8■そして……


36■姫様との会話
俺は姫様に連れられて、廊下からテラスに出た。
空はきれいに晴れ渡っていて、薄く刷毛で書いたような雲が広がっている。風はほとんどないが、時折思い出したように吹く風に周りに植えられた木々の枝が揺れて小さな音を立てていた。
しばらく、俺と姫様は何も話さず、ただお互いを見てたっていた。
俺のほうはただ立って姫様を見つめていただけだが、姫様のほうはかなりご立腹の様子だった。
「そうだ、これ、約束していたブレスレットです」
沈黙に耐えられなくなり、俺は袋からブレスレットを取り出すと姫様に差し出した。
「……」
姫様はしばらくそのブレスレットを忌々しそうに見つめた後、俺を見上げた。
「いりません」
「……」
これの話題を出したとき、随分嬉しそうな声を上げていたような気がしたのは気のせいだったのだろうか。随分冷たい声で言い切られ、流石に少々困惑する。
「イチ様は、わたくしの事をどう思われているのでしょう。わたくしはブレスレットひとつで言いくるめられると、そうお思いですの?」
姫様は俺の手からブレスレットを奪い取ると、そのままそれをテラスにたたきつけた。
チープなブレスレットはそれでその姿をとどめておけるほどの強度は持ち合わせているわけもなく、あっけなく壊れて部品が散り散りになる。
「……」
俺は姫様の気性の激しさというか、激昂ぶりに呆然と壊れたブレスレットと姫様の顔を見比べた。姫様は半泣きだった。
姫様との事はいろんなことを保留にしすぎたツケだろうか。
俺はしばらく黙って、姫様の出方を見ることにした。感情的になった女性をうまくなだめるだけの技量も度量も俺にはない。
「わたくし、確かにブレスレットをいただけると伺ったとき、確かに嬉しかったです。でも、後で思ったのです。イチ様はわたくしのことなど、プレゼントひとつで言いくるめられる程度の安い女だとお考えなのだと。わたくし、そう思った瞬間目の前が真っ暗になる思いでした」

そういうことは全く思ってないんですが、とは声にならなかった。

「あんなにお話をしたいと申しましたのに、あれ以来結局一度もイチ様はわたくしに話しかけてもくださいませんでした。イチ様は、ご自分の都合のいいときだけわたくしの事を思い出して、御用が済んだら音沙汰なし。わたくし、とても悲しいです」
姫様は一気に言うと、そのままテラスの手すりに寄りかかるようにしゃがみこむ。泣いているのだろう、肩がゆれている。
しかし、なんとなく、その肩に手を触れてはいけない気がした。
今触ると、余計こじれそうな気がする。
「イチ様は、きっとわたくしが滑稽なのでしょうね。わたくしだけがイチ様のことを想い、心配し、ぐるぐる回っているのが滑稽で仕方ないんでしょうね」
「……そんなことは思ってないです」
流石にこの辺でとめないと、俺は自分でも眩暈を感じるほどの悪人に仕立てられそうな気がする。

「姫様は」
俺は姫様の隣に立って、同じように手すりに寄りかかり遠くを見た。
向こうのほうにかすんで竜王の城が見える。しかしその頂上は黒いもやに隠れて見えなかった。
「姫様は俺のことを好きだとおっしゃる」
俺は姫様のほうを見ないでぼそぼそとしゃべる。
「でも、きっとそれは一時の気の迷いです。平和になれば収まる熱ですよ」
「そんなことありません。どうしてそんなこと決め付けるのですか? わたくしの気持ちを、どうしてイチ様が決め付けるのですか? イチ様はわたくしの何をご存知だというの?」
「でしたら、姫様は俺の何をご存知ですか? ただ洞窟に助けに来ただけの男じゃないですか。誰だって心細いときに助けがきたら相手が格好良く見えますよ。そういうことです。姫様の気持ちは、錯覚です」
「ひどい!」
姫様は冷たい瞳で俺をにらみつけた。

そう。
それでいい。

あんたは俺に失望すればいい。


姫様はしばらく俺を睨んでいたが、またうつむいた。
また泣いているのだろう。
俺はしゃがみこむ姫様のその後姿を見つめて、少しため息をついた。
「姫様」
返事はない。
が、それでいい。
俺は気にせずその背に続ける。

「明日の朝、竜王の城に向かって出発します。……俺は自分が強くなった気でいますが、正直どうでしょう。勝てるでしょうか。俺はよくて五分五分、もっと勝率は低いかもしれないと思っています。……うまくして勝てたとしても、無事で戻ってこれるかどうかもわかりません」

