25■グランバニアにて
遂に辿り着いた故郷は、驚きの連続。


118■グランバニア 1 (テス視点)
洞窟を抜けて半日くらい歩いたところに、グランバニアのお城があった。
コレまで見た事のある、どのお城と比べても桁違いに大きい。
お城の外をぐるりと囲む壁が、延々と遠くまで続いている。感覚的には、街一つがすっぽり入ってしまいそう。
「おっきなお城ねー!」
ビアンカちゃんはぽかんと口を開けて、お城を見上げた。
「うん」
ボクはのろのろと頷いた。ともかく、圧倒されてしまう。
「じゃあ、皆はとりあえずここで待ってて? 一段落ついたら、経過を報告に来るから」
「わかりました」
皆の返事を聞いて、ボクとビアンカちゃんはお城の大きな入り口をくぐった。
 
 
「すごーい」
ビアンカちゃんは、中をきょろきょろとあちこち見て歓声を上げる。
「本当、凄い。お城じゃないみたいだよね」
ボクらがそんな話をしていると、通りかかった人が誇らしげな笑顔とともに
「ここはグランバニアの城下町だよ。先代の王パパスさまはとてもできた王さまでね。国民の安全を考えて、町もお城の中につくったんですよ」
と、そんな事を教えてくれた。

そういうだけあって、確かに壁の中は、お城ではなかった。
綺麗に整備された街がまるごと壁の内側に広がっている。
門を入ってすぐのところには、階段があって、二階から上の一部分がお城になっているんだそうだ。
一階と呼ぶ部分が城下町になっていて、広場が街の真ん中を貫いている。長椅子や、テーブルが置かれている部分では、町の人が楽しげに話しをしている。噴水もあって、その近くでは犬が嬉しそうに鼻を鳴らしていた。
「何だか、見てるだけで楽しい街だね」
ビアンカちゃんは楽しげに飛び跳ねるような歩き方で、街のあちこちを見ている。
「うん、こんな街初めてだからね」
ボクも、初めて見る街の形に少しわくわくしていた。
町は、二階以上がお城になっているのにもかかわらず、上手に設計されているんだろう。どこからともなく明かりが入ってきていて、暗いと感じる事がなかった。

この国に居たというパパス王。
今では新しく、彼の弟が王としてこの国を治めているらしい。
それでも、パパス王はこの国の人々に今も愛されている。そこかしこで、パパス王の話を聞いた。
「パパス王って、本当にテスのお父さんのパパスさんなのかな? なんだかあんなにスケールの大きな話を聞いたらわからなくなってきちゃった」
ずっとコレまで、グランバニアがボクの故郷だと信じて主張し続けていたビアンカちゃんですら、ちょっと不安になってくるくらい。
「……うーん、やっぱり別の人っぽいよね」
ボクは苦笑して答える。どうしても、やっぱり、イコールでは結べないなあっていうのが、本音。
「ま、ともかくサンチョさんを探しましょう? 私たちの知っているサンチョさんなら、きっとテスたちの無事をずっと祈ってたんだと思うし……」
「うん、そうだね……」

サンチョ。
思っている通りのサンチョだろうか?
もし、そうだったら、これ以上嬉しい事ってきっとそんなにない。
「サンチョさんに会ったら、最初に何ていう?」
「そうだなあ、結婚したんだよ? かな?」
答えると、ビアンカちゃんは凄く嬉しそうな顔をした。
「まあ、本当に思ってる通りのサンチョだったら、きっとボクが話すよりさきにいっぱい話しかけてきて、ボクが何か言う隙なんてあんまりないだろうけど」
「そうね、サンチョさんって結構勢い良く喋る人だったもんね」
ビアンカちゃんは笑う。
「さ、きっとこの街のどこかに居るんだから探しに行きましょ?」

 
街をあちこち歩いている間に、張り紙がされている場所があった。
先代の王と王妃の行方を見つけ出したものには1万ゴールドの賞金、というような内容だった。
「1万ゴールドって微妙な金額よね。妥当なような少ないような……」
ビアンカちゃんは少し張り紙をにらむような目つきで見つめた後、首をかしげながらそんなことをいった。
「まあ、確かに変な額だけど……。やっぱりさ、行方不明になってから長いから、どんどん金額が減っていったんじゃないかな? 生きてる希望もなくなりかけてるんだよ」
「そっか……寂しいね」
「うん」
ボクらはため息をついて、その場を離れた。

 
 

結局、その日一日ではサンチョの家を探すことはできなかった。
宿に泊まって、夕飯を食べながら、明日はどのあたりを探そうかってそんな話をしていたら、宿のおかみさんが声をかけてきた。
「サンチョさんを探してるのかい? あんたたちどっから来たんだね?」
「え?」
ボクは一瞬、どう答えようか迷った。
なんだか、サンタローズって答えるとややこしい事になるんじゃないかって、そんな気がした。
「サラボナのほうです」
困ってる間に、ビアンカちゃんが笑顔で答えた。
「そうかい、遠いところから来たんだねえ。住んでるところは聞かなかったのかい?」
「ええ、旅先でお世話になったことがあって。グランバニアに住んでるってところだけ聞いてて。この国に旅行に来たのでご挨拶をって思ったんですよ」
ビアンカちゃんはにこにこと笑いながら、堂々とそんな風に答えている。ボクもあわててうなずいた。
「あー。そうなの? この町の中を探しても駄目なのよ。街の外にある一軒家に住んでるんだよ」
「え? 何でですか?」
「よくわからないんだけどね。明日にでも、いってみるといいよ」
おかみさんはそういうと、厨房の方へ戻っていってしまった。

