23■ビアンカちゃんの異変
ビアンカの異変、テスの疑心。


109■ネッドの宿屋〜山道 (テス視点)
東に進むと、やがて大陸に突き当たった。
ここからは陸路をいかなきゃいけない。しばらく海路をきたから、歩くのは久しぶり。
船長たちにはポートセルミに戻ってもらうことにした。しばらくはここに戻ってこれないだろうから。
「気を付けて」
握手してお互いに言い合う。無事にお互いに目的地に着くことを祈りあう。
ボクらは陸を。
彼らは海を。
「また船に用があったらポートセルミに来てくれ、いつでも出られるように用意しとくからよ」
船長は少し涙ぐんだようだった。

地図を見てみる。
広い草原の真ん中に、宿があるようだった。
そこから、北に向かうことになるのだろう。道があればいいけど。
その辺の話も、宿で聞いてみないといけないだろう。
「じゃあ、行こうか」
地図をしまって、歩きだす。

大陸に入って三日くらい歩いたころ、向こうに大きな樹が見えてきた。その根元に寄り添うように建物が建っている。
「見えてきたわね」
「今日中には着けそうだね」
「そうね、久しぶりのベッドー!」
ビアンカちゃんは右手を拳にして突き上げる。
やっぱり女の子に野営はつらいんだろうなぁって思った。

綺麗な宿だった。
大木に寄り添うような建物。
周りは見渡すかぎりの草原。
冬が近いせいか、少し冷たくなってきた風が吹き抜けていく。
「素敵な所ね」
「うん」
「とっても綺麗」
「世界ってさ、とっても綺麗だね。……とっても広いし。どこまでも行けたら……素敵だよね」
「きっと行けるわ。……行くなら連れていってね」
「うん、それは勿論」

ボクらは宿に入る。
こじんまりとしてるけど、あったかい雰囲気の宿だった。

一泊したら、宿の主人のネッドさんの息子さんがペナントをくれた。
……結構血がにじんでたりして……不器用なのにがんばったねえ、と褒めてあげたい気分になった。



宿でこれからの食料とかを分けてもらって、北をめざす。
しばらくきつい山道を行かなきゃいけないらしい。
今まで以上に気を付けて進まないと。
テルパドールの砂漠の時みたいな判断ミスは、もうごめんだ。
ボクの判断が皆の命を握ってる。
本当は一刻も早くグランバニアを見てみたいけど、焦っちゃダメだ。ゆっくり行こう。少しくらい余裕をもったくらいが丁度いい。

宿を出て二日。ボクらはようやく山道の入り口に着いた。
「いよいよね。遂にテスの故郷が見られるのね! ……気が早いって思ってる?」
ビアンカちゃんはボクを見上げて笑う。期待に目が輝いている。
「うん、ちょっと気が早いかも。まだ決まったわけじゃないし」
ボクは自分に言い聞かせるつもりで答える。
「うん、でもきっとグランバニアはテスの故郷よ」
ビアンカちゃんはやけにきっぱり言うと、山を見上げる。
「……とはいえ、ちょっと大変そうな道ね」
「グランバニアは逃げないから、無理しないでのんびり行こう」
ボクも山を見上げる。確かにきつそうな道。
内心ため息を吐く。
焦ろうにも焦れないだろうなって思った。
110■山道にて (テス視点)
山道はかなりつらかった。
道幅が広いから、馬車は通ることができるけど、時々皆で押し上げないと動かない事があったし、道自体がデコボコしてて進みづらかった。
「……大丈夫?」

時々声をかけあって、お互いに励まし合う。
決して楽ではない旅。
皆を巻き込むだけの価値が、ボクにあるんだろうか?