姫様は相変わらず無言でうつむいたままで、俺の声を聞いているのかどうかも怪しいものだった。

「だから」

俺は少し言葉を区切って、大きく息を吸った。


「俺のことは、忘れてください」


姫様の体が、一瞬びくりと震えた。
俺はそんな姫様の頭を二回、軽く撫でる。
嘘みたいに柔らかな髪をしていた。


「さようなら」


俺はそれだけ言うと姫様から離れ、テラスから廊下に戻る。
姫様が立ち上がってこっちを振り返った気がしたが、振り返らなかった。

振り返ったら、俺は多分足を止める。
それできっと、動けなくなる。

自覚はある。

俺はあんたが好きだよ。

だからこそ、ここでお別れだ。

俺たちは、釣り合わないんだ。
最初から。
何もかも。

俺は竜王の元に行かなきゃいけない。

このままだと、
その最初の段階で躓いて、
きっと使命を放り出す。


もしも
無事で戻れたら

そのときは。
37■最後に向かう道
久しぶりにラダトームの一番安い宿で目を覚ます。
目覚めは最悪だった。
もちろんそれは宿の問題じゃなく、単に精神的な問題。
姫様のこともある。
今でも泣いてるだろうか、と思うのは思い上がりだろうか。
でも仕方ない、これから向かうのは竜王の城。

色々なものは置いてきたほうがいい。


寝覚めが最悪だろうがなんだろうが、もう行かなければ。のろのろと準備をして、食事を終えると外に出た。
遠く左手に竜王の城が見える。今日も尖塔は黒い雲に覆われてここからでは見えない。いつだってあの城の周りは薄暗く、見るだけで寒気がする。
今からあそこに乗り込む?
正気か、俺。
少しため息。
正面にはラダトームの城が見えた。此方は光を浴びてその綺麗な形を世界にアピールしているように見えた。

その両方を見てから、歩き出す。
最後の旅は、多分そんなに長いものにはならないだろう。

トヘロスで弱い魔物が近寄れないようにして歩く。すでにこのあたりの魔物は出会い頭に一刀両断で終わるのだが、少しでも無駄な体力は使いたくなかった。
呪文はどうやら効いているようで、魔物に襲われずに進むことが出来る。何回か昼と夜が交代し、その都度野営をして一日を終える。基本的に今までどおりに日常は進んだ。せいぜい、違いといえばトヘロスのおかげで魔物が寄ってこないというだけだ。おかげで一日に進める距離はいつもより少しだけ伸びたが。

十日ほどたったところで、リムルダールの西に到着した。
地図を見ると、竜王のいる島とリムルダールのある大陸の西側は、随分接近している。
現場に行くと、確かにそのとおり。
本当に目と鼻の先に魔の島が存在していた。勇者ロトが虹の橋をかけたというのにもうなずける。この程度の隔たりなら、何とか橋でわたれるだろう。
ただ、足元をみてくらくらする。下では勢い良く海が渦を巻いている。流れも早そうだし、きっと海の中はごろごろとでかくてとがった岩が乱立しているだろう。しかもその海までは、かなりの落差がある。高いところは苦手というわけではないが、少々めまいを感じた。
勇者ってのは大変だなご先祖様、あんたはよほど勇敢だったか、阿呆だったかのどちらかだ。

こんなところ渡っただと?
正気か。

とはいえ、ここしか手段がないのも事実。
俺は先祖と同じ方法でここを渡るしかない。
勇敢?
阿呆?
どちらでもない。
選択肢がほかにないだけだ。

俺は道具袋から虹のしずくを取り出す。
薄曇の空から筋になって落ちてきている細い光の中でも、それはきらきらと輝いて綺麗だった。
俺は半ば自棄くそで、その石を光の中にかざす。
考えてみたら、使い方も知らない。
しかし、使い方はあっていたようで、虹のしずくはいきなりその輝きを増した。
それはこんな小さな石から出てきているとは到底信じられないような光。
その光は次第に集まって、こちら側とあちら側をつないでいく。
やがて光が収まると、二つの大地を断絶していたところに、一本の橋が架かっていた。
虹、というには少々不思議な色をしている。
そっと足を乗せてみると、足の厚みの半分ぐらいが橋に沈んだ。
ぞっとしない。
だが、同時に絶対に落ちないという確信があった。
俺はためらうことなく橋を一気に渡った。そして振り返らずに先に進む。
振り返ってその橋がなかったら絶望感は計り知れないから、見ないほうがよほどましだ。


島は小さかった。
どうやら不毛の土地らしく、大半は砂地。その上南側はほとんど沼地。竜王の居城がある北側は高い山になっていて、その所々にやっぱり沼地。こんだけ不毛の土地なら、そりゃ多少は豊かな土地を狙って勢力拡大を望むかもしれない、などと思ってしまうほどには住みにくそうな島だった。
同情はしないが。

