追憶


もう一週間が過ぎてしまった、でもあと一日こうして郊外の薮の小径を彷徨っていたい。面白いほどくねりにくねった道行きは新鮮だったけれど、時折忘れたころに木々をささやかせる風のなかにずっとまえから潜んでいただろうぼんやりした不快な、かといって気分を圧迫するまでもない感触がいやに軽やかに思われ、民在公吉はその手を胸にやった。
面白さと同時に大都市の外れがこうも田舎臭い、そうまるで生まれ故郷の山間に点在する家屋を思い起こさせるのが、気抜けとは質の異なる薄明るい視界と化していた。陽をさえぎった木立や草むらの仕業にしたいところだったが、残念ながら旅情を喚起しつつも、帰省を強制させている淡い意思が薮のなかに紛れこんでしまった。
「ちょっと待ってよう、そんなに早足で行かなくたっていいじゃない。子供が駄々をこねるのよ」
「おれのせいにするなよ」
公吉はさも迷惑そうな顔つきで振り返りざまにそう吐き捨ててみたものの、心中は言葉よりずっと距離があるのだろう、さながら駆け足で向かってくる女との隔たりを埋めるのに好都合な響きがあった。
「なによ、みん公。さっき嫌らしいことしようとした癖に」
女は切り札を持ち出したかの語調であったが、これまた公吉と同じく、光の乏しい山道に小気味よくこだましたに過ぎない。
早足を断念して見せたのも演技ならば、冷ややかな目つきを放っているその表情もいくらか芝居じみている。左手が山肌、その反対はちょっと見には谷底に滑り落ち込みそうな勢いだったが、くすんだ瓦屋根がほどよく見下ろせる景観は決してありきたりではない。むしろ曇天から降り注ぐ折の雨脚に涙を想い被せてしまうほど、ひっそりとした沈黙のなかにあり、公吉は目頭を熱くしてしまった。
「こんな場所が別れにふさわしいのかもしれない」
ふとそうよぎったのはわけもなく、ただ悲しみの中にうれしさが混ざっているみたいで、自分でもその深意にまで降りていかなかったのは、新しいパンツに履き替えた女の仕草がありありとよみがえってきたからであった。

今は夏なのだろうか。女はまだ幼い子を寝かしつけると、一仕事終えたふうな顔をし、見るからに汗ばんだからだへ迷惑気にまとわりついた薄い生地のワンピースのすそをめくりあげ、ぞんざいな手つきで下着を脱ぎだした。公吉は呆気にとられ目は釘付けになるところだったが、あまりにあっけらかんとした女の様子に却っていらぬ神経が働き、羞恥ともつきかねる変な気持ちに襲われてしまい、目線をそらしてみたものの、今度は着替えのパンツに見とれてしまったのだけれど、欲情をもよおしつつもとりあえず平静な面を崩すことはなかった。
この一週間のうちに何度おなじ光景に出会ったのだったか。
指折り数えてみるまでもない、公吉は下着の色柄や素材を好奇によりうかがうのではなく、それはあたかも洋品店の従業員が品揃えを確認するまなざしを模倣しており、いわば陳列された肉欲の近寄りがたさ、空無な衝動に支えられていたというのが適切ではなかろうか。女を抱いた記憶がないのが何よりの証拠、公吉はよりどころのない夏日の茂みにいた。
「第一、おれは痩せぎすな女は好みじゃないんだ。もっとむっちりしたふとももが恋しい」
自分の姓名を略して、みん公などと呼んだ女の無邪気さと、魅了されたという意識が眼前に立ち現れてこないにもかかわらず、奇妙な傾きを示している案山子の如く、どこか骨抜きされたような感じを打ち消したいが為の反撥をしめしてみても、こころの片隅では色香と親しみを分け隔てられず、ついつい悪態に堕してしまうのだった。現に今も肉付きはよいとはいえないが女のふくらはぎは、ちょうど出し殻の茶をすする案配で、以外やのどの渇きにほどよい加減を念頭に上らせることを忘れてしまったように、放擲された淫欲の陰になり忍び寄ってくるのだ。
女はからだつきに相応しく童顔で、しかも舌足らずであった。公吉からしてみれば、蔑視を含んだ色情でこと足りるところであろうが、それは記憶の操作が麻痺しているだけであり、おそらく欲を蔑もうとしている意思を相手に覚らせたい一心であったに違いない。公吉は女のからだを失念していた。が、寝物語にいつか夢のなかで蚊帳を吊って自分を待っている愛人の話しをしたことは忘れていなかった。とすれば、脱ぎ捨てられ履き替えられたパンツはどこに行ってしまったのだろう、そしてあの人気のない小径で自分を追ってきた顛末は、、、

