幕を閉じた。
オークは、最後まで自分がなぜ負けたのかわからないような顔をしたまま、息絶えていった。
主殿は相手が本当に倒れた事を確認してから、道を進む。
ただ真っ直ぐ進むだけだった。

このような魔物が出てきたということは、いよいよ大詰めなのだ。
ビアンカ殿はすぐそこに居るのだろう。

次に居たのは、キメラだった。
やはり不似合いな王座があり、その上で空中に浮いている。
キーキーと甲高い耳障りな鳴き声を立てて、奴はこちらを見た。
もしかしたら笑っていたのかもしれない。
「ケケケ! うまそうなヤツがやって来たわい! さっきの女もうまそうだったが、あの女はジャミ様にとられてしまったからな。かわりにお前を食ってやろう! ケケケ!」
奴はそんな事を言った。

食う?
ビアンカ殿を?

私は茫然とキメラを見つめた。そういう事は全く考えていなかった。

と。
急に肌寒さを感じた。
いや、肌寒いのではない。
何か冷たい気配だ。
「……ジャミ」
主殿がつぶやくのが聞こえた。
この冷たさは。冷たさの正体は。

主殿だ。

主殿は目を見開いてキメラを見ている。その目はギラギラと血走っていて、口元は笑っているのか、引きつったように端がつりあがっていた。剣を握っている手が、力を込めすぎていて白くなっているのが見える。

この冷たさは、殺気だ。

コレまでずっと、主殿と旅をしてきた。もちろんその中で、何度も魔物と戦った。自分だって、主殿の敵として戦った事がある。
それでも、一度だって、ここまで明確な殺気を感じた事はなかった。

これは、殺気で。
殺意だ。

黒い感情が、見えるのではないかと思った。

主殿は。
少なくとも、私が知っている主殿は。
いつも落ち着いて微笑んでいる。強く、賢く、優しい人だ。
魔物である我々も、わけ隔てなく、その命が尊いといってくれる人だ。

だが。
その心の奥底に、今見ている主殿が隠れていたのだろう。
この人は、深い深い闇を心の中に抱え込んでいたのだ。
ヘンリー殿が感じていた不安は、主殿のこの闇について感じていたのではないだろうか。

この人は、境界線上に居る。

初めて、
主殿を恐いと思った。


 
ゲレゲレの低いうなり声で我にかえる。
そのまま戦闘が始まった。
コレまでないくらい、主殿とゲレゲレがムキになって戦っているのがわかる。
全てが終わるまで、それほど長い時間はかからなかった。
「おめえ……強いじゃねえか……。けどジャミ様にはかなわねえぜ。ケケケ……」
キメラは最後まで我々を小馬鹿にしたような声で言うと、そのまま命を落とした。

 
「ゲレゲレ、聞いたね? この先に……ジャミが居る」
主殿はゲレゲレに声をかける。どこか喜んでいるような、低い声だった。
瞳は相変わらずギラギラと血走り、口元がつりあがっていた。