山を登り、竜王の城の前までたどり着く。
城なんてものはラダトームの城くらいしか見たことはないが、なんというか、全然方向性が違う城だった。なんとなく、まがまがしいというか。
……そりゃ悪の総大将が住んでるんだからそのほうがしっくりくるが。

大きな門に手を伸ばすと、嘘みたいに簡単に開いた。ぎぎぎ、と低い嫌な音を立てて門が開いていく。俺は中に足を踏みいれた。
中は静かだった。
全体的に寒々しい色合いをしているが、結構豪華でしっかりした建物だ。所々に明かりを取るためか松明がその炎を揺らしている。通路もゆったりととられているが、これはもしかしたらドラゴンあたりが悠々と歩けるためにそうしてあるのかもしれない。
最悪だ。
歩く前からどっと疲れたような気がしたが、仕方がない。気を取り直して歩き始める。
入ってすぐ、通路は左右に分かれていたから、とりあえず左側を進む。通路はすぐに右に折れ、まっすぐ続いていた。
基本的に角はあっても一本道だった。そのまま気にせず進む。
唐突に、玉座の間に着いた。


……玉座は、空だった。
どうやら噂は本当だったらしい。
俺はゆっくりと玉座に近寄る。人間サイズ。どうやら竜王は「竜」とついていてもそんなにでかい魔物でもないのかもしれない。
「確か玉座の後ろだったな」
大昔、どこかで聞いた気がする話を元に、玉座の後ろのほうを注意深く調べてみる。
床板の一枚がはずれて、下りの階段が顔をのぞかせた。
その先は、闇。


やっぱ洞窟の先にいるんだな竜王。
俺は洞窟嫌いなんだよ。
38■ロトの剣
……ここはどこだ。
俺は深々とため息をついた。
竜王の城の内部というか、地下は思ったとおりに迷宮になっていて、思った以上に複雑なつくりになっていた。住んでる方は不便じゃないのか。道を知ってたら迷子にならないからいいのか。初めて来る部下だっているだろう。案内図でもあるのか。招待状でもあれば、問題なく王の前に出られる仕組みか。

くそう、ここはどこなんだ!

もう随分長いこと迷宮の中にいる。すっぱり時間感覚はなくなって久しい。一応メモを取ってはいるが、現在地だって怪しいもんだ。あってるのかこの地図は。俺は方向感覚について自分を一応は信じているが、戦っている最中に進行方向とかたくみに変えられていたりしたら手も足も出ないかもしれない。
階段は何回か下った。
見かけた階段を何度かあがったこともある。
結果、今ここはどこかというと、多分地下3階だろう。一応、地下4階あたりまでは降りた。その地下4階で久々に多少苦戦して逃げてる最中見つけた階段を駆け上ったというのが実のところで、そのせいで多少自分のいる場所に自信がない。
ただありがたいことに、先祖が残してくれた鎧はかなり高性能で、怪我の程度は軽いし、徐々に体力が回復するようになっていた。
どんな魔法だ、先祖!
仕方がないからそのまま進んでいる。見たことがない場所に出たから、調べながら地図を完成しようと思うのだが、微妙に自信はない。何せ壁の向こうが本当に前通ったところかどうかなんて俺には調べようがないのだ。
目の前にまた階段が出てきた。
ただし、登りだ。
うんざりしてきた。
俺は地下に潜って潜ってしていかなきゃいけないはずだ。まさか竜王、地上階にいましたなんてオチはないだろう。多分どん底まで降りていってはじめて対面のはずだ。
登りってどういうことだ。次登ったら地下2階だぞ。一体何階建ての迷宮かは知らないが、少なくとも地下4階はあるわけで、ますますもって竜王から遠くなる。
出てきた敵をなぎ払う。
また返り血を浴びた。もう最悪だ。だから洞窟は嫌いだ。
いや、もちろん草原を歩いてるときだって魔物は出る。が、返り血を浴びても小川を見つければ洗うことも出来る。魔物との遭遇だって洞窟より断然少ない。ゆえに連続でなぎ倒すこともなく、まだ何とか心を平静に保てていた。
洞窟ではそうも行かない。
ああ、嫌だ……。

憂鬱な気分を引きずって階段を登る。
小さな部屋だった。魔物はいない。なんとなく、気のせいかもしれないが空気がほかの場所よりいい気がした。
部屋には無造作に宝箱がひとつ置かれている。
……罠?
とは思ったが、この部屋はいい。
あまり広くはないが、戦えないほどではない。入り口は俺が入ってきた階段のみ。魔物が入ってきたらここで迎え撃てばいい。
久々にしっかり寝られる。
その前に、宝箱の中身をチェックしよう。寝た瞬間中から魔物とかが飛び出してきたらどうしょうもない。

