9 ■香辛料と人さらい
カンダタ、再び。


47■ホビット
チッタのルーラでアッサラームに到着する。
女王様の手紙があるからポルトガにすぐ向かっても良かったんだけど、アッサラームから東への抜け道があったら、それはそれで知っておいて損は無い。もしかしたらもう二度とこっちの方面には来ないかもしれないから、先に調べておこうということになった。
昼間のアッサラームは、相変わらずぼったくりの商人なんかが居て油断できないけど、活気にあふれている。夜のアッサラームは大っ嫌いだけど、昼間の活気にあふれたこの街は、嫌いじゃないかもしれない。

色々噂話なんかに参加してみたけど、東を目指す人は多くても実際に道を知っている人はほとんど居なかった。ただ、一人だけ、イシスから移住してきたというおじさんが抜け道の存在を知っていた。その人はもともとはもっと東へ行ってみたかったらしいけど、その抜け道から先へ進むことができなくて、結局ここに定住したらしい。
抜け道はアッサラームの北東にあって、険しい山脈にある洞窟が入り口になっているそうだ。けど、そこにはホビットが住んでいて、抜け道を知っているくせに教えてくれないらしい。
「一応確認に行ってみて、駄目だったらポルトガへおとなしく向おう」
そう話し合って、私たちはアッサラームの東の山脈を目指して歩き出す。山裾は深くうっそうとした森がひろがっていて、歩いていると魔物が近寄ってくる。けれど流石にこの辺りの魔物は戦いになっても、もう全然恐くない。思えば強くなった。
山脈は近寄っていくと、コレは人の足で越えるのは無理だと思わせる断崖絶壁の山が続いているのが分かる。灰色の岩壁の連続で、頂は雲に隠れて見えないことが多い。本当に大陸を東西に分断しているのが分かる。
「これ、洞窟があるっていうのも胡散臭い話だよ」
チッタは山を見てため息をつく。それもそうだな、と私も思う。けど、どうしようもないのは確かだから、山沿いに暫く北に向けて歩いてみる事にした。洞窟はアッサラームから見て北東なのだから、北に沿って歩くしかない。
右手に灰色断崖絶壁を見ながら、うっそうとした森の中を歩く。アッサラームから結構はなれた場所に、その洞窟はぽっかりと暗い口をあけていた。
洞窟は入り口こそ自然に出来たものっぽかったけど、少し中に入っていくと松明の火が掲げられていたり、地面が平だったりと、人の手が加えられている事が分かるようなつくりで、道も分岐なんかは無くて単純なつくりになっていた。暫くその少し広い一本道を東に歩いていくと、突き当たりにたどり着く。左手に通路がある以外、全然目立ったものは無かった。
「この場合、こっちだよね?」
左手側の通路を指差して、全員で歩いていくと、細い通路はやがて広い部屋にたどり着いた。
そう、そこは部屋だった。
床には藁でできた敷物が敷かれていて、粗末なテーブルや椅子が置いてある。壷なんかもいくつか置かれていて、簡単なベッドも置かれていた。
何より、その部屋には人がいる。
「何だ、あんたがたは」
鋭い目つきでこっちを見ているのは、正確に言うと人じゃない。背が低くてヒゲをはやしたホビットだった。ちょっと気難しそうな感じがする。
「え、と、東のほうへ行きたいので、抜け道をご存知だったら教えていただきたいな、と思いまして」
私がしどろもどろになって答えると、そのホビットは不機嫌そうな顔を一層不機嫌にして
「知らん! 知らん! とっとと帰れ!」
と叫んで、後は私たちのほうを見向きもしなかった。
暫く呼びかけてみたりしてみたけど、変化は無い。
「仕方ないね」
カッツェは肩をすくめると、私の腕を引いて歩き出す。リュッセとチッタも後ろについてきている。細い通路を抜けて、行き止まりまで戻るとカッツェはため息をついた。
「多分、知ってるけど教えたくないって所だろ。ポルトガを目指そう。ここで押し問答してても何ヶ月たっても変化ないよ、ああいう手合いは」
「話が通じそうな相手でもなさそうでしたしね」
リュッセも苦笑する。二人とも、このことは仕方ない事として処理する事にしたらしい。私とチッタも頷いた。
「じゃあ、外に出たらルーラでロマリアだね。そこから封鎖されてる道っていうのは近いの?」
チッタがカッツェに尋ねると、カッツェは頷いてから地図を広げて見せた。
「今、まあこの辺な。で、ロマリアがここ」
カッツェはロマリアがある半島を指差す。地図で見ても、ここから結構離れている。イシスだって凄く遠いし、カザーブやノアニールなんて大陸の北の端っこだ。我ながら、良く歩いたものだと思う。
「ロマリアから北西に暫くいくと、ここにでかい川があるだろ? この底を通り抜ける通路があるんだよ。扉で封鎖されてるけど、アタシらは今はあけられる」
「勝手にあけていいのかな。封鎖したのは誰かしらないけど」
「しらばっくれといたらいいんだよ、そんなの」
カッツェはわしゃわしゃと私の頭を撫でると、にや、と笑う。
ちょっと納得できない気持ちも含みつつ、私たちはルーラでロマリアに戻った。
48■ポルトガ 1
ロマリアで一日休んで、足りなくなってきていた水や食糧を買ってから、今度はポルトガに向かって旅立つ。初めてロマリアに来た時は、この草原も若葉が鮮やかだったけど、少し落ち着いた色合いに変化してきていた。どんどん時間は過ぎていっているんだな、と改めて実感する。もうこの辺りの魔物は全然恐くない。強くなったのも、改めて実感しながら私たちは北に進む。
草原を暫く北に進んでから西に進んでいくと、やがて大きな川が見えてきた。海に近いせいか、ほとんど海と言っても問題なさそうなくらい川幅がある。この下に通路があるなんていわれても、信じられない。
川に近寄っていくと、そのほとりに小さな建物が見えてきた。白い石造りの、平屋の質素な建物で、結構古めかしい。綺麗な四角で、大きなサイコロが草原に置かれている、なんていうとちょうどイメージにぴったりだと思う。入り口にはドアはなくて、兵士さんが一人、暇そうに立っていた。
「ここはロマリアとポルトガの国境だ。ここを通り抜ければポルトガだな」
兵士さんはあくびをしながらそんな説明をした。
「閉鎖されてるって聞いたんだけど」
チッタが言うと、彼は頷いた。
「最近は、ポルトガとの交易はほとんど船だからな。この通路は老朽化してきているし」
そういうと、建物の中に目を向ける。建物が古めかしいのと同様、中も古めかしい。入り口からは廊下とドアしか見えないけれど、そのどちらも古そうで、書かれていただろう模様は薄れてよく分からなかった。
「まあ、通る事は止めないよ。陛下からも、君たちが通る時がもしあったら、止めないで通せといわれているし」
「じゃあ、通ります」
「けど、鍵かかってるよ、その扉。大昔に閉鎖してから扉の鍵がどこかへ行ってしまったんだよ」
あの王様ならやりかねないかも、とは思ったけど、そこは兵士さんの手前黙っておく。
「鍵を開ける算段なら何となくついてるから心配しないでおくれ」
カッツェは笑いながら言うと、建物の中に入っていく。
「私たちも行きます」
「ご武運を」
兵士さんの敬礼を見ながら、私は建物の中に入る。日陰だからかひんやりとした空気がちょっと気持ちいい。
扉は古い模様がかすかに残る鉄で出来たもので、結構大きい。カッツェがイシスで手に入れた鍵を入れて廻すと、扉の鍵はかちゃりと思いのほか軽い音を立てて開いた。あまりのあっけなさに、思わず私はチッタと顔を見合わせる。
「何か拍子抜け」
「もっと厳かにやろうよ」
「ただ鍵を開けただけだろ」
カッツェは呆れたように言うとドアを開いた。建物のなかの唯一の部屋は小さな部屋で、ただ下りの階段があるだけだった。そのほかのものは全然ない。つまりは下り階段を守るだけのための建物なんだ、ここ。ちょっと贅沢な話だと思いながら、私は階段をおりる。空気は一層冷たく、そして湿気を含んで重くなった。通路は西に一直線に伸びていて、床も壁も天井も、全部が石造りになっている。床は灰色だけど、壁や天井が建物と同じ白い石でできてるせいか、そんなに暗いとは思わなかった。
通路は一定の幅でただひたすら真っ直ぐ作られている。床も平らで、随分な労力で作られたものなんだろう、と簡単に想像がついた。想像は簡単だ。
他に通る人も居なければ、魔物もいないから、私たちは気楽にその通路を通り抜ける。
そのうち行き止まりが見えてきた。ただ、のぼりの階段があるだけだ。
「ほんとにシンプルなつくりだね」
「こういうところ凝っても仕方ないだろ。通路なんだから」
チッタの感想にカッツェは呆れたような声をあげた。まあ、たしかに、兵士さんの口ぶりでは昔は交易なんかにも使われただろう通路が、迷路になってたら大変だろう。
「まあ、ソレはともかく!」
チッタは軽やかな足取りで階段を上っていく。私もそれに続いた。そして、階段を登りきったところで、二人で声をそろえて言う。
「ポルトガ、到着ー!」
「……元気な事で」
「アンタはほんとに若さが足んないね」
背後でそんなリュッセとカッツェのやり取りが聞こえたけど、聞こえない振りをしておく事にした。

