10■さとり
ダーマ神殿でリュッセ悟りを開く。


59■ダーマ神殿 1
目が覚めると、窓の外からは既に太陽の光が差し込んできていた。今日も強烈に晴れて暑くなるんだろう。
「で? これからどうするんだい? ポルトガか、ダーマか。それとも別のところかい?」
朝食の席でカッツェが言う。テーブルには朝食と共に地図が置かれていて、皆でソレを覗き込む。食べながらだから行儀は悪いけど、なるべく早く次の進路を決めたほうがいいということで、反省しつつこういう方法をとることにした。
「ポルトガは後でいいって!」
「感情論排除」
チッタの声にすかさずカッツェがこたえる。チッタはむぅ、と頬を膨らませた。
「王様の気持ちが変わる前に胡椒を届けたほうが良くないですか?」
「イシスの女王様から便宜を図ってね、って頼まれてるんだよ? ここで言ったことを覆したら、色々問題あるんじゃない?」
「足元見るなよ」
チッタの主張にカッツェが苦笑する。「でもそうでしょ?」という反論には、カッツェは笑いながら頷いていた。

「ダーマ、行こう」

私はぽつりと言う。
「リュッセはずっとダーマに行ってみたいって思ってたんでしょ? だったら折角近くに居て、行けるチャンスがあるんだから、行かないと」
「僕は別に」
「後悔しないためにも行こうよ。私はお父さんの情報集めるときに何回も皆に我侭聞いてもらったし、チッタだってノアニールとエルフの村のとき主張が通ってるし、カッツェもカンダタのことに決着ついたし……まあカッツェのは私たちは勝手についてったんだけどさ、でも、こうやって考えたら私たちは皆大体、これまで一回くらいは我侭とおしてきたんだよ。でも、リュッセは何にも言ってない。一回くらい『こうしたい』って言ってもいいよ」
リュッセは困ったように私の顔を見た後、チッタとカッツェの顔を見た。
「んー、まあ、そういわれればそうだよね。リュッセ君は賢者になるのが夢なワケだし。近くに居るのに行かないのは後悔の元だよね。それにポルトガ行きも遅くなるし」
「アタシもそれでいい。やれるときにやれることをやったほうがいいさ。船を手に入れたら、こっちのほうへは来ないかもしれないんだし」
「後悔はしちゃ駄目だよ」
リュッセは暫く黙って、自分の指先を見つめたり、天井を見上げたりしていた。随分迷っているようだった。
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
リュッセはそういうと、私たちに深々と頭を下げた。

「ダーマ神殿へ、行かせてください」


話がまとまると、準備は早かった。
荷物を持って、必要なものだけ買い足してから、グプタさんとタニアさんに挨拶をしてから街をでる。
目指すのは街から北東にあるダーマ神殿。地図で見る限り、凄く遠いわけではない。
「案外早くつけるかも知れないね」
「早く着けても、すぐに希望がかなうとは限りませんよ」
「でも、スタートが早ければ、ゴールも早いよ」
チッタがリュッセを見る。彼は頷いた。
「まあ、せいぜい頑張ります」

バハラタの街から東に進む。
川を越えて、洞窟があった森を左手に見ながら暫く東を目指すと、やがて半島の東端に出た。地図から言えば、この海岸線に沿って、森をぬけつつ北に行けば、やがてダーマ神殿が見えてくるはずだ。
カンダタの居た洞窟は、ココからだともう西側になる。
時折襲い掛かってくる魔物は、バハラタの西にある草原とここでは随分強さが変わってくる。ダーマにはある程度力のある人しか行けないように、こんな場所に造られたのかもしれない。
何回か夜営をしながら私たちは確実に北へ進む。
森をぬけて、山道をずっと進んでいくと、やがて遠くに木々に囲まれた建物が小さく見えてくる。
「あれかな?」
「そうかもしれないね。森の中だとか言ってたし」
目的地が見えてくると、疲れていても足取りは軽くなる。新しい、知らない土地なら期待もあってとても嬉しい。
遠くに建物を見ながら歩くようになって、半日ほど。
その間にどんどん建物は大きく見えるようになってくる。
「いよいよって感じがするね」
なんてチッタの声も弾んでくる。

