まんだら第二篇〜月と少年27


両手を後頭部で支えてみるようにして、伸びた背筋のうしろすがたに気をとめてみたものの、裸のままそんなポーズをとるよう言った晃一の思惑がよく解せないうちに、背後から見つめられていると云う、気恥ずかしさが鳥肌のように全身を被ってしまい、
「意識を背中に集中して」
と言った晃一のいつになく強い哀願調の響きに共鳴することも忘れかけて、恥じらいが内部へと浸透してしまうまえに富江のこころを支配し始めたのは、自分の影が晃一を反対に見つめ返していることであった。
スケッチだと言って、ボールペンでノートに富江の裸体を写しかけたのだが、昨日の秋晴れから空模様は一変し、今日は朝から雨脚のやまない、薄暗らさに活気も奪われそうな陰気さで、部屋には灯りが天井より放たれてはいるものの、閉切ったカーテンに倍以上の大きさで、その襞に忠実に染みこむようにして形成された影、、、陰影を濃く出すためにと卓上用の蛍光灯を斜めからあてることで発生した、乳房の三角が真横に刻されると、その上部には同じ角度をもった肘が、対角線上に大きく間隔を持って墨絵のようになって、すでに描かれてしまっている。
横目で自分の伸び上がった影を見ながら、いつしか意識はあきらかに情感から屹立した、まるでこの影絵に問いかけるように、そして現実の晃一と云うよりも、あくまでこの場に存在しない彼を想像してみるのだった。

今日もまた仕事の合間に、晃一によればこの時期は暇なので一向に気にしなくてもよいと言うのだが、富江の方からしてみると、確かに共働きの両親は日中不在だし、自分は親戚が営業している飲食店に夕方から手伝いのおかげで、こうした昼間からの結びつきが約束されるわけであったけれど、ほとんど日をあけずの交わりには、激しい息づかいがもたらしただけとは違った、にじみ出る汗がシーツに吸い込まれていくようになった。
澄みきった季節ながら、今日みたいな雨空では部屋のなかにも湿気は忍びこみ、いつになく果敢に挑むようにして肉体をかきわけ、むさぼった晃一の激情と、たかまる快感を制御しようにも最後には鼓動を共有する勢いで果ててしまう富江とがしぼりだす発汗は、部屋全体を陰湿な感触に変質させる。
晃一の求めるがままに背中をさらして、奇妙な静止画を室内に映し出した富江の意識が、あたかも分離して別の意思を築き出し、しかしよく考えてみると、そこに登場したのは又もやあの影法師であったと知るやいなや、思いもよらない言葉をうしろから浴びた。
「あの昨日の写真だけど、実はうちの親に送ってあげたんだけど」
「えっ、、、」
「いあや、たまたま、親父からメールが来てさあ、ほんと珍しいんだ、こっちに来てから二回目だよ。母さんは時たま、電話もくれるんだけどね。それで、元気かって書いてよこしてあったんで、彼女が出来るくらい元気だよって、これ証明って送ってあげたわけ」
「それで、、、どうなったの」
うわずる声を勘づかれまいとした配慮も、吹き飛ばされる勢いで、
「親父なんて言って来たと思う」
間をあけるのが罪とも感じられながらも、突風にあおられる様をようやく知り得たことで、今度はその間に罪ではなく、罰をあたえるような気概を持ってこう言ってみた。
「彼女なんて、そんな無理すんなよ、ってじゃない」
震えだしたのは声色ではない、あきらかにからだの方であった。
晃一にはそんな変化を識別する根拠も、眼力もなかった。彼にいま備わっているのは、見失ったはずの自然、、、演出家たること必要としない、手放しの充足であった。
「違うよ、精々がんばれよ、だって」
富江は一瞬、あたりが茫洋としたような気がするのだったが、たどりつくべき大陸をいち早く察知しているとでも云わんばかりの安堵で、それは吹きこぼれる煮物に注意をはらったあとに似た、つまりはより入念な神経で、
「あら、そう、じゃあいつか上京するとき、わたしも連れていってくれる」
そう、言い放ってみた。
しかし、小刻みに揺れだしそうになるはだかには、明解な釈明は直ぐさまに用意出来ない。いくら予測された悲劇の最高潮だとしても、それを目前として、このまま平静を装うにはあまりに荷が重すぎる。
吹きこぼれだすと云うより、爆発してしまうくらいの情況なのだから、、、火元は取りあえず弱めるのではなく、消しさらなくては、、、
「悲劇の主人公はわたしでなくてはならない。あなたは脇役よ。あなたのお父さんもね」
富江のからだは、武者震いしているかのように火照るのだった。