「さて、それはそうと、ポルトガのどの辺りに到着したんですかね」
出口にあった、ロマリアのとそっくりの小さな建物から出たところでリュッセは首を傾げる。入り口同様、こっちも草原の真っ只中に建物が建っている。ロマリアとの違いといえば、見える範囲に林があることくらいだろう。
「そうだねえ、ここがロマリア側の入り口だろ? そこからほとんど直線に歩いたんだから」
カッツェは地図とコンパスを見比べながら、あたりを見る。
「多分、この辺りだろう。ポルトガの街はこっから大体南だね」
カッツェが指差したのは、ポルトガの北の端っこのあたりだった。ポルトガは地図で見ると、東はロマリアとの間を流れる川に、北側は聳え立つ岩山の山脈に、南と西は海に囲まれて孤立している。さらにその平野の中央にも大きな山があるらしく、地図で見る分には、平野は本当に狭い範囲にしかない。これでは海に出て行くしかないだろう。それで船の技術が発展したのかもしれない。ちなみに、地図で見ると意外とロマリアと近所だ。海の向こうにはイシスがある。
「じゃあ、船を見繕うのと、女王様に頂いた手紙を王様にお届けするってことで、ポルトガの街を目指そうー!」
チッタの掛け声とともに、私たちは平野を南下し始めた。
49■ポルトガ 2
南に向かって歩く。
海の匂いがしてきた頃に、視界にもポルトガの街が見えてきた。お城があって、その周囲に街が広がっている。街は、平原側から見ていると、海にくっついているようにも見えた。
「大きそうな街だねー、しかもカラフル!」
チッタが言うように、街のあちこちに風にはためく色とりどりの旗が、とても綺麗。
「早く着かないかなあ」
「歩いていればそのうちですよ」
うずうずするチッタにリュッセが笑いかける。ちょっと呆れているのかもしれない。
とはいっても、歩くスピードをあげることなく(途中でペースを変えると疲れるから)私たちは南下を続け、街に着いたのはお昼ごろだった。

ポルトガの街は、明るい色合いの石で道路が舗装されていて、遠くからも見えていたカラフルな旗や、家の白い壁なんかも目に鮮やかな、とっても綺麗なところだった。入り口近くには市場が立っていて、いろんな人が行き来している。食料品店が多いから覗いていると面白いんだけど、見たこともないような食材が多い。
「ロマリアと近いのに、全然違うね、やっぱり」
「うん」
ロマリアは男の人も女の人もおしゃれな人が多い感じだったけど、ポルトガはがっしりしたちょっと荒っぽそうな男の人が多い。女の人も大柄で、ちょっと位のことには動じなさそうな感じがする。
「とりあえずはお城、かな?」
「だね。手紙を見せれば中に入れてもらえるだろうし」
私たちはお城を目指して歩きだす。白い大きな鳥が猫みたいな鳴き声をあげながら空を旋回している。やがて大通りからでも海が見えてきた。港になっているからか、沢山の船が泊まっている。その港を見下ろす位置に、お城がどーんと建っていた。今まで見たアリアハンやロマリア、イシスに比べるとちょっと小ぢんまりとした印象だけど、白い外壁や青い屋根をしていて、新しい印象がする。
門には兵士が二人立っていて、私たちを見て怪訝そうな顔をした。
「あの、イシスの女王様の親書をお持ちしました」
リュッセはにっこり笑って言うと、私にその手紙を見せるように促した。兵士たちは胡散臭そうに手紙を受け取ると、その封を見て驚いたようで、一人がすぐ奥に引っ込んでいった。
「入れそうだね」
「うん」
そんな話をこそこそしている間に、走りこんでいった兵士が戻ってきた。
「どうぞ、お入りください」
あけられた門から中に入る。中は絨毯の敷き詰められた廊下が左右に伸びていて、正面は壁だった。ちょっとがっかりした気分で、案内してくれる兵士の後についていく。左側の廊下は程なく右手側に折れて、そしてすぐに謁見の間になっていた。
「拍子抜け」
チッタがぼそっという。まあ、確かにそうだ。

謁見の間には小柄で太った王様が玉座にちょこんと座っていて、その隣にひょろ長い大臣が立っていた。周りには兵士がずらりと並んでいて、ちょっとした警戒態勢にも見える。
「イシスの女王の親書を持ってきたとか」
大臣が声を上げる。ソレとともに兵士が一人、私たちのほうへやってきた。
「ええ、まあ」
私が手紙を兵士に渡すと、兵士は小走りに大臣のところへ持っていく。彼はその封を見て目を細めると、その場で封筒の中身を確認した。
「どうじゃ」
王様が尋ねると、「本物かと」なんていいながら大臣が頷いた。
「して?」
「この者たちの身分は女王が保証しております」
「ほう」
「この者たちはいずれ大きな事を成すとか」
「で?」
「しかるべき便宜を図って欲しいとあります」
「分かった」
そこで王様は初めて私を見た。
「はるか東の国では黒胡椒が多く採れるという」
真剣なまなざしで話すのはいいけど、いきなり何のことだろう。
「東に旅立ち東方で見聞したことを ワシに報告せよ。胡椒を持ち帰った時、そなたらをイシスの女王の言うような者と認めようではないか。そしてそなたたちに便宜を図ろう。して、そなたらはどういうことをして欲しいのじゃ」
「船が欲しいです」
「ほう。では胡椒を持ち帰れば船をやろう」
そういうと、王様は大臣にごにょごにょと何事かを耳打ちした。大臣が兵士に何事か言うと、今度は兵士が走っていく。暫くすると封筒やら紙やらが出てきた。そういえばイシスでも似たような光景をみたな、なんて思い出す。
「この手紙を東への洞窟に住むノルドに見せれば導いてくれるはずじゃ。では胡椒を待つとするかの」
私の手元に王様の手紙が届く頃には、もう王様は玉座から姿を消していた。

