ねずみのチューザー31 こんなに廊下はくねっていたかと、屋敷内を隅々までめぐったことのなかった僕は宙になかば浮いた気分で感心しながらふすまを取り払ったとみえる広間に連れていかれた。 燭台は座したふたりと距離がおかれない間隔で煌々と灯され、まっすぐな炎を立てている。すでに来客らで広間は中央まで埋め尽くされ、ゆうに五十人は越えているかと見まわせるなか、上座には白無垢の打ち掛けに綿帽子で顔容を被われた闇姫がしおらしく端座している。僕はうっすらしためまいにも似た動揺に背を押されながら、浮遊の足つきで部屋の角をまわり座布団の隙を縫って指定の位置まで赴いた。 そっとうかがうようにかぶりを降る闇姫に目配せする余裕もなく、咳払いやぼそぼそとした声が入り交じる大勢の客人らがかもす異容にあらためて脅威を覚えてしまう。きつねの仮面といっても祭りなどで見かける白地に赤い耳や口の白狐ではなく、芥子色や土色をした被り物ばかりで、なかにはひげや眉毛がすすきの穂や羽毛の束のように飛びはね能面を彷彿させる類いも見受けられる。皆が黒装束であり唯一花嫁だけが白無垢となれば、碁盤に並んだ黒白の配列の対比を想起してほしい、それがいかに鮮やかな心象を描きだしているのかを。ましてや灯りといえばろうそくの燃える火が、橙色であったり、黄金色であったり、中紅であったり、真朱であったりする加減によって、黒衣一辺倒の広間には霊妙な雰囲気がひろがって、あながち冥暗に吸いこまれる怖ればかりを抱かせるのではなく、闇夜へ照射する勢いさえ保ち光彩陸離とした凄みを感じさせた。 きつねの面々もそんなまばゆさに囲繞されながら、様々な表情が陰影豊かにあぶりだされ、今宵の祝言の幕開けをおおいに歓んでいる。もげもげ太が僕の横に座ったとき、右端のそれほど遠くないところに儀礼にのっとって客人と同じよう面をつけたチューザーを発見した。一瞥をくれた僕に感づいたのか会釈をしてみせたのだが、いかにも他人行儀な葬儀場とかで出会ったふうの空気をまとっていて、一瞬不快な気持ちがしたけど捨て置く以外に仕方ないだろう。 この婚礼の儀はどうした式次第で執り行なわれるのか期待などしていなかったが、斎主も巫女のすがたはおろか、三三九度の杯も、祝詞を読み上げることも、玉串を捧げることもなくて、たぶん神式とはまた違った儀式なんだと殊更いぶかしがる必要もなく、各人のまえに添えられた膳をしみじみ観察してみた。 随分と型のよい真鯛の塩焼きが皿からはみ出している。それに赤飯のにぎりめし二個、どうやらワンカップ酒らしきものも供され、上質そうな割り箸も配されているのだけど、誰として手をつけようとはしていない。こんな仮面を被っていたら食べようにも無理なわけだから、この膳はあくまで飾りであってきっと帰りに持たせるんだろうって考えていたよ。それにしても全員が黙りこんでいるだけっていうのも一種不気味な光景だ。ところが段々とその寡黙がつちかっている真意がわかってきたのさ。 広間の右側はふすまも障子も除かれ、庭に面していたわけだけど、ろうそくの丈が目に見えて短かくなった頃、夜風がさっと部屋全体をなぞっていくように吹きこんだ。かなりの本数がその風にゆらめき、それまで仮面に秘された表情を炎と影がつくりだしていたと信じ、雑踏に映える夕陽みたいなものと類推していたのだったが、実は目線は隠されていただけで決してそれぞれに散らばっているのではなくて、すべての所見は僕と闇姫に一点集中していたんだ。まぎれもない確信に及んだのは、いつしか中空に現われた満月に照らし出され、広間にいままでとは異なったひかりが注がれ、やがて深閑とした集まりのうちから嘆息のような声色がもれだしたときだったよ。 月影がしめしてくれたのは、自然のなかに眠りかけていたまなこを刺激している、夜の帳に包まれた僕たち新郎新婦への激しい好奇心に違いない。僕だって面なんかしてるけど、こうして幾つもの視線が投げかけられていると思えば、熱してくる意気込みを彼らに投げ返してあげたくなってきた。そこで衝動的に面をはぎ取り素顔をさらしてやろうと手をかけてみたが、驚いたことにまるで張りついているかのように仮面はびくともしない。両手にちからを入れ何度も試してみたけど結果は同じだった。横合いからもげもげ太が言った。 「無謀な仕打ちをするものではありませぬ。今宵は至上の儀式、どうぞ最後まで大人しく客人と向かい合っていただきたい」 反論するつもりはなかったから、「わかったよ。婚礼をだいなしにする気なんて毛頭ないさ」と、薄笑いを伝えたい声で了解した。 僕の挙動に怪しんでいる反応は人々になかったようなので、観念して再び満月を眺めていると、どこからか囃子の音色がそよいできた。夜風に流れるさだめを心得ているみたいな、透き通って、闇の空間に掻き消えてしまいそうな美しい調べだ。一体誰がこんな音曲を奏でているのだろう。謎めいてはいたけど、もはやどこから聞こえてくるのか知れない囃子を詮索する気も失っていた。 笛や太鼓は月のひかりに応えている。徐々に高まる曲調にのって僕のこころは月世界に遊び、美酒に酔いしれているふうに闇姫の横顔をじっと見つめた。 |
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