5 ■エルフとヒトと
彼らの悲恋。いつか分かり合える日は……来るんだろうか?


23■ノアニール
順調に北を目指して旅を続ける。
カザーブを取り囲んでいた山地は、そのうち平らな地面の森に変わって、やがて広い草原になった。草原とはいえ、ロマリア辺りの緑豊かな草原とは少々雰囲気が違う。ノアニールの辺りは北からの風が吹くせいか、少し草の丈が短い気がする。
空は少し低い感じ。空気が少し冷たい。風は強くなったり弱くなったりしながら、常に吹いている。
北のほうまで歩いてきたんだな、という実感がわいてきた頃、漸く視界にノアニールが見えてきた。遠目には、普通の町に見える。ただ、やっぱり奇妙な感じがぬぐえない。
「煙があがってない……」
チッタの呟きで、私は漸く理解する。コレまで、村や町が見えてきたときには、遠くからでも煙突の煙が見えていた。けど、ノアニールにはそれがない。
「やっぱり良くない事が起こってるんですね」
リュッセが少し眉を寄せた。確かに、ノアニールはあまり良い状況ではなさそう。
私たちは、誰が言うわけでもないまま少し歩くのを速くする。どれだけ近寄っていっても、ノアニールは普通に見えた。それが一層、気分をあせらせる。

ノアニールに漸く到着した。
町の中に入るとき、一瞬何か、空気の壁みたいなものがあるような感じがあった。
「今、何かあった?」
思わず尋ねると、カッツェは首をかしげたけど、リュッセとチッタはうなずいた。
「何か、壁みたいなものがあったよね? 変な感じ」
「どちらかというと、膜のようなものではなかったですか?」
「アタシは分からなかったけど……なんか外より空気が暖かくないか?」
カッツェの言葉に、思わず周りを見回す。確かに、町の外で吹いていた冷たい風が、少し和らいでいる気がした。
「暖かいかもしれませんが……外でアレだけ風が吹いていたのに、全く風を感じないのはなぜですかね?」
「ともかく、呪いだかなんだかが本当なのは確かそう」
チッタが嫌そうな顔をした。
「ともかく、中を見てみよう」

全員で固まって町を歩いてみる。草は伸び放題伸びていて、荒れた土地には毒を含んだ沼地までができていた。
でも、そんなことより私たちを心底驚かせたのは、町の人たちだった。
居ないんじゃない。
ちゃんと、居る。

ただ、皆、誰一人として正常じゃない。
全員、眠っていた。
ベッドにはいって、じゃない。
店の主は商売をしている姿のまま。お客さんは品物を吟味している姿のまま。道を歩いていたであろう人は、道に立ったまま。猫や犬でさえも、その動きを止めて。
全員が眠っていた。
町の人たちは、全員がその生活の一瞬を切り取られたままのようにその動きを止めて眠っている。
絵の中に、紛れ込んでしまったら、こんな感じだろうか。
「……とりあえず、大問題だね。何があったのかも分からないし」
「そうだね。いつからこんな状況なのかね」
カッツェは肩をすくめると、立ったまま眠っている女の人の顔を覗き込んだ。別に驚いた表情でもない。ただ、ちょっとそこまで出かけてきますって感じで立ったまま眠っている。
「……どうしよっか?」
「とりあえず、奥のほうまで見てまわって、どうしようもなかったら仕方ないよ。助けてあげたいけど、今のところ手がかりないし」
「じゃあ、町の奥のほうまで見て回ってみるか。それで駄目なら諦める」
宿の前にあるちょっとした広場で私たちは話し合った後、実際町の奥のほうまで歩いてみた。どの家も、人が眠っている。動きの全くない町。
「……ああ、嫌だなあ」
チッタは呟きながら歩く。
「そうだね、嫌だよねえ」
私もうなずく。ともかく嫌な感じ。ちゃんと町があって、人が存在するのに、正常ではない場所。

「あ」
カッツェが小さな声をあげて、道の先を指差す。つられるように道の先をみると、細々とした煙が、煙突から立ち上っている家を見つけることが出来た。
「誰か、住んでる?」
「そうかもしれない」
何となく早足になりながら、道の先にある家を目指す。着いた先は、二階建ての結構大きな家だった。相変わらず煙突からは細々と煙がのぼっている。誰かが今現在もここで暮らしているのは間違いない。
「泥棒とかじゃなきゃいいけど」
チッタが肩を軽くすくめてから、ドアをノックした。ややあって、ドアが開く。メガネをかけた、痩せ気味の冴えないおじさんがドアの隙間から顔を出した。それから、私たちを暫く見つめて、漸くドアを大きく開けた。
「いやあ、驚きました! ここへ人がやってきてくれるなんて! どうぞお入りください!」
随分嬉しそうに、おじさんは私たちを部屋へ招き入れてくれた。いそいそとお茶を淹れてくれる。それから、一体ここに何があったのかという話を教えてくれた。

そんなに昔でもないけれど、それでも最近ではない話。
この町の若者と、隠れ里に住むエルフの娘が恋に落ちた。
もちろん、周囲は反対する。
彼らは遂にエルフの村の宝を持って駆け落ちし、どちらの村からもいなくなってしまった。
人間たちは、諦めた。
しかし、エルフはそうではなかった。
なぜなら、エルフの娘は里の王の娘だったから。
彼女たちは姫が人間にだまされ、つれさらわれたのだと思った。
だから、姫を帰せと人間たちに迫った。
しかし町の人間たちは彼らがどこへ行ってしまったのかなどわからない。
もちろん、姫を里に戻すことなど叶わない。
エルフの怒りは頂点に達し、彼女たちは遂に村にのろいをかけた。
姫を無事に戻せば、町を元に戻すと。