休憩しながら、皆をみる。
かなりげんなりしてて、疲れている。
……何で巻き込んじゃったのかな。
少し自分のことがイヤになる。
「……」
ビアンカちゃんがいきなりボクの頭を軽くたたいた。
「何?」
「何か嫌なこと考えたでしょ、否定的な顔した」
ビアンカちゃんは半眼になって頬を膨らます。
「……何でわかるの?」
「顔に出るからよ。辛いのは確かだけど、それはテスも一緒よ? だから、『ごめん』とか考えないで」
「ビアンカちゃんは……凄いや」
ボクは苦笑する。
これまでボクは、わりと何を考えてるのかわからないって言われてて、実際顔に出してないつもりだったんだけど。
「……隠し事はしないで。辛いことは皆で共有して、なるべく軽くするのよ」
ビアンカちゃんは立ち上がると、ボクの頭を、まるで子供をあやすように軽く撫でて、皆に声をかける。
「さ、皆ちゃんと休めた? そろそろ出発するわよ?」

山道は何回か分岐があって、ただ山頂だけをめざしていればいいってわけでもなかった。
「私たち、ちゃんと前に進めてるわよね?」
ビアンカちゃんが不安そうな声をだす。
「……うん、多分」
さすがに地図もかけないし、ほとんど目印もないから自信はもてない。
「ただ、ちゃんと頂上は近づいてるよ? だから……大丈夫だと思う」
山道に入った時を思えば、山頂がかなり大きく見えた。

休憩したところから、しばらく歩いたところに洞穴があった。
今のところまだ天気はよかったけど、夜のことを考えたら雨風をしのげる所で休めるのはいいかもしれない。
「ちょっと早いけど、今日はここで野営にしようか、雨や風が防げるのは貴重だよ。冬も近いしね」
「いいわねー」
「そうですね」
ビアンカちゃんやピエールが賛成した。
「屋根があるとテスは寝坊するけどな」
スラリンがちょっと笑いながら言った。
「屋根が眠いのを左右してるわけじゃないよ」
ボクは苦笑しながら、洞穴をのぞいた。

と。
中にいたお婆さんと目が合った。
「……! こ、こんにちは」
まさか中に人がいるとは思ってなかったから、ボクの挨拶は少し引きつっていたような気がする。
お婆さんはボクを見てにやりと笑った。
「イッヒッヒッヒッ。どうなされた旅の人。道に迷われたかの?」
なんだか怪しい笑い声で、お婆さんは言う。
「いえ、迷ったわけではないんですが。……この辺で野営をしようと思いまして……」
ボクはしどろもどろに答える。
お婆さんはまた笑った。
「今日はここに泊まってはどうじゃ?」
「あ、よろしかったら……」
「では、下の階で眠るといいじゃろう。ではゆっくり休みなされ。わしは上にいるからな。イッヒッヒッヒ」
お婆さんはボクらを下の階に案内して、再び上に戻っていった。

粗末だけどちゃんとしたベッドがあって、ボクらは疲れもあってすぐに寝入ってしまった。

どのくらい眠っただろう。
変な音が聞えるのに気付いてボクは目を覚ます。
何かの音に似ている。
……ああ、そうか、刃物を研ぐ音に似てるんだ。
……?
刃物?
「テス起きて……。あの音はなにかしら……」
ビアンカちゃんが不安そうな声をあげてボクを起こした。
「何か……刃物を研ぐ音に……似てるよねえ?」
「そうね……まるで刃物をとぐような音ね……。上の階から聞こえるみたい……。ねえ行ってみる?」
ビアンカちゃんは天井をじっと見つめていった。
「そうだね……ボク見てくるよ」
「気をつけてね」
ボクは起き上がろうと体に力を入れる。

「……!?」
「どうしたの? テス?」
「……う……動けないんだけど……」
「……え!? ウソ!?」
ボクらがパニックに陥りかけた時だった。
階段をおりてくる足音が聞えた。

お婆さんが剣を片手におりてきている。

闇の中なのに、目が合ったのが分かった。
「なんじゃ起きていたのかい。よく眠れるように呪文をかけてやったのじゃがあまり効かなかったようじゃな。ところでイッヒッヒッヒ。これを見てみい」
お婆さんはボクに、手に持った剣を見せた。
ボクのだ。
お婆さんはにぃっと笑った。
「おぬしのつるぎをといでおいてあげたぞ。さあ、まだ夜中じゃ。もっと眠りなされ」

……え?

