まんだら第四篇〜虚空のスキャット3
思いもよらなかった昼飯のもてなし、しかも初めて訪ねた家で本人が腕をふるってくれた焼き飯の味。遠藤が言うよう随分と段取りがなされていたのか、この室内を見渡している間がかりそめの裡へ過ぎてしまったことに即す程、手際よく並べられた新鮮な驚きは、布張りのソファに浅くもなく、深くもなく腰をおろした居ずまいから覚える体温の高まりに準じ、冷房が行き届いたまわりの空気へとけ込むのだった。
予想していた通りの品がいかにも手慣れた様子で運ばれる光景に見とれながらも、孝博はおそらく恐縮で身がある程度こわばってしまう在り来たりの気分に支配されることはなかった。それと云うのも、今ここにこうして座っている事態を的確に捉えることが不可能と思われるからであって、理由は言わずもがな、彼の胸中に奥深くわだかまっている気配が、次第に形をあらわにさせようとしている為だけれど、見通しの良い眺望を期待する条件は盤石とそこに備わっていない。むしろ淡い悲観に寄り添うような影の希薄さが、郷愁にも似た旋律を選びつつ茫洋と流れだそうとしている。
大胆に見える所作は以外とふとした偶然から繰り出されてゆく。花火の夜、いつになく酒杯を傾けてしまった記憶をまるでよそ事のごとくに打ち消してしまった一瞬の始まり。翌朝、以前息子の晃一にあてがわれていたと云う部屋に入って窓の外を眺めながら、
「片目を失明させてしまったのは、わしのいたらなさでもあるんだよ、孝博さん、本当にすまなかった」
もう何度となく三好から、そう謝罪を重ねられただろう。人一倍義理堅いところのある主人にとってみれば、遠縁にあたる若者を預かったすえ取り返しのつかない結果に結びついてしまった悔恨を、どう整理してみればよいのやら、それは相手に対しての責任と云うよりおのれに直結する不甲斐なさで閉じられているのだろう。三好の性分を知っている孝博にはよく理解されるのだったが、これ以上の懺悔にも映ってしまうそんな痛みは出来れば早く忘れてしまいたかった。自分や三好が嘆こうがつまるところは同じ根から発生している。失われた息子の右目は決して取り戻せないし、不慮の事故でもあるが、実際は晃一自身が引き起こした不幸なのだ。
「いえ、あれで本人は以外と落ち込んでないんですよ。こんなふうに言うと不謹慎でしょうが、晃一にとってみれば負の勲章みたいに感じているところがあるように思うのです。隻眼って何かかっこいいとか言い出して映画なんかでよくある黒い皮の眼帯を特注で作ったほどで、だからもう気になさらずに、このまちに来ると熱望したのも本人だし、失恋に至ったのも仕方のないことです。やけかどうかはわかりませんけど山道からの転落も不運としか言えません、、、」
孝博はその先を弁解する意義を見失っていた。その埋め合わせとして少なくとも自尊心は放棄したつもりであった。そして鬼畜にも等しい投げやりな意想を息子のこころに張りつけてしまうと、あたかも示談が成立したふうな決して後味はよくないにせよ、それなりの解決へ収まった感を抱いている他者のような自分を知った。
浮遊する視線が捉えようとしたのは、わざわざ三好に頼んでこの部屋を見せてもらい、自然なふるまいとして窓の向こうに解放された港の風景などではなく、前にも確か見たと思う一枚のペナントを確認する為であった。果たしてそれにどんな意味あいが封じられているのかは、やはり夢の謎解きに近い曖昧な偶然に包みこまれている。
「これって晃一がこっちで手に入れたものなんですか」
少々ばかり力み過ぎ何気なさを強調してしまそうになった孝博の問いに、別段いぶかる面持ちも見せず、
「このペナントは確か、比呂美がまだ嫁に行く前に遠藤硝子のひとからもらったんじゃなかったかな、こんなものがどうかしたのかね」
「別にただ目についたものですから」
それから先、孝博は極々世間話しを流す調子で、遠藤硝子って川向こうにある老舗だったと、記憶を何となく巡らしてみた口ぶりで、それで又どうして硝子店がペナントを持って来たわけかと探れば、三好もその時は苦笑をしてみせ、先代はもう亡くなって久しくなるけど、その婿養子がどうしたわけか硝子職人を継ぐことをせず、一切を先代の娘にまかせてしまって、今では硝子店とは名ばかりで細工ばかりを専門にした小さな工房を営んでいる。婿養子は東京で保険会社に努めていたのだが退職後に帰省して縁あって、と云うより親類にあたるところからどうやら婿に入ったらしい。奥さんは硝子細工だけれど、彼は刺繍とか得意だったこともあり、ああして時代遅れの織物を作っていると。何でも最近は海外から発注が多くあれでなかなか実入りもある様子で、その最初の作を比呂美にいわばプレゼントしたとのことであった。
「あはは、久道とか云う名だったな、うちの比呂美に気があったのかいな」
そうして、何だったら娘にいきさつを聞いてみるかと冗談ぽく話す三好を適当にあしらったのは、すでにある信憑が孝博の脳裏に渦巻いてしまい、余裕を保つことが困難になりかけたからであった。
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