「ですから」
メガネのおじさんはそこで一息入れた。少し困ったような顔をして、窓の外を見る。
そろそろ陽は傾き始め、少しだけオレンジの光が強くなってきている。
「どうにか、エルフの誤解を解いて、町を元通りにしてもらえないでしょうか? いや、もちろん旅のあなたたちには何の関係もないのは分かってますし、頼めた話じゃないのは分かっています。全くお礼もできない状態ではあります。……でも、そもそもここへはどんな旅人もやってきてはくれませんし、わたしも戦いの心得はありませんから、エルフのところへもいけないのです。頼れるのはあなた方だけなんですよ。……エルフに夢見るルビーをかえしてやってください」
おじさんは半分泣いたような顔をして私たちに手を合わせた。
私は思わず、皆の顔を見る。カッツェはいい顔をしていない。チッタは少し怒っているみたい。リュッセは、表情はいつもどおりで、何を思っているのか良く分からなかった。
「アタシとしては、だ。はっきりと関係ない話だし、興味もない」
「私はエルフはやりすぎだと思うわ。だから、文句はいいたい」
「僕は……何ともいえません」
リュッセは肩をすくめた。
おじさんはいまだ懇願するような目で私たちを見ている。もちろん、おじさんは私たちがエルフの隠れ里とか言うところに向かうのを期待してるんだろうけど、現在こちらとしてはカッツェとチッタの意見が対立しているし、リュッセは早々にその争いには加わらないことを宣言している。つまり、私がどちらにするか決めなきゃいけないんだろう。
「どうしますか?」
カッツェとチッタの言いあいを見守りながら、リュッセは私に静かな声で聞いてくる。
「んー、どうしたらいいかな? 個人的には、できたら助けてあげたいとは思う。でも、カッツェの言う『関係ない』って言うのも、そうだなあ、って思うし、チッタのいう、『エルフはやりすぎ』っていうのもわかる。……優柔不断なのかも、私」
「そうですね」
リュッセは少し苦笑してうなずいた。私はちょっとだけムっとして、リュッセに尋ねる。
「リュッセは……個人的意見はどうなの?」
「僕ですか? この話はあくまで、この方からこの町としての話を聞いただけですから、エルフの方々にも言い分はあるだろうな、とは思ってます。もしかしたら町の人たちが知らないだけで、エルフの言い分が正しいのかも知れませんし、それに……」
「それに?」
「どちらも間違っているのかもしれません」
「え?」
「当人たちにしか分からない事情があるかもしれないでしょう? 実は町の人もエルフの里の人も、どちらも間違った主張をしている、そんなこともあるかもしれません」
「どうしたらいいのかな?」
「貴女の思うままで良いと思いますよ。貴女がリーダーです」
いつの間にか、カッツェとチッタの言い合いも終わっていた。結局はカッツェが言い合うことに疲れてとりあえず保留したらしい。
「どっちにするんだい?」
少し疲れたような声でカッツェが言う。
「んー。とりあえず、エルフの言い分聞きにいこうか……。リュッセの言うことも尤もだし、個人的にはノアニールがこのままなのは気の毒だし」
「さっすがリッシュ! 分かってるぅ!」
チッタが私に抱きつく。
「行っていただけるんですか!?」
おじさんが顔を輝かせて、私の手を取るとぶんぶんと上下に振った。
「……助けられるかどうかは別ですよ?」
おじさんは聞いているのかいないのか、嬉しそうに私の手を握っている。
「交渉の余地があれば、交渉していただくだけでもいいのです! 一歩前進です!」
「……交渉決裂して数十歩後退ってことにならないようにだけは気をつけます」
24■エルフの隠れ里 1
おじさんの言うことには、エルフの隠れ里はノアニールからずっと森の中を西に進んだところにあるらしい。とはいえ、おじさんはもちろん隠れ里には行ったことがないから、詳しい位置は分からない。
我ながらややこしいことを引き受けてしまった。
地図で見るとノアニールの西に広がる森は広大で、はっきりといってしまうと、ノアニールの西から大陸が終わるまで、ずっと森で覆われている。この中から、エルフが住んでいる里を探さなければいけないということだ。
「……流石にちょっとうっかり失敗したなって感じ?」
チッタも顔を引きつらせる。
「だから感情で引き受けるんじゃないって言うんだよ」
カッツェはため息をついた。
「でもでも、引き受けちゃったものは仕方ないから! がんばって森の中を探そう!」
チッタが無理やり右手の拳を突き上げる。私は釣られて同じように拳を突き上げた。カッツェは大きくため息をついて、リュッセは苦笑して右手を軽く挙げた。

森の中は、思ったほど暗くはなかった。木々の間から光がさしてきている。地面は緑色のコケに覆われていて、歩くとふかふかとした感覚があった。全体的に緑が鮮やかで、深くない。新緑のような色に包まれている。
もしかしたら、エルフの人たちが住んでいることで、森が手入れされていて明るいのかもしれない。とはいえ、太陽が見える場所は限られているのと、道があるわけではないから、方角だけはしっかり把握しておかないとすぐに迷うことになりそうだった。
もっとも、まっすぐ歩いてきているという保証はどこにもないわけだけど。
カッツェはコンパスと地図、それからコレまでの移動にかかっている時間なんかを考えて、大体どの位の場所を歩いているかを把握してくれているみたいだった。だから、とりあえずは安心。
「っていっても、正しい保証はないけどね」
なんてカッツェは笑っているけど、それでも心強い。最悪の場合は、チッタのルーラでノアニールに戻ることになるだろう。……その場合、今回の話はなかったことにしてもらうしかないけれど。