なんだかいまいち意味が分からないけど、実際見せられた剣は綺麗に研ぎ上げられていて、切れ味とか良くなっているだろうなって思った。
お婆さんは笑いながら、階段をのぼっていく。
「……」
ボクはしばらくお婆さんが上っていった階段を見つめてしまった。
「……テス、あの、そっちで寝ていい? 何だかちょっと……お婆さんには悪いんだけど……恐くて」
ビアンカちゃんは困ったように苦笑しながら言った。
ボクはうなずく。……その気持ちはよくわかった。
ビアンカちゃんは動けるらしい。

「うん、いいよ。……ボクも実はちょっと恐い」
答えると、ビアンカちゃんが笑った。

ボクらはお互いに苦笑して、手をつないで眠った。
魔法を掛けられたからか、ビアンカちゃんと手をつないで安心したからか、その後はしっかり眠ることができた。

朝は普通にやってきた。
「おはよう」
「うん、おはよう」
お互い挨拶をしてから、階段を上がる。
お婆さんはボクらに気付いて笑ってから挨拶してくれた。
「よく眠れたようじゃな。もう朝じゃぞ。気をつけてゆきなされよ。イッヒッヒッヒ」
肩を上下させて笑う。そしてこう付け加えた。
「イッヒッヒッヒ。この笑いかたはわしのクセなんじゃ。気にせぬことじゃな。イッヒッヒッヒ」

なんだか体から緊張が一瞬に抜けていく感覚がした。

ボクらは、お婆さんにお礼を言って出発した。
山頂はもうすぐだ。
111■チゾット 1 (テス視点)
山頂にあいていたトンネルを抜けると、山にくっつくように小さな村があった。地図にもちゃんと載ってる。山岳の民が住む、伝統を守ってる村。チゾット。
確かそんな感じの所だったはず。
まだ完全に冬になっていないはずなのに、チゾットは雪に覆われていて肌寒い。
「とりあえず宿をさがさなきゃね」
「……そうね」
村の入り口すぐの所に、小さな宿屋があった。
「ここにしようか」
宿に近づいていくと、宿屋の人だろうか。女の人が玄関先を掃除していた。
男の人が隣で木を切っている。ボクらの足音に気付いたのかこっちを見た。そしてびっくりしたような声をあげる。
「いらっしゃいませ……あの、お連れの方の顔色がすぐれないようですが……?」
「え?」
ボクは驚いて振りかえる。
ビアンカちゃんはふらふらとした覚束ない足取りで、言われたとおり顔色が悪い。真っ青を通り越して、白い。
「ううん、なんでもないわ、ちょっとだけ気分が……心配しないで……だい……じょ……ぶ……」
絞りだすような小さな声で言うと、ビアンカちゃんはそのまま倒れこむ。
「……!? ビアンカちゃん!?」
ボクは動けなかった。
頭が真っ白になる。
「これはいかん! とにかくベッドに運ぼう! うちの宿を使うといい!」
男の人はそういうと、宿のドアをあけて中に声をかける。
「おーい! 人が倒れたぞ! ちょっと手伝ってくれ!」

ビアンカちゃんは一番奥の部屋に運んでもらった。
ベッドにゆっくりと横たえて、神父さまがくるのをまつ。
ビアンカちゃんは白い顔でぴくりとも動かず横になっている。
「……」
胃の辺りが痛い。
時間が流れてない気がする。

神父さまは横になっているビアンカちゃんを一通り見たあと、熱はないしただの疲れかもしれないから、今日は安静にしていなさいって言って帰っていった。
「大したこと無くてよかったですな。あなたの奥さんですか?」
宿のご主人に聞かれて、ボクはうなずく。
まだ「奥さん」って言われるのはちょっと恥ずかしい。
「いやー、べっぴんさんだ! あまり無理せず大事にしてやってくださいよ」
ご主人はにこやかに笑って言うと、部屋をでていった。