ボクは、おかみさんがこっちに注意を払ってないのを確かめてから、ビアンカちゃんに顔を寄せて、小さな声で
「どうしてサラボナって答えたの?」
と、聞いてみた。
「うーん、もしね、おばさんが教えてくれたサンチョさんが、私たちの考えてるサンチョさんだったら、サンタローズでテスたちと別れたって話を聞いてるかもしれないじゃない? で、私の想像があたってたら、パパスさんはこの国の王様。だとしたら、テスは王子様。サンタローズからこんな年恰好の似た人が来たってわかったら、なんだかややこしいことになるんじゃないかしら? って思ったのよ。それに、サラボナの方から来たのも、嘘じゃないわよ?」
「ビアンカちゃん、賢いなあ」
「テスだって似たようなこと考えたから、即答しなかったんでしょ?」
「……ま、そうなんだけどね」
「ともかく、明日教えてもらったサンチョさんの家に行こうよ。それで全部はっきりするわ」
「そうだね」
ボクらは別の話をしながら、夕食を食べ終わる。
そして明日に備えて、その日は早く眠った。
119■グランバニア 2 (サンチョ視点)
「ただいま」
低く落ち着いた声に私は顔をあげる。
背の高いがっしりした体格の、堂々とした声の主は私の顔を見て、優しげに微笑んだ。
「あー、サンチョ元気だった? 随分探したんだよー。やっぱりこっちに戻ってたんだねー」
その後ろから、ひょっこりと青年が顔を出す。
彼はニコニコと嬉しそうに笑って、私の顔を覗き込んだ。
「お帰りなさいませ! だんな様! 坊ちゃん!」
 
そこで、目が覚めた。
 
何度夢に見たか、もう忘れてしまった。
見てる間は幸せで、起きると夢だった事に打ちのめされる、そんな甘くて辛い夢。

記憶よりずっと貫禄を増しただんな様と、子どもの頃の純粋さを保ったまま、立派になった坊ちゃんが、私の所へ戻ってきてくれる夢。
「随分待たせてしまった」と。
戻ってきてくれる夢。

いつもいつも、叶わない夢。

二人が笑顔で出かけていくのを見送って、それからもう、10年以上の月日が流れてしまった。

あの日、坊ちゃんはいつものように笑顔で出かけていった。
だんな様と一緒に、何のためらいもなく。
いつもどおりの旅になるはずだったのだ。
しかし、二人は戻ってこなかった。
嫌な予感がして、後を追いかけた。
逢うことは出来なかった。
だんな様が事件を起こしたという噂と、そのために住んでいた村が壊された事を知った。

もう、お亡くなりになったのだと諦めてみようと何度も思った。
それでも、諦められなかった。
毎日神に祈った。
祈る事しか、私には残されていなかった。
あまりにも思いつめる私を見て、皆が「そんなに思いつめていたら、あなたのほうが病気になってしまう」と心配してくれた。
それでも、私は祈る事をやめなかった。
そのくらいしかできる事は、残ってなかった。

そして夢を見る。
二人が笑顔で帰ってくる夢を。
「お前も無事だったのだな」と笑ってくれる夢を。

そしてまた、私は無力感に打ちのめされるのだ。
打ち壊された村で、待ち続けられなかった事に。
一緒に旅立たなかった事に。
一人だけ、おめおめと生きている事に。

後悔して後悔して、それでも望み続けている。

帰ってきてくれる事を。
 
 
 
「心配していたのですよ」
私の家を訪ねてきてくれたシスターが、私を見てほっとしたように言ってくれた。
「毎日お祈りに来てくださっていたのに、昨日はいらっしゃらなかったから」
「昨日は……辛い夢を見て」
「そうですか」
シスターは、私が見る辛い夢を知ってくれている。
私のことを心配してくれる人の中の一人。
「あまり思いつめないでくださいね」
「わかってます。わかってるんですけど……」
そう言って、何か言おうと考えたときだった。
玄関のドアがノックされる音が響いた。
「あら、お客様のようですね。私はこれで失礼しますね」
「何のお構いも出来ませんで……」
シスターが出て行くのと入れ替わりに、男女二人連れの旅人が入ってきた。

一人は、金の髪をみつあみでまとめた、驚くほど美人の女の人。
化粧っけが全くないのに、その美しさは目を見張るほどで、彼女が家に入ってきただけで空気が変わったのではないかと感じられるほどだった。
溌剌とした、元気なお嬢さんだった。

しかし、私の目を奪ったのは、もう一人の青年のほうだった。
長い黒髪を一つにまとめた、紫のターバンの背の高い青年。
その顔はまるで、若い頃のだんな様を見ているかのよう。意志の強そうなところが良く似ている。
しかし、漆黒の瞳はだんな様のそれではなく、奥様の優しい瞳のそれで。