ダーマは古めかしい石造りの、かなり大きな神殿だった。
正面の入り口は大きな扉で、まだ中がどうなっているのか分からない。入り口には男の人が立っているのが見える。
正面入り口から見て右手側には、小さな二階建ての建物があって、そこが宿屋になっていた。
ダーマはその二つの建物しかなかったけど、何に驚いたって建物の外回りも、かなりの範囲にわたって石畳が作られていたってこと。
これまでの街や村にも、石畳の道はあったけど、所謂「庭」にココまで力を入れた建物を見るのは、お城以外では初めてだった。
「凄い建物だね、何か『他所とは違います!』ってアピールしてるよね」
チッタの言うとおり、確かに神殿はとても神秘的だった。少し古ぼけているところが、歴史を感じさせる。とても静かで、荘厳。
「なんか、そりゃこんなところなら修行だってできるよね」
「凄い力とか身につけちゃいそうだよね」
「そのために来たんだろう?」
チッタと私の会話にカッツェは突っ込みつつ、神殿を見上げた。
「まあ、確かに、何か底知れない感じはするな」
60■ダーマ神殿 2
神殿の中は、正門から奥に向けて石造りのがっしりした柱が等間隔に並んでいて、とても広い。入り口側の前半分はほとんど広場と言っていいようなスペースで、柱だけが立っている。そこでは何人かの人が思い思いの場所で座って瞑想をしていたり、素振りをしたりと修行らしいことをしていた。
「リュッセ君もあんな感じに広場に座り込むわけ?」
「さあ? どうなんでしょうね?」
なんか見世物みたい、とチッタは言いながらリュッセを見上げる。リュッセは苦笑して首をかしげた。確かに、今現在、まだこれからどういうことになるか全然想像がつかない。
話しかけて邪魔をしても悪いから、そのまま柱の間を進んでいく。奥は左右にいくつか部屋があって、中央に数段高い祭壇のような場所があった。上っていくと、祭壇には炎が焚かれていて、とても綺麗な法衣を着たお爺さんが立っていた。
「転職を希望するものは?」
お爺さんが鋭い目をこちらに向ける。全てを見透かされているようで、何だかちょっとドキドキする。
青い、透き通った、でも深い色の目。
「僕です」
リュッセが少し緊張したような声を上げて返事をした。
お爺さんはリュッセを頭から足までゆっくりと見て、その後首を横に振った。
「お前はまだ、僧としての経験が十分ではない。転職は許されない」
「……」
リュッセは言い返すことができないで、ただお爺さんを見ている。
「どのくらいで十分って判断するの? リュッセ君、回復魔法とかちゃんと使えるし、わたしたちはとても心強いんだけど」
チッタが思わずお爺さんに反論する。
「十分ではない」
お爺さんは冷たく答える。
「あと、何年くらいでしょうか」
リュッセが漸く声を取り戻す。
「経験は年月だけではない。年月に裏打ちされたものもあるだろうが、それだけではないのだ。この意味が分かるか」
「……確かに、アリアハンを出るまでの19年間と、旅立ってからの時間では、圧倒的にアリアハンのほうが長かったにも拘わらず、魔法の力が増したのは旅立ってからでした」
「良い答えだ。今一度、経験をつみなさい」
「どのくらい経験をつめば賢者になれますか」
リュッセは真っ直ぐな瞳でお爺さんを見た。
お爺さんは少し驚いたのか、目を見開いてリュッセを見つめる。
「そうか、お前は賢者になりたいのか。そういう希望を持った者の訪問は久しぶりだ」
お爺さんはそういうと、少し笑ったようだった。
「ココから山を越え、北に向かうと、湖のほとりにガルナの塔と呼ばれる塔が建っておる。賢者になるものはそこへ行き、瞑想し、書をとってくるのが慣わしだ。行けるか」
「行きます。……一人ででしょうか」
リュッセの質問に、お爺さんは初めて一緒に居る私たちに目を向けた。
カッツェ、チッタ、そして私とゆっくりとした時間をかけてじっと見る。
「ほう、ほう。なかなか面白くも不思議な運命の持ち主よ。……本来ならば一人で行くものなのだが、塔へ行くことは全ての者に経験となるだろう。全員で行くことを許可する」
「誰の運命がそんなに面白くて不思議なの?」
チッタが尋ねると、お爺さんは目をすっと細めた。
「全てだ。一人ひとりとしても、全体としても、面白くも不思議な運命を持っておる。お前たちはこの世界で様々なものを見、体験し、そして力に変えるだろう。その中にはガルナの塔も含まれる。やがて光に近づくのだ」
「……豪華な運命だ」
「では、行くが良い」

「そういえば似たような話、イシスでも聞いたよね」
とりあえず、ダーマ神殿の外にある宿に部屋を取って、今後の作戦を練ることにした。
「そういえば、そうだ。皆買いかぶりなんじゃないかなあ」
「でも、オルテガの娘だとか言ってないですよ、今回は」
「むー」
「まあ、ともかく、これからのことだ。北の塔だったな」
「そうだよ、むしろソレだよ。塔なの! ううう、ずっと先の不思議な運命より、すぐそこの塔が今はむしろ大問題!」
「リッシュ、取り乱しすぎ」
「そもそもは一人で行くべきところみたいですし、僕一人でも」
「それはちょっと嫌。力になれるなら、なりたい」
「高いところではリッシュは足を引っ張る可能性が高いよ」
「それはそうなんだけど」
私はぼそぼそと返事をする。
「でも、リッシュは僕よりよほど戦いの腕が上なのは間違いないですし、一緒に行ってくださるなら、それは心強いです。カッツェも塔や洞窟の探索ではエキスパートですし、チッタのように広範囲の攻撃魔法はほとんど操れませんから、来ていただきたいのは本音ですね」
「リュッセ君てば正直者」
「じゃあ、一緒に行くか。宝があるかもしれないし」
「姉さん、今回はウソでも『リュッセのために一肌脱ごうじゃないか』とか言わなきゃ」
「ウソでもか。宝は二の次だぞ、今回は」
「そういうのは先に言っとかなきゃ」
61■ガルナの塔へ
ダーマ神殿を出て北に向かう。
神殿の北は山道が続いていて、東西には高く聳え立つ岩の山脈が見えている。岩の山脈にはさまれて、細長い土地をしているわけだ。地図で見てみると、大地は北に暫く細長く伸びて、最終的に大きな湖にたどり着く。その先にももちろん陸地はあるけれど、今の私たちにそっち側に行く手立てはない。ただ、「まだまだ世界は広いんだな」という実感だけだ。
ダーマ周辺も、聖なる神殿とはいえもちろん魔物は出る。ギラやベギラマを使う大きなヤギだとか、アッサラームの近所に出た大猿の、もっと力の強いやつだとか。幻術を使う魔物の呪文にカッツェが思いっきり引っかかって、私に向かってきたときが実は一番怖かったけど、それはまあ、黙っておく。

北に向かう最中、スライムが出た。
と、言ってもソレはアリアハンで見慣れた青い体じゃなくて、太陽の光を反射する金属の体を持っていた。そして物凄く素早く動いて、結局であった瞬間に逃げられた。
「……今の何」
「スライム」
「いやそれはなんとなく見て分かるけど。スライムだった?」
「金属色に光るスライム」
「うん、まあ、そうなんだけど」
結局その時は全員呆気にとられたのは事実で、何だかよく分からなかった。
が、奴は二度目も現れた。
今度は不意をついて先制攻撃でギラを唱えて逃げていった。
「今のはさっきのメタルなスライム」
チッタが逃げていく後ろ姿を見つめてぼそりと呟く。
「逃げ足速いですね。あれ、現れてはギラを唱えて逃げていくことによって、相手へのダメージを蓄積して、やがて敵を倒すっていう遠大な計画なんでしょうか」
リュッセがホイミを唱えながら言う。
「ちまちまとセコイことだ」
カッツェがため息をつく。
「でもちょっとむかつくよね。あいつ逃げるとき笑わなかった?」
「気のせいだよそんなの」
チッタを宥めながら私は笑う。