窓の外は、もう葉がない枝だけになった木が生えていて、淋しい景色。
ベッドには白い顔で眠るビアンカちゃん。
すぐそこに、死の世界が広がっている気がした。
ビアンカちゃんが目を覚ます迄の時間、ボクは自分がちゃんと息をしていたのかどうかすらよくわからなかった。
「ごめんね……テス」
弱々しい声。
目を覚ましたビアンカちゃんのそばによる。
「心配かけちゃったね……もう大丈夫だから……」
「いつからだったの?」
「今日だけよ……?」
「何で言ってくれなかったの? 気付かなかったボクが悪いんだけど、どうして言ってくれなかったの? ボクには辛いとか気分が悪いとか言いづらい? そんなに……頼りない?」
「そうじゃないわ……ただ、チゾット迄大丈夫だと思ったの……」
「ちょっとした不調でも言ってよ……ボク、ビアンカちゃんが居なくなったらイヤだよ……もう目の前から大事な人が居なくなるのはイヤだよ……」
「テス……」
「お願いだから自分のこと大切にしてよ……ビアンカちゃんの命は一つしかないんだよ? ボクの命の何倍も尊いんだよ……」
「一緒よ、命の尊さは一緒。テス……そんな淋しい事言わないで……」
「……ちょっと寝たほうがイイよ」
ボクは話を切り上げる。
このまま言い合ってたら、たぶん喧嘩になるだろう。
ビアンカちゃんは今疲れてるんだから喧嘩するわけにはいかない。
「そうね……少し眠るわ……お休み、テス」
「お休み、ビアンカちゃん」

ボクはビアンカちゃんが寝入ったのを確認してから部屋をでる。
馬車で待っていてくれた皆に、ビアンカちゃんの無事を伝える。皆ほっとしたようだった。

しばらくここに留まったほうがいいかもしれない。
ビアンカちゃんの体調がしっかり治るまで。
グランバニアはなくなったりしないんだし。
ビアンカちゃんが居なくなるほうが、グランバニアに行けないよりずっとイヤだ。
「しばらくここに留まるかもしれないから、皆そのつもりでいてね」
ボクは皆にそう伝えて、部屋に戻る。
ビアンカちゃんはよく眠っていた。
その手を握って、ボクは目を閉じる。
ビアンカちゃんの呼吸の音がする。
生きている音。
安心する音。
この音が、途絶えないように。
112■チゾット 2 (ビアンカ視点)
目が覚めたら真夜中だった。
首をゆっくり動かして窓の外を見ると、夜空に星が瞬いていた。
その一つ一つがどれもきらきらとしていて、宝石みたいに見える。
それだけ空気が澄んでいて、空に近い村なんだろう。

すぐ近くで、寝息が聞こえる。
テスはもう眠ったんだろう。
逆の方向に首を動かすと、向こうのベッドにテスは居なかった。
じゃあこの寝息はどこから聞こえてきてるんだろう。
視線を部屋の中に彷徨わせる。
右手が、テスの左手に握られていた。
ゆっくりその腕をたどっていく。
テスは、私のベッドの傍の床にひざを抱えるようにして座ったまま眠っていた。多分、ずっと傍についていてくれて、ついに眠ってしまったんだろう。

随分心配をかけてしまった。
とても気分が悪かったのは本当だけど、心配かけたくなかったから、何も言わなかったのに。
これじゃあ、本末転倒。
あんなところで倒れちゃうなんて思ってなかった。
思っていた以上に、身体の変化が激しい。
テルパドール以降、凄く疲れやすくなったし、ちょっとしたことで気分が悪くなる。
……心当たりが、ないわけじゃない。

