7■決意のために


31■メルキド
「城塞都市・メルキドへようこそ!」
入り口で町を守っているらしい兵士にそう声をかけられる。
とりあえず、メルキドは健在だった。
「はあ」
とりあえず、返事をする。
「このメルキドは魔物からの侵攻を防ぐため強固な壁とゴーレムによって守られているのですよ」
「……」

ご、ゴーレムって、さっきぶっ壊してきた奴か???

俺の表情が凍るのに気づいたんだろう、兵士は俺の顔をまじまじと見つめた。
「……もしかして、ゴーレム、壊しましたか?」
「……」
俺は目をそらす。
「お兄さん、強そうですからねえ」
兵士は大きく息を吐いた。
「また博士に言って直してもらいますよ。今度から壊さないでくださいね」
「……な、直るんですか?」
「直りますよ」
「……」
あからさまにほっとした顔をしたんだろう、兵士は笑った。
「ゴーレムは、ある程度弱い奴には襲い掛からないんですよ。あまりに強大な力を持つものに対してだけ攻撃するんです。お兄さんは強くて、引っかかったんですね。ゴーレムの判断に」
「……俺は魔物かよ」
兵士は苦笑する。
「強大な力を持つものは、いつだって憧れと恐れの対象ですよ」
「そういうものかもな」
「ここのゴーレムは、昔勇者ロトの協力で作られたんですよ。今でもそのゴーレム研究者の子孫がゴーレムの修理をしているんです。あとで、ゴーレムをすり抜けられる合言葉でも聞いてきてください」
俺は兵士に礼をいうと、メルキドの町中に入った。


メルキドは道路という道路を石畳にした、規則正しい町だった。
広場は広場として存在している。店は商業地区、神殿、すべてが決まった場所に決められたとおりに立ち並んでいる。
俺は宿をとると、町の探索に出た。

武器と防具の店で、思い切って炎の剣と水鏡の盾を買った。
これで溜め込んでいた金はほぼ使いきった。
しかしこれまでの経験上、いいものは高い。きっとこれまでより随分戦いが楽になるだろう。
しばらくこの付近で訓練をつむつもりがあるから、最初にしっかり準備をするほうがいい。

町はほかの町に比べても随分落ち着いていた。
あの頑丈な壁と、ゴーレムがもたらしている安心感だろう。
町では重要な話をたくさん聞くことが出来た。

ひとつは、ロトの鎧の行方。
ロトの鎧はどういう経緯かは知らないが、人から人へ次々と渡っていったらしい。最終的にはゆきのふ、という男にたどり着いたようだ。そしてそのゆきのふは、ドムドーラの東にある店のだんなだったらしい。今でもその子孫が生きていて、この話は大体裏が取れた。

もうひとつは「しるし」について。
広場にいたばあさんが、しるしを求めるなら神殿へ行けとか言うもんだから、神殿へ向かった。
神殿は強力なバリアの向こうにあったが、仕方なく体力を回復しつつ向かってみた。
神殿には爺さんがいて、俺を見て少し微笑んだ。
こんな場所にいてよく微笑む余裕があるもんだ。
「勇者のため祈りましょう。光がいつも、そなたと共にありますよう……。行きなされ。そしてさがすのです。ラダトームの城まで北に140、西に80をきざむその場所を」
爺さんは静かな声でそういった。
「その北に140とかいうのは、どういうことですか?」
「それは貴方が一番わかっているはずです」
爺さんはそういうと、それ以上何も教えてくれなかった。


いくつかの情報を得たことで、少し先が見えた気がする。
とりあえず、目指すはドムドーラだろう。
……強くなっておかないと、あの黄色いフードの魔法使いにまた痛い目にあわされる。
でも、同時にドムドーラにあんなに強い魔物がうようよしていた理由もわかった。つまりは奴らはロトの鎧の見張りをしてるんだろう。
場所がわからないのか、魔物が触れないのかはわからないが、ともかく鎧は移動してないと見てよさそうだ。
俺のだ、とまでは言わないが、使わせてもらうことにする。
とりあえず、俺は自分で信じてなくても世間的にはロトの子孫だ、文句は出るまい。




