大いなる正午11 森田家を後にして炎天下へと花野西安の自転車が進み出すとしばらくして、シャツの胸ポケットの携帯がせわし気に音を立てた。 期待と不安が同居する時のあの、血の気がすっと下がる感覚。「はい、もしもし、あっ性ちゃん」通話の主は大橋性也だった。泡状に吹き出そうとする質問や疑問らは団子状態に練りこまれてしまって、何から口火を切ってよいのか、その時は見事に慌てふためいてしまった。そんな西安に対して性也は、いかにも落ち着きはらった言いぶりで「西さん、何か急用だそうで、すいません、少しバタバタして、すぐに連絡できませんで」と、熱射する外気から遮断された冷涼な室内からの話しぶりに比例する、判然とした醒めた声を耳にして、西安は一毛ながら不審の予感を覚えた。 「事件のことでしょ、でも僕は何も知らないし、関わりたくない、というより西さん、関わりになったらいけないんですよ。はっきりと言っておきます。この電話も盗聴されてると思んです。わかりますか、非常にデンジャラスなんです」 焦りでつめりそうな足下に追い打ちをかける意表をつく性也の言葉に、増々、気が動顛してしまった西安は何とか意識を持ち直そうとし、哀願する思いも込めて「それがよくわからないんじゃないの、森田さん死んだみたいだし、加也子さんも巻き込まれている、、、」それに貞子もと言いかけて、今しがた性也の口から禍いの徴としてこぼれ落ちた盗聴いう言葉、、、そこで少し気を引き締めて「じゃ、どうすればいいっていうつもりなの、一体」 高性能の空調機が無機質な振動を伝えるように、返答は西安の耳へと届いた。 「普段に帰ればいいです、仕事をこなさないと、すぐにでも東京に戻るべきだと思います。おそらく近い内にすべて了解しますよ。僕が西さんに言えるのは、これ以上でもなくこれ以下でもありません」 性也も又、身の危険を鋭く感知しているに違いない。しかも、一身のみに降りかかるような問題としてではなくて、、、西安は、空気を抜かれて別の気体を注入されてしまったそんな彼の声音をよく聞き分け、「じゃ、何かあったら又」と寂し気な挨拶で会話を終えたのだった。 自転車を引いて歩きながら、増々勢いよく照りつける陽光を何気なく仰ぎ見た。今朝から随分と時間が流れていったと感じるが、まだまだ昼下がりじゃないか、、、日の光はいつからこんなに凝縮した密度を孕み始めたんだろう、目を細めると忌々しい悪神に対して唾棄する思いが腹の奥底から、わき上がってくる。寝起きから始まった悪夢みたいな歪んだ時空、、、そうだ、これはすべて夢なんだ、目が覚めた後はすべてが徒労に終わる。自分ひとり探偵気取りで真相究明しようなど考えない方がいい。森田の父親が語った強迫や性也のいう盗聴などには無縁であるべきなのだ、俺は日々の中にただ帰っていけばそれで問題はないじゃないか、、、煙幕に視界が遮られるからと嘆いてみたところで、今はなす術がどこにも見当たらない、いずれ風向きが変われば黒煙も吹き払われてゆくだろう、、、そう、近い内に了解すると言ったあの意味が何となく分かってきた。 西安は、次に講じる策として、テレビ局やルポライター、政治関連の評論家、パパラッチなどの特ダネ記者といった芸能界に属するあらゆる人脈に、この異変の解明を促す算段でいたのだが、計画は一切中止して川面に浮かぶ木の葉の身の如く受動であるべきと心に決めた。 しかし、汗だくの疲労と失意の果ての放心を一身に背負った西安は、実家に戻ってみると以外な光景に出くわすことになった。有名なテレビ局の中継車が自宅横に駐車されていて、向かい側の工場には、何やらいつもとは異なるにぎやかな声が聞こえる。けっして陰湿な雰囲気でないことを感じ、歩を進めようとした背後から女性の声で「花野さん、お邪魔してます。『南紀旅情〜歩いてみよう』番組レポーターです。今日は新鮮なかつおの加工を取材に来ました。そうなんですね、実はこの工場の主のご子息が、俳優の花野西安さんなのです。はい、ここが花野さんの生家というわけなんです」 手持ちのカメラがこちらを撮影している。いかにも明朗で快活な女性レポーターの笑みと滑舌のよい声、それはまぎれもない川村貞子であった。 |
||||||
|
||||||