まんだら第二篇〜月と少年13 この季節を感じることは、もうすでにあきらめにも似たやるせなさで上着を脱いでしまっていると云う、そもそも夏着に裏地などと辻褄の合わない道理をあてがいながら、ほどよく袖が抜けていく気楽さと遺憾を途上にて受理する風趣にあった。 安閑としてるのは抗うことに意味を求めようとしない摂理、そして心残りなのは、また幾度かめぐって来るだろう夏日に対する憧憬をねじ曲げてみた拘泥。冷房が行き届かない為か、いや、むしろ情趣を重んじるために開けひろげられた縁側に置かれた扇風機の生暖かい風を得る、安息にも似た静止された望み。 少年が振り返る郷愁は美しくも歪んだ過剰によって、ちょうど近視なのか遠視なのか見わけのつかない眼鏡をかけてみるときのように、期待が増幅されたまま後方へと追いやったはずの光景をすぐ様たぐり寄せるのだった。 その反射神経こそが瞬発力だと己惚れる拡大鏡をふんだんに活用しながら。 晃一の微熱は体内から発したものではなかった。それは季節が、このまちが、自分をとりまくあらゆることが、ひかりごけに類する作用として彼を呪縛せしめているのだった。もちろんそんな効能を感知していないわけではない、何故ならば、少年が育んだのは自ら霊媒師となって宣託を受けとろうとする現実にあったからである。 酔い心地は宵闇ににじみながら小さく閃光する花火のようだった。 一皮むかれた晃一の意識には先程までの転化する視線の分配が、あたかも天啓によって導かれることによって解かれる方程式の如く、整然とした活路で開かれている。 麻菜による人なつこさを身上とした根掘り葉掘りの質問に応えると云った流れは、すでに平静のうちに水路を抜けるようたおやかになびき、ことさら生硬な理屈をこねてまわすまでもなく如何にも自分らしさを未熟な思念のまま含め伝えることで、ときには集中し聞き耳そばたてる好子や森田の表情の肌理をなぞりながら又、冗漫な加減で茶化すことも忘れず、こうして注視されることに快感さえ発生している情況を作りだしているのだった。 学業を放棄したのは単に学歴社会に疑問を持ったとか、田舎暮らしに憧れたのも自然回帰的な安易な発想ではなく、あくまでひとつの選択肢として思慮された結果であること、最終的には両親の意向をくむ形に落ちついたから今があるのであって、自由などと放言してみたところで本当の意味での解放には繋がらないし繋げようとも考えていないと云う不遜な態度を率直に述べてみると、これは晃一自身も覚悟していたのだったが実際は思いもかけず、若気の至りなどと紋切り型の反応がかえってくるのか案じた予想を裏切り、 「けっこう、そういうのって恰好いいじゃない。ちょっとした反抗よね」 「どうかなあ、本人にとってはちょっとどころじゃないと思うんだけど、流れを自分で変えてみたかったというのはわかるような気がするな」 など、ふたりの女性が交互にうなずく様子は以外な調子を打ち出して、 「そうだよ、おとなになったからって分別がしっかり出来るものでもなし、好きなことをやれるうちにやっておくのも悪くはないよな、もっとも後悔さきに立たず、かどうかは知らないけど、誰のものでもない自分の人生だからね。寝た子を起こすべきか、寝かしたままにすべきかは誰の判断でもないよ、俺もえらそうなことは言えないけどね、、、でもひとそれぞれさ」 と、少しはにかみを面にしながらも笑みが突然引きしまったふうな急ごしらえでは決してなく、余韻のなかにそれまでの姿が残り続けているよう接続点をも感じさせない森田の表情ある言葉を噛みしめ聞き及ぶと云う自賛へ高騰していくのだった。 こうやって初見の人たちも含めた共通の認識の裡に自分がいると云う事実は、晃一に別の陶酔をもたらす。 「それで、親戚の家の居心地はどうなの」 その頃にはこのまちへとやって来た初日の感想なども、年少から温め続けた卵のように柔らかに、しかし程よい熱意で大事に扱うことを貫きながら語りだし、現実にも則していった順化の行程に足もとをとられているのが他人ごとのように小気味よく、ついつい口が滑ってしまいそうになる比呂美の魅惑を押し殺しているのも不本意かと、もたげる肉感の原色に染まりかかる背景を怖れつつも窺い、それでいて震わすのど仏との共存を配慮してみたと云う、葛藤のあとを胸のなかに沈みこめる節度も讃えることで、けばけばしい色合いは薄められ淡い恋情となって溶けだしながら、やはり秘匿された宝石箱の内蓋のようにその光彩は軽減されることなく、閉ざされたまま、あらたな領域を人知れず照らしだすのだった。 そして、こう云うふうに晃一を喋らせた。 「奇跡は自分で発見するものですよね、ひとからあたえられるものじゃなくて、そう思ってました、いままでは。でもこのまちに来てから少しづつ変わり始めました。あっ、はい、居心地はすごくいいです、綿菓子のうえに乗っているみたいな感じがします。ちょっと底なし沼のように抵抗感がないのが大変ですけど」 すると、麻菜はすかさずにこう言った。 「なら、その綿菓子を食べちゃったらどうなの、案外と早く底が見れるかもよ」 ここに来て痛烈な光線は人為を経ることで危険信号となる以前から、光明によりあらかじめ内包されているかの如来蔵をあらわにする。 瞬時に網膜へと到達してしまう運命を呪いながらも、生命を賛美するため幾層にも重なる音階の裡に最も相応しい諧調を得る、牽強付会となって発動されるであった。 |
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