どうせ動けなくなるなら、何が何でもテスの故郷で。グランバニアで動けなくなればいいのに。
でも実際は、私が思ってるよりずっとはやく、進行してきてる。

もうちょっと。
もうちょっとだけ私に猶予を頂戴。
決して、否定してるわけじゃないの。
いい子だから。
もう少しだけ、お父さんとお母さんに時間を頂戴。

私は左手でそっとお腹を触る。
もう2ヶ月くらい、女性特有のあの日が来ていない。

……ということは。
つまり、そういうことだろう。
私の中に、新しい命が、存在してるんだ。

本当は、今すぐにでもテスに報告したい。
きっと喜んでくれると思う。
でも、そうしたら、きっとテスは子どもがある程度大きくなるまでこの村にとどまるって言い出す。旅を中断してしまう。
すぐ近くに、熱望してやまない故郷があるのに。
きっと我慢してしまう。
そんなのは、私が嫌だ。
 
……黙っていよう。

もうちょっとお互い我慢しようね。そうしたら……きっと私達、祝福して貰える。
 

 
「……テス、起きて」
声をかけると、テスがのろのろと頭を上げた。
「……あ、ビアンカちゃん。どう? 調子は?」
かすれた声だった。
「随分寝たから、もう平気。ごめんね、心配かけて。明日にはきっと大丈夫だから。……それよりテス、ベッドに寝にいきなよ。そんなところで寝ちゃってたら、今度はテスが風邪で倒れちゃうわ」
「……うん、わかった……ビアンカちゃん、もうちょっとゆっくり眠ってね」
私は頷く。
テスは私の額に手を当てて、熱がないかだけ確かめてから向こうのベッドにもぐりこんだ。
私はそれを見届けてから、目を瞑る。
明日には、きっと動けるようになっている。
 
 
目が覚めると、窓から朝日が差し込んできていた。
窓の外には、透明な空気。
起き上がってみる。……なんともない。
伸びをしてみたり、体を軽く動かしてみる。……なんともない。
大丈夫。
まだ動ける。
私は着替えてからテスを起こしに行く。
「テス、起きて」
いつもならなかなか目を覚まさないテスが、すぐに起き上がってきた。
「おはよう」
にっこり笑って、元気なのをアピールしてみる。
けどテスは私をまじまじと見つめて「……大丈夫なの?」ってすぐに言った。
微妙に不信そうだ。
そりゃまあ、仕方ないのかも知れないけど……。
「私、もう元気が出たわよ? だってもうすぐテスの故郷が見られるんだもん。コレで元気がでなかったら、何で元気が出るって言うのよ! さ、早く行きましょうよ!」
私は半分ムキになって元気だと主張する。
けど、テスは首を横に振った。
「しばらくここにとどまって、ちょっと体調を整えてから行こう。これから寒くなるんだし。まだ心配だよ」
 
……参った。
心配してくれるのは分かる。
けど、しばらくとどまったりしたら、ますます私は動けなくなる可能性が高くなる。

「テス! 逆よ! 寒くなるんだったら、その前に山を下りなきゃ! だって雪が降り始めたらすすめなくなるわよ!?」
「だったら、来年の春にでも降りればいいよ」

来年の春なんて、もっと動けない!
 
「私は一刻も早くグランバニアに行きたいの!」
「ボクはちょっとでも長くここにいて、ビアンカちゃんに体調をしっかり元に戻してほしいの!」
私達はお互いにらみ合う。
考えてみれば、ここまで本格的に意見がぶつかって喧嘩するのは初めてかもしれない。
「……ともかく、絶対今日は動かないから。もう一日しっかり寝て、ちょっと頭冷やしてよビアンカちゃん」
「頭を冷やすのはそっちのほうでしょ!? 私が元気だって云ってるのに、何で信用しないわけ!?」
「……大丈夫って云って倒れたのは誰?」
テスが低い声で言った。
それを云われると、私は何も言い返せない。
テスは大きく息を吐いた。
「何をそんなに焦ってるのか分からないけど、とりあえず落ち着いて。ボクはビアンカちゃんを失いたくないんだ。グランバニアにたどり着けなくなるより、ずっと嫌だ。お願いだから、無茶をするようなこと言わないで」
「……けど、なるべく早く行きたいの。だから、来年の春なんていわないで。せめて……そうね、お互い妥協して長くても3日くらいにして。ここにとどまるのは」
テスは私をじっと見た。
「……分かった。そのかわり、この三日間はおとなしくして、身体の調子を整えるのに専念して」
「わかった。約束するわ」
私は頷く。
「朝ごはん、ここで食べる事にしよう。……宿の人にもらってくるよ」
テスはそれだけ云うと部屋を出て行った。