森に分け入って6日くらい。随分森の西側まで歩いてきた。コレまでのところ、エルフには一度も出会っていない。もちろん、隠れ里なんて場所にも到達していない。そろそろ諦めたほうがいいかもしれない。
そんなことを思い始めた矢先、森が開けた。
といっても、今まで歩いていた森に比べて平地が広いというだけであって、相変わらず木々は周りを取り囲むように生えている。ただ、この平地に人の手が入っているのは確実だった。下草が刈られたり、かすかではあるけど、道がある。
「着いた?」
チッタが首をかしげたとき、木々の間から緑の髪の、ほっそりとした小柄な女の子が姿を現した。耳が三角に尖っている。白いワンピースから出ている手足がウソみたいに白くて、髪と同じ色の目が私たちを見て大きく見開かれた。その顔は、物凄く整っていて、絶世の美少女といってもいいくらい。あまりにキレイすぎてかえって怖いくらいだった。
「あななたち、どこから来たの? ここはエルフの隠れ里なのに」
「ええと……」
答えようと口をひらいたら、女の子がはっとしたように口に手を当てた。
「いけない。ニンゲンと口きいちゃった。おかあさんにしかられちゃうわ」
そういうと、くるりと身を翻して、元来た道を戻っていってしまう。
「あ、コレはまずい」
リュッセはぼそりというと、足早に彼女が消えたほうへ歩き出す。私たちは釣られてあるきながらも、とりあえず尋ねる。
「どうしたの?」
「彼女はニンゲンと喋ったことをしかられる、といって行ってしまったんですよ。思っていた以上にエルフの方々の人への憎しみは強いのかも知れません。彼女が僕達が来たことを話して回った場合、警戒されて姿を隠されるかもしれませんし、最悪の場合敵対行動をとられるかもしれません。早く行かないと、交渉の余地がなくなります」
「あ!」
「駆け落ちしたというエルフの娘さんは、ここの姫でしたね。……長に会うのが一番手っ取り早いでしょう」
「そういう人は、大体一番奥にいるものよ」
「どこまでが里かによるな」

歩いていくと、エルフの隠れ里は小さな集落だった。
水場を中心に、ぽつりぽつりと家が建っている。どこを見ても、エルフの女の人しかいない。ただ、どのエルフさんも、あまり友好的には見えない。
「ああ、コレは交渉も難しそうですね」
リュッセが力なく笑った。確かに、かなり交渉は難しそう。
「あんたがた、どこからきたんだ?」
不意に背後から声をかけられて、振り返る。
そこにいたのは、腰も曲がったようなおじいさんだった。かなり疲れた顔をしている。耳は尖っていない。普通の人間だろう。
「あなたは?」
「わしはノアニールから来たんじゃ。……ウチの息子がここの娘と駆け落ちをしてしまったばかりに、ノアニールは……。息子がいなくなった今、謝罪できるのはワシだけしかおらんから、こうして来ておるんじゃが……」
「どうですか? 話はうまく進んでますか?」
おじいさんは力なく首を左右に振った。
「全く話を聞いてもらえんよ。もうワシは何年ここにおるんじゃろうな……どうもここにいると時間の経過がようわからん」
「私たち、ノアニールに住んでる人に頼まれてここに来たんです。こちらの長の方と話がしたいんですけど、おじいさんは長がどちらにいらっしゃるか、ご存知ですか?」
「女王なら」
おじいさんは村の奥、水場の向こう側にある高台を指差した。
「あっちのほうじゃ」
「ありがとうございます。がんばって話くらいはしてきます」
「……」
おじいさんは大きくため息をついて、そして力なくうなずいた。
25■エルフの隠れ里 2
教えられた高台のほうへ向かう。
他とは少し違う儀式めいた建物がそこには建っていた。木を組み上げたような屋根。柱があって、壁はない。住居ではなく、あくまでも女王が一時滞在する場所なんだろう。
エルフの女王は、そんな場所にある椅子に腰掛けていた。
「ニンゲンが何用じゃ?」
エルフの女王は、氷のような冷たいまなざしをしていた。けど、その冷たさすら魅力に変えてしまいそうな美しさを持っている。エルフは人間を超越したような美しさを持った種族だとは聞いていたけど、ここまで綺麗だとは思ってなかった。
でも、何だろう、綺麗過ぎて怖い気もする。
「用件は一つです。ノアニールにかけた呪いをといてください」
「断る」
女王は冷たいまなざしを私に向けると即答した。
「リッシュ、そんな言い方じゃ駄目だよ……」
チッタがため息混じりに呟いた。
「一体何があって関係もない者がわざわざ出向いたのだ? ノアニールの者は全て眠らせたはず。つまり、そなたたちは無関係だろう?」
エルフの女王は皮肉げに口を吊り上げて言うと、後は話すことなどないといわんばかりに口をつぐみ、そっぽを向いてしまった。
「コレは独り言なのですが」
リュッセが私の背後からぼそぼそと話し始める。
「我々は確かに女王様の言うとおりノアニールには全く関係のない、ただの旅の者です。しかし、我々はノアニールでの事象に心を痛めております。なぜなら、多分双方不幸な出来事であっただろうと推測するからです。ノアニールの若者が、あなた方の至宝である姫君を連れて行ったのは紛れもない事実で、女王様をはじめ皆様が心を痛め、お怒りになるのは当然かと思います。しかし、コレはノアニールの人間だけに限らないのですが、人間というのはあなた方エルフと違いましてかなり連帯感のない生き物です。隣に住む人間が、どういう人間なのか知らないでいても平気でいられるような。ですから、ノアニールの人間があなた方の問いかけに答えないのは当然といえます。あなた方の恨みは深いでしょう。しかし、高潔なエルフの方々が、無関係のものまで巻き込んでしまっては、少々問題があるのではないでしょうか。……我々はただのおせっかいですし、コレは僕の独り言ですので、忘れてくださって結構です」
女王は視線だけをリュッセに向ける。リュッセはにこりと笑ってその視線を受け止めた。
「お前はコレが文化の違いだというのかえ?」
「いえ。先ほどの推測はあくまで、ノアニールで唯一目覚めていた方から聞いた話から導いた、ただの妄言です。真実へ近づくためには、女王様をはじめ、他のエルフの方々からも話を聞く必要があると思っております」
「どうしてそれほどまで関わろうとする?」
「こういう話は、全く関係のない第三者が調査したほうが、双方納得ができるかと」
「関係ない? ……お前は人間ではないか」
「人間になど、疾うの昔に幻滅しております」
リュッセは淀みなく答える。
意外な言葉に、私だけじゃなく、チッタもカッツェも、そしてエルフの女王までもがリュッセの顔を見つめた。その視線を全て受け止めて、それでも表情に変化はない。

