下町の駄菓子屋

育った家のなつかしい駄菓子と店の思い出です。


私が、物心ついた頃、母は、すでに店を開いていました。
店頭には、水をはった桶に自分が掘ったアサリや、ツヤ(ツワブキ)のゆでたもの、
わらびやぜんまいなどをひたし、
縁台には、土の付いた、ねぎや大根、人参、芋がところせましと並べられていました。
店の中を入って左手に 子供達の駄菓子やくじの類、おでんのコンロが置かれ、
右手には、うずら豆、金時豆、大豆などの乾物が、上蓋にガラスをはめこんだ四角いケースに色とりどりにおさめられておりました。
日用雑貨や調味料もありました。
奥の流しには、氷で冷やす冷蔵庫が置かれ、寒天が冷やし固められておりました。
注文を受けると、寒天突きで、器に押し出し、せんじか三杯酢で味付けしてお客に出していたことを覚えています。
駄菓子あらかると

 水あめ
巻きアメと呼び、ドラム缶に入った、水あめを割った木の棒に巻きつけ、子供達には こねようにもう一本渡しました。2本の棒でぐるぐるまいて柔らかくしてから食べます。アメが銀色になるまで巻いた子は、もう一本アメがもらえました。

 ニッキ
ニッキアメ、ニッキ棒、ニッキ紙

 大玉
黒アメの大きな玉、ほおばると必ず、ほっぺたがキーンと痛くなり、休み休み食べました。最後まで食べると飽きるのですが、数日経つと、また食べたくなります。

 えびせんべい
まん丸のえびせんべいは、バラ売り。5枚1円だったのが、いつからか3枚1円に。銭湯の帰り、おばあちゃんに連れられ、小さい子が買いに来ます。銭湯の釣りせんの1円玉を握りしめ、まよってまよってえびせんに決めるのを待つのが、私の仕事でした。(1円で買えるものがほとんどなかったんですが、決心がつかないので)おそらく、その子にとっては、初めての買い物だったのでしょう。

 黒棒
今も袋入りで売っています。当時はばら売りでした。

 こけしあめ
包み紙にこけしの絵が描かれ、その下にオブラートも重ねてありました。くじになっていて、まとの赤い丸がかかれた四角い厚紙が出れば当たりです。

 ラムネ
きれいな色のセロハンに包まれていた。くじで、大当たりがでると、大きな四角いラムネがもらえました。今の、ラムネよりおいしかったのは、チクロのせいだったのかな?

 ワッフル
今のワッフルよりやわらかく日持ちがしました。駄菓子の中では、一番おいしく感じました。店で売るより私達、家の子供が食べてしまうことの方が多かったかな?
今になって思えばごめんなさい。

 飴湯(あめゆ)
キザラで炊いたあめを熱湯でとかし、少し片栗でとろみをつけてある飲み物。生姜のしぼり汁のいい香りがした。寒い時、体があったまっておいしかった。

 カレーあられ
小さめのカップで、ひとすくい20円ぐらいだったかな。カレー味が斬新でした。

 口紅のお菓子
口紅の形をしていて、回すと、中からでてくる。やけに真っ赤で、くちびるへ塗って、遊んだ後食べられるのですが、子ども心にも、その色を見て、体に悪いと思い食べるのがためらわれた。味は、サッカリンを固めたような味だったようなきがします。サッカリン知っていますか?

 日光写真
カメラの形をした箱、それに黒い袋には感光紙が、入っていました。セロハンに黒白を反転させたような漫画が描かれた種紙とよばれるものがついていました。カメラのふたの下に感光紙、種紙の順にはさみ、日光に当てしばらくおくと白い部分が、黒くなり、写真のようになりました。成功率は少なかったような記憶があります。西長島では、手に入らないので、二郷(東長島の昔の呼び名)まで買いに行きました。東塗装さんの昔の家だったと記憶しています。

 三角キャンデー
加藤ラムネ屋さんが、製造していた。上の絵にあるように、専用のキャンデーボックスが、あって今のチューチューのような氷菓子でした。オレンジ味が定番です。

 バイ
こまのことです。昔は、バイ貝をまわして遊んだので、この名が付いたそうです。
心棒は、鉄で出来ていて、両端に結びこぶをつくったひもを渦巻状にかけて、端を指と指の間にかけ、おもいっきり回します。手に持った小さい入れ物の上に乗せ、バイを落とさないようにして、走ります。
女の子でしたが、ビール瓶のふたにのせる事が出来たのが自慢です。



懐かしいお菓子やおもちゃ増やしていきます。お楽しみに!     




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