宿について俺は絶望感にベッドに突っ伏した。
宿に戻る途中、それを見つけた。
小さな露店で、チープなアクセサリを売っていた。その中のひとつに、ガラスで出来た花がいくつかついたブレスレットがあった。
マイラで姫様に買ったネックレスと対になりそうなデザイン。
「これ、くれ」
気づいたときには指差していっていた。

……何で買っちゃうかなあ、俺。

どうするつもりだよ、これ……。
32■ロトの鎧
メルキドを拠点に随分訓練をつんで、かなり戦いにも余裕を持てるようになった。
さすがに超魔物大戦みたいな土地だから、最初は一回戦うので精一杯だったが、それでも何とかなるものだ。1ヵ月半くらいで、随分楽に戦えるようになった。
一番の成長を感じたのが、ドラゴンとの戦い。
姫様を助けるときには本気で命がけの戦いで、なんとか勝てたレベルだったのが、今や一撃で首を落とせる。
憎ったらしいスターキメラも一撃で落とせる。
強くなった。
慢心はしてはいけないが、それでも強くなったと断言できる。
今なら、ドムドーラに行ってもそんなに死ぬような思いはしないですむかもしれない。
出来れば黄色の魔法使いにもリベンジしたい。

念には念を入れて、メルキドで2ヶ月間戦いの訓練をしてから俺はドムドーラに向けて旅立つことにした。

砂漠の真ん中の廃墟に再び到着する。
相変わらず遠くから見るとただのオブジェで、ここに人が住んでいたとかにわかに信じがたい。
町の中心のほうに向かって歩く。
さすがに、敵が強い。
しかし、前のように手も足も出ないほどではない。
相手によっては一撃で倒せるようになっていた。
やっぱり訓練は重要だ。

砂漠の中の廃墟とはいえ、町にはまだ木がまばらに残っている。
しかし、壁だらけでどこが店でどこが家かよくわからない。
木があるところはとりあえず、建物でも道でもないだろうから、そういう方向を目指して歩くことにした。
途中黄色の魔法使いが出たから、いつも以上に力をこめて戦った。
魔法が発動する前に倒してしまえば、たいしたことはなかった。


町の東側には大きな木があった。
それを目標に歩いていくと、木を背に立つ黒っぽい鎧に気がついた。
鎧を着込んだ、魔物。
悪魔の騎士とかいう奴だ。
図鑑では見たが、戦うのは初めてだ。
漆黒の鎧を着ているのは、竜王の配下でも上から数えたほうが早いくらいの力の持ち主。
気をつけないと。
しかし、ひとつわかったことがある。

あそこがビンゴだ。

阿呆なんじゃないか、とか、罠かもしれない、とか色々思ったが、とりあえず行ってみる価値はあるだろう。
相手も、俺に気づいたらしく足元に刺してあった大きな斧を握ると構えた。
「勇者イチェルか」
「勇者のつもりはないな」
「ここの背後にあるものは、渡せん」
「やっぱり其処にあるんだな?」
あとは無言だった。
俺は迷わず騎士に切りかかる。
騎士は盾で俺の剣を受け止めた。
今度は騎士が斧を振りあげる。
何とかそれが振り下ろされる前に騎士から離れてよけた。
あんなの、まじめに盾で受け止めていたらそのうちジリ貧でやられる。
ただ、場所は店の裏手というだけあって決して広くない。
逃げ回る戦法はあまり使えない。
短期決戦がいいだろう。
少し後退して魔法の準備をする。
相手が踏み込んできたところに、顔めがけてベギラマをぶつける。
一瞬視界を奪えばそれでいい。
一気に胸元に飛び込んで体当たりする。
相手が転んだところを、首めがけて剣を突き刺すように振り下ろした。