――人間になど、疾うの昔に幻滅しております。

私が知っている限り、リュッセはアリアハンの教会で僧侶として育ってきたはずで。
私のたびについてきてくれたのも、神の声を聞いたからだと言っていて。
それなのに。

「面白い。では調査をお前たちに託してみよう。しかし、我らの主張が正しいと証明されるだけであろう。娘は……アンはだまされたに決まっておる。村の宝であった『夢見るルビー』まで持ち去って……。人間にだまされたのだ。きっと」
「どこか、お姫様の行きそうな場所に心当たりは?」
「人間にだまされ、多分夢見るルビーを奪われてしまい、きっとアンはここへ帰りづらいのだ。……村から南へ行くと洞窟がある。身を隠すには最適であろう」
「わかりました、ではその辺りから探してみましょう」
「良い報告を待っておる。下がってよい」

「ねえ、ねえ、本当なの? ねえ、リュッセくんってば!」
女王の前から退席して、私たちはエルフの村の中央にある水場まで戻ってきていた。
チッタはさっきから、リュッセに女王への発言について聞こうと躍起になっている。もちろん私も気になるし、カッツェも気になっているみたい。今の所、リュッセから返事はない。考え事をしているのか、ぼんやりとした目をしている。
「ねえってば!」
チッタがリュッセの左腕を引っ張る。
「うわ!」
考え事は相当深い場所で行われていたらしい。腕を引っ張られて、漸くリュッセは自分に声をかけられていたことに気づいたみたいだった。バランスを崩してこけそうになっている。
「なんですか?」
「なんですかじゃないわよぅ! さっきの! アレ本当なの!?」
びしりと指を突きつけて、チッタが叫ぶように言う。リュッセは困惑したように首をかしげた。
「さっきの?」
「人間には疾うの昔に幻滅しています、ってやつ!」
「ああ……本当ですよ」
リュッセはあっさりと肯定した。
「まあ、正確には『疾うの昔幻滅しました、今は信じてもいいくらいには回復してます』ですけど」
「リュッセくん教会の子どもで僧侶でしょ? どうしてそんなことになってるの!?」
「それはアタシも聞きたい」
「疑わなくても別に僕は皆さんのことを疑ったり幻滅したりしていませんよ」
「わかってるよ。でも穏やかじゃないね」
カッツェは目を細くしてリュッセを見る。
「仲間内に疑心暗鬼があるのはよくない」
リュッセは困ったように少し視線を宙にさまよわせた。暫くそうしていて、それからぼそぼそと聞き取りにくい声でこう言った。
「あまり、昔のことは、思い出したくないんです。ただ、僕は、人間が、自分の欲望のためならば、どういうことだって、する、と、いうことを、身をもって知ったことが、ありまして、そのせいで、人間に、世界に、全てに、幻滅したのは、確かです。ただ、それでも、僕を助けてくれたのは、人でしたし、閉ざしてしまった心を、暖めてくれたのも、人でしたから、まあ、まだ、捨ててしまうことは、ないかな、と、思っていますよ」
言葉を区切り区切り、どうにか口にした、といった感じでリュッセは喋ると、その場に座り込んだ。
「それに、皆さんのことは、好きです」
小さな声で言う、リュッセの顔色はあまりよくなかった。
「何か、つらいことがあったんだね」
「ええ」
「聞いてごめん」
「いえ」
チッタはリュッセの横に座ると、その背中をさする。リュッセは口に手を当てて、気分が悪そうにしている。
「その経験が、おせっかいを焼こうとおもった理由かい?」
「いえ、全然似ても似つかぬ状況ですよ。ただ、このままでは誰も救われないでしょう? 何年前からこんな停滞を続けているのか知りませんけど、そろそろ救われてもいいじゃないですか」
リュッセはそういうと立ち上がる。背中をさすってくれてありがとう、とチッタにお辞儀をした。
「それに」
そこでリュッセは私を見た。
「ノアニールを、助けたいんでしょう?」
「うん」
「なら、理由は十分でしょう。助けたいと思っている人がいるんですから」

