妖婆伝5


「僧の名は春縁と伺っていた。さきにも話した通り、山寺の、なに山と言っても麓でな、てっぺんまで登るまでもない、半里ほど歩いたところじゃ。住職の公暗和尚は徳の高さもさることながら、御上の信頼厚く各地よりかの門を訪ねる客僧あとを絶たずで、名刹でもないのに山寺を知らぬ者はおらん。
そうよ、年端のいかぬ娘子から垢染みた老婦まで、いつも話しの種が尽きた試しがないわ、なんせ、門前の小僧からして見目麗しゅうて、若僧の面々はまるで役者のような容姿と来れば、衆道の本山かやなぞ訝しさはさておいても格好の話題であろう。おなごに限らん、村の誰もがいかなる理由で美男ばかり集めておるのか不思議がっていたけど、真意をただすよりか興味深くその顔立ちを眺めているほうが楽しいわな、いつしか手書きの番付までまわりだす始末じゃ。
向こうも心得ているのか、托鉢の折りは必ず一人歩きでな、行き交う村人の好奇心にさり気なく応答する。わしが胸ときめくのも無理はない、屋敷の長女次女らは密やかに禁断の恋など空想しておる様子、思えば嫁に来た頃より山寺の噂は聞こえていたのに、葛藤に身悶えするあまり、これまで特に気を向けてみることはなかったが、最近の心持ちからすれば、そうじゃ、娘らしさを前面に出そうとする努めの為、しだいにわしは世間に溶けこみ始めたかも知れん。どうあれ慚愧に苛まれたままではらちが明かない、思惑を越えた仕掛けが施されていたと後に了解しようともな、、、
春縁がわしの名を口にしてすぐに言い直したように、こちらもついぞ若僧に対してはお坊さまで通したわい。最初は遠慮まじりのはにかみだと勝手に想像していたところ、どうやら含みがあるのがわかってきてのう、いや、お互い呼び方に変化がなかったのはわしはともあれ、お坊さまからすればあきらかに下心を香らせたい働きがあったのだろう、ひとり気ままに散策しだしてから他の若僧ともすれ違ったりしたが、そつのない会釈程度だったし、まず春縁と比べて格段にその頻度が異なる。これはいかがなもんか、いくら同じ堤を歩くとして、いかにもわしと鉢合わせになるよう春縁はたくらんでいるのでは、、、まさかわしが願っていたわけでもあるまいて、そこである日いつもの道からそれてみたんじゃ。するとやっぱりさも偶然のような顔で反対側からその姿をあらわして、さわやかな微笑を投げかける、ここに到ってわしのほのかな気持ちを汲んでおるのは間違いない、ただ双方の身分がある為に異性としての好意をあらわに出来ぬ、かといって僧侶ともあろうお方が秋波をうながしておるわけでもなかろう、わしはあくまで淡い親しみより進展は求めてなかった。何度もくり返すがのう、憧れであれ、情愛であれ、娘の意識としてこの身をめぐってくれれば、それは記憶をともわなくとも十分だったんじゃ、これだけ話しておいて尚、わしは気持ちの整理をつけたかったんじゃな。
異性に恋心さえ抱ければ、女人であることの証左となろう、悲願が呪縛に転じてしまった今、女体に準じる意味合いは心模様をば変えること以外になかった。この場に及んでまだ純情を知らぬわしは、あの世なぞ信じるまえに現世こそ塗り替えるべきと、ひたすら虚飾に励んでおった。おのれさえ侵蝕される上塗りでなあ、、、春縁はその意想をいとも簡単に読み取ったとしか思えん、そうでなければただの破戒僧よ、山寺の修行者らは容色が端麗であるだけじゃなく、優れた知覚の持ち主でもあったんじゃ。
これでお坊さまの洞察とわしの願望がひとつになった。もう少し加えるとな、相手が仏門という世界にいるからこそ、牛太郎の煩悩と娘の魂が結ばれるよう期待を寄せたことは隠せない、とどのつまり助け舟を求めたといえるじゃろう、たとえ無様な恋慕に流れようともな。
さてそれからの展開じゃが、人目をはばかるふたりではなかったけれども、連れ立っての散策、しかも頻繁となればいささか様子が変わってくるわな、村では似たような光景があちこちで見られたし、おおよその会話も推察できる、悩める乙女に澄まし顔のお坊さま、一見布教に映ろう、が、内面はどちらに軍配を上げていいやら、両人の情は案外細やかだわ、こうなると疑似恋愛にすら思えてくる。