甘い夢の続きを見ているのかと思った。

私は思わず立ち上がる。後ろで椅子がけたたましい音を立てて倒れたが、そんな事は気にならなかった。

まさか。
まさか。
まさか。

胸がものすごい勢いで打っているのがわかる。心臓が口から飛び出していきそうだ。
私は足がもつれるのを感じながら、その青年に走り寄る。
「まさか……! 坊ちゃん!!! テス坊ちゃん!!!」
私は青年の両腕をぐっとつかんだ。
離してなるものか、と思った。
「うん、久しぶりだねサンチョ。何か老けたね。……元気だった?」
彼は少し困ったように笑った。
思っていたよりも、ずっとしっかりした顔立ちになっていて、想像より低い声をしている。
思えば私の想像の坊ちゃんの声は、子どものときの声のままだった。

「やっぱり、やっぱりテス坊ちゃんだ! 生きて……生きてなさったんですね……ああ、もっとよくお顔を見せてください!」
私は穴が開くほど坊ちゃんの顔を見る。
坊ちゃんは、ただ静かに笑っていた。

夢なのだろうか?
しかし、コレが夢の続きならば。
あの女性は誰だろう?
だんな様はどちらにいるのだろう?

「ああ、本当に……立派になられて……」
私は坊ちゃんを抱きしめる。
旅で少し疲れているのだろうか?坊ちゃんは少しやせていた。
「あの、ところで、そちらの美しい女性は……?」
私は坊ちゃんから離れて、女性のほうを見る。
本当に綺麗な人だ。
彼女は私を見て面白そうに笑った。
「私よ? 分からないサンチョさん?」
透き通るような声で言って、首を傾げてみせる。
私は首を横に振った。坊ちゃんが隣で笑いをこらえてるのが分かる。彼女はついに声を立てて笑いながら言った。
「私よ? ビアンカよ?」
私は驚くしかなかった。全くの予想外。
「えええ! あのビアンカちゃんかい! なんとまあ、綺麗になって!!!」
私はまじまじとビアンカちゃんを見つめる。
小さい頃からとても可愛くて、天使のような子だったけど、まさかこんなに美人になるとは考えてなかった。

「あのね、私達結婚したの。ね? テス!」
「うん。ボクら結婚したんだよサンチョ」
ビアンカちゃんが坊ちゃんの右腕に抱きついて笑う。二人はとても幸せそうに笑った。
「そ……そうだったんですか……なにやらもう……胸がいっぱいで」
「……サンチョさん」
「うわ、サンチョ泣かないでよ」
私は涙をこらえきれず、ついに泣き出す。
それを見て、坊ちゃんがおろおろと私の周りを歩き回った。
 
 
夢ではない。
坊ちゃんは私のところへ帰ってきてくれた。
120■グランバニア 3 (サンチョ視点)
「父さんは……ボクを守るために……10年も前に亡くなったんだ」
坊っちゃんはうつむいて、苦しそうにそういった。
辛そうに顔を顰め、呟くように。
「そうでしたか……ラインハットに行ってすぐ……」
私は大きくため息をつく。
向かい側にすわる坊っちゃんが私から目をそらしたのが分かった。
「でも、坊ちゃんが生きて此処まで来てくださった。しかもかわいらしいお嫁さんも連れて。サンチョはそれだけでうれしゅう御座います」
私は努めて明るい声で言うと、坊っちゃんの手を握る。
坊っちゃんも苦労なさったんだろう。骨ばった指には小さな傷跡が沢山残っていた。
「うん、有難うサンチョ」
坊っちゃんは少し寂しそうに笑うと、そういって私を見た。
「サンチョにあえて嬉しい。サンチョはお父さんみたいなものだから」
「そんな……私の事をそう思ってくださってるのですか?」
「もちろん」
坊ちゃんとビアンカちゃんがにこりと笑う。
胸が一杯になった。

「坊ちゃんにお伝えしなきゃならないことが有ります」
私は向かいにすわる坊っちゃんの目をしっかりと見据えてきっぱりとした声で言った。
「すでにご存じでしょうが、旦那様は……パパス様はこの国の王だったのです」
伝えると、坊っちゃんたちは複雑な顔をした。
「……あ、やっぱりそうなのね?」
「……あー、なんかしっくりこない」
口々にそのようなことを言いながら、納得のいかないような顔をする。確かに、にわかには信じがたいだろう。
「パパス様の本名はデュムパポス・エル・ケル・グランバニアとおっしゃいまして……」
「エルケル?」
坊っちゃんは眉を寄せて「は?」と呟く。
「坊っちゃんにも本名があるのですよ?」
「え!」
「何でそんな不本意そうな顔をされるんですか。この国の王家にとって本名というのは本当に神聖なもので、本来なら家族以外には教えないんですよ? 私がパパス様の成人の儀の折に教えて頂いたときの光栄な気分というのはそれはそれは……」
「いや、ええと、その、つまり」
坊っちゃんは困ったように暫く視線に宙をさまよわせてから、
「色々と予想外の事が起こっていてビックリしてるの」
ビアンカちゃんが坊っちゃんの隣でクスクスと笑っている。
「王子様って感じしないもんね」
「しないしない、全然しない」
「まあ、でも実際本当に王子様ですよ。坊っちゃんの本名なんですが……」
「あ、待って? 私も聞いていいの?」
「もちろんですよ、ビアンカちゃんは坊っちゃんの奥様じゃないですか。坊っちゃんの御家族でしょ」
「……あ、そうか」
「坊っちゃんの御本名は、テッサディール・フィス・エル・グランバニアとおっしゃいまして……」
「変!」
坊っちゃんが叫んで立ち上がる。
「変!」
「いや、そうおっしゃいましても」
「あはははは、似合わないわねー!」
顔面蒼白な坊っちゃんを見て、ビアンカちゃんは大笑いする。
「これまでどおりテスでいいよ、何その大層な名前。ボクに似合ってないよ」
「もちろん、普通は公表してはいけませんから、コレまでどおりテス坊っちゃんですよ。でもお似合いですよ、いいお名前じゃないですか。マーサ様が随分長い間考えてお付けになった名前に、坊っちゃん何て事言うんですか」
坊っちゃんは暫く恨めしそうに私を見てから、あきらめたような顔をして椅子に座りなおした。
「お母さんがつけてくれたのかー、じゃあ文句言わない」
「旦那様がつけてらっしゃってたら文句言うんですか?」
「お母さんよりはお父さんの方が文句は言いやすいかな。お母さんはどんな人か想像つかないから」
坊っちゃんはそういうと、机に突っ伏した。
「あー、なんか、今日はいろんなことが一気に起こりすぎてて頭がどうにかなりそう」
 