宝箱を開けた。
いつもどおり、剣に手をかけたまま、足が届くギリギリまで宝箱から離れて足で蓋を蹴る。
あっけなく蓋は開いた。
中には一振りの剣が入っていた。
青い鞘。
赤い握り。
柄は黄金に輝く空を飛ぶ鳥の紋章。
背中がぞくりとした。
……ロトが使った、剣。
そろりと近づいて、箱の中から取り上げる。
そっと鞘から取り出してみた。
大昔に作られたであろう剣は、錆どころか刃こぼれひとつなく、まるで新品のようだった。
その場で何度か振ってみる。
空気を切り裂く音。
ぞくぞくした。
すごい。
大昔にこれをつくった奴もすごいが、こんなもん作らせようって思ったほうもすごい。
これを、単純に振り回してたんだろ、ロト。
俺だって、このくらいは振り回せるようになったが、まだ「使いこなす」というよりは「使わさせてもらえる」ような気分だ。
俺は伝説には残れそうにない。

剣を腰にぶら下げて、床に座り込む。
そのままずるずると横になる。
なんだか、疲れた。
これを手に入れたのは純粋に嬉しい。
しかし、つまりは俺は竜王と戦う最後の力を手に入れたということだろう。
最初から後戻りをするつもりはない。
でも、本当にもう後戻りは出来なくなった。

天井を見る。
小さな部屋の天井を全部見上げることが出来る。
未だに魔物の気配はない。
俺はゆっくりと袋に手を伸ばすと、姫様にいただいたアイテムを手に取る。
水晶がきらりと光った。
使える。
「……姫様」
ややあって、返事があった。
「イチ様?」
少々困惑気味の声。
そりゃそうだ、俺はこっぴどく姫様を傷つけてからここへ来た。
しかも敵の総大将の所へきてる。
そんな奴から声がかかったら、俺だって疑う。
でも、気にせず俺は言う。
「ひとつわがままを聞いていただけますか」
「なんでしょう?」
「何でもいいので、話してください。何でもいい。その部屋から見える風景でも、食べたものでも」
「……どうされたのですか?」
姫様はまだ困惑しきった声で言った。首を傾げているだろう姿が目に浮かぶ。
「……声が聞きたくなった、それだけ。どうやら俺は後戻りが出来ないところまできた。……何か話してください」
「……ええと……」
姫様は少しまだ困惑したままの声で、それでも懸命に窓から見える景色や鳥や、食べた朝食のことやを話してくれた。
「イチ様……あの、わたくし」
もう話すことがなくなったのか、しばしの沈黙をはさんだ後、姫様は覚悟を決めたような声で何かを言いかけた。
「……姫様」
俺はそれをさえぎって、声をかける。
「ありがとうございました。十分です。貴女には迷惑をかけっぱなしでした。声を聞けてよかった」
「イチさ……
俺は最後まで聞かずに、アクセサリから水晶を引きちぎる。
水晶は金具でついていただけだったから、簡単に取り去ることが出来た。水晶のその金具があった部分に穴があったから、その部分に皮紐を通して首からかけた。
残りは悪いがまた袋に放り込む。


しばらく眠ったら精神的にも落ち着いた。

行こう。


39■竜王
どこをどう歩いたのか、もう良く覚えていない。
ただ、長かった。結局次の階段を下れば地下7階だ。深い。深いぞ竜王。もしかして臆病なんじゃないか?
そんなことを思いながら地下6階を歩く。上のほうは随分細かく迷路になっていたにもかかわらず、地下6階は大雑把なつくりで、大きな部屋が1つあるだけだった。向かい側に下り階段がある。
時折襲い掛かってくる敵をなぎ倒しつつここまで来た。
終わりが近づいてきているのをなんとなく感じつつ、階段を下る。

一気に視界が広がった。

姫様のいた洞窟の部屋のように恒久的にレミーラがかかるようにでもなっているのか、そこかしこが明るかった。
ああ、最後まで来た。
そう確信して道を進む。
基本的に、最初は一本道。途中で左に伸びる通路とまっすぐの通路に分かれた。
まっすぐ行ってみると、やがて扉に突き当たった。しぶしぶ鍵を使って開けてみると、どうやら宝物庫のようだった。ずらりと宝箱がならんでいる。普通に洞窟の奥で発見したら少々小躍りしそうな光景だったが、手を付けないことにした。
ここにあるってことはどこかからかの略奪品だろう。
そういうのをさらに持っていくっていうのは、気分が悪い。
来た道を戻って、左手側の通路を選択する。
流石にこの階は「城」だけあって、通路は単純だった。しっかりとしたつくりで、あちこちに装飾が施されている。通路は相変わらず広い。そういえばここにたどり着くまで何匹かドラゴンも倒した。やっぱりこの通路はドラゴン用なんじゃなかろうか。
この階も何度か魔物と小競り合いにはなったが、大きな戦いになることもなく、体力にも余裕がある状況で、俺はそいつの前に立つことになった。