エルフの村では、他にたいした情報を手に入れることはできなかった。
というのも、エルフは大体私たちを見るとどこかに姿を隠してしまうし、たまに話をしてくれても、たいていは冷たい言葉を投げかけられるだけだった。お店の人も冷たくて何も売ってくれない。ちらりと見えた品揃えはとてもよさそうだった分、ちょっと悔しい。
唯一の収穫は、エルフはホビットと仲が良いということが分かったこと。
けど、だからといってそれで事態が好転するかといえばそんなことは全くない。豆知識が一つ増えました、というだけの話でそれ以上の有効活用ができそうには思えなかった。
仕方なく、私たちは南にあるという洞窟へいってみることにした。
26■地底の湖で 1
再び森の中を移動する。相変わらず全体的に黄緑色の、光あふれる緑の中を歩く。地面は緑色のコケで覆われていて柔らかいのも変わらない。道はないけれど、起伏はきつくないから歩きやすかった。
隠れ里を出て、南に数日歩いたところにその洞窟はあった。
里からそんなに離れているわけでもなく、入り口も隠されているわけでもない。もちろん、こんな森の奥深くまでやってくる旅人はそういないだろうから、誰もこんな洞窟なんて知らないだろうけど、決して見つけにくいものでもなかった。
「この奥に隠れてるかもしれないって、言ってたよね? あんまり里に近すぎない? もっと遠くに逃げて行っちゃってる気がするんだけど」
チッタは暗い洞窟の中を覗き込みながら首をかしげる。
「女王はここかもしれないって言ってたけど、見に来てないんだよね? なんでかな?」
私もチッタと一緒になって洞窟を覗いてみた。入り口ですらかなり薄暗い。たいまつやランタンを持って入らなきゃ、まっすぐ歩くのも難しいだろう。
「結論を知りたくなかったんじゃないか? ここに居ても居なくても、現実が突きつけられることには変わりない」
「探してるんでしょ?」
「ここに居て、拒絶されたら?」
「うわ、嫌だ」
「だろ? 居なかったら、本当にどこに行ったのか分からなくなるしな。探さないってのは一つの手だよ。……逃げでもあるけど」
カッツェは腕組みして洞窟の中を覗き込んだ。
「結構深そうじゃないか。あんまり人もこなさそうだし……何かお宝があればアタシとしては嬉しいんだけどね」
「エルフの宝物があったりしてね」
「あったらここを紹介しませんよ」
チッタの言葉にリュッセが苦笑する。
とりあえず、元気そうで良かった。

「さて、まあ、お姫様が居るにしても居ないにしても、洞窟を覗いてこないと分からないわけだから。行こうか」
そんな風に声をかけて、私はみんなの顔を見る。
「こういうときくらい、『行くぞ!』とか言ったほうが雰囲気出るんじゃないかな?」
チッタは私の顔を見る。
「んー、今更な気がするんだけど、じゃあ、行くぞー!」
「おー!」
拳を突き上げる私とチッタを見て、カッツェが深々とため息をついた。
「アタシャたまにあの子達の若さについていけないよ」
「問題ないでしょう、僕もついていけないというか、圧倒されてますから」
「アンタには若さが足りない」