「わたしあの王様も大臣も嫌い。なんかむかつく」
お城をでたところでチッタが頬を膨らませつつそういった。
なんとなく、気持ちは分からないでもない。
「まあ、人柄なんてどうでもいいさ。船をくれるってんだ。東だって行ってみたかったわけだし、その胡椒ってのを探しに行こうじゃないか」
「うん、そうだね。多く採れるってことは、そんなに高価なものでもないだろうし」
「じゃあ、今後のことも決まったところで、街の探検でもしよう」
50■ポルトガ 3
ポルトガの街はどこに居ても海の匂いがした。空を見上げれば白っぽい鳥がいつも弧を描いていて、猫がのんびりと道を歩いていく。そんな中を沢山の人があちこち威勢の良い声を掛け合いながらせわしなく動いていて、にぎやかだった。
特ににぎやかだったのは、街の入り口近くで開かれていた青空市場で、多くの露天がひしめき合っている。料理の屋台があるのか、とてもいい匂いが風に乗ってやってくる。カラフルな布を置いた店や、色とりどりの野菜や果物を並べる店、魚屋、肉屋、武器屋、何でもある。
その中で適当に食べ歩きができるものを買って、店を冷やかして歩く。そんな中、お塩を売っているお店があったから声をかけてみる。
「おやー、綺麗なお嬢さんがただ。いらっしゃい」
店の主はニコニコと揉み手をする。塩自体は欠かせない食材の一つだから、あまり邪魔にならない程度に買う。
「あの、香辛料ってどこで売ってますか? 黒胡椒とか」
「黒胡椒!? いやあんな高価いものはこんなマーケットでは売ってないよ! お嬢さんたち、どこから来たの? そんなに安く香辛料が手に入る場所?」
私は曖昧に笑って首を傾げて見せた。
「東の方じゃ安いんだってねー。でもポルトガでは黒胡椒一粒と黄金一粒は同じ価値なんだよ。船で持ってくるしかないけど、東のほうは遠いし危険だしね。貴重品さ」
「そうなんだ」
「東のどの辺で取れるの?」
チッタが地図を広げて見せると、店のおじさんは暫く地図を見てから、ぐるりと円を書きながら説明をしてくれた。
「この辺りだって聞いてるよ。東の、この、三角形のあたり。聖なる川が流れてて、この辺りでは沢山取れて安いってきくね」
おじさんが指差したのは、アッサラームの東にある山脈を通り過ぎた東の一帯。ホビットが居た洞窟のあたりに抜け穴があるのだとしたら、そこから随分南下したところで、海に近い三角の形をした平野だった。その東側には川がある。三角の中央には街の印があって、「バハラタ」と書かれていた。
「俺もなー、死ぬまでに一回くらい、その黒胡椒がたっぷりきいてるって肉とか食ってみたいなー」
ははは、と豪快に笑うおじさんにお礼を言って、私たちはお店を後にした。
「とりあえず、ポルトガで胡椒を手に入れるのは無理ってことで、やっぱり東だね」
「あのいけ好かない王様に手紙を貰ったし、ホビットも何とか力を貸してくれるかもね。そういえばあのホビットも性格悪そうだったもんね、仲いいのも当然かも」
海辺にあった広場の、石でできたベンチに座ってこれからの話をする。それぞれが手に買ったばかりの食べ物を持ってるあたりがちょっと格好悪いかもしれない。
「けど、東のどの辺りを探せばいいのか分かっただけでも大進歩だよ。ともかく、あの三角形な平原を目指せばいいんだ」
「胡椒って、そんなにおいしいものなんですかね?」
「さあ? 庶民だからわかんないや。……チッタは食べたことある?」
「うーん、あれかなあ? っていうのはあるんだけど。自信ないや」
「偽物つかまされても誰も気づけないっていうのが難点だよね」
私たちはそこで大きくため息をついた。
「でも、その沢山取れる地域ではたいした値段でもないみたいですし、わざわざ偽物を出してこないんじゃないですかね」
「こっちで高く売れてるのを知ってたら、ぼったくられる可能性は無いことはない」
リュッセにカッツェは言うと苦笑した。
「まあ、どのみち行ってみなきゃわかんないさ。相手の商人が悪いやつじゃないのを祈るしかないね。東のほうはどうなってるかよく分からん」
「じゃあ、とりあえずこの先の予定としては、ルーラでアッサラームまで移動して、ムカっとするホビットに手紙を突きつけてキリキリ抜け道に案内してもらって、三角形な平地を目指す、と」
チッタは言うと石のベンチから跳ねるようにして立ち上がった。私も続いて立ち上がる。
「そういうことだよね。じゃあ、もうちょっと観光してから行こうか。なんかカッツェ、武器屋だったかで欲しそうにしてたものあったよね」
「よく見てるなあ。ちょっと気になるモンがあったのは確かだよ」
「じゃあ、ソレ見に行こう。東は魔物が強いらしいから、用心していかないと」

結局、全員で武器やら防具やらみて、いくつか必要なものを買った後、宿で1泊した。
51■バハラタへ
ポルトガから東に向けての旅立ちの朝は、風が強い日になった。宿のご主人の言うことには、バハラタでは「旅立ちに風が強いのは幸運の証」だということで、何故だか随分「良かったねえ」なんてニコニコされてしまった。多分、私たちが頼りなく見えて、そんな私たちの門出が良いものになって、見送るほうとしてもほっとしたのだろう、というのがリュッセの分析だった。何だか複雑な気分だ。
そんな風の強いポルトガを後にして、ルーラでまずはアッサラームにとんだ。海の匂いが急になくなって、代わりに乾いた空気が私たちを出迎える。急激な変化に、思わず何度か咳き込む。ノドが何だか痛い。皆も顔を顰めてノドのあたりをさすったり、咳き込んだりしていた。水を飲んで何とか落ち着いてから、私たちは再びアッサラームの北東にある洞窟を目指す。前来たときは随分対応が悪かったホビットは、今度はどういう対応をしてくれるだろうか。ポルトガの王様の手紙は効き目があるんだろうか。全然交流なさそうに見えるんだけど、絶交中とかじゃないんだろうか。
そんな不安を胸に、再び洞窟に入る。打って変わって湿った空気が満ちたその空間に、皆もげんなりとした様子だった。
「なんか、一気に空気が変わりすぎだよな」
カッツェがため息混じりに呟く。流石に旅慣れたカッツェも、閉口しているようだった。

一本道の洞窟を進んで、一見行き止まりまでやってくる。そこから左手に伸びている細い通路を通っていくと、前と同じようにホビットが椅子に座って不機嫌そうにこちらを見た。
「またお前たちか!」
ポルトガへの旅は結構時間がかかっているし、よく覚えてたなあ、なんて思うけど、考えてみたらこんな洞窟にそうそう人がやってくるわけもないだろうから、つまりはホビットに言わせれば「同じヤツがまた来た」という感覚になるのかもしれない。
「ええと、話を聞いてください」
「うるさい、帰れ!」
「ポルトガの王様から、お手紙を預かってきました」
「何?」
そこで初めてホビットは怒るのをやめて私の顔をまじまじと見た。それから不機嫌そうに私を手招きする。手紙を持って近づくと、彼はその手紙を受け取って内容を読んだ。
「そうか、分かった。他ならぬポルトガの王の頼みじゃ仕方ない。お前さんたちを東への抜け道に案内してやるよ。……他のヤツに言うんじゃないぞ!」
「言いません」
大体、言う相手なんて居ない。
「じゃあ、こっちだ、着いてきな」
ホビットが細い通路を戻っていって、私たちを案内したのは、あの太い一本道の突き当たりだった。今は右手側に、アッサラーム近くからの入り口がある。
「ちょっとここらで待ってろ」
ホビットはそういうと、そのまま向かい側の壁のほうへ歩いていく。足取りは軽いけど、何も無いところだ。それどころか、壁の前には大きな岩まである。
ホビットは軽く息を吐くと、まずは壁の前にあった大きな岩をひょい、とどけた。小柄なその体は、私の背の半分くらいしかないのになんて力だろう。ビックリしている間にも、ホビットの作業は続いていく。気合をこめるような大声を短くあげたあと、ホビットは壁に向かって走り出し、そして体当たりをした。
「!?」
重く響く音に、私は思わず身を硬くして息を短く吸う。なんか、すっごく痛そうな音がするにも拘わらず、ホビットはその作業を何回も繰り返す。そのたびに、私は体をびくりと震わせる。本当に痛そうだし、見てて痛い。リュッセが私の両肩をつかんで、「大丈夫ですか?」と耳のそばで小声で尋ねる。痛そうなのとビックリしたのとで、私はコクコクと頷くしかない。
そうしている間に、ホビットの作業はどんどん進んで、やがて「ドーン!」というコレまでで一番大きな音とともに向かい側の壁は崩れてなくなった。壁があったところの向こうに、通路があるのが見える。
「ほれ、待たせたな。コレが東への抜け道だ」
「あの、体、大丈夫ですか?」
私は東に行く道ができたことより、そっちのほうが気になって、思わずしゃがんでホビットの顔を覗き込む。彼は全く気にした様子の無い表情で暫く私をきょとんと見た後、豪快に笑い声を上げた。
「あんなもん、たいしたことじゃない。心配してくれたのかい? ありがとよ。そんなことより、アレが抜け道だ。さっさと通ってくれ」
ホビットはそういうと、不機嫌そうに元の部屋に消えていった。
「もしかして、いい人? 超絶テレ屋さん?」
チッタが部屋に消えていったホビットを見送りつつ首をかしげた。