上で見たのより随分立派かつ大きな玉座にそいつは座っていた。
白い大きな襟を立たせた、ゆったりとした綺麗な深い紫色のローブを着ている。
赤い大きな宝石の埋まったネックレスをしている。
顔は、青といっていいだろう。
金色の鋭い目を、俺に向けた。
口元には余裕からか笑みさえ浮かべている。
右手を肘掛において、頬杖をついているようだった。脚は組んでいて、全体的にふんぞり返って座っている。
「よくぞ来たイチェルよ! わしが王のなかの王、竜王である」
そいつは、重々しい声で言う。
声はよく通る低い、良い声だった。自信に満ち溢れた、声だけ聞いてたらなんとなくついていきたくなるような、カリスマ性にあふれた声。
「わしは待っておった。そなたのような若者があらわれることを」
そいつは、竜王はにやりと笑う。
「……?」
俺は眉を寄せて竜王を見た。
こいつ、何を言ってるんだ。
「もしわしの味方になれば、世界の半分をイチェルにやろう。どうじゃ? わしの味方になるか?」
「……は?」

思わず聞き返す。
真意がわからない。

俺が呆然としているのがおかしいのか、竜王はひとしきり笑った。
「世界の半分を欲しくはないのか? 悪い話ではあるまい?」
「……」
「お前も気づいているだろう、お前は人間としては十分強い。……人間たちはお前に恐怖を感じるようになるかもしれないな?」
「だからなんだ」
「お前は勇者ロトの顔を知っているか?」
「知るかよ」
「まあ、わしも知らん。興味もない。今ここでの問題はなぜ知らないかということだ。伝説はここまで残ってるのに、姿を残したものは一つもない。これがどういうことかわかるか」
「知るかよ」
「勇者ロトはわかっておったのさ。魔王を倒したあと、今度は自分が恐れられることを。強い力は憧れと畏怖の対象となる。地上の何者より強いものが、いつまでも自分たち人間の味方でいてくれるとは限らない。そんな時有象無象たちが何を思うか、ロトはわかっておったんだろうな。だから姿絵を残さなかった」
「大昔だから残らなかっただけだろ?」
「ラダトームにはロトが生きていたころの王、ラルス1世の肖像が残っている。たかだか数百年、絵くらい残る」
竜王はまた笑った。
「わしと共に来れば、そんな煩わしいことはないぞ。有象無象共に煩わされることもなく、わしとともに支配者だ。悪い話ではあるまい?」
「……そうだな。悪い話じゃなさそうだな」
「そうであろう、ではわしらの友情の証としてその剣をもらうぞ!」
「……でも、断る」
俺は竜王の金色の瞳をまっすぐ見つめて言い切る。
「確かに今度は俺がいつ切れるかって一般人は戦々恐々だろうな。でもそんなことは知ったことじゃない。俺が切れるかどうかなんて、今からわかることじゃないからな。ここで俺は俺を見捨てるほど、自分に失望してない」
「ではどうしてもこのわしを倒すというのだな? 愚か者め!思い知るがよいっ!」
竜王がすくっと立ち上がる。
思ってたより随分小柄だ。
俺は剣を抜く。
戦いは始まった。
40■最後の戦い
立ち上がった竜王は、思ったより小柄だった。
手にしているのは節くれだった堅そうな木の杖で、お世辞にも強そうな武器には見えない。
そういえば、竜王の爪は鉄をも切りさき、その炎は岩をも溶かすという話だったが、あれは嘘だったんだろうか。見る限り、たしかに爪は鋭く尖って伸びているがそんなに頑丈そうに見えない。そしてその口から炎が吐き出されそうにも見えない。
戸惑いつつも、切りかかる。
竜王はその杖で俺の攻撃を受け止め、左手を突き出した。その手の中に炎が集まる。
ヤバイ。
すぐに離れて体をひねる。
さっきまで俺が居た場所が、ベギラマでなぎ払われた。
「ほほう」
竜王は少し口元を緩める。笑っている。
「やはり殺してしまうには惜しい。もう一度聞こう。世界の半分はいらんか? わしの仲間になれば何でも思い通りになるぞ?」
「いらねぇ」
俺は竜王に切りかかる。しばらく力比べのように杖と剣で互いに押し合う。
「俺は今後どうするかくらい自分で考えてある。それに……」
俺は竜王との力比べに勝った。ぐっと突き放すように剣で杖を押しやると、竜王の体は剣からはずれ、後ろに少しよろめいた。
そこへ踏み込んで、大きくきりつける。
「俺は洞窟が大っ嫌いだ!!」
胸に大きな傷を作った竜王は後ろに何歩分かよろめいた。
さっきまで座っていた玉座の傍で、たまらず膝をつく。右手は玉座の肘掛をつかんで、何とか半身を起こしているといった感じだった。
あまりのあっけなさに、俺は竜王をまじまじと見る。


こういうもんか?
こんなあっけなくていいのか?


