ねずみのチューザー52


「命令だったのかい僕の。任務から逸れるものは直ちに抹殺するべし。例外はなし、すべては鉄の掟に守られている」
おくもがとった行為はプロジェクト失敗後だったし、本然に立ち返る僕を目一杯補佐する役割を担っていたのではないだろうか。しかし、じいとばあはまるで禁断の地に仕掛けられた刃のように、反射的な殺意でもって僕らを襲撃した。正確にはおくもに対する処刑が敢行されたのだが。
時間系列でいけば他の疑点から記すのが順序だろうけど、さっきからの会話は遺体から離れたとはいえ、まだまだ血の匂いに包まれた直後に交わされていたんだ。どうして沈着な心地でいられるものか。
「大佐殿、どれほどの護衛があなた様のまわりに配備されていたか御存知でしょうか。人気のないS市に放たれましたときから、バスへの乗車、そして隠れ里に到着するまで厳重な体制は微動だにしませんでした。もちろん屋敷内におけるすべてもでございます。第一に大佐殿の意志が問われておりました。おくもについては端的な返答を差し上げたいところなのですが、どうしてもそれを迂回するわけにはまいりません。この度の計画はなるほど用意周到に進められてきたのでありますけど、ドクトルKが懸念いたしました通り、成功率は決して約束されたものではなく、集結された学者たちの見解も同様で、最先端技術の彼方の光芒には神秘という名のまぼろしが映るのみ、理論は骨子でしかない、畢竟我々を突き動かす力は意志の有無に大きく左右されるのだと共通項に帰着したのでございます。宇宙は無限の広がりを提示し、環境に及ぼす影響は計り知れないものがありましょう。しかし、どれほど宇宙論を探求したところで、また自然科学を極めたところで、意志という力が稼働しない限り、この世界は所詮ただの風景なのです。いえ決して静止した意味合いでとらえているわけではございません。文明の発達も、自然災害の猛威も、人智の進化も、あるいは世界像の転倒も、一個人の力量で動かせないように風景は生き物と変わらぬ生命力を持っております。ただ、それがしが申し上げたいのは認識論的な把握による世界観より、動的な時間性に還元されつつ乗り越える意志のあり方を問いたいのです」
チューザーの奴うまく矛先をかわしたもんだ。まあいいさ、つまりミューラーの意志がこの僕なわけなんだろう。そんな気持ちと折衝しながらこう尋ねる。
「護衛とは恐れ入ったね、では僕をつけ狙う輩もいたということなんだ」
「さきほど申しましたように、大佐殿の決断は結社の総意とは言い難く、密かに反乱を企てている幹部も存在していたのです。そこで自ら実験台に望まれたのを幸いと、脳内に異変をきたした理由づけにおいて大佐殿を失脚させる陰謀が発覚したのでございます。婚儀に参列しましたきつねの面々こそ反勢力の連中、疑心暗鬼の仮面を被った様相はまさに効果満点、護衛側でも紛れこんでいたのでさすがにあの席では謀反を起こせません。もの言わぬ圧力と判断して誤りはないと存じます。何せ事前に参列の予告を寄越したぐらいでありますから。大佐殿と闇姫様にも面をして頂いたのは言わば暗黙の了解であったわけでございます」
「じゃあ、あのとき警戒態勢だったのかい」
「無論そうです。それがしは屋敷内から庭先の隅々まで警護隊を配備いたしまして、緊張に身をこわばらせていたのであります」
道理で目線が合ったときによそよそしく見えたんだ。チューザーが語る真相の数々によって僕の疑念は一気に溶けだし、つい先ほどまで屋敷内で繰り広げられていた活劇が、まさに映画館をあとにするような感じとなって胸の奥へのみ込まれていった。すると不思議なことに今ここの庭先に佇んでいる自分の影が、会話の主であるねずみの姿をありありと際立たせたんだ。
何てことはない、チューザーはもげもげ太の肩に乗っかって僕と向きあっている。真正面ではなくやや斜交い気味なのだが、その間合いといいこんな深刻でクレージーな話しをするには絶妙の位置だった。もげ太の存在さえ眼中にあり得なかったのだから、その集中度がどれくらいなのか察してほしい。ようやく相手を客観視できるようになったのは、それは言い換えると、いくらか呪縛から解かれたということになるし、動悸も治まり何より気持ちが落ち着いた証拠だろう。
陽光が肌に注いでいる感覚と殺戮により焼きつけられた鮮血は、ここにきて得も言われぬ混淆で現実感を育んでいた。現実が現実であることは予断を許さない鋭角的な印象を刻む一方で、どこか遥か彼方に飛翔してゆく翼をまぶたの裏に描いてみせた。この相反する感性の磁場はもしかしてミューラーの記憶が、薄皮を隔てて僕に帰ってくる予兆なのだろうか。それなら意識するよりも目のひかりが反映するものをただ眺めてみよう。
もげ太の表情には険しさが風にさらわれたような微笑がたたえられていた。チューザーの語りに歴史の重みを見いだし後世に記された書物をひもとく、、、おそらく教科書なんかじゃない、でも彼が頁をめくり読み上げると誰もが聡明な顔をしてうなずいてしまう。そんな夢想に連れ去られ、いつまでたっても好青年ぶりを発揮するもげ太にあらためて親しみを覚える。僕は彼からも何かを聞くのだろうか。予感は風に乗って訪れる。
チューザー、ちょっと見ない間に随分老けこんだんじゃないのかい。こんな陽気なひかりを浴びているから、そう感じてしまうのだけなのかな。いやいや実は数百年も生き長らえてきたのかもね。種族の長老だから子孫存亡の憂いて立ち上がったんだ。色々あったけど僕はきみらと出会えてよかったよ。脚本だろうが決定項だろうが、、、
ミューラーの意識が舞い戻ったらこんな気持ちは消えてなくなってしまう運命だよな。共同体としての連帯感は変わらないと思うけど、もう一緒にバスに乗ったり、にぎりめしを食べることもない、それに疑念を抱きながら謎ときをしてゆく冒険も。言葉を喋るねずみなんて世界中探したってチューザーしかいないんだろ。ミューラーの欲望はすべてをつくりだしたみたいだけど、すべてを壊してしまった。
さあ、語るべきものは語ってくれ。そして解放してくれるかい。