笑っているのだ。

ゲレゲレもそれに答えるように低くうなり声を上げる。
そもそも好戦的なゲレゲレが、目を爛々と燃やして、その先に続く道を見据えている。

「漸く」
主殿の呟きが聞こえる。
主殿の瞳はただ、先に続いている下り階段だけを見つめていた。
「漸く……一匹目だ」



「殺してやる」



142■破滅の足音 7 (ピエール視点)
「主殿!」
私は先を歩いていきかけた主殿の手を思わずつかむ。
主殿は振り返って私を見た。
「主殿!」私はもう一度声を上げる。
主殿は二・三度瞬きをして、それから呆けたように私を見た。
「……」
冷たい雰囲気が消え、ギラギラと光っていた瞳も、もとの落ち着いた色に戻った。
「主殿」
私は何か言いたくて、ソレが言葉にならずに困った。
「きっと、ビアンカ殿は無事ですから……」
何とか言葉を搾り出す。マーリンが主殿の頭を軽く叩いて、私の後に続ける。
「だから、落ち着け」
主殿は大きく長く息を吐いた。
「ごめん……行こう」
短く言うと、主殿は歩き出す。ゲレゲレが私たちを見た。そして
『すまんな。許してやってくれ。仕方がないんだ』
「というと?」
『ジャミは……忘れるもんか。俺にとってもテスにとっても……許す事ができない、憎い敵だ』
それだけ言うと、ゲレゲレは少し早足で歩いて主殿に追いついた。そしてその手に鼻を押し付ける。
「うん、行こうゲレゲレ」
主殿が答える声が聞こえた。

 
階段をおりた先の部屋は、少し暑かった。
相変わらず窓がない部屋で、奥に置かれている大きな炎が部屋を明るく照らしていた。部屋には紫に金で装飾を施された趣味の悪い絨毯がしかれていて、その上にコレまで見たものよりも大きく、そして、ごてごてと飾られた王座があった。
そこには何かが座っているようだが、それはここからでは良く見えない。

そして、その王座から少し離れた右側の床の上に、ビアンカ殿が座っていた。
いつもどおり、青い服を着てオレンジのマントを身に着けている。髪も綺麗に整えられていた。

まだ何も起こっていないことは、それだけでわかった。

ビアンカ殿はこちらを見て立ち上がる。そしてそのまま早足でこちらに向かってやってきた。
主殿も小走りにビアンカ殿に走り寄る。
王座から少し離れた位置で二人は落ち合い、一度お互いをしっかりと抱きしめあった。そして離れると、ビアンカ殿は主殿の手をしっかりと握った。そして少し嬉しそうに笑うと、
「テス! やっぱり来てくれたのね!」
しかしそのあと複雑な表情を浮かべる。
「でも……来ない方がよかったかも。大臣を利用して私をさらったのは、テスをおびきだすため。そしてテスを亡き者にしたあと、自分が王になりすまして……」
ビアンカ殿は早口に、魔物が何をたくらんでいたのか告げる。
主殿は眉を寄せてその話を聞いていた。

と。

一瞬、部屋がコレまで以上に明るくなった。
「あ!」
ビアンカ殿が声を上げる。雷の魔法に打たれて、ビアンカ殿が倒れたのだ、と気づくまでに時間がかかった。
「ビアンカちゃん!」
主殿は叫ぶと倒れたビアンカ殿を抱き起こす。
そしてほっとしたように息を吐いた。
……無事だったのだ。
私はほっとしながら、奥の王座を見つめた。

 
「さて、ムダ話はもういいだろう」
奥から声が聞こえた。
王座に座っているのは、巨大な白い馬の魔物だった。
品のない瞳でこちらを見て、それから馬鹿にしたように主殿を見た。
「国王たる者、身内のことよりまず国のことを考えねばならぬはず! なのにお前はここに来てしまった。それだけで十分に死に値するぞ。わっはっはっはっ! さあ! ふたり仲よく死ぬがよい!」
馬鹿にしきった声で奴は言う。
主殿は暗い瞳を相手に向けた。
「身内も助けられない男に、どこの誰が国王をさせる? 身内をさらわれてものうのうとしている冷たい王を、どこの国民が信頼する?」
主殿はゆらりと相手に向かって歩き出す。
「大体、王に成りすますだって? その作戦はもうラインハットで失敗済みだろう。しかもグランバニアは条件が違う。ボクを知ってる人間が周りを固めていて、変だと気づかれるほうが早い。そんな穴だらけの作戦で、一体何ができるって言う?」
主殿は相手を見据えて鼻で笑ったあと、唾を吐いた。
「馬鹿じゃない? ああ、馬鹿って馬と鹿って書くんだっけ? 馬だもんねえ、生まれつき低能なんだ。気の毒。生きてるだけで世界のゴミだ」
相手の顔が真っ赤になった。
「地べた這いずり回って生きていたドブネズミがふざけた事を! ぶっ殺してやる!」
「へえ、ボクの顔覚えてたんだ。馬鹿な割には。褒めてあげるよ。そして言葉全部返してやる。ジャミ……殺してやる」