「おのれ……」
竜王が呟く。
「生きては帰さんぞ……!」
叫び声。

その後の光景は、もしかしたら一生忘れられないんじゃないだろうかと思う。
そのくらいおぞましくて悪趣味だった。
竜王の体の輪郭が、少しずつぶれていく。
ごきん、と何か鈍い音がした。
口が裂けていく。
角が大きく伸びていく。
手足が太く頑丈になり、鈍い鉛色をした太く鋭い爪がその先に生えそろう。
体が、見る見る間に倍に三倍にと大きく膨れ上がっていき、大きな尻尾が生え伸びる。
堅そうな青紫の鱗。
大きく裂けた口と、その中の鋭い牙。赤く何かの生き物のようにうねる舌。

今まで見たどんなドラゴンよりも巨大で凶暴そうな姿がそこにあった。
全身を寒気が走り抜けていく。
気味が悪かった。

「!!!」
口の奥に炎が巻き起こるのが見えた。
避けるのは間に合わない。とっさに盾を構える。「水鏡」というだけあって、その炎は多少軽減されたが、こんなの何回も防いでいられない。
そりゃ岩をも溶かす炎だ。
あの爪なら鉄くらい切り裂くだろう。
これはかなりやばい。

今や竜王は理性なんてものは吹っ飛んだようだった。
小柄で横柄で理知的だった時に確実に仕留めておくべきだった。
しかしそんな後悔をしている暇はなさそうだ。
その巨大な手足で、俺をつぶそうと奴はこちらに向かってくる。

この城の通路が広かったのも、天井がやたら高かったのも、全てはこいつのためだったんだな、と妙なところで納得。

玉座の間は広い。
が、こんな巨体が暴れまわるには狭い。
俺はすぐに壁際に追い詰められる。
覚悟を決めるべきだ。
俺は剣を握りなおすと、竜王に切りかかる。
青紫の鱗は堅いが、今までのドラゴン同様、その腹や尻尾の裏側、手足の付け根などは剣がたたないほどではない。
怒り狂う竜王の手足や炎をかいくぐってその体に切りつけたり、逆に蹴り飛ばされて床に叩き付けられたり炎に焼かれたりしながら、戦う。

お互い、死にたくない。

だからといって、
お互いに許しあうことも、
ここでやめようということも、
もちろん、無い。

どちらかが死んで倒れるまで、続く戦いだ。

何度か魔法で体力を回復させながら、俺はただ竜王に切りつける。
きっと傍から見たら無様な無様な戦いだろう。
正体を現し、本能のみで戦う竜王と、
ただひたすら、切り付けるだけで戦略もへったくれもない俺と。

決着の時は突然やってきた。
俺の剣が、深々と竜王の胸に突き刺さる。
それを抜き去ると、途方も無い量の返り血が雨のように降ってきた。

巨体が、轟音とともに床に倒れ落ちる。

多分
竜王には竜王の言い分があったんだろう。
ラダトーム側に人間の言い分があったのと、多分同じだ。
でも、それが正しいかどうか、そんなことは永遠にわからない。

傷だらけで血まみれの姿のまま、しばらく呆然と動かなくなった竜王の巨体を見つめる。

こうなるのは、俺のほうだったのかもしれない。

たまたま勝った。
そんな気がする。


俺はふらふらと主を失った玉座に向かった。
その後ろに、何か神聖なものを祀るようにそれは置かれていた。
黄金に輝く、不思議な球体。

そう。
これを取り戻すため、俺は旅をしていた。

そっと手に取る。

あたりに光が満ち溢れた。
その光は、優しく俺の体を癒し、返り血を消し去り、
部屋を浄化していく。
竜王の体が、さらさらと音を立てて風に吹かれる砂のように消えていく。

ああ、全部終わった。

圧倒的なやさしい光が、最後に名残惜しそうに俺の体の回りを一周ぐるりと回る。
その中に、髪の長い女性を見た。
とても、懐かしい気持ちがした。

けど、それが誰だったのか、俺は思い出せなかった。



帰ろう。



帰ろう。



……帰りたい。



俺は静かにリレミトを唱える。
ふわりとした浮遊感。



そうか。


もう俺は自由だ。



41■旅立ち
外に出て驚いた。
島の南側に広がっていた毒を含んだ不毛の沼地だったところに、花が咲き乱れていた。見渡す限りの花。空から降り注ぐ暖かな太陽。その中で立ち止まる。柔らかく吹く風に、その花の香りが乗る。
穏やかだった。
何か、まだ張り詰めていたものが一気になくなった気がした。そしてへなへなとその場に座り込む。花を一層近くに感じながら、俺は膝を抱えて丸くなるようにしてうずくまる。