「そうだ、こうしちゃいられませんよ」
私はそういうと立ち上がる。
「とにかく坊っちゃんが帰ってきたことをオジロン王に知らせなきゃ。今はパパスさまの弟、オジロン様が国王になられています。さあ坊っちゃん。私についてきてください」
「え?」
「オジロン様にお会いしてください。御無事だったことを御報告しなければ!」
「えええ? 王様に会うの!?」
「ええ、そうですよ、さあさ、坊っちゃんもビアンカちゃんもおたちになって! 参りましょう!」

私は二人を連れて、オジロン様のところへ急いだ。
121■グランバニア 4 (ビアンカ視点)
サンチョさんに連れられて、私とテスは一般人立ち入り禁止になっている二階への階段をのぼる。
所々にいる兵士さんたちが、慌てた様子で早足で歩くサンチョさんと、その後ろを歩く見慣れない私達に不思議そうな視線を送ってきている。

ちょっと緊張した。

テルパドールでもお城には入ったけど、あの国は旅人にもお城は解放されていた。
女王様にも会ったけど、それに直接お話なんかもしたけど、やっぱりあの女王様はあくまでも「勇者の事を調べるテス」に対して何か思うところがあって話をしてくれたのであって。
私はおまけみたいなものだったし。

今回だって、メインはあくまでテスだっていうのは分かってるけど、やっぱりちょっと前とは意味が違う。
テスは、この国の王子様で、しかも国の人誰もが尊敬する前国王のたった一人の子どもで。
……王様だって、テスの血縁の人で。
私は多分、「王様の血を引いてる」テスの妻として、それなりに値踏みなんかされたりするんだろう。
もしかしたら、別れろとか言われるかもしれない。

……嫌だなあ。
王様に会いたくないなあ。

そんな事を考えてる間に、私はサンチョさんについて三階まで階段をあがっていた。
三階は小さな部屋から、外の回廊へでるようなつくりになっている。
外の空気を吸ったら、ちょっと落ち着いた気がした。

城下町や、二階の「屋根」に当たる部分は広い庭園になっていて、植え込みや池が配置されていた。
遠目でよく見えなかったけど、綺麗なドレスを着た栗色の髪をした若い女の人が立っている。
隣には年配の女性がいて、何かをドレスの人に言ってるみたいだった。
やっぱり、こういうところに居る人は、綺麗な服を着てゆったり微笑んだりしてるんだろうな。
そう思うと、自分の格好がちょっと情けなくなった。
同時に、ふとフローラさんのことを思い出した。
もし、テスが結婚した相手がフローラさんだったら、多分彼女はこういう、ドレスとかに対する劣等感みたいなのは感じないんだろうな。
「ビアンカちゃん、どうしたの?」
前を歩いてるテスが立ち止まって私を見ると、小声で尋ねる。
「なんでもない」
「……そう?」
答えると、テスは少し眉を寄せたけど、それ以上私に追求してこなかった。

三階の奥のほうに、大きな扉があった。
ここが多分、お城の中枢なんだろう。コレまで以上に立派な石造りの大きな宮殿が建っている。
扉の上には、これまで何度か見てきた、翼を広げた長い尾を持った大きな鳥の紋章が刻まれている。

「これはサンチョ殿、どうなされました?」
扉の前に立っている兵士さんが、サンチョさんに声をかける。
サンチョさんは胸を張って、堂々とした様子で
「重大な報告があり、至急王にお会いしたい。どうか通されたい!」
と、答えた。兵士さんは「は!」と軽く敬礼してから扉を開けてサンチョさんを中へ通す。
私とテスは少しうつむき加減にその後ろに続いた。
兵士さんが少し不思議そうな顔つきで私達を見ていた。

中はとても綺麗だった。
金の刺繍が施された赤い絨毯が敷き詰められた広い部屋で、大きなシャンデリアが天井からぶら下がっている。
真っ直ぐ前には赤い大きなふかふかの玉座があって、そこには少しやせ気味の人のよさそうなおじさんが座っていた。
……あれが、パパスさんの弟さんで、今の王様なんだろう。