 
戦闘が始まった。
相手は……ジャミというその魔物はとてつもなく強かった。
魔法は跳ね返され、斬っても手ごたえがない。
相手の一撃一撃は強烈で、殴られるたび体の奥が抉られるような気がする。しばらくすると私は回復に手一杯になって、斬りかかることすらままならなくなった。
「どうした? 俺を殺すんじゃなかったか? わっはっはっはっ! 俺は不死身だ! だれもこの俺様をキズつけることはできまい! テス! 死ね!」
馬鹿にした声でジャミは言うと、主殿を踏みつけた。
「……!」
主殿は息を止める。悲鳴だけは絶対に上げないつもりなのだろう。
「主殿!」
私が叫んで近付こうとしたときだった。

「やめなさいジャミ!」

凛とした声が響いた。見ればビアンカ殿がこちらに走り寄ってきてジャミに向けて大きく手を広げていた。
ビアンカ殿の体が、不思議な光に包まれている。
その光は、青いような白いような、表現が難しい色をしていて、眩しいのに、見つめて居たくなる。
美しい光で、安心できるような心地よさがあった。
そして、腕を広げて立つビアンカ殿は、まるで十字架のように見えた。

「この光は!」

ジャミが焦ったような声を上げて後ずさる。
主殿がすばやく起き上がった。
ジャミが少しずつだが弱っていく様に感じられる。
「さあ! テス! 今よ!」
ビアンカ殿は相変わらず凛とした声で叫ぶとジャミを指差す。
主殿は頷いた。

そこからの戦闘はあっという間だった。
ソレまでのジャミの強さは、何か魔法のようなもので守られた脆弱なものだったのだろう。ソレをビアンカ殿が吹き飛ばした。だから、我々は勝つ事ができたのだ。
虫の息のジャミは、こちらを見ておびえているようだった。
「こ……こんなはずは……。さ……さっきの光は……。まさかその女! 伝説の勇者の血を……」
焦ったような声。

『伝説の勇者?』

その単語に私はビアンカ殿を見上げる。
ビアンカ殿はきょとんとした顔でジャミを見つめていた。
その体はもう光ってはいない。いつものビアンカ殿だった。

ジャミは宙を見つめて叫ぶ。
「ゲマさま! ゲマさま……!!」
しかしそこまでだった。
声が途切れる。
息絶えたのだろう。

「……ゲマ」
主殿が茫然と呟いた後、息を飲んだのがわかった。
ゲレゲレが低くうなる。

とんでもない敵が現れるのだと、そんな予感がした。
143■破滅の足音 8 (テス視点)
ジャミの叫び声に応えるように、ゲマが目の前に現れる。
薄暗い空中から染み出すように現れたゲマは、ボクたちを見てひとしきり嗤った。
そして、大きく手をこちらに突き出す。
風が巻き起こって、後ろに吹き抜けていく。
ゲレゲレのうなり声にボクは慌てて後ろを振り返る。
見ると、三人がふわりと宙に浮いていて。
そして次の瞬間目の前から消えた。
「!!!」
ボクは再びゲマに向き直る。
「人間に力を貸す魔物が居るとは聞いていましたが、まさかあなたに力を貸しているとは……」
そういってまたひとしきり嗤う。
「人間側に堕ちたとはいえ、同胞です。殺しはしません。ただ邪魔だったから外へ行ってもらっただけですよ」
そういうと、ゲマは視線をボクからビアンカちゃんに移した。
「それにしても。まさかあなたが勇者の子孫だったとは……」
ビアンカちゃんは茫然と、自分自身を指差した。
「私が……勇者の子孫?」
首を傾げて困惑している。
ゲマは大袈裟にため息をついて見せた。
「ミルドラース様の予言では、勇者の子孫は高貴な身分にあるとのことでした。その予言に従い、かねてより目ぼしい子供をさらっていたのですが……。どうやらその子供……伝説の勇者はお前の血筋により、これから生まれてくるのでしょう。しかしそれだけは、させるわけにはいきません」
にいぃ、とゲマは嫌な笑みを浮かべた。