公吉は十、七八のころ、友人の知人のそのまた知人の家に遊びに行って大い居心地の悪さを知ったことがある。細かい理由などいらないだろう、つまらぬ人見知りに過ぎない。そこで想い出すのが、幼年時代、遊び仲間と近所の知らない家を訪れた初々しい情景であった。
まったく面識のない公吉よりふたつほど下の女の子がひとりで猫と留守番していた。こういうとさぞかし物騒で訳ありな家庭に聞こえるかも知れない。確かにそこは初々しいさからはほど遠く一軒家ではない昔ながらの長屋であり、あたりまえのように一間しかなかったと思う。しかも布団は引きっぱなし、あきらかに荒んだ雰囲気を感じとったには間違いないであろうが、実際の有り様というよりもテレビドラマに出てくる場面が再現されている、そう受けとめたような気がしてならない。
風大左衛門はニャンコ先生から空中三回転を学んだのだ。つまり猫はどんなに放り投げられても必ず四つ足で降り立つのであり、誰が言い出したか、猫は公吉らの玩具と成り果てて、何よりも女の子が我さきに投げ技を披露し、いかにも自慢気だった。どれくらいの時間その遊びに熱中したのか定かでない、何回天井めがけ舞い上がらせても猫は野生の能力で見事に着地をきめ、ついには三人そろって抱えて天井に叩きつけてしまった。しかも力加減が揃わなかったので斜めに飛ばしてしまって、ゴロンとあきらかに痛々しい物音とともに布団の上に転がり、即座に小便を大量にたれたのである。
空中三回転の失敗より小便の方が遥かに衝撃だったのは公吉と友達ではなく、女の子だった。わぁっと泣き出したまま、かあちゃんに叱られる、叱られると連呼したのが今でも耳に残響し、というのも猫はどこにも怪我をした気配はなさそうで、問題なのは布団を汚してしまったという現実に行き着くのは理解できるのだったが、その懸念に同情することなく、女の子が早く泣きやむようなだめたのか、そうでなかったのか、疑問ももちろんそこにはない。泣きやむことがまるで布団をもとに戻すと願ってやまなかったのであって、しかも真意はここの母親の顔をなんとなく思い出したからで、ならこの布団は親子ふたりの大事な寝床であるわけだから、申しわけなさを補わなければいけないところだけれども、なぜかしら異性の魅惑になどまったく感心なかったはずの不遜な意識がうっすらと首をもたげてくるのだった。
数日後、あの親子が喪服姿で歩いているのを遠くから見かけた公吉は、背筋に熱いのか、冷たいのか、とにかく何かが走るのを覚え、それが夜更けになって股ぐらへと伝わってきた。

いや、微かだが見覚えがあるぞ、女はせわしなくパンツを履き替えながら、外出しようとしていたのだ。それでおれは、早めに家を出たのだった。ことによればもう一日、たぶんまだ数日、ひょっとしたらしばらく帰省しなかったかもしれない。
「おい、待ってくれよ、追いついたと思ったら先走りやがる」
これは夢は台詞である


2013.3.5