黒い血が飛び散る。

気分がいいもんではない。
卑怯だと思う。

が。
そんな手でも使っていかなきゃ、生きていけない。

俺は動かなくなった騎士の隣に座り込んだ。
大きく息を吐く。
気分が悪い。
手も顔も体も、返り血で真っ黒だ。

この黒は、罪の色だろう。

俺は汚れてるんだろう。
強い力は憧れと恐れの対象。
俺も竜王も、本当は似たようなもんかもしれない。
結局、どっち側に立ってるかってだけの違いだ。

俺はのろのろと立ち上がると、それを探してみた。
ぱっと見、何もない。
仕方なく木の根元あたりを掘り返してみる。
しばらくして、立派な箱が出てきた。
あけると、ブルーメタリックに輝く鎧が出てきた。
胸元に、金色の鳥のような紋章がついている。
ロトの紋章だ。
そのくらいは俺でも見たことがある。
大昔の鎧なのに、さびひとつない。
俺はそれを取り上げてみた。
それなりの重量感がある。

俺はそれを担いで町を出た。
すぐにでも着てみたいとは思ったが、あの魔物だらけの町で鎧を脱いで着なおすなんて無謀なことはしたくない。

またメルキドを目指すことにした。
33■ロトのしるし
ドムドーラを出て、メルキドに戻るために歩き出す。
さすがにこの辺の魔物はもうそんなに問題にならない。ロトの鎧を手に入れたこともあって、少し気持ちにも余裕が出来てきた。
ドムドーラを離れて少ししたところでその日は野営をすることにして、日没よりも早い時間から用意を始めた。
食事を終え、火にあたりながらふと思い出す。
姫様はそういえば、あの不思議なアイテムで話をしたときに「なんとなくであれば、イチ様のいる場所もわかるんですよ」とか言っていた。
もしかして、メルキドの神殿にいた爺さんが言っていた不思議な数字はそれに関係あるんじゃないだろうか。「貴方が一番わかっているはず」なんていわれたわけだし。
爺さんが俺が姫様にいただいたアイテムについて何で知ってるかとか、そういうことはもうおいておく。賢者と呼ばれる爺さん婆さんは、俺にわからないところで生きてるんだ、多分。

久しぶりにアイテムを手に取る。
水晶が火を反射してきらきらと光る。きれいなものだ。姫様は俺と違って汚れてないのだ、なんて思った。
「イチ様! ああ、ご無事なのですね。よかった」
「姫様」
「毎日でもわたくしはイチ様とお話がしたいのに、イチ様は全然話しかけてくださらないんですもの。……イチ様はわたくしのことなど、どうでも良いんですね」
「姫様にご質問があります」
姫様の拗ねた声や言葉には反応しないで、俺は淡々と話しかける。
「……なんでしょう」
姫様は不承不承といったように返事をした。
「前、お話をしたときに、確か俺がいる場所がわかるとおっしゃいましたよね?」
「ええ、なんとなくですけど」
「今、俺はどこにいますか?」
「え? 正確にはイチ様がどこにいらっしゃるかではなく、わたくしがイチ様から見てどこにいるかがわかるというか……」
「どちらでもいいです、ちょっとあててみてください」
「ええ……と。わたくしのいるお城は、北に105、東に40の方向です。ドムドーラのお近くですわね?」
「……正解です」
俺は返事をしながら、地図の今いるあたりに丸印をつけ、N105−E40と書き込む。
「姫様、北に140、西に80というと、どのあたりでしょう?」
「なにかのクイズですか?」
「そのようなものです」
「そうですわねえ、メルキドの付近でしょうか」
「ありがとうございます」
ここで北に105ということは、「北に140」というと随分南下したところだ。同時にここが東に40だと、西に80ってことは下手したらメルキドの東、リムルダールの南のほうかもしれない。
「一体なんですの?」
「答えは後ほど。とりあえず、到着したらお答えします」
「え? 一体……」
「秘密の方がおもしろいでしょう? それでは姫様、おやすみなさいませ」
一方的に言うと、俺はまだ何か言ってるような気がするアクセサリを袋の中に放り込む。
まずはメルキドの南のほうを探索してみて、なかったら一度ラダトームを経由してリムルダールの南のほうへ行ってみるのもいいかもしれない。
メルキドのほうが近いしな。