が。

三度目にあれが現れて逃げていくとき、私たちは確かにヤツが笑うのを見たのだった。

「やっぱり笑ってた」
「笑いやがったな」
「うん、笑ってた」
「ええ、笑ってましたとも」
一緒に出てきたヤギからはベギラマを喰らったし、結構こっちはボロボロだったことも手伝って、何だかとっても腹立たしかった。リュッセのべホイミで傷を治してもらってから、私たちは低い声で言い合う。
「今度でたらヤツを真っ先にたたっ切ろう」
「笑ったことを後悔させてやるってことだね姉さん」
「魔法は効きそうな感じじゃなかったよね、チッタも殴って」
私たちはお互い大きく頷きあう。

今に見てろよメタルスライム。

そしてヤツはまたもややってきた。
ギラを唱えた後の隙を狙って、まずカッツェがナイフで切りつけた。金属同士がぶつかる、甲高い音がした。
「効いてるのかどうかわからん!」
カッツェがいらいらした声で叫ぶ。たしかに、今の音ははじかれた音にも聞こえる。相手の体は傷一つない。
次のリュッセの攻撃は相手に避けられた。やっぱり素早いんだ、あいつ。
次に動いたのはチッタだった。カザーブで、カッツェがどこからともなく手に入れてきた毒針を持っている。確かに、ああいう感じの体だったら、切りつけるより刺したほうが効きそうな気はする。
「えい!」
あんまり戦い慣れてないチッタの、ちょっと気合の足らないような声。それとともに針が振り下ろされる。
意外にもソレはきちんと相手の体に突き刺さって、そして。
魔法生物らしくスライムは形を保てなくなってしゅるりと大地に融けていく。
「あれ? 倒した?」
「ナイスファイト!」
一番ビックリしているのは実はチッタ自身で、自分の手やら、メタルスライムが解けていった地面やらを見比べている。
「倒せちゃうと呆気ない感じだね」
「でもちょっと素早い動きについていけるようになった気がする。その分だけ強くなった、かな?」

その後も何回かメタルスライムに襲われたり逃げられたり倒したりしつつ、北に向かう。2勝7敗くらいだった。逃げられてばっかり。

そんなこともありつつ、北に向かう。
長く続いた山道の終わりに、塔が見えてきた。
塔は大きな湖をバックに、聳え立っている。遠くから見ると、丁度湖面が光を反射してキラキラ光っているのも手伝って、とても神秘的な塔だ。でも、上のほうは亀裂が縦に走っていて、そのせいで左右に分かれている。少し崩れたようにも、建設途中で作るのをやめたようにも見えた。
「アレがガルナの塔……」
リュッセが呟くのが聞こえた。
「嬉しい?」
「そういうのを感じるのは、もう少し先でしょう」

近づくにつれて、塔の様子だ分かってきた。
ガルナの塔はかなり古いようで、地面に近い壁は苔むしている。あちこちに蔦も絡まっていて、これまで見たことのある塔とは雰囲気が違う。
「何かいかにもそれらしい! って感じ。やる気出るよね」
チッタが塔の上のほうを見上げてわくわくしたような声を出す。
「でも宝にはあんまり期待はできなさそうだ」
「だから、リュッセ君のために一肌脱ぐんだって! 賢者の高みに近づくための塔! 苔むして蔦が絡まって霧がたちこめて雰囲気抜群!」
「最後のほうはなんとなくホラーにも適用されそうな単語でしたね」
リュッセが苦笑する。
「ああ、塔……でもがんばる……リュッセのために」
私は少し重い気分で呟く。
「ありがとうございます」
リュッセがぽん、と私の肩を叩いて少し困ったように笑った。

この時はまだ知らなかった。
というか知っていたら絶対登れなかった。
そう。
この塔はリュッセへの試練というよりは、むしろ私への試練だったといっても過言ではないような塔だったのだ。
62■ガルナの塔 1
塔の入り口は開け放たれていた。
開かれた扉は、随分雨風にさらされているのか、朽ちかけている。苔むしていて、動かしたら確実に壊れる。そんな扉だった。
中に入ると、天井が高い。茶色のレンガが敷き詰められた床と、灰色がかった白っぽい壁。柱が左右に並んでいて、正面の部屋まで続いている。まるでその部屋まで案内するための通路のようにも見える。エントランスの左右にも部屋があって、それぞれの内部は暗くてココからでは良く見えない。エントランス部分の床には何かの紋様が描かれていたみたいだけれど、ここも雨風にやられたのか、半分はかすれていて元はどういうものが書かれていたのかよくわからない。入り口近くには灯りのためか火が焚かれている。誰かがこの中で暮らしている、ということだ。
ダーマのお爺さんの話では、賢者になりたい人はココで瞑想して書物を持ち帰るというしきたりがあるってことだったから、そういう賢者志望者の人が今まさにここにいるんだろう。
「中も雰囲気抜群だねー、これはもう悟っちゃうしかないって感じ」
チッタは感心したような表情で床の模様を見たり、天井を見上げたりと忙しい。
「アンタは悟りからはかけ離れて見えるよ、アタシには」
カッツェがチッタに苦笑しながら言う。チッタはむ、と頬を膨らませた。
「そんなことは! ……ないんじゃないかなあ」
「断言しなよ、そこは」
私は思わずため息混じりにチッタに言う。チッタは気にしているのか居ないのか、そこでくるりと一回転して見せた。長いスカートが翻る。
「わたしは今のままでいいの。リュッセ君みたいにさらなる高みにのぼるのも良いし、尊敬する。できたらチャレンジしてみたい、とも思う。けどわたしは魔法使いとしての高みに上りたいから、いいの。リュッセ君のいく道は、僧侶も魔法使いもこなす道。わたしの行く道は魔法使いを極める道。別なんだからいいの。わたしはそういう意味ではちゃんと悟ってるのー」

