妖婆伝15


「遊び足りなさを悔やむ顔つきと仕草でもって、まさに子供らしい惜しげな様子で、満蔵はからだを離した。やや勢いを失った隆起が如実にそれを語っていたのだが、こんな予期せぬ情景のうちでは、すぐさま萎れることを知らない陽根に却って冷酷なものが根づいているよう思われる。現況把握できないのは、走馬灯を呼び寄せるまでもなく、とうの昔から分かっていたことであって、困惑のゆくえをたどる行為、たとえば乱れた敷き布団のうえにどちらから抜け落ちたのやら、何気に眼についた数本の 、汚らわしいとも、やりきれないとも、又はなんの感興を引き起こさなくとも、どこか注意深く見つめているふうな時間の滞りに、すべてを投げ出している感覚、直に打ち震えてしまう損傷を引き延す護身が働いているのだった。
ぼんやりとした懸念を先回りしたのであろう、唐突な妙の出現も、遊戯の延長を体現している満蔵にもその実、天地が逆さまになるほどの驚きを覚えておらず、あえて言うなら、驚きの形式におのれを当てはめてみたに過ぎん。あんた、忘れんでほしい、このわしだって小夢を乗っ取った痴れ者よ、そして立派な屋敷の住人じゃわい。戦きなり驚愕なり、ついてまわって当たりまえ、これは開き直りであろうな、処世術と呼ぶには大仰かや。とはいえ、あの悪戯な舞台では、そういくら舞台と心得ようとも簡単に気を落ち着けたりは出来ん、今は回顧ゆえに沈着な意見を吐けるが、あの刹那はやはり動顛していたろうよ。
妙への色目から始まったにしても、どうこうあれ、つまるところ陥穽にすすんで堕ちたと解釈してよかろう、魔物はわが身にしっかり棲みついておる。それをあたかも悲劇の姫君を装ってお人形さまになぞらえてみたり、屋敷全体に覆う気配を邪気と観て取ったりしたのは他でもない、おのれの生き様を都合よく認めたかったからじゃ。色事に準じたまでよ、こんな言い草をしたら、どうかな、あんた、侮蔑の念がふつふつとわき上がってくるかいな。ああ、ええ、それでええ、準じる即ち、道理でないか。見え透いた筋書きとて追ってみれば、情も動こう、涙も流そう、気もそぞろになろう、舞台狭しとありたけの気分を放ってみる、手足の自由がきく限り走りまわってみる、おのれの意識が遠のいてどこかに舞っていくよう願ってみる、ただ悲しいことに客席なき演芸場、燃え上がろうと、はかなく散ろうと、発した意識は、声は、言葉は、合わせ鏡のなかにしか躍動せん。わしのもっとも怖れた事態は、そうした有り様に照らし出されることじゃった。気抜けと同時にあたまをよぎった観念は、逃走しかない、わしはようやくお人形さまの不自由を、汚れなき停滞を疎んじたわ。
その夜の駆け引きは交情にあったのでなく、むき出しになった保身にあった。肉を交えたふたりにしても殊更うらみつらみを言うわけでない、びっくり箱を開けて見せただけに等しい淡白な感じがし、わしはふらふらと部屋を抜け出た。頼りない足取りに追従するよう、あるいは思惑が高じてわざとらしく、つまり悟られぬよう配慮したのかもな。姉弟の見事に決まった画策は間を置かず旦那の耳へ誇らし気に届けられるだろう、もしかして姑も承諾しているでは、、、ほぼ固まりつつあった逃走心を是認させる為には、危惧を豊かな想像で羽ばたかせなくてはならん。と、まあこの時点にめぐらせていた思惑には罪はなかった、案の定ことの成りゆきは適中したんじゃから。平穏なのはそこまででな、それより先は罰が待ち受けておった。
翌朝より旦那のすがたがふっつり消えた、なんでも所用でしばらく留守にするとな。とってつけたような振る舞いに疑念をはさむ猶予のなきまま、わしの胸中が筒抜けになっておるとしか考えられん仕打ちが始まった。もっとも無邪気で、もっとも陰湿な罰を受けるはめになったんじゃ。屋敷の一員であることを半ば軽んじていた不誠実な、しかし拠り所として気安く甘受していた意気をなじられたに違いない。わしはただの嫁であり、血縁に連なっておらん、おのれの悪心をこの家に紛れこまそうとした姑息さが仇になったか、それとも秘めたうなぎの本性を嘆きながら一方で陶然としている気構えを見抜かれたか、どう転んでみても鬼から仏から愛想つかされたのよ、更に穿てば、なんのことはない離縁を迫られている実相が浮かんで来こよう。これはわしの能動的な解釈でないわ、単なる書き割りでない、そんな芝居じみた演出ならさぞかし粋であろうよ。