洞窟の中はひんやりとした、湿っぽい空気で満たされていた。地面は硬いけれど、表面がうっすらとぬかるんでいる。コレまでもぐったことのある洞窟と比べても、随分空気も地面も水を含んでいるように感じられた。
「気をつけて歩かないといけないね」
カッツェは壁や床にランタンを近づけて暫く周囲を観察してからそういった。
「うん、こけたら最悪」
チッタは壁に手をついてみて、随分嫌そうな顔をした。どうやら、壁も随分濡れているみたい。松明やランタンで照らされた壁は、てらてらと光っている。
「気をつけていこう」
洞窟は、元は自然の洞窟だったところにかなり人の手を加えて、今の形になったみたいだった。道はいくつか枝分かれしているけれど、地面はずっと平らで歩きやすい。しかも、下の階に続く階段までが用意されている。今、エルフの人たちはこの洞窟にはやってこないらしいけど、昔は何かに使っていたのかもしれない。……エルフの昔なんて、一体どのくらい前なのかは見当もつかないけど。
階段をおりると、ちょっとした水場が広がっていた。水場と言っても、水は浅くて水溜りよりちょっと水量が多い程度。その水場の中央には、6本の柱がたてられている。近付いていくと、そこだけきちんと床に石が敷き詰められていて、周りの柱との関係から祭壇のように見えた。柱と床は円形に広がっていて、その中央から青白い光が溢れてきていた。
それはとても神聖な雰囲気で、見ていても全然恐ろしさを感じない。
青白い光は、冷たい印象ではなく、むしろ暖かな感じ。
光は強くなることも弱くなることもなく、ただ床から溢れ出てきている。それは緩やかなうずを巻き、天井まで達している。
「何だろう?」
そっと近づく。
誰も私を止めなかった。
本能的に、この光を恐れる必要がないのを皆分かっていたんだとおもう。
そっと光に触れる。
暖かい、と感じた。
――飛び込んでしまいたい。
そんな衝動に駆られて、私は光の中へするりと体を飛び込ませる。
一瞬、体が軽くなる感じ。
光から外に出ると、体が軽くなった気がした。
「……だ、大丈夫なの?」
チッタが心なしか青ざめた顔で言う。
「何が?」
「無事?」
「うん。なんかね、体が軽くなった気分。疲れが吹っ飛ぶっていうか。気分がいいよ。入ってみたら?」
チッタは胡散臭そうに私の顔をまじまじと見た後、大きくため息をついてから光の渦の中に入っていった。暫くして、チッタは少し興奮気味に光から飛び出してくる。
「ちょっとリュッセ君も入ったほうがいいよ!」
「どうしたんです?」
リュッセが眉を寄せてチッタを見る。かなり不審に思っているみたいだ。
「コレね、多分魔力が吹き上がってるんだよ。それで気力体力が持ち直す感じ。だからリュッセ君も入ったほうがいいよ。魔法使うのが楽になるから。カッツェ姉さんも!」
チッタの言葉に私も慌てて大きく何度もうなずく。カッツェとリュッセは私とチッタを見比べて、それからお互い暫く顔を見合わせて、それから信じてなさそうに光の渦に入っていった。
暫くして出てきた二人は、妙に納得した顔をしていた。
「とりあえず、やばくなったらここに戻ってくるようにしたほうがいいね。奥がどれだけ深いか分からないし、魔物だって頻繁にでて来てる」
カッツェの言葉に私たちはうなずくと、先を進むことにした。
27■地底の湖で 2
洞窟の中は、相変わらず湿っぽく、道も複雑に枝分かれしていた。
普通にしていても迷いやすい上に、魔物に襲われて戦っているうちに方向を一瞬見失うこともある。こういう道では本当に、カッツェが心強い。
「ええと、今こっちから来たんだから」
チッタがカッツェとともに地図を見る。ちらりと覗き込んでみたら、きちんと書き込みまでしてあった。二人とも心強い。
「とりあえず、こっちの道はまだいったことがないから、今度はこっちだね」
チッタが指差した方向は、広い道から細い道に入っていくような道。先は暗くて、どうなっているのか分からなかった。
「じゃあ、そっちに行くことにしてちょっと休憩する? 今なら広くて見晴らしが他に比べたらいい場所だし」
そう提案するとあっさりと皆は承諾した。とはいっても、地面は湿ってぬかるんでいるから、座り込むわけにも行かない。厚めのマントを出っ張った岩に敷いて、その上に全員背中合わせに座る。
「わたし思うんだけど」
チッタがこれから行く、細い道のほうを見て話し出す。
「ここまで来て思うんだけど。……ここにお姫様は居ない気がするのよね。だって、魔物は結構強いし、それにこんなに床はぬかるんでるし寒いし薄暗いし。短期間身を潜めるならともかく、長い間居られるとは思えない」
「それはいえる」
カッツェがすぐに同意した。
「もし住み続けるなら、さっき通ったあの魔力が湧き出している辺りだろう。奥に居る可能性は低いと思う」
「じゃあ、行くのやめる?」
私が聞くと、皆は暫く黙った。
「あまり考えたくはありませんが、最悪の結果も思っておいたほうがいいかもしれませんね。それなら奥でしょう」
「最悪?」
「聞くんですか?」
再び全員が押し黙る。
なんとなく、可能性が頭を掠めないでもないまま、でも気づきたくない話。
気づかない振りをしたい可能性。
「最悪の結末かどうか、確かめるだけでも意味はあるよね? エルフの怒りが収まるかどうかは別として、今、お姫様がどうなってるのか知るだけでも意味はあるよ」
「じゃあ、進むか」

休憩を終えてまた歩き出す。休憩をして体は軽くなったはずなのに、なんとなく足が重いのは、多分気が重いから。
無事で居て欲しい。
でも、無事ならこんなところに居ないだろう。
どっちにせよ、気が重い。
細い道を注意深く歩いていくと、枝分かれした短い通路にまた階段があった。その階段をくだると、あたり一面は湖になっていた。
薄暗い洞窟なはずなのに、湖面は真っ青に光り輝いて静かに波打っている。
空気は更に冷たくなって、ところどころに霧がかかって幻想的な風景を作り出していた。
音のない、静かな世界。
今居るのは、そんな湖に浮かぶ島のひとつみたいだった。むき出しになった土の地面には、草も生えていない。
静かで静かで、生き物の気配のしない場所。
島は細長く延びていて、その行き止まりには右手の島に続く大理石の橋が作られていた。橋で繋がった島は小さくて、目に付くような建物や人工物は一切ない。
ただ、その中央に小さな箱が置かれていた。
「……確かめる?」
「しか、ないと思う」
私たちは重い足取りのまま箱に近寄るとそっとあけてみた。
中には、キレイな加工をされたルビーと、手紙が入っている。
「手紙、あけないほうがいいよね」
「うん」
「……お姫様、たぶん……」
「もうこの世に居ないでしょうね」
リュッセは暫く湖を見つめて、小さな声で祈りの言葉を呟く。
それに合わせて、私たちは手を合わせた。
この、静か過ぎる湖で彼と彼女は何を思ったんだろう。
「帰ろう」
チッタが私の手を握った。
「わたしたちは、間に合わなかったんだから仕方ないよ」


エルフの里は相変わらず緑にあふれた美しい場所だった。
その一番奥の、不思議な建物の中で、私たちは女王に再会した。相変わらず冷たい氷のようなまなざしが、凄みを感じるくらいに美しい。
女王は無言のまま何度も手紙を読み返して、漸く私のほうを見た。
「読むことを許します」
女王の読んでいた手紙を、付いていたエルフが私のところまで持ってきてくれた。全員で文面を覗き込む。