そんな話をしつつ、塔をすすむ。
塔の一階には旅の扉と、階段が二箇所。けど、どの方法も先は行き止まりになっていた。片方の階段はどうやっても先に進めないような広くて大きな割れ目の向こうに宝箱があるのが見えてとても悔しい思いをしたし、旅の扉の先の小部屋のお爺さんには「じゃまするな!」とまで言われる始末で、ちょっと途方にくれる。流石に「悟るための塔」というだけあって、一筋縄ではいかない。
「全部見て回ったよね? どこか見落とした?」
「外にいけるようになってましたから、そちらも確認しておきましょう」
リュッセの言うとおり、塔の一階、入り口から一番遠い場所にも出入り口があって、そこから外に出られるようにもなっていた。ただ、そちらは後回しにした。普通は塔って、内部完結してるものだから。
「まあ、ためしに色々行くものいいかもな」
カッツェも頷く。これで方針が固まった。
裏口から出ると、左手側に塔に比べると随分細い、けど柱とはいえない円柱形の建物があった。せいぜい二階建てというくらいの高さで、屋根に相当するだろう場所から太目のロープが塔に向かって張られていた。ソレは地面と水平で、猛烈に嫌な予感がする。
「あれ、渡れってことかな?」
「……そうかもね」
チッタがぽん、と私の肩を叩いて首を力なく横に振った。

予感はまさに的中で、円柱形の建物の二階、つまりは屋上には見事に何もなく、ただ塔に続くロープだけが張られていた。向かいに建つ塔の壁は、ご丁寧にもロープの到達点だけは壁がなく、何処かの部屋に繋がっているのだけが見える。つまり「先へ進みたくばこのロープを渡って来い!」ということだ。さすが悟りを開こうって塔だけある。一筋縄ではいかない。というかもっと穏やかに悟ってもいいんじゃないかなあ。
ロープはまず最初にカッツェが渡った。真っ直ぐ前を見て、カッツェはすたすた渡っていく。見ている間に危なっかしいことは一度もなく、難なく塔にたどり着いていった。
「いいかー! ともかく前だけ見てあるいてこーい!」
向こうのほうから声がする。
「どうします? 先に行きますか? 後からにしますか?」
リュッセが私を見た。
「もちろん、ココで待ってるという選択肢もありますけど」
「行く! 行くよ! 一人でココで待ってるなんてソレはソレで怖いよ!」
「で? 順番どうします?」
「もう行く! 先に行く! 二人は綱渡り経験は!?」
「ありませんよ、そんなの」
「ないよもちろん」
叫ぶように言うと、リュッセもチッタも困惑したような顔で答える。
「何でそんなに落ち着いてるのー!?」
「え? 楽しそう」
なんてチッタが平然と言う。
「まあ、何事も経験ですよ。多分落ちても死にません」
「二人とも絶対変だよ」
私は言うと、ロープの前に立つ。綱渡りなんて、人生でチャレンジする日がまさか来ようとは。
バランスを取って、ゆっくり歩いていく。言われたとおり、なるべく前を見て、前だけを見て、そーっとあるく。風がないからか、それともロープが太いからか、全然違う理由があるのか、その辺は分からないけど、ロープがあまり揺れなかったから時間はかかったけど、私は向かいの塔にたどり着く。疲れきったけど、何とかなってよかった。

……ちなみにリュッセとチッタは私の半分以下の時間で塔にたどり着いた。
なんだかとても悔しい。
63■ガルナの塔 2
たどり着いた部屋は何もない小さな部屋で、ただ下りの階段だけがあった。つまり、ガルナの塔本体の1階に戻ることになる。
「また1階に戻るの? 何にもなかったのに」
チッタがうんざりした口調で言うと、カッツェは笑った。
「いや、場所から言ってココは普通に入った1階の、壁の向こう側になるはずだ」
「え?」
「最初にでかい入り口から入って、右手側の通路を歩いたろ? で、奥側の裏口から出た」
暫く考えて、その通りだったから頷く。隣でチッタも真剣な顔をして頷いている。
「外に出てちょっと進んだところにさっきの小さな建物があって、そこから塔内に戻ってきたわけだ。立地的には、通路の外側だろ?」
カッツェは床に簡単な地図を書きながら説明する。地図を見ると、さらによくわかる。
「今のところ、1階は右手通路外側と、中央部が全くわからない状態だ。とりあえずこの階段を下れば不明点が減る」
「そうですね」
リュッセが頷いた。
「お前説明聞かなくても大体わかってたな?」
「ええ、まあ」

階段を下りると、少し広めの部屋に出た。部屋の隅っこに旅の扉が設置されている。部屋に窓はないけど、旅の扉から沸きあがる光で十分明るかった。何もなくて旅の扉だけある、入り口近くの部屋と似たようなつくりだ。この旅の扉は塔の中だけを移動するように作られているんだろう。あちこち塔の中を飛ばして、方向感覚をなくさせるための罠なのかもしれない。
「まあ、一本道だし悩んでいても仕方ないね。進もうか」
たとえソレが罠だとしても、結局進むしか選択肢はないわけで、私たちは旅の扉をつかって先に進む。たどり着いた場所は部屋ではなくて、通路と言うほうがいいような場所だった。細い通路の行き止まりに、私たちが使った旅の扉が設置されている。そこを背にして立つと、正面は暫く行くと行き止まりで上り階段がある。途中十字路になっていて、その左右に走る通路も細くてすぐに行き止まり。同じように上り階段があるのが見えた。
「どの道行く?」
「じゃあ、右手から順番に」
全ての階段をとりあえず上って、どうなっているのかを確かめてみる。
旅の扉の反対側の階段は大きな部屋に、あとの二つは小さな部屋に繋がっていて、また階段があった。小さい部屋のほうから順に確かめてみると、最初の階から2つ上ったところで行き止まりになっていた。どちらも宝箱がおいてあって、いくらかのお金を手に入れた。カッツェはとりあえずソレで元をとったつもりになる、と宣言してチッタにまた「だからリュッセ君を助けようの会だってば」と訂正されていた。
なんだかちゃんと進めている気が全然しない。