私はその背中に、ひたすら謝る。
ごめんなさい。
我が侭云ってごめんなさい。
隠し事しててごめんなさい。
気持ちはとても嬉しいの。
私を気遣ってくれるのは分かってるの。
結局折れてくれてありがとう。
本当に。
ごめんなさい。
グランバニアに着いたら、全部全部白状するから。
きっと怒るだろうけど。
でも、それ以上に喜んでくれるよね?
だから。
本当にごめんなさい。
私はテスの優しさにつけこんで、こんな我が侭言ってます。
本当に。

ごめんなさい。
113■チゾット 3 (ビアンカ視点)
テスがお盆にスープとパンを載せて運んできてくれた。
しばらく、向かい合って無言で朝食を食べる。
「……ごめん」
突然テスがぽつりと言った。
「ビアンカちゃんが倒れて、ちょっと動転してたんだ。……怒鳴ったりしてごめん。倒れるほど無茶させたのはこっちなのにさ。それにも気づかないで、一方的に非難して……。辛い時に追い討ちかけるような事言った。平気だって言ってるのに、信じなくてごめん。……本当にごめん」
うつむいて、ぼそぼそと。私への謝罪を口にする。

どうしてこの人が、私に謝るんだろう。
悪いのは私のほうなのに。
体調が普通なら、あの山道くらい私だって平気だった。
テスは私が今普通じゃないのを知らないんだから。
謝らなくていいのに……。

泣きそうな気分。

何か云わなきゃって思うんだけど、全然言葉が出てこない。
ただ沈黙が私達の上にのしかかってる。
テスが「あ、そうだ」ってわざとらしく云ってから、話を始めた。 
「あのね、さっき聞いてきたんだけど、村のはずれのつり橋から、グランバニアが見られるんだって。……あとで行ってみようよ。ビアンカちゃん、一刻も早くグランバニアが見てみたいんでしょ?」
テスが微笑む。
「……え? あ、うん」
私は曖昧に返事した。
見たいわけじゃなくて……着かないと困るんだけど。一刻も早く、行きたいんだけど。
ちょっとずれてるんだけど……真相をしらなきゃ、確かに見たいんだろうって思われるのかも……。

私があまり無言だったからか、テスはまた不審そうに私を見た。
「どうしたの?」
「え? なんでもないわ。ちょっとグランバニアってどんなところか想像してただけ!」
私はあたふたと答えてスープをすする。
どうも隠し事って、私は向いてない。
「……あそう」
テスは納得してないみたいだったけど、追求はしてこなかった。
「あとね、とりあえずここの宿あと3日押さえてきたから。短いけどその間に体調を整えてね。食料の調達とかもしないといけないし、まあ、妥当な滞在期間だと思うんだけど、よかった?」
「うん、いいと思うわ」
すぐに答えられる内容の言葉って素敵だって思った。
そのくらい私には余裕がないんだろう。

「考えてみたらボク、これまで次の行き先とか滞在期間とか、全然相談しないで勝手に決めてたでしょ? 一人旅の癖が抜けてないんだね。……ビアンカちゃんは女の子なのに、体力差とか全然考えてなかったし。本当にあさはかだった」
テスはしゅーんとした様に云う。
あー、違う!私のほうが悪いんだってば!
いえたらどんなに楽だろう。
「……もうあんまり、自分のこと責めないでね、私は本当に平気だから。これからは話し合っていけばいいんだし。私も辛いなら辛いって云わなきゃいけないところを云わなかったんだから一緒よ!」
私が慌てて答えるから、テスにはそれがフォローに思えたらしい。
「それだけボクが頼りなかったってことだよ」
ぼそぼそと云ってうつむいてしまう。
「……本当に違うから! 本当に、自分のことは責めないで!」 