教えてもらった、というよりは力技で通れるようにしてもらった抜け道を通る。道は一本道で、かなりの太さがある。多分、そもそもはアッサラームから東に抜けるためのトンネルがあって、ソレを何かの理由でふさいでいたんだろう、というのが正直な感想だった。あのホビットさんは見張りなのかもしれない。
道は随分長い。くねってはいるけど、一本道でよかったとも思う。随分歩いたな、と思った頃に漸く外の光が見えてきた。ソレとともに、光のほうから空気が流れてきているのも感じる。
「もうすぐ外だね」
思わず早くなる足。最後のほうは半ば走るような速さで私たちは洞窟を抜けた。

そこは鬱蒼とした森だった。
52■バハラタ 1
鬱蒼とした森は随分長く続きそうだった。空からの光は弱々しく、密集した葉の間を何とか通り抜けてきている、という感じ。今は背中側に洞窟があるけど、数分歩けば多分自分が居る位置は正確に把握できなくなるだろう。足元は落ち葉が何層にも重なって、柔らかい。一番上に落ちた葉だけが、踏むと乾いた音を立てる。緑は深く、木には蔓が絡みついていたりする。カザーブまでの道にあった森や、エルフの隠れ里のあった森とは、また雰囲気が違っている。あちらは葉の細い尖った樹が多かったけど、こちらはなんか、全体的に大きい。葉も幹も、随分雰囲気が違う。
「さて、と」
カッツェが地図とコンパスを見比べて、暫くあたりを見渡した。とはいえ、どっちを見ても緑緑緑で、私には違いが分からない。
「とりあえず、まあ、南はあっちだ」
そういってカッツェは右手側を指差した。見えるのは緑の木々で、目印は何も無い。
「地図で言えば、南東方向に歩いていけば、いつか森を抜けて三角の平野の端っこに出る。正確にどの辺りなのかちょっとわからないが、ともかく平野に出てからも南東を目指しつつ行けば、いつか海岸線にたどり着くだろ」
「ちょっと投げやり」
チッタが肩をすくめる。
とはいえ、誰にも反対意見も、それ以上にいい提案もなく、私たちは森を抜けるべく南東方向に歩き始めた。

森は暫くの間続いた。森の中を歩く人はほとんど居ないのか、細い道すらない。時々獣道を見る程度で、相変わらず目印になりそうなものや、景色の変化は無かった。それでも森の終わりが見えてくると、空を覆っていた葉の重なりも薄くなって、太陽の光がしっかり差し込む明るい森にかわっていく。
「もうそろそろ森を抜けるよ」
あたりを警戒していたカッツェが地図を見る。もう木々の間からは、向こうに広がる草原が見え始めてきていた。
「出たら一回休憩しながら、場所を把握できないかしっかり地図と照らし合わせてみよう」
「遠くにでもいいから、街が見えたらいいねえ」
「街の名前なんでしたっけ? バハラタ?」
「あー、そんな名前だった気がする」
私たちは口々にそんな話をしながら歩く。
程なく森を抜ける。木々に阻まれて狭かった視界が一気に広がる。広がる草原と、照りつける太陽。森から出たばかりの私には、まぶしすぎる景色だった。それに何だか蒸し暑い。
「う、目が痛い」
私は手を目の上で庇のようにして、辺りを見る。草原の草は少し長く伸びていて、あちこちで黄色い小さな花が咲き乱れていた。空の色は淡い青。白い雲が草原に影を落としていた。
「いやあ、絶景ですね」
リュッセは笑うような声で言う。確かにコレまでとはまた違った景色が広がっている。
「さてと」
草原に円に座って、お互い顔を合わせる。
「これからも南東でいいのかな?」
地図を見てみたけど、目印になりそうなものが無いから、いまいち今どの辺りなのかが分からない。
「とりあえずは南東でいいだろう。街が見えてきたら東になるか南になるか、南南東になるか、とかあるかも知れないが、そのときはそのときだ」
「どんなところかな?」
カッツェとチッタが南東のほうを見る。今のところ、まだ街は見えない。
「少なくとも、黒胡椒が安い街ですよ。安くないと困ります」
「リュッセ君、今のは面白くない」
「ソレは失礼しました」

草原を再び南東へ進んでいく。抜け道をとおってからこっち、かなり魔物が強くなったから、結構歩くだけでも大変。それでも、死にそうな目にあわなくなっただけ、強くなったのかもしれない。そんなことを考えながら歩いているうちに、街が東側に見えてきた。思ってたよりは西寄りに歩いていたのかもしれない。私たちは西側から町の中に入った。
街は、草原を流れる川のほとりに細長く広がっていた。街の東西を石造りの大通りが走っている。街の南側に大きな川が東西に流れていて、「聖なる川」として街の人の憩いの場になっているそうだ。町の北側には教会やお店が並んでいて、南側には宿屋や集会所があるみたいだった。緑もあちこちにあって、花壇が作られている。とても綺麗な街だった。
街の人たちは少し変わった服を着ていて、男の人は白い上下にターバンの人が多い。女の人は鮮やかな色に染められたワンピースを着ている人が多かった。やっぱり蒸し暑いから涼しい服を着ているんだろう。
街の入り口にある宿に部屋を取ってからご主人に話を聞いてみると、やっぱりこの街は黒胡椒が沢山とれるので有名らしい。ただ、外国に沢山持っていくなら、街の人に対して胡椒をはじめとしたスパイスを取り扱っている小売店で買うより、問屋で買ったほうが多くを安く手に入れることができるだろう、ということだった。
「そういえば、どのくらいもってこいって聞かされてないよね」
「1粒だけ持って帰っても門前払いだろうけどね」
「まあ、ある程度の量は必要でしょう」
「どのくらいかな?」
「分けてもらえるだけ分けてもらう?」
「買占め?」
そんな話をしていたら、宿のご主人は見かねたのか、一回の料理に使う黒胡椒の量だとか、大体の値段を教えてくれた上、問屋の場所まで教えてくれた。
「家での保存法は分かるけど、輸送のときの注意点とかはわたしじゃ分からないから、問屋できくといいよ」
とまで教えてくれた。何だか申し訳なかった。
53■バハラタ 2
教えてもらった問屋さんは、宿屋からそんなに遠くないところにあった。けど、結構入り組んだ道の奥にあったから、知らなかったらたどり着けなかったかもしれない。
入り口には大きな看板がつけられていて、知らないスパイスの絵が描かれている。両開きの扉は大きく開け放たれていたけど、そのわりに中は暗い。近づいていっても全然活気が感じられないお店だった。
「ごめんくださーい」
そっと中を覗いてみると、お客らしい冒険者のお兄さんが一人居るだけで、その人も首を振り振りお店から出てこようとしているところだった。
「君もこの店に用事か?」
冒険者のお兄さんは私を見ると気の毒そうな顔をした。
「わたしもはるばるここまでやってきたのだが、店は休みだそうだ」
「いつ再開されるんですか?」
「ソレが未定らしい。全く、参ったよ。毎日通っているのだが」
お兄さんは大きなため息をつくと肩をすくめて見せた。ちょっとオーバーアクションな人だ。
「理由は? ご存知有りませんか?」
リュッセが尋ねると、お兄さんが首をかしげた。
「詳しくは知らない」
「詳しくなくてもいいです、と言えば? 何かご存知ですか?」
「噂ではこの店の誰かが誘拐されたとか。本当かどうか分からないが」
私たちは思わず顔を見合わせた。本当だったらかなり大変な状況だ。
「とはいえ眉唾物だ。大旦那は居るみたいだし」
お兄さんは困った顔で大きくため息をつくと、店から出て行った。