山寺の宗派は座禅の向きだったので、まさか真言立川流でもあるまいて、いやなに、これは以前旦那より興味半分の口ぶりで聞かされた憶えがあっての、なまじっか風流を気取っておるわけじゃない、その方面の怪しげな知識をおもしろおかしく伝えては夜寝の気分を盛りたてているつもりか、わしは随分恥ずかしい思いさせられたわい、そんな按配じゃったけどお陰で仏の道の妙義をかいま見たような錯覚がよぎっていった。なるほど春縁いわく、修行の身なれば邪教も耳に入りましょう、とな。あたかも山寺の風潮を糊塗するべきではなく先手でもって痒いところに忍んでくる機微、これよりは将棋の駒のすすむとこだわい、先々まで見通す眼力なぞわしにはない、この辺で駆け引きは終わりじゃて、もはや軍配は瞭然となった。ただ、わしの中には勝ち負けといった感覚はなかったから結果的に春縁から功徳を施され、それは又あらぬ恋心を認めざるえん場所に落ち着いたとも言えよう。春縁はちっとも狡猾ではなかった、むしろわしの方が勇み足で道を違えたのじゃ。そうなるのう、、、ああ、そうなる。
で、進展はあったかと、あったとも、おおありじゃわい。あんた、わしがうなぎでなくなった茂みを思い出してみなされ、娘が警戒しつつも山肌に包まれ小用を果たした、それが因で儚くも散ったあの灌木の暗がりを。お坊さまからだったのか、わしからだったのか定かではないが、同じく川筋から逸れた方面にふたりの影は隠されていた。光線が届かぬのではない、闇にはすでに光が満ちておったんじゃよ、まばゆいばかりの照り返しに日輪は言葉を失っていた。
代わりにお坊さまが幾度とな口にした、いかなる悩みを、という文句がぐるぐるとあたまの中をまわり、今にも飛び出していくような気分だったわい。そうだとも、あんた、わかるかね、よっぽど牛太郎の悪業を逐一語って聞かせようと思ったのだがなあ、ぱっと両極にひらめいくものが邪魔立てをしおった。よしんば転生の事実を受け止めてもらえたとしたなら、お坊さまのその胸中は嫉妬の念でいっぱいじゃろうて、わけは言うまでもないわな。反対に表面は驚きをともないながらそのじつ荒唐無稽とあざ笑っているなら、これはとても悲しい、どちらにせよ、わしの傍からお坊さまのこころが離れていくのは間違いない。それよりかこの成りゆきに身をまかせ、相手の懐のうちに抱かれるのがなにより、仏道の教えに従ってこそ成仏できようぞ。わしの煩悩は暗がりの一点を灯す鬼火だった。陰に籠っては、地を這い、川底に静める、しかし眼の芯を突き抜けてしまう、強烈な輝きだった。
お坊さまには到底知れぬ、知れようもない、だからこそ、わしの方から歩んでゆくしかない。実際に言葉が無効になるのを忸怩たる思いで認めつつ、うっすらくちびるを開いた。わしは娘になっていた、、、」
春縁の抱擁は優しさにあふれ、その口づけは更なる親愛で熱く燃え、唾液が絡まる。それはあたかも葉のうえの沢山のしずくに似て絶え間なく、閉じた眼の奥に早瀬を知った。そっと力を緩める春縁、耳もとでこう囁いた。若奥さま、これも因果でございます。慈しみに包まれた語感だけを残し、投げやりで無責任な囁きは木霊に加わる。わたしはゆっくり眼を開き、端正な面持ちをいっそう際立たせている薄茶色に透けた瞳をのぞきこみ、そこへぼんやり映る寂しげな顔に虚脱を覚えながらも、遠い谷川の音のような気配に共感し、因果という響きも幽か、遥か悠久の彼方よりの使者、火照り始めた柔肌をなぞる。
夢心地であるのやら、わたしは境界をまたいだ足もとも覚束ない、が、それでいて段々とたかまる野性の息吹はいつしか抱きしめられたからだに合わせながら、逆にその緊縛を振りほどく口調に転化して、こう応えた。されど、由縁もなき。わたしのまなざしは遠く、もの欲し気だった。着物の裾から指先が忍んで来る。滝登りの勢いで逆さつぼを目指し侵入を試ようとしている。くちびるが又ふさがれた。さっきより荒々しい触れあいだったけれども、そしてそのわけも知っていたけど、わたしは相手を軽蔑なんかしない、唾液よりなめらかなものが指先にまとわりつけば、暗がりに悦びが走り抜け、吸われた口から思わず声をもらしてしまう。断続的であることがなにより望ましいと虚勢じみた考えが通過し、その先の快楽をなおざりにしてみる。からだが小刻みに震えている。そのまま膝をつき、地面に押し倒され、両脚の裏にささくれを感じ、付け根にはどんよりと広がる雷神を秘めた黒雲のような、曖昧でいて分厚い得体の知れない快感が訪れていた。
胸元があらわになり、乳房をなでまわされ、首筋に何度も舌が這い、鼻息がかかる。束の間の衝動だとお坊さまは分かっているのだろうか。そうならもう少し落ち着いてからだを味わって欲しい、わたし自身のためにも、、、けれども性急な手つきが不意にとても愛おしく感じられたりして、如意棒を迎え入れた。
すでに大きく飛沫を上げていた滝壺はたやすく、根元までのみ込むと同時に稲妻が貫き、激しい興奮に支配されたのだが、生娘ではない身をあらためて実感することに抵抗を覚えてしまった、それでも女体を持てあましていた時分より格段の進歩を遂げた意義に感謝する。突き刺さった如意棒の擦れる様に陶然とし、素晴らしき仏の導きよと、ひとすじの涙が上気した頬をつたうのだった。