ねずみのチューザー8 長い旅とかえらそうぶってみたものの、あのみかん園をあとにしてからはずっとバスに揺られぱなしで、幸いなのかどうか腕時計もはめてなかったから、脳内時計のなすがまま時折しんみりした顔つきを浮かべたりして、自動運転だから別に会話に支障はないと思ってたんだけど、チューザーの奴どうしたわけなのかえらく無口を守ったまま、いかにも運行に注意をはらっているような気配だし、僕のほうから質問を浴びせてやろうって勢いもなぜかしらそがれてしまい、多分それはあわてなくてもこれから糸をほぐすように明快な答えがあらわれてくるんじゃないかという確信みたいなものを不思議なことにこのガランした車内から感じとったからで、自分のうわずった声が無人バスに反響してしまうのを怖れたせいなのだろう、確固たる釈明を胸に抱ききれてない本心は、糊付けされた紙みたいに時間のなかへ張り合わされようとしていたんだ。困るんだな。むやみにひっつけてしまうと。あとからはがすのが大変じゃないか。で、まあ焦らずに肩のちからを抜いて山の連なりを眺めていた。 そんな事情だったからどれくらい時間が経過したのか、よくつかみとれないうちにどうやら目的地が迫っているのを知らされたんだよ。いよいよあの離婚状を通行手形とした最初の関門ってことになるから俄然気も引きしまり、印象的だった名の「もげもげ太」なる人物像をあれこれ想像してみたわけさ。チューザーからの情報はまえに言ったように「ミュラー大佐」に関わる人物であり、「卍党」であり、こちらこそ願わくばの「意気投合」を前ぶりされているわけだから、かなり具体的な風貌が浮かびあがってきたていた。しかし、ここでそのスケッチにいたる行程を話しているのは時間の無駄だと思うので、端的に出会いの瞬間へと筆を飛ばそう。 第一印象はこうだった。「えらくイメージを裏切る容姿じゃないか」ほとんど小声になりかかっていたよ。想像では三枚目的なお人好しを装った冷徹なる顔。はなから忍びの者とか聞かされていたから、そんなふうに収まるのも紋切り型かと抵抗しつつも、だけどやはり貧困だね、やっぱり底が浅いんだろうな。すでに第一印象からして目くらましの術にかけられているだから。そうだなあ、俳優とかで例えるとこれが最近ではあまり見かけなくなったタイプでさ。とにかく見るからに神経質な大きな目をしていてね、繊細な感じが空気感染してくるんだけども決して嫌みはなくて、どちらかといえば全体的にひかえめな面持ちを崩さないんだ。こっちが歩みよれば同様の歩幅で応えてくれるような実直さを持っていて、それは軽佻な資質が都合よく被われているから見栄えがいいとか、狡猾な知能がはかりにかけて培われた愛想とかではない、もっと身近に感じることの出来る、いや、もう今ではあまり接する機会もなくなった小川のせせらぎを彷彿される清らかな親しみだよ。 華奢なつくりも重圧感を排除しているんだろう、もし交差点とかですれ違ったとしても好印象をさりげにあたえながら、同性として異質な分子がいったん濾過されて、ちょうど微かにただようオーデコロンが鼻をくすぐってゆくさわやかな存在であり続ける透明感を身に宿している、どう今そんな俳優いるかい。名前は思いだせないけど、おぼろげな顔が磨りガラスのむこうに佇んでいる。 「はじめまして、もげもげ太です」 声からして一口サイズの洋菓子のように甘く柔らかい。僕はよほど「あなたは俳優のあのひとに似てます」と言いたかったけれど、「卍党」って先入観がうまく始動してくれて余計な口をきかずにすんだ。つまりは相手は忍びであるってことがいい意味で僕を寡黙に仕立てあげ、「ミューラー大佐」を保持する(もっとも実体でなく影らしいが)大義をかみしめてみたのさ。いくら懐かしの俳優に似てるからってイメージ通りの反応は期待出来ないし、するべきでもない。チューザーが間に入るまでは一切無駄口はきくまいって構えていたわけ。そうりゃそうでしょうよ、まだ海のものとも山のものともさっぱり見分けがつかないのだから。こっちは「赤影」にはわりと詳しいほうだからね。特に甲賀幻妖斎が率いた「金目教霞谷七人衆」と「卍党うつぼ忍群」の面々はたいがい覚えている。もげもげ太もその流れをくんでいる限り、隙を見せるのは早計というもの。記憶がないわりに妙な箇所だけは忘れてない自分に感謝したよ。ほんと感謝したよ、、、君にはわかるだろう、幾度となくテレビで再放送され、大人になっても関連書物を見つけては収集していたんだ。 ねずみの奴どこへ消えてしまったのか。まあいい、ここまま澄まし顔でいるのもそろそろ限界にきていて、僕の好奇心はもう火がついてしまっていた。彼の風貌にはもうおかまいなく、ついに尋ねてみたんだ。「幻妖斎」の末裔はいるのか、テレビ番組がすべてではないのは百も承知だが、ああ、霞谷衆の紅一点「闇姫」の末路はいかに。過度な緊張が逆噴射してしまい、にわか仕立ての理性を吹き飛ばしてしまった。いきなり「闇姫」はさすがにはばかれたので、もげもげ太におそるおそるこう訊いた。 「あなたはひょっとして傀儡甚内の子孫ではありませんか」 「いかにも、霞谷七人衆がひとり、忍法顔盗みの秘術は連綿と伝わっております。あなた様がそれをご存知とはおそれいります」 こうなると調子にのってしまい「かなうことなら闇姫さまにお会いでませんでしょうか」と、咳き込む勢いで口をついて出てしまったよ。 もげもげ太のくっくりとしたまぶたがひと際濃くかさなると、もうこれは俳優の領域でしかない憂いを帯びた目元が妖しくひかりだした。 「闇姫さまにおめみえしていかがなされるおつもりでございます」 「ただ懐かしいだけです。忍法髪あらしはむろん遠慮させていただき、ひとめでよいから会ってみたいのです」 「それほどまでにご執心ならば、、、しかし、闇姫さまはここにはおりません。いづれ日をあらためましてのご面会でよろしいございましょうか」 と、いうわけで思ってもみなかった事態に発展していった。まだなんにも関与していなんだけど、意外に地平は開けていくようじゃないか。 |
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