緊張してきた。

「おお、サンチョか。なにやら嬉しそうな顔。いいことでもあったのかな?」
王様はにこやかにサンチョさんに声をかけた。
私の居るところからは、サンチョさんがどんな顔をしているのかは分からない。隣をみると、テスはうつむいていて、あまり嬉しそうには見えなかった。
「実は王様」
サンチョさんは王様に近づいていって、その耳元でなにかをごにょごにょと喋っている。
王様の瞳が、見る見るうちに見開かれていった。
そして、その視線がテスにぴたりと定まった。
「なんと……! パパスの……兄上の息子のテスが生きていたと申すか!」
その言葉に、その場に居た大臣みたいな人や、兵士達の視線が王様に集まった。そしてその後、のろのろと視線がテスに集中する。
テスはますますうつむいて、何だかいたたまれない。
王様は勢い良く立ち上がった。
「テス、顔を見せておくれ」
王様に言われて、テスはしぶしぶと顔を上げる。
「おお、その目はまさしく兄上の奥方マーサ殿に生き写し! あのときの赤ん坊がこれほど立派に成長して帰ってくるとは……」
王様はゆっくりと歩いてテスの前にやってきた。
確かに、ちょっとパパスさんに似てる。
そうして、王様はテスの手をしっかりと握った。
「申し遅れたが、わしはそなたの父、パパスの弟のオジロンじゃ。今はこの国の王をしておる」
「はじめまして、オジロン様。テスです」
テスはこれ以上ないくらい自信にあふれた、余裕の笑顔をして見せた。
さっきまでうつむいていたのが嘘みたいだ。
こういうときの度胸って、一体どこで身につけてきたんだろうって思う。
「で、だ」
王様は私のほうを見た。
「隣に居る、この美しい女性は? どなたなのかな?」
王様がにっこり笑う。

瞬間、息が出来なくなった。
緊張する。
失敗しちゃいけない。
テスは上手に余裕を見せて挨拶した。
その努力を無駄にしちゃいけない。
うまくやらなきゃ……。
緊張して、心臓が凄い勢いで動いているのが分かる。
音が外まで漏れてるんじゃないかって心配になった。

私は何とか出来る限りの笑顔を作った。
そして出来る限り優雅に王様に頭を下げる。
「はい、王様。私はテスの妻……ビ……ビアンカと……」

そこまで言って、目の前が暗くなるのに気づいた。
緊張したせいで、貧血になったのかもしれない。
ここで失敗するわけにはいけないのに。
また倒れてテスに心配かけるわけには行かないのに。

後ちょっとなんだから、しっかりしなさいよ、私の体!

けど、体は言う事を聞かない。
体が後ろに引っ張られるような感覚。

「こ、これは一体どうしたことだ!?」
王様の慌てた声がする。
「ビ、ビアンカちゃん!?」
サンチョさんの慌てた声。

頭が痛い。
目の前が暗い。
ああ、なんだかもう、楽になりたい。

「ビアンカちゃん!!!」
テスの叫び声を聞いたような気がする。

そして私は意識を失った。
122■グランバニア 5 (サンチョ視点)
ビアンカちゃんが倒れて部屋に運ばれてから、坊っちゃんは一言も口を利いていない。
顔は真っ青を通り越して、真っ白と言って良いくらい血の気が失せている。
部屋の外の廊下にある、小さな丸椅子に腰掛け、ぼんやりと宙を睨むように見つめたまま、身じろぎもせず、ひたすらビアンカちゃんの無事を祈っている。
私は坊っちゃんに何か言おうと思うのだが、全く言葉が出ず、ただひたすら、時間だけが過ぎていく。

どのくらい待ったのだろう?
部屋の中からビアンカちゃんの手当てをしてくれているシスターが顔を出した。
「ビアンカさんが気がつかれました」
「よかった。ビアンカちゃん気がついたようですよ」
坊っちゃんはのろのろと私とシスターの顔を見比べたあと、漸く意味が分かったような顔をして立ち上がる。
そして無言のまま、部屋の中に入っていった。
私は慌ててその後に続く。

部屋のほぼ中央に置かれた広いベッドに、ビアンカちゃんは寝かされていた。倒れた時と比べて、随分顔色がいい。
ビアンカちゃんは、坊っちゃんと私が入ってきた事に気付いて、恥ずかしそうに毛布を鼻の辺りまで引き上げて顔を隠した。

シスターはビアンカちゃんの額に手を当てて、熱をみたあと
「まったく、こんな身体で旅をしてくるなんて……。聞けば山の上の村でも一度たおれたというし……。もしものことがあったらどうなさるおつもりだったのかしら?」
シスターはビアンカちゃんに熱が無いのを確認して、肩をすくめながらため息とともに坊っちゃんを見つめた。
「……」
坊っちゃんは何か言おうとして、口を開きかけたが、結局何も言えず、ただうつむいただけだった。
「そ……そんなにひどいのですか? シスター?」
私は恐る恐る尋ねてみる。
「ひどいもなにも……」
シスターは呆れたような顔をしてから、静かな声で続けた。
 
 

「おめでたです」
 
 

