まんだら 第一篇〜記憶の町へ10


古びた佇まいながら、玄関のガラス戸や格子が醸し出す風情には泰然とした望郷が備わっていて、屋内の印象も同様、あらたに増築された部屋は別としても、木目を土色にくすぶらせ、天井があたまの上に張りついているかのこじんまりとした造りには、現代からみれば快い逼塞感させあたえてくれ、磯野孝博をもてなすために通されたこの室内にはあきらかに時代の変遷が旋風の果てとなって淀み続けているようだった。
開け放たれた二階窓枠の欄干からは、すぐ右手に港が展望され、すでに夜空には夏の風物詩が大きく目に映っている。畳敷きの上に腕枕でくつろいだふうの孝博は、次々と打ち上げられる花火を見やりながら、想いはまた別のところへ行ったり来たりして、それは今宵の一夜の情趣を味わいながらも、この場面自体が何ものかの背景となっていると想起する、こころの奥行きを感じることに結ばれていくのだった。
親戚筋にあたるこの家人らは、子供らの強引な言いなりにあえてなだめすかすわけでもなく、孝博の心中を半ば察した思慮も手伝い彼ひとりを残すかたちで、「子らが港に連れてけってうるさいもので、じゃ、少しの間行ってくるから留守をたのんだよ」と、まるで傷心の身に気遣いをかける案配でいそいそと皆が出払ってしまったのだったが、たとえそうした配慮が加味させたにせよ、もう今はごく自然の成り行きと感じるほうへと彼のこころは緩やかに傾斜していた。
食卓に並んだ魚介類や夏野菜をつまみながら、手土産に持ってきた辛口の白ワイン二本を、ここの主が「わしらはビールと冷や酒で十分、孝博さんが飲めばよい」そう言われるままに、その口ぶりが遠慮をまったく含蓄していないことも素直に受け止め、「考えてみると自分自身がこのワインを飲みたかったのだ、まったくどうかしている、相手のことを少しも思っていない」と自己嫌悪を抱きながらも、特に神経質な思考に拘泥してしまことがなかったのは、やはりこの家の人たちの些事にとらわれない純朴さに暖かく包み込まれてしまったようで、そのぬくもりをつまらぬ思惑で台無しにしていまいそうな予感を打ち破るためにも、孝博はあえて彼らの好意に甘えることで一切をそこに委ねる気持ちが、これは決して欺瞞に裏打ちさせる意味でもなく、単純に、そう願うことで更に親和が育まれればと、ひとつの注文を口にさせた。
「あのう、すいませんが桶みたいなものありませんか、氷水をはってもらえれば、あっ、バケツでもいいです、ワインを冷たくしておきたいんです」
我ながら図々しい言い様にも思えたが、ここの奥さんは、あら気がつかなくてと云った面持ちをぱっと咲かせると、それはたった今、海上高く花開いた火の粉が見せる無心のかがやきにも似て、階下に降りてゆくとはたして孝博が願った木桶をやや重そうな物腰で手にして戻ってきた。
以外に深みのあるその桶には、きらきらと水中に身を浮かべる氷が、いかにも涼しげに無言で語りかけてくれるようで、「こんなのでよかったかしら」と孝博に問うた奥さんの優しい声の響きは、氷水の上に反響し、よりいっそうの冷たさがぬくもりのなかで湧出したとしか想われないほどに、美しい沈黙が余韻となって部屋中に漂うのだった。

こうやって留守番役の名誉とともに、居住まいをくずしてごろりと横になれたのも、幸せのひとときかと、それが本意のもとであることに一抹の疑いもないはずだったのだが、まわりの心遣いに感謝の念を思い抱いた途端にあらぬ条理が、潮風に呼応する軒下に吊るされた風鈴の音のごとく孝博の胸中にちりんと鳴りはじめた。
それは、宗教学者であり大学中国語教授の肩書きが自ずと前景にせり出す、あのいつもの帰納法的な分析思考と、それとは相反する無抵抗なるままの崇信が、拮抗しつつ絡み合い意識も精神も混濁となって、あたかも宇宙創世記における重力の折衝のうちに次第に形成される、天体の大いなる奇跡へと飲み込まれていきながら、かろうじて矜持を保とうとする、彼自身のまんだら図絵を顕現させることにあった。