メルキドでロトの鎧を着込んでみる。
持ってみたときには割りと重量があるように感じたが、着込んでみるとそうでもない。体が軽く感じられる。
なんとなく強くなった気分。
物で底上げってどうなんだと思わないでもないが、強くなるならまあいいじゃないかと思うことにする。

メルキドの宿屋で地図を見て考える。
たまたまではあったが、俺が姫様に場所を聞いたところは「東に40」だった。これは「城まで」という風にいわれていたから、城を中心に同じだけ東に進めば、「西に40」ということになる。地図のそのあたりに線を引いてみる。
マイラのある大陸の手前あたりから、メルキドの南に広がる沼地あたりをつなぐ線が引けた。
北に140というと、俺がいたところよりさらに南。105だった場所からさらに35南下するわけだ。大体、40くらい足せば良い。場所を聞いたところがラッキーだった。いた場所から南に、大体40ほど足したあたりに線をざっと引く。線が交わったあたりから、少し北を探せばわかるだろう。
ただ、問題は。
「毒の沼地の中……」


メルキドをでて、岩山をぐるりと迂回して沼地のほうへ向かう。
大体の場所にたどり着いたが、別に目に見えて何があるわけでもない。一応沼地に手を入れてみたが、全く手ごたえはない。
仕方ないから、姫様にお伺いを立てる。
「……イチ様。わたくし、イチ様のなんなのでしょう」
随分低い声に出迎えられる。やっぱり前回話している気がしているなか、アイテムをしまったのが良くなかったか。
「姫様、今俺はどこにいるんでしょう」
「先ほどの質問に答えていただけますか?」
「ところで、姫様はマイラで買った花のネックレスはまだお持ちですか?」
「何の関係がありますの?」
姫様は少しいらいらしたような声で言う。俺はそれに気づかない振りでマイペースに続けた。
「揃いになりそうなブレスレットを見つけたので、買いました。……その程度には、気になります」
「まあ! それは本当ですのイチ様!」
「今度ラダトームに戻った際には、プレゼントさせていただきます」
「まあ! まあ! ああ、うれしい!」
姫様が明るい声を出す。
買っといてよかった……。
「で、ここはどこでしょう」
そのまま話が飛躍しないうちに、場所を尋ねる。
「わたくしのお城は、北に142、西に39です」
「ではもう少し北でもう少し東……」
「何かお探しですの?」
「ええ、まあ」
「ここは? どうですか?」
少し移動してからまたたずねる。
「北に140、西に80です」
「ありがとうございます」
足元の沼に手を入れてしばらく探ってみると、硬いものに手が当たった。それを握って拾い上げる。
それは太陽の光を反射してまぶしく光った。
鎧と同じ、金色に輝く鳥の紋章。
ロトのしるし。
「姫様、ありがとうございます。見つかりました」
「一体何がみつかりましたの?」
「ロトのしるしです。これで、魔の城にわたる準備が整いました」
「……え?」
姫様の動揺した声がした。
「それが俺の使命です。いまさらどうしたんですか? ……もう、きります。魔物が来ました」
本当は魔物なんかきてなかったけど、俺はそういうとアクセサリを袋の中にしまった。

そうだ。
これを見つけたら、もう竜王の元へ行くしか俺には選択肢は残らない。



後悔なんてしていたら、ここまでこれなかった。
今更、何だ。
34■虹のしずく
太陽の石は、ラダトームで手に入れた。
雨雲の杖は、銀の竪琴と交換で手に入れた。
ロトのしるしは沼地で拾った。

一応、これで随分前に祠の爺さんに言われたものはすべて手に入れた。
これが果たしてどういうことになるのかはわからないが、とりあえず爺さんのところへ向かう。

大陸を一周するくらいの旅を歩いてするのは大変だし時間もかかる。一度ルーラでラダトームに飛んで、そのまま立ち寄らずに東に向かう。
リムルダールで一度休んで、それからまだ南に向かう。
深い森を行くと、相変わらずひっそりと祠がたたずんでいた。壁の崩れも懐かしい。前に来たときは資格なしと判断されて外に放り出されたっけ、と苦笑しながら扉をくぐった。