暫くお店で待ってみたけど、やっぱり誰も出てこない。
「コレは本当かどうか確かめてみたほうがいいんじゃないかな」
私が言うと、チッタが頷く。
「胡椒自体はどこでも買えるかもしれないけど、人の代わりはいないもんね。どっかにお店の人いないかな?」
「話を信じてもいいんだろうかね? 本当に誘拐があったんなら、近所の宿屋の親父なら話を知ってそうなもんじゃないか」
「わたしたちが強そうだったから、助っ人にならないかなって思って送り込んだとか!」
「それ、綱渡りですよ。見掛け倒しって言葉も世の中にはあることですし」
リュッセが苦笑する。
「でも、知っちゃった以上、放っておけないよ。ガセだったらソレに越したことないし、お店の人探してみよう」
私の言葉に大きくチッタが頷く。コレで私たちの方針は決まった。
「じゃあ探すか、店のヤツ。こういう店舗は裏手が住居ってのが標準設計だ」
カッツェはそういうと、暗い店内からさっさと出て行く。私たちは慌ててその後を追った。

店の裏手には、すぐのところに「聖なる川」が流れていて、庭なのか公共スペースなのか判然としない広場があった。ずっと東側にもそのスペースが伸びていて、色んなお店や建物の裏手が見える。多分、本来は共有スペースだろう。向こうのほうに石造りの階段と柱のある、石とタイルで装飾された床のような場所が見える。そこで数人の女の人たちが水を汲んでいた。
あたりをぐるりと見渡すと、店に近いところでおじいさんと若い男が言い争っているのに気付いた。おじいさんは若い男を説得しているのか、時折若い男の両肩を押さえて「落ち着け」と言っているように見える。男のほうは興奮しているのか、随分身振り手振りが激しい。
「喧嘩ですかね」
リュッセが眉を寄せる。あまりいい気分じゃないのは間違いない。そういえば、リュッセが怒ったところを見たことが無いな、と気付く。エルフの村でも、オアシスで過去を語った時も、淡々としていてあまり感情に起伏が無い感じ。
「リュッセって怒ることあるの?」
「……そりゃ、ありますけど……何でこのタイミングで?」
不思議そうな顔でリュッセは私を見た。青みがかった黒い髪が風で揺れている。ずっと黒い髪だと思ってたけど、本当は青が物凄く濃くて黒っぽく見えてるのかもしれない。同じ色の瞳が、ちょっと呆れたような色合いを帯びていた。
「なんとなく。怒ってる人みて、そういえば怒ったところ見たことないなあって。……連想?」
リュッセは呆れを通り越して理解不能、というような顔をした。ので、思いっきり足を踏みつけてやった。
「とりあえず、止めようよ。話し合いっていうのは、冷静じゃないととんでもない結末になったりするよ」
チッタが私の腕を引っ張った。
「うん、そうだね」
はっとして、私はチッタと一緒に二人の間に割ってはいる。
「あの、喧嘩は良くないです!」
声をかけると、おじいさんと若い男は私たちを見た。おじいさんはほっとしたような顔で。若い男は胡散臭そうな顔で。

「旅の人、聞いてくだされ!」
おじいさんが一瞬早かった。そしてそのまま、一気にまくし立てる。
「ウチの孫娘のタニアがさらわれたんじゃ! あんたらとても強そうじゃし、何とか助けて貰えんかの!? ここに居るグプタが助けに行くと言うてきかんのじゃが、この上グプタまで居なくなるとなると」
「何を言うんですか! こんな旅人なんて信じられませんよ! ボクが助けに行きます!」
そういうと若い男、たぶんグプタさんはおじいさんを振り払って走っていってしまった。誰も止めることができなかった。
私は呆然とおじいさんをみる。おじいさんはもっと呆然としていた。
54■バハラタ 3
「で、だ」
カッツェは眉間の辺りを押さえながらおじいさんを見た。
「一体そもそもどういう話なんだい?」

おじいさんの話はそれはそれはあっちこっちに飛びながら随分長い間かかったので、簡潔に話をまとめると、つまりはこういう話になる。
おじいさんはあの問屋さんのご主人で、孫娘さんがさらわれて、犯人からの要求があるため店を開けない。さっき走っていったのは孫娘さんの恋人でグプタという。ちなみに彼には戦いの技能は全く無い。犯人からの要求は店の明け渡しと権利の譲渡であるため、ソレを手放したくはないのだが、孫娘の命には代えられないと思っている。本当は孫娘の結婚を機に、彼らに店を譲って隠居をするつもりだった。

「犯人に心当たりは?」
「全く無い。何せ初めて見るような男たちだった。もしかしたら他所から流れてきたのかもしれない」
「相手からの連絡はどうやって取ってる? 潜伏場所とか分かるか?」
「最初は向こうから連絡があったんだが、最近は無い。どうやら街の中に潜んでるわけではなさそうだと思う。街では最初の連絡の時以来全く見ていない」
「じゃあ、グプタさんはどこへ走っていったんでしょうか」
「街の東に、大昔からある洞窟がある。かなり複雑なつくりになっていて、街の者は誰も近づかん。そこが怪しいとグプタは言っておった」
「人攫いが真にいるかどうかは別として、グプタさんの保護はそこに行けば完了ですね」
「助けに行ってくれるのかね?」
「ココまで聞いておいていかなかったらちょっと酷いでしょう。そこにグプタさんの言うとおり人攫いが居たら交渉もしましょう」
カッツェとリュッセがおじいさんとどんどん話を進めていく。私とチッタはソレを見守っているだけだった。ちょっとなさけない。
「で、洞窟っていうのはどの辺りなの?」
チッタが持っていた地図を広げておじいさんに見せる。おじいさんは街の東を流れる川を通り越して、少し北に入った森の中を指差した。
「このあたりに湖があってな、その真ん中に島がある。島までは橋がわたしてあるんだが、そこに洞窟がある」
「じゃあ、がんばってきます」

「それにしてもー」
おじいさんと別れて、宿に戻りながらチッタが言う。
「姉さんが積極的に人助けって珍しいよね? ノアニールのときはややこしいことに首を突っ込むな、ってスタンスだったのに」
「あの時と今では色々違うだろ」
カッツェはクールな声でチッタに返事をした。
「違うって?」
「前回は無報酬」
「今回だって何にもそんな約束してないよ?」
私とチッタは首をかたん、と傾ける。カッツェは私たちの顔を見てにやりと口の端を吊り上げて見せた。
「いいか? あの爺さんは胡椒の元締めだ。で、アタシたちは胡椒が欲しい。そんな爺さんの今一番の願いは孫娘とその婿の無事だ。ソレをアタシたちが叶えるとする。そうすると爺さんはアタシたちに恩を感じる。そうするとどうなる?」
「胡椒が、お安く手に入る?」
「そういうことだ」
「打算なしに助けてあげなきゃ! って気分にはならないの?」
思わず私は言う。だって、なんか、そういうのは嫌な感じだ。
「恋人のピンチに、力不足が分かっていても立ち上がる美しい愛に感動して力を貸せって?」
カッツェは私を見て鼻で笑ってから「甘いね」と詰めたい声で言う。
「己の力量も考えないでただ感情に走って突っ込んでくのはただの馬鹿だ。自己犠牲が美しい? ……冗談じゃない」
「……」
私は無言でカッツェを見返す。馬鹿にされたのも悔しいし、言い返せないのも悔しい。
「いいかい? もしグプタが突っ込んでった洞窟に、ホントに人攫いがいたらどうだ? 孫娘は交渉材料だから無事かも知れんが、グプタは利用価値がないんだよ? 殺される」
「殺されてもいいっていう……
「恋人である孫娘の目の前で殺されたら? 助けが来たっていう希望が打ち砕かれ、自分の恋人が目の前で殺される。ソレは優しさか?」
「……」
「アタシはああいう、自己陶酔だけの男が大っ嫌いだ。それでも行くのは実入りがあるからだ。何がおかしい?」
「でも」
「急ぎましょう。議論は後で。最悪パターン、交渉決裂のためグプタさんも孫娘さんも殺される可能性だって有ります。グプタさんが考えなしなのは同調しますが、割り切れない感情にも投票しましょう。日和見とでもなんとでもどうぞ」
リュッセが私とカッツェの間に手を入れて言う。私とカッツェはほとんど同時にリュッセを睨んだけど、彼は全く動じない。
「け、決裂なんてしてないよ! だっておじいさんはグプタさんを止めてた!」
「どう解釈するかは相手側です」
「行こうリッシュ、リュッセ君の言うとおり、話は後だよ。姉さんが胡椒のために、リッシュはおじいさんやグプタさんのためにがんばればいいよ。今は。納得できないのは分かるもん、あとできっちり話し合おう」
チッタが私の手を引く。
「チッタは? どういう考え?」
「わたしはね、皆が正しいと思う。何が大切なのかとか、何を重要視するかっていうのは、違って当たり前だもん。ちなみに私は孫娘のタニアさんが一番重要。助けなきゃ」
「実のところ、全員の優先順位はほぼ一緒でしょう。タニアさんの無事、グプタさんの無事、人攫いの確保」
リュッセは指を立てていきながら説明する。確かにそうだ。
「リッシュ、あなたのその、優しさであるとか素直さは美徳です。時には今のようにそれが人との衝突を生むこともあるかもしれませんけど、これからもその感情は忘れないで、自分の気持ちに正直に生きてくださいね」
リュッセは私の頭を撫でて言う。
「駄目だよリュッセ君」
聞いていたチッタが口を尖らせる。
「そういうの、死ぬ前の台詞」
「ははは、殺さないでくださいね」
55■人攫いの洞窟 1
色々思うところはあったけど、確かにリュッセやチッタが言うように、急がないと色々問題が起こることは間違いないから、カッツェととりあえず喧嘩をすることはやめる。
カッツェと、私と、最終目的は違っても、やることは一緒だ。
グプタさんと、タニアさんを助ける。
それだけ。