何もしないで、ずっとその場に座り続けた。
魔物はまったく現れない。
時折、鳥が飛ぶのが見えた。

昼がすぎ夜になる。
満天の星空。
何度も見たはずなのに、初めて見上げた気がした。

また、昼が来て俺は漸く立ち上がる。
丸1日、ひたすらぼんやりしていた。
腹が減ったら少しだけ食事をし、眠る。
その間も、ずっと世界は平和だった。

全部終わった。


俺は漸く立ち上がると、口の中でルーラを唱える。
加速と浮遊。
見慣れた城は、ぼんやりしていた1日の間に綺麗に飾り付けられ、ちょっとした祭りのようになっていた。旗や布が沢山はためき、花々が飾り付けられている。門番の鎧も、いつもの無骨な実戦的な物から、装飾の多い華麗な物に変わっている。とても華やかだった。
「イチェル殿、お帰りなさいませ」
俺に気づいた門番が敬礼をしながら言った。
「王がお待ちです、ささ、お急ぎくださいませ!」


城の中庭を抜けるいつもの道も、鉢植えの花が並べられ、その両側に装飾用の鎧を着込んだ兵士たちが整列していた。その後ろには、城で働く人々が興味津々の顔で垣根を作っていた。
なんか珍獣にでもなった気分で、俺は足早に道を歩く。恥ずかしいったらない。
噴水をやり過ごし、謁見の間への階段が見えてきた。
そしてぎょっとする。
中庭で陛下が大勢の兵を従えて俺を待って立っていた。
慌ててそちらに早足で近寄る。
「おお! イチェル! 良く無事で戻った。……すべては古い言い伝えのままであった!」
陛下は俺を迎え入れて笑顔で言うと、改めて俺をまじまじと見つめた。
「……ありがとうございます」
照れくさくて、さっさと頭を下げる。陛下の顔などじっと見つめていてはいけない。
「光の玉を竜王より取り戻してまいりました」
言って、陛下にその玉を差し出す。陛下は暫くその玉を見つめてから重々しく頷いた。
「そなたこそは勇者ロトの血をひくもの! そなたこそこの世界を治めるにふさわしいお方なのじゃ!」

陛下は何をおっしゃってるんだろう。

「どうじゃ? このわしにかわってこの国を治めてくれるな?」



……は?



一瞬頭が真っ白になる。
どうしてこう、竜王にせよ、この王にせよ、俺に国をどうのこうの言うんだ。
ただの庶民だぞ、俺は。
くらくらするものを感じながら、俺は陛下に答える。
「いいえ、もし俺の治める国があるなら、……それは俺自身で探したいです」


そう。
決めてた。
全部終わったら、このアレフガルドを出ることを。
竜王の言った事は、ある意味納得できる。
俺はこの国では生きにくい。


だったら、出て行けばいい。


「そうか……」
陛下のため息交じりの声を聞きながら、俺は頭を上げる。
「では……」
立ち去ろうと陛下に背を向け歩き出したとき、「待ってくださいませ!」という大きな声が聞こえた。
振り返らなくても分かる。
姫様の声だ。
「イチ様!」
姫様は走ってこちらにやってくると、俺の腕をつかんだ。そして、息を整えるために何回か大きく息をした。その間もずっと俺の腕をつかんでいる。漸く息が整った姫様は俺を見上げて宣言した。
「イチ様の、その旅に、わたくしもお供しとうございます!」
「断ります」
即答すると、「そんなひどい!」と姫様は目に涙をためて叫んだ。