今度は大きな部屋のほうを見てみることにした。大きな部屋といっても、他の二つに比べて大きいだけで、実質はそんなに大きいわけでもなく部屋は見渡すことができる。登ってきた階段を背に立つと、丁度部屋の左右に上りの階段がある。それ以外には何もない。いつもどおり右手側に進んで、階段を上ってみたけどそちらはどうやらはずれだったらしくて小さな行き止まりの部屋にたどり着いただけだった。
「はずれだったね」
「何でこんなに袋小路ばっかりなの!? 嫌がらせ!?」
私が力なく笑うと、チッタが耐えかねたのか叫び声をあげる。
「やっぱりお前は悟れないタイプだよ」
そんなチッタを見て、カッツェがため息をついた。

もう一方の階段を上ると、狭い部屋に出た。すぐ目の前に上り階段がある。階段を上ったり降りたりしなきゃ駄目だし、行き止まりも多いし、旅の扉で現在地は分からなくなるし、綱も渡らなきゃいけないし、賢者になるっていうのは本当に大変なことだ。そう思ってリュッセを見たら、何だかとても生き生きと嬉しそうな顔をしていた。やっぱる当事者ともなると「近づいているんだ」って意識があるのかもしれない。
「楽しい?」
「ええ」
思わず尋ねると力いっぱい肯定されて、なんだかちょっと不思議な気分になった。

目の前の階段を上がると、再び小さな部屋に出た。形こそ違うけれど、やっぱり目の前すぐに上り階段がある。今どのくらいの高さなんだろう。窓は明り取り用の小さなものがあるだけで、あまり外は見えない。おかげで高さが全く分からない。ありがたい話だ。けど、少なくとも旅の扉を抜けてから4階分は上ってきているはずで、かなりの高さに到達しているはずだ。
……考えるの、よそう。
カッツェに続いて階段を上って、私は再び硬直する羽目になった。

正面に壁がない。綺麗な青空が広がっている。そしてその壁のないところから、向かい側に向かってロープが一本。
「……ああ、流石に参りましたね」
背後でリュッセの声がしたのを、私は呆然と聞くしかなかった。

死ぬ思いでそのロープを渡ったにもかかわらず、向かった先にあったのは階段とその次の行き止まりの部屋で、まあその部屋では凄く綺麗な銀製のティアラなんか手に入れたりしたんだけど、そんなことは瑣末なことで、つまりリュッセの探し物はなかったわけで、だったらロープを渡った私の根性とか覚悟とか返して欲しい気分で一杯になった。神様私のこと嫌いなんですか。

「しかし、参ったな。塔のいけそうなところは全部まわっちまったよ」
ロープの先の、小さな行き止まりの部屋でカッツェは今までの地図を見ながら爪をかむ。確かに、地図は見る限り完結した感じがする。
「あの爺さんがガセをつかませたとは思えない。悟りの書ってのが本以外の形態してないかぎり、見落としようがないと思うんだが」
「書って言うくらいだから本だよ」
私が言うと、「まあ、そうだろうけどさ」とカッツェは答える。それからまた地図に目を落とした。
「何処かに隠し通路とか隠し階段とかあったのか? でも、それだとしてもそんな空間もうなさそうなんだが」
「一回戻りませんか」
「なんで!?」
リュッセの提案に私は思わず悲鳴めいた声を上げる。見つかっては居ないけど、とりあえずここに居ても仕方ないからリレミトで脱出するつもり満々だったからだ。
「ちょっと……気になる場所がありまして」
「調べてみたいんだ」
「ええ、まあ」
チッタの質問にリュッセは頷く。
「じゃあ行こうか。今回はお前が主役だ」
カッツェがリュッセの肩を叩いて立ち上がる。
「すみませんね、リッシュ」
「……いいよ……がんばる」
私はリュッセと目を合わせないようにしてぼそりと答えた。

帰り道もあのおっそろしいロープを渡りきることができて、私は胸をなでおろす。先に渡りきっていたカッツェに「よくやった」なんて褒められてちょっと嬉しい。単純なのかもしれない。後はリュッセとチッタが渡ってくるのを待つだけ。二人とも高いところは平気だし、バランス感覚もいいから安心して待っていれば大丈夫。

リュッセが渡り始める。
彼は暫く進んだところで、立ち止まって私を見た、様な気がした。

「      」

何か言ったのか、口が動いているのが見える。
そして。



リュッセはロープから落ちていった。
64■ガルナの塔 3
瞬間。
無音。
全身の血が止まったような感覚。
そのあとぞわりと背中を冷たいものが走っていく。
何。
今。
起きた?
がくがくと奥歯が鳴る。
「あんの馬鹿! 自分から落ちやがった!」
カッツェの舌打ちと苛立ちの声。
へなり、と座り込む。
そこから這って壁のない床ぎりぎりのところまで行く。
深呼吸。
どうか。
生きていて。
そっと覗き込む。
ロープの下には塔の屋上。
平らな床。
真ん中あたりに大きな亀裂がある。
リュッセは倒れている。
亀裂に落ちなくて良かった。
でも動かない。
動かない。
何。
何で。
がくがくと体が震えるのが分かる。
初めて魔物と戦ったときの、何倍も怖い。
向かい側のほうで、チッタが同じように下を覗きこんでることに漸く気付く。
リュッセ。
何で。