仲直りしましょう。
そういって握手した。
握手しながら、こんな事言いながら、まだテスの事をだましてるんだなって思ったら胸が痛かった。
 
 
チゾットは山肌にしがみついてるみたいな村で、村の人が普通に歩いてる場所もすぐそこが崖になっていたりする。
「……落ちないように気をつけてあるかないとね」
「もうそんなに子どもじゃないよ」
テスに苦笑されながら、私達は村のはずれにある大きなつり橋までやってきた。
つり橋の向こうの洞窟を下りながら抜けていくと、グランバニアにたどり着くんだそうだ。
……今度は倒れないように気をつけないと。
そんな事を思いながら、つり橋を中ほどまで渡る。
 
 
 
眼下に、広大な森が見えた。
見渡す限りの深い森で、その中に悠然と大きな石造りの町があった。
石の壁で周りを囲まれていて、その壁と同化するようにお城が立っている。
立派な国。
「あれがグランバニアなのね。ここから見ると、近いのか遠いのかよく分からないわ」
「町の大きさが分からないから、どのくらい遠いのか予想も出来ないね。……遠そうな気がする」
「きっと近いわよ。山を降りればすぐだわ」
 
答えながら私は隣に居るテスを見る。
テスはただ静かに、じっとグランバニアを見ていた。
懐かしむような、それでいて淋しそうな瞳。
「……風が出てこないうちに戻ろうか」
テスは私の手を引いて歩き出す。
振り返って、グランバニアをもう一度見る。
不思議な感覚。
きっと私達はあの国に迎え入れられるんだろうって、そんな気がした。

「あら、グランバニアを見てきたんですか?」
村の女の人に声をかけられて、私達は頷く。
私が倒れた事で、あまり旅人が来ないこの村で私達はすっかり有名になっちゃってるみたいだった。
「ええ。とっても立派そうな国でした」
テスがにこりと笑って答える。
女の人は少し頬を染めた。
そうね、テスは確かに綺麗な子だからね。笑いかけられたらぽーっと来るわよね。……見逃そう。変な事言ってテスと喧嘩してる場合じゃないし。
「グランバニアの国王は、パパスさまといって本当に立派な人だったんですよ。たしか王になったばかりの頃、この村に立ち寄られたことがありました。外の橋の上から長いことグランバニアのお城をながめてましたよ」
女の人は少し懐かしむような瞳で橋のほうを見つめた。
テスも橋を振り返る。
「そうですか」
少しため息交じりの声でそういうと、女の人にお礼を言ってまた歩き出す。

本当は。
一刻も早くグランバニアに行きたいのはテスのほうが気持ちとしては強いだろう。
それでも、私を優先してここに滞在するって言ってる。
 
……私は一体何をやってるんだろうか。

そんな自己嫌悪とともに、私はテスと一緒に宿に戻った。
114■チゾット 4 (テス視点)
チゾットは静かな村だった。
村の人は、日々決まった仕事をしてゆっくりとした時間をすごしている。
そんな時間の流れで同じように生活したせいか、ボクらは随分と落ち着いてこの村にとどまる事が出来た。
おかげでビアンカちゃんの体調もよくなって、コレまで以上に元気って感じになった。
コレなら、明日出発しても大丈夫だろうと思う。

村はグランバニアに近いぶん、グランバニアのいろんな話を聞く事が出来た。
ちょっと前に聞いた、「立派だったパパス王」の話に始まって、「不思議な力を持っていたマーサ王妃」だとか。
特に、「マーサ王妃」の話をしてくれたおじいさんはボクの目を見て「マーサ王妃と同じような瞳をしてる」って不思議がっていた。

