断章22 冬日の到来を覚えさせる冷え込みにすっかり覆われ、夕暮れのひとときは寒さで何もかも萎縮してしまう、そんな哀愁が窓の外に美しく展開しだした頃、大橋性也は沈める夕陽に自然の理を見いだそうと努めながら、それでも次第に心急くものが杞憂へと転じることに願いをかけた。 それは日没を意志でもって食い止めようとする、夢幻のまばたきであった。彼は夜空の星に祈願しなかった、すでに哀悼であることを知っていたからである。それ故に夕映えに染まる上空へ、己の焼きつく胸のうちを投影させることによって、不確かを承知で大いなる幻像は映し出された。それを見上げることはひとつの循環作用のように性也の血をより濃厚に紅く染めていった。 「僕は待ち続けました、冬仕度が必要な日々もやってきました。夜空から白いものが落ちてくる頃にはもうクリスマスはすぐそこでした。忘れもしません、聖夜のことです、、、やっとY子から連絡が来ました、、、彼女は無沙汰を詫び、沢山お話したいことがあるけど、まだまだ混線した頭の中がうまく整理出来ていない、電話の向うの困惑が吐息となってよく伝わってきました、、、 僕は一番言いたいことだけ話してくれればいいと応えました。ああ、大橋性也よ、自分よ、俺自身よ、だまされてはいけない!もういんだ、どちらでも、ただ自らを絶対にだましてはならない、、、驚かないで下さい、Y子は妊娠している、しかもその子を授けたのは僕かも知れないと口にしたのです。 気がついた時には怒号による詰問が発せられていました、、、いえ、彼女の曖昧な言い方に対して怒ったわけではありません、、、動揺し動顛し、熱いものが頭にのぼったのは確かです、でもそれが沸点に達するまでもなく、特定の感情に支配されていないことが、霧が晴れるように見渡たせた時、まったく信じられないことです!恐ろしいことです!僕の脳内に歓喜の歌が高らかと鳴り響いていたのでした!ああ、素晴らしい手品師よ!青春という名の奇跡よ!人生の醍醐味よ! もうそれで十二分でした、それ以上Y子にことの仔細を問いつめれば、歓喜の歌が止んでしまう。 彼女が孕んだのはN社長の種によるものだろうが、僕によるものだろうが、一番大切なのは、Y子が僕に対してよくぞ、そんな夢語りを聞かせてくれたという現実にあるのです。後はその現実を了承すれば、世界はまるく収まるでしょう、、、『それで生むつもりなの?』『もちろん』 こんな場面でも気楽な利いたセリフが飛び出すものですね。『おめでとう』すると彼女はすかさずに『ありがとう』と応えるのでした。 以来、Y子に会った事はありません。もちろん連絡も、、、それから三年ほどしてから僕は退職しました。いいえ、別に今の会社に不満があったわけでもありません。N社長の近辺にも別に変ったところはなく、社内でY子の噂をする者ももういないくらいでしたから、、、一度だけ、こっそり忍び足で近寄る思いで、Y子の家の前まで行ったことがありました、、、ええ、すでに土地家屋は売却されたのかどうか、それでも無人の住処である様子ははっきりしていました。 これで僕のお話はお終いです。後日談ですか?はっはっ、転職してから前の会社の同僚にある日、偶然に出会いY子が幼子を公園で遊ばせてる姿を見かけたと聞かされたことがありました。 他にですか、、、それっきりですよ、Y子は僕のなかで眠っているのです。そこは花園です、色とりどりの花が咲乱れてはいますが、よく眺めればそれは乱調に見えて実はそれが又、とてもきらきらと輝いているのです。ステンドガラスが粉々に割られても、やはりその色彩が不変であるように。形なきものは永遠の眠りにつくのでしょう、、、 え、何でっすって、女神のめざめ? いいえ、女神様は理不尽な行いをしないものです、仮に天変地異があったとしても不変であるべく、人は努力するもじゃないでしょうか。僕は今、夜空の星々に願いをかけています、、、何を、、、決まっているでしょう、歓喜の歌が鳴り止まないようにです。夜を見回って歩く習癖は、永眠に対する追悼でも儀式でもない、ましてや執心に囚われ失ったものから逃れられないなんてことはありません。 ただただ美しい眠りからめざめないよう、僕のこころが時折、花園のまわりを鬼火となって巡っているだけなのです。」 完 |
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