尾鷲幻想曲2

事象の地平線へ〜解説にかえて〜」宮上 修二


「事象の地平線」という言葉がある。
四次元やブラックホールなどについて書かれた書籍に頻出する科学用語で、大雑把にいうとあらゆる現象の限界線であり、そこを越えると光さえとどかない境界のことを指す。
尾鷲幻想曲の二連作を観ながら、いつしか私はこの言葉を呟いていた。
あらゆるものが混然となった賑やかな世界と、一切が無い埒外な世界の境界線。この作品群はそうした境界線にあるような緊張感をもって起立している。

この緊張感はどこからくるのか。作者はなぜ難行苦行の修行僧のような作業を始めたのだろうか。どんな想いをもってシャッターを切り続けたのか、ある時は果敢に、ある時は一瞬息を止め、ためらいながら撮ったのだろうか、、、。いや、実はそんなことはどうでもよい。
ざっと通して観ただけでも分かると思うが、この作品群は安易な尾鷲の町の紹介写真ではない。心象スケッチという言葉でもちょっと生ぬるい程の、宿業の放出ともいうべきせっぱつまったものを感じるのだ。

宿業の放出ということでいえば、連作をスタートしてから作品が増えていく過程を見ればよく分かる。作品を追っていく過程で、乱暴な言葉でいえば随所にブレが見受けられるのである。あくまで私の推測ではあるが、作品群の行き先が当初の予定とは違った方向に向かったのではないか。当初自分を見出す術として生まれ育った町に目を向け、当初は情景としての町の記憶という要素もあったのだろう。しかし撮り進むうちにより自分の内なるもの、生来抱えてきたものの放出へと向かったのではないか。
そのブレはふたつの作品群の題名にも如実に表れている。「記憶の町」から「虚無への供物」へ。「虚無」とはなにか、「供物」とは。それは二作目「虚無への供物」の最初に作者の祖父の肖像画写真を持ってきたことに意味がありはしないか。
追憶をたどるはずがついに自分探しの巡礼と化し、そこにはなんらかの「供物」が不可欠であったのだ。

ところで題名ということでは、二作目では世に有名な作品の題名を採用したことが気になる。後記にもあるように明らかに意図したものではあるが、せっかくの自立した作品群にあえて他者の作品名を借用する必要があったのだろうか。私から見ると、もはや一作ごとの題名さえ不必要だと思うのだがどうだろうか。このあたり機会があれば作者にじっくり聞いてみたいところである。

さて、この作品群をつぶさに観てみると、意外なほど基本的な構図や採光その他の技術を遵守している作品が多いことに気付く。部分的には「ちょっとやりすぎかな。」と思える画像処理を施した作品もあるにはあるが、基本的には正攻法の作品が多い。
おそらく今まで数多くの美術・芸術品に接した造詣の深さ、あるいは生来の感性によるものであろうが、いずれにしろ作者がカメラをもって一年程度の経験だというから驚きに値する。それは現代の電子画像処理技術があってこそ実現したことではあるが、見方によれば感性や表現力にやっと科学技術が追いついてきたともいえるのでははないだろうか。

最後になるが、作者の「虚無への供物」の後記にミヒャエル・エンデの名を見つけ、私が感じた「事象の地平線」という言葉がまんざら見当違いではないことを確信した。虚無というキーワードの合致もあるが、作品「果てしない物語」で、虚無が世界を覆う世界を描いたエンデは自然科学や文明社会について数々の言葉を発しながら、常に心のありようを何より重視し続けた。かつて物理学者アインシュタインをテーマとしたテレビ番組製作に参加した際、下記のような言葉を残している。
「私たちは、外の世界、環境世界を持っているだけでなく、内なる世界もあることをすっかり忘れてしまいました。そしてこの内なる世界は、外の世界と同じように危険にさらされているのです。」
さて、作者は事象の地平線にいつまで立ち続けるのだろうか。


平成十七年五月吉日  宮上 修二