相変わらず爺さんは祠の奥のほうにある椅子に座っていた。
しかし前のような険しい顔をしていない。俺を見て微笑んだ。
「偉大なる勇者ロトの血をひくものよ! いまこそ雨と太陽が合わさる時じゃ! さあ雨雲の杖と太陽の石を!」
俺は言われるがまま爺さんに雨雲の杖と太陽の石を手渡す。
何がなんだかよくわからんが、これで一気に話が転がるんだろう。
爺さんは手にした杖と石を、祠の奥にある祭壇へおいた。
「おお神よ! この聖なる祭壇に雨と太陽をささげます!」
そう高らかに宣言すると、部屋をまばゆい光が覆いつくす。
あまりのまぶしさに、俺は目をつぶった。
部屋の空気が、震えた気がする。
やがてものすごい静寂。
恐る恐る目を開けると、爺さんがこっちを見ていた。
「さあ祭壇に進み虹のしずくを持って行くがよい!」
俺がとりに行くのか。
……とか思わないではなかったが、奥にある祭壇まで向かう。
祭壇の上に、もう杖も石もなかった。
あるのは、虹色を封じ込めた、艶々とした雫型の石。
手にしてみると、意外と軽い。
小さな窓から入ってくる光にかざしてみると、雫型の石の中で虹色は刻々と輝きを変えているようだった。
「きれいだ」
「わしも見るのは初めてじゃよ」
いつの間にか爺さんは、もとの椅子に腰掛けていた。
「その昔、偉大なるロトは虹の橋で魔王の島に渡った。お前もそうして魔の島に渡るんじゃ」
「……ひとつ教えてくれ」
俺は拾ったロトのしるしを爺さんの目の前に出してみせる。
「これはメルキドの南にある毒の沼地に転がってた。まあ、毒の沼にわざわざ好き好んで入っていく奴はそうそういないだろうが、それでも誰にも拾える状況にあったといえる。魔物にさえ、だ。そういう状況にあった物を俺が持ってきて、それでよく俺を認める気持ちになれるな。結局俺が真にロトの末裔かどうかなんて、わからないじゃないか」
爺さんは俺を見ると、静かに笑った。
「お前さんは、お前さんがどう思おうが本物じゃよ。真にロトの末裔じゃ」
「……聞いてたのか? これは誰だって拾える状態だったんだ」
「そう。誰でも拾える状態だった。しかし、誰も拾ってない。それが真実じゃ」
「……だから、誰も好き好んで沼地にはいらないからだろ、それは。たまたまじゃないか。いつから落ちていたのか知らないが、ラッキーだっただけだろ?」
爺さんは愉快そうに笑うと、俺に椅子を勧めた。
俺はそれにしたがって椅子に座る。
「よく見ておれ?」
爺さんは、俺が持っているしるしに手を伸ばした。
すると、手がしるしに届くか届かないかという距離でばしっという大きな音がして、爺さんの手がはじかれる。
「な? 見たか? 常人には触れないんじゃよ」
「……うわぁ」
俺は低い声でうめくと、しるしをまじまじと見つめた。
「それが血というものじゃよ」
「でもロトは何百年か前の人間だろ?」
「濃さは関係ないんじゃよ」
「そんなに選ばれた血だったら、どうして俺の両親は魔物に殺されたんだよ。おかしいじゃないか」
「……力がいつも宿るとは限らない。それだけ昔は平和だったといえる。勇者というのはな、必要とされるときに現れる。勇者ロトも、その昔魔王が現れたとき、空からやってきた。今竜王がいてお前がいる。そういうもんじゃ」
「……表裏、か」
俺は自嘲的に笑う。
爺さんは俺を見た。
「強い光と強い闇は、相反するようで実はよく似ている。だから、注意せよ。いつかお前にも闇の誘惑があるかもしれない。しかしそれに惑わされてはいけない。強い光は、それだけで人々の導きになる」
「……そんなに偉いもんじゃないさ」
俺は息を吐くように笑いながらつぶやく。
「お前がどう自分を評価しているかは、関係ない」
「そうか」
俺は立ち上がる。
「世話になったな、爺さん」
「気をつけていきなされ」

