まんだら 第一篇〜記憶の町へ13


ことさら世情に造反したかの態度で、今夜ひとり自分の部屋にこもるようにして、コリン・ウィルソンの大著「オカルト」を耽読していたのは、傍目から見ればやはり少しばかり奇特な様子に思われるかも知れなかったが、遠藤久道にとってみれば、きわめて明快な意味あいしかそこになかった。
花火大会などより、やっと手にしたこの書物をとにかくじっくりと読んでみたかったのである。今にはじまったことでもない、久道は小学生くらいまでは子供らしく、まつりや運動会にこころ弾ませたものだったけれど、中学にあがり多少なりとも自意識の萌芽がかいまみえる年頃にもなると、いわゆる偏狂者の素質も同系列の規則正しさでめばえはじめ、結婚後の現在にいたるまでまつりごとや催し物などいっさい関知なしと云った態度を示し続けていたのだった。
久道は高校時代に友人から、そこまで神秘主義に興味があるのだったら、祭礼や神事と云った伝統行事にも関心を向けるべきで、その友人は自分が歴史や民俗学といった分野から、人間の奥底にひそむ不可思議な心性を探りあてようとしていることを細々と話すのだったが、久道は「規模が小さい、小さい、ぼくはね、もっと大きな謎とき、秘められたものに興味があるんだ、例えば天皇家に代々つかえる超能力者の系譜が宇宙人であるというような、壮大なものへさ」
と云った具合で、つまるところ一般の歴史書にまったく記述されたこともないような、また心理学や哲学で説かれる理論などもたかだか人類の進化系統にすぎないと断裁し、そんな次元を遥かに超えた大宇宙の生命体へと交感される日をひたすらに信じ込んだわけであった。
しかし、ごく一部の熱狂的な探求者が著す文献など、当時から今にいたるまで市民権など得られるはずもなく、一時期世間に衝撃をあたえたカルト教団が興味本位で巷に浸透したあとでは、その事件性に対する非難の声によって以前にも増して小数派であることに堅持するしかすべがなかった。
マスコミが書き立てる上っ面だけの三面記事など、そっちのほうがまやかしものだと、久道はひどく憤慨したもだったが、怒りだけによって何事も進むこともあるまい、誤解を招く言動は直ぐさまにその足もとがすくわれるように、出来るだけ信念を冷静に伝えていくのが賢明であると、あたかも弾圧下にあっても理念を貫いてきた鎌倉仏教信者らの気概そのものと云った調子で、自分の守備位置を確認してから次には伝道師の気骨を体現すべく、仕事以外の余暇を可能な限りその方面に費やすこととなった。
彼の親が信心していた宗派とは一線を画し、とはいうもののこれは独自の折衷案かそれとも受け売りなのかわからないが、歴史に名を残し教祖と崇められた聖たちや、現存する宗門にあっていまだ勢力の盛んな者らを奇跡を呼び起こす存在として栄光を授けることによって、彼らをして超能力者の一員であることをも自他ともに容認するのであった。それは小数派からしてみれば、時代性と云う区分を垣根を取り払うことで、同位置に自らを配置出来る可能性を見込んだわけでもある。
空海も親鸞も日蓮も道元も、もちろん釈尊やキリストも霊能者として超一流であったからこそ、大きく歴史の時流に乗れたのであって、そこには人智を超えた能力が発揮されたことになる、つまりは発想を転換して彼らがそもそも人間ではなく、天空の彼方より訪れし異星人だとすれば、、、ここに久道の面目躍如たるものがあった、俗に云う誇大妄想的な発意と悪態をつかれようが、人類の科学がわずかの年月で加速度的に進化したことと照らしあわせてみても、いかに民衆が迷妄にとらわれながらも気がついてみれば、何の違和感もなく日常を過ごしているではないか、人類が月にまで飛んでいく未来がやってくるといったいどれだけ昔の人間は考えただろう、その理屈とまったく同等に想像してもらいたい、現在、この星の上で生きている何人がこころの底から宇宙人の存在を認めているのだろうか。
そう、こころの目を開く時がやってきたのだ、そうすれば必ず秘められた大きな扉がそのまぶたとともに開門されることになる、しかし、同時に厄介な問題も横たわることになるのだが、それは今後の重大な課題としてあるいは人類にかせられた指標となって、良きにすれ悪しきにすれ、創世記以来の未曾有の出来事になるのだ。