私たちは急いで町を後にする。
おじいさんに教えてもらった洞窟は、町の北東方面にある。
川を渡って草原を歩き、更に森に入っていく。森の中は薄暗くて、かなり足場も悪い。よくこんなところを、何の準備もなくグプタさんは行けたな、と思う。
誰かを好きになるっていうのは、そういうことなんだろうか?

私にはまだよく分からない。

足場の悪い森を暫く行くと、突然視界が開けた。
森の中には湖があって、その真ん中に大きめの島が一つある。その島も木々が鬱蒼と生い茂っている。こちらから見ると、少し中央が高くなっていて、島全体がなだらかな山のように見えた。湖には一箇所だけ橋がかけられていて、その島に渡れるようになっている。
「あれかな、言ってた場所」
「島に洞窟があるとおっしゃってましたね」
チッタとリュッセが頷きあう。地図を見せてもらうと、確かに島はバハラタから見て北東方面にあった。
「それじゃいくよ」
「うん」
カッツェの先導で私たちは橋を渡る。橋から下を覗くと、緑の湖面は波がなくて、鏡のように平らだった。周りの深い森と、静けさで別世界のように見える。
とても静かだった。
橋を渡ってすぐから、島は緩やかな傾斜の山になっていて、その斜面に洞窟が口をあけている。洞窟の口は石で四角く補強されていて、人目で人工物だというのが分かった。
「綺麗なトコだね。人攫いとか居るってウソみたい」
「人攫いは確定じゃないですよ。グプタさんがいる可能性があるだけで」
チッタの言葉をリュッセが訂正する。チッタは「分かってるよ」と頬をふくらませて、それからリュッセのむこうずねを軽く蹴った。
「まあ、ともかく、洞窟ですからね。なにがあるか分からないですから、用心はしましょう」
リュッセは顔を顰めて片足立ちで蹴られたすねをさすりながら言う。軽く蹴られたわりに痛かったらしい。
「人攫いがいても居なくても、用心に越したことは無いってのには賛成だ。魔物は居るかもしれないしね」
カッツェの言葉に私たちは深く頷くと、洞窟に足を踏みいれた。

洞窟の中はひんやりとした空気が充満していた。壁も床も天井も、長方形の石が埋め込まれている。入り口は四角い部屋になっていて、向かいの壁に次へと続く入り口が見える。その入り口も壁に綺麗に四角く作られていて、もともとあった洞窟に人の手を加えたという感じではなかった。
「これはちょっと……厄介だね」
あたりを見て、入り口から次の場所を覗いていたカッツェが深いため息とともに戻ってくる。
カッツェが厄介と表現するくらいだから、よほどのことだ。
「どうしたの?」
「周りを見た感じ、どうやら碁盤目状に同じ形の部屋が配置されてるみたいだ。用心しないと、自分がどこにいるかあっという間に見失う」
「うわあ、陰険」
チッタがげんなりした声をあげる。
「問題は、グプタさんがどこにいるか、ですね。行き違わなければいいんですが」
「下手に動き回られたらいつまでたっても探し出せないな」
リュッセの言葉にカッツェが頷く。そして二人は深々とため息をついた。
「発見したら一発ぶん殴りそうだ」
「見ない振りをしておきますね」

カッツェが厄介と言うだけあって、洞窟の中はいつまでたってもどれだけ歩いても同じような景色でしかなかった。
どうやら入り口は東の端だったらしく、東側の壁は全て行き止まりだったけど、一つ西隣の正方形の部屋に移動すると、東西南北全ての壁に隣の部屋への入り口があって、それと同じデザインの部屋がただひたすら続いている。
かといって、全部が同じなのではなく、北限と南限はただ行き止まりの狭い部屋があるだけだったし、時折入り口には鍵のかかったドアもあった。とはいえ、基本は全部同じデザインなのには変わりない。
「基本的に、同じデザインの部屋が延々繋がっているって考えればいいんだよね?」
「そう。それで配置は正方形に近いみたいだ。目印がほとんどないのが迷路としては厄介」
「部屋も正方形ですしね。ココを設計した人は、感覚を狂わせるということを考えたんでしょうね」
「感心してないで、ココが何処か考えて」
私たちは何度か入り口を通って、時々出てくる魔物と戦っているうちに、完全に現在地が分からなくなっていた。チッタのリレミトで外に出て、最初から仕切りなおしてもいいんだけど、それは最終手段にとっておくことにして、もうすこし粘ることにして、現在に至る。
「とりあえず、東隣の部屋が東限でしょう? 東に壁が見えます。ということで、現在、東から一つ西に寄った列ですね」
「南にドア、と」
リュッセとチッタの声に合わせて、カッツェが地図を書く。大体、正方形の洞窟の、南東側あたりにいるみたいだ、という結論に達した。
「とりあえず、このドアあけてみようか」
「そうだね」
私がドアを指差すと、カッツェが頷いた。
「とりあえず、状況を変えていかないとどうしようもないね」
ドアの先には、今までと同じような正方形の部屋があった。ただ、違ったのは、部屋の真ん中に下りの階段があるということ。今まで、一度も無かったその変化に私たちは思わず顔を見合わせた。
「てっきり、この階しかないんだと思ってた」
「こんな造りの洞窟がまだ続くんですか。製作者は絶対陰険ですよ」
「この怒りもグプタにぶつけていいよな?」
「それはとばっちりだよ」
全員がそれぞれ全然違うことを口にしたけど、基本的な感情は同じ。

