まんだら 第一篇〜記憶の町へ8


しばらくして青井好子が向うから歩いてくる男に手を振るのを見て、上戸麻菜は彼が好子から聞かされていた花野西安であることを直感し、思わずなぜか自分も気分が高揚してくるのを覚えた。
そして、不覚にもそんな態度を見せてしまったと、明らかに他の連れらへ遠慮がちの表情を面にしている好子の様子が、いかにも健気ででもあり、麻菜は相手に優しさを示す時に特有のあの包みこむような笑顔をたたえながらこう言った。
「何よ別れたんじゃなかったの、やだ、未練たっぷりって感じじゃない」
すると好子は、照れくさそうに少し顔を赤らめ身をよじる仕草をしながら、
「一応はね、だって彼ったら毎年花火の夜には女と別れてしまうとか真面目な顔して話すんだもの、もう三年間連続のジンクスは今年もみたいなことまで言うから、それってわたしと別れたいって意味なのって、あたまにきてそれっきり連絡しなかったのよ。それであっちからも何の音沙汰ないし、これはもう終わったんだなって自分の方から終止符をうったわけ」
「じゃ、何で手なんかふって愛想するの」
「実はね、今日の昼間にメールが彼からあって、君を試すような言い草をしてしまってごめん、過去がそうだったから逆に不安を相手に投げかけるふうになってしまった、って」
「好子が別れたってわたしに話してくれたのは五日前でしょ、何ですぐにそう釈明しなかったんだろうね、要は彼がもとのさやに納まりたくなったってことじゃないの」
「そう思ったわよ、だから返事しないでいたの、そしたら今夜、港で出会うだろうなんて夕方の又、メールがきて、、、」
麻菜はこころのなかで勝手にすればと思いつつ、「じゃ、とにかく会ってもう一回きちんと話ししてくれば」
と好子の肩先を軽く突き出すようにして恋の後押しをすると、あとの二人に「好子を行かせてあげましょう、いいわね」
それを聞いた好子は、すでに満面に喜びがあふれ出す勢いのまま、みんなの顔をひとりずつ確認するように、そこには奥ゆかしげな感謝の気持ちを現す意味あいでもあると云うふうにして、「ごめんね、でもすぐに戻ってくるからここで待っていて」
するとさっと小走りで男のもとへと近づいて行き、あっという間に二人の向き合う姿を遠目にも確認されたが、人出にさえぎられてここからは男女の織りなす機微までは見えてこない。
本当にわずかの間であった、口もとをきつく結んだ顔つきながら、溌剌とした瞳を輝かせもうこちらへ駆けてくる好子に、連れの誰もがことの成り行きを容易につかみとり、彼女の言ったようにほんの時間で約束ごとを遵守した清潔な心意気を祝福するに何の邪推も入りこむ余地はなかった。
皆は好子のいつもより濃く塗られたブルーのアイシャドーに、ある晴れやかな自然を前にしたわき起こる清冽な色調を思い浮かべ、そのメイクが厚手であることも今は何の違和感なくあらためて見つめ直した。それは女優が舞台のすそに悠然と降りてくる瞬間に感じる、スポットライトから解き放たれたあとにも余韻を残す、舞台化粧の派手やかさを夢の続きと認めたくなるひとときの陶酔に似たものを連想させる。
好子は好子で、無言のうちにさっと集中した視線がはらむ優しいときめきに応えるべく、開口一番にこう切り出したのだった。
「ねえ、花野さんがね、よかったらみんなで今から家に来ないかって、二回の窓からよく花火が見えるんだって。わたしが喋りだす前にそう言ったの。わたし彼には、今日は先輩や友達と一緒だからって話そうとするのを予感していたようなセリフでしょ、だからみんなに聞いてみるって言ってきたの」
麻菜もそれから好子の同級生の葉子も一昔前のアイドル歌手みたいな雰囲気の友美も、それを聞くとさっとためらいがよぎったが、そのためらいは温めておいた飲み物を口にする時にひと呼吸する、そんな落ちつきのある性質であったので一同、快くうなずいたのであった。
すかさず好子は西安に再び手をふりながら、今度は両方の腕を頭のうえにかざし円形の了解合図を送ったのである。
「焼きそば、もう少し買ってこうか、フランクフルトと水餃子もね」
麻菜は、他人の恋愛はいいもの、花火のくぐもった爆音と一緒にそんな思いが夜空の上に大きく共鳴していくのを覚え、ロマンチックな気分にひたるのだった。