『お母さま。さきだつ不孝をおゆるしください。
わたしたちはエルフと人間。この世でゆるされぬ愛なら…
せめて天国でいっしょになります……。 アン』

のろのろと顔を上げると、女王と目が合った。
「私が二人を許さなかったばかりに……」
女王は長い間、何も話さず遠いところを見るような目をしていた。
私たちも言葉が出ない。
何か言ったほうがいいんだろうか?
でも思いつく言葉は全部言っても仕方がないように思えた。
「さあ、この目ざめの粉を持って村に戻りなさい。そして呪いを解くがいいだろう。アンもきっとそれを願っていることだろう……」
再び、付いていたエルフから袋に入った目ざめの粉を受け取る。
「そなたたちには世話になった。しかし我々は人間を好きになったわけではない。早々に立ち去られよ」
声をかけるわけにも行かず、私たちは建物を後にする。
「ああ、アン! 私を許しておくれ!」
そんな声が背中のほうからした。
今頃女王は泣いているのかもしれない。

「今更言ったって遅い」

ぼそりといったリュッセの声に、私は驚いて顔を見る。カッツェもチッタも気づかなかったのか、そのまま歩いていく。
リュッセも私の視線には気づかず、そのまま里の外を目指して歩いていってしまった。
28■ノアニールの目覚め
ノアニールは相変わらず眠りの只中にあって、何も変化はなかった。
「貰った目覚めの粉っていうのは、どうしたらいいのかな?」
私は道具袋から、エルフの女王に貰った目覚めの粉を取り出す。それは小さな袋で、触ると中に何かが入っているのが分かる。独特のさわり心地がした。
「とりあえず、粉っていうくらいだから、粉が入ってるのよね? 全員にかけてまわるとか?」
チッタは村の中に目を向ける。村の通りには何人もの人が立ったまま眠っていて、全員にかけて回るのは無理そうだ。第一、目覚めの粉が入った袋はそんなに大きくないから、全員にかけて回るだけの量もないだろう。
「全員は物理的に無理そうだね、どうする?」
カッツェもさすがに困ったような顔をして、私の手の中にある袋を見る。
「中、見てみようか?」
袋をそっと開けてみると、中には黄色く輝く粉がはいっていた。良く見ると、粉というよりは花びらのように薄いフレーク状で、一片一片は三角形になっている。
「どのくらいかけたら目が覚めるわけ?」
使い方が全く想像つかなくて、私は思わずみんなの顔を見る。カッツェは眉を寄せて首をかしげ、チッタは口を尖らせて目覚めの粉を見ている。リュッセは曖昧に笑った後、
「とりあえず、そこにいる男性に少しかけてみてはどうでしょう?」
「うーん、そうしてみようかなあ?」
袋をコレまでよりすこし大きく開けて袋のなかに手を入れかけたとき、風が吹いた。
そういえば、カザーブからノアニールまでの道のりは結構風が強かったっけ、なんて気楽に構えていたら。
「リッシュ!」
チッタの声が飛ぶ。
「え? あああ!?」
思っていたより、目覚めの粉は軽いものだったらしい。風に煽られて袋の中から粉はどんどん飛び散っていく。
薄く黄色く光る粉は、風に乗ってノアニールの中を飛んでいく。
風の動きが見える。
意思をもってるかのように、ノアニールの中をぐるぐると駆け回り、やがて空へ渦を巻いて消えていった。

少し、薄荷に似た匂いがした。

「ど、どうしようか?」
いまや袋の中に粉は全く残っていない。途方にくれて皆を見ようと振り返ったときだった。
視界の隅で、何かが動いた。
反射的にそっちを見ると、ノアニールの入り口で立ったまま眠らされていた男の人が大きく伸びをしている。大きなあくびと一緒に。
「ふあああ〜〜」
なんて間の抜けた声をだしながら伸びを終わらせた男の人は、私たちに気づいて首をかしげた。
「あれ? いつから居たのおねえちゃんたち」
「ええと、ついさっき、です」
「あ、そうなの? オレ余所見してたのかな? えっと、ノアニールにようこそ」
眠っていた時間は、彼の中では流れていないみたいだった。彼等は一体何年間「なかった」ことにされたんだろう。そしてその何年間かは、彼等の中には存在しない。
何だか、変な気分だった。

とりあえず、報告に行く事にして村の奥にある、唯一眠っていなかったメガネのおじさんの家に行ってみることにした。
おじさんの家が見えるところまで歩いていくと、ちょうどおじさんが家の中から出てきているところだった。おじさんは、私たちに気づくと走ってこちらにやってきた。
「ありがとうございます! ありがとうございます! 人々のざわめきが聞こえて外に出てきたんですよ!」
おじさんは私の手を一方的に握ると、上下にぶんぶんと振った。少々手荒な握手に、私は曖昧に笑い返す。
「私たち、そんなにたいしたことは出来なかったんですよ。エルフの女王がきちんと話を聞いてくれたからなんです。だから、女王に感謝してくださいね」
おじさんはうなずくと、エルフの村があった方向を見て暫く黙っていた。
「ノアニールは、いいところですよ? 是非少し滞在していってください」
エルフの村のほうを見ていたおじさんは、ちょっと悲しそうに笑った後、私たちを見てノアニールの紹介をしてくれた。
「じゃあ、回ってみます」
答えて、元来た道を戻りかける。
振り返るとリュッセがおじさんと何かを喋っていた。リュッセは何かを否定するような感じで、小さく首を横に振ってから深々とお辞儀をして、早足にこっちに戻ってきた。
「何話してたの?」
リュッセは暫く何かを考えるように視線を宙に彷徨わせた後、
「男同士の秘密です」
なんて似合わない事を言って笑った。

