断章


性也のいわゆる物憂気な、自分でも少々むずかゆくなる斜に構えた気取りは、半ばある種の疲弊に冒されていたのも紛れもない事実であった。
連立する高層ビルがその遠近感を忘れさったかのようにのっぺりと白々しく車枠の向うに現れる。が、その背後には巨大な女神が上空から温柔な微笑みをもって街の目覚めを見守っていてくれるように感じられる。先ほどまでの夜の住人が蔓延っていた空間も、バラバラに裂かれた地図をもう一度錬金術で蘇らせみたが、乱雑きわまりない収拾つかない様相に終わったような電飾の交差点付近も、すべて白塗りにされる女神の偉業の前にはどうすることも出来ない。夜明けはやはりその時刻の短命からいっても恐るべき魔術である。夜の闇はほんのわずかの過ぎ行きで光の国となる。
性也はそろそろタクシーの空車が走り出す頃に、そんな交差点辺りの喧噪とは無縁の心境でY子の所有する外車に乗り込んだ。彼女の父親のおさがりだというが、そうそう二十代半ばの女性が乗り回すことが可能な代物ではない、聞けば誰もが周知の高級車。性也はこの瞬間に、そう酒場の店員に鍵を渡して近くの専用駐車場から慣れた仕草で車を表に横付けさせるY子の態度と、いとも簡単に帰途が確保される余裕に少なからず屈折した気分を抱いた。
確かに昨夜はそして今現在も自分とY子のふたりをして世界を回転させているくらいの目くらむ夢見のような時間であるはず、しかし無縁の心境でなどと意識的になった瞬間に、宵闇に包まれだした街の光景を高速的にフィードバックさせた。この払いのけても頭の隅に居座る欠片のようなものは何なんだろうか、Y子に対する事柄に関わらず随分と以前から、もう本当に小さな時分からこういった強迫観念とまではいかないが、それでも些事の割にはひっかかるものとして時折、不思議な感覚にとらわれたものだった。ただ、欠片、断片であるが故に又忘れてしまうのも早かった。
無論この時代の性也はその奥底に潜む得体の知れないものを意味ありげに、意識的に究明してみようなどとは考えてもみなかったが。
「俺けっこう飲んじゃったからさ、悪いけど運転は」
「何よいつもいいって言ってるでしょ。それに私の車なんだから私の方が熟練してるの、そんなに気は使わなくていいだけどなあ」
Y子は性也の気兼ねの中に含まれるものを見通すように知っていた。年齢は同じだが、性差以上にY子の全身から弾けるように踊りだす豪華絢爛なイメージと、その反面世間を知っているようで以外とすれていない素朴な側面が時折かいま見ることがあった。例えば、社内では社長の情婦だともっぱらの噂であり、性也本人もそれを確認済みの上で交際を求めたのだったが、驚いたのはY子の特異な価値観にあった。彼女はまるで宝石を鑑定するような口調でこう性也のその件を語った。
「ねえ、みんなさあ、私が社長にお金で囲われているって思ってるかも知れないけど、うちのパパの会社の方がここより年商多いのよ。それから、確かに今の社長から言い寄られたし、洋服とかも買ってくれるけど、私も社長のことが好きだったの。ええ、ワンマンだしけっこう敵も多いみたいだけど、野性味のある男性ってけっこうタイプなの。それと私、やっぱり押しの弱いのかな、性也くんだって猛烈にアタックしてきたじゃない、そういうこと。自分の好みに合わせられたらそれが一番素敵なことよ」
又、こうも言った。
「生まれた時からものとかには不自由したことないのね、でも高一の時にある人のことが好きになって、でもなかなか本人に言い出せなくて。それでね、彼の感心をひく為と想いをこめる意味あいでプレゼントと一緒にラブレターを渡したわけ。何を送りものにしようか考えつかなくってね、彼、私より先輩で頭もいいし国立大学を受験するって聞いて、友達に相談したら彼の家は母子家庭らしいから現金がいいんじゃないって、それでね私、貯金おろして現金じゃなんだから小切手で百万円にしたの。そしたらこんなこと高校生のすることじゃないってえらく怒られた、私は悪気などまったくなかったんだけど、、、」