「ともかく見に行こう。何だってんだ全く!」
カッツェはそういうと、ロープを持って私を見た。
「お前どうする。行くか」
「どうやって?」
「とりあえずあの馬鹿が落ちたあたりまで行って、そこからロープで降りる。1階分とはいえ、民家で言えば2階分くらいの高さあるからな。用心していく」
「……行く」
私はのろのろ立ち上がる。
「しゃっきりしな。二の舞はごめんだ」
「うん」
私たちがロープで降りるのに気付いたのか、チッタもロープを渡り始めた。ほぼ中央でチッタと合流する。それでもロープはきしまない。風雨にさらされているはずだから、何か特殊なものなんだろう。
「何でリュッセ君落ちたの!?」
「知るかよ本人に聞け!」
チッタは合流したとたん言う。カッツェがいらいら返事をする。
その間も私は口が利けないままだった。

ロープを伝って降りていくと、意外にもリュッセは起き上がっていて、べホイミでも使ったのか怪我一つない状態で私たちを待っていた。ほっとして、私は屋上に座り込む。
「お前はー! 何やってんだ全く!」
「や、すみません」
「もっと誠意ある謝り方してよリュッセ君」
「すみませんでした。……でも塔の中央に行く方法ってこれくらいしか思いつかなくて」
「だったら言えよ! 勝手に落ちるな! 心配かけるとか思わなかったのか!」
「ソレじゃなくても高いところで固まってるリッシュに飛び降りてくれとはいえないでしょう」
「色々方法あるんだよ!」
「そうみたいですね」
リュッセは頭上のロープから延びる、私たちが降りてきたロープを見て苦笑した。
「このくらいの高さなら、落ちてもだいじょうぶかな、と」
「思っても実行すな!」
カッツェがリュッセに軽くパンチしながら言う。まったくだ。カッツェはもっとリュッセに言ってやってもいい。
思いながらそろそろと立ち上がる。高いところから屋上まで降りるのも怖かったけど、今居る屋上もかなり高くてしかも手すりなんかもなくて、気をぬいたら落ちるようなつくりになっていて、つまり凄く怖い。中央付近だからまだいいものの、端っこなんか絶対いけない。そんな中をカッツェはあちこち歩いていて、はっきり言ってみてるのも怖い。
「下に降りられそうだ」
亀裂を覗き込んでいたカッツェが、そんなことを言いながら戻ってくる。
「お前、当たりかも知れないぞ」

ロープを使って、亀裂から下におりると、今までで一番広い部屋にたどり着いた。ただ、広いだけで何もないのは変わりなく、がらんとした部屋に下り階段があるだけだった。他にいわくありげなものは何一つない。壁に絵や字が書かれているわけでもなければ、本棚があるわけでもなかった。
「はずれ?」
チッタが首をかしげる。
「まだ下り階段があるよ」
私が階段を指差すと、「高さがなくなるととたんに元気だよね」とチッタは苦笑した。
階段を下りると、またぐるりと壁のない階にたどり着いた。最初の屋上に比べればはるかに高さは低い。といっても、まだ高いのには変わりなく私はまた足がすくんでしまう。壁が多少でもあればまだ平気なのに。何で世界には壁のない高い場所っていうのがあるんだろう。塔をつくった人は何考えてたんだろう。高いところが平気な人ばっかりじゃないって分かってたんだろうか。普通高いところ嫌いな人は塔に登らないのか。
ただ、やっぱり考え方としてはあっていたみたい。宝箱が置かれているのが見える。あとはやっぱり取り立てて何があるわけでもなく、床には亀裂があるくらいだった。また高いところから降りるのかとおもうとぞっとする。
「ここ、2階だね。あの亀裂のむこうにくだりの階段が見えるもん。最初に上った階段、確か亀裂の向こうに宝箱が見えたでしょ」
横でチッタが向こうを指差す。言われてみれば確かにそうかも。
「2階だよ。それでも駄目?」
「せめて壁がちょっとでもあったらマシなんだけど」
「そうかー。高いの苦手なのも大変だね」
私が階段からほとんど離れられないで居る間に、リュッセがカッツェに促されて宝箱を開けた。
暫く彼は宝箱の中をじっと見つめていて、動かない。
それからゆっくりと中のものを取り出して、私とチッタが居るほうへ戻ってきた。
「ありましたよ」
そういって見せてくれたのは、一冊の本だった。古ぼけてはいるけど、思ってたほど分厚くはない。リュッセはぱらぱらとページをめくって中を確かめ、それから苦笑した。
「ああ、これはちょっと大変かもしれない」
中は見せてもらえなかったから、どうなってるのか良く分からない。
「なんにせよ、これで願いはかなうわけです。ありがとうございました」
リュッセは全員に向かって頭を下げた。
「それじゃさくっと願いを叶えに行こう!」
チッタは笑うと、塔から出るためにリレミトを唱えた。
65■悟りへ至る道
ダーマに戻って宿で一度休んでから、神殿に入る。
相変わらず色々な人が瞑想したり戦う練習をしたりしているなか、一番奥の祭壇まで歩く。祭壇にはこの前と同じ、綺麗な法衣を着たお爺さんが立っていた。
「転職を希望するものは?」
相変わらずの鋭い目がこちらを見る。
「僕です」
前と同じやり取りで、リュッセが小さく手を挙げる。お爺さんはリュッセを見て鋭いその目を少し細めた。暫くじっとリュッセを見ていて、やがて少し笑った。
「お前か。先日ガルナに向かったのであったな。どうだ。書は手に入れたか」
「はい」
リュッセがガルナの塔で手に入れた本を見せると、お爺さんは何度か重々しく頷いた。
「よろしい。僧としての経験もちゃんとある。では賢者への修行を認めよう」
「修行?」
私が思わず聞き返すと、お爺さんは「左様」と言って頷いた。なんとなく「何を言ってるのだこの娘は」というような呆れた顔をしているようにも見える。
「この祭壇へ来るまでの道で、様々な者たちが修行をしている様子を見たであろう? そうやすやすと新たな能力は得られない。お前たちとて、それぞれ僧であるとか魔法使いを名乗るようになるまで、様々な経緯・鍛錬があったであろう。それと同じだ」
「あ、そうか」
私は頷く。
「さて、今までの経験は失われはしないが、賢者としての修行はまた1からの出直しとなる。それでもお前は構わないか」
「構いません」
リュッセは真っ直ぐお爺さんを見て頷いた。
「よろしい、では……」
お爺さんの声に合わせて、別のお爺さんが祭壇に近づいてきた。そして祭壇の下で恭しくお辞儀をした。
「あの者についていき、修行の間へ行くと良い。賢者の修行は他とは少々違うのでな」
「分かりました。ありがとうございます」

