まんだら 第一篇〜記憶の町へ28 山腹を際どく縫いながら列車は走行してゆく。 時折、山林が切り開かれたところから下界を見おろす場面が現れるのは、かなりな高所であることを実感させ、そうかと思うと次の瞬間には漆黒のトンネルへと吸いこまれてしまい、またもや車窓に浮かび出る自身の半身と目が会うのも次第の慣れてくると、記憶と想念も混濁しはじめ、これが幼子であったらきっと喜びと希望にあふれ、単線鉄道の快走はもはや線上のうつろいから次元を超えて、太陽と暗黒が交互に織りなす綾となり、あたかも千鳥格子の紋様のごとくさらには連なる飛翔へと結ばれ、おおいに冒険心をくすぐったに違いないと思われてくるのだった。 しかし今、トンネルの閉塞がいかにも深く闇を呼びよせたといわんばかりに悄然とした顔つきで現れるのは、陰の仕業だろうか、それとも己が闇に迎合しているからなのだろうか、、、 孝博は息子より少しばかり年上の富江に、いっそのこと今日の帰省の事情を話してみたらどうか考えてみた。あくまで世代的な共感へと通じるだけかも知れないが、その不可知がなりよりも意味ありげに思えてくるのは否定できない。 知りえないからこそ、努めて胸襟を開いて親子の会話と云うよりも人間同士の鮮烈な息吹として息子に体当たりしてみた。結果、家内を交えて三つどもえの論議となったのだったが、孝博は居心地の悪い勝者となることで自らの敗北をまるく鞘に収めた。息子の意志は強固なものであり、しかも果敢であった。 斜め読みに導かれた独断論にせよ、孝博が若いころに耽読したマルクスやニーチェを引用しての主張には正直驚きを隠せなかったし、何より彼が自分の急所を握っているのではと云う能動的な曲解をいさぎよしとした。そもそもが断絶なのだった、たとえ血縁においても愛情においても、、、一番よくそれを理解したつもりになっていたのは自分自身ではなかったのか、、、 せがれの言う理屈は少し胸に手をあててみれば、孝博にもよくよく納得せざるべき性質をはらんでいた。「おれも似たようなものかもな、社会のシステムを毛嫌いしながら、しかし他国語にせよシステムの根幹である言語を伝授している、埋め合わせのつもりなのか、宗教学を捨てきれないのは、、、大学の教室も研究室も隠遁の場にふさわしい歪なぬくもりがあるじゃないか、、、」 そんな孝博を尻目に妻は母性本能を最大限に駆使し、磯野家全体をのみこんでしまう慈愛をもって妥協案を差しだした。父親としての体面などそれこそ木っ端みじんに吹き飛ばされてしまったのである。 「わかったわ、好きにしなさい、でも条件つきよ、そんなに不利なことじゃないわ。いい、ひとつは期限つき、二年間で一応、東京に戻ってきなさい、いいえ、全面的に引き上げろとまでは言わない、とりあえず戻ってきなさい、先のことなんか分からないわよね、だからあらかじめ期限をつけるの」 そんな叩きつける激しい雷雨のような勢いの押されたのか、息子は反論を示さない。孝博もへびに睨まれた小動物の思いで聞きいっていまった。 「ふたつめはわたしも最初の数ヶ月間、あなたと一緒に生活します。ええ、この家を出て故郷に行くとことになるわね。それだけよ、あとはあなたの計画を推し進めればいい、わたしはよほどのことがない限り口出しはしないから」 妻は毅然としてそう言いきると、全神経を使い果たしたように急に目のかがやきは失せ、しかし、今度は孝博に向き直り、それが最後の力とばかりに手をまるめこみながら「これでどうかしら、あなたには夫婦としてのお話しを後からさせてもらいます」とさきほどの勇ましさとは別種の冷ややかな意思を覗かせたのである。 その場はそれで互いが了解しあえたかに思えた、何故なら誰よりも先にそれまでの悲愴な面持ちを一変させ、口もとをほころばせたのは我が子であったし、結局のところ、彼の喜びが両親の裡へと伝わっていく道筋が順当であることに早く結着を見いだしたかったからだった。 孝博は胸のなかで呟いた。「息子はやはり稚拙であり、世間知らずだった、制約のある自由と引き換えに時間を与えられたかも知れないが、それこそが貨幣換算に裏打ちされているではいないか、、、放埒な青春の一時期を限りないものと錯覚する距離感をすでに閑却してしまっている、だが、母親としての巧妙なかけひきを敢て承諾したとするなら、、、いや、どちらにしろ早計だ、おれとの話しとやらも想像がつく、家内は衝動を野放しさせてから骨抜きにして言い含める腹づもりだろう、その段取りをおれにさせる気でいるのさ、、、」 孝博は父、母、子と云う、もっともコンパクトな家族構成から、こんな心理ゲームが始まるのをひと事のように鑑賞している自分を見つけ、恥らいにこころが染色してゆくのを覚えたのだったが、それはただの恥じらいにも増して複雑な思惑が重なり合い、不幸が悪いしらせでないために不幸を前もって予期していると云う、上位の俯瞰図を手に入れたと、今度は恥の上塗りをしている確信が、まるで職人業の手並みの眺めやるまなざしとなって、いずれかの感情は切り捨てられしまうのだった。 |
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