ねずみのチューザー49 「感情レベルが振り切れてしまいますのはデータX1のパーソナルにもよりますが、装置のショートが引き起こす問題は大佐殿を破壊しかねない危険があるです。微小なチップに埋め込まれた情報は制御システムとしては優れているのでございますが、生身の神経と直接接触する為、多様性の限界に近づきますと、その機能ゆえ緩和を放棄してまでも能力を最大に発揮させてしまい、回路に混乱をきたすリスクを背負って稼働し続けようとしていまうのです。指示においてはご自身で記憶を取り返しかける兆しが見えるまで、という計画でありましたから、それがしは慎重に実験の経緯をうかがっていたのです」 「実験、、、」 まどわしの室内はもはや白日にさらされた幽霊屋敷でしかない、ことの次第は新鮮な空気を吸いながら説明しましょうという、チューザーの意見に逆らうでもなく、気軽に庭先に出てみるよう僕は従った。回廊をめぐる経験より、その設計図を見てみたい意識がせり出していたから。 春の気候にふさわしく午後の太陽は、ひとつひとつの毛穴にまで浸透してくる朗らかな刺激を持っていた。新緑に映える山々からは初夏を待ちきれない息吹が届けられ、青空の広がりはそのまま透明な意識と連結してどこまでも自由を保証してくれている軽剽な夢に溶けこんでいる。 胸を焦がすのはおくもとの交情の思い出にもあったが、過去の一場面をただ切り取ることよりか、青空全体におくもの女陰がワイドに映しだされているといった、荒唐無稽なイメージのほうが枯れた涙と釣り合いがとれているような気がしたんだ。秘められてこそ官能を高めていたこれまでに決別する思いは、水瓶をひっくり返す投げやりな衝動に似て、ふしだらで薄情な言い草に聞こえるだろうけど、こんな清々しい天候に女体が開かれる様を想像するのは如何に健康的で、陽気で、そして天真のエキスがまぶされているか、まだ笑いが訪れてない以上、僕は蒸発してしまった涙を失ったとは思いたくなかった。 ミューラー大佐と呼ばれてもひとつも実感が湧かないし、僕にとっては架空の人物であるよりも、いっそ赤の他人だという感覚が優先し疎遠であり続けていたけれど、チューザーの言葉に疑念を抱くのはもう止めてしまったわけだよ。常識判断を放り捨てる気概が削がれたのではなく、あまりの大仕掛けが常識を裏切っているのはおかしいと考えたんだ。そうだろう、ここまでして僕を騙し続けるメリットがチューザーらにあるとは到底思えない、僕はミューラー大佐だったんだ、そう過去系で認識してみるより他にどんな方法が見当たるのか。とりあえずは、その実験とやらの詳細に耳を傾けるしか展望は開けない。 ここまで読み進めてくれた君ならばこそ感じる疑問の数々こそ、僕の知るべき権利でもあるのだから。 ねずみが僕に知らしめた驚愕の事実は、推量を遥かに通り越したあまりの内容だったので、却って人ごとみたいな、つまり他人の不幸を聞かされているふうな距離感を作り出していたと思う。何から問いただせばよいのか、実際にはこみ上げているだろう混乱した意識は案外取り乱すことなく、鎮静した心持ちを維持するあきらめに首を頷かせ、空疎な間合いへと歩み寄ったんだ。 忠義に萎縮しているのか、それとも動揺している僕に刺激が加わる手順を思慮しているのか、黙したまま空気へ何かを伝播させたい意想が透けて見えてしまったので、口火はこちらから切った。 「僕は目醒めなければならないんだね」 続くチューザーの応対を出来るだけつぶさに書いていくつもりだけど、君にとっても理解しやすくする為に要約を交えて、何故かといえば、僕はやはり動揺を隠せなかったみたいで愚問にまでは至ってないが、けっこう要領を得ない会話に持ち込んでしまっている、そうした事情も踏まえて整合性に即すよう敷衍するつもりだよ。 「計画では大佐殿ご自身が意識を呼び戻すよう設定されておりました」 「それはさっき言った、回路に混乱をきたすおそれを避けるための制御システムなのか」 設定の不首尾が自分の責任であるかのようにチューザーはあくまで控えめな口調を崩さなかった。しかし彼の口から突いて出る言葉の数々はめまいをもたらさずにはいられない。まず、僕が脳内のある箇所にチップ、すなわち他人格変換装置を埋め込んだ理由から説明は始まる。 「大佐殿にとって我らねずみ一族への接近は宇宙開発にも匹敵する軍事的行動でありました。しかも優秀な部下たちを退けてまで自ら生身でアプローチを計ったわけでございます。ただ生身という形態には様々な問題が付随していました。幾ら意識を偽装したとて、細やかな感情や不意の反応を覆い隠せるものではありません。そこである人格をまとい完全に今までの境遇を消し去ってしまう、これが最終的に選択された方法だったのです。目的は種族数少ないの生き残りとなっているそれがしを訪問され、我ら種の保存とそして科学的技術により非常に厳しい情況に置かれていた子孫を生み出すことにありました。徹底的な分析結果をもとに種の繁栄が我らの自然交配では確率が極めて低いこと、はい、そうでございます。人語を操る異種の生誕確率です。そこで人口受精が研究され試みられたところ、効果はかんばしいものでなく最先端の科学をもってしても種の絶滅を阻止できない、手法は尽くされたと悲観していた矢先、大佐殿から思いがけぬ発案が飛び出し、計画最高担当者であったドクトルKを説き伏せられまして、我ら子孫の存続へとまさに身を挺するご覚悟にて臨まれた次第でござります」 |
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