リュッセがお爺さんについて神殿の奥へ行くのを見送ってから、私たちはお爺さんに向き直る。
「あの修行って、どのくらいで終わるんですか?」
「不定だ」
「え?」
「悟りを開くまでの時間は人による。賢者を志し、数十年かかっても未だその高みに至らない者も居れば、たった1月でその高みに達する者も居る。アリアハンの塔の賢者は1ヶ月かからなかったと聞く。私は半年程度であった」
「……リュッセ君、いつ出てくるかな」
チッタが引きつった笑いを顔に浮かべる。
「いつまで待つかは決めたほうがいいな」
カッツェも流石に困った顔をした。
「いつ出てくるか、分からないですか? お爺さんは私たちの未来を予言したじゃないですか」
お爺さんは暫く私をじっと見て、やがて息を吐いた。
「不定なのだよ。大体の者にはどのくらい修行をすればよいか言える。お前の言うように、未来がなんとなく見えるのでな。しかし……彼は不定なのだ。短期間で終了する未来も、長期間かかっても終わらない未来も、どちらも見える。その死すら見える」

死!

私たちは思わず顔を見合わせる。
「え、し、死んじゃうの!?」
「不定だ。時折こういう不定のものが居る。珍しいことではない」
「いやいやいや、お爺さんに珍しくなくても、わたしたちには一大事なんだけど!」
「死ぬと限ったわけではない。短い修行で終わる可能性もある」
「短い場合はどのくらい?」
「1ヶ月半ほどだ」
「待つしかないのか?」
「左様」
「じゃあ、待つ」

私たちはお爺さんにお礼を言って宿に戻った。なんとなく足取りは重かったし、宿についても暫く誰も何も言わないで、ぼんやりと思い思いの場所に座っているしかなかった。
「さて、どうする。1ヶ月半待つんだろう?」
「うん。……ホントは出てくるまで待ちたいけど……ポルトガの王様に胡椒届けないといけないし、そもそも魔王を倒す旅だし……目的見失うわけには行かないよね……」
カッツェの言葉に私はぼそぼそと返事をする。
「きっと大丈夫だよ。リュッセ君アレで結構しぶといというか図太いと言うか、ともかく精神的に強いのは間違いないから、きっと出てくるの早いよ!」
チッタが言いながら私の背をぽん、と叩く。
「だからそんな泣きそうな顔しないの!」
チッタの言葉に私は頷く。

そうだ。
信じて、待ってなきゃ。

長い1ヵ月半が始まった。
66■覚醒
先にポルトガに胡椒を置きに行くのも、なんとなく気が引けるし、かといって無意味に1ヵ月半ぼんやりしているのも勿体無い。ということで、私たちはダーマ神殿の周りに生息する魔物を退治する仕事を引き受けて、宿代をお安くしてもらいつつリュッセが出てくるのを待つことにした。
ダーマは様々な人が修行しているだけあって、その周辺の魔物退治にも結構な人が参加している。結果、その人たちは強くなるし、夢を抱いてやってくる人の安全にも繋がっている。なかなか上手くできたシステムだと思う。
最初の頃はリュッセの回復魔法がないまま戦うのは不安だったけど、戦いと戦いの間に私が魔法を使えば何とかなることが分かった、けど、途中からは僧侶志望のお姉さんが参加してくれて戦いはスムーズになって、やっぱり回復魔法を戦闘中に使えることは安定につながるのだと気付かされる。早く戻ってきてリュッセ。

そんなこんなでそろそろ5週間がたとうかというある日の朝、私たちは部屋をノックする音で目を覚ました。
半分以上寝たままの頭で何とかドアを開けて応対する。ドアの外にはきちんとした法衣を着たまだ若い女の人が立っていた。
「なんですかぁ?」
声も半分以上寝ているのを自分で自覚しつつ、とりあえず尋ねる。
「お連れの方の入られた悟りの間に、変化がありました。もうすぐ出てこられるかもしれませんので、もし立ち会うのでしたらご準備ください」
目が覚めた。
慌てて部屋の中を振り返ると、ベッドの中で半分以上寝ていたはずのカッツェとチッタも完全に目を覚ましたようだった。
「じゅ、準備出来次第、向かいます! どこへ行けばいいですか!?」
「こちらの廊下でお待ちしておりますので、ご準備が整われましたら声をおかけください」
きちんとした女の人はそういって頭をさげると、音もなく廊下を端っこまで歩いていったそこで立ち止まった。どうやらあの位置で私たちを待ってくれるつもりらしい。
「用意しなきゃ!」
お互い頷きあいながら、慌てふためいて準備をする。とはいっても、荷物はこのまま置いていけるシステムだし、着替えて顔を洗うくらいの話だけど。
何とか準備をして廊下に出ると、きちんとした女の人は足音もなく歩き始めた。それに続いて私たちはぞろぞろと歩く。女の人は早足なのに、足音が本当にしない。長いスカートの中は、実は宙に浮いているんじゃないだろうか。そのくらいウソみたいに音がしなかった。

