まんだら第三篇〜異名4


空気抵抗を反対にもてあそびながら時間の流れをそこに悠然とあらわしている光景は、微小な羽毛たちが神妙としてひかりの祝福を甘受している、あのまどろみの裡に見出す判然としない不安感を憶い出させる。永劫に浮遊し続けるちいさな歓びが無限の空間から断絶される恐怖をひた隠しているように。
美代の脳裏に同じく、朝もやのように廻ってきたのはやはり微細でとりとめもなく緩やかな想い出であった。まさしく散漫で悠長な風貌がこうして想起されるのも、ひかり輝くひとときの戯れであればそれはひとゆめのはかなさにも通じる開放的な調べと云えよう。

小学低学年の頃、教室内で休み時間になると何人かの女子が(ほとんどの生徒らがと認めたくもあるところ)リリアンと呼ばれた手芸に夢中になり、その色鮮やかな見た目と細かく編み込まれる手間がおそらくは、多彩な色づかいが醸す可愛らしさ以上の何ものかを発しているのだろう、魅惑はコンパクトな形状に収まり、なおかつそれなりの労力ともいうべき作業を必要とされることで、より一層のあこがれが彼女たちの清らかな胸のなかに颯爽と芽生えはじめたのだった。
勉強に専念する意志がまだ未分化なこども時代、図工など教科から覚える趣向とは違った意味あいを育んだ遊戯のこころはそんな他愛もない手細工に熱意を傾ける。すでにあの時分は、校舎を出れば駄菓子と並んで店先に陳列された廉価な玩具の類いは小遣い程度で買うことが可能であったにもかかわらず、こどもらには放課後をもてあます余力みたいなものが残されていて、男子は簡易な組み立て玩具やら、ビー玉、面子などの単純な遊戯に熱中しつつも、まだまだ労を惜しむのがまるで罪であるみたいに野原を駆け巡ったり、野球のまねごとなどに興じた。たぶん現在ほどモノに取り囲まれるまでは至ってなかっただけなのだろうか、駄玩具類はさておき、専門のおもちゃ屋に足を運ぶことが家族なりのおとな同伴でなければ到底可能ではなかった意識が重圧のように存在していた事実もまた彼らを高等な欲求から回避させ、低年齢である最大限の活力をもってする時間の充足、それが万全に充たされた方向とは断言出来ないにしろ、いずれにせよ物質からすべてをたぐり寄せる手法は選ばれなかったのである。
各家庭に据えられたテレビが毎回放映するこども向けの番組も、再放送の機会がなければ再び享受することがあり得なかったことも、放埒な醍醐味など最初から拒んでいるかのようで、そうすると食い入るほどに見つめたテレビ画面への感興は、まだ白黒番組なども放送されていたことも相まり想像は溢れさせんばかりの情熱となってまだ見ぬ未来へとおおらかに飛翔するのであった。
しかし、あとに残された廉価なモノらはそんな事情により、自らの価値を蔑んでしまったのかと云えば、情況はいみじくも、流行からは取り残されてしまったけれど決して品位を落としたりはしない歌手のように聴衆にふりまく笑顔は絶やさず、それは媚びる姿態へと流されることを嫌悪する意地でもあるかの如くに、こどものこころに意欲をさずけることで軽やかなる価値を証明してみせた。
「さあ、今度はこれまでとは違った遊びかたでやってみよう」
小さなプラスチック怪獣のあたまは外され、同じくらい小さな指にはめられ、ときにはビー玉を弾く兵器と化し、アイスクリームの空容器は積み木と一緒になって、一室の片隅に奇妙な要塞を築くための重要な器材へと変化した。そのほか面子やブロマイドなどは学習ノートと共に机の引き出しに仕舞われ長い眠りについたものもある。
そんな幼少さが創成するきらめきに溢れたさり気なさは、その実どこまでも平静であることの装いを意識しない約束ごとみたいな守り神の霊力によって、不満分子たる欲求を封じていたのかも知れない。
さて美代も例外にもれず、親しい同級生の感化を瞬く間に受けていたのだが、どうしたわけか手先の器用な兄とは正反対に、そしてまわりの女子たち誰にもまして、自分が念じた動作を指先はことごとく裏切る結果、リリアンが作り出す色彩の綾は見るも無惨な形状をあきらかに予期出来てしまう段階で、美代の期待を外堀から打ち崩すようにしてつぼんでしまうのだった。
生徒同士に暗黙の了解と云った気概がとりまいていたのか、本人が編み上げた品以外をほかの者が身につけることがまるで御法度として誰ひとり進呈はおろか交換も見出せない以上、如何にも興味なさそうな目をくれている男子のなかに混じりこんでしまいたい無念さと、切実に感じた哀しみに苛まれてしまった美代は生まれてはじめて孤独感を覚えたのである。のちに成人してから襲われるひりつくような世界からの孤独と、言わば鮮度が異なるその念いは、親身になって編み方を教えてくれる仲のいい友達にも伝えられない性質であった。
当時は男子女子ともにジーンズをはいている子が多数で、腰の横ベルト通しにひっかける感じで歩くたびに複数棒状に編み込まれたオレンジや赤、緑に黄色が織りなす原色がクレヨンから移しとられたかの極彩色の放ちながら揺れている様子から美代は逃れることが出来ない。
「ああ、これがせめてハンカチとかであれば、、、」
だが、幼いこころを煩わした事態もさほどの時間を要することなく、思わぬ知らせから一気に氷塊してしまった。
「ねえ、美代ちゃん、あの高森くん見てよ。男子のくせによくもまあ、、、」
彼は男子生徒のなかで、この教室のなかで、ただひとりせっせと休み時間にリリアンを手慣れた指先で制作しているのであった。