このあたりは一応グランバニアの領地らしい。
村の人たちは皆グランバニアの王と王妃が好きみたいだった。

それにしても。
「パパス王」と「マーサ王妃」。
ビアンカちゃんは話を聞いてきてから「テスのお母さんの名前も、マーサだったよね。ここまで同じだとぐうぜんとは思えないわ!」なんて凄く興奮してた。
ボクも、ここまで来るとさすがにお父さんがグランバニアの王様だったような気がしてきたんだけど……。

 
 
「どうしてそんなに困ってるの? パパスさんの素性が知れたかもしれないのに」
ビアンカちゃんはイマイチ納得がいかないボクの様子に、首をかしげる。
「あのさ」
ボクはビアンカちゃんから視線をはずして、自分のつま先を見ながら答える。
「……まあ、お父さんは結構……今思い出してみても気品があったし、堂々としてたし、まあ、この際信じて王様でもいいんだけどさ」
あんまりはっきりと答えないボクに、ビアンカちゃんは眉を寄せる。
「だから?」
結構イライラしてるみたい。
「つまりさ、お父さんが王様だったとするよ? ……そしたらボク、王子様ってこと? お父さんが王様って話もかなり信じがたいのに、自分が王子なんて話、信じられる? ビアンカちゃんの立場で言えば、ある日突然『実はあなたはこの国の姫様だったのです!』なーんて言われてるって事だよ?」
ビアンカちゃんはしばらく想像してみたのか、ガラス色の瞳をくるりと宙に彷徨わせ、そして苦笑した。
「うわ、ありえない。変な気分!」
「でしょ? だからね、お父さんが王様なのはいいんだけど……そこを認めるとおまけとしてついてくる部分が納得いかないわけ」
ボクは肩をすくめて見せる。
「大体、王子様って大変そうじゃない。ヘンリー君とかデール君見てるとそう思うもん。ボクだったら絶対いや」
ビアンカちゃんは声を立てて笑った。
「でも、もしテスが王子様だったとしても、そんなに変わらないと思うわ。テスはテスだよ」
「そりゃ、いきなり豹変して見せるような事は出来ないよ」
そういってから、付け加える。
「アイシス女王は『同じ名前をつけるのは考えにくい』みたいな事をいってたけど、まだ『王様と同じ名前をつけた別の人』って可能性も消えたわけじゃないしね。しばらく考えないでおくよ」

出発の朝は、綺麗に晴れていた。
三日間の滞在だったけど、その間にも確実に冬はやってきているみたいで、風が随分冷たくなったように感じた。
食料や荷物を買いなおして馬車に詰め込んでいると、一人のおばあさんがこちらにやってきた。
「ヨメっこさ倒れさせたバカモノ、もう出発か?」
狭い村だから、久しぶりの旅人だったボクらは村中に知られている。その上、ビアンカちゃんが倒れた事で、話題性も十分。
すっかりボクは村では配慮の足りない駄目な男って事になっていた。
「ムダに山道歩きまわってつかれさせたんだろ。……これ持ってけや」
おばあさんは綺麗なコンパスをボクにくれた。
「ヨメっこさ大切にしろよ」
それだけ言って来た道を戻っていってしまう。
「あ、ありがとうございました!」
ボクは慌てておばあさんの背中に叫ぶと、おばあさんはこっちを見なかったけど右手を軽く上げていった。
「最後の最後までしかられちゃってごめんね」
「まあ、しかられるような事したしね」
「でもあのおばあさん、けっこうやさしい人だよね」
ビアンカちゃんはボクの手の中のコンパスを見た。
「コレで洞窟で迷わないよね」
「そうだね」
「じゃ、行きましょ? テスの故郷に」
「まだ決まってないよ」

ボクらはゆっくりと村のはずれの大きなつり橋を渡る。
右手側には広くて深い森。
そしてその中にどっしりと構えた、大きな石造りの町並み。
グランバニア。
……本当は、今すぐ飛んで行きたいんだけど。
ビアンカちゃんの体調もまだ実は心配だし、そんなに期待していたら間違っていたときに立ち直るのに時間がかかるだろうから。
ゆっくり向かおう。
時間はたっぷりある。

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