妖婆伝47


「夜明けにはちと早いようじゃが、あんた、眠れんかんったな、まあ、なかなかこんな夜話しを聞かされることもあるまいて。さてと、わしの物語もそろそろ終わりよ、もう酒はよいか、なら冷たい麦茶でもどうだい」
「はあ、もらえますか」
「舟虫や、よく冷えたのを頼む」
「で、なあ、阿可女はともかく古次が生きておったとはお釈迦さまでも知るまいて、もちろん間延びしたときを愛でたい心許なさが作用しておったに過ぎんがな。いうまでもない、黙念先生じゃよ、変幻自在、神がかり、清流の主にして厭世家、かと思いきや、罪つくりの天真爛漫、生きながら死に絶える賢者、愚人、悪鬼、どうしようもない惚け老人、くだらぬ気分屋、、、が、口答えする気力は尽きておったわ。面倒になった、馬鹿臭くはないが生真面目でいる必要もあるまい、別に空とぼけていたでないよ、ただ、旅の終わりに相応しかったんだろうな、中左衛門みたいに融通の効かぬ最期、まあ本人は救われたのかも知れんが、わしから言わすと、愚の骨頂じゃ、来世で会いましょうとな、勝手にどことなり行くがよいわ。
もろ助よ、とことんしらを切るつもりか、ええよ、ええよ、好きにすればよい、ところで阿可女さん、中左衛門にからだを許したとはまことでございますか、この観音さまには不届きな口を利くつもりはない、古次が化けて出るなら、このわしとて舞台から引き下がりはせんわ。阿可女は軽くうなずいたのみ、さほど大義でもなければ悔いも恥じらいも見当たらぬ、わしの思惑なぞ歯牙にもかけん典雅さよ。素晴らしきかな、金目流とやら、積もる話しは山ほどあれど、そっちも億劫になってきた。
さて湯浴みじゃ、垢まみれはごまかしようがないからの。想えば、妙をたぶらかしたのも湯けむりに紛れたほんのりした意想じゃった、嘘ではない、強欲めいたもの言いをしたから、いやせざるを得なかった故あんたには欲情の権化、捨て鉢の刹那と聞こえただろうが、そうでもないわな。毛穴にぬくもりがしみ入るごとく、股間に湯が浸透したまでのことよ。妙の初々しさは二度とめぐりはせぬ、いくら股間がゆるもうと、うなぎがもたげようともな。
道場とは借りの名、寒村の民家じゃ、湯船もこじんまりとして、懐かしい我が家に帰ってきたような感じさえよぎったわ。終わりが肝心というが何どうして、あっさり話しを締めくくろうぞ。
妙の面影やら小汚い湯船でそれなりの想いにひたっておると、古次が全裸で入って来ての、これにはさすがに戸惑った。お背中でも、冗談でない、そんな台詞なぞではないわ、こう言うた。小夢さまわたしと夫婦にそう申されましたな、しかと引き受けいたしましょう、嘘偽りありませぬと感じ入りました。さあ、閨にて契りを、そのまえにわたしも身を浄め、、、ああ、そうであった、あの夜、わしは古次に向かってどうして忍んでこなんだと詰問したのじゃ、よもや斯様なかたちで循環されるようとは、、、
古次の陰茎はいきり立ってはいないが、瑞々しい張りをしめしておった。のんびりでもないけれど、あえてこの場はゆったり湯に沈んでいたかったものを。
しかし悠長に構えているべきでないのは瞭然、今わしは人生最大の奇跡に立ち会っておるのだ、天に昇る心持ちが狭い了見に整然と収められているのなら、奇跡のときも大仰に振る舞うまでもなかったけれど、儀式こそひとを正す枠組みよ、遵守いたそうではないか。が、たとえ黙念先生の教えたろうと、素直に従えぬ、いいや、駄々をこねておるわけでないよ、いくら変幻とはいえ古次、いやもろ助と性交するのはちと抵抗がある、なんとかならぬか、、、よい知恵は絞りだせんかったが、こう思った。阿可女と瓜二つの顔立ち、先に問いかけたのはわしからじゃ、阿可女をくれるならとな、ならば古次には多少わしの言い分も聞き入れてもらわんと困る、黙縁先生とて困っていただこう、なに、他愛もないことよ、これよりの契りはいわば祝言、が、そんじょそこらの婚姻とは破格の違いがあろう、でな、湯上がりを待ってわしは古次にあたまを下げたんじゃ、そりゃえらそうには言えんわな、事情が事情よ。
なあ、もろ助、せめて紅を引きおしろいをほどこし、おなごの装いにて枕をともには出来んだろうか、おれはおまえの女房になるんだよ、阿可女さんはもう諦めた、そんな調子のよい夫婦と兄妹なぞあり得んわな、おれは案外まともなんだよ、おまえや随門、金目、すべてまわりのせいになんてしたくはない、たとえ外がなにもかも狂っていようが、おれの狂いはやはり正しい、それでいいじゃないか、わかってくれ、まともだろう、だから頼むから阿可女に扮してくれないか、どうせ着物を脱げばふぐりも堅物もあらわになる、せめて小さな夢をあたえてもらえないか。切実な懇願、いや哀願、土下座寸前だったわ、ところが甲斐あって古次は快く願いをかなえてくれた。