家中を上げての儀礼、年中行事ならともかく、下半身の沸騰を日々鎮火する役目とは如何に。満蔵の奴、よほど味をしめたのか、次の日から恥じらう気色ひとつなく、慣れ慣れしいもの言いで、お義姉さま、昨夜はほんに中途半端でした、とぬけぬけ口にし、ふたたび相手を所望するではないか。妙との共謀には呆れていたけど、悪戯とも割り切ろう、儀礼なぞ最初で最後と楽観していたのが大間違い、色に目覚めた満蔵の眼は純粋に澄んでおり、手習いを授かるような真摯な態度で言い寄ってくる。逃げ出したい心持ちの予感がこんな形で圧迫するとはさすがに見当もつかなかった。正直言えば、頑なに拒むほど満蔵が憎らしいわけでなく、情交に嫌気がさしていたのでもない、妙に不届きな淫欲を覚えた手前、因果はめぐるではないが、仕置きの様相に見立て裸体を投げ出すくらいの覚悟はあったわ。麻痺した神経かも知れん、が、とにかく好悪に苛まれるまで至ってはおらん。仕方あるまい、、、これが本音じゃ。
旦那がしばらく家をあける機会に便乗したのだろうて、困ったものよ。妙はまた覗いたりするのだろうか、それも構わぬ、元はといえばわしの不埒に因を発しておる。で、その夜は秋の風も何処へやら、部屋中に充満する熱気、肌から噴きあふれる汗、声を忍ばす必要もない、鍛錬に集中するような掛け声も若々しく、満蔵は腰を振る。精がほとばしる。昨晩の意表をついた妙の言葉がまるでよき薫陶のように耳にこだまする。その辺でやめておきなさい、、、ああ、こんなに精を注がれたら孕んでしまうであろうな。格式かや、、、哀しいかな、女体は過敏に反応をしめしており、善悪は等閑に付され痺れる快感だけが身を貫いていた。
それから秘め事は日課となった。いいや、もはや秘められた行為ではない、昼も夜も暇さえあれば満蔵はそばに駆け寄りその手は肌を這う、薄々予覚していた怖れが実際に。乳母に預けたままだった子供らの世話をしていたら、背後より冷ややかな声色、温情に限りなく近いまなざし、姑の言うに、せがれの留守なればこそ、満蔵にはしっかり当主たる自負を育んでもらいたいものよ、精々奮闘されようぞ。
わしのこころはこれでやっと揺らぎから解放された、姑は満蔵の子を宿すことを奨励しておる。この屋敷には代々脈々と流れておるに違ない、近親による交情の血が、、、先に嫁いだ長女は果たして、妙は、満蔵は、、、
お義姉さま、小夢姉さま、いっぱしに精悍な言い様だが、薄皮に包まれた饅頭のごとく中身は甘く柔らかい、背伸びした素振りは無粋でもなかったが可愛くもないわ、股間を勢いよく突かれながら念頭をかすめるのは、血の緊縛から逃避せねばならぬという大義名分が立った勇みだった。ついに一条のひかりが差し込んだ、暗黒と闇をさまよい続けていた人形に血が通いだしたんじゃ。皮肉にも闇夜にふさわしい黒々とした血流と接することによって、真新しく新鮮な息吹を得た。お人形さんかい、あんた気になるかいな、そうよな、置き土産として藁人形にすげ替えたのよ。呪詛なぞ籠らさん、もぬけのからじゃ、一応はこの家に世話になったわけだからのう、飛ぶ鳥あとを濁さずだわな。そうと決まれば一日たりとも早いほうがよい、旦那の留守を幸いに。
当てなどない、刹那を生きてきた身上、閃きまかせだった。出奔するにも頼るべきところはあり得ず、生家に帰るわけにもいかん、そうした事情は話したわな。醜聞にとどまるものか、生き恥さらしと罵られ、下手をすれば命も危うい。そこで思案した、なるだけ穏便にすがたをくらませたかったのだが、向こうとて脅しめいた言い方で封じようと努めていたではないか、なら、飛ぶ鳥は遺憾ながら少々波紋を残すのも仕方あるまい。この広い国には夢もあろうな、偏狭な意識しか持たぬわしには広大な土地を駆け巡るなんて芸当は出来ん、閉じた性根のなかに潜りこむのも方策じゃて、夢を紡げんのなら、悪夢に飛びこんでやろうぞ、あんたならどうする、これは愚問じゃった、わしの問題よな。
この村にありながら他の土地に通じておるところ、それは山寺以外にない、春縁を死と追いやるという外道を一切とがめることなく、屋敷と何らかの疎通を計ったそこ知れない力量、衆道の本山などと陰口を叩かれながら、村人からは憧憬の的にさえなっておる不思議な魅惑、駆け込み寺という意義がもし活用しておるのなら、わしはそこに賭けてみたい。屋敷に連れ戻されるかも知れぬ不安をぬぐい去る要因は、離縁をものともしない家風であり、春縁の子をも素知らぬ振りで生ませた化けものじみた寛容さよ。そして何より我が子に愛着を抱きもしない、わしの人でなし加減が絶縁への保証となろう。卑しい打算だが刹那をかろうじて支えていた。
山寺の公暗和尚はどう対応するものやら。道は一本じゃ、残念ながら選択の余地はない、希望に通じた明るい道筋とはいい難い、どちらかと言えば絶望にひた走る直線だわな。しかしなあ、どんな道だろうと走るにおいて馬力はいるんじゃ、薄らぼんやりしておれん」