まんだら第四篇〜虚空のスキャット17
息子の口ぶりにあらぬ気をめぐらせてみる機微もどこへやら、怪訝な目つきを投げやる身ぶりは空っ風に吹かれて舞い上がる木の葉のように軽やかであった。
片方の視力を失ったにもかかわらず半ば虚勢を張っているかの面持ちが痛々しくもあり、逆に初々しくもあり、孝博は多少戸惑いを憶えたものの、非常によく映える鏡と、まったく曇りきっている鏡を同時に眼前に並べられたような心地のまま、微笑が張りついている慰みを知った。彼女やらを伴ってと云うもの言いには健全な虚脱感が備わっていたし、何よりあべこべに頼もしさが授けられているようでうれしく思えた。ただ、うれしかった。
久道の件はあれから一向に進展なく、事件性の片鱗も見せないうちにいよいよ過失による事故死に収まってしまった。遺体が発見されたのはあの日誘われた堤防の外海に敷かれたテトラポット、どの辺りで足を滑らしたのか確定出来なかったけれど、後頭部に相当な打撲の痕が残っており、失神もしくは甚大な衝撃によって助けを求められないまま潮にのまれたとの見解だった。当日の夕暮れ、家人には行き先こそ報せてなかったが、玄関を出る際にはしっかり応答していたことや、満潮を迎えようとしていた時刻であったこと、翌朝になっても帰宅して来ない主人を心配して方々探しまわり到頭、捜索願いを出してから程なくして偶然釣り人によって見つけだされ、死後数時間だと推定されたことなど本人の思惑とは無関係そうな情況だけが確認された。これら以外に不審となる要素もなく、遺書も残されていなかったので家族も世間も不運を嘆くより仕方がない、三好から伝えられた情報のあらましはあまりに手短かすぎて、孝博の胸に収まるには容量が少なすぎた。
ではどれほどの実情と語り口を欲しているのか、そう問われてみてもどう答えられるのか、よく分からない。ひとつだけはっきりしているのは、恐ろしく困惑したすがたが不動の影となって立ち尽くしていて、一切の価値観は野方図に散らばってしまい、それは漆黒の巨像が立ちふさがっているからに違いなく、そうなると散らばってしまったものを少しでも取り戻す情念だけが、無意味な価値だと了解しながらも膨満感を得る為に、容量を満たす為に、小さくまるめられた奇跡を気ままに想い描いている薄ぼやけた輪郭線の存在だった。
不動の影はそんなに絶大なのか、重力と同じくらいに完璧なのか、、、木漏れ日を受けながらゆれる木の葉は無言の裡に、さざ波にも呼応する流麗さのはじまりを語りだしているではないか、そして木陰こそ日輪との対話を慈しんでいる。
孝博は薄ぼんやりと自らの居場所を確信していた。しかし、事の善し悪しにしろ、ふたりの人間、ひとりはすでに死人であり、もうひとりは血をわけた息子、彼らとの結びつきに共通項を見出してしまうのは心もとないだけでなく、あまりに倨傲な意想に感じられ、勝手な穿ちによって聖痕を現してしまうのだとか、偏頗な熱情が実はすべてを鎮静させているのだとか、思弁による仮説と実際の心情が切り離なされるのはほとんど困難であるのを知悉している。
久道は所詮他人であるし、美代にしても心奪われるほど魅了されたわけでなく、夢見がもたらした奇妙な符号に折り合いをつけ、後は机上の論理なり文献なりで秋の夜長に溶け込ませれば、掌合わせ読経を唱える心境に近づき静寂を得る。ここから先を探索してみたところでどんな成果が待っているのやら、確かに故人から示唆されたとしかない「探偵」と云う言葉だって彼自身を形容していたけれど、きっかけはどうあろうにも、気がかりな箇所に立ち止まれば、そして見つめてしまえば、意味合いは深みを速やかに形成し、そう単純に、極めて曖昧に、あるときは反転する位相で本来の切り口は葬り去られ、新たな視座が正門のごとく威風あり気に開かれる。
孝博の憑依とは進んで選びとった方便なのであった。消え失せるのは自意識だけではない、取り憑く相手もまた同じく、エネルギーが消費され何かが失われるはず、さて補填されるのはどちら側からか、それとも元素ように不変の循環を繰り返すと云うのか、ならもっと万全の心構えで臨もう。旅人と成りすましさすらっても安全が保障されているから、、、時間も加担してくれれば尚更ダイナミックな遊戯が約束されるではないか。
晃一の共感を素直に喜べるのも、またして危険な橋を渡らせてしまうと云うよりは、そもそも危険な橋が問題なのでなく、その足取りがとにかく一番大事な問題なのだ。軽やかな道行きを決意したのも、軽やかな風向き、久道が遺書を記さなかったのも奇跡が的外れだっただけ、が、憑依の形相に耽溺する為には少々と模擬試験をこなさなくてはならない。現実には本番なのだろうが、死者からのメッセージを直接受けとれない以上は色々と想像もめぐらせながら現地調査に赴かなければ、、、
そこで孝博は我ながら呆れてしまう空想をもって祈願とした。
「遠藤になりかわり、美代の首すじを咬む」
無論それは晃一には話していない。久道から聞き及んだ年少時の体験も同様に。息子の知るところはおそらく例の吸血事件にまつわる耽美的な香りと、その兄の死だけだろう。
帰省の日取りを四十九日と定めたのは別段揺るぎがたい理由があるわけではなかった。ただ気運が負のベクトルで解放され、歴史の彼方へしめやかに帰ってゆけるだろうと願ったからである。美代が葬儀に現われなかったのを知り得た時点より、祈願は増々、妖しく募りだしていた。
その日が迫ったある宵の口、孝博は晃一を呼んで一枚の記念切手を見せた。
「おまえは小さい頃よくこの切手を見せてくれって言ってたよな、憶えているかい」
「小林古径の髪だろう、当時はもちろん名前は知らないよ、でも切手趣味週間って漢字はあのあと書けるようになったんだ。ああ、それからもふとしたことで思い返す機会があって調べてみたよ。それに父さんはこれ一枚だろ、ぼくはシートで買ってもってるよ」
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