三三九度も執り行ったとな、ああ、それはそうじゃろ、阿可女も参列じゃ、そのまえに初夜の様子を聞いてくれるか。わしだって浮き浮きとは思い返したくはないよ、しかしな、あんた、信じられんことが起きたんじゃ、そこだけでいい、実は話したくて仕方がないわ。
おそらく阿可女が細々と手伝ったと思われよう、それは見事なおんな振り、交わりに角隠しはどうかと訝ったけれども、上手い具合に、そうとも双子なのだからなあ、これが当たりまえなのだろうな、うなじまで白塗りの美貌は冴えに冴えて、一刻も早く夜具に押し倒したい情欲にかき立てられた。声は上げん、古次は心得ておる。帯に手をかけ裾をかきわける按配は躊躇われ、破れかぶれに胸もとを暴いたとろこ、わしは目を疑ってしもうた、たわわな乳房とまではいかぬが、おしろいの白さに導かれたふうな柔らかで優し気な隆起が胸に備わっている。乳首さえ充血したよう膨らんで見えるのは錯覚でしかないのかや。見せてくれ、もっと見せてくれ、、、阿可女に扮した古次こそ錯覚と思いなそうと努める悲痛な欲情は、直ぐさま肌に触れることを拒み、かすれた声が次第に内なる響きとなってゆくのを粛然と悟り、ふせた左右の瞳に輝いているだろう鮮血をよみがえらせる、赤く艶やかな唇を吸いに吸った。もはや手先はおろか、足の指までじっと留まる意義を忘却している、わしは女体を演じた古次の胸をさすり、自らの衣を速やかにはだけると、そっとまぶたを閉じ古次を迎え入れた。興奮や快楽とは異なるが平たく浅い、けれども砂地の落ち着きを決して損なわない遠浅の白浜のような汚れを知らぬ悦びに溺れた。
海流に揉まれ、波濤に呑まれ、やがて潮溜まりに取り残されたふうな小さな甘えにも似た嘆息が閨を浜辺から遠ざける。小夢さま、、、古次の声色に異変はない、が、わしは毅然とこう応えた。小夢と呼んでくだされ、その夜は記憶を消し去ろうと躍起になっていたけど、自然の理はときに破れた。
祝言というてもほんのまねごとよな、金目なり黙念先生、古次の亡霊と来れば、あんたも期待しようが、形式なぞ終わってしまえば、あとかたも残らぬ。古次は、いや黙念先生はもっとも最高の幸せをあたえてくれたに違いない、そう知るまで幾年かかったことやら、、、
翌朝、庭先において古次はあの中左衛門が自決の際に用いた剣を手にし、抜刀するやいなや、有無を言わさず阿可女を袈裟斬りにした。ほぼ即死であった、崩れ落ちるより軽やかに女人は地に倒れこんだ。
わしにはもう何がどうしたのか皆目見当はつくはずもなく、叫ぶことさえ出来ず、無言のまま風に吹かれているしかない。
小夢よ、古次が死ぬとき、わしも死ぬ、とは申せ死んでばかりはおれん、阿可女の魂はこの身に宿ったぞ、おまえは女体を愛でたのか、それとも魂に恋したのか、まあいい、即答なぞ一番の方便に過ぎんからな。口外は無用よな、さあ、これよりわしは古次であり阿可女となる。おまえが腹の底で望んだことよ、現実とは厄介なものよなあ、断層のずれのごとくちぐはぐに即す、、、これが黙念先生が発した最期の、いいや最初かも知れんな、わしには割り切れん言葉であった。
阿可女の亡きがらは魂を失っておらぬという古次の確信ゆえ、鳥葬をもって別れとした。中左衛門は廃墟の片隅に葬られた。ああ、これは余談だが、ごん随の婿取りなあ、そうじゃよ、真意のほどは知らぬがわしの子息だそうだったが、気の毒なことよ、婚礼の日取りが決まって数日のちに急死したそうじゃ。連鎖かのう、随門師匠もほどなく病死、とはいえ流派はごん随がどうした仔細かは存ぜぬけど引き継ぎ、途絶えはせんかったそうな。ああ、そうじゃ、かなりの月日が経ってからだった、の毛子が一度、この地を訪ねてくれたことがあってな、お互い笑顔で向き合った想い出があるのう。
これから先は物語でない、だから特別に語るべきことはこれにておしまいじゃ、おっと舟虫はまちがいなくわしの孫娘よ、つまり古次との間に子が生まれ、その子が舟虫をという摂理だから秘密めいたことはそこにない。もし聞きたければ話してあげようが、あんた、峠を越えなきゃならんのだろ、残念だったのう、もう一息で舟虫はあんたとねんごろになれたかも知れぬわ、はははっ、ところで、あんた、どうして峠越えを急がれる、ほう、そうだったのかい、地質学者かいな、で、明日の研究会に代表として是が非でもと、、、その足でそのまた峠をなあ、少しでも横になって行きなさい、心配せんでええ、ちゃんと起こしてあげよう、わしはくたびれた年甲斐にもなく喋り過ぎてしもうたわ、どれ寝るとするか、明日は見送れんがな、代わりに舟虫が名残り惜しそうな顔で手を降ってくれようぞ、これはちいとばかり大袈裟かや、では達者でな」