ノアニールは、目覚めたばかりにも関わらず活気に溢れていた。
町の彼方此方を子どもが走り回ったり、店からは客寄せの威勢の良い声が響いている。眠りから覚めたせいで、逆に元気なのかもしれない。
村の人たちにとって、寝ていた時間はなかったことになっている。多分、そのうちカザーブ辺りに行商にでて驚くことになるんだろうけど、今の段階で私たちが何か言っても、多分誰も信じないだろう。
「とりあえず、ざっと中を見て回って宿で一泊したらここを離れよう。下手なことをいってボロをださないほうがいい」
「そうだね」
カッツェの提案に私はうなずく。皆思っていることは同じなのか、同意している。
「なんか変な感じだね。皆知らないことを知ってるのって」
チッタはそんなことを言いながら、口を尖らせて辺りを見回していた。

宿に行くと、宿屋の人が一生懸命掃除をしているのに出くわした。
「あ、いらっしゃいませ、4名様ですか?」
「はい、あの、泊まれますか?」
「問題ございません。ただ、現在掃除中でうるさいですけど、よろしいですかね?」
「いいですよ。どうしたんですか?」
「それが、ちょっと目を離した隙に埃が床なんかに溜まってまして。毎日掃除してるのに、どういうことなんですかね?」
理由が分かる私たちは、曖昧に笑って「何ででしょうね?」とだけ答える。
この分だと、行商とか出なくてもいずれノアニールの中だけででもおかしなことが沢山になってきて話が合わなくなるかもしれない。けど、ソレを私たちが知らせなくてもいい。きっと今私たちが本当のことを言っても、信じてもらえないだろうし、下手をしたらうそつき呼ばわりされて嫌な目に遭うかもしれない。出来れば周りに波風たてないように気を使いながら歩いたから、宿の部屋に着く頃には妙に疲れきっていた。基本的に、隠し事とか下手な性格だからかもしれない。
暫く部屋でごろごろとベッドに横になっていると、ドアがノックされた。
「はーい、あいてるよー」
返事をすると、チッタが顔を覗かせた。
「リッシュ、あのね、ビックニュース。この宿屋、オルテガおじさんが泊まった事あるんだって」
「え!?」
私は跳ね起きると、部屋の外に出る。チッタは若そうなお兄さんとお姉さんと一緒に廊下に立っていた。お兄さんはどことなく困惑したような顔をしていて、お姉さんはまだちょっと眠気があるのか、ぼんやりとした顔をしていた。
「あのね、この人たち、オルテガおじさんに会ったんだって。この宿で」
「お父さ……父はどんな様子でしたか?」
私が聞くと、お兄さんは少し驚いたような顔をした。
「へえ、オルテガさんの娘さんなのですか。私は色々なところを旅して回りましたが、彼こそが勇者と呼ぶにふさわしい男性でしたよ。ほんの昨日まではこの宿に彼も泊まっていたんですよ。何でも、魔法の鍵を探しに行くとかで、アッサラームのほうへ向かうとおっしゃってました」
そこまで言うとお兄さんは私の顔をまじまじと見た。
「オルテガさんは若かったのだが……お嬢さんは随分大きいね。やはり私の重い過ごしではないのだろうか」
「どうしたんですか?」
チッタがお兄さんを覗き込む。
「いや、オルテガさんが旅に出たのは、確かに昨日の話なんだ。私はその様子をしっかり覚えている。が……それから私は何年も眠り続けていたような気がして仕方がないんだよ。なにかこう……勘なのだけど。お嬢さんを見ていると、なんだかその勘が正しい気がしてきたよ」
お兄さん、鋭い。
「そんなことあるわけないじゃないですか」
今度はお姉さんが言った。
「オルテガ様がお出かけになったのは、確かに昨日です。それから何年もたったなんてありえないですよ」
「お姉さんは、父とどういう?」
「わたしが近くの森で怪我をして動けなくなっていたところを、お助けいただいたの。抱き上げてくださったあのたくましい腕……」
お姉さん、目がハートだ。
何かヤだなあ。
「ともかく、父は昨日出発して、それでアッサラームに向かったんですね?」
「そうだよ」
お兄さんとお姉さんは別々にうなずく。
「ありがとうございます」
私はお礼を言うと、チッタと一緒に部屋に戻る。
「なんか、不思議な感じだね。一体この村何年眠ってたのかしら。オルテガおじさんが旅をしてたのって、いつごろだろう。リッシュが生まれた頃にはもう旅立ってたよね?」
「うん、そうらしいよ」
「この村、10年以上時間が止まってたわけだ。なんか、なあ」
チッタはふう、と大きく息を吐く。
「お父さんは人助けだったんだろうけど、なんか若い女の人に好かれてるの見ると、ヤな感じだったよ。……お母さん一筋だと思ってたのに」
「一筋だよ、きっと」
チッタは私の頭を撫でてくれた。
「カッツェ姉さんとの別れが早まっちゃうけど、この村は早く出ようね。なんか、精神状況が悪くなる気がするわ」
「うん」
「でもきっと、これから先、色々なところでオルテガおじさんの話を聞くことになると思う。リッシュもちょっと覚悟しておいたほうがいいよ」
チッタの言葉に、私はうなずくしかなかった。

次の日、私たちは朝早く出発した。
村の人たちは長い間眠っていたせいか、皆朝早くから起き出して色々なことをしていたけれど、特に話しかけたりしないことにした。

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