俺は爺さんに軽く手を挙げると、祠を後にした。
35■決意のために
虹のしずくを手に、祠を後にする。
このまま竜王の城に行っても良いが、無事に戻れる保障がない場所だ。やっぱり色々挨拶しておきたい。
陛下とか、
ウチの爺さんとか、
……姫様とか。


久々に戻ったガライは相変わらず小さくてのんびりして、何の変化も見られなかった。
……少なくとも、銀の竪琴の持ち出しはバレていないらしい。
少しほっとして町外れの自宅に戻った。
「おお、イチ、戻ったのか」
「ただいま」
爺さんも相変わらずで、家の中でかごを編んでいた。
「世界はあんまり変わらんように思うが」
「……平和にしてからじゃなきゃ戻ってきちゃいけないのか?」
「そんなことはないさ。無事でよかった」
俺はいつも座っていた椅子に腰掛ける。
「……話がある」
「なんじゃろうな」
爺さんはかごから目を放さず、あまり気のない声で言う。
「次の旅が最後になる」
「……?」
爺さんがこちらを見た。あきらめているような、寂しいような、不思議な目をしている。
「竜王の城がどこにあるかは知っているだろ?」
「ラダトームの南の、孤島。行く手立てがない島だったと思ったが」
「その島に渡る手立てを見つけた。……明日ラダトームに向かって報告して、そのまま竜王の城に向かう」
「……そうか……。いつかは来るとは思っていたが、いざそのときが来ると……」
爺さんはそこまでいうと、窓の外に視線をやった。その縁が少しぬれている。
「必ず無事で戻る。……野垂れ死にしたりしない」
「待っとるよ。ずっと無事で戻るのを」
俺は立ち上がると爺さんの背後に回って、その肩をしばらく軽く叩いた。肩たたきなんて、ガキのとき以来だ。いつの間にか、随分小さくなってる。それだけ俺がでかくなったのか、実質爺さんが小さくなったか、どっちかだろう。
俺は不意に泣きそうな気分になって、爺さんに抱きついた。爺さんは何も言わないで、腕を回すと俺の頭をしばらくなでた。
「無事を祈っているよ」
「無事に戻る」

次の日の朝早く、爺さんに見送られてガライを出た。
爺さんの姿が見えなくなるまでは歩いて、それからルーラで城に向かった。



ラダトームの城もいつもどおりだった。
旗が風を受けてはためき、城の周りを兵士が見張りのために歩いている。門番が俺に気がついて軽く会釈をした。
「お帰りなさいませ、イチェル殿」
「陛下にお会いしたい」
「了解いたしました」
兵士の一人が先に歩いていくのを見送って、俺はゆっくり謁見の間に向かう。陛下がいつお出ましになるかわからないが、またしばらくあの部屋で待たされるだろう。
「おお、イチェル。無事に戻ったか」
陛下が俺にそう声をかけたのは、俺が謁見の間についてからほどなくしてからだった。割と暇だったのかもしれない。姫様は来なかった。
「随分たくましく……いや、十分強くなったのではないか?」
「……はあ、ありがとうございます」
俺は頭を下げる。
「そろそろ竜王にも勝てるやもしれんな」
「……そのことでお話に参りました。……竜王の島に渡る算段がつきましたので、明日の朝あの島に向かいます」
「おお、それはまことか?」
陛下が少し目を見開いた。
「ええ」
「……そうか……」
陛下は少し重々しい声でそういうと、しばらく黙った。
「イチェルの無事を祈ろう」
「ありがとうございます」
話はそれで終わりになった。俺は深々と頭を下げてから謁見の間を後にする。
部屋の外の廊下に、姫様が立っていた。
「……姫様」
「イチ様、お話があります」
ひどく冷たい声でそう宣言されて、俺は後回しにしてきたさまざまなことの結論を言わなければならないのだろうと悟った。

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