尾鷲幻想曲2
後記

春先の空模様はどこか哀愁に彩られ、次第にあふれん息吹きの序曲として蒼く流れて行く。

この作品集は、前作の一側面を更に色濃く綴った寓話である。
ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」に着想を借り、そしてニーチェの思想を反映させた。
世界にはいたる所に「虚無」が存在している。これは言い直しの不可能な背理でもある。「虚無」は無であるから認識されるべきものではない、永遠に逃れ去ってくイメージとして、あくまで概念的に読みとろうとする意識が拡がるばかりである。ところがその暗黒の大きな大きな口は、逃れ去っていくどころか、恐ろしい形相で押し迫ってくることもあれば、無言の笑みを浮かべながら辺りを横ぎっていく瞬間さえある。
これは現象として、概念的ではなく内的体験として知覚される。
「常に世界を整理されたものとして見ようとする弱さ」こそがニヒリズムに他ならない。
「虚無への供物」とは限りない挑戦状であり、又、せつない捧げものとも呼べるだろう。
各頁のタイトルはメタファーとなりうるべく、既刊の書物や映画の題名から拝借することで脱構築を試みた。すなわち、不断の戯れとしての異相へのゆらぎの連続体にと、意味を引きのばした。

撮影は6日間に及んだ。一見して明解のように、前作での郷愁も生活世界としての確認作業でもない、ひたすらに空間を裁断し、記号論や現象学の方法を持ち込み、醒めた情熱でこの町を歩いてみた。それでも尾鷲は尾鷲である。私が私であるように。


                                                     2005年 春