大いなる正午1


新幹線のりばへと向かうエスカレーターの手すりに軽く手をつき、ゆるやかに上昇はじめた時、花野西安はようやく動揺した気分そのものへと成りきれる感じがした。
平和で安全な速度のエスカレーターは、焦る気持ちをより明確に浮上させることに尽力してくれたようであった。今朝からの浮き足立ち胸騒ぎに追い立てられた自分自身に対して、落ち着きを取り戻したのは、この冷静な不安感を意識的に覚えるということだったのか。
今日も仕事の予定メモに忠実な起床で一日が始まろうとしていた矢先、目覚まし時計の音響より早く携帯電話が鳴りだした。西安はこの業界に足を踏み入れる前から、着信音を綿密に使い分けすべてをしっかりと記憶している、そういったこまめさにかけては、人より抜きでていた。電話の主は川村貞子、、、ひさしぶりだな、でもこんな朝早くから一体、、、ベッドの脇の時計に目をこすりながら向け、傍らに置かれた携帯に手を伸ばす、、、時刻は5時すぎ。
「もしもし、花さん、貞子です、すいません、こんな早くから、、、でも至急お話ししといた方がいいと思って、、、ええ、私は今から帰省するつもりですが、、、」
いつになくこわばった声色で聞かされた早朝潭は、まさに晴天の霹靂だった。

昨日の夜、故郷で大事件が発生した、旧知の者らを含む数人が壮絶な殺戮を演じ倒れ、ある者は命を失い他も重症者が出たほどの惨劇が、あの公園で繰り広げられたという。貞子の従姉妹にあたる三島加也子は瀕死のまま病院へと運ばれ、森田梅男とみつお、後、聞き覚えのない男が死亡した。唯一、無事であったのは例の山下昇、一体、何が起こったというのか、貞子自身も情況を把握できてない、加也子の母から連絡が来たのは深夜をかなりまわった頃だった、腹部に銃弾を打ち込まれた加也子は応急処置を受け献血を行ない、容態の安否を確認する間なく都市部への大学病院に搬送されてしまった、、、
警察からの報告では、国際規模の犯罪組織が介在している可能性があるので、厳重な警備の中でお宅の娘さんの回復に全力を尽くしたい、詳しいことは所轄署の我々もまだ説明をもらってないが、公安やインターポールがいち早く動きだした、そちらの方からあらためて連絡が来ると思うのでそれまでお気持ちは察しますが、どうか静かにお待ち下さいとの旨であった。
過去、貞子にとっても因縁のあるあの児童公園、、、今回関わった人々も又、忘れることのない顔ぶればかりではないか。加也子が移送された病院へ問い合わせてみたが、重要な患者である為、面会は今は一切謝絶である、容態に関しては悪化は見られない、命に別条はないので安心して欲しい、ただ当局側が事情の解明を急いでいるのでしばらくの猶予をと、切々とした口調で聞かされた。対応に出た病院の医師からは受話器を通してだったけれど、懇切な雰囲気が感じられた。
西安はそこまで、ほとんど応答せず、貞子の声に耳を傾けた。自分はまだ夢に中にいるのではないだろうか、話しの合間に何度かそんな思いが浮かんできた。事柄があまりに尋常でないから、痺れで何かが麻痺してしまった感覚とは、そう大きな事態の圧倒的に眼前そびえる重厚の門構えに気後れしてしまい、霞がかかったように明瞭な意識では汲み取れない、現実逃避願望みたいな否定的な面が時折あらわれてくる、あの信じることを避けて通る防衛反応が今、西安の脳裏を夢見の陰りに引き戻そうとしていた。
しかし、貞子の口ぶりが小刻みに震えていくように聞こえてきて「私、深夜だったけど花さんにすぐ電話しようと思ったの、でもあなたは恐らく一睡もしないまま、列車の始発を待つ間もないまま車で走りだそうとする姿が見えてきた、あんまり慌てて、もしもの事があったら、、、だから私、今まで待っていたの、、、」
その最後の言葉に西安の胸がつまった、気持ちを伝えようとする先には、震える声が悲しみの涙になっている様子がはっきりと感じられる。
「貞子さん、ありがとう、うん、君は相変わらず気遣いをしてくれる。そうだね、言うように僕は高速に乗って疾走していったと思う。今でよかったんだ、ありがとう、、、」

住まいの都合で貞子は品川駅から乗車するという。同じ車両はありえないが、名古屋駅での乗り換えで会えるだろうか、身支度に急ぎながらそんなことを考えてみたりした。