ねずみのチューザー50


「それでねずみ一族は大いに実験へと加担したというわけだ」
軍事的行動という名において計画が企てられたとすれば、さぞかしミューラーはそこに価値観を見いだしていたんだろう。互いの望みが叶えられるのなら、きっと共同体として機能していたに違いない。僕は欠片ほども記憶を甦らせられない自分をもっと突き放すよう、秘密結社の欲望と種族らの栄光に軽蔑の念を抱いている口ぶりでそう尋ねてみた。
「おっしゃる通りでございます。我らの存亡は大佐殿にすべて委ねられたのです。すべてをコントールせよ、それがあなた様のお言葉でした」
「えらく、尊大な言い様だな。僕はそんな言葉を吐いていたんだ」
「現状をコントロールせよとは申しておりません。様々の可能性を信じつつ、決してひとつの形態だけに慢心せず、進化する過程にこそ至上のまなざしを注げと祈りにも似た観念をお持ちでございました。故にコントロールとは掌握することではなく、より深い認識性を示していたのだと思われます」
「それは立派な意見だ。でも今は以前の記憶にひたることも無理だから、いずれゆっくり吟味させてもらうとして、まずはドクトルKとやらの手腕を聞かせてもらおうか」
「はい、遺伝子工学の権威にしてクローン技術を極めました博士なのです」
チューザーの語るところによれば、ミューラー大佐は自分のからだにねずみ一族のDNAを組み入れたり、細胞から抽出した特殊な物質を投与するようドクトルKに依頼したのだったが、人体実験を買って出た本人に及ぼす危険性が高いと最初は承諾しなかったそうだ。大佐のからだに送りこまれるのはいわばチューザーのエッセンスなんだろうけど、最終目的は自己の精巣から放たれるものがねずみを生み出す源となり、受け手の女体にも同様の技術を施すっていうのだから、クローン人間とはかなり趣きが変わっている、第一人語を理解出来るねずみの生体自体がよく解明されていない、大佐の願望とドクトルの意見が現実において噛み合ないのは他の取り巻きにも瞭然と映っていた。
しかし、ミューラーはあくまで実験精神を放棄するべきでないと、声高々に主張してやまず、ついに一大プロジェクトの幕は切って下ろされたんだ。遺伝子工学以外にも各国から高名な産婦人科医、胎教を専門とする研究者、さらには精神分析医、大脳生理学者、怪奇医学史に通暁する識者、薬物学の権威、また異色のところからは超常現象研究家、建築家に庭師、脚本家なども動員されたという。
母体となるべき女性には結社側から慎重かつ秘密裏に幾人かが選定され、美貌はいうに及ばず、その品性を追求し、なおかつ心身の健常を越えて有能である挺身者に的が絞られた。それが闇姫こと苔子だったのさ。実名は定かではないけど、もげもげ太はその推薦者であり、苔子のいとこにあたるそうだ。屋敷では叔父とか言っていたが、親族であることには間違いなく、もげ太もまた結社に所属している身とか、このあたりの情報はチューザーに包み隠されず伝えられたというわけさ。
そこで彼らは御用達の脚本家が書いたシナリオに沿って互いの役割を演じ、隠れ里の開墾に携わった。じいやばあも挺身隊だった。屋敷に接した際の印象が映画のセットを彷彿させたのは、あながち勘頼りに傾いていたのでなくそうした背景が潜んでいたからなんだよ。
S市の農道でさまよっていたときにはすでに仕掛けが万全に施されていたんだ。その後の展開は今まで記してきた通りだから、重複するのを避けるとして、ここでミューラーの意志について少し説明しておこう。
といっても僕の記憶は述べれないので、チューザーから聞き出した言説をよりどころとして見解に導いてみる。
「己を投げ出してまでの実験にどんな意志を持って臨んだか、世界掌握が本願でないとすればだよ、ミューラーはどうしてすすんで種まきの役に準じたんだろう。結局、世にも稀なねずみを生ますことに快感を覚えたからじゃないのか」
僕の質問にチューザーはもっともというような顔つきをし、こう答えた。
「快感とおっしゃられましたが、それがしにはそんな一過性の問題とは思われませぬ。確かに実験の成功から得られる栄光は我ら種族も含め、歴史に燦然とした輝きをもたらすでしょう。それは単一な感情に返せるものではなく、未来永劫に光輝を放ち続ける性質をはらんでいます。ところがドクトルKが渋面をつくったように、必ずしもこの交配が成就されると限られますまい、そしてかの博士の懸念は大佐殿の内奥に仕舞われたおぞましき白色矮星のごとき願望を見抜いておりまして、反論に拍車をかけたわけでございますが、それと言いますのも、結社に君臨している身をどこかで憐れんでいる心性をかいま見たからではないでしょうか。掌握に絶対性を求めず、過程そのものに意識をすりつけてゆく、裏から見ますと無常観にも共通する醒めた情熱に支配されているのでございます。そんな大佐殿の面持ちを配下の者らは感じとっているのか、党首としての才覚に疑問を投げかける風潮さえ表立っていたのです。ちなみに大佐殿はオデッサなどではありません、あれはそれがしが脚本を読み上げたまでのこと、ねずみとねこの諍いは機知に富み秀逸でありませんでしたか。結社の本来の姿はいずれ記憶の回復と共に明らかになるはずでございますから、詳しくは申し上げる必要もないでしょう。さて、そうしますと大佐殿が望まれたものは快感とは似ても似つかぬ、一種の逃避願望であったのを思い知りまして、あなた様を目の当たりにしてしまいますれば、どうしてもそれを禁じ得られませんでした。大佐殿の本願は現在のあなた様のこころに裡にあらかじめ修められていたのでは、そう儚くも切ない心持ちに流れてゆくのをそれがし、こらえてみればみるほどに、いたたまれなくなってしまうのでございます」