神殿の中は早朝で、流石に人はまばらだった。奥のほうには祭壇が見えて、いつもの僧衣のお爺さんが立っているのが見える。遠くからだけどとりあえず会釈をしておいた。気付いたかどうかは別の話だ。
その祭壇を左手に見ながら、神殿の右側奥にある部屋に入る。そこから細い通路が続いていて、いくつかのドアが並んでいるのが見えた。ただ、ドアにはノブがなくて、一体どうやってドアを開けるのか分からない。
「こんなところあったんだ」
「普段はあまり人が出入りする場所ではありませんので、知らない方のほうが多いでしょう」
きちんとした女の人がこたえる。部屋の中も通路も薄暗く、女の人の声だけがとても近くから聞こえて何だか不思議な感覚だった。
「その後変化はありましたか?」
女の人が、部屋の中に向かって尋ねる。
「いいえ、今のところ変わりはありません」
どこからともなく声が答える。
私たちは声につられるように、細い通路に並ぶドアを見た。どれもこれも同じに見える。どれに変化があったのか、なんて目で見て分かるものなんだろうか。
「数分から数時間、数日のこともありますから」
部屋の中から再び声がした。もしかしたら返事の続きなのかもしれなかったけど、私たちには何を指した言葉なのかいまいち理解ができなかった。

と。

突然、廊下の突き当たりのドアが開いた。
ここからは、薄暗くて細い廊下に白っぽい塊が飛び出してくるように見えた。
それはどうやら廊下でこけたようで、やがて立ち上がる。
人の形。
ふらりふらりとした足取りで通路をこちら側に歩いてくるのが見えた。
「随分お早い」
近くで、きちんとした女の人の声。
「流石は大賢者様でも見通せない不確定」
部屋の中で、声。
ふらりふらり、歩いてくる足取り。
見覚えある歩き方。
近くに来る。
白だと思ってたのは、服の色だった。ずるずると長い、白いローブを着ている。
髪が随分伸びていて、腰よりも長くなっていた。
青がかった黒髪だったはずが、その色は蒼銀色に変わっている。
そのせいで、白い塊に見えたのかもしれない。
長い髪の間から、整った綺麗な顔が見えた。
「ああ」
久しぶりに聞く声が、その口から漏れるのを聞いた。
「こんなに長い間まっていてくれたんですか?」
そう言って。
彼はふわりと私の肩に顔を埋めた。

「おかえり」

「ただいま帰りました」

そういうとリュッセは、そのままの体勢で眠り始めた。
67■彼の話
その後リュッセは3日間眠り続け、起きたところで神殿へ向かって、祭壇に立ってる法衣のお爺さんから正式に「賢者」としての称号を貰って、ようやく晴れて「賢者」を名乗れるようになった。
とはいえ、私たちはそのリュッセの主に見た目の変化っぷりに驚くばかりで、そのあたりの儀式のことはあんまり記憶にない。

「大体、その頭の色何!? リュッセ君黒髪だったじゃない! ちょっと青味がかってたけど! 何、何で蒼銀髪?」
チッタが納得行かないような顔でリュッセに詰め寄る。
「いや、僕もともとの髪はこの色で」
「黒かったじゃない!」
「染めてたんです」
「なんで!」
「アリアハンでこんな色の頭してたら目立つでしょ? 母親譲りなんですよ」
リュッセは腰までに伸びた髪を指でつまむと、目線の高さまで持ち上げてから首を傾げて見せた。
「まあ、いないわけではない色ですけどね」
「300歩くらい譲って納得してあげる。けど、だったら黙ってないで言ってくれればいいのにィー」
「なんとなく機会を逸して」
「旅の間も染めてたわけだ」
「まあ、ええ」
私たちは冷たい目でリュッセを見る。が、彼はあまり気にしていないようだった。
「その髪の長さは? なんで?」
「僕が居たところでは、1年以上の時間が経過してたんですよ。まさか現実的には5週間しかたってないなんて思いもしませんでした」
「まあ、1年以上あればそのくらい伸びるか。そもそもが長かったしな」
カッツェは納得したように頷いた。
「まあ、ともかく1ヶ月以上皆さんの歩みを止めてしまったことについては反省してます。……結構がんばったんですけどね」
リュッセは頭を下げて、それから苦笑して見せた。
「で? ねえ、悟りを開くってどんな事したの? 悟りの書って、何かいてあるの?」
チッタが好奇心を全開にした目でリュッセを見る。彼は少し笑って、それから首を傾げて見せた。
「悟りの書に書いてあることは秘密ですよ。それ言ったらおしまいじゃないですか。部屋の中のことも、言えませんよ」
「秘密なの?」
「ええ、まあ」
「つまんなーい」
チッタは頬を膨らませて、椅子にもたれかかった。暫くそうやってふてくされたような格好をしていたけど、また何かに思い至ったのか、再び体を起こす。
「ねえ、悟りを開くって、どんな気分? そもそも、悟りって、何? 分かったから、開いたんだよね?」
なんとなく言葉がおかしい気がしないでもない聞き方で、チッタが尋ねる。リュッセは暫くチッタを見つめた後で、首を傾げて見せた。
「忘れちゃいました」
「え? 何を?」
「部屋に入って悟りの書を読んで、ずっと考えたんですよ。で、ああそうか、って、思い至るんです。そのときは清々しいというか……静かでした。これまで、何か考えていたことが分かったときは興奮や感動というか、とても動的な感情を持ったんですけど、ソレとは違うと言うか。なんていうんでしょう、当たり前のことに気付くというか……。ただただ、ああそうか、と。しみじみ思ったんですけど」
「けど?」
「何について考えて何について気付いたのかが、さっぱり……」
「それって、ホントに悟りを開いたって言っていいの?」
「さあ? まあ、大賢者様が認定してくれたんですし、そうなんでしょう」
「何か信用しづらいなあ」
カッツェも流石に苦笑する。私は大きく頷いた。
「ただあの感覚は……一生忘れないと思います。けど、上手く説明できません」
リュッセは肩をすくめて見せた。

多分。
リュッセは本当にあの通路の奥で何かを掴んだんだろう。
でもソレを明確に伝える方法がないんだと思う。
そのくらい主観的で、
儚くて、
壊れやすくて、
でも、強い何か。

「まあ、これでめでたく全員がそろったわけだ」
カッツェが話は切り上げ、と言わんばかりに手を叩いた。
「前に進むか」

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