まだつづくのか。

「まあ、先があるんだから仕方ない、進むか」
カッツェが深々とため息をつく。私たちは力なく頷いた。
56■人攫いの洞窟 2
階下は、さっきまでと打って変わって単純な造りだった。階段を下りたところから通路が真っ直ぐに伸びている。途中で左手側、つまり南への通路がある。階段を下りたところからは、そういう丁字路が見えていた。床や壁、天井なんかの造りは上と同じ。作った人が同じなんだろう。もしかしたら、上の階をデザインしたところで、洞窟のデザインに飽きたのかもしれない。
「随分あっけないね、上と比べて、手抜き?」
「最初だけかもしれませんけどね」
リュッセの返答を聞きつつ、私たちは前へ進む。南側の通路は、暫く少し行ったところにドアがあってその向こうは見えなかった。とはいえ、階段からの直進通路は、向こうが行き止まりになっているのがココからでも見えていて、進む道は南にしか残っていなかった。
「向こうがどうなってるのか分からないのがネックだね」
カッツェが肩をすくめる。
「けど、とりあえず行ってみるしかないよね? 上ではグプタさん見つけられなかったし」
「そうだね」
話し合いは短く終わらせて、私たちはドアを開けて先へ進む。短い通路が終わると、少し大きな部屋に出た。
部屋の中にはテーブルが2つと、そのテーブルに椅子が4脚ずつ。テーブルの上には空のワインボトルやグラス、食べ残しがあるお皿なんかが散乱していて、お世辞にも綺麗とはいえなかった。床にも色んなものが放置されている。
何より、そこには目つきのわるい男が4人。
お世辞にも、いい人には見えない人。
「なんだおめえらは? ひょっとしてオレたちの仲間になりてえのか?」
一人が立ち上がりながら言う。他の三人もがたがたと椅子を鳴らして立ち上がった。
「そんなわけ、ないでしょう」
リュッセがため息混じりに言う。これはたぶん、諦めの境地の声だ。
「じゃ通すわけにはいかねえな……。やっちまえ!」
リーダー格の男の声とともに、四人がそれぞれ武器を片手に襲い掛かってきた。
「ひるむんじゃないよ! こんな奴ら雑魚だ!」
カッツェの声に、一瞬相手側がぎくりとしたようだった。けどすぐに体勢を立て直して襲い掛かってくる。身のこなしは、不慣れな感じが一切しない。戦いなれている。
とはいえ、こっちも随分強くなっていたし、最近チッタがまた強力な呪文を覚えてくれたおかげで、たいした被害を受けることなく、男たちを蹴散らすことができた。
「おぼえてろォ!」
なんて負けた悪役のお決まり台詞を口にしながら、男たちは通路から逃げていく。
誰も追わなかった。
追う必要も感じなかった。
「アレが人攫い、だったのかな?」
「可能性は高いでしょう」
そんな会話をしている間に、カッツェは部屋をあちこち見て回る。
「姉さん、どうしたの?」
チッタがカッツェに尋ねると、「や、なんでもない」とカッツェは短く答えた。とはいえ、かなり目つきが鋭い。不機嫌なんだろうか。
「とりあえず、まだ南に進めそうだ、行ってみよう」

カッツェの言うとおり、部屋には更に南に進む通路が一本だけあった。他に道もないし、この部屋でも何も見つけられなかったから進むしかない。
南への通路は少し進むと左右に分かれていた。
「どっち?」
「右から行こう」

右手側の通路は、すぐに突き当りが見えた。けど、今までとは全然違う。なぜなら、通路に沿って鉄格子が取り付けられていて、部屋、というよりは牢屋が作られていたからだ。中には男の人。グプタさんだ。
「突き当たりの壁に、このとびらをあけるレバーがあるはずだ! どうかそのレバーをっ!」
グプタさんは鉄格子にくっついて、腕だけ出して突き当たりの壁を指差した。
「……あんた、先になんか言うことないのかい?」
カッツェの低い声が飛んでも、グプタさんは気にしてないようだった。
ウン、確かに、いまならちょっとカッツェの主張が分かる気がする。
「まあ、お説教は後でいいでしょう。色々皆さん言いたいことはあるでしょうけど」
「リュッセもあるんだ」
「ええ、まあ」
言いながらも、リュッセは突き当たりにあったレバーをがしゃんと引きおろした。鈍い音とともに、鉄格子に取り付けられていた扉が開く。
「ああ! タニア!」
グプタさんは私たちに何も言わず、扉をするりと抜けてもう一方の通路に向かって叫ぶ。
「ああグプタ! あたしたち帰れるのね!」
どうやら向こうにも、牢屋があったらしい。女の人が走り寄ってくる。どうやら、彼女が言っていた胡椒屋の孫娘さんらしい。二人は通路の真ん中でしっかりと抱きしめあった。
「ああ行こう! ありがとう勇者さん」
グプタさんはタニアさんの手を引いてすぐに私たちの視界から消えた。
「ぶん殴り損ねた」
「あとで裏庭か何処かでがつんと」
意外にもリュッセが答えながら、右手をぶん、と下に振り下ろして返事をした。

気持ちは、分からないでもない。

「きゃーっ!」
悲鳴に私たちはハッとして顔を見合わせる。
「タニアさんの声だったよね?」
「さっきの男たちが帰ってきたのかな?」
私たちは走ってきた道を戻る。部屋にはさっきの四人を引き連れた大柄の男が立っていて、タニアさんとグプタさんを部屋の隅に追い詰めていた。
「ふっふっふっ。……オレさまが帰ってきたからには逃がしやしねえぜっ!」
「どっかで聞いた声だよね」
チッタが私を見る。その声で男がこちらに気付いた。
「うん? 何だ? こんなヤツをさらってきた覚えは……」
「久しぶりじゃないか、カンダタ。今度は何ボケたことしてんだい? 堕ちるトコまで堕ちたのか!」
カッツェが叫んで壁を拳で殴りつける。埋められていた石が少し欠けて床に落ちる。
「うぬぬ! 誰かと思えばまたお前たちかっ! しつこいヤツらめ」
「改心したんじゃなかったんだ……」
呆然と私はカンダタを見る。どこをどうみても、改心したとは思えない。実際ココでは人攫いなんてやっていた。
「だが! 今度は負けはせんぞっ!」
カンダタは前と同じ、大きな斧を担ぎ上げる。
戦闘は避けられそうに無かった。
57■人攫いの洞窟 3
「で」
カッツェがテーブルに足を組んだ格好で腰を下ろして、冷たい瞳でカンダタを見下ろす。カンダタは床に土下座状態だ。
「色んな状況が重なって煮えくり返ったこの気持ちは、とりあえずコイツにぶつけたらいいかね?」
「当初の相手にも、今後のことも考えてぶつけたほうがいいと思います」
カッツェの言葉に、リュッセは平然と返事をする。
それって、つまりグプタさんも一発ぶんなぐっとけ、ってことだよね。確かにまあ、ちょっとむかっと来ないでもないけど。
「まあ、とりあえずはこれだな。どうしてくれよう」
カッツェは足でカンダタの顔を指す。腕組みをして、かなり機嫌が悪そうだ。積もり積もって爆発したんだ、きっと。
「参った! やっぱりあんたにゃ敵わねえや……。頼む! これっきり心を入れ替えるから許してくれよな! な! な!」
カンダタは、最初からカッツェとは交渉しないつもりなのか、私を見てそんなことを言う。まあ、確かにカッツェに許してもらえる可能性はかなーり低いわけだけど。
「許す必要なんて無いよリッシュ、再起不能なまで叩きのめしてやる」
カッツェがギッとカンダタを睨む。もう「キッ」くらいの睨み方じゃない。
「うああああ、悪かった! 悪かったって! 反省してる! この通りだ! な! な! 許してやってくれよ!」
「あの時せっかくリッシュが許してあげたのに、こんなことしてたら姉さんが怒るのも無理ないよ」
チッタが口を尖らせる。
「本気だよぉう、今回こそ心を入れ替えるって!」
カンダタは少し情けない声を出した。
「まあ、再起のチャンスを無下に奪わなくても、とは思いますけどね」
「おお、兄さん話が分かるな!」
「けど、そのチャンスを既に一度踏みにじったわけですし、何を持って信じるかですよね」
リュッセが冷たい声で言いながら、遠いところを見るような目をした。
「俺にも色々あったんだよ……聞いてくれるか?」
「作った転落話なんて聞きたかないね!」
カッツェは鋭い声でいうと、机から降りてカンダタに歩み寄る。そしてがっとその頭をつかんだ。
「アンタいい加減にしな」
そのままカンダタがかぶっていた覆面を剥ぎ取る。中からは黒髪の、なかなかハンサムな男の顔が出てきた。ちょっと目つきは鋭いけど。
「うわ、姉さん面食い!」
「終わった男との事を言うな」
「ごめんなさい」
冷たい声に、チッタが縮こまる。カッツェは剥ぎ取った覆面を床にたたきつけると、ソレを踏みつけた。
「覚悟はいいかい?」
「手加減してくれ」
次の瞬間、カッツェの見事なまでの平手打ちが炸裂した。またもや、なんだかとっても鈍いいやーな音がした。音の正体は追求したくない。
「リッシュ!」
「な、なに?」
「後はアンタの好きにしな」
カッツェの言葉に私はカンダタを見る。左頬を押さえてかなり痛そうにしていて、うめき声まで上げている。
……グプタさんのときは、もっと手加減してくれるかな、カッツェ……。
「ええと」
私はカンダタの前にしゃがむ。
「もうしない?」
「しない! 誓う!」
「何に誓う?」
「カッツェに……」
「のろけ?」
私は思わずカッツェのほうを見る。カッツェは舌を出して気分悪そうな顔をした。
「仕方ないから、許してあげるよ。でも、今度また何か悪さしてるのを見つけたら、もう許さない」
「ありがてえ! じゃあんたも元気でな! あばよ!」
カンダタは物凄い速さで立ち上がると、まだ床で伸びている子分たちを掻っ攫って走っていく。
「甘い?」
「許せるのは強さですよ。優しさとともに」
リュッセが答える。
「そっか」
「そうですよ」