あの時のように。

目もくらむような青い光が渦巻いて、ボクらを飲み込み始める。
「……!」
体が動かなくなっていた。
ボクは悔しさに歯軋りしながらゲマをにらむ。
その様をみて、ゲマはまた嗤った。
嫌な声で。
「石になる気分はどうですか?」
そう言われてボクは思わず自分の足を見る。
つま先から、徐々に自分の体が石の色に変わっていっていた。

胸の奥のほうが、重い。冷たい。

ビアンカちゃんを見ると、やっぱり同じように石になってきている。
ビアンカちゃんがこっちを見た。
不安そうな瞳で。
「ビアンカちゃん……!」
ボクは何とか声を絞り出して、手を動かそうとした。

腕はもう、石になって動かない。

「……!」
声が出なくなる。

動け。
ボクの腕。
動いた後は折れたっていい。
手を伸ばせ。
ちょっと手を伸ばせば届くところに、ビアンカちゃんが居るのに。

動けよ!

「ほっほっほっ。一息に殺してしまっては面白くないでしょう? その身体で世界の終わりをゆっくり眺めなさい。ほーっほっほっほ!」
ゲマの嗤い声が耳の奥でこだまする。
ボクはもう、石になっていて動く事ができない。

 
ボクはまた
ゲマのせいで
大事な家族を

 
失った。

やがて恐ろしいほどの静寂がやってきた。
ゲマが居なくなったのがわかる。
石になっても、周りのことはぼんやりとわかった。
ビアンカちゃんはすぐそばにいる。
けど、もうお互い話すことも触れる事もできない。

なにも、できない。

何もできないのに、周りのことがわかって、色々と考える事ができる。
コレまで知っていた、どんな拷問よりも一番辛く厳しい事だった。

ビアンカちゃんも同じ目に隣であっている。
何よりもそれが一番辛かった。

 
どのくらい時間がたったのだろう。
物凄く短かったような、長かったような、奇妙な感覚だった。
人の声がして、ボクの意識は浮上する。
「なんでい! 宝があるって聞いたのにそんなものねえぞ!」
イラついた男の声。
ああ、下で会った宝探しの兄弟だろう。
宝なんて何もないのに。
ここにあるのは、絶望だけだったのに。
「うわー……。立派な石像だなあ。まるで生きてるみたいだよ」
弟のほうだろうか?
少し頼りない、間の抜けたような声を上げてボクを見上げている。
「ねえ兄さん。この石像を持って行けば高く売れないかなあ」
弟の提案に、兄はビアンカちゃんを見つめる。
「ホントだ! しかもこいつは色っぺえ石像だな! よし! こいつはオレがもらった!」
勝手な事を言うな。
誰がお前なんかにやるもんか!
思っても声は出ないし、阻止する事もできない。
それよりも、ここを離れることになるのが問題だった。
ゲマは、皆を外に出したといった。
しばらくすれば、皆はここまで戻ってきてくれるだろう。
そしてボクらを見つけてくれる。
なのに、ソレまでにボクらがここを移動してしまったら?
しかもボクはこれから売り飛ばされる。
ビアンカちゃんはこいつらのもとにずっと置かれる事になる。
離れ離れになってしまう。
「おい! いくぜっ!」
「待ってよ兄さん!」
兄のほうがビアンカちゃんを、弟がボクを持ち上げる。
売り物にするといっただけあって、扱いが良かったのだけが救いで。

 
 
あとはただ、悪い夢なら早くさめろ、ただソレだけを思っていた。

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