……眩暈がしそうだ。


「ひどいとかひどくないとかじゃないでしょう、何言ってるんですか。馬鹿なこと言っちゃいけませんよ」
「わたくし本気です」
「冗談でも言わないでください」
「わたくしを、連れて行ってくださいませ!」
「駄目です」
「どうして!」
「どうしても」
今にも泣き出さんばかりの表情でごねる姫様と、即答で切って捨てるように願いを聞き入れない俺の言い合いはしばらく続いた。回りを取り囲む兵士や侍従たちの目つきがだんだん険悪になってくる。陛下のほうなど、恐ろしくて見れない。
「わたくしは、イチ様とともに居たいのです!」
「駄目だって言ってるでしょう!」
「なぜ!」
「あなたはこの国の姫なんですよ!? 陛下の跡を継いでこの国を安定させていかなきゃならない、大事な人じゃないですか! 俺の今度の旅も、安全とは無縁なんです! そんな旅に連れて行けるわけないでしょう!?」
「覚悟の上です!」
「あなた一人が覚悟してても仕方ないんです! あなたには、この国の未来が全部かかってるんですよ! あなたの我侭でこの国の未来をつぶす気ですか!?」
「わたくしは姫である前に一人の人間です!」
「一人の人間でしょうけど、同時に姫様でしょう!?」
俺と姫様はしばらくにらみ合った。
姫様は唇をぎゅっとかみ締めて、本気で泣きそうになってきている。
俺は勢いをつけて陛下のほうを見た。
「陛下! 姫様を諭してくださいよ! この国の未来が係ってるんですよ!」
陛下は目を伏せると、大きくため息をついた。何かもう色々諦めた顔をしている。
諦めんなよ保護者!!!
「国王としては、後継者が国を捨てるというのを黙って見過ごすわけにはいかないな」
「お父様! わたくしは!」
「しかし父親としては娘がこれだけ好意と決意を見せているのに、とも思う。……だからもう二人で決めなさい」

また結論投げたぞこの親父!!!
諦めたんじゃなくて面倒くさいんだな!!!

「イチ様は私の覚悟を信じてくださらないんですか?」
「だから……」
何度も繰り返した説得の言葉を口にしようとしたときだった。
姫様はいきなり、頭にちょこんと載せていた小さなティアラをむしるように取ると、それを父親に押し付けた。そのまま、父親の腰に下がっていた装飾的な細身の、あまり役に立ちそうにもない剣をするりと抜いた。流れるような動作で、その剣で。
「〜〜〜っ!?」
声も出なかった。
栗色の長い髪の毛が。
「な、な、な!!!」
光の中きらきらと地面に落ちていく。
「これで多少は動きやすくなりましたね」
姫様は振り返ると満面の笑顔で、俺を見た。
肩くらいで乱雑に切りそろえた髪で。
俺はめまいを感じながら思わず叫ぶ。
血の気が引いた。
「何で! 髪なんて関係ないだろ! 折角綺麗で似合ってたのに!」


「え?」


姫様が小さな声で聞き返したことで、我に返る。
今、もしかして、俺は物凄く……。
姫様がとてとてと歩いてきて、俺の顔を覗き込んだ。
いくら俺がうつむいていても、小柄な姫様は簡単に俺の顔くらい見上げるようにしたら覗き込めてしまう。
「イチ様?」
「……」
俺は極力姫様の顔を見ないように目をそらす。
「あの、イチ様は、わたくしの事がお嫌いなのではないのですか?」

ええい、もう、どうとでもなれ。

「嫌いだなんて一回も言った事無いだろ!」
「でも、だって、全然わたくしにお話をしてくださらなかったし、出かける時だってわたくしのこと……」
「だから! 貴女は姫様で、俺はただの庶民で! どう考えても無理で! 想うだけ無謀だろ! だからいっそ嫌われたほうが楽じゃないか!」
周りがあきれているのがわかる。
頬を染めて一人嬉しそうなのは姫様だけで。
俺は一体何をしているんだ。
「あの、イチ様」
「何ですか」
「ローラは嬉しゅう御座います」
テンポずれてる……。
「……そうですか」
脱力しながらとりあえず答える。

ああ、髪、勿体無かったな。

俺の視線が髪に注がれているのに気づいたのか、姫様は髪を触った。
「また伸びますよ」
小さく首をかしげて笑う。
「……是非伸ばしてください」
俺はため息混じりに言うと、事の成り行きを恥ずかしそうに見ていた陛下に向き直る。
「陛下」
「なんじゃ」
「すみません、もう俺重罪人でいいです」
俺は姫様に向き合うと、彼女をひょいっと抱き上げる。
「貰っていきます」
「幸せにだけは必ずしてやってくれ」
「善処します」
ようやくどうなったのか理解したのか、姫様は俺の首に腕を回した。
「イチ様、嬉しいです!」
「そりゃよかった」

祝福の言葉と、トランペットの音に見送られながら、城門を目指す。
「これからどちらに向かいますの?」
「とりあえずガライ。ウチの爺さんに報告して、その気があったら連れて行く」
「ご挨拶ですね、わたくし、がんばりますから」
「がんばらなくていいです」

門を出たところで姫様をおろした。
「自分で歩いてくださいね」
「歩きますよ」
そういうと、姫様は俺を見上げた。
「あの、イチ様。わたくしまだ聞いてません」
「何を」
「イチ様は、わたくしのことを……」

「好きですよ」

嬉しそうに笑う姫様の手を引いて歩く。
いつもより、ちょっと遅い。
これからは、これが俺の速度になるんだろう。




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