「あ……ありがとうございました」
部屋の隅でずっと成り行きを見守っていたグプタさんが、タニアさんと一緒にこちらに歩いてきた。ちょっとおびえてる感じなのは、気のせいだと思いたい。
「このご恩は一生忘れません! さあ帰ろうタニア!」
「先に帰るのは勝手だけど……」
チッタが歯切れの悪い返事をする。
「どうか後でバハラタの町へよってくださいね」
「寄るさ。アンタには言いたいことが山ほどある」
「手加減してあげてくださいね」
カッツェの言葉と、ソレに続くリュッセの言葉に、一瞬グプタさんは固まった。けどすぐに気を取り直したのか、「では」と頭を下げてタニアさんと歩いていく。
「カッツェ、やっぱり殴るの?」
「そっち方面はカンダタをぶん殴って多少すっきりしたから、説教だけだ、心配しなさんな」
「信じてるからね」
「おう、まかせとけ」
58■黒胡椒
バハラタへ戻って、真っ先にお爺さんの胡椒問屋さんに向かう。お店のドアは大きく開け放たれていて、入り口には開店中を示す看板が立てかけられていた。中に入ると、グプタさんがカウンターの中で商品のチェックをしていて、タニアさんがフロアでせわしなく動き回っていた。
「こんにちはー」
声をかけながらお店にはいると、カウンターのグプタさんが顔を上げる。
「いらっしゃいませ!」
「お店、継いだんだ」
チッタが店の中をきょろきょろと見ながら尋ねる。
「はい。前からずっと店を継ぐ用意はしていたんですけど、漸く」
グプタさんがニコニコ笑って返事をする。もともとこういう仕事がすきなのかもしれない。
「助けていただいて、ありがとうございました」
グプタさんとタニアさんが深々とお辞儀をする。
「自分の力だけではなんともならないことって言うのは世の中に沢山ある。今回のことで学習して、もっと冷静に周りを見ることを覚えな」
カッツェが少し低い声でいうと、グプタさんの体がびくりとした。私は曖昧に笑うしかない。
「そりゃもちろん、何にもしないで助けだけを待つのも根性の無い話だけどな。餅は餅屋って言葉もあるだろ。アタシが商売に向かないように、あんたは荒事には向かないんだよ。そのへんのことを考えもしないで突っ走るだけじゃ駄目だ。アンタが死んだら、そこにいるタニアが悲しまないわけが無いだろう? その辺考えたのかい?」
「……」
「まあ、説教はここまでにするか。本当はまだ言いたいことは山のようにあるんだけどね」
カッツェは大きく息を吐く。
多分本当にまだまだ言い足りないんだろうけど、言うのをやめてくれたんだろう、多分。
「それより」
私はグプタさんを見る。
「胡椒を分けて欲しいんだけど、いいかな? いくら?」
「そもそもはそのためにポルトガのほうから来たんだよ」
私に続いて、チッタが言う。
「胡椒ですか? もう、差し上げます! そんな、お金を頂くなんてとんでもないですよ!」
そういうと、グプタさんは素早く胡椒を袋に詰めてくれた。
「食べる直前にすりつぶすほうが美味しいんですよ」
「……私が食べるわけじゃないんだ」
私は苦笑しながらソレを受け取った。袋の大きさとは不釣合いなくらい軽い。
「そうなんですか」
グプタさんは残念そうな顔をする。
「では、本日はうちで夕食を食べていってください。胡椒を使った料理をご馳走しますよ」
「それ、作るのタニアさん? いいの? 簡単にそんなこと言っちゃって」
チッタの指摘に、グプタさんはすこし引きつった顔で笑った。


初めて食べた胡椒の料理は、どれもぴりっと辛くて、最初こそ驚いたけれど、とても美味しかった。お肉の味が全然違う。偉大だ、胡椒。そりゃ王様だって欲しがる。全員で相談の結果、自分たちの旅の食事用にも少し胡椒を買うことにした(流石にこっちは小さなビンだし、お金は払った)
食事を終えてから、漸く落ち着いて、色んな話をする。
「そういえばさあ」
チッタは食後に、この辺の名産だというちょっと酸っぱくて甘い飲み物を頂きながら首をかしげる。ちなみに私も貰って飲んでるんだけど、不思議な食感。私は好きだけど、リュッセには不評だった。
「どうせだから、ちょっとこの辺観光していかない?」
「は? 何で? 胡椒手に入れたんだから、王様に渡しに行こうよ」
「あの我侭な王様に? ちょっと位時間かけたほうが価値が上がるってもんだよ」
「ポルトガからココまで歩いてきて、割と時間はかかってると思うけど」
「帰りはルーラ一発じゃない。きっと帰りが早すぎるって疑われるわ」
「どこまで王様嫌いなのチッタ」
「すっごく嫌い。あの王様嫌い」
「あ、そう」
チッタが凄く苦い顔をするから、思わず私は笑ってしまった。
「あ、じゃあ、北の山脈のほうはどうでしょうか」
そういってタニアさんは首をかしげる。
「そこ、何があるの?」
有益な情報だと判断したのか、チッタが身を乗り出した。よっぽどポルトガの王様嫌いなんだ。まあ、気持ちは分からないでもないだけどさ。
「北の山脈には、転職をおこなうダーマの神殿があるそうですよ。なんでも山奥だそうで、色んな知識を持った人が各地から集まっていて、様々な修行をしているとか……」
「それ、どこですか」
それまで話を聞いているのかどうかも分からなかったリュッセが地図を広げてタニアさんに尋ねる。
ずっと前、リュッセは賢者になりたいとか、ダーマ神殿に行ってみたいとか言っていたのを思い出す。
「えっと」
タニアさんが地図で指し示したのは、カンダタが根城にしていた洞窟よりももっと北だった。洞窟があった森をぐるりと迂回して北へ向かったところ。丁度半島になっているような場所を北に進んで、入り江の近くの森を指差した。
「確か、この辺って聞いたんですけど」
「そうそう、何か周りを山に囲まれた森だっていう話ですよ」
タニアさんとグプタさんがお互いに確かめ合って頷く。
「そうですか」
リュッセは暫く地図を見つめた後、「ありがとうございます」とお礼を言って地図をしまいこんだ。


「行きたいの?」
宿への帰り道、私はリュッセに尋ねる。リュッセは暫く黙ったまま歩いて、それから「ええ、まあ」とだけ答えた。
前をカッツェとチッタが歩いていくのを追いかけながら、私とリュッセは暫く黙ったままだった。
「そっか」
私は何とか答える。
「行こうか」
「無理に寄ってもらわなくてもいいですよ。ポルトガ王の気持ちが変わらない間に胡椒を届けるべきでしょうし」
私はリュッセを見上げる。
「夢、だったんだよね」
「過去形じゃないです」
「夢なんだ」
「どっちかというと野望ですかね」
リュッセはそういって笑う。
「なれたところで、何も変わらない可能性のほうが高いんですけど」
「……お、父さん?」
「否定はしません。けど、それよりもうちょっと規模は大きいです」
「そっか」
多分、家全体をさすんだろう、と思ったけど聞かなかった。
聞けなかった。
「僕、僧侶としてはちょっとガツガツしすぎなんですよ。ほの暗いというか。……だから賢者にも向いてないかもしれませんね。ああいう方々は悟りの境地でしょう? だから無駄足になる可能性が高いですから、僕のことは気にしないでいいですよ」
リュッセはそう言って私の頭をぽんぽん、と軽く撫でるように叩くと、ソレっきり黙ってしまった。

 / 目次 /