断章21 「Y子は始めて僕のほとばしるものを体の中に受け入れてくれました。そしてそれが、最後のふれ合いになってしまったのです。肉体同士が大きくうねりをあげて溶けあっていた瞬間、意識は明瞭でありながら妙に覚めた距離感を、、ええ、何か生々しく、歴然と目の前にあるものが、どこか自分に無関係であるような、もしくはつかみとれないような、、、いや、ひょっとするとつかみたくないのかも知れないなどと云った相反する感覚は、しかし激しくこみ上げてくる錯綜した感情にコーティングされていたのでしょうか、搾りかすがもうこれ以上出てこない場面にあきらめを覚える、あの気持ちがY子の体から離れた時に緩やかに訪れたのでした。夜霧の向うからこちらに近づいてくる幽霊船の不気味さに似たものを漂わせて、、、 結局、僕の悲鳴にも近い切実な関心事に彼女は、言葉では伝えられないことを身を持って現してくれたように思います。 肉欲と情愛が同時に引き潮みたいに遠のいて行ったそれからの沈黙は、哀しみが恐怖に、恐怖が儚さの波間に揺らぐようにとても静謐な叙情さえたたえていました。そう思えるのは僕らはあの幽霊船にもう乗り込んでいたからなのでしょう、、、この世のものじゃなかろうが、この世のものだろうが、すでに二人を乗せて船は出航しているのです、 波頭をすべりゆく船出の静けさだけが余韻となっている感じがして、それなら有終の旋律が奏でられるようにと、願いを込めたのはY子が先でした。 『何か音楽かけてくれない。でも性也くんはあんまり音楽興味なかったんだよね』 例え哀しみの静けさでも以外と冷静な選択が出来るものです、、、僕は一枚のCDを素早くプレイヤーに入れ、そして曲目を選びました。ビートルズのアビーロードの9曲の終わりの箇所からでした。「You Never Give Me Your Money」から「Sun King」へとつながる、そうです、こおろぎの鳴き声がかすかに聞こえだすあの瞬間です。 ギターとベースがやるせなさにつま弾かれて始まってゆくイントロへのブリッジ、、、、これは時折、思い出すとよくひとり聞き入っているものでした。 街の裏通りに小さな公園があって、夏が深まる最中から、よくこおろぎ達の合唱に耳を傾けて足取りを遅くしながら草むした辺りをそっと覗きこんでみたものです。でも決して立ち止まったり、後戻りしてまでは彼らの鳴き声に集中しようとは思いませんでした。公園から遠ざかれば次第に街の騒音に掻き消えてしまうのが、自然だと感じたからです、、、でも、時には群れから逃れだしたのか、しばらく過ぎた辺りでまた小さな音色を聞かしてくれることもありました。 はい、ああ、夜明けの新宿ビルの長唄ですか、、、あれはいきつけの酒場の店主から聞かされたんです、異化作用とか言ってました、一度機会があったら試してみると面白いって、、、今思い出すとあの未明の映像は少年の頃、故郷で見た夕映えにオーバーラップしていたかも知れません、そうですね、とんぼが飛んでいてくれたら完璧だった。 さて、僕の物語も終盤にさしかかってきたようですから、その後の成り行きを急ぎましょう、、、ええ、最後は淡々としていたほうがいいものですよね、、、幽霊船が霧深い海洋へと包み込まれた以上、そのままの航海でいてほしいからです。太陽の下にさらけだされたらただの難破船だった、と云うのは興覚めですから、、、 『明日からしばらく会社お休みにするわ』そう言い残してY子は、見送られるのが何だか寂しいからと言って一人帰って行きました。帰り際に、落ち着いたら必ず電話するからと約束して、、、秋の木漏れ日のように清潔な憂いを込めながら。 翌日には早くもY子の欠勤事情がそれとなく社内に広まっている空気を嗅ぎ取りました。別れの言葉はさよならではなく、おやすみ又ね、でしたから僕はその気持ちをしっかりと抱いて彼女の意思を尊重しようと、こちらからはあえて連絡はしませんでした。 彼女の父が亡くなったと聞いたのはちょうど一週間が過ぎた日のことです。ええ、僕も葬儀場に赴きました。しかし大きな斎場だったので、焼香の時に心のなかでは大きく目を見開いてY子の喪服姿を見つめようしたものの、僕の意思を葬儀と云う枠組が阻害しまったのか、厳粛でいながら雑踏に立たされる無感覚さみたいなひんやりとした感触だけが、抹香の煙のなかに残されていったのでした。」 |
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