「へっ?」
一瞬、シスターが何を言ったのか分からなかった。
坊っちゃんもそれは同じだったようで、目を見開いてシスターを見返す。
シスターはにこりと笑って、それから深々と頭を下げた。
「おめでとうございます。テスさまはもうすぐお父さまになられますよ」
「……えぇっ??」
漸く坊っちゃんが声をあげた。
坊っちゃんには申し訳ないが、とても間の抜けた声だった。
「まあっ。でも無理ありませんわ。突然ですものね」
シスターは口元を手で隠しながら笑う。
坊っちゃんは呆然とシスターとビアンカちゃんを見比べた。
「そう……。ビアンカさんのお腹の中に赤ちゃんがいるのです。あまりお腹が目立ちませんが、聞けばかなり育っているようですね」
「……」
坊っちゃんはビアンカちゃんを見つめる。
ビアンカちゃんはその視線から逃げるように向こうを向いてしまった。
「こいつはめでたい! 坊っちゃんとビアンカちゃんの子供だから、きっと玉のようにかわいい赤ちゃんが生まれますよ!」
「では私はこれで。どうかお大事に……」
 
 
 
 
シスターが出て行くのを見送ってから、坊っちゃんはビアンカちゃんに近寄った。
「初耳なんだけど?」
「テスごめんね。今までかくしていて……。『そうかな』って思ってたけど、言ったらテスは旅をやめちゃうような気がして」
「あのねえ、旅と命と、どっちが大切だと思うの? 命でしょ? 言ってくれなきゃわかんないよ。ボクは鈍いんだからさ」
「ゴメンね」
「無事だったから良かったようなものの、死んじゃったらどうするつもりだったの? ビアンカちゃんが居なくなるなんて、そんなの厭なんだよ。ビアンカちゃんが死んじゃって、おなかの中には子どもがいたんだよって聞かされたりしたら、ボクはどうすればよかったの?」
「本当にゴメンなさい……そこまで考えてなかったの。死ぬ気なんてなかったし」
「あたりまえだよ! 死ぬのを予定に入れられてたまるか!」
坊っちゃんは声を荒げて、その怒りをぶつける様に床を一度大きく蹴り飛ばした。
ビアンカちゃんは怖そうに首をすくめてから、小さな声で
「でも、もう一緒に旅をしたいなんてわがままを言わないわ。身体に気をつけて、きっと丈夫な赤ちゃんを産むわ。だから……許してね」
「……」
坊っちゃんは暫くビアンカちゃんを見つめたあと、大きく息を吐き出した。
「これからは、絶対無茶しないこと。約束できる?」
「する! 約束します!」
「……じゃあ、もう、良いよ」
「ゴメンね。好きよテス」
「……ボクも好きだよ。ビアンカちゃん。怒鳴ってごめん。本当はとっても嬉しいんだ」
坊っちゃんはビアンカちゃんの頭をそっと撫でた。
その優しい瞳は、やはり奥様に良く似ていて、笑い方は旦那様に似ていた。

「坊っちゃんおめでとうございます。まったく……死んだと思っていた坊っちゃんが帰ってきてくれて……。しかもお嫁さんと、もうすぐ坊っちゃんの子供まで……。このサンチョ今日ほどうれしい日は……! うっうっ……」
私は嬉しさをこらえきれず、涙を流しながら、何とか言葉を搾り出す。
坊っちゃんは困ったように笑って、私の頭を撫でてくれた。
「なんか、ビックリしちゃったね」
そういって、漸く落ち着いたのかソファに座り込んだ。

「ビアンカちゃんのおなかに赤ちゃんがいるんだよね? ってことはもうすぐボクお父さんになっちゃうんだよね?」
「そうですよ。というより、もうお父さんなんですよ」
「実感ないなあー」
坊っちゃんはそんな情けないことを言った。
「私のおなかが大きくなってきたら、そのうち実感わくんじゃない? 生まれるのは夏ごろだと思うから、ソレまでに実感がわけば間に合うわよ」
ビアンカちゃんはもう肝が据わったのか、笑いながら元気よくそんな事を言った。

こんなに幸せを感じたのは、いつ以来だろう?
もしかしたら、坊っちゃんが生まれた日以来かもしれない。
そんな事を思いながら、私は目の前の若い夫婦を見つめた。
123■グランバニア 6 (テス視点)
ビアンカちゃんの体調が落ち着いた頃、ボクはオジロン様に呼ばれて、階下にある王の間へ出向いた。
オジロン様が王座でニコニコと笑いながらボクを待ってくれていた。
「おお! 既にシスターから聞いたぞよ。めでたい限りじゃ。おめでとう、テス」
「どうもありがとうございます」
ボクは出来る限りの笑顔を浮かべて答える。
オジロン様はそれを見て満足そうに笑った。
「そこで、テスに話したい事があるのじゃ。さあさあ、こちらへ」
言われるまま、ボクはオジロン様に近づく。
「実はな、テス。わしはそなたに王位を譲ろうと思うのだ」
「……え?」
そう思ったのはボクだけじゃなかったらしい。オジロン様の隣に控えていた大臣が慌てたように口を挟む。
「オジロン王! 私に何の相談もなく、突然何を言われる!」
顔を真っ赤にして、かなり慌ててる。
 
……なんか、いやーな感じの流れになってきてる気がするぞ、コレは。
それには気づかないのか、オジロン様は笑って続ける。
「まあまあ、いいではないか大臣。わしは元々人がいいだけで、王の器ではないのだ。兄上の息子、テスが帰ってきた以上、テスに王位を継がせるのが道理というものじゃ」
「しかしオジロン王!」
 
目の前で広がるオジロン様と大臣の言い合いを、ボクはしばらく他人事のような気分で見つめていた。
オジロン様は、多分自分のことを良く理解しているのだろう。
簡単に「王位を譲ろう」って考えるくらいだから、かなりのお人よしなのは間違いなさそう。
大臣のほうは、多分そういう王様のもと、かなり好き勝手してきたと見た。ボクが王様になると、色々問題があるんだろうな、彼としては。
 
……政権争いってろくでもないんだけどなあ。
 
「……そこまで言われるなら……」
ぼんやりしているうちに、どうやらオジロン様と大臣の話し合いは決着がついたらしい。大臣がため息と共に声を絞り出した。
「代々王になられるお方は試練の洞窟に行くのがわが国のしきたりです、行っていただきましょう、テス様に」
大臣は暗い瞳をボクに向けた。
「?」
オジロン様はぽかんと大臣を見つめる。
「だが大臣、昔と違い今ではあの洞窟にも魔物が……」
「どんな事があろうとも、しきたりはしきたりです! 守っていただかぬと!」
「まあ、それもそうか……」
 
……言いくるめられたよ、この人は。
何かこの二人の……ひろーく言うとこの国の構造が、一瞬見えた気がしたぞ、今。
 
「テスよ、話は聞いたであろう。わしはそなたに王位を譲りたいのじゃ。頼む。試練の洞窟にいって、王家の証を取ってきてくれ! その時こそ、そなたに王位を譲ろうぞ!」
「……あの、盛り上がってるところ悪いのですが……」
ボクは恐る恐る右手を上げて言葉を挟む。
「……試練の洞窟ってどこにあるんでしょう? それにボクがいきなり王座につくっていうのもどうでしょう? 自分で言うのも恥ずかしいですが、ボクは庶民として育っているので、全くしきたりとか知りませんし、はっきり言って無知です」
 
オジロン様と大臣の話し合いがまた始まった。
 
出来れば、とりあえず諦めてほしいな、とか思う。
王位なんてついちゃったら、簡単にお母さんを探しにいけないし、別に偉い身分なんていらない。
この国のどこかに、小さな家でもくれればそれでいいのに。
ビアンカちゃんが落ち着いて子どもを産める場所と、そのあと落ち着いて暮らせる場所さえあれば、別にいいのに。
 
「テス」
オジロン様の声でボクは我に返る。ちょっとぼんやりしすぎたらしい。
「試練の洞窟は、この城から北東の森の中にある。しかし、お前が言うとおり、いきなり王になるのもなかなか辛いものがあるだろう」
「そうですよね?」
ボクは期待に満ちたまなざしをオジロン様に向ける。
さあ、言っちゃえ、「やっぱりやめた」って!
「この国は見ての通り山の中にある。冬の雪はかなり積もるんじゃ」
「……はあ」
 
……なんか予想外の方向に話が進み始めたような……。
 
「慣れた者でも、雪の山道はかなり辛い。思えばビアンカさんも初めての土地で不安も多かろう」
 
……???
 
「もうすぐ本格的な冬が始まる。そこでだ。出発は春にしなさい。その頃にはビアンカさんもここでの生活に慣れるだろうし、春になるまでテスにはばっちり勉強してもらう時間が取れる」
 
ちょ、ちょっと待って???
えええ???
王位継承話は継続してるの??
 
「な? どうじゃ?」
オジロン様、満面の笑み。会心の提案だと思ってるぞ、コレは。
大臣が後ろで苦虫噛み潰したような顔してるぞ?
 
……。
コレは、もう、諦めるしかないのかな???
 
「はあ、まあ、がんばります」
ボクは結局首を縦に振るしか選択肢がなさそうだという結論に達して、仕方なく首を縦にふってしまった。

長いお城での生活が、この瞬間スタートした。
124■グランバニア 7 (テス視点)
茫然としたまま、ビアンカちゃんが居る部屋に戻る。しばらくは、ここがボクとビアンカちゃんの部屋になるらしい。
 
かなり広い部屋で、ベッドが部屋の真ん中にある。ビアンカちゃんはそのベッドで横になっていた。随分顔色がよくなっていて、安心する。
部屋の端っこには、仕切りで仕切られた空間があって、そこにはプライベートのお風呂までついている。
他にも、豪勢なソファだとか綺麗な置物だとか高価そうな花瓶と、そこに活けられた綺麗な花だとかがあって、ちょっと落ち着かない気分になる。
「王様、何だって?」
「なんか、王様になれとかなんとか……」
「え?」
何だか頭がぼーっとして、説明が出来ない。
どうやって伝えたらいいのかな、と考えていると、部屋のドアがノックされた。

ドアを開けると、サンチョが居た。
「お話があるのですが……」
サンチョは少し思いつめたような顔をしていた。
「うん」
ボクはサンチョを部屋に招き入れて、ソファに座る。
やわらかくて体が沈むような感覚に、どうも落ち着けない。
「サンチョも座りなよ」
そう声をかけると、サンチョはしばらく迷ってから浅くソファに腰掛けた。

「坊っちゃん」
「何?」
「坊っちゃんがお父上と旅に出るときの事なのですが」
「うん、ちょっと聞きたいかも」
ボクらが話を始めようとしていたら、女の人が紅茶を持ってきてくれた。
「あ、ありがとう」
声をかけると、女の人は照れたような笑顔を浮かべてそそくさと帰っていった。
「坊っちゃん、なかなかお上手ですよ」
「何が?」
「いえいえ」
結局サンチョは何について褒めてくれたのか、全然教えてくれなかった。ビアンカちゃんは向こうでくすくす笑っていた。
……なんだったんだろう?

「父上が旅に出る時、本当は坊っちゃんを置いて行こうとしたんですよ。しかし坊っちゃんは火がついたように泣き出して……結局つれて行くことにしたんです」
サンチョは、懐かしそうな顔をしながらそんな事を話し始めた。
「けれどだんな様は『連れて行く限りは、この先何があるかも知れぬ。無事に城に戻るまでは王子であることを明かすな』ってそうおっしゃられて……」
サンチョはいきなりソファから降りると、床に座って頭を下げた。
「坊っちゃん! 今まで隠していてすみませんでした! このサンチョを許してください!」
「お父さんに言われてたんなら、仕方ないよ。別に怒ってないしさ。サンチョとりあえずソファに座ってよ。そういうことしないで」
ボクはサンチョの腕を引っ張ってサンチョを起こした。
「……オジロン王の申し出をうけてこの国の王になってください! でないとこのサンチョ、天国にいるお父上に合わせる顔がありません! うっうっ……」
サンチョは泣きながらボクの顔をしっかりと見た。
「……ええと」
ボクは助けて貰いたい一心でビアンカちゃんのほうを見た。
ビアンカちゃんは笑いながら頷く。「いいよ」って返事してもいいって事だろう。思う通りにしなさいって。そういう意味だと思う。だからボクは頷いた。
「うん、わかった、わかったからねサンチョ。とりあえず落ち着いて。王様になれるように出来る限りの事はするから。だからね、もう泣かないで」
「本当ですね!? 本当ですね坊っちゃん!?」
「……うん、頑張る」
ボクは声が小さくなっていくのを感じながら、とりあえず頷いた。
しばらくサンチョは色々とボクに話をしてから、満足そうな表情で部屋から出て行った。

何だか良く分からないまま、一日が過ぎていった。色々な事が起こりすぎたせいで、どうも疲れてしまった。
わけのわからないまま王様になる約束をして、なんだかわからないまま食事をして、気がついたら眠ってたって感じ。
ほとんどビアンカちゃんとは話す時間が取れなかった。

目が覚めると、隣でビアンカちゃんがニコニコ笑っていた。
もう起き上がって、元気そうにしている。
「おはようテス。昨日は二人とも凄く寝ちゃったね」
「大丈夫なの?」
「うん、私は大丈夫よ。だいぶ元気になったみたい」
ビアンカちゃんはボクの前で軽く飛び跳ねて見せた。
「でも、テスのほうが今は大丈夫じゃないんじゃない? 吃驚しちゃったもんね。テスがこの国の王子様で、今度は王様になっちゃうかもしれないんだもんね」
ビアンカちゃんは少し困ったように笑った。
「もしテスが王様になっちゃったら、私達の子どもは王子様やお姫様ね」
ビアンカちゃんは自分のお腹を見て、何だか不思議そうな顔をした。そのあと、顔を上げてにっこり笑う。
「なーんてね。そんな事はどうでもイイの。私は今のままで十分幸せだから。テスがしたいようにしたらいいよ。王様になりたいならなればいいし、なりたくないなら、ならなくていいいよ」
ボクはビアンカちゃんをそっと抱きしめる。
「ボクは……隣にビアンカちゃんが居るなら、王様になってもならなくても、本当はどっちでもいいんだけど……。サンチョにあんなふうに泣かれちゃったら、とりあえずなるしかないって言うか……。それにビアンカちゃんの事を考えたら、しばらくはここに留まったほうがいいから、周りの善意に甘える事にする。その結果王様にならなきゃいけないみたいだけど、まあ、何とかしてみせるよ」
「変なの」
ビアンカちゃんはくすくす笑う。
「王様って、普通なりたくてもなれないのに、テスは私の定住のために王様になっちゃうんだ」
「本当、おかしな話だよね」
ボクもつられて笑う。
「けど、なるからには真面目にやるよ、勉強だって、全力でする」
「そりゃ、そうじゃなきゃ国の人に迷惑よ。私もこのまま何もなければ王妃様なんだね。……一緒に勉強しなきゃ」
ビアンカちゃんが困ったように笑った。ボクもつられて苦笑する。
「ま、ね」
ボクは返事して大きく伸びをした。
「王様がしっかりしないと困った事になるのは、骨身にしみて分かってるから。やれるだけのことはやるよ」
「うん、がんばってね。私もがんばるから」
 
ボクらは指切りして、お互い頑張ることを約束しあった。
 
「あ、でもビアンカちゃんは頑張りすぎちゃ駄目だよ? もう倒れたりしないでね? 本当に」
「わかった、わかったわよ」
ビアンカちゃんは唇を尖らせて不満そうに言って、それから笑った。
これから忙しくなるんだろうなって思うと、ちょっと